GHOST
最強の有人戦闘機と最強の無人戦闘機の戦いです。表舞台ではなく、裏舞台での戦いを描いてみました。マ〇ロスとはまた違うドックファイトをと意識しましたが、どうでしょうか(笑)温かく、見守ってください。映画のように短いですが、よろしくお願いします。
大空、雲は眼下に広がり白く眩しい。三機の戦闘機は黒光りする鉄の身体をまるで飛んでいる鴉のように、翼を広げて飛んでいた。
『一二時の方向より急速接近。距離二〇〇〇、未だ減速しません。』
けたたましいアラームがコックピットに鳴り響いた。真っ黒なレーダーに移る緑色の三角形の影は三機の編隊を組む別編隊をレーダー上から消失させたかと思うと、反転しこちらに接近してくる。次々にメーターが数を減らしていく中、ふっとまるで今のことは無かったことのように憎たらしい三角形は消えた。
『アロー機撃墜。続いてジャクソン、イワノフ。中尉、自分たちだけです!』
『ここで撃墜させられたら、自分たちは…。隊長!』
無線からの悲痛な声。今や彼らに励ましの声を掛ける事、余裕すら持ち合わせてなかったのだ。思考が経験という切り札であらゆる状況の打開策を検索している最中、眼下に広がる雲の床の一片が噴き出るように破れた。前進翼を前面に押し出した白い鉄の塊は、白鳥のように長い首の先にあるガラスをこちらに向けていた。
「雲の下かぁぁぁっ!」
白鳥は一直線に通過する。散開と叫んだあと、男は操縦桿をこれでもかというくらい引き上げた。機体の推力可変ノズルがおびただしい煙を放った。空気が爆音となり白い水蒸気が機体を包む。耐Gスーツが身体にぴったり張り付き、骨が軋む。重力の九倍もの力が身体を思い切りシートに縛り付けた。白鳥の後ろに鴉は付いた。誘導ミサイルのサイトがきりきりと白鳥に狙いを定めていく。あと少し。操縦桿のスイッチカバーを外し指を掛けた。
瞬間、白鳥は身を翻した。バレルロールをしたと思ったら、目の前から消えた。頭上を通り過ぎ、反転して背後に付く。何という機動力。いや、パイロットは果たして無事なのかと脳裏を横切った。普通、レッドアウトしてもおかしくはない無理な反転をしたのだ。そもそも機体自体が失速、空中分解しないことに驚きを隠せない。ロックオンアラームが鳴り始めた。
『オーバーシュート、じゃない。何だぁっ!』
「うぅぅぅん!」
フレアが四散し、相手を惑わす。白鳥はゆらゆらと機体を左右に振った。振ったのではなかった。ミサイルも発射せずに何と近距離でフレアをかわし後ろに付いたのだ。バックミラーに白鳥の顔が映った。
『俺様のかぁっちー!』
無線に男の声が混じってきた。口笛を吹きながら悠々と後ろをただ飛行する。これほどまでの屈辱は過去を振り返って、この男には一度もなかった。白鳥はすっとエンジンを切った。機体がぐらりと揺れたかと思うと旋回しながら、落下していく。ただ風に任せるその姿に、後ろ姿に怒りを覚えたのだろうか。男は操縦桿を握りしめた。
「ジャック、レベッカ。模擬戦闘は終了だ、ここからは私とダイゴの時間だ。」
操縦桿を横になぎ倒した。鴉は旋回し、落下する白鳥に頭を向けた。
「お前が誘ったんだ。」
『そ、俺が誘った。』
鴉は唸り声をあげた。推力可変ノズルは大きく広がり、青い焔が輪を描きながら吐き出される。一瞬の加速。白鳥は鴉を挑発するかのようにぐるぐると回転し、爆音をあげた。二機の戦闘機が高速戦闘を開始した。雲が2機から逃げるように吹き逃げる。今度は白鳥にぴったりと鴉が引っ付いた。その距離はわずか十メートル。だがサイトに上手く白鳥は捉えられない。右左・上下と、上下左右に白鳥はその身体を揺らす。
「その挑発的な態度、昔も今も変わらないんだな!」
『そのお堅い頭は、昔も今も変わらないんだな!』
「うるさぁぁぁいっ!」
鴉が牙をむいた。秒速八〇〇メートルの速度で弾は火を放ちながらばら撒かれた。毎秒一〇〇発ほどの速度で放たれた弾丸は空気を切り裂き白い煙を身に纏う。機体が大きく上昇するとわずかに届かない。白鳥はなおも背を向け逃走する。フラップが左右逆に展開した。機体がぐらりと揺れ動く。鴉も負けじと身体を揺らす。二機の高速戦闘機はぴったり親子の鳥のように張り付きながら上昇し、見事にバレルロールをかます。
『そういう怒りっぽいとこが…うっ、まだまだじゃないのか!』
声が詰まって上手く発音できないのか、無線の奥の者は押し殺したような悲鳴を上げている。
「どうだ…やっぱり…限界…じゃないのか!」
男は急激にかかるGに顔を歪めた。しかし、根をあげようとはしない。上昇し続ける機体は白い飛行機雲を吐き出していた。それは二重螺旋を描いていた。伸び続ける螺旋の先で白鳥と鴉の最後の悪あがきが見え隠れする。
急にエンジンを切った白鳥は鴉の横にぴたりと身体を並べる。ぼっと火が噴き並列する二機。ガラスの向こうで男がこちらに合図した。グットラック。決着をつけるときはいつもそうだ。相手に健闘をたたえる、そうしてから撃墜してくるのだ。男の拳に力がこもった。
「舐めるなよぉぉぉぉっ!」
まるで磁石の同じ極が触れ合うように弾け離れる二匹の鳥。大きく弧を描いた後に、二匹は正面から突撃する。機関砲が咆哮した。それは大きな唸り声となって二匹をそれぞれ襲う。機体は、まるで砂利道を走る車のように揺れ動く。機関砲の衝撃か、将又被弾したのか。白鳥と鴉はお互いの身体を掠めながら通り過ぎた。鴉の大きな瞳は、スライムが溶けたように、ピンク色に染まっていた。
一
「…作戦無視に命令違反、極秘戦闘機の無断使用に回線の切断。ましてその間に口論だと?だだの模擬戦闘で一体何をしているんだ。いいか、お前たちは本来ならば謹慎ではすまないぞ。それをわかってやっているのか!」
唾が顔面に飛び散った。二人の軍服を着た若い男は、中年すら超えた初老の男にありえないほどの苛立ちを与えてしまっているのだ。ヨーロッパ系の端正な顔付の若い男は、俯いた顔をあげ、声を張り上げた。
「私はその状況下におきまして、ついカッとなってしまいこのような行動に出てしまいました。その事については深く反省しています!」
隣のアジア系の男は唇を釣り上げて、いかにも不満らしいそぶりを向ける。
「なんだね、マツイ中尉?」
それに気が付いたらしく、初老の男スティーブ・キングス大佐は眉間にさらに皺を寄せた。時すでに遅し、と心の中で呟いたにちがいない。アジア系の男は頭を深く下げた。
「すいません、自分が悪かったです。自分がローライト中尉を挑発したから始まったことです。」
ヨーロッパ系の男はその光景にムッと顔を歪ませた。
「そうだ、だがローライト中尉も挑発に乗ってしまったのだ。どちらが悪いではない。お前たちを説教するのはもうたくさんだ。まるで小学生のようだな。」
スティーブは、だんと椅子に腰かけた。背後にはあらゆる数の銃火器が並べられている。サブマシンガンやらアサルトラフルやら、趣味のように並べられたそれは埃すらついていない。葉巻を取ろうとして、躊躇いながらまた元にあった引き出しの中へしまう。机の上に広げられた本のように分厚い資料の束の一つを手に取った。溜息をワザとに聞こえるようにか、本当に口から漏れたのか。部屋に嫌な空気となって充満する。
「若いときは私も無茶をした。夜中に戦闘機を借りたくらいはあるさ。しかしお前たちは一度や二度じゃない、度が過ぎる。特にマツイ中尉。」
ダイゴ・マツイ中尉。彼はやっぱりかと顔を顰めた。
「君のテクニックは皆が認める一流だが、何と言っても自己中心的な行動がそれを潰しているとしか思えないんだ。もう少し謙虚にできないのか?君の出身のジャパンは…。」
ぴしゃりと声を張った。
「日本です。ジャパンは英語名ですよ!」
珍しい。ヨーロッパ系の男、レオン・F・ローライト中尉は目を丸くした。彼だけではなくスティーブも同じく目を丸くした。この男、マツイは普段はお調子者で、相手を挑発する事はあっても自らが怒ることはなかったのだ。そんな男が〝ジャパン〟と〝日本〟の違いだけでこうもまで声を張り上げるとは、彼らは勿論、誰一人として想像はしなかった。いや、できなかった。
「んん、あぁ、そうか。悪かった。ただ君の出身の日本では相手を思いやる文化があるのだろ?君もその文化も守ってみようとする気はないのか?」
「文化に溶け込む気はないんでね。そのためにこっちに来たんですから。」
「ダイゴ、貴様上官に向かってその態度はなんだ!」
レオンは胸倉を掴むと、ダイゴに詰め寄った。制止するスティーブ。
「君の生き方までに干渉する気はないが、ここが軍隊である事は忘れるな。それに軍隊だけではなく民間の航空会社のバックアップもあって今この状況はなりたっているんだ。君ひとりの行動でエピオン計画に支障をきたすのなら、ここで首を切っても良いことはわかっているだろう。」
「確かに、今月の給料も貰わないで辞めるのはちょっと。」
「そうだ、やっとわかったのか。現在を持って両中尉の二週間の外出禁止令及び戦闘機の使用不可・三か月の減俸を言い渡す。謹慎ってやつだ。」
スティーブはダイゴの肩を軽く叩くと、部屋を後にした。二人の中尉は溜息を深くすると、同じく部屋を後にした。
原子力空母の格納庫には一羽の白鳥、戦闘機が今か今かと発進を待っている状態でいた。その横には赤いレザージャケットに黒いジーパンという戦闘空母には似つかない何とも不可思議な恰好の女がノートパソコンのディスプレイを、まるで顕微鏡を覗くようにぎっしりと見つめていた。金髪のポニーテールは綺麗に整えられているのではなく、邪魔だからというようながさつに纏められていたものでしかなく、鼻のあたりにはオイルが伸びた黒い跡がある。アンナ・スタンフォード。民間の航空機会社ヴィーナス・フロンティア社の技術者で今回のエピオン計画の中心である新世代戦闘機の設計を担当したのだ。
《NF‐01》
新世代の空間戦闘機の開発に伴い、大気圏内での圧倒的な機動力に観点を置いて設計された試作機である。彼女はその整備をしていたのだ。真っ白なボディーカラーに今時珍しい前進翼を装備し、白鳥のように伸びる機首の先にコックピットがある。コックピットのすぐ横には小さなガナード翼が取り付けられ、重心の下がる機体のバランスを取っているのだ。
「機体の調整は出来ているみたいだな。」
遠くから声が聞こえる。アンナはディスプレイから目を離した。軍服を着崩したダイゴがにやにやとさぞ可笑しそうにこちらに近づいてくる。アンナはそれまで身に着けていた薄汚れた軍手を床に叩きつけ、地響きを立てるかの如く、速足でダイゴに詰め寄った。
「できてるわよ、貴方が謹慎処分なんかにならなければ今頃雲の向こうよ。いったい何を考えているのよ!」
相当な怒りっぷりだ。まあまあとダイゴは宥めるも、アンナの怒りは収まらない。いや、収まるはずがないと言った方が正しいのか。
「エピオン計画はもう最終段階まで来ているの。さっきの模擬戦闘をAランクでクリアしているからこの機体が次期の新世代戦闘機として戦闘に参戦できる。そうなれば現在のドックファイト何か蝶々同志の戯れのようなもの、戦闘機の革命が起きるっていうのに貴方が謹慎してしまったら。一週間後の東京で開催される展覧会に間に合わないじゃないの!」
「おいおい、俺が謹慎にならなくても明日最後の試験をする予定だったんだろ?一週間後の展覧会に間に合うだろ、俺以外を使えばな。」
アンナはキッと睨み付けた後、振り返り一枚の紙を取る。
「あなたしかいないから悩んでるのよ!一週間前に配られたでしょ!NF‐01は展覧会の最後で上空から登場し、一通りアクロバット飛行したあと、会場に着陸って。試験はそのアクロバット飛行の練習、そのデモンストレーションよ。まさか見てないわけじゃないでしょうね?」
苦笑いのダイゴとは対照的に、アンナの顔はまるで悪魔のようだった。
「わかった、わかったよ。俺が悪かったからさ、まったく。」
「まったく?まったく何であなたしかいないのよ、この機体を操ることができるのは。ちょっと難しいからって。」
アンナは湖で眠る白鳥のように静かに佇む戦闘機を見上げた。外装の一部が開き、赤や青などの配線の閉まったコードが幾つも繋がれていた。
「確かに、こいつはちょっとどころか相当なお転婆娘だからな。」
「そこは否定しないわ。機動力を特化しすぎた結果、ピーキーになりすぎることは私も設計の段階では気が付かなかったし。」
そう、NF‐01は単独での編隊の撃墜、及び複数機との戦闘を前提に造られたのだが、それは同時に操縦者の技術を必要としたのだ。ベテランパイロットすら根を上げた操縦の難しさにたった一人適応したものがいたのだ。それがダイゴなのである。
「確か、東京で開催される展覧会にジェネラル・ウィンドウ社も出品するよな?」
アンナの顔が少し曇った。
「ええ、もうすでに完成したはずのUF‐40Jよ。」
「それって例の…。」
「無人戦闘機。まったくやっかいな者を造ったもんよ。プレデターじゃ物足りないのね、そんなにテレビゲームがしたいのかしら。」
「人工AIも備えているらしいな。」
二人の会話に割り込んでくる者がいる。レオンだ。鋭い目つきでダイゴを一瞥した後、白鳥を見上げた。
「それに五機の個体が集団ネットワークを兼ね備えていると聞いたぞ。」
「そう、独立した個々の知能を備えるのと同時に集団として情報を共有できる。一寸の狂いも許されないその状況で最適な判断を全機体が同時に行うことの恐ろしさは、核兵器と変わりないんじゃないかしら?」
レオンはダイゴに目を向けると、フッと鼻で笑ったあとにこう続けた。
「ま、天才ダイゴ様にはそれほど恐怖ではないらしいな。」
「なんだと。」
アンナはダイゴとレオンの間に入った。
「ここでも喧嘩を続ける気?ホント、男ってバカよね。」
「俺は喧嘩をしに来たんじゃない。」
レオンは煙たそうにアンナを払いのけると、近くにあったコンテナに腰かけた。
「お前と俺の喧嘩でこうなるとはおもっていなかった。」
あえて強調するレオン。
「二年も掛けたエピオン計画がここで潰れるのは俺も納得いかん。そこでだ、無人戦闘機より有人戦闘機が優秀だと知らしめる、一泡吹かすのもいい。」
にっと笑みを浮かばせる両者。
「確かに、面白そうだな。辞職するのもその後でいい。」
アイナは慌てて、二人を止めた。
「ちょっと、二人とも何考えてんのよ。そんなことしたら刑務所行きよ。第一に今は謹慎処分中でしょうが。私が許可しても、クルー全員はあなた達を空母に止めておくのが正解だと考えるわ。バカな真似はよしなさい。それに、ダイゴ。あなた今辞職って。」
「ん、ああ。そう言ったな。」
ダイゴは格納庫の開ききった天井を見た。青く遠い空が広がっていた。
「俺は空が好きなんだ。大空でビューンて飛ぶのが好きなんだ。戦争の片棒を担ぐのは好きじゃない。この計画が成功したら軍を辞めるのも悪くはないってこと。」
「そんな。私、聞いてない。辞めてどうするの?日本に帰るの?」
「いいや帰らないさ。それ以外は何にも。」
ダイゴは頭を掻きながら立ち上がると、手を振り後にする。その後ろ姿を見つめながら、アイナはそっとレオンに問いただす。
「あなたは聞いてたの?」
「…。あぁ、二、三日前だったかな。戦闘機の中で。」
アンナは俯いた。
「ねぇ、レオン。なんでダイゴが日本に帰らないか知ってる?」
「いや、知らないな。」
「そう、単なる噂なんだけどね…。」
アイナはゆっくりと話し始めた。
二
彼の名前は佐々木拓真といった。初めて出会ったのは六歳の頃だった。公園で、砂遊びをしているとふいに話しかけてきた。山を作ろう。顔に泥を付けながら、近所のあの何一つ珍しくもない公園の汚い砂場で、彼は話しかけてきた。それからは何をするのでも一緒だった。小学校の運動会では六年間いつも隣に立っていたし、休み時間はいつも前を歩いていた。中学校に上がって彼は部活には属さなかった。一緒にいる時間は減ったが信頼は揺るがなかったことは確かで、初めて恋をした時も誰よりも先に彼に相談した。初めてのデートの時の服装、計画だって彼は自分のことのように考えてくれたし、自分が気が付かない些細なことも気が付いて忠告してくれた。彼は部活に属さない分、人一倍努力して、人一倍頭が良かった。彼は教師やら親やクラスメイトから絶対に頭のよい高校に進むのだと期待されていた。
しかし、彼は違った。一緒の高校に行こう。そう言って二人で彼の行くべき道を捨てて、ランクのいくつか下の公立高校に進学した。これが大きな間違いだったのか。彼は入学するなりその頭脳で学年のトップクラスにすぐに入った。勿論、部活には入らなかったし、だからと言って怠けていたわけではない。着実に夢に向かって走っていたのだ。僕は、ブルーインパルスに入るのが夢なんだ。彼は図書室でそう言っていた。分厚い読む気にはなれないような埃の匂いのする小説を開きながら、今まで掛けていなかったのに突然掛け始めた銀縁の丸眼鏡が下がるのを気にしながら熱く語った。こうしていつも図書室で彼と談笑するのがいつの間にか日課となっていたことはごく自然な事であって、当時付き合っていた恋人すらも呆れていたのだ。
こんな生活がまるで塩の山のようにあっけなく崩れ始めたのは、学年が上がって三年生になったときだった。いつも彼から相談してくることはなかったのに、何故だか相談事が多くなり始めた。最初は、居心地が悪いとか、視線が辛いとか。クラスに馴染めていなかったのだろうと当時の考えでも、まず最初に浮かんだ。それから授業中に彼の姿を見ることはなくなり、彼と会うのも放課後の図書室でしかなくなった。部活も引退した三年生は皆、カラオケやらボーリングに通い詰める。そんな仲間入りをしていると次第に図書室にさえ向かうことはなくなり、彼と会う機会も減っていった。
青々としていた木々が茶色く姿を変え始めたころ、彼の異変にようやく気が付いた。昼休み、体育のあとで校舎の一階にある自動販売機に飲み物を買いに行ったとき、彼は自動販売機に向かって黙って立ち尽くしていた。どうした、何かあったのか?彼は、いや、何でもない、と言いまたいつものように眼鏡をあげていた。その時に気が付いていれば間に合ったのかもしれない。彼はいくつもの缶を両腕に抱えていたのだ。それから数日が経って、彼は図書室にさえ姿を現さなくなった。クラスの連中も口にはしないものの、その異変には気が付いていたらしく、授業中やら休み時間に、ねぇ、彼なんでいつも居ないのか知ってる?とか口々に言っていた
。数日後の昼休みに入って彼に久しぶりに会った。彼はいつも通り穏やかに相談に乗ってくれた。それから別れ際に、放課後、屋上で待っているからと言い残した。
放課後、屋上で彼はフェンスの向こう側に立っていた。その微笑みは今も忘れない。
心臓は、その鼓動の限界まで強く跳ね打っていた。どくん、いやばくんの方が正しいのかもしれない。身体はその鼓動に応えるかの如く、荒く呼吸を繰り返していた。丸い窓から見える太平洋は暗く、未だに太陽は見えない。星が天を覆い、銀河旅行にでも誘っているかのようだ。星座も何もわからないが、ただ単純にきれいだと思える。呼吸を整えると、もう一度横になるが目が異様に冴えて眠ることはできない。どうせ明日は何もしないんだ。首筋に滴る汗を拭いながら部屋を後にした。
休憩室に並べられた二つの向かい合った椅子に座ると、温かいコーヒーを啜った。じんわりと体に染みる。休憩室に掛けられた針時計が刻々と時間を刻んでいる。その針は二時を過ぎていた。
「あら、こんな遅くに何をしている?怖い夢でも見て眠れないのかしら?」
ドアが開き、アンナが入ってきた。
「まぁ、そんなことかな。アンナこそ、こんな遅くまで何してるんだよ。」
コーヒーカップに黒い液体を注ぐ。まだ入れたばかりの熱いコーヒーが湯気を立ち上らせていた。ダイゴの目の前に腰かけると、それを一口だけ口にする。
「エンジンの調子があまり良くなくてね。あんな機動性を保持するにはVF社の推力可変の711ターボファンエンジンじゃなきゃできないんだけど、どうしても無理をしてるからすぐに焼付いちゃうのよ。出力を抑えることもできるのよ、でもそうしたらNF‐01じゃないでしょ?」
背伸びをした。大きなあくびと一緒に。
「だから速度は落とすけど機動力はそのままの他の可変ノズルにするか迷ってた。整備班はそれに賛成だけど、私は本来のFN‐01で戦いたいの。」
「どんな機体だろうと俺は乗るぜ。」
しばらくの沈黙が流れた。先に先陣を切ったのはアンナであった。コーヒーカップの縁を指で撫でながら、唇を動かしたのだ。
「何故、あなたは日本に帰らないの?」
再び沈黙が訪れた。アンナにはそれが永遠に続くような気がして、しまったと心で呟いた。針時計の音だけが沈黙を掻き消している。ほぅ、ダイゴのその抜けるような溜息がカップから漏れ出す煙をゆらりと揺らした。じんわりと滲み出した脂汗。
「俺は、親友を殺した。」
突然の告白。瞳はアンナを見ているのだが、どこか遠くを見ているようにしか思えない。深く深く、黒く染まった黄色人種の黒い瞳。それがぐるぐるとまわり続けて次第に大きくなり、アンナは飲み込まれるような気がした。恐怖、だだその一言。
「帰りたくないんだ、だから。」
水平線上に未だ太陽は現れない。暗く闇に染まった水面で波はちゃぷっと艦艇を舐め回している。闇の中で一人孤独に置かれた赤ん坊のクジラのよう。寂しい、いや怖い。誰しもが恐らく考えるはずの言葉。
「その親友は〝親友〟だったんでしょ?」
「あぁ、何でも相談できた。親友ってより分身、俺自身だったな。」
恐怖から興味に変化し始める。引きつっていた顔は次第に緩み始めた。そんな表情を読み取ったのか、ダイゴは少し笑みを浮かべた。
「あいつはいい奴だったよ。何たって頭がいい。そりゃ教育的な観点での頭の良さもあるけれど、人間的な頭の良さもあった。わかるだろ人間的な頭のよさって?あいつはそれがずば抜けていた。」
「何故、殺したの?」
謎、興味の最終地点でもある。ダイゴの眉毛が僅かながらに動いた気がした。再びしまったと呟いた。だが以外にもダイゴの反応は素直で、とても率直だった。
「あいつと親友だったからさ。親友の望みを叶えない奴は親友じゃないだろ?」
「その彼が大好きだったのね。」
「当たり前だ。いつも俺を助けてくれたからな。」
コーヒーを一気に飲み干すと、だんとカップを机に叩き置く。
「カフェイン飲んだら目が覚めちまったよ。一緒に散歩でもどうだ、気分転換にいいだろ?」
飛行滑走路のある上部甲板には微かに風が走っていた。サーチライトが海上を照らしていた。こんなご時世、わざわざ左遷されたような実験テストの任に就いた原子力空母を襲う者などいない。金の無駄だとダイゴは嘲笑った。そうかもねとアイナはそれに乗る。
「FN‐01は私の希望なの。」
アイナが遥かに続く太平洋を見渡した。
「あなたあの時〝戦争の片棒を担ぐのは好きじゃない〟って言ったわよね?それは私も一緒。私が造った戦闘機で人が殺されていくのなんか、想像するだけで吐き気がするわ。私の父親は曲技飛行のパイロットだったの。」
言葉が流れ出るような、そんな感じだった。詰まらせることがなく、ただひたすらにとめどなく流れる。言葉はやがて川となり海に流れる。
「何万人の前で飛行する父親は誇らしかった。家でテレビを見てる姿と違って、何だか空を独り占めにしているみたいで格好良かったのよ。だから私は、飛行機に憧れているの。戦闘機じゃないわ。」
「そうか、何ならあいつで曲芸飛行でもしてやるよ。大空に文字だって書いてあげるさ。」
「あなたは謹慎中でしょ?」
「ごもっとも。」
甲板はひんやりと冷たかった。触れた瞬間に身体に染み渡る冷たさ。大の字で寝転がるといっそう身体に染み渡った。
「ただ、そうしてくれると私はきっと嬉しいでしょうね。人を殺す目的じゃなくて、人を喜ばせるように飛んで欲しい。きっとそう思ってるわよ、あの子も。」
あの子。親しみがこもっているのか、まるで子供のような面持ちなのか、兎にも角にもFN‐01はアイナにとても気に入られているようだ。白鳥のような姿に、戦争の文字は一切浮かんでは来ない。それよりか大空を我が物のように飛ぶ姿の方がお似合いなのだ。
「だけど、どうしてもエンジンだけは気に入らないな。」
「さっきは711じゃないと、とか言ってなかったっけ?」
「そぉ、だから711じゃないと気に入らないの。これでも設計者よ、技術者よ。職人気質っていうじゃない?私はそこがどうしても譲れないわけ。ほら、スシ職人だってナイフは気にった物しか使わないでしょ?」
「ナイフは英語、日本語では包丁だよ。」
「ホウチョー?」
アイナが首を傾げた。そっ、と軽く頷きダイゴは手を伸ばした。煌々と輝く星にあと少しで手が届きそう。何百光年、何万光年昔に発した光が今ようやく地球に到着した。その光が発せられた場所にはもうその星は存在しないのかもしれない、ただそれがそこにあった証拠にはなる。
「俺もあの星の光みたいに存在したって証拠を残したいな。」
「あなたのことは嫌でも忘れないわ。命令違反の常習犯。心にずっと残っているは、死ぬまでね。」
突然、その言葉が頭の中で何重にも重なり合って心に打ちつけられた。「心に残っているは、死ぬまでね。」そうだ、あの事は死ぬまで心に残り続けるのだ。亡霊のように影となり纏わりつく。何だか酷く、恐ろしくなった。
「なぁ、俺はあいつのことを死ぬまで心に残して生きていくのか?」
アイナはハッとダイゴを見た。その瞳は暗く淀んで、星すら映ってはいなかった。
「当たり前でしょ、何言ってるの?だって親友でしょ、忘れるなんて!」
「親友だから、忘れたいんだよ。」
その言葉は重かった。真っ黒な鉛が乗ったようなそんな感覚。どんな理論だろうが極論だろうが通用しない親友同士の関係性は、誰にも証明できない方程式であって、どのパターンにも一致はしない。そんな複雑な関係性の中で一貫するのが〝親友だから〟である。それはどんなパターンにも共通して使うことができるし、それでないと説明ができない。
「あいつは俺が殺した、だから忘れたいんだよ。」
沈黙がその背徳感を醸し出していた。
三
日曜の午後だけあってか、空母にはほとんど人が残っていなかった。それに加え、明日がクリスマスイブだからなのか。ハワイ湾に停泊した原子力空母はまるで休日の学校のように静けさが際立った。謹慎処分さえなかったなら、と自分に悔み同時にあの男を悔む。甲板には清掃員がちらほらと見えるばかりで、その問題の根源は未だ見つからない。起きてから三時間。何故だかあいつだけ見つからない。
「お、こいつは噂の問題児じゃないか?」
一人の男がへらへらと笑いながら近づいてくる。無精髭を蓄え黒く日焼けした中年は癖のある髪の毛を弄りながら、さぞ可笑しそうに笑っている。整備班班長のブラット・スタージョンだ。
「確かに私は問題を起こしましたが、問題児はあいつの方です。」
「はっはっは、そりゃ結構。」
見かけと同じく豪快な大笑い。不愉快、レオンの眉はぐにゃりと曲った。同時に顔全体が歪んだ。
「日曜日なのにあなたはどこか出かけないのですか?明日はイブだというのに。」
「べっぴんさんがしつこくてね。俺ら整備班はエンジンを変えるべきだって言ってるんだよ、万が一エンジン不良なんかで墜落したらたまったもんじゃない。だけどあの姉ちゃんは変える気はないんだとさ。それで日曜日まで時間を使ってやってるんだけど…。」
甲板に寝ころぶ男を指差した。
「問題児のおかげで飛行テストすらできないのさ。」
「あいつ。」
がんがんと足音を立てながらレオンが近づく男は、大きなあくびをして上半身を起こした。
「こんなところで居眠りか、ダイゴ。」
ニヤリと笑う。
「そ、太陽光を浴びて光合成中。」
「バカが考えそうなことだな。」
「ほっとけ。」
レオンはその横に座った。確かに、太陽光は身体に染み渡るように照らす。
「実際、お前もこんなことするしかないんだろ?」
「まったく、暇だよ。」
謹慎処分を受けた二人。どこへも行けずにただ空母の中を彷徨うしかないのだ。
「今頃、ビーチで女の子と戯れていたはずなのに。あーあ、しょうがねえや。」
「本来なら、お前と話すこと自体嫌だけどな。今はお前か整備班の連中くらいしかいない。」
「そうかいそうかい。」
「そういえばアイナはどこに行った?」
ダイゴは太平洋の遥か遠くを指差した。
「あっち、本土だよ。何せ、展覧会の用があるって言っていたな。ついでにあの二号機の様子も見てくるとか何とか。例の無人戦闘機が気になってるんだろ。」
親しげに話していたレオンが急に真面目になる。おいおい、と宥めるダイゴ。
「UF‐40Jはすでに空軍に配備されることは誰しもが知っていることだ。だが、俺はそれが気に食わないな。お前を褒めるわけじゃないが、優秀なパイロットを差し置いて先陣を切るのがどうしても許せない。」
「ありがとよ、だけど死者が減ることは良いことじゃないか?」
「こっちはな。ただ相手の死者数は今より遥かに上回るはずだ。お前みたいなパイロットが何人もいるみたいなものだからな。」
「確かに、それは俺も気に食わない。」
レオンは腕を頭の後ろで組み、甲板に寝そべった。
「そうなればそれこそ俺たちは退職だな。必要ない者は切り捨てる、そんなもんか。」
「気にするなって、そしたら曲芸飛行でもやろうぜ。サーカスみたいにアメリカ回ってさ、勿論FN‐01は俺が頂く。」
ははは、と大笑いする二人。レオンは何故だか素直になれた気がした。普段、軍人という規律の中で命令に従い、上司に背かず生きてきた。それがどこか苦痛だったのだろう。
「俺の父親は軍人だった。」
思わず口からこぼれた。
「父親だけじゃない、祖父もだ。軍人の家系に生まれて将来を約束されて、いや期待だな。そんな生活が疎ましくて、嫌でしょうがなかった。」
レオンは不意にダイゴに振り返った。
「そんな現実から逃げるのにお前がちょうど良かったのかもな。前にいた外人部隊、覚えているか?」
ダイゴとレオンが初めて出会った時だ。当時、将来を有望されたレオンは実践経験も兼ねて中東の紛争制圧作戦に一小隊の隊長として加わっていた。将来有望な青年をそう簡単に戦場に投入するのは誰もが反対した。それで護衛部隊として戦場に出たのだが、戦況はあまり良いとは言えなかった。
「俺はそこで味方の輸送船の護衛に付いた。勿論、偵察任務を兼ねてだ。輸送船には二〇〇人くらい民間人が乗っていたな。戦場の戦いの激しい場所から一番遠くて安全だった。お前は、そこではぐれ戦闘機だったな。」
「あぁ、仲間が全滅しちまってな。」
ダイゴはレオンと同じく甲板に寝そべった。
「そこで俺の編隊に加わることになったが、お前はまったく言う事を聞かなかったな。」
「そりゃあな、戦場を体験したことないキャリアの下に付くのは誰だって嫌だろ?」
「今ならわかる、だがあの時はお前が酷く憎らしかった。たかが一兵隊に何ができるんだってな。そこからは覚えているだろ。」
「あれは酷かった。部隊を分断された敵が一斉に襲撃してきたやつだろ?戦争じゃない、民間人も軍人も関係なくて動くもの全てが対象だった。」
「俺とお前はF‐15に乗っていた。死にもの狂い、いや今考えてみたら心はとっくに死んでたのかもな。生きることが精いっぱいで相手が人なんか思ってなかった。頭が真白くなって操縦桿を握って、力いっぱいトリガーを引いて。その時はまるで悪魔みたいに、死神みたいに撃墜していった。」
はぁーあと大きなため息をつく。カモメが二、三羽ちらほらと海面を飛行していた。
「結局、二〇〇人いた民間人はみんな死んだ。生き残った俺たちは、勿論、何にも残っていなかった。俺はそこで変わったのかもしれない。戦うことが嫌になった。」
「お前は何にも変わってないさ。負けず嫌いな所とかさ。くそ真面目なとこも昔から変わらないよ。」
ダイゴは手を顔の前に翳した。そして親指と小指を開いてぶぉーんと言って、動かす。前進翼の飛行機、そんな印象だ。
「昔話に花が咲いたか?」
汚らしい笑いでブラットが近づいてきた。
「そんなんじゃねぇよ。」
ダイゴとレオンは鼻で笑った。
「レオンさん!」
着艦したばかりのF‐22から降りてきた二人のパイロット。黒いショートヘアの人懐っこそうな顔の女レベッカ・レイボーンと、まだ幼さの残る顔付の茶髪の男ジャック・ニコルソンの二名だ。二人とも少尉なのだが、腕は良いとレオンが直属に引っ張り出した人材だ。
「ダイゴ中尉も一緒に、まさか昨日の反省でもしているんですか?」
「でも、いいっすね。規則に逆らって大空を飛び回るパイロット。いかすじゃないっすか!」
苦笑いする二人を尻目にブラッドはげらげらと笑いだす。
「全く悪趣味なやつらだ。ほらほら、お前たちは仕事をしろ。」
レオンは呆れ顔で二人を払いのけた。
「ひっどーい!レオンさん、せっかく会議で庇ってあげたのに。」
「それじゃあ、俺たちはこの辺で。」
両少尉は大笑いしながら歩き去った。それを見送ったレオンも思わず笑みがこぼれてしまった。
「…そりゃあ何たってあくまで自衛隊ですからね。自衛です、こちらから攻撃できないのはあなた達もご存じでしょ。それに憲法に定めたのはGHQです、あなた達の意見を取り入れた結果と捉えてほしいですね。」
真っ暗な会議室で、モニターを囲むようにコの字に座る男達。スーツやら軍服やら、日本人やら白人やら。異種の者たちが集まるその光景に違和感を覚えるのは無理もない。
「ただし、外部からの国家侵略となれば話は別ですよ。国家の危機に関して自衛隊は真っ先に行動を起こします。」
「では日本領域に何か不利益となる物が侵入した時点で自衛隊は出動できるわけですね。」
「そういう事になりますね。しかし、アメリカと違って発見してすぐに発砲なんてありえません。」
はははと笑い声が部屋に籠る。
「日本ですから、あくまで冷静に慎重に行動するのが風潮というか、文化なのです。」
「ロシア皇太子を切り捨てたのが、慎重な考えとは思えませんが。」
「それは昔の話でしょ。兎にも角にも、日本国内で亡霊を運用するのは難しいと防衛省は考えています。」
束になった資料を机に投げ出すと、眼鏡を掛けた軍服の男は椅子に座った。
「我が社としては今回の計画は何としても行いたいと思っています。それはこの場にいる全員が興味をお持ちのことでしょう。でなければあの男からこれを奪い取った意味がないでしょ?」
スーツ姿の男が投げ出した資料を拾い上げ、不気味にほほ笑んだ。民間武器製造会社ジェネラル・ウィンドウ社のアントニー・オルコットという男だ。金髪のヘアワックスで固められたオールバックに白く輝く肌。蛇のように鋭い目つき。
「何としてもこの計画は実行に移すべきです。亡霊はその名に相応しく影となって憑きまとうものです。表ではなく裏で活動しましょう、私たち見たくね。」
再び資料を机に返す。その資料には真っ白な紙に黒く「GHOST」と書かれていた。
四
廊下にハイヒールの音が響き渡った。無機物としか言いようがない真っ白な廊下は何回行き来しても未だ好きになれない。空母のようなまだ温かみのあるならまだしも、ここの廊下は全くもって冷たい。迎え入れる気がない、そんな気がした。ヴィーナス・フロンティア社の本社に来るのは一か月ぶりだ。ずっと空母に住み込んでいたのだから。
「FN‐01のパイロットのことは聞いています。最低でも二週間とは聞いていますが、それでは全く間に合いませんね。」
黒いスーツの女、眼鏡を掛けた美女なのだが恋愛には全く興味がない、アイナはそう感じ取った。この廊下を平然と歩く姿は正にエリート。社長の秘書、身体でも売ったのかと少し疑い深くなる。メイリン・リン、そういう名だ。
「機動性は殺してしまいますが、ある程度のコンピュータ制御で一般のパイロットも搭乗可能なのでしょう?なら問題はありませんね。」
「しかしそれでは本来の機動性が…。」
「ただの初公開で戦闘するわけではないのですから、そう心配しなくとも。さ、つきました。」
扉を開けると一面ガラス張りの部屋が待ち受けていた。部屋の中央に二人掛けのソファが二つ向かい合わせに並んでおり、その奥にはぽつりとデスクワーク用に机が置かれている。パソコンは起動しているようで、冷却ファンが鳴り響いている。その机には人は座っていなかった。
「社長はすでに東京に行っています。私も三日後には向かう予定です。設計者のあなたにも出席して貰いたいのですよ、会社としては。」
「勿論、私は行きますよ。自分の設計した戦闘機を見るのは当たり前でしょ?」
「有難い、たまにいるんですよね。職人気質って言うのか、人前に出たくない人って。助かりますよ、私達に戦闘機について聞かれてもお答えできませんから。」
コーヒーカップが白いテーブルに置かれた。その女はアイナにどうぞと言わんばかりに微笑み、同時に自分もソファに腰かけた。
「社長も不在のことですし、気を張らずに。」
「はぁ…。」
くすっと笑い、青い四角いケースから一枚の資料を出した。
「エピオン計画の二号機のことなのですが。これはご存知ですよね?」
「ステルス性能に特化した戦闘機のことですよね?ラプターを上回るような…。とにかく隠密作戦用の。」
「ええ、次世代戦闘機は我が社の売り文句として軍事関係者に知られていますからね。今の戦闘機の発展型じゃ駄目なのです。全く新しいものじゃなくては。その点、一号機は大変優れていると社内でもかなりの評価があります。」
「それは承知です。それだけの性能を誇っていいますから。」
「お好きなのですね、一号機が。それで、二号機のことなのですが。」
資料を一枚めくった。黒いボディーカラーに図太い胴体。可変翼らしい翼が折り畳まれている写真が記載されている。
「これは…。」
アイナは戸惑った。エピオン計画の二号機の事は知っていたが既に試作としてでも完成していたとは知らなかったのだ。汗が毛穴と言う毛穴から滲み出た気がした。
「新世代戦闘機、FN‐02です。アラスカで試験飛行しています。まぁ、今回の東京には出品しませんが。ただ、もしこの2号機が完成したならば近い未来に戦闘機の需要は我が社だけで独占できるでしょうね。それと…。」
もう一枚資料を出した。
「UF‐40Jのことですが、ジェネラル・ウィンドウ社はアメリカ軍にどう売り込んだのか実戦投入はほぼ確実のようです。」
「経営方針は私の専門外です、あなたの方が詳しいのではないでしょうか。」
「経営方針を相談したわけではないのですよ。素人に尋ねても無駄ですからね。」
柔らかそうな物腰から意外に毒を吐くのだなと、アイナは感心した。
「まぁ、二号機と無人戦闘機の事は頭に入れておいて下さい、それにこれ。」
懐から一枚チケットを出した。
「航空券です、東京までの。明日一番を予約させていただきました。会社から支給されますのでぜひ。」
受け取った航空券を懐に入れると、アイナは部屋を後にした。
「もっとも、UF‐40Jは現存する全ての戦闘機を凌駕するために計画されたスーパーファイター計画の中心である。というのがジェネラル・ウィンドウ社の表向きの名目であって、本来の目的である無人戦闘の限界に挑戦するのはあくまで私たちのような反社会的な思想を持ったこの集まりでしか知られていないのですよ。」
反社会的とは言いすぎだな、と声がちらほらと上がる。
「ふぅ、しかし無人戦闘の会場になる東京は自衛隊の守備範囲内で困難でしょう。それでは面白くない。」
白く輝くモニターに映しだされるGHOSTの文字。
「全ては、このGHOSTに任せてみてはどうでしょうか。」
「GHOSTに…。いったいどういうことだね。」
アメリカ軍の制服に身包んだ腹の出た男が大きな声で発言する。この豚が。内心軽蔑しつつ笑顔を向けた。
「横須賀にアメリカ軍の原子力空母が停泊していますよね?」
「それが何か?」
「サーバーに潜らせてみてはどうでしょう?いくら頭が悪くてもその後の展開は予測できるでしょ?それに自衛隊の問題は防衛省に任せたい。」
「だから、それは自衛隊だけの問題じゃなく…。わかりましたよ、自衛隊はこちらが何とかします。その代わり、駐留中のアメリカ軍やハワイ湾などの航空部隊はそちらで頼みますよ?」
「どうです、アメリカ軍大佐?」
でっぷりとした男は葉巻を咥えながら…。
「勿論だ、しかし何故東京に拘る?太平洋など人のいないところは山ほどあるというのに。」
蛇の目が輝きを増した。
「観客がいると、ゾクゾクするじゃないですか。」
この男の素顔が垣間見えた気がしたのか、一同はざわめいた。敵にだけは回したくないなと、誰しもが思ったに違いない。
結局、パイロットに選ばれたのは同じ艦内にいる現役パイロットで、今晩もまた昨日と同じようにNF‐01の調整を行っていた。エンジン関連の問題は整備班が妥協し、実践決定を期に再び再検討と言う結果でアイナもそれには満足していた。
「しっかし、どんだけ運動性が高いんだよ。これじゃ、戦闘用ってよりアクロバット専用機じゃないか。」
夜間の格納庫に佇むNF‐01を見上げながらブラットは苦笑いした。
「これこそ、この子に与えられた本来の力なのよ。」
アイナは満足げだ。その場に偶然居合わしたレオンとダイゴはブラッドと同じく苦笑いだ。
「アクロバット飛行だって戦場では十分に使うでしょ?」
ダイゴは近くにいた整備班の者に話しかけた。
「やけにテンションが高いな。何かあったのか?」
「スタンフォード技術班長ですか?本店で二号機の完成状況を見て負けてられないって思ったみたいっすよ。何せ、二号機が完成してるんですからね。アラスカの連中、よっぽど無理したんでしょ。」
「なるほどね、男関係じゃないのか。」
レオンが間に入ってきた。
「アイナに限って男はないだろ。アイナにとって恋人はこの白鳥なんだからな。」
黙って佇むFN‐01はスポットライトに照らされて白銀に輝いていた。イケメンだなぁ、思わず心で呟いたのはダイゴだけではないだろう。いや、美人だろ。この言葉はダイゴだけが呟いたに違いない。
「あーあ、謹慎じゃなかったら今頃…。」
「何回嘆くんだよ、お前。」
整備班の連中は続々と片づけを始めている。ブラッドも大きなあくびをしながらその場を後にした。レオンも帰ろうとしたとき…。
「どこ行くんだよ。」
「帰るんだよ。何かあるのか?」
「当たり前だろ。」
その腕には缶ビールが握られていた。ダイゴの奥でにたりと不気味に笑みを浮かべるアイナに、レオンは拒否する理由を見つけることは出来なかった。
「確かに、悪くはないな。」
「じゃあ決まりだ。おっさん!」
ブラッドは振り返らずに手を振った。
「もう歳かよ、まったくよ。」
ダイゴは口をへの字に曲げてその場に座り込んだ。アイナとレオンもそれに続き座り込む。ダイゴは一番に缶を開けると喉へと流し込んだ。
「それにしても、こいつ本当に綺麗だな。」
「確かに、それは同感だ。」
白鳥のように、細く長く伸びる機首のライン。丸みの帯びた曲線を描くターボファンエンジン。どれをとってもその美しさは過言ではない。それに加えて大気圏内での圧倒的な運動性、これに惚れたのはアイナよりもダイゴの方が強かったのかもしれない。普段、あまり気にしない謹慎をここまで気にしているのは初めて見た。アイナは内心嬉しかったのだ。自ら設計した機体に惚れこんでくれるエースパイロット。まるで父親に褒められているような、そんな感覚。
「展覧会が終わったらこのチームも解体されるはずだよな?」
「そりゃ、そうでしょ。私は本社に籠りっきりになるわ、よっぽど魅力的な話がない限りこの子の余韻に浸ってのんびりと。建物は気に入らないけどね。」
「俺はそうだな、本来の職務を全うするかな。軍人としてのな。ダイゴ、お前はどうする?」
おいおい、と眉を曲げる。
「前に言ったろ、辞めるかもしれないって。だだNF‐01は頂くけどな。」
「冗談でしょ?」
「本気さ。」
「笑える。」
すぐに一缶飲み干した。まだまだと、次々にクーラーボックスから取り出す。どこまでも偽りのない笑顔を浮かべる三人。もしかすると今が一番なのかもしれないと、今がすべてなのかもしれないと考え始めるが、すぐに笑いに掻き消されてしまった。
「だとしてもだ、何としても無人戦闘機に俺たちが負けるなんてことにはなりたくない。といっても、一対一で戦うわけじゃないし…。とにかく、チーム解体なんて今の俺たちには関係のない事だろ?」
「お前は前向きだな。謹慎処分も受けているってのに、一体どんな神経をしているんだか。」
「ねぇ、謹慎処分って自虐的に発言してるけど、何で二人はそんなに明るくいれるのかしら?私ならマイナス思考になってしまうのに。」
ダイゴとレオンはあまり深くは考えていなかったようで、二人とも妙に思案する。
「さぁな、深く考えるのは俺じゃない。今を楽しく生きていればいい、それだけだよ。」
「どおせ、今は行動しても何も起きない。成るがままに成れ、それじゃあ駄目か?」
「レオンもダイゴに似てきたね。」
目を丸くする二人。レオンは鼻で笑った。
「こんな奴と一緒にされるとはな、だが悪い気はしないな。俺も、俺自身も変わってきたと実感できる。」
床に缶を置いた。三人を残すほかの乗組員は皆、各々の部屋に帰るか談話室に帰るかで灰色の格納庫には誰もいない。普通に話しているのだが、自然と声が響き思わず小声になる。次第に近づきながら話すことになるのだが、その光景は修学旅行で就寝時間を破ってまで話し込む学生のようだ。アイナはすくっと立ち上がり、腰からデジタルカメラを取り出した。貨物の上にカメラを置くと、何やらセットし二人を無理やり立ち上がらせた。
「何だよ!」
「いいから!」
FN‐01バックにアイナは二人の間に入った。
「ダイゴとレオンの謹慎処分祝いとFN‐01の完成に伴って、ほらピース!」
しぶしぶピースをかます。しかしその顔は酷く穏やかで、とても笑顔だった。その顔をフラッシュの光が一瞬で照らした。
五
二日酔いの頭痛が脳に悲鳴を上げさせるのは誰しもが理解できる。ただその痛みは単に酒によるものだけではなく、朝からけたたましく鳴り響くヘリコプターの機動音によるものも加わっていた。
「朝からなんだ!」
大型の輸送ヘリCH‐47は戦闘機の滑走路に重い腰を下ろした。風圧で顔を歪める一同を尻目に、CH‐47の乗降ドアが開き、見慣れた人物が顔を出した。
「滑走路に着陸させるなんて大佐も無茶しやがる。月曜の朝から起こされたんじゃ、一週間が持たないぜ。」
スティーブは降りてくるなり、早々と指令室に向かった。清掃員も整備員も、パイロットですら状況が掴めないまま困惑するしかなかった。がつがつと突き進み、指令室で叫んだ。
「全電子機器のネットワークとの遮断を今すぐに始めろ!」
「は、はいっ!」
次々にネットワーク回線が遮断され、孤独な要塞と化した原子力空母。稼働しているのは艦内の僅かな電力だけで、いつもとはまた違った雰囲気が漂っていた。乗組員もその異様さを察知したのか、寝ていた者は直ぐに跳ね起き、作業していた者は直ぐに会議室へと向かった。司令官が到着して二〇分と掛からなかった。全ての乗組員は黙って放送に耳を傾ける。無論、ダイゴも例外ではなかった。
『現在、アメリカ軍は危機的状況に晒されている。GHOSTと呼ばれるクラッキング用AIが横須賀に停泊中の原子力空母のサーバーに侵入した。侵入方法は未だ不明だ。国防省はクラッキングによる情報漏洩・テロリストによるテロ活動の危険を防ぐ為、全アメリカ軍のネットワークの遮断を行った。万が一ペンタゴンに侵入されたらという最悪な状況を想定してだ。各班の班長は五分後にブリーフィングルームに集まるように、ダイゴ・レオン両中尉は自室で待機。なお、本土から輸送ヘリの部隊が来る、受け入れの準備をしておけ。以上だ。』
ざわめき始めた艦内。ダイゴは何者かに腕を引っ張られた。
「レオン…?」
「黙って付いて来い。」
レオンの自室へと連れ込まれたダイゴ。未だ状況を把握しきれない、ダイゴに真正面から語り始める。
「状況は最悪だ。実に悪い。GHOSTが入ったとなればアメリカ軍のメンツだけじゃない、国すらも危機となりうる。これは全く最悪だぞ。」
レオンは拳を握りしめながら眉間にしわを寄せた。歯を食いしばりながら壁に拳を打ち付ける姿を、まぁまぁと宥めるもレオンの怒りは収まらない。
「GHOSTはハッカーが何とかしてくれるだろ、だからな落ち着けよ。」
「落ち着け?お前はどこまでもバカか!国に忠誠を誓ったこの身ですら謹慎で何も出来ない、こんなに無様な事があるか?」
レオンが珍しく冷静さを失い、感情的になっていた。怒り、それが前面に押し出た顔は酷く醜く歪んでいた。
「お前はこの状況がどれだけ最悪なのかわかっていないのか?なら教えてやる。GHOSTの特性は学習能力と増殖性に一番の観点がある。一度、封鎖された手段は学習しその上を上回るんだ。それに増殖する傾向はとても厄介だ。どこかで封じ込めようとしても、末端部からさらに増殖する。横須賀の原子力空母に侵入したが、もしペンタゴンに侵入していたとしたらどうなる?たちまちアメリカ軍はGHOSTに乗っ取られる。核弾頭でも長距離ミサイルでも発射は全てGHOSTに委ねられる事になるんだ。どうだ、これでわかったか!」
レオンはベットで項垂れた。さっきまでの威勢はすっかりなくなり、生気をなくした廃人と化す。ダイゴもようやく状況の深刻さを理解したのか次第に顔が青ざめ始めた。
「それって…。ロシアにでも撃ったら、核戦争が始まるじゃないか。」
「ロシアじゃなくてもだよ。」
ダイゴは何か言おうと口を開けたが、言葉が見つからず、あぁ…っと息が漏れた。沈黙が部屋を包み込む。どれくらい沈黙が続いたのか、ダイゴは艦内放送に耳を傾けた。だが、艦内放送は流れることはなかった。すると、ダイゴの携帯端末が振動した。
『ダイゴ、ちょとっ!』
「アイナ!」
レオンもすぐに顔をあげた。耳元に近づき、必死に声を聞こうとする。
『そっちはどうなってるの?』
「アメリカ軍の全ネットワークが遮断されている。他の部隊とも連絡は取っていない。そっちは?」
『今、展覧会の会場にいるのだけど…。UF‐40Jを機能停止した方が良いって提案してるのに、ジェネラル・ウィンドウ社は全く動かないのよ。』
それがどういうことなのか、ダイゴとレオンは瞬時に理解した。暴走する無人戦闘機。それだけが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
『もしかして、話がいってないの?』
「まだ横須賀の原子力空母がクラッキングされただけ…。いや、謹慎中の俺たちに情報は回ってこないんだ、たぶん…。」
『なに、何でそんなに落ち込んでるの?』
声のトーンがやたらに低いのか、アイナには簡単に見透かされてしまう。
「アメリカ軍の危機ってのに、バカなことして謹慎になっちまってよ。何にもできないんだ。」
黙り込むアイナ。再び恐れていた沈黙が生まれた。
午後になってヴィーナス・フロンティア社のメイリンが原子力空母のもとにやってきた。いつも通りのスーツに身を包んだメイリンはスティーブに連れられ、指令室に向かった。格納庫にあるFN‐01のネットワーククラッキングを心配しのことだろうと、皆口々に話す。
「ヴィーナス・フロンティア社のメイリン・リンです。」
「キングス大佐だ。」
「GHOSTの件についてなのですが、一体どこまで艦内の人間はご存じなのでしょうか?」
「私の知りえる情報は全て。しかし、横須賀の原子力空母がクラッキングされたとしか。上からはGHOSTの浸食を警戒し、外部との連絡を取るなと命令がありまして本艦のみならず、全艦はそれぞれと連絡を取り合えない状況でして。」
「そうですか…。NF‐01はクラッキングされていないのでしょうか?」
「昨日からネットワークには接続していないので問題はないでしょう。」
「そうですか。」
ひとまず安心したように胸をなで下ろす。メイリンはバインダーから紙を取り出した。
「現地の職員からのモールス信号です。案外、アナログも武器になりかねませんね。それより、これを見てください。信号を文章に変換したのですが、どうやら事はかなり重大のようです。」
A4用紙一杯に敷き詰められた文字。ただ単に羅列されただけの文字に意味はある。ことこまかくではなく、要約され必要不可欠な事のみ載せられていた。スティーブは一通り読み切ると、掛けていた老眼鏡を外した。
「ご覧の通り、事態は深刻です。いつGHOSTが動き出すかもわかりません。しかし、アメリカ軍がこうも行動を起こさないのは変だと思いませんか?」
「何が言いたい?」
スティーブはメイリンの言葉に眉をひそめた。耳元に近づきある過程を呟くのだが、それはスティーブの目を丸くさせた。
「おそらく、GHOSTの侵入は内部による犯行だと思われます。」
「なっ…。」
「アメリカ軍を混乱させるには末端の原子力空母に侵入するよりか、ペンタゴンに直接侵入した方が効率が良くはないですか?何故わざわざ数百隻ある装備の中で横須賀の空母に侵入したのか。横須賀の空母に何があるのか。」
「ま、まさか…。」
「横須賀に停泊中の原子力空母にはUF‐40Jのサーバーの拠点が置かれています。」
最悪だ、それはスティーブだけではなくその状況を知っている者なら誰しもがそう言うだろう。世界トップクラスのセキュリティーを誇るアメリカ軍にクラッキング用AIが侵入したとなると、自動制御の無人戦闘機に侵入されたアメリカの威厳も、世界の安全も危機的状況まで堕ちてしまう。
「何故そんな危機的状況が君からしか知らせられないのだ?民間の航空機会社の役員に。」
「だからですよ。自分達の所属する群れの状況を外部の者からしか知ることができないのなら、それがどういう事なのか少佐ほどのお方なら十分理解できると思いますが?」
「わかった、私は一体何をすればいい?」
「我が社のFN‐02がアラスカから既に飛び立っています。あなた達第303航空部隊にはそのバックアップを頼みたいのですよ。アラスカから飛び立ったFN‐02は単独では大陸間を横断できませんから、中継地点にこの空母が欲しい。そこで燃料の補給を行いたいのですよ。もちろん領収書は《個人的に》お渡しいたします。」
「ちょっとまて。」
スティーブは駄目だ駄目だと言うように首を、腕を振った。
「君は無断で国境を侵そうとしているのだぞ、それがどいうことなのかわかっているのか!」
「大佐は二号機の能力をお忘れになってしまったのですか?」
メイリンはくすっと笑ったかと思うと席を立った。
「我がヴィーナス・フロンティア社のエピオン計画二号機、FN‐02は完全なるステルス戦闘機です。レーダー干渉は勿論、光学迷彩の搭載による目視からの確認も不可。見つかることは100%ありえません。」
「君はいったい何者だ?」
メイリンは天使のような微笑みを浮かべた。
「ただのお節介女ですよ。」
「だから、早くお宅の無人戦闘機を停止させなさいと言っているじゃないの!」
アイナは夕日に照らされた会議室である男に詰め寄った。眼鏡を掛け寝癖を付けたズボラな男、ジェネラル・ウィンドウ社のアダム・パッカード技術主任だ。彼は詰め寄られずり落ちた眼鏡をあげる。
「しかしですね、上からは何も問題ないと…。」
「問題大有りじゃない、無人戦闘機のサーバーにクラッキング用AIが侵入しているというのに。」
「本社からも何も忠告はありませんし、それにアメリカ軍と自衛隊の幹部クラスの方々も同じことを言っているのですよ?変ないざこざはここではよしましょう。展覧会まで残り少ないのですから。ね?」
アダムは汗をハンカチで拭った。すると扉が開き一人の男が入ってきた。アイナの声を聞いたのだろう。不審そうに首をひねりながら近づいてきた。
「何事だ、一体。」
「オルコットさん、すいませんこんな姿をお見せして。いえ、そこにおられるお方、ヴィーナス・フロンティア社のアイナ・スタンフォードさんがUF‐40Jをすぐに機能停止にしろと…。」
「何!」
目がぎらついた。しかし、一瞬にして元に戻る。この男は何者だ、と疑うアイナ。オルコットは何か深く考えながら、名案が浮かんだというようにアイナに話しかけた。
「GHOSTについての見解が少し食い違ったようだ。こちらへどうぞ、UF‐40JのGHOSTへの対策をお見せしますよ、そうすれば納得いただけるかと。」
レディーを導く王子のような振る舞いで扉へ。嫌な予感はした、しかし何故だか身体はその者の云う事を聞いてしまった。
扉を出た瞬間にアイナの腰に何か固く熱いのもが触れた。ぎょっとする。電流が体中を駆け巡り、頭を抜けた。瞬間、身体は魂が抜け出たように、蝋人形のように崩れ落ちた。(部屋に閉じ込めておけ)という声が遠くから聞こえた気がしたが、ぷっつりとそこでアイナの意思は終わった。
六
夕日が甲板を照らしだした。艦内の膠着状態は解除され、原子力空母は二日ぶりにハワイ湾を後にした。ハワイを出発して既に一時間以上経つが未だ例の試作戦闘機は確認できない。電子制御された原子力空母に似合わず、監視司令塔から双眼鏡で探す。カモメすら見えないのだが、監視員はある影を見つける。
「大佐、輸送ヘリが近づいてきます。」
大きな騒音を響かせながら八機のCH‐47が接近してきた。どよめく艦内。先頭で飛行するCH‐47は空母に近づくと機体から紐を次々と垂れた。貨物ハッチが開いたのだ。黒い特殊服に身を包んだ謎の男たちが甲板に降り立った。その手にはFN社のP90が握られ、ヘルメットに瞳が赤く光るガスマスクという異様な恰好だ。残りのCH‐47からも次々に甲板に降り立つ。
「何だ。」
あっという間に船内まで入り込む謎の特殊部隊。わずか五分と言う短時間で完全に原子力空母を制圧した。船員は成すすべがなく一角に追い立てられ、身動きが取れなくなった。最後に降り立ったキャップを被った男が数人の特殊部隊隊員を連れ指令室に入るとその場にいた船員に銃口を向け、マイクを握った。
『現在を持ってこの空母は我々が占拠した。我々は君達に危害を加えるつもりはない。命令に従ってもらえば直ぐにでも開放する。我々はテロリストではない。君たちと同じアメリカ軍だ。』
「いったいどういう事だ!」
スティーブは向けられた銃口に怯むことはなく、代表らしき男に詰め寄った。背後にいた他の特殊部隊隊員に取り押さえられてもなお、その好戦的な態度を崩すことはなかった。
「我々は上からの命令に乗っ取った行動をとっただけです。これはアメリカ軍の命令なのです。少佐殿、もうしばらく辛抱を。」
「納得いかん、それに…。」
男の銃がスティーブの頭を襲った。跪く、スティーブ。
「ぐっ…。」
「何て事を!気は確かなの!」
男は冷静に対応した。
「刃向うのなら射殺しても構わないと命令がでています。それはあなた方にもわかってもらいたい。」
メイリンの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「せめて、医務室に連れて行くわ。」
「構わない、おい。」
一人の隊員が銃を向けながら歩み寄ってきた。メイリンは額から血を流すスティーブを抱え、立ち上がった。
「すまない…。」
「いえ。」
部屋を出る際にメイリンは軽蔑の目で男を睨み付けた。
あれ以来、全く連絡が付かなくなった事にダイゴとレオンは不信感を覚えた。最後に連絡が入ったのは午後三時でそれから三時間経つも向こうからの連絡も無く、こちらからの連絡も付かないのだ。何かあったのかと当然ながら思う二人。
突然、艦内が騒がしくなった。部屋の電気を消し、扉に隙間を開け廊下の様子を伺った。黒い特殊服に身を包んだ男たちが何やら揉めているようだ。
「パイロットは全員集めたか?」
「わからん、それより格納庫に向かってくれ。整備班の連中、言う事を一切聞かない。」
男たちはP90を握りしめ早々にそこを去った。ダイゴとレオンは思わず顔を見合わせた。
「何だ、一体どうなってる?」
「特殊部隊に…見えた。」
さっきまで繋がった携帯端末が繋がらない。
「くそ、妨害電波か。どこから。」
「やつらまさか俺達の空母を乗っ取ったのか。」
レオンは部屋を見回した。新造艦であるこの原子力空母は他の原子力空母に比べ技術の発展により内部にゆとりがある。その為、パイロットには一人に各一つ部屋が与えられているのだが、レオンはその折り畳み式のベットの下に拳銃を隠していたのだ。グロック18C。グリップより長い多弾装マガジンをはめ込む。そこら辺に落ちていた。タオルを丸めポケットに詰め込んだ。
「どうすんだよ!」
「とりあえず、大佐の部屋だ。」
「大佐の部屋?一体何しに!」
「大佐の趣味は?」
「…銃?」
「そういうことだ。武器庫は恐らく制圧されているだろう。奴らが俺たちの存在に気付く前になんとかしないと。」
レオンはゆっくりと廊下に出た。静まり返った廊下に人の気配はない。足音を極力抑え、長い廊下を突き進む。ダイゴもその後に続く。普段、何げなく通る廊下でさえ恐怖心を感じずにいられない。見つかったらどうなる、殺されるのか?額に汗があふれた。どうしよもない緊張感が二人を包み込んでいる。
「パイロットが二人いないぞ、どこかに隠れている。探せ、今すぐに。抵抗するなら射殺してかまわない。」
「はっ。」
一人の武装した男が廊下の一番奥の階段を下りてきた。艦内放送の直後に電気が消された廊下に男の足音が響き渡る。ゆっくり、しかし着実に一歩また一歩と近づく《音》。二人は廊下にへばりつく。男はP90の先に取り付けられたフラッシュライトを点灯させ、階段から一番近い部屋から順に調べて行った
(撃たないのか…?)
(サイレンサーじゃないんだ、他の連中にばれたらお仕舞だ。それに、ヘルメットにガスマスクもされちゃあ敵わない。)
ほんの一メートル先まで男はやってきた。男は次の部屋を散策しようと扉に向かっていた。目を合わせて合図を送った。男の背後に素早く回り込むレオン。正面から急所に一撃を食らわせるだいご。悶絶し声が出ない。男の足を振り払い、仰向けに倒すとガスマスクをはぎ取り、すぐに口に先ほどのタオルを詰め込んだ。抵抗しようと暴れる男のヘルメットをずらし、こめかみにグロックを向けると男は抵抗をやめた。
「動くな、動いたら殺す。わかったなら頷け、しゃべるな。」
黙ってこくりと頷いた。
階段の音から何か異様な雰囲気を感じ取った。一人向かわせたのだが、一向に戻ってこない。何かあったのか?疑問を感じずにはいられない。
「おい、何かあったのか?」
暗闇の中から男の声が聞こえた。早く、こっちに来てくれ。フラッシュライトを点けるとP90を構えながら階段を下りた。いくつかの部屋が向かい合わせで等間隔で並ぶ廊下の奥でP90を構えた男が跪いた軍服の男に銃口を向けていた。
「おお、これであと一人か。顔を見せろ。」
アジア系の顔が憎そうにこちらを見ていた。
「男の方か。この部屋は全部調べたのか?」
「まだだ、こいつを縛るから奥の部屋を頼む。」
「わかった。」
P90を再度構え直し、奥へ奥へと真っ暗な廊下を進む。すると一つだけ空いている部屋を見つけた。瞬間、後頭部に何かあたった。
「銃を捨てろ、マスクもだ。」
背後には同じ服装の男が立っていた。
「貴様…。」
「しゃべるな、早くしろ。殺すぞ。」
銃口で後頭部を突いた。男は振り向くことはせず、黙ってP90を床に置きマスクを取る。
「ダイゴ。」
「ああ。」
ダイゴはその二つを後ろで銃を向ける男の後ろに滑らせると、男の服を脱がせた。一通り服を脱がせると、今まで服を着ていた男に布を咥えさせ、身体の後ろで手足を縛り、部屋に入れた。部屋の中にはもう一人手足を縛られた男が転がっていた。
「すまんな、少し狭いが我慢してくれ。」
マスクを取った男の顔は西洋風の男、レオンだった。ニヤリと笑みを浮かべ扉を閉めた。直ぐにマスクを被りなおすとP90を構え直した。
「急げ、早くしろ。」
「わかってるよ。」
ダイゴは脱がした服に身を包むと、同じようにマスクを被りP90を構えた。
「とりあえず、大佐の部屋に行く必要はなくなったが。まだ捕まってない奴らは同じように部屋に向かうだろう。」
「お前って意外に大胆なんだな。」
「…お前に似たのかもな。」
医務室に医師の姿は無かった。恐らくさっきの招集でどこかに連れて行かれたのだろう。二つ並ぶベットの奥に机があり、そのすぐ横に棚があった。メイリンはスティーブを椅子に座らせると棚の中をあさった。抗生物質やら消毒液の下にガーゼはあった。消毒液とガーゼを取ると、ガーゼに消毒液をしみこませる。触れるだけでスティーブは顔を顰めた。
「痛いでしょう?」
「こんな傷大したことはありません。それにしてもすまない、民間人である君まで巻き込みなおさら例の件まで…。」
「気になさらないでください。」
入り口に立っている男に目をやった。扉を締め切り、マスクの中からじっとこちらを見ていた。こいつの前ではFN‐02の話が出来ない。早々に話を切ったのだ。
「早くしろ、いつまでやっている。」
男がし切りに催促してきた。新しいガーゼを適度な大きさにはさみで切る。傷口にあて、テープでしっかりと固定した。終わってガーゼの束を棚にしまおうとしたとき、棚の下の引き戸が日微かに開いた。ブルーの瞳がこちらをじっと見つめていた。息が合った。思わず声が出た。
「すいません、こちら側に来て頂けませんか?」
「何だ。」
男はP90のグリップを深く握りしめ、メイリンの横まで来た。メイリンはぐっと顔を引き寄せ耳元まで口を近づけた。誘っているのか、男がメイリンの顔を見ようと振り返るとき、目の前にはメイリンでもスティーブでもない瞳を見つけた。
瞬間、棚の下が勢いよく開くと茶髪の男が飛び出した。男に飛びつくと地面にそのままひっくり返る。地面に叩きつけられた衝撃でP90が回転しながらベットの下に吹き飛んだ。掃除用具の中から、急に飛び出す影がいた。女、確信した。男に跨り、腰から取り出したサバイバルナイフを首に当てた。
「動いたら殺しますよ。さぁ、ジャック!」
棚から出てきた男は立ち上がると、マスクをはぎ取り口にガーゼの束を詰める。
「うぅぅぅっ!」
男はうめき声を上げ、もがく。首元にナイフをさらにめり込ませた。
「だから、動いたら刺さりますって。」
「貸せ。」
すかさずスティーブが女のナイフを取り上げた。そして、太ももに突き刺した。肉が裂け侵入する刃物。悲鳴を上げるも、うめき声に変わる。
「いいか、黙らなければこれを貴様の首に突き刺す。わかったか!」
男は涙を流しながら何度も上下に首を振った。硬直するメイリンの傍らで、二人の男女は直ぐに男の太もも縛り、ガーゼで傷口を覆った。
「あなた達は…。」
女の方は微笑む。
「レベッカ・レイボーン少尉です。怪我はありませんか?」
男の方はベットの下に吹き飛んだP90を取ると、にっこりとこれまた微笑んだ。
「ジャック・ニコルソンです。少尉です。さぁ、立って。ここは危険だ。大佐殿もよくご無事で。」
ジャックは男から予備弾倉をとると、胸ポケットに入れた。P90を構えると扉の横にしゃがむ。スティーブも反対側にしゃがみ込んだ。目で合図しゆっくりと扉を開けるスティーブ。すかさずジャックが廊下に出た。安全を確認するとメイリンを見た。
「さぁ、自分に続いて。」
ジャックはメイリンを促した。レベッカはメイリンの肩を抱え、ジャックの後ろに付いた。廊下は暗く、転倒防止用のライトすら点いていなかった。
「少尉、私の部屋に迎え。あそこならまだ武器があるかもしれない。」
「了解です、大佐殿。」
丸い窓から差し込む月明かりが廊下をわずかながら照らしていた。いくつもの分岐する道をただひたすらに進む。現在いる階より二つ上に行かなければ部屋には向かえない。ジャックは一番近い、一番安全なルートを考えて進まなければならなかった。エレベーターは電気が通っていない今の状況で使えない。単純に階段を使うしかないのだ。
「大佐、奴らは一体何者ですか?」
「アメリカ軍だと名乗っている。恐らく、何か不都合なことが起こったのだろう。我々が動いたことで。」
何か不都合な事、それは一体何のことなのか。ジャックの頭からその言葉が離れなかった。どれくらいの時間が経ったのか、わずか十数メートルの距離がとても長く感じた。行き着いた先に螺旋階段があった。人の気配はない。螺旋階段の付近に窓はなく、ジャックはフラッシュライトを点けた。コンという重みのある響きが四人の耳に流れる。ゆっくり、しかし着実に階段を上る。ジャックは焦った。このP90にはサイレンサーが付いていないのだ。もし階段で敵と遭遇したのなら撃たなければいけない。しかし、そうすれば他の者達にばれてしまう。いっそう捨ててしまいたいのだが、持っているだけで安心感はある。
階段を二階分上ると、また同じような薄暗い廊下が四人の前に姿を現した。人の気配はない。
「しかし、どういう事だ。男女のパイロットが二人いないなんて。」
「どこかに隠れてやってるんじゃないか?」
背後で声がした。慌てて廊下を直進する一同。部屋に入ろうと扉に手を掛けた瞬間。
「おい、何をやっている!」
硬直した。ドアまでほんの数センチの所で動きが止まったのだ。廊下の奥からひとり男が走ってきた。ライトを照らされ、目がくらむ。撃つか、嫌駄目だ。せめて、これだけは見られないように。P90を背後に隠す。
「貴様たち、ここで何をしているのだ!」
「上からの命令で、移送している所だ。」
階段から二人の男が背後から現れた。その一人が、目の前に立つ男までやってきた。もう一人の男はジャックの横に立つとP90にすっと手を掛けた。ジャックは出来るだけ目の前に立つ男に気が付かれないようにその男に《渡した》。
「キングス大佐の負傷を治療するために医務室に行ったところだ。そのうちに二人のパイロットを見つけてな。」
「そうか、その二人は最初の男女だな?パイロットは皆第三格納庫に待機させている。出来るだけ急げ。俺は格納庫の援護に向かう。」
「わかった。」
男は再び来た道を引き返していった。男と会話していたもう一人の男は、男が消えるのを確認するとすぐに部屋の扉を開けた。
「急げ、早く。」
わけもわからない四人は男の命じるままに部屋に入った。二人の男は四人が入ったのを確認したのち、廊下を警戒しつつ部屋に入った。部屋の中央にある机の後ろには丁寧に銃が幾つも並べられていた。
「少尉、よく大佐をここまで待ってくれた。勿論、民間人も含めてだ。」
ガスマスクが外れた。見覚えのある顔が四人の前に現れた。
「レオン中尉、それにダイゴ中尉か!」
二人は特殊部隊の恰好をしていたのだ。
「大佐、一体どういう事なのですか?外部との連絡は遮断しますし、それにあの特殊部隊は。」
「おそらく参謀クラスの命令だろう。P90がテロリストに出回っているのは考えられん。それに奴らも自分たちはアメリカ軍だと言っていた。」
「じゃあ何故この空母を。」
「わからん。それより君たちはその恰好で艦内を散策したのだろ?エピオン計画の二号機について何か話していなかったか?」
ダイゴは戦闘服を脱ぎ棄て、不思議そうに近づいた。
「それって、あの未確認戦闘機のことじゃないですか?一体どうして?」
「アラスカからこちらに向かってきているんだ。東京に向かう為の燃料の補給をする為に。
」
「東京…。まさかGHOSTが無人戦闘機に!」
ダイゴとレオンは目を合わせた。
「何故君たちがそれを知っている。」
「技術主任から連絡がありまして…。」
「彼女は東京にいるのか!」
スティーブはかなり焦った様子だ。メイリンはそんなスティーブを無視し、ダイゴに迫った。
「二号機は、FN‐02はどうなりました?」
「着艦したようですが、すぐに凍結されて今はFN‐01と同じように格納庫にありあます。」
「そうですか。」
ひとまず安心したように胸を撫で下ろす。しかし、挨拶を思い出し直ぐに握手を求めた。
「申し遅れました。ヴィーナス・フロンティア社のメイリンです。あなたが噂の謹慎中のダイゴ・マツイ少尉ですか?スタンフォード技術主任から聞いています。」
「そうですか…。」
苦笑いだった。アイナのことだ、何か可笑しなことを言っている気がしたのだ。メイリンはなおも続けた。
「あなた方もご存じの通り、GHOSTがジェネラル・ウィンドウ社の無人戦闘機UF‐40JのAIに侵入しました。UF‐40Jのサーバーの拠点は横須賀に停泊中の原子力空母にあります。軍はGHOSTの軍内部のネットワーク汚染を恐れて軍のネットワークを全て遮断したのですが、私はそれが軍の内部による犯行だと推測しています。それに…。」
「横須賀に最初に侵入したのは初めから無人戦闘機が目的だった。そう考える方が利口だな。」
レオンは艦内図を見ながら口をはさむ。
「えぇ、ターゲットはあくまで無人戦闘機。この空母がそれに対して行動を起こしたので上から抑圧したのではないでしょうか。あくまで私個人の推測なのですが。」
「でもGHOSTを無人戦闘機に侵入させて、何の目的があるのですか?」
レベッカは首を傾げた。
「そこは私にも…。」
「行って確かめよう。アイナが心配だ。もしかしたら無人戦闘機の暴走に巻き込まれているかもしれないからな。」
「私としてはGHOSTに対抗できる唯一の戦闘機はNFシリーズだけだと思っています。それにあなた方が乗ってくれる方がNFシリーズも本来の力が出せるでしょう。」
レオンは艦内図を指差した。
「この換気口は格納庫まで繋がっている。格納庫の中は整備班が抵抗していると奴らが言っていた。ならまだ制圧はされていないと考えられる。確か第三格納庫にパイロット連中は捕まっているといったな。ジャック、FN‐01が閉まっているのは。」
「第一格納庫!」
「そういう事だ。ミス・メイリン、あなたを危険な目に合わせるかもしれない。しかしこの状況では仕方のない事なのです、申し訳ありません。ダイゴと俺はこの換気通路から…。」
「ちょっと待て、FN‐01に乗るのは俺だろ?俺に行けってのか!」
突然、ダイゴが叫び声を上げた。
「俺は日本に行かないぞ、あっちには行きたくない。」
「おい、ここまで来て何を言っている?このまま上層部の駒になりたいか、何も知らずして終わりたいか?俺は嫌だね。」
レオンが襟を掴んだ。その顔には怒りが浮かんでいた。
「いつまで過去に囚われる、いい加減に目を覚ませ。ササキ・タクマはお前の心の中にしかいない幻だ。忘れろ、前を向け。あの晩、俺とお前は前を向いていると教えてくれたのは誰だ!アイナじゃないのか!」
「俺は怖いんだ。拓真が俺を呼んでいる気がして…。」
レオンの拳がダイゴの頬を襲った。倒れ込むダイゴ。仁王立ちするダイゴの言葉に怒りがこもっていた。頬の痛みはレオンの心の痛みなのだと確信するダイゴ。
「お前を呼んでいるのはササキ・タクマの亡霊なのか!違うだろ!お前を呼んでいるのはアイナじゃないのか!」
立てよと胸倉を掴み無理やり持ち上げた。身体に力はあるのだが、心が酷く重い。今にも泣き出しそうな顔にレオンは自分の言葉、心をぶつけた。
「何もかも忘れろとは言わない、だが今は忘れてくれ。その親友の穴を埋めるのは無理かもしれない。ただお前は一人じゃない、俺がいる。」
ダイゴははっとした。レオン・F・ローライト、彼の姿が一瞬だけタクマと入れ替わった気がしたのだ。一緒に生き延びた戦友でも、ライバルでもあるレオン。そうだ、俺にはこいつがいるじゃないか。食いしばった歯から力が漏れる。握りしめた拳から力が湧き出た。
「お前の言うとおりだ。拓真は死んだ、だけど俺の心の中で生き続ける。それで十分だ。いこうレオン、お前とならどこまでも行ける気がする。」
七
彼の目は酷く落ち着いていた。今、自分はとても満たされているようなとても奇妙な微笑み。風が彼の髪をなびかせた。それがより一層、彼の背後から湧き出る哀愁を漂わせていたのは一瞬で理解できる。
「やあ、来てくれたね。こうして二人だけで話すのは久しぶりかな。」
「何してる、やめろ、こっちに来い。」
フェンスの向こう側に立つ彼は、いかにも不思議そうにこちらを見た。しかし、何を理解したのかもう一度微笑んだ。
「君に来てもらった理由だよ、この為に君を呼んだんだ。僕と君はいつも一緒だったからね。」
彼は空を見た。雲が空を覆い、ひんやりと空気が冷たい。暗く、薄黒い雲。校庭のイチョウが葉を黄金色に染めたのはもう一週間ほど前のことで、今はその無様な裸体を晒していた。
「いつからか、僕と君の間には目に見ることができない隔たりが生まれたね。このフェンスみたいに。」
彼はフェンスにそっと手を掛けた。
「拓真…。止めろ、そんな話はいい!とにかくこっちに来い。」
「そのフェンスが僕らを分かれさせたのは、僕が変わったからなのか。君が変わったからなのか。もしくは、どっちも変わったからなのかもしれないね。」
「俺達は変わってないさ、小学生から一緒だ。だから、な!」
「どちらにしろ、君と僕はもう同じじゃないよ。君は君、僕は僕の道を歩んできた。それがれっきとした証拠だ。異なる僕らを繋いだのは図書室の僅かな接触だ。あそこは隔たりも何も、壁となるものを無くしてくれた。」
彼はフェンスの向こうで歩き始めた。わずかな足場をぐんぐん進む。それに合わせて、こちらも動く。
「ベートベンの交響曲第九番は僕の心を解放してくれる感じがするんだ。特にあの歓喜の歌は自由を得ようともがく僕の心に、とても良く響いてね。」
彼は掛けていた銀縁の眼鏡を外した。大きさや個体は変わろうとも同じ銀縁の眼鏡を掛け続けた。それを右手で持つと、指を離した。重力に引っ張られる彼の眼鏡。音はしなかった。
「お前…。」
「僕はガラスでこの世界と隔たりを持っていたのかもしれないね。久しぶりに見る世界は、何だか酷くぼやけているね。」
彼はくすっと笑った。
「当然か、僕は目がずっと悪かったからね。」
「拓真、俺がお前に聞きたいことがある。」
「いいよ、聞くよ。」
「何故、自殺しようとするんだ?」
手に汗握るとはこのことなのか、話すたびに白く出る煙があらわす気温とは裏腹に、身体はただ熱くなった。
「自殺か、少し違うね。僕は死なないよ、現実から逃げるわけじゃないんだ。それに、僕は君とずっと一緒さ。」
楽しそうに、嬉しそうにこちらをみた。
「体は魂を束縛する蛹でしかない、僕はそこから解放されるんだ。どう、前向きな考えだろ?」
「前向きって、現実から逃げているだけじゃないか。そんな言い訳、お前は頭が良かっただろ!勉強面じゃなくて、人間的に。だから俺はお前と親友だったんだろ!」
「僕は大ばか者だよ。」
彼の顔は柔らかな笑みを浮かべていたが、この時寂しさが何となく垣間見えた気がした。彼の髪は風に漂う。何か光る反射する物も同時に漂った、いや流れ去った。
「そうやって戯言を並べて、自分を正当化していたんだ。」
「…。」
「もう、いいだろ?限界なんだ、僕を解放してくれ。苦しみながら生きるなんか、もうたくさんなんだ。」
泣いていた。それは彼ではなく、自分であった。
「君と僕は親友だ。だから大悟…。」
手を差し出した。
「僕を忘れないために、僕が君と親友であった事を証明するために。君の手で、僕を殺して欲しい。わかるね、その意味が。」
瞳から流れ落ちる大粒の涙。大空から舞い落ちる白い雪。
「嫌だよ、親友だろう?何でだよ?俺がお前に気が付かなかったからか!俺がお前を助けなかったからか!」
「もうやめてくれよ、君は悪くないよ。僕が弱いんだ、僕が。」
彼はにっこりと微笑んだ。
「冗談って言ってあげたかったよ。でも、僕には死ぬ勇気すらないんだ。」
彼は大きく笑い声をあげた。何だ、嘘かと言いたかった。その時は酷く怯えた、彼自身を恐怖の対象として認識してしまったのだ。彼は垂れ流す涙をその優しい指先で拭うとこう言った。
「ありがとう。僕はそれしか言わないよ。」
彼のその笑顔を今も忘れない。彼の目の前にいる者の手を取ると、彼は自分の胸にそっと当てた。彼は微笑むだけ。ここからは自分の彼に対する想いの結果だった。このまま苦しみを味わいさせるのか、彼を解き放つのか。長い選択の後、思わず自らの手に力がこもった。それでいい。彼の身体が目の前から消えていく。一瞬の出来事が永遠に思えたのは言うまでもない。ゆっくり、ただゆっくり。ありがとう、やっぱり君は親友だ。そんな言葉が聞こえた気がする。彼は蛹から飛び出したのだ。
「いいか、FN‐01には傷一つ付けるんじゃねえ。勿論、二号機もだ。」
第一格納庫には二機の新世代戦闘機が佇んでいた。その周りを取り囲むようにコンテナでバリゲートを作り、ブラッドら整備班は黒ずくめの特殊部隊と銃撃戦をしていた。乾いた音が格納庫内に鳴り響く。薬莢が次々に床にばら撒かれ、高い金属音を鳴らした。銃弾は一直線にコンテナを突き刺し、コンテナは黒く染まった。必死に抵抗する整備班の手には慣れもしないアサルトライフルやらサブマシンガンが握られていた。
「ブラットさん、弾がもうすぐ尽きますよ。そうなったら自分達は…。」
「嘆くな、くよくよするな。今できることをするんだよ。」
コンテナの向こうの敵は次々に数を増した。倒れようと、また新しい黒い者が現れる。状況はかなり不利だった。負傷者は大勢いた。制圧されるのも時間の問題だった。ただ、確信はあった。二名のパイロットは未だ見つかっていない。ここで事を大きくすれば自然にやってくるに違いない。それに、ダイゴとレオンは招集されたときにいなかったのだ。奴らはあいつらの行動力に気が付いていない。ブラッドは確信した。
「いいかお前たち。空っぽになるまで撃ち尽くせ、何が何でも守りきれ。それが俺たちの今できる事だ!」
固定式のガトリングが火を噴いた。けたたましい爆音が耳を襲った。コンテナが次々と壊れていく。弾け飛ぶ弾丸。ブラッドは死を覚悟した。倒れ行く船員。まるで夢を見ているかのようだった。赤い液体が顔面に。ここは地獄なのか?突然、換気口を塞ぐ鉄格子が床に落ちた。ぬっと出る腕。そこに握られた一つの手榴弾。
「伏せろぉぉぉぉぉっ!」
力いっぱい仲間に叫んだ。閃光が格納庫を包み込んだ。音も何も聞こえない。瞼を力いっぱい閉めて何も見えない。音も光もない世界で孤独に包まれたブラット。死んだのか?ふと、疑問に思う。何かが肩を掴んだ。犬、いや人だ。
「目を覚ませ、ブラッド!」
「おぉ、ダイゴか。」
閃光手榴弾によってふら付く身体に鞭を打ち、立ち上がる。コンテナの向こうでは同じように閃光手榴弾にやられ、とても戦える状況ではなくなっていた。今がチャンスと開けられたままのコックピットにダイゴは飛び乗った。次々に換気口から人が出てきた。レベッカ・ジャックの二人は直ぐにP90を構えた。
「ブラッドさん、両中尉を頼みます。我々は時間を出来るだけ掛けますので。」
レオンはNF‐01の横にある真っ黒な機体、NF‐02へ飛び乗った。
「お前たち…。」
「時間がない、頼む。」
「…わかった。」
ヘルメットを被るダイゴとレオン。二機の戦闘機のエンジンが起動した。けたたましく鳴り響く爆音。ターボファンエンジンが轟音を出しながら青い火を噴く。
「デッキを上げろ!」
二機の乗った格納庫の天井が開いた。格納庫甲板がゆっくりと競り上がっていく。ようやく覚醒した黒ずくめの隊員達は激しく応戦する。滑走路のある飛行甲板に向かい直進する格納庫甲板。鈍い金属音と共に上部に到着した。
「何を仕出かすのかわからんが、しっかりやりきれよ。」
「あぁ、わかってるって。」
スライド式のポリカーボネート製のキャノピーが閉じた。三輪がゆっくりと動き出し、滑走路へと向かった。サーチライトで照らされる二機の戦闘機。サイレンが鳴り響き、次々に甲板に飛び出てくる戦闘員。ブラッドは前輪のランチバーをシャトルに結合した。大きく手を振る。整備班のブラットに合図などわかるはずもない。しかし、何を言っているのかはよくわかった。エンジンを振るスロットにすると、青い光がさらに輝きをました。ブラットは頷き、カタパルトの射出ボタンを押した。一瞬にして全身に加わるG。目の前で発砲していた戦闘員は慌てふためきFN‐01の道を開けた。一気に加速する白銀の戦闘機。操縦桿を引っ張り上げた。ランチバーが外れ、車輪が宙に浮いた。白鳥が唸り声を上げた。爆煙を蒸かしながら羽ばたく白鳥。後追うように飛ぶ鴉の様に黒い機体。尾翼を持ちグリップトデルタ翼なのだが可変翼としての機能も持つ不可思議な主翼を持った最強のステルス戦闘機。
「俺はもう逃げない。拓真と一緒に入れた時間は俺の宝だ。レオン、前を向いて行こう。」
『上を向いてだろ?』
「俺は上じゃない、前を向いて飛ぶ。」
爆音を鳴らしながら、二機の新世代戦闘機は太平洋の闇の中に消えて行った。
八 Sky Night/前編「聖なる夜の亡霊(ゴースト)」
目が覚めると真っ暗な部屋であった。ガラス張りの壁の向こうからは、眼下にスポットライトで照らされたドームがあった。無数のLEDライトにより派手に電飾されたドームの向こうにある東京湾は黒く闇が溶け込んでいた。ふら付く頭。一体ここは何処なのか、何故自分がここにいるのか。さっぱりとして解らない。壁に持たれながら立ちあがり、ポケットの中を探るが、あるはずのものがない。携帯端末だ。
「ここは…。」
突如聞きなれた曲が耳に入った。交響曲第九番、ベートベン作曲の交響曲だ。そうか、今日はイブか。東京湾を見晴らせるガラスの壁とは逆のガラスからはクリスマス一色に染まった東京の街並みが見えた。楽しそうに買い物をするカップル。劇場へ手を繋ぎながら向かうカップル。人々は聖なる夜に歓喜している。
「無人戦闘機…GHOSTは。あの男!」
記憶が徐々に戻ってきた。UF‐40Jの機能停止を提案し、導かれたのだ。あの男に。アイナは扉を探した。暗闇の中でようやく見つけ、ドアノブに手を掛けるが全く動かない。他に道は・・・。部屋の中を探すが出入り口はここしかないようだ。何か扉を破壊できるようなものはないのかと部屋を探すが、やはり何もない。身一つで部屋に入れられたのだ。扉に思い切り体当たりするがびくともしなかった。
「何で、何でよ!」
脳裏にあの男の顔が浮かんだ。蛇のように鋭い目つき。腹黒さとは裏腹な丁寧な物腰。奴がGHOSTを侵入させたのではと疑い始めた。
すると、鍵が開く音がした。警戒するアイナ。ゆっくりと開いた扉からはあの憎い男ではなく、寝癖の付いた眼鏡の男が現れた。
「あなた…!」
「大声を出さないでください。バレたら僕まで危ない目に合ってしまう。まぁ、あなたを助けに来た時点で相当危ないんですけどね。」
真っ暗な廊下を突き進んだ。アダムの後を何の疑いもなく付いて着てしまったが大丈夫なのだろうか。心に自然と湧く疑問をぶつけてみた。
「何故、あなたは私を?」
「UF‐40Jは僕の設計した戦闘機です。そのプログラムになにかあったら溜まったもんじゃありませんからね。それに、人の命を見逃すほど、私は弱虫ではないのでね。」
その微笑みに偽りはないように見える。この建物はどこかのコンサート会場なのか、先程から第九が引っ切り無しに流れ続けていた。それも直接ではなく、壁を伝わった小さな音だ。いくつもの脚立や足場が無造作に並べられている所から、ここは舞台裏なのだと理解した。
「あなたを見つけるのは大変だったんですよ。わざわざこの建物のセキュリティーにアクセスして、監視カメラの映像からどの部屋に入ったのかを割り出して。」
「あなたクラッキングしたの?」
「とうぜんですよ、そうしないとあなたを見つけられませんからね。」
「だったら、GHOSTのクラッキングも阻止できるでしょ?」
「無理ですね。」
アダムは酷く冷静だった。
「GHOSTのセキュリティーは恐ろしく固くてね、それにクラッキング用のAIですから行動の障害には敏感なんですよ。あのAIを造った人はよほどの頭脳の持ち主ですね。でも何度か侵入しようとはしたのですよ?」
立ち入り禁止区域を抜け、ようやく一般の廊下に出る。光沢のある大理石でできた床に天井のライトが反射していた。行き交う者は皆、劇場に見合う正装をしている。ただ気になる点が、すれ違う人ごみは皆日本人なのだ。ここは日本なのだ、と改めて実感する。
「さぁ、早く乗って。」
クリスマスイブの夜の劇場前には似合わない灰色の軽自動車の扉を開ける。
「すいませんね、一番安いレンタカーがこれしかなくて。」
「いえ、かまいません。」
アダムとアイナは聖夜で賑わう夜の街に消えた。
「何、逃がしたというのか!」
オルコットの声が部屋いっぱいに響き渡った。ワインのグラスを白い四脚テーブルに叩きつけると蛇の目をぎらつかせた。
『すみません、まさか謹慎中の二人が招集されていなかったとは…。』
「しゃべるな、戯言はたくさんだ。」
携帯端末の通信を乱暴に切ると、眉をひそめた。二機の新世代戦闘機が今まさにこちらに接近してくるのだ。領空侵犯、命令無視に極秘戦闘機の無断使用など。ありとあらゆる違反を犯してまで来る奴が、よりによってあの二名だとは思ってもいなかったのだ。ダイゴ、レオン。その二人の噂は耳にしている。中東の紛争地域で数十機の敵味方関係ない戦闘機同士の戦いを唯一生き残ったエースだ。位は中尉なのだが、彼らの命令違反が重なっての事だ、本来なら…。
「いや待てよ…。」
ふと浮かぶ名案。無人戦闘機と有人戦闘機、最も優秀な者同士戦うと一体どっちが勝つのだろうか?体中の血がぶるぶると震えた。いいね、いいね、最高だ。思わず笑いを吹き出してしまった。握りしめてある携帯端末を再び耳元へ。笑いをこらえながら放つ言葉。
「私だ、オルコットだ。UF‐40Jを起動させろ。GHOSTの障害対象は、FNシリーズだ。」
携帯端末を投げ捨てて、大笑い。ひいひいと酸素を吐き出しながら涎を垂らす。嗚咽にも似た気味の悪い笑い。項垂れたその蛇の目には黒く染まる太平洋が映っていた。
眼下に広がる黒い太平洋。空母から発進してからどれくらいたったのか。未だ陸地は見えない。ぴっちりとついてくる鴉から何か不思議そうに通信が入った。
『おかしいと思はないか?』
「バカな俺でもさすがにわかるよ。領空侵犯をしているというのに警告も何もない。それに海上にイージス艦すらいないってことだろ?」
『レーダーもまったく反応しない。可笑しいな、はめられたのか?』
レオンは無数の計器の中で異彩を放つ、中央にあるモニターを見た。この機体の目的、敵圏内でレーダーもしくは目視による索敵を逃れ敵の情報を持ち帰る、もしくは敵を掃討する。その為に搭載された360度全方位3Dレーダーだ。今までのレーダーと違い自機を中心に3D表示で敵の位置を確認できる、しかし、ホログラムのような技術ではなく半円状のサブモニターの中に映し出されるのだ。その自慢のレーダーには戦闘機、イージス艦、ましてや小鳥すら映っていない。
「まったく、命かけてこれかよ。」
ダイゴは頭の後ろで手を組み、座先に埋もれた。GHOSTのクラッキングを恐れ、ネットワークに繋がっていないFN‐01の中では同じ境遇のレオンと話すことしかやることがないのだ。
「待て、何だこいつ!」
レオンは全方位3Dレーダーに突然として映り込んだ物体に驚きを隠せなかった。正面から接近する四機の未確認物体。日本でもアメリカでもない、レーダーにはUNKNOWNの文字。驚異的な速さで一直線に向かってくるのだ。目視でとらえた瞬間。
「くそ!」
ダイゴとレオンは操縦桿を思い切り傾けた。左右に分かれる二機の間を音速で通り過ぎる四機の戦闘機。灰色の可変翼らしい主翼。コックピットは…ない。UF‐40Jだ。
「無人戦闘機か!」
四機の無人戦闘機は左右両方二つの編隊に別れ、弧を描きながら戻ってくるとそれぞれに機関砲を放った。急速に加速する白鳥は機首を上げ、一気に上昇する。その後を追う二機の無人機からは目標を破壊するという目的しか感じ取れない。なおも放ち続ける機関砲。
操縦桿やフットペダルを小刻みに動かし、回避し続ける白鳥。
「何だ、張り付いてきやがる!」
コンピュータで計算され、無駄のない動きで迫るUF‐40J。最短距離で接近、発砲。作業の様にこなされるドックファイト。ダイゴの額に汗がにじむ。一機のUF‐40Jの底部が開いた。短距離空対空ミサイルが顔を出した。姿勢制御翼と安定翼が展開し、ラムジェットエンジンに火が付いた。本体から切り離されたミサイルが加速して白鳥に迫った。警報が鳴り響くコックピット内。
「ちっきしょうっ!」
左手でスロットルレバーを押し込む。推力可変ノズルが徐々に広がり青い焔が燃え滾った。シートに沈み込む肉体に顔を歪ませながら操縦桿を傾ける。爆炎を吐き出しながらぐるぐるとロールする白鳥。ミサイルもそれに対応しぐるぐると回る。操縦桿を思い切り引き上げた。急激に方向を転換したNF‐01についていくことが出来ずにミサイルは目標を失った。時限装置が反応し自爆する。コックピット内のバックミラーに映る炎に目もくれず、その奥から出てきた二機のUF‐40Jを警戒した。
対視覚認識用光学迷彩。NF‐02に搭載されている驚異の戦闘用武装だ。レーダーでの発見を不可能にしたステルスボディーに加え、人やカメラによる外的な視覚による認識を不可能にしたステルス装備である光学迷彩はNF‐02の最も優れた点だと言える。ミサイルのロックオン、目視でのドックファイトを全て無効化するその性能は正に悪魔だ。敵と戦闘に入ってから直ぐに発動した光学迷彩。歪んだ空間だけで対象がそこにいるとはさすがの高性能無人戦闘機でも判断できなかった。
『何だ、張り付いてきやがる!』
無線の向こうから流れてくるダイゴの独り言。キャノピーの向こう側では驚異の飛行能力でFN‐01が二機の戦闘機とドックファイトを繰り返していた。連続使用時間五分。光学迷彩が使用可能な時間はたったの五分間だけだった。それに加え、消費した電力を補うために八分間の充電時間が必要だった。飛行能力をそぎ取って手に入れたステルス能力はわずか五分しか持たない。その中でできる最適な行動は。ダイゴは操縦桿を傾けた。旋回する機体。こちらに全く気が付かない二機の片方に狙いを定めた。素早く動き回る相手に標準を合わせるのは容易ではない。
「くそ、何て奴だ。」
直線的だが無駄のない動きでNF‐01に迫るUF‐40J。機敏な動きに鈍足なNF‐02で標準を合わせるのは難しかった。背後に付き、ようやく標準を合わせる。迷わずトリガーをひいた。煙を吐きながらばら撒かれる機関砲の弾丸は空気の繭に包まれながら一直線にUF‐40Jを襲った。乾いた音が直撃を意味した。穴から火が噴きだし、炎に包まれた。高度を下げ墜落していく姿を眺めながら直ぐにもう一気に標準を合わせる。
『レオンか?』
「黙って逃げろ、俺が敵機に狙われない時間は五分しかない。その間に倒せるだけ倒す。」
異変を感じ取ったのか、NF‐02を見失っていた残りの二機が対象をFN‐01に変更した。さらに接近する二機。NF‐01、UF‐40J、NF‐20、二機のUN‐40Jと並び、飛行する。一旦列から離れたレオンは減速し、再び列の最後尾に並んだ。ミサイルの安全装置を外し、中心の一機に狙いを定めた。
突然、三機が拡散した。
「しまった。」
光学迷彩が解除されてしまったのだ。こうなってしまってはただの鈍足戦闘機になってしまう。慌てて離脱するも。旋回し戻ってきた三機の戦闘機が背後に付いた。フラップを上下させ機体を左右に振る。コンピュータ制御された三機の戦闘機が機敏にそれに反応した。アラームが鳴り響く。心臓がその鳴り止まない音の間隔を狭めた。死ぬ。
『おらぁぁぁっ!』
コブラ、いや違う。クルビットでもない。目の前のNF‐01は機首を垂直にあげたかと思うと、そのまま反転した。上下逆さまに向かい合うNF。ダイゴと目があった。ようやくその行動の意味が理解したレオン。機首を思い切り上げる。跳ね上がるNF‐02。NF‐01のバルカンが唸り声を上げた。猫に見つかったように散開する無人戦闘機の内の一機をNF‐01が追っていく。何故空中分解しないのだろうか。圧倒的な機動力を誇るがその運動性能は戦闘機とは思えないほどアクロバティックで、それに不可能に近い。普通、最高速度でのコブラから垂直に、最初の状態から180度回転するなど不可能だ。機体の耐久力が持たなく、すぐに空中分解してしまう。しかし、これは違った。見事に荒業をしてのけたのだ。
「化け物か…あいつは。」
鼠花火の様に暴れながら逃げ惑う無人戦闘機。直線的に動き回る機体を目で追いながら、四肢を利用し自機を操り敵機の後を追う。残りの二機は散開し、大きく弧を描きながら黒い鴉に目を付けた様だ。
『俺にかまうな、いけダイゴ!』
トリガーを引く。何度も何度も繰り返される回避運動。弾丸は一向に当たらない。ただ、無駄にばら撒かれる弾丸を無駄と思い忌避すべきだ。トリガーから指を離し、ミサイルを放つ。煙を吐き出しながら目標へ進むミサイル。アルミ箔のようなチャフが拡散し、ミサイルは爆発する。
「やっぱりドックファイトしかないか!」
操縦桿を握る力がさらに強くなった。立場は先程と逆になろうとその機動性や性能の高さに変わりはなく、同じようにダイゴを苦しめた。早く戻らなければレオンが…。しかし、彼はかまうなと言った。
脳裏にレオンのことがよぎった瞬間、目の前のUF‐40Jが一気に加速した。引き離されるNF‐01。スロットルレバーをさらに押し込んだ。高速戦闘を繰り返す二機の戦闘機はエンジンから煙を吐き出しながら降下していく。海面ぎりぎりを飛行し、水しぶきを上げた。
『くそ、くそ、何だ!』
レオンの声が心に刺さる。だが、助けにはいかない。それがレオンの覚悟なのだ。爆音をあげ、機関砲が放たれた。バレルロールをしたかと思うと一気に上昇するUF‐40J。ぴったりと張り付き離さない。それが俺の覚悟だと心の中で強く思う。
すると突然、UF‐40Jの側面が開き、ミサイルが姿を現した。それは明らかに前方の機体を狙うものではなく、背後の機体。そう、NF‐01を狙っていた。
「ウソだろ…。」
左右両方の開閉口から射出される二発のミサイル。無理だ。心がそう呟いた。ゆっくりと迫るミサイル。思わず目をつむった。
人間、死ぬ前に走馬灯が見えるとはよく言う。無数の記憶の写真がばら撒かれ、記憶を辿っていく。高校、中学校、小学校に幼稚園。初めて見た映画。初めて付き合った恋人。初めてのキス。初めての…。あらゆる記憶が噴水のように湧き出てきた。無数の写真が目の前に現れる。溢れだす涙。何故かとても満たされていた。おお、俺はここで死ぬんだ。
《あきらめるのかい、ダイゴ。》
耳元で囁かれた、拓真の声。
《目を背けじゃ駄目だ。前を、しっかり見ないとね。》
そうだ、ここであきらめてどうなる?俺を送り出してくれた空母の乗組員の希望、アイナを助けに行こうと励ますレオンの希望、自分自身の前に進もうという希望。無数の希望を背負っているその背中に熱いものを感じ取った。そうだ、ここで倒れてどうなる?再び自分に問いただした。
「さぁ、一緒に戦おう。」
拓真がそう言ったのだ。フットペダルを左右逆に踏み込み、推力可変ノズルが左右逆に動いた。急速に回転する機体。操縦桿を小刻みに動かし、機体全体を細かく揺さぶった。ミサイルが機首を、主翼を通過していく。背後で爆発した二つのミサイル。白鳥はその翼をはためかせ、目の前にいる鼠に襲い掛かった。ばら撒かれる薬莢。火薬が轟音を轟かせ、放たれる機関砲がUF‐40Jの灰色の装甲に次々と穴を開けて行った。
「だぁぁぁぁぁぁぁっ!」
叫び声が目一杯コックピットのなかに響き渡った。炎上するUF‐40J。ふらふらと巨体を揺らしながら降下していった。コックピット内底面のキャノピー越しにその光景を見逃すとすぐに、機首を傾けた。今やるべきことは絶望に浸っていることではない。今やるべきことは、レオンを助ける事だ。
《ほら、早く行きなよ。》
拓真があの笑顔でそう言った気がした。ダイゴはまたさらに操縦桿を強く握った。もう二度と後ろを振り向かないことを誓って。
街ゆく人々の顔は希望で満ち溢れていた。何もかもが上手くいったような、満面の笑顔。聖なる夜に行き交う人々の心には不安などは持ち合わせていないのだろう。アイナの心を察したのか、アダムはバックミラーを気にしながらふと口を開いた。
「浮かない顔ですね。まぁ、誘拐されたのですから無理はないですけど。どうです、フライドチキンでも買って食べますか?」
「お世辞にも上手いと言えないわ、あなたの冗談。」
「ご指摘ありがとうございます。」
冗談を言いつつも彼の顔に笑顔はなかった。ほんの五分ほど前からしきりにバックミラーを気にしているのだ。
「どうやら、僕たちはつけられているようですね。」
ぎょっとするアイナ。冷静さを保っているように見えるアダムの額にも汗がべっとりの滲み出ていた。背後を走る黒い乗用車の運転手は街灯が反射して確認することが出来ない。
「たぶん、会社の奴らです。僕の後をつけてきたのでしょうね。」
「それってあなたもまずいんでしょ?」
「言ったでしょ、あなたを助けた時点で危ないって。もう、手遅れなんですよ。」
アダムはアクセルを思い切り踏み込んだ。一気に加速した軽自動車がイブを祝う街中を駆け抜けた。慌てて追う黒い乗用車。街中で突如として発生したカーチェイスにアイナは度肝を抜いた。
「これくらいの度胸がないと、やっていけませんからね。」
大通りを高速で駆け抜ける二台の車。急ブレーキをして止まる一般車両の間を抜けていく。
「シートベルトして下さ、振り切りますよ!」
アクセルをさらに踏み込んだ。エンジンがぶるぶると震えながらマフラーから煙を吐き出す。ハンドルを切り、路地裏に飛び込んだ。真っ暗な細い路地裏にアダムたちが入ると、それを追って黒い乗用車も侵入する。二つのライトだけが前方を照らし出す。がたがたとゆれる車内でアイナは叫んだ。
「ここからどうするの!」
「まぁ、見ていてくださいよ!」
路地裏を抜けた瞬間、サイドブレーキをかけハンドルを思い切り左に切った。車体が急激に方向転換し、アイナはシートに叩きつけられた。軽やかにドリフトを決めた後のアダムは興奮気味だった。
「見ました、見ました!僕のドリフト!この仕事を失っても、レーサーで稼いでいけますよね!」
「お願い、早く逃げて!」
空回りする後輪。煙を巻き上げながら急速に発進した。またまたシートの叩きつけられるアイナ。
大通りを突っ走る、黒い乗用車も後を追い突っ走る。アダムはダッシュボードを開けると一枚の紙きれをだした。それをアイナに投げる。
「あなたに渡しておきます、UF‐40JAIプログラムへのアクセスパスワードです。」
目の前には巨大な六十階建てビルが姿を現した。急ブレーキをするアダム。ビルの正面玄関に停車した。黒い乗用車も少し離れたところで停車した。
「UF‐40Jは五機製造されています。そのうち既に四機が飛び立ったと聞いています。戦っているんですよ、あなたの発明したNFシリーズとね。しかし、まだ一機は発進していません。UF‐40Jの特徴は自立した知能を持ちながら司令機によって統括されています。司令機には各機体の戦闘成績が送られます。GHOSTが入っているUF‐40Jはおそらくその四機の戦闘で学ぶでしょうね。残りの一機は他の四機より遥かに強いでしょう。屋上にその一機がいます。それを破壊してください。僕にはやるべき事がありそうだ。」
アダムの懐からは黒く鈍く光る拳銃が見える。ベレッタM92。
「あなた…。」
「レディーに危険な真似はさせませんよ。ま、カーチェイスは勘弁してください。」
アダムは車のドアを勢いよく開けた。車から降りて、迫りくる二人のスーツ姿の男。サングラスで表情は見えないが、恐ろしく無表情に見える。両手でグリップを握り、アダムはトリガーを引いた。乾いた音が鳴り響き、驚いた二人の男。
「さぁ、僕が長く持つとは限りません。」
「そんな…。」
「あなたは今、前を向くべきですよ。」
アダムはにっこりと微笑んだ。アイナは紙を握りしめ、そびえ立つ巨大な柱を見上げた。ジェネラル・ウィンドウ社が入った高層ビルだ。屋上は暗く見えない。だがそこにあるものは見えた。禍々しい、邪悪なものだ。
「ありがとう、止めるわ。絶対に。」
アイナは駆け出した。
ビルのエレベーターに入るとすぐに60の文字を押した。ゆっくりと扉が閉まり、閉鎖空間となったエレベーター内。ロープが回転し、籠を持ち上げ始めた。
すると徐々にその数を減らしていく階を示す数字が止まった。同時にエレベーターが大きく揺れる。数字は点滅し、25のまま動かない。次々と消えるエレベーター内の照明。誰かが意図的に電力を絶ったのだ。わずかに隙間のある扉の間に指を入れこじ開ける。全体重を掛けて無理やり開けると、アイナは直ぐに階段を探した。
「階段は、どこ!」
建物の中は外見よりも複雑であった。入り乱れる店舗の数々。無数のショウウィンドウの間を駆け抜け、奔走する。
ようやく見つけた階段を勢いよく上り始めた。現在二五階、残り三五階と屋上への階段。上を向くと果てしなく階段は続いていた。
「上を見ても、絶望するだけ。前を向くのよ。」
階段を駆け上がるその足に力が湧いた。
《戦っているんですよ、あなた発明したNFシリーズとね。》
そうだ、ダイゴも戦っている。もしかしたらレオンもかもしれない。そう考えるたびに心が熱くなる。自分も戦わなくてはならない。駆け上がる速さがより一層、増した気がした。
機関砲という名の閃光は激しくNF‐02を襲った。隠密作戦に特化したこの機体はドックファイトが想定されていない。激しい猛攻を回避するのは限界があった。せめて、光学迷彩が使えれば。レオンはひたすらに数を減らし続けるメーターを見た。残り六分。光学迷彩使用可能までの時間だ。後六分この猛攻を耐えきれば形勢は逆転できる。
「時間が進むのが、こんなに長いなんてな!」
スロットルレバーを押し込み加速する。二機のUF‐40Jは電光石火の如く迫りくる。急激な反転や回避運動により機体が軋む。同時に耐Gスーツを着込んだ生身の身体が悲鳴を上げる。筋肉の叫び声、骨の叫び声。痛みとなって訴えられるその言葉に顔を思わず歪ませた。だが歯を食いしばった。
「負けてたまるか!」
ミサイルが発射された。NF‐02の主翼の付け根からチャフがばら撒かれた。アルミ箔の様に輝きながら拡散する白銀のチャフ。ミサイルはそのチャフの群れに突入すると次々に爆発する。なんとか凌ぎ切った。しかし、コックピット内で警告を示すアラームが鳴り響く。
「くそ!」
爆発を回避したものの、爆散した破片がNF‐02の左エンジンを襲ったのだ。黒煙を纏う左翼。機体が傾き、徐々に降下する。今がチャンスとばかりに迫りくる二機のUF‐40J。足を引きずった小象に迫るライオンのようだ。このままではやられると思い、自然とスロットルを押し込んだ。微かに生きている推力可変ノズルはその太い口をさらに広げた。青白い焔が咆哮をあげながらさらに輝きを増した。上昇するNF‐02。硬く曲ろうとしない操縦桿を渾身の力で引き始めた。機首が徐々に上がり、さらに上昇する。そのまま目の前に立ちはだかる雲に突入した。
真っ黒な雲を抜けると目の前に真っ黒な中に無数の星が煌めく大空が広がり、眼下には雲が連なった果てしない海広がっていた。満月なのか、黄金に輝く月が漆黒の身体を持つステルス戦闘機をその輝きで照らした。すぐ後ろには感情すら持たない冷酷な狩人が蛇のような目を光らせていた。
「きれいだ。」
ふと毀れた言葉。電子音が鳴る。光学迷彩のバッテリーの充電が完了したのであった。直ぐにスイッチを押した。電流が機体を包み込み湾曲する空間。機体全体がその姿を消した。困惑する無人戦闘機。勝った。確信があった。操縦桿を傾け、旋回する。大きく弧を描いたNF‐02は、親を見失った子犬のようにうろたえるUF‐40Jの背面に陣取った。瞬間的に解除された光学迷彩。突然背後に姿を現したNF‐02に反応し、散開する二機。だが既に時は遅かった。NF‐02の標準は二機を捉えていた。
「俺の、勝ちだ!」
FN‐02が鈍足な理由は圧倒的なステルス機能による代償なのだが、それだけではない。360度全方位3Dレーダーが何故搭載されているのか。無論、索敵能力の向上なのだが、「全方位に標準を合わせる」という意味もあるのだ。
360度全方位ロックオンシステム。その名の通り360度全方位の対象物にロックオンが可能なのだ。UF‐02の上下左右の装甲が複数開いた。そこからは小型の空対空ミサイルが顔を覗かせていた。そう、NF‐02は大量のミサイルを積む分、機体の運動能力が落ちているのだ。
数十発という通常の戦闘機では考えられない数のミサイルが一斉に煙を吹き出した。触手のように二機のUF‐40Jに襲い掛かった。ターボエンジンを轟かせ鼠花火の如く逃げ惑う無人戦闘機。チャフを拡散させ、次々に誘爆させるがそれ上回る数のミサイルが二機に襲い掛かる。大量のミサイルの猛攻から逃げ切ることは出来なかった。いくつものミサイルが自分たちの目指す獲物に喰らいかかったのだ。爆発が爆発を生み、さらに爆発を大きくする。二つの爆炎の塊が月の光を遮り、雲の海を紅く照らした。
勝った。確信した直後、レオンに悲劇が襲った。大きく揺れる機体。先程ダメージを受けた左エンジンが限界を迎えたのだった。黒煙が左翼を完全に包み込み、黒煙から炎が顔を覗かせる。いくつもの警告ランプが点滅し、けたたましい警告音がコックピット一杯に満たされる。誘爆する高性能エンジン。爆炎がさらに左半身を包み込んだ。急降下するNF‐02の中でレオンは穏やかな気持ちだった。もう、満足だ。
『レオォォォォンッ!』
無線から叫び声が聞こえた。ダイゴの声だ。白銀の機体が雲を突き抜け目の前に現れた。あの晩、三人で見上げた美しい白鳥。もう一度、一杯あげたいな。ふと心に浮かんだ。まだ死ぬわけにはいかない。シートの左横に取り付けられた射出座席のレバーに手を掛けた瞬間、真っ赤な爆炎がレオンを襲った。
Sky Night/前篇「聖なる夜の亡霊(ゴースト)」
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