さようなら、あなた

花野 尋


なんなんだよ!おめえはよ!!

 東京に行って、大阪に帰ってきて、丸みをおびた関西弁がたこ焼き屋の店先で響いた。
通りがかる人も、見ている。
一人の可愛い女の子に、そう怒鳴った。
愛くるしいその顔の向こうにみえる、見え透いた愛情に腹が立つ。
この際たこ焼きを買う気がないこととか、なんでここにたどり着いたのかとか、どうでもいい。
なんで来たんだよって、そう思う。
もちろん、ここが俺の生まれ育った地元で、東京のアパートを出て、そりゃあここに戻って来てると思うかもしれないけど、それでも来るかよ
働き口も探すのめんどくさいから前働いてたたこ焼き屋でまた働いてるだろう、と思われてると思うことも余計腹が立つ。頭悪いくせにムカつくんだよ
こういう、大事な、場面だけ、眉毛をへの字にして俺を見る。ムカつくんだよ
ムカつくねん

ちょうど関西弁が心から戻り始めた頃、夕日の橙が良い感じに店の中から見える向かいのスーパーを染めて

おつかれ、なにやってんの

って店長が店に入ってきた。気まずい空気とバイト上がりの時間が重なってすぐにタイムカードを切って、お疲れ様です。って言って店を出た。
外に出るとたこ焼きの銅板から放たれる熱気からの解放感とその時吹いた風が涼しくて
チラッと、一目、目が合って、背にした

一目散に歩く、夕焼けの、久しぶりの地元の街。やっぱりなんだか足が慣れている気がする。体感でわかる。目とか頭で考えるよりも、足が勝手に進んでいる。ただ振り返ると、やっぱり、着いてきている、、
なんなんだよ、ほんまに

 バイト上がったら久しぶりにパチンコしようと思ってたから、昔から行きつけのパチ屋に向かっている。ちょうど喋らなくていいし、ちょうどいい。自動ドアが開いて、うるさい音が懐かしくて、あの頃の腐った日々が俺にハイタッチした。
あの頃と変わらないコーナーの場所も、自動販売機も
なんだかそれは少し息苦しくて、炭酸ジュースを飲みながら打つのが好きだったことを思い出して、買った。
台の上のデータを見ながら分析して、必ず当たるだろうと思う台を探して、座る。お金を入れてパチンコ玉がバラバラと音を立てて出てくる。
バラバラと、出てくる
それからはただ右手でハンドルをひねって、ボーっとする。ただそれだけ、ただそれだけの作業。
相変わらず落ち着くんだけど、どうしても
今の自分が、画面が暗くなった時、反射して映る。

隣に人の気配がして、見ることもなく、やっぱりアイツが座った
その台絶対当たんねーよ。って思ったけど教えなかった。ざまあみろって、そんな連チャン終わった台当たるわけないやろって
まあ、少し罪悪感はあったけど

なにも喋ることなく、ただ打っていた
並んで
しばらくしたらアイツの台に魚群が通った
思わず俺はとっさにアイツの台のボタンを押した
固かった
固かったら大当たり確定。

はい、確定

ってドヤ顔で目を見て言った。アイツは微笑んだ
大当たりの音が鳴って、アイツの台にジャラジャラと玉がこれでもかと出てきた。俺の台は何事もなく、ただ、なんでコイツが当たるんねんって思ったけど、でも、なんか嬉しくない、わけではなかった。
あー、そういや昔もこうやって、並んで打ってたな
俺がいつまでも打つから、アイツはしょうがなく並んで座って

パチ屋を出た頃はもう夜だった。結局アイツが爆当たりして、玉を分けてくれて、俺も当たって、俺はトントンになって、アイツは結局勝った。アイツが換金してるのを待ってた。半袖じゃ少し寒くて、まばらに停まってる自転車を眺めてた。そういや、まだまともに喋ってないな、アイツいつこっちに戻って来たんだろう。荷物なかったから実家には戻ってるんだろうな

換金所の角を曲がるアイツが見えて、もうなんの違和感もなくて、

なんぼ勝ってん?

って聞いて、

三万

って笑顔で答えるアイツを見て、悔しくて、微笑んだ

夜の風がアイツのボブを少し揺らして

これで飲みにいこーよ

ってお前が三万を見せながら言うから、なにも変わってなくて
変わってなくて
よっしゃ、って行きつけの居酒屋に向かう。
なんで俺らは別れたんだっけ

 行きつけの店には来たけれど、上から三つ目の行きつけの店にした。俺らを知ってるけど中身までは知られていない、そんな間柄の店。
俺は生ビールにして、アイツは麦のロックにした。
メニューを決めようもんなら、もうアイツはいつもの態度に戻っていた。奢るからいけるだろうと思ってるのか、もうめんどくさくなったのか、これが食べたいだの、これは食べたくないだの
このマンネリ、良くないなー、俺ららしくて良くないなー
生ビールがきて、店長に

まだ一緒におるんや

って笑いながら言われて、なんとなくかわして、パチンコ終わりの生ビールはやっぱり美味しくて、その姿を結局じーっとアイツに見られてた。
俺が東京に行ってその一年後に追いかけて来て、その一年後になにも言わずに俺は大阪に戻った。それでもまた、追いかけて来て、一緒にパチンコして、居酒屋で飲んでる。
どうせ、そうなるだろう
って確信めいたアイツの考え、そうなってる現実、そうなるくりかえし。なにから逃げて、なにに追われて
飲んだ生ビールは少しずつ感覚をマヒさせて、この店の麻婆豆腐の美味しさについて熱く語る。
この痺れが癖になる、やみつきになる
二件目も行きつけの、バーに行って、いつもの端のカウンターに並んで座って赤ワインを飲む。
ここの子羊のローストの美味しさについて熱く語る。
気づいたらアイツはイチゴのジュースを飲んでいた。
暗い照明の中、俺はボーっとそのイチゴのジュースを見ていた
そのあとはカラオケに行って、このあたりから記憶は曖昧で、アイツが俺の好きな歌を歌っていた情景だけ覚えていて、目が覚めたら地元のやっすいホテルのベッドの上だった。
アイツのシャワーの音で起きたみたいで、それが
ああ、またここへ戻ってきた
って思わせた
目の前がぼやけて、アイツがコンタクトを外してくれたことに気づいて、たったそれだけのことが、アイツの引力で、でも、やっぱりコンタクトをつけっぱなしで寝るのは許せなくて、感謝してしまう。
幸せなんて、幸せなんて、
ぼやけた知らない天井を見ても、なぜか安心できるような
そんくらいのもんなのかな
無機質な部屋だから、二人が浮き彫りになって、一緒はにいるんだな、って感じさせた。
今日の休みが楽しみで仕方がなかった

 ホテルを出ると太陽がまぶしくて、目の前の太い道路をクルマがビュンビュンと走っていた。アイツはお腹減ったからなにか食べたいっていうけど、俺は二日酔いでまだ無理って言った。駅までが遠い、その道中でアイツはコンビニに寄っておにぎりとコーヒーを買った。こんなコンビニ、前は無かったな、。見上げた空が雲ひとつなくとても綺麗で
変わらないものの外側の薄い膜だけが微妙に変化してるんだな、なんてそんなことを思った。そんなんじゃあちっとも、なにも、変わらない。
でも、なんだか少しだけホッとするのは、東京なんかにいるよりも、とても生きている気がして
うざったい、吸いたくなかった空気を吸ってるんだけど、きっとこっちのほうが酸素が多い。
コンビニから出てきたアイツを遠目に確認して、また歩いた。
 駅に着いて、さあ、なにしよっか。なにしてもなにもしてないような二人だけど。京都行くか、って言った。
俺らはたぶんなんか飛び出すのが好きだ。説明下手だけど。
昔はよく二人で京都に行った。電車一本でいけるし、なにより二人とも京都が好きだった。古着見たり、街並みがゆったりしてるから、ただ歩くだけでも
好きだった
今もそうなのかな、って、そういう気持ちだったのかもしれない。
電車に乗って、並んで座って、景色を見ながら、いつの間にかウトウトと二人とも寝るのはいつものことで、いつの間にか繋いでいた手の感触は、とても落ち着いた。
四条を乗り過ごして、三条で降りた。
 三条の近くにある二人が好きだった居酒屋を思い出して、そこはすごく混むから通りついでに予約した、カウンターの端を。
京都の街は日当たりが良くて、なんかなんでも肯定されてるような気になる。
別れていようが、関係ないのかもってね
商店街に入るとひんやりとして気持ちよかった、それで夜冷えるから上に羽織るものでも買って帰ろうかなと思った。
古着屋を何件かまわって、途中からアイツが買うものに付き合う感じになる、慣れっこだけど
俺は早々と安いカーディガンを買って、もう首に巻いてる。アイツはデニムの試着を何回もするから退屈で、店の外で待ってた
カーディガンから古着の匂いがして、その瞬間に、生きているんだけど、ここにはいない気がして
なにしてんだろーって、なにしてんのかわからなくて、ただでもそれをその理由にしたくはないんだよ。わかってることも少しは、ある
そんなことを考えてたら、結局デニムを買わなかったアイツが後ろからやって来た。俺は知ってる、俺が試着に付き合うとアイツは買って、外で待ってると買わない。それをアイツに言ったことはないけど
そろそろ居酒屋の予約の時間だから向かった。

 靴を脱いで、あがる。天井が低くて、でもそれがここに来たなって思わせる。冷房加減がちょうどよかったけど、アイツは俺のカーディガンを羽織ってた。
どっちも生搾りのチューハイを頼んだ。これが本当に美味しい。京野菜を売りにした店で、古民家風の内装。コイツとカウンターに並んで飲むのが俺の一番の幸せ。パチンコで当たるよりも。悔しいけど悔しいから、それが言い切れる。コイツはそれを知ってるんかな
ほとんど覚えてない会話、美味しい料理、何杯飲んだかわからないチューハイ、アイツは途中から水を飲んでた
いつも途中から俺だけ飲んでる、幸せに浸されて、眠たい俺は、夜の京都の街を上機嫌でよたよたと歩く。
三条の駅に下りる前の鴨川が流れる橋の上で、吹いた風が寒くて、カーディガン返せよってアイツに言ったんだ。
なんでコイツといるとこんなにも幸せで、かなしいんだろう

 東京の風はとても冷たかった。あんなの人の住む街じゃないよ。そんな印象
自分のことを誰も知らない世界は暗闇で、呼吸がしづらかった。想像とは違うし、活気もなかった。百均の店員は目も合わせない、まるで自分が百円で売られているような
五時過ぎるとゾンビみたいにゾンビがぞろぞろと駅から下向いて出てくる。俺はそれをいつも眺めてた、パチンコ屋のバイトのティッシュ配りをしながら。なんか夕日の射し方が気持ち悪いんだよな
なににも馴染めなかった。おかげでこんな気持ち悪い喋り方になってしまった。関西弁で話すことがなんか東京を知らないみたいで、ヒヨってしまった。パチンコ屋では全く自分が出せなかった。最初は頑張ったけど、なんか鼻についたみたいで、ずっと距離は置かれてたなー
辛かった、でもたぶん今になってわかるけど辛かったのはパチンコ屋ではなかったんだな

アイツがたまに来てくれたから、助けられた。情けないくらいに頼った。本当に、支えられた。距離があったほうが二人はうまくいっていたと思う。それはアイツも思っていたと思う。やさしくなれた


 一人暮らしも初めてで、東京も初めてで、なにかをしてることでなにかをしてるんだって思いたかったのかもしれない。それほど俺は満たされていることに気づかずに、渇いている気になってた。初めて街に到着した時にちょうど家の近くに自分が働いてたたこ焼き屋の東京の店舗を見つけて、慌ててバイト募集をしているか聞いた。そしたらたまたまいた副社長が俺が働いてた店舗の店長を知っていて話してくれた。すぐ働くことになった。作業も同じなんで簡単だった。でも、他は違った
窓から見えるセブンイレブンすら、なんか違って見えた。客も違う、寸胴は同じ、バイトの子も違う、銅板は同じ
いつもたこ焼き屋と家の往復の日々、酒は家で飲んだ、持って帰ったたこ焼きを食べながら
大阪の人たちは知らない塞ぎこんだ俺、知らない街は知らない俺を知っていた

そんな生活を繰り返してる時に、アイツが初めて東京の俺の家に来た。玄関に入った時点で汚いだの、あーだこーだ、照れに隠れたやさしさが窓から射す西日みたいに張り付いた。こんなにも好きで、こんなにも愛していて、こんなにも甘えていたんだと、わかった。アイツが来るだけで気持ち悪かった街が、生活が、彩ってよく見えた。ああ、恐くないやんって思った。俺らしさをアイツがいないと出せないのが俺らしいと、大阪にいた頃はわからなかった。慢心していたんだな
街を歩いて、行ってみたいと思っていた居酒屋に全部行った。店員とも喋った。アイツがいるだけで俺になれる。次から一人でも行ける、情けないなー

でも、アイツが帰る日の前日、喧嘩して、アイツはネカフェに泊まって、そのまま帰った。その時はわかっていなかったこと、気づいてなかったこと、感謝の気持ち。だれのため、自分のため、愚か

 ある日、売り上げが悪いから店を閉めると副社長に言われた。良いこともあれば悪いこともある、仕方ない。普段喋らないバイトたちはこんな時でもあまり会話することはなかった。無意識に無機質に音も立てずにお店はなくなった。思い出ができる前に、できることもなくすぐに内装工事が始まって、俺の東京のはじまりがなくなった。大阪の店舗よりも忙しいイメージだったけど家賃と釣り合わないって副社長が言ってた。

アイツにお店が潰れたことを言ったら、え、じゃあゆっくり東京満喫できるやん、って言われた。それどころじゃねえよ、って思ったけど、なんかそれを言われて少し楽になった。
次の日アイツが来た。二回目。もう俺の家には慣れていてズカズカと勝手に上がり込んできた。吉祥寺に行ってみたいと言われた。どうやら俺の街からバスで行けるらしい。調べたらしい。吉祥寺の名前は聞いたことがある、そんなに近かったんだ。
その日はお惣菜を買って家で食べた。一緒に風呂に入って、一緒に寝た。いつもより狭いベッド、うるさいいびきが木造に吸い込まれていく、俺にはコイツがいるんだな

 吉祥寺は思っていたより都会で人が多かった。好きでも嫌いでもない街並みだった。古着屋が多く、アイツはそれが狙いだったんだなー
古着を見ているアイツはなにも変わってなくて、東京に来て少し変わったんじゃないかと自分のことを思う、そんな感覚を薄暗い店内に並ぶ古着をはためかせてごまかした。東京の古着はそんなに匂いがしない、気のせいかもしれないけど
古い映画館を見つけた、夕暮れにそれが映えていた。
映画館まであるのかと、また面食らった。
どこにいても人波は途切れなくて、溺れそうで、いやもう溺れてるのかもしれない。あまりなにも話さず二人とも街を見ながら歩いていた。下りたら公園に続く階段のところまで来て、なんか焼き鳥屋にすごい行列ができていて、東京の切りのなさに疲れて、同じ道を引き返した。ウロウロしていた、吉祥寺を

暗くなってきて、なにか居酒屋を探していたら珍しく屋台でやってる店があった。外に簡易テーブルが出されていたけど、俺らは屋台の狭いカウンターに座った。剥き出しで、少し寒くて、でもそれぐらいがちょうどよくて
夜が暗くて、提灯が輝いていて、焼き鳥を何本か頼んだ。思い出なんかいつも同じようなもんで、コイツとは焼き鳥なんかもう何千本と食べてる。でも、屋台で並んで飲むのは初めてかもしれない。
軽く飲んで、屋台を出て、飲み屋が並ぶ路地を歩いた。こういう道は知らない街でもよく馴染む、歩きやすい。歩いていると、外れに出た。古びたラブホテルがあって、それを横目に通りすぎて

もう帰ろっか

ってアイツが言った。じゃあタクシーでも捕まえるかと思ったけど、アイツが歩いて帰りながら見つけようと言った。もう人気はなくて、住宅街を歩いていた。どうでもいいアイツの流行りのドラマの話が夜に響いた。この時は一緒にいることが素晴らしく思えて、生きているんだな、と感じていた


 街にあるパチンコ屋の面接にこぎつけた。アイツがいる時に、パチンコ屋なんてどうやろう、時給も良いしって、言ってみたら、いいやん、ってそれだけだった。パチンコはよくしてたけど中の中に入るのは初めてで新鮮だった。なんか機械的な印象で従業員の対応も含め、面接も含め。淡々と説明を受けた、少し厳しい印象でなんか念も押された、時給が良くて楽そうって思われがちだけどそうじゃないって。でも、今無職の自分はやるしかなかった。
 最初は一人俺を担当する先輩がついてしっかり教えてくれた。チェックシートみたいなものにチェックをしていって、業務を覚えていく。機械に囲まれて機械的に、金を稼ぐ。ただ、笑顔は常に、常に笑顔、と言われた。

週に二、三は休みがあった。時給が良くて、拘束時間も長いから、生活面は安定した。たまになにかにお金を使えるぐらいの余裕があった。バスに乗って吉祥寺に行ってみたりした、一人でちょこっと飲んでみたりもした、寂しさなんかは人にまみれて誰かに擦り付けるぐらいでちょうどいいんだ、東京は
パチンコ屋の人たちはとても仲が良かった、いつも楽しそうに喋っていて、俺以外。昼休憩もみんなでいるんだけど俺だけ喋ってなかった。この店に関西人は俺だけで、最初入りたての頃この店の盛り上げ中心のバイトの子に関西人ってことで絡まれて、その時地元のノリみたいなので思いっきり返したら、引かれた。周りにも。後々わかったけど関西弁はキツいらしい、東京の人には。その店に関西の人がいれば違ったのかもしれない。いじめられてたわけではなかった、ただ誰もほとんど俺には喋りかけてこなかった。たぶん何喋っていいかわからないし、苦手って感じだったと思う。距離を置かれていた。唯一喋りかけてくれるバンドマンの先輩がいた、気さくで、でもその人は早番で入れ代わりの時に少し喋るだけだった。その人は俺がそんな状態だって、たぶん知らない。偉い人に、早番にしてほしいってお願いしたけど、早番は人が足りてて、その子らの生活もあるから入れられないと言われた。
一日に何回もするトイレチェック、綺麗なのに何回もかけさせられるモップがけ、うるさくて、うるさくて、でもそれがいつの間にか落ち着いて、もうなにも聞こえなくて、自分の声も、煙たくて、でも俺は、笑っていた
ある日仕事に行く前にシャワーを浴びていたら、手のひらに大量の髪の毛が乗っていた

いつも決まった時間にさせられるティッシュ配りが唯一好きだった
角度なのかなんなのか、夕日の射し方が気持ち悪くて
帰宅ラッシュのゾンビの群れを照らして、俺ごとまとめて溶かして、ああ、俺も東京の人なんか、なんて

 アイツから電話があった、研修で一ヶ月東京に来るらしい。最初に思ったのは、うまく笑えるかな、だった。東京の都心のホテルに泊まるらしい。
週一、二ぐらいで会いに来た。吉祥寺に行ったり、俺の家に泊まってから研修に行ったり、俺の髪の毛が大量に抜けた話をしたら、辞めれば?ってそれだけ言われた。アイツが東京にいるってだけで少し楽だった。
相変わらずパチンコ屋の人たちとは喋らなかったけど、ただ稼ぐために働く、それでよかった
それからアイツは何回か研修やらなんやらで東京に来た。横浜で就職することに決まったらしい
東京でアイツが俺んちに泊まった最後の日、アイツが俺の携帯を折った日
その日を境に連絡することなく、俺は大阪に戻った

 オープニングスタッフの顔合わせで出会ったのが最初。正直一目見て、めちゃくちゃ可愛いと思った。でも、惚れるとかそういうのではなかったかな
地元の店だったから何人か顔見知りもいて、わいわいしていてその時みんなが番号交換していて、アイツから連絡先教えてって言われたのが始まりだった。でも、アイツは俺を最初に見た時学生上がりでチャラついてて嫌だったと言っていたけど
店で話すことはあまりなくて、まあキッチンとホールだったからっていうのもあるけど、だけどそのかわりメールとか電話で当時アイツが別れたばっかの元カレの相談をずっと受けてた、未練とかそういうの。その理由で居酒屋に行ったりしていた、すごく若かったからチェーン店ばっかり。それが何ヵ月か続いた
その頃から二人でいることに違和感はなくて、でもそれにまだ気づいていなくて、ある日カラオケでキスした。躊躇していたのはまだ好きとかそういう感覚がなかったからで、でも
するんやったらしーや、ってアイツのなんていうかそういう、、力強さみたいなものが、なんとなく
好きだった

 付き合ってすぐアイツは店を辞めた。理由がなんだったかは覚えてないけど、アイツは店を辞めた。別にだからなんだっていうことは何一つないんだけど、たまに店には来ていたし、俺が働いてる時とか、働いていない時とか、二人で行った時もあって、アボカドのサラダが二人とも好きだったのを覚えている。小さな二人がけのテーブルに向かい合って、お互いまだ知らないことが多くて、小さなテーブルでは窮屈な好きという感情で溢れているような。
その頃アイツはまだお酒が飲めなくてコーヒーを飲んでいた、俺もワインなんか飲めなくてビールしか飲まなかった。外国のビールだったから口に合わなくて、でもそんなことどうでもよかった

 付き合って一年ぐらいが経って、アイツがフランスに旅行に行く時があった。アイツのオカンと二人で、一週間ぐらい
その前日にスターバックスに閉店まで二人でいた、最後の客になるまで、定員に声をかけられるまで。前日にいきなり慌てだして。わからなかったから、知らなかったから、アイツが遠くに行くことがそんなにも。
心臓がしんどくて、ちゃんとしっかりとアイツにつかまれていることがわかるくらい、はっきりと苦しくて
周りにこの感情を吐露すれば笑われるだろうけど、当時は本当にそうだった。この頃からアイツの握力は本当に長い年月をともにできるぐらい、心臓に後を残すぐらい強くて、手を放されていてもまだ握りしめられていると勘違いするぐらいマヒしていて、誰かといること、ってこんなにも自分をうろたえさせるんだと初めて知らされた。アイツがフランスにいる時も国際電話を毎日した。もう会えないじゃないかとすら思っていた、どうかしてるなって、今なら思えるけど
なにも立派ではないごく普通の俺の感情、それを知ってるのはアイツだけだろうな

 アイツが宇治川の花火大会に行きたいと言ったことがあった。人ごみが苦手な俺は全く乗り気じゃなかったけど、アイツが人生最後でいいからって言うから、行ったんだ
カラン、と下駄の音がして初めて見るアイツの浴衣姿。アイツのオカンが着付けの仕事もしてるらしくて、ちゃんと浴衣を着ていない子が多いとかなんとかよくわからない話を聞かされた。
カップルが多くて、宇治線は人で溢れていた。だから嫌だったんだよって顔をずっとしてたと思う。それでも満員電車に押し込まれて、こんな思いをしてまで祭りって行く価値あんのかよって思った。案の定しんどくなって、それを察したアイツが途中の駅で
降りよう、って言った
人の力で押し出された駅には俺ら以外誰もいなくて、こんなにも呼吸しやすいのかとその時思った。
ホームから見える祭りがやってる方向とその距離、人もほとんどどいなくて周辺に住んでる人がたまに外に出てるぐらいで、アイツの下駄の音がよく響いて並んで歩く、この方が二人には合ってると思った。
しばらく歩いてもまだ着かない、しまいには花火が遠くで打ち上がって、立ち止まってずっとそれを見ていた

 一度だけ、アイツとUSJに行ったことがあった。どうしても行きたい、人生最後でいいからって言われて、人混みが嫌だから絶対空いてそうな平日ならいいよと言った。当時アイツは学生で俺は相変わらずバイトだったからそれをするのは容易だった。当時の俺たちは人が騒がない日に行動することが多かったと思う。なににも紛れたくない、なんて格好つけすぎだけど、なにかが介入すると簡単に崩れてしまいそうな、そんな二人だったと振り返れば、そう思う
USJに行く少し前にアイツが京都でコートを買った。黒の、触れば硬いけど柔らかそうなワッフル生地の少しサイズの大きい。だけどそれがすごく似合っていて、普段はほとんど良いと言わない俺が速攻で良いと言った。それを察知してアイツはそのコートを即買いした。そのコートをUSJに来てきたってわけ、もちろん物凄く似合っているけども、USJでそれを着たかっただけなんじゃないかって思ってしまう。
アイツが成人式の日に配られたインスタントカメラを持って来ていて、今日はこれ全部撮ろうと言った。
ゲームコーナーみたいなのがあって、少し離れたとこにある回るテーブルに空いてある小さな窪みにボールが入ればぬいぐるみが貰えるらしくて。やってみたらめちゃくちゃ難しくて、周りでやっている人たちも苦戦していた。ただ、なんとなく自分は一回やった時に、これいけるかもしれないという漠然とした感触があった。アイツはたぶんぬいぐるみなんていらない、そんなタイプじゃないしどちらかというと荷物になると思うほうだ。それはわかっていたけど、自分を試したかった、案の定、得たいのしれない自信は本物で二回目の挑戦でボールが窪みに入った。定員さんが興奮してハンドベルを鳴らして、周りの人たちも驚いていた。アイツの顔を見た瞬間、回るテーブルがメリーゴーランドみたいに、辺りの景色を回転させて、歪んで引き伸ばされてピントの合わなくなった世界にくっきりと、晴れやかにアイツが微笑んでいた。
定員さんに好きなぬいぐるみ一つ選んでくださいと言われてアイツはセサミストリートの青いキャラクターを選んだ。それからいろんなエリアを周っているうちにいつの間にかそれをアイツが黒のコートの脇に挟んでセカンドバッグみたいに持つからそれがおかしくて思わず写真を撮った
後日しばらく経ってから一度だけ行ったアイツの家に、たまたま親が旅行でいなかった日に、初めて見たアイツの飾りっ気のない部屋の白のベッドにそのぬいぐるみが置かれてあった。飾られているというよりは、まるで寝てるみたいに

 アイツのお腹の中に生命が宿った、短い期間があった。それを初めて聞かされたのが天気の良い、晴れた日の、車の中。駅に向かういつもの細い急な坂道をアイツがゆっくりと運転するそのスピードに添えるみたいに、言った。少し戸惑ったのは俺のほうで、アイツの表情はなんていうか、乾いてた。不安そうだったけどそれはたぶん自分が女なんだってことに対してで、俺らの未来とかそういうのじゃない。産まない、って選択ではなにも揺るがない二人を二人は感じていたと思う、あの頃。付き合って三年ぐらいだったかな、アイツは学生で、なのに、いやだからか、俺が言ったのは「お前が産みたいなら産めばいい、お前の身体なんやから」って
アイツは俺がそう言うのわかってたみたいに、頷いた。
車で行けばいいのに何故か歩いて行った、産婦人科まで。遅くまでやってる病院で夜の八時ぐらいに行った。知らない夜の住宅地を二人で歩いて、どこの誰だか知らない家の明かりを見ながら、それがなんだか嫌味に感じて、試されてるみたいで、それでも二人は手を繋いでいた。まるで手を離すことを知らないみたいに
病院の先生はおめでとうと言った。おじいさんだった。君たちみたいなのもう何万人と見てきたよ、って言ってるような鋭い目をしていた。ドラマとか映画で観た感じとは違った、とても命を扱っているような感覚はなかった、自分に。アイツは淡々と手術の日程とその日のことを先生と話していた。手術の日は一人で行くからってアイツは俺に言った。
どんだけ強いんだよ、ごめんな、俺はもう二度とここには来たくないよ

泣いてほしかった、どこでもいいから、いつでもいいから

 あの日、鴨川の橋の上でアイツは言ったんだ。

明日、横浜に帰るね

鴨川に吹く強い風がアイツが脱いで俺に渡そうとするカーディガンを旗みたいに揺らして、酔いが冷めてたまるかと俺は目を細めて笑ったんだ


 それから少しして、相変わらずたこ焼き屋で働いた後パチンコに行く生活が元に戻っていて。ふと気がついて向かいのスーパーに射す夕日がそうだったら、アイツがまた現れるんじゃないかって思うことが、時々あった。

おつかれ、あのさお前もいい歳になってきたしこの店お前がやってみれば?たこ焼き焼くのうまいし

って、交代のタイミングで店長にそう言われた。そういや東京の副社長も店潰してたしやっぱ店やっていくのって難しいのかな、って思った。
考えときます、って言ってタイムカード切ってパチ屋に向かった
もう、すぐ馴れた地元の街、アイツがいないだけ
自動ドアが開いて爆音の中になだれ込む、うろうろしてデータを見ながら今日打つ台を見つけて、座って、千円札が無表情に札入れ機に吸い込まれて、ハンドルを握った時に携帯が震えた、アイツからだった。パチンコ玉がパラパラと音を立てるのをほったらかして急いで店の外に出て電話にでた。
「私、結婚するからあんたの連絡先全部消すしあんたも消して私の、じゃあ元気でね、あんたは大丈夫」
そう一方的に言ってアイツは電話を切った
一瞬茫然とした、でも揺れてたまるかって、すぐ爆音の中に戻った。
さっきの台に座って、ハンドルを回してすぐ魚群が通った、ボタンを押した、固かった
大当たりの音が鳴って、これでもかってくらいパチンコ玉が出てきた。
一瞬画面が暗くなって、反射して自分の顔がそこに映る

さようなら、あなた

さようなら、あなた

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-06-05

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