戒厳令の儚2️⃣
≪禁忌に抗う季刊誌『地下文学』より転載(不定期)≫
戒厳令の儚 作者不詳
戒厳令下のダンス教場
2️⃣ 性夢
さて、ここまでが五年前の草稿である。書き始めたばかりで、放っておいたのであった。理由は判らない
肝心なのはここから先の描写だ。五年前なら、大した思慮もなく、勇んで書き進めただろうが、今年、ニ〇ニ一年に七ニにならんとして、何を書き継ぐのか。
不意に、以下を試行しているのである。と、楽屋話を明かしたところで。
互いに両の手を取り合った裸体の二人は、慎重に距離を測りながら踊り始めたのである。
だが、それは踊るというよりも、極めて緩慢に体を揺らしているばかりの風情だ。
すると、暫くしても、男の股間は、些かの隆起もしていないし、女がその股間に手を伸ばしてすらいないのである。
何故か。それは彼らの情欲が刹那に冷えきったからでも、不謹慎な闖入者があったからでもない。
ひとえに、著者の意識が変遷したばかりなのだ。
だから、小説などというものは、何者かのその時限りの啓示で、自然の有り様に似て発現するに過ぎないのである。
すなわち、愚なる筆者などは、自らの力量などには頼る術もなく、ただ降り落ちる言葉の数々を拾い集めているに過ぎないのである。
やがて、女が囁いた。「躊躇したんだけど。やっぱり陳腐だわ」
だが、賢明な読者諸兄よ。こんな秘め事の声音が、ガラス越しの、しかも、大分離れた路上に届く筈もないではないか。
そもそも、こんな夜更けに、巨木の欅が連なる石畳のガス灯の下に、誰が佇んでいるのか。
むしろ、そんな者を配役する必然などは、さらさらもあり得なくて、筆者の意識ばかりで書き進めれば充分なのか。
だが、その意識にしたところが、すっかり覚醒はしていないまでも、この社会に許容される程度に健康なのか。
そうした何れもが、愚なる筆者などには、些かも判然とはしていないのである。
女が、繰り返して、「こんな話だったんだもの。随分と躊躇ったのよ。そして、やっぱり。清水の決断に及んでみたら、やっぱり。陳腐な程に陳腐なんだわ」
初めて聞く、歳に似合わぬ、存外に甘酸っぱい女の声音に、「何が、ですか?」と、男が、思いっきり低い声音を化粧させた。
女はその響きの若さに、改めて驚きながら、「私達だわ」
「どうかしましたか?」「気付かないあなたって、余程の鈍重なのね?」
「初手から手厳しいな。変ですか?」
「あなた?こんな無作法な姿態。あなた?私達って、裸なのよ」
「そうですよ」
「あら?ますます奇体だわ。こんな無様が平気なの?」
「平気という訳でもないが。どちらかといえば、陶酔ですかね?」
「陶酔?」
「これは、その種の夢ですからね」
「夢?」
「そう」
「だったら、その種、って?」
「いわゆる、性夢じゃありませんか?」
(続く)
戒厳令の儚2️⃣