七夕の豆腐
この短編小説は、とある男を主人公において疑問や記憶について触れていくという、謎の作品です。
青春といえば青春だし、違うといえば違う曖昧な作品です。
七夕の豆腐
「私は何をしているのだろう」
一人、曇りの中、公園のベンチで、ビールを片手に呟いた。
どことなく押し寄せる、灰色の煙のようなものに圧迫されるようなこの気持ちはなんだろう。
罪悪感なのか、焦りなのか、自分でも分からない。
「今日は七夕だね」
「願い事書かないと」
二人の少女が笑みを浮かべながら話している。
今日は七夕か。
もし、願いが叶うのであれば、私は、このどことなく押し寄せる、灰色の煙のようなものに圧迫されるような気持ちの正体を教えて欲しいと願うであろう。
この世の中はそんなに上手くはまわらない。
と思う気持ちは、痰と一緒に飲み込んだ。
こんなところで、屁理屈を言ってても何も変わらない。
私はそっと目を閉じて、ベンチに寝転がった。
空気は重く、独特な渋い匂いと交ざって、爽やかな心地とは程遠い心地を感じた。
「自然も私の味方ではないんだな。」と小言を言いながら、眠りにつこうとしていた。
「ぱー、ぱーぱー」と、耳に残る音を立てて車が走ってくる。
豆腐の販売車だ。
寝耳に水とはこのことか。
折角穏やかな気持ちになったばかりなのに、いきなり異端な気持ちを起こさせた。
「くそ。」
また得たいの知れない重圧な気持ちを抱えた現実に戻ってきてしまった。
「お母さん、夜ご飯何?」
「今日はお豆腐にしようかしら」
「えー、またお豆腐ー?」
「だって、安いんだもん」
母親とその子どもが、話している。
私も小さい時には、このほのぼのとした会話をしていた。
懐かしいな。
私も、いつも豆腐ばかりで駄々をこねていたっけか。
あの頃は、我儘だった。
寝転がっている私に、子どもが話しかけてきた。
「この公園って、おじさんの家なの?」
私は、この藪から棒の質問に笑いを我慢することができなかった。
「違うよ、坊や。ここは、皆の公園だから、私の家ではないんだ」
そう答えると、子どもは「じゃあ、静かにしてなくていいんだね」と嬉しそうに言った。
私はふと「平和だな。」と、言葉が漏れてしまった。
こんなに平和な世の中なのに、私は得たいの知れない重圧な気持ちを感じてしまう。
まただ。
子どもたちを見ていると、その気持ちは膨れ上がってくる。
暗くなってくると、子どもたちは帰り、公園は静かになる。
「そろそろ帰ろうか。」
空の缶を持って、ベンチを立った。
ポツン。ポチャ。
雨だ。
「はぁ。」
傘を持ってない私は、雨に頭を打ちつけられながら、暗い帰り道を帰っていく。
スーパーの笹の葉に短冊をつけているある親子がいた。
そうだ。私も願い事を短冊に書こう。
私は、“これから私はどうすればいい”とだけ書いて、笹の葉に短冊をくくりつけた。
右下に、さっきの親子が書いた短冊があった。
見たら悪いかなと思いつつも、気になってしまい、見てしまった。
そこには“お父さんとお母さんとずっと一緒にいたい”と書かれてあった。
私は涙が出てきた。
私には、父の記憶は残っていない。
母には、一人暮らしをすると言って、あまり帰っていない。
私は願いを叶えられなかった。
一人、街灯の下で立ち尽くした。
雨は次第に強くなり、涙をより一層誘った。
足元には水溜まりができている。
水溜まりに親近感を感じた。
初めての感覚だ。
涙と雨が混ざった滴が、足元の水溜まりに落ちた。
薄黒く濁った水溜まりに、滴が混ざった。
けれども、色は変わらず、ずっと濁ったまま波打っていた。
私はその場にうずくまった。
「降り続けるこの雨で、私のこの感情を洗い流して欲しい。」と、心のなかで強く願った。
遠くから、あの異端な音と共に灯りを灯した豆腐の販売車が向かってきた。
私は、何故か手を上げていた。
目の前で止まった車に乗っているおばさんが、「なんだい。こんなびしょびしょになって。傘、持ってないのかい?あ、豆腐買いたいのかい?今待っとれ。」と言った。
私は豆腐を見て、涙が止まった。
おばさんには、雨が強かったのか、涙を流していることはバレなかった。
「はい。一丁でいいのかい?」
「はい。一丁で大丈夫です。」
一丁と言っても、片手で持てないくらいの大きさだった。
「はい。120円ね」
「はい。ちょうどあると思います。」
「まいどあり」
「ありがとうございます。」
おばさんは、車に戻って去っていった。
私もその場にとどまらずに、家に帰った。
家に帰って早速、豆腐を洗って、鰹節をのせて、醤油をかけた。
豆腐を食べた私は、「これだ」と思わず声に出して、笑みを浮かべていた。
外を見ると、いつの間にか雨は勢いを無くし、小雨になっていた。
ベランダに出た私は、何故だか足元が気になった。
水溜まりだ。
水溜まりは、透明な色をしていて、地面の色を映し出し、そこに私の姿も映し出した。
空に目をやると、天の川が浮かんでいた。
「さあ、明日は何をしよう」
そう言って、母に手紙を書いた。
「また豆腐でご飯のおかず作って。近々帰るから、その時は一緒に食べてもいいかな?今まで、こうやって素直に言えなくてごめん」
その後、母からの手紙は一切返ってこなかった。
病院にいたからだ。
病院へ、たどり着いた私は、最後の言葉を伝えることができた。
長い年月の中に後悔はあるけれど、最後に一緒にご飯を食べることはできた。
温かい湯気が、私と母の最後の晩餐を彩った。
七夕の豆腐
この短編小説を書くことで、小さいことだった思い出もいつしか、いい思い出になるのではないかと思えました。
内容を書くと、考えて欲しいところまで全部出すことになるので、まえがきでは全く書きませんでした。
読んでいただいた方、ありがとうございます。