歪な愛

生まれてはじめて書いた恋愛小説。どうなんだろこれ……

第一章 坂木光一

「付き合ってください!」
 それは突然だった。でも、答えはすぐに決まった。
「……ああ」
そう答えるしかないじゃないか。だって、今は少しでも誰かに支えてほしいから。
別に恋愛感情があるわけじゃない。というより、実はまだ前の彼女のことを引きずっている。いや、厳密には元カノのことだけじゃなくて、それとほぼ同時期に失ったもの、それのことも引きずっている。

「坂木ぃ!どういうことなんだこれはぁっ!」ゴツイ面のおっさん(上司)がぎゃあぎゃあ喚く。それに脊髄反射で「はぁ、すみません……」と返す。すると当然ながらまたまた喚く。そしてまた脊髄反射、後はそれをループするだけ。まるで社会不適合者のような所業だ(実際そうなのかもしれないが……)。
なぜこのような目に合っているのか。上司に怒られることなどサラリーマンにとっては日常茶飯事(偏見あり)。でも、今回はそれらとは一線を画している。
ウチの会社が主催するとあるパーティを取り仕切るというたいそう重要な役目を押し付け――もとい、いただいた。で、失態を晒した。まず、ゲストとして来ていた爺(超大物)のスーツにワインをこぼす。次に、それについて何の謝罪もせずに逃亡。そして今に至る、と。うむ、改めて思い返してみると怒られて当然だね!HAHAHA!笑い事じゃねーよ。
「人の話を聞いとるのか貴様はッ!」このオヤジは語尾にビックリマークを付けないと喋れないのだろうか……。
「はい、なんでしょうか」
「まさか本当に何も聞いていなかったのか貴様は!。まぁいい、いやよくはないが、とにかくもう一度言ってやろう!ク・ビ・だ!」
「へ……?」クビって言うとあの『うん、君ねもう明日からこなくていいよ』や、リスでトラなあれのこと?
「ええと、いったいなぜ……?」
「何故じゃないだろうが何故じゃ!」あー、また唾が飛んだ……。
「あの、すいませんがクリーニング代貰えないでしょうか?この服、とあるオッサンの唾がものすごくたくさんかかってて、正直着るに耐えないんです」
「その『オッサン』というのは誰のことだァ!もういい、出て行け!二度とここには来てくれるな!」会社から追い出された。
 結局、クリーニング代は貰えませんでした……。


帰宅したら、カノジョ(ナウなヤング風の発音)がものすごい形相で睨んできた。
「どうしたんだい、生理?」
「死ねっ!」ズゴッ!鳩尾を蹴られました……。
 どうやら先ほど家に会社から電話がかかってきて、俺が解雇されたことを聞いたらしい。で、俺を蹴ったあと、さんざんヒスってから、もう一切の縁を切るといって出ていった。ちなみに最後のセリフはこれだ。「高給取りだっていうから汚い粗チンも受け入れてやってたのにリストラされるとかマジ意味不!もう死ねよ!」自慢じゃないがあの会社は一流企業だった。あ、金目当ての交際だったんだ……。

 悪いことは続くっていうのはどうやら本当のことだったみたいだ。失業、失恋、じゃあ次に来るのは……?

 別になんて事のないように振舞っていたが、実は結構焦ってて、今にも叫びだしたくて仕方がなかった。でも、それだけはしない。
 学生時代、周りにいる連中をずっと見下してた。阿呆のように叫んで、まるで動物ではないかと。だから、たとえこんな状況だとしても、もし叫びだしてしまったら、俺は自分をその時の連中と同じ、すなわち動物と評価することになる。動物ごときと一緒にされるのはごめんだ。人間は理性を持った生き物だ。そして、俺はそれを人一倍持っていると自負している(実際のところはどうだか知らないが)。
 そんな俺だから、どれだけストレスが溜まっても楽に発散することは出来なかった。

 彼女、鈴本美樹が俺に告白してきたのはちょうどそんな時。まるで、俺が失意のどん底にあるのは見透かしていたと勘ぐりたくなるほどのグッドタイミングだった。
 つまり、俺は、女と別れた日に、別の女と付き合い始めたというわけだ。モテる男ってスゴイね!ゴイスーだね!

 あれから、毎日が楽しくて仕方ない。彼女は、傷心な俺を必死になって癒してくれた。とても気が利くし、どうして俺なんかに告白してくれたのかがわからない。
 でも、なぜだろう。どうしても違和感が拭えなかった。


 そして一年が経ち、ようやく就職した。久しぶりに働くのはなんだか妙な感じがした。
「あれ、坂木じゃねーか!おいおい、お前もここ来たのかよ。あそこはどうしたんだ?やっぱ首切られた?」会社に着くと、いきなり、やかましいけれどなんだか懐かしい声が聞こえた。
「渡部……か?ここってお前が勤めてる会社だったのか……」
渡井は、学生時代の唯一無二の親友。どうも集団でいるのがなれなくて、ずっと一人でいたら話しかけてきた。なかなかに面白いやつで、気づいたらよく話すようになっていた。就職するとともに、自然と会うこともなくなり、連絡すら取っていなかったのだが、まさかこんな場所で出会うとは……。
渡部のお陰で、この会社に慣れていくことができた。
そんなある日、男同士が集まったら自然と出てくる話題、すなわち女の話をした。そのとき、渡部は予想だにしない反応をした。
「鈴本美樹って、おいおい、嘘だろ……?」
「彼女がどうかしたのか?」
「ああ、そうか。お前学生時代俺以外のやつとは全く話すこともなかったから知らないのか……。あの女は俺らと同じガッコ出身なんだよ」
「え……?でも、そんなこと、ただの一度も……」
 確かに、よく考えたら彼女は妙な点が幾つかあった。まず、なぜ俺に告白してきたか、だ。顔が好みだったから?自分で言うのもなんだが、俺の顔はそんな大層なものじゃない。じゃあ金目当て?リストラされた男相手に?ありえない……。
「本当に知らなかったのかよ……」
「彼女のこと、詳しく教えてくれないか……」


「あら、おかえりなさい。御夕飯の用意できてますよ」帰宅すると、すぐに彼女がよってきた。そんな彼女に、俺は……
「なぁ、ひとつ訊きたいことがあるんだ」今から、最低な行為をする。
「なんですか?」
「今まで、何十人の男と寝たんだ?」


「そん……な……!」
「本当だよ。あの女は金稼ぎのために何人もの男と寝てた。風俗行くよりも安い値段だったらしくて、教師連中も何人かやってたらしい。まぁ、俺は処女信仰者だから、そんなビッチと寝るなんて死んでもごめんだが……あっ、すまん!」
「あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁああああ……!!」


「ッ…………」
「どうしたんだよ、早く答えてくれよ。あとさ、今まで何度も何度も繰り返してきた質問をもう一度するよ。俺のこと、愛してる?」
「……はい」
「え……?」今、なんていったんだこの女は……。ふざけるなよ……。
「愛しています」
「きっ……!!」俺は掴みかかっていた。許せないのだ。処女じゃないのはもちろん知っていた。でも、援交してるだなんて、そんなことは知らなかった。許せない……。
「なんどでも言います!あなたのことを愛しています!」
「うわぁぁあああああああああああああああああ!」殴った。何度も何度も殴った。口の端から血が溢れ、床に染みを作っている。でも、そんなこと、今はどうだっていい。ただ、殴るだけ……。

「はぁはぁはぁは……」
「あ……い……し……て……る……」かすれかすれの声がまだ聞こえる。
「もう、やめてくれよ、お願いだ……!」
「す……み……ませ……ん……。で……も、あ……い……し……て……る……」
「うぅぅぅぅぅ……今日はマンガ喫茶あたりで寝てくる。明日、もう少し冷静になってから帰ってくるから、そのときにもう一度話をしよう……」俺は彼女が、鈴本美樹が怖くて怖くてどうしようもなかった。だから、こうやって言って逃げるので精一杯だった。

 あの女は何なんだ……。どう考えたって正気じゃない。たとえほんとうに愛してたとしても、あんなに何度も何度も殴られて、それでもまだ愛してるって言い続けるなんて、俺には真似できないし、したくもない。それなのに、いったい……
「坂木光一だな?」
「へ?」
「警察だ、傷害罪で貴様を逮捕する」
どういうことなんだよ……。

 鈴本美樹が、あの後警察に通報した。そう考えるのが正しいだろう。やはり嘘だったか。いったい、何が目的だったんだよ、あの女は……。

第二章 鈴本美樹

 好きな人ができた。その人とはなにか特別な交流があったわけではない。一目見て、ああ、この人だってそう思っただけのこと。でも、私はその恋を成就させることはできない。だって、私は汚れた女だから―――。

 私の家は、ひどい貧乏だった。なのに、私を大学に入れたすぐ後、父がリストラされた。だから、大学を中退しなければならなくなった。でも、それだけは嫌だった。だから、バイトをしようと思った。でも、私はあまり頭がよくないので、たくさんの勉強時間をとらなければならない。だから、バイトでお金を稼ぐのは無理だった。
 そんな時、ニュースで、発展途上国での児童売春が問題となっていると知った。これだと思った。
私は、それまで処女だった。でも、短い時間の間で多くの男性と関係を持った。つらかった……。もうこんなことはやめて、大学を中退しようとか、こんなつらい目に会うのは親のせいだ、だから許せないとか、そんなことを何度も思った。大学を卒業しなければまともな職につくことは難しいだろうから、中退はできない。リストラだって、不景気なのだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。どうしようもないから、ただただ耐えるしかなかった。
 そんなとき、彼に出会った。名は、坂木光一といった。すごいイケメンだったわけではない。でも、彼の何かに惹かれた。告白しようか、と思ったこともあった。でも、私が援交しているというのは、既に噂になっていたので、当然彼も知っているだろう。そんな女と付き合ってくれるはずがない。そう考えて告白を躊躇い、自宅で自慰行為に耽っていた。

 つらい日々を乗り越え、大学を卒業し、就職して一生懸命働いていたある日。彼が同じ大学の女生徒と付き合い始めたことを知った。しばらくの間何も考えることができなくなっていた。それだけ、その出来事は私にとってショックだったのである。

 どんなつらい記憶も、時が経てば色褪せる。実際私もその通りで、無我夢中で働くうちに、彼のことは忘れていった。
 なのに、神はまた私をいじめる。

 彼はリストラされ、そして彼女とも別れたということを知った。前半の内容はともかく、後半の内容は私を喚起させるには十分すぎるものだった。今度こそ告白しようと、そう決心した。
 告白は、無事成功した。どうやら彼は私の大学時代について知らなかったようだ。それはとても幸運なことだ。だって、知っていたとしたらきっと彼は私を拒絶したと思うから。

 それから、一年間とても幸せに暮らした。私が処女でないと知った時の彼の顔は未だ忘れられない。だから、彼は私のやったことを知ったら私を捨てるだろうという悩みは一向に消えてくれなかった。

 そしてついに、バレた。
 私は、彼を本当に愛していた。だから、何度殴られても愛を囁き続けた。そんな私を気味悪がって、彼は出て行ってしまった。だから、追いかけた。痣だらけの顔で―――。

 彼は、逮捕されてしまった。
 経緯はこうだ。私が彼を追いかけて家を出たら、すぐに倒れて気を失ってしまったらしい。実は家の扉を開けっ放しで、彼に殴られていたので、その瞬間を見ていたおばさんがその時に警察に通報したそうだ。

 私は嘆いた。一体何が悪かったのだろうか。彼?いや、それは違う。そんなわけがない。じゃあ、私?そのとおり、悪いのは私だ。私なんかが生きていたせいで彼の人生を壊してしまった。こんな私に生きている資格なんてない。死のう――。

 私は、自殺を決心した。

第三章 渡部秀介

 坂木が捕まったというのは、やはりショッキングな出来事だった。なんせ、彼がそのような行為に出てしまった原因は自分の発言にあるのだから。
 彼はとりあえず、坂木の家に行ってみようと思った。そして、鈴本美樹がいたら少し話してみようとも思った。

 坂木の家はなぜか鍵がかかっていなかった。不審に思いつつも中に入ってみたら、そこには今にも首をつろうとしている女―鈴本美樹―がいた。彼は走った。自殺をしようとした動機なんてどうでもよくて、ただ人としての善意から自殺を止めなければならないと思った。

 鈴本美樹は思いの外抵抗したが、所詮女が男の力に敵うはずもなく、難なく自殺をやめさせることに成功した。そして、さっきは興味なんてないと思ったが、無事とわかると急に興味が湧いてきて、自殺の動機を訊いてみた。それは、彼の想像を絶するものだった。
 彼は、鈴本美樹は絶対に坂木のことを愛していないと決めてかかっていた。だから、彼女の本気の愛情を見せつけられて、少々どころか、かなり戸惑った。この事件は、なぜか大きなニュースとして取り上げられることはなかったので、詳しい事情を聞くのは初めてだったのだ。
 話を聞いて、やはり驚かずにはいられなかった。坂木の行動も、鈴本美樹の行動も、両方共彼の理解の範疇を超えていた。
 確かに、鈴本美樹が学生時代にやっていたことを知れば百年の恋も冷めるというものだろう。だが、処女信仰者の彼であっても、坂木の行動は理解するにはいささか難しかった。
 次に鈴本美樹の行動。こちらは坂木以上に理解できなかった。なぜ、そのようなひどい仕打ちをする男に対して、ずっと愛を囁き続けられるのだ。彼は、鈴本美樹に対して、恐れを感じずにはいられなかった。

 すべてを知った上で、彼は今自分に考えられる最良の行動を鈴本美樹に告げた。

「坂木に会いに行け」

第四章 淡い希望


「うん、頑張らないと!」
 鈴本美樹は、坂木光一がいる留置所に来ていた。彼と、愛する人ともう一度元の関係、いやそれ以上の関係になるために。

「では、今から十分間です」看守が僅かしかない時間を告げ、美樹の一世一代の大勝負が始まった。
「……」光一は突然美樹が現れたことに少なからず衝撃を受けていた。
「あの日も何度も答えたあなたの質問に、今、もう一度答えます」そんな光一に美樹は決定的な事実を告げた。
「あなたを、あ―――」
「やめてくれ――」否、告げようとした。
「何も言わないで、もう帰ってくれ。そして、もう来ないでくれ・・・」光一はそう言って戻っていってしまった。
「――また来ます」でも、そんなことは予測の範囲内のことだった。それどころか、今までのことを全て忘れたかのように接してきたら渡部と交わした約束も全て反故にしようとさえ思っていた。こんな状況でも、美樹はまた一段と光一のことが好きになってしまっていた。

「あなたを、―――」
「やめてくれって、何度もいってるだろ!いい加減にしてくれよ……」
 あれから、美樹は何度も光一の元を訪れていた。そして、その度に最初の時と同じ事を繰り返す。でも、美樹は光一に会えていた。それは、光一が美樹を拒絶していないということで、だから美樹は何度も何度も愛しい人の元を訪れる。
「俺には、俺みたいな最低な男は君にそんなことを言われる資格なんてないんだ……!」
「そんなことは絶対ない!私は、あなただからこそ、この言葉を告げるんです!」
「嘘だ!誰にでも股を開くような女がそんなことを言ったって、信じられるわけがないだろう!?」
「確かにそうかもしれない!過去にやったことはもうなかったことにすることはできないから、私は一生その出来事を引きずっていかなければならない!そんなことは、あなたにいわれなくても、自分自身が一番良くわかっています!だって、それを一番後悔しているのは私自身だから!例え、それをしなければ大学を中退することになって、就職に不利になったとしても、大好きな人に、あなたに愛されるためだったら、我慢できた!でも、もう遅かったから……。私があなたに初めて出会ったのは、もうそれを始めてから随分経ったことだった。その時には既に噂が立っていた。だから、あなたも私のことを知っていると思っていた。だから、諦めようとした。でも、あなたが私以外の女性と付き合っていると知った時、悔しくて、悲しくて、涙があふれた。もし、またチャンスが訪れるなら、今度は絶対後悔しないようにしたいって、そう思った。だから、あなたがその女性と別れたと知った時、今がそのチャンスだって思った。だから、告白した!そしたら、あなたは私の大学時代のことを知らなかった。だから、黙っていた。あなたに隠し事をするのは気分が悪かったけれど、あなたに愛されていたかったから……!」
「ぁぁぁぁ…………、み、き―――」光一がかすれかすれの声で、美樹の名前を呼んだ。
「時間です」でも、もう制限時間だった。

 前回、美樹は自分の気持を全て光一にぶつけた。だから、彼女はつい気まずくて、行きづらくなっていた。だから、普段よりも一週間くらい遅く光一の元を訪れた。すると――
「……どうしてだよ」
「え?」
「どうして、いつもよりも間隔が長かったんだよ。もう、来てくれないんじゃないかって、そう思ったら突然感情が抑えられなくなって……!」
「……!」
「あ……ご、ごめん、忘れてくれ……」
「今日は、いいえ今日もですね。あなたに伝えたい事があります。今まで伝えてきたことも、全て重要ではあります。けれど、今から伝えようとしていることは今までとは重要度が違います」
「……」
「私と、結婚してください―――」

「プロポーズ?」
「ああ、そうだ。プロポーズだ。君がまだ彼を、坂木を愛していて、またあいつと一緒になりたいと思うのなら、それしか方法はない。あいつはきっと、出てきてから、自暴自棄になる。だから、同僚として、友として、親友として、あいつの世話をしてくれる人ってのはさ、とてもありがたいんだよ。だから、俺は君を利用する。親友のためなんだから、俺とは無関係な女のことなんて考えられないし、考えるつもりもない。」
「……」
「もし君が、この提案にのってくれるなら、俺は全力で君をサポートする。絶対に坂木を、そして君も幸せにしてみせる。で、どうする?」
「そんなのは、決まってます……」


「ど、どういうことだよ美樹?なんで突然……。どうしてこんな所にいる奴にそんなことを言うんだよ……。愛してるだけなら良かった。でも、それは言っちゃ駄目だ。よく考えてみろよ。俺はここを出ても前科持ちだ。まともな職になんてつけるわけがない。結局、俺は美樹に頼りきりになるんだぞ?そんなのは、ありえない……!」
「あなたがどう思うかなんて知りません。ただ、私は自分の気持ちを、そして願いをいっただけですから。この願いを叶えてくれるかどうかは、あなたが決めること。どちらを選択しても、責めるつもりはありません。でも、一つだけ言わせてください。私に頼りきりになる?それがなんだっていうんですか!そんなつまらないプライドを持って、そんなつまらない意地を張ってどうするっていうんですか!……今日は帰ります」そう言って美樹は去っていった。
「……どうすればいいんだよ、俺は……」

 ついに、光一の出所する日がやってきた。あれから、光一のもとに美樹は一度も現れていない。やはり、あんなこと言って後悔しているのかなとか、期待だけ持たせて逃げるなんてひどいとか、そんなことを彼は思っていた。だから、当然迎えに来る人なんているわけがなくて――
「あ……」
「光一、さん……」
「美樹っ!」光一は美樹を抱きしめていた。彼女を見た瞬間、今まで抑えていた感情が溢れ出してしまっていた。
「美樹が来てくれなくて、とても寂しかった……。俺が馬鹿だったよ。あんなことをしたのにまだ愛してくれような人は、美樹以外にはいない。いるわけがない!そんな、優しい君に、これ以上迷惑を掛けたくなかった……。だから、あの時のプロポーズはきっと夢だったんだって、自分を騙そうとしてきた。でも、そんなものは君を一目見た瞬間に、まったく意味をなさなくなってて……。だから、だから……!」自分の心をすべて打ち明けるかのように、言葉を紡ぐ。
「……」
「でも、まだあのプロポーズに応じる訳にはいかない……。それだけは譲れない。だから、身勝手だってのは百も承知だけど、また、一からやり直したい。そして、今度こそお互い余計な隠し事なんてなしで、周りから見たら大したことないような出来事に二人一緒に一喜一憂したり、そんな彼氏彼女の状態からやり直したい……。このまま結婚までいってしまったら、俺は彼氏の状態を今までの最低野郎で終わらせることになる。そんな最低野郎は、君と結婚する資格なんてないんだ。だから、どんどん改善して行って、せめて人並みの彼氏になってから、そしたら俺からプロポーズするよ。だから――」
「ごめんなさい。あの時の言葉は全て撤回します」
「え……?」
「余計な希望を持たせてしまったのだとしたら、本当に申し訳ありませんでした」
「え、え?いったいどういう――」
「今、お付き合いしている方がいるんです」
「なっ――!?そ、それは、いったいだ、れ――」
たぶん一番の友達といえて、こんなところでは一番聞きたくなかった、そんな名前が聞こえた。

「渡部秀介さんです」

第五章 親友

 何もする気にならない。告白に応えようとしたら、壮絶に地獄に堕とされたあの日から既に何日か経過している。俺は、今駅前の道端にビニールシートを敷いて暮らしている。もう俺は、誰も信用する気にならない。そんな俺の状態があまりにも痛々しかったのか、ホームレス仲間は意外と親切に接してくれた。でも、それも素直に喜べない。だから、受けている恩にも仇で返してしまっている。このままではいつか皆、俺に愛想をつかしてしまうことはわかっている。でも、どうすることもできない。だって、もう俺は裏切られる悲しさを知ってしまっているから。信じてしまったら、裏切られた時の悲しみはそれに比例して増す。だから、誰も信じる訳にはいかない。悪循環……。いったい、どうすればいいんだよ……。

 毎日毎日惰性で過ごしていたら、ついに恐れていた事態が訪れた。見捨てられた……。どれだけ親切にしてやっても、全く良くなる気配がないんだから当然のことと言えた。
 そして、食事を探すことすら疲れ果てて、もうこのまま餓死の道を選ぼうと思っていたら、懐かしい顔を目にした。
「……」
「……」
「何のようだよ、渡部……」
「……」
「何とか言ったらどうなんだよ。何しに来たんだ?俺を嘲笑いにでも来たのか?それとも女を寝とったことに対する謝罪でもしに来たか?」
「……」
「なんとか言えって言ってんだよっ!」
「嘲笑うつもりも、謝罪するつもりもない。彼女は、キミと一緒にいたらいけない人間だ。だから、俺が君という疫病神から彼女を救ってやっただけのことだ」
「は、ははは……。なんだよお前、なんか口調変わってんじゃん……。俺に対してそんな口調で話すなんて変な感じだな……。もう俺みたいな乞食と馴れ馴れしくするつもりはないってか?」
「……好きなように解釈するといいさ」
「ギッ!どういうつもりなんだ……。嘲笑うんでも、謝罪でもないってんなら何のようなんだよ。まさか何の用もないのにこんな場所に来たなんてとは言わないよな」
「親友の顔を見に来たってのじゃ駄目かな?」
「ふざけんなっ!」渾身の力で渡部の顔面を殴った。でも、栄養不足な身体では大した力が出るわけもなくて――
「おいおい、いったい何が原因で逮捕されたのか忘れたのか?猿でも学習するというが、どうやら君はそれ未満のようだ」
だから、渡部はケロッとしている。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――」
それが悔しくて、でもどうしようもできなくて、だから負け犬の遠吠えを上げることしか俺にはできない。それがまた、悔しさを極限まで高めてくれて――

だから、俺は決意した。渡部を、この男を殺してやるって――
 でもまずはその前に、せめてもう一度だけ、美樹の顔が見たくなった。

 美樹に会うための方法は簡単だ。渡部の跡を付ければいい。あの男は美樹と付き合っているのだから、それが一番確実な手段だというのは当然のこと。だから、今にも暴れだしそうになる感情を必死に殺して、渡部の跡を付けた。そしたら、想像だにしていなかった出来事が起きた。
 渡部が、美樹に頬を叩かれた。
「どうして、ねぇどうして?なんで彼にあそこまでする必要があるの?あんなひどいことをいう必要なんてなかった!」美樹が渡部に、留置場での会話のときと同じくらいの剣幕で詰め寄っている。
「あるに決まっているだろう……。俺はあいつが許せない。君みたいないい子をあんなひどい目に合わせたような男は、絶対に許す訳にはいかない」
「そんなのおかしいよ……。全て、彼のためにしていてくれたことじゃなかったの……?」
「ああ、そういえばそう言って君に協力を頼んだったね。そんなの嘘に決まっているじゃないか。どうして、あんな犯罪者を救うだなんて考えなければならないんだ?あんなの女を手に入れるための方便に決まっているじゃないか。君は、俺の目論見通り、手のひらで踊っていただけなんだよ」
バシンッ!美樹が、再び渡部の頬を叩いた。
「あなたは、あなたは、最低です……。初めて会ったときは、尊敬すらしてました。でも、今は違う。彼を傷つけて、自分のことしか考えていないあなたのことは、軽蔑しています……。さようなら――。あっ……」
 美樹が俺に気づいた。でも、俺は何の反応を取ることができない。だって仕方ないじゃないか。今、いったい彼女たちが何をいっていたのか、未だに整理がついていないのだから。
 俺は逃げた。それが、今やることじゃないなんてのは分かりきっていたけれど、でも、この場にこれ以上居るわけにはいかなかったから――
「待ってください!」
でも、美樹が俺のそんな卑怯な逃げを阻んだ。
「……」
「待って、ください……。全部話しますから――」

 美樹の話はざっとこんなものだった。
 俺が逮捕された後、美樹は何もかもに絶望し、自殺しようとしていた。それを偶然訪れだ渡部が止めた。そして、その渡部が俺を救うためだといって、美樹にいろいろなことを吹き込んだ。
まず、俺の元を何度か訪れる。そして、しばらくしてからプロポーズする。で、それから出所するまでは会いに行かない。そして、出所したら、渡部と付き合っているからプロポーズは取り消したいと言う。それから、自分の犯した罪の重さを長い時間をかけて俺に思い知らせる。そこまでしなければ、俺と美樹の二人は幸せになれない、だそうだ。
「じゃあ、美樹はあれからもずっと俺のことを……」
「はい……。だから、もう一度言います。私と、けっ――」
「待った」
「え……?」
「前言ったこと忘れちゃったか?まだ俺は君と夫婦になる資格はない。だから、これからその資格を得るために彼氏彼女の状態からやりなおしたいって」
「あ……」
「俺と、もう一度付き合ってください!」
「はい!」そう答える美樹の笑顔は今までに見たこともないくらいに眩しかった。それは俺のせいでずっと辛い目にあってきたからなのだろう。だからこれからはそんなことがないように、精一杯彼女を愛していこうと決めた。

 こうして、俺と美樹は再び付き合うことになった。

「それでは、とりあえず私の家に行きましょうか」
「あ、ごめん。先に行ってて。ちょっとやり残したことがあるから、それを終えてから行くよ。場所は変わってない?」
「ええ、変わってません。じゃあ、先に帰ってます」

美樹が去ったのを確認してから、渡部に問いかけた。
「俺が聞いてるってわかってただろ?」
「……」
「黙っても無駄だ。もう確信してるから。それに、お前が美樹のことが本当に好きだってのもわかってる」
「ははは……。お前には、俺は何一つ勝てないんだな……」
「どうして、ここまでしてくれるんだ?わざと、嫌われるようなこと言って、美樹が俺の元へ戻って来やすいようにあんなこと言ったんだろ?」
「それを、俺に言わせるか……?」
「――悪い」
「いいさ……。幸せになってくれよ、『親友』」
「っ!!……ああ!」
 きっと、もう渡部と会うことはないだろう。でも、こいつのことは絶対に忘れない。俺の親友は、こいつ以外にはありえないのだから―――
「あ、忘れてた。これ、お前が明日から行く会社」
「え、これは……?あっ、あのときスーツにワイン掛けちゃった爺さんの会社!え、でもどうして……?」
「この人な、俺の叔父なんだよ。お前のこと『権力に屈しない素晴らしい若者』とかいってすごい評価しててな。ぜひ、来てほしいんだと。ヒモになるのはさすがにまずいだろ?まぁ、クビになった原因と、再就職の理由が一緒ってのはどうかとは思うが……」
「……。何から何まで済まないな……。本当に、感謝してもしきれないよ……」
「はは、いいって。ほら、あんまり遅くなるのは彼女に悪いだろ。早く行け!あばよ!」
「ああ、『またな』!」
 やっぱり、もう会えないなんて嫌だ。こんないい奴にもう二度と会えるわけがないなら、既に会って、親友になったヤツを手放していいはずがないんだ。
「……!ああ、『またな』」

エピローグ

 俺達が再び付き合い始めて、もう三年が経っていた。流石に二人共焦れてきて、去年のクリスマスにどちらからともなくプロポーズ。
 それから、一年と半年たった今日。ついに結婚式だった。

「今まで、いろいろあったよな」
「ふふふ、そのセリフ、いったい何回目?」
「え~。そんなに何回も言ってたか?むぅ……」
「ふふふ」
「……」
「……」
「幸せにするから」
「はい!」
「じゃあ、会場に行こうか。あんまり待たせるのもなんだしな」
「そうですね」

 本当にいろいろあった。
 彼女の両親は俺との結婚に反対した。そんなのは普通に考えれば当たり前。でも、二人して何度も何度も頼み込んでやっと了承を得られた。ご両親としても、俺みたいな前科者、それも、捕まった理由が『アレ』だなんて、見過ごせるはずがなかったんだろう。
 職場でも大変だった。社長があまりにも贔屓するものだから他の社員の嫉妬がスゴすぎてってことだけど。社長は俺の過去について、よく教えてはくれなかったが上手くやってくれたらしい。とてもじゃないがそれを聞く勇気は無いので理由は知らずじまい。取引先で、俺をクビにしてきたあの上司に会った時、媚び売ってきたのはかなり衝撃だった。
 大変なことももちろん多かったけれど、親切な方々のお陰で今日までやってこられた。
 でも、まだ渡部とは会っていない。やっぱり、ちょっと会いにくかったからだ。だけど、今日は会えるはず。招待状を送っておいたから。美樹にはまだ渡部のことは何もいっていなから驚くだろうけれど、  まぁそれはおいおい考えるとして……

 とにかく今は、この幸せな時を満喫しよう―――

歪な愛

これいつ書いたものだったかなー。自分の書いた作品を公開しようと思ったのはつい最近のことで、当時は誰にも見せるつもりはなかった。だから自分さえ満足できればそれでOK!って感じで書いてます。

歪な愛

すべてを失った青年、坂木光一は新しくできた彼女とともに幸せな日々を過ごしていた。けれど、その彼女にはある秘密があって――

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一章 坂木光一
  2. 第二章 鈴本美樹
  3. 第三章 渡部秀介
  4. 第四章 淡い希望
  5. 第五章 親友
  6. エピローグ