辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス(上)

かおるこ

  1. 登場人物
  2. プロローグ
  3. カッセル守備隊
  4. シュロス月光軍団
  5. 新任の指揮官
  6. 守備隊、戦場へ
  7. 置き去り部隊
  8. 切り札
  9. 勝利

 1450年頃の某大陸を舞台に、女性だけで構成される部隊、カッセル守備隊とシュロス月光軍団の物語です。
 ルーラント公国カッセル守備隊に集められたのは、左遷された副隊長補佐、正体不明の指揮官、さらに問題だらけの部下たち。これに対するバロンギア帝国シュロス月光軍団は来訪する王宮の親衛隊との間に確執を抱えています。そして、ついに両者は戦場で激突します。

 おおよそ80000字、原稿用紙で200枚くらいの長さがあります。 ごゆっくりどうぞ。
 誤字脱字、文章の乱れをお許しください。公開後に随時、増補加筆、あるいは、誤字脱字、文法の誤りなどを修正しております。

登場人物

 作品の概要と登場人物

 1450年頃の某大陸を舞台に、女性だけで構成される部隊、カッセル守備隊とシュロス月光軍団の物語です。
 カッセル守備隊に集められたのは、左遷された副隊長補佐、正体不明の指揮官、問題だらけの部下たち。シュロス月光軍団は来訪する王宮の親衛隊との間に確執を抱えています。そして、ついに決戦の時が・・・
 この物語は架空の話であり、登場人物や設定は、実在の方々、事物とは一切関係がありません。

 
 『辺境の物語』第一巻 カッセルとシュロス(上)

   登場人物

 ルーラント公国 カッセル守備隊

 チサト カッセル守備隊隊長
 エリカ 副隊長  ロッティー(シャルロッテ)、ユキ 隊員

 アリス 副隊長補佐  ナナミ 新任の指揮官
 アリスの部隊の隊員  ホノカ、アカリ、リーナ、レイチェル、マーゴット、アヤネ
 マリア お嬢様隊員  アンナ お嬢様のお付き
 カエデ 輸送部隊隊長 ミカエラ 事務官  エリオット メイド長


 バロンギア帝国 シュロス月光軍団

 ケイコ シュロス月光軍団隊長  サトミ 参謀
 リサ  副隊長 文官  ミレイ 副隊長 
 ジュリナ 部隊長 レン セイカ、隊員  カンナ 魔法使い
 ユウコ 副隊長  ミキ ユウコの部下  ミカ、マギー、ヒカル 隊員
 スミレ 東部州都軍務部  ミユウ 東部州都軍務部所属

 バロンギア帝国 ローズ騎士団
 クレイジング・ローズ 団長   ビビアン・ローラ   副団長
 
 サヤカ 地下帝国の住人
 

プロローグ


 木の幹に突き刺さった矢がビンビンと揺れる。レイチェルが振り向くと女が弓を構えていた。
「今度は脅しじゃないわ」
 国境付近までたどり着いたところで道に迷ってしまった。入り込んだ森の中で山賊たちに襲われた。山賊は七、八人、首領は女だった。
「どこへ行く」
「ルーラント公国のカッセル城砦です。でも、ちょっと道を間違えたみたい」
「カッセル、あんなところは何もないわ」
「そうですか。カッセル守備隊に行くんだけどダマされたのかな、温泉があって、のんびりできると言われたんだけど」
「残念だな、温泉があるのはチュレスタの町だ。お前、城砦のメイドにでも雇われたのか」
「カッセル守備隊の隊員に採用されました」
「兵士か、ならば容赦はしない。ここで射殺すまでだ・・・その前に名前を聞いておこう」
「レイチェル」
「ミッシェルだ。この辺りを取り仕切っている」
 山賊の首領ミッシェルが手を上げて合図した。
「こんな小娘を兵隊にするとは、カッセルの砦はよほど人が足りてねえんだな。おかげでこっちは仕事がしやすいってもんだ」
 モジャモジャした髭面の山賊が言った。
「みなさんの仕事って、山賊屋さんですよね」
「そうだとも、分かってりゃ話は早い。さっさと金を出せ」
「お金ですか」
「金を奪ったら、温泉宿のメイドに売り飛ばしてやろう。チュレスタの温泉宿では人手を探してたぜ。何でも近々お偉いさんが来るんだとか」
「メイドがいいか、それとも、ここで死にたいか」
「どっちもお断り」
「いい度胸だ、殺すには惜しい・・・」
 ミッシェルが撃てと命じた。
 ビュッ 
 レイチェルめがけて矢が飛んだ。
 しかし、山賊の放った矢は当たらなかった。レイチェルが飛んできた矢を素手で掴んだのだ。
「ほう、やるね、レイチェル。矢を受け止めるとは驚いた」
「返すよ」
 レイチェルは何事もなかったように矢を投げ返した。
「こんな奴は初めてだ・・・いいだろう、見逃してやるとするか。せいぜい守備隊で頑張るがいい」
「ありがとうございます。言われなくてもとっとと逃げたい気分で胸がいっぱいです。その前に」
 レイチェルは背負っていた背嚢から布袋を取り出すと、
「取っておきなはれ、山賊屋さん」
 そう言ってモジャモジャ髭の男に向かってポンと投げた。袋を拾った山賊が中を開けてビックリした。
「金だ」
「最初からお金が目当てだったんでござんすね。遠慮はせんといて」
 ござんすね、せんといて、レイチェルの言い方がおかしいので山賊の間から笑いが漏れた。
「お前のしゃべり方は変だぞ。かわいそうに、頭の打ちどころが悪かったようだな」
「頭なんか打ってないっしょ。緊張してますんねん」
 レイチェルは身体に備わった特殊な能力を使うと副作用が現れる。意味不明な言葉を口走ったりするのだ。飛んできた矢を掴んだことでその症状が出てしまった。
「タダで貰うというのは山賊の名が廃るっていうもんだ。少し返す」
 首領のミッシェルが銀貨を数枚投げ返した。

「ところで山賊屋さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
 レイチェルは銀貨を拾ってポケットに押し込んだ。
「これからはルーラント公国ではなく、お隣のバロンギア帝国の領内で山賊稼業をやってくれませんか。守備隊に勤務するので、カッセル宛ての荷物を奪われると困るんです」
「よし、いいだろう。せいぜいバロンギアの隊商を狙うとしよう」
 モジャモジャ髭の山賊が請け合ってくれた。
「ところで、お姉ちゃんに相談だが、あんたは兵隊よりも山賊に向いていると思うんだが」
「はあ、山賊に向いてるって、それは気のせいです、たぶん」
「山賊は気楽でいいぞ。いっそのこと俺の嫁にならないか」
「ギクリ」
「こりゃあいい、おめでたい話だ」
 ミッシェルが笑った。
「ヤバい」
 山賊が迫ってきた。これから兵士になろうというのに、こんな荒くれ者の嫁にされてはかなわない。レイチェルは一目散に駆け出した。
「助けてー」

 その夜レイチェルは崖の中腹に洞窟を見つけて眠った。洞窟の奥には泉が湧き出ていて、キラキラ光る赤や青の石が沈んでいた。 
 ところが・・・泉の側で寝たのだが、翌朝、目覚めると崖の下に落ちていた。
 あくびをしながら崖を見上げたが、昨夜はあったはずの洞窟の入り口がなくなっていた。
「あれ、夢かな・・・!」
 夢ではなかった。レイチェルの胸元に赤と青の石のペンダントが下がっていたのだ。
 それは洞窟の泉に沈んでいたキラキラ光る石だった。

カッセル守備隊

 Q・X歴、1450年頃のことである。某大陸の中央にはバロンギア帝国が君臨していた。
 バロンギア帝国は周辺の国々との国境を広げ、さらに版図を拡大しようとしていた。西方の蛮族を平定し、北に位置する共和国の勢力を押さえ込んでいた。
 東の国境はルーラント公国と接している。ここではバロンギア帝国の東部辺境州シュロス地方と、ルーラント公国の辺境カッセルとが対峙していた。両国は長年にわたり、近接するロムスタン州、およびチュレスタの帰属を巡って争いが絶えなかった。
 ルーラント公国はバロンギア帝国に比べてはるかに劣る小国だった。そのため、国境には土塁を築き、砦を建てて防御に努めているのだった。

 これは国境を隔てて向かい合う二つの勢力、カッセル守備隊とシュロス月光軍団の物語である。

 バロンギア帝国の東部辺境州に属するシュロスの城砦には、女性だけで構成されるシュロス月光軍団があった。隊長のケイコ、参謀のサトミ、副隊長のミレイ、騎士と歩兵を合わせて300人ほどの勢力だった。
 ルーラント公国の西の辺境、カッセルの城砦にはカッセル守備隊がある。こちらも女性だけの部隊である。しかし、除隊者が相次いで部隊は衰退の一途をたどり、隊長のチサト、副隊長のエリカ以外には司令官や作戦担当者がいないありさまだった。

   〇 〇 〇

 山賊から逃れたレイチェルは二日間歩いてカッセルに到着した。

 国境からここまで二重の土塁を越えてきた。さすがは辺境の最前線だけのことはある。
 カッセルの城砦は高い城壁に囲まれていた。壁の前には敵の進入を防ぐ木柵、空堀が設けられている。二基の塔を備えた立派な城門が見えた。町の住民か、あるいは商人らしき人々が行き交っている。警備する兵士の姿もあった。この城砦で働くのかと思うと胸が高まった。

 州都でおこなわれた入隊試験には簡単に合格した。辺境に派遣される新設部隊とあって、応募してきたのはごく少数で、しかもみな変わった人たちだった。
 戦場から帰ってきたばかりの荒々しい女兵士がいた。本を広げて何やら呪文を唱える少女もいた。
 中でもレイチェルが一番気になったのは、会場となった兵舎の入り口で泣き出した志願者だった。まだ幼い顔立ちでレイチェルよりも年下に見えた。その少女は一緒に来た仲間に引きずられ、涙ながらに抵抗していたが、ついに悲鳴を上げて倒れ込んでしまった。
 仲間の女性から「しっかりするのです、お嬢様」と叱られていた。
 あのお嬢様はどうなったことやら。たとえカッセル守備隊に採用されたとしても、辺境のこの土地を見たら、たちまち逃げ出すだろう。

 よし行くぞと決心して城砦へ続く道を歩き出した。
「おっ」
 突然、風が舞い上がった。
 黒い鎧兜に黒いマントを着て、レイチェルの行く手を阻むかのように立ち塞がる一人の姿が目に入った。
「また現れたな、サヤカ」
「逃がさないぞ、レイチェル」
 サヤカが鋭い目つきで睨んだ。しかし、レイチェルも臆することなく睨み返した。
 ようやくカッセルの城砦までやってきたのだ。ここで邪魔されるわけにはいかない。
「ううっ・・・ぐふう」
 目に見えぬ圧力が一気に襲いかかる。息苦しくなるほどの凄まじい空気の波動だ。
「ヤバい、うぐぐぐ」
 右手の肘がビリビリと揺れた。何ということか、サヤカの威嚇を受けただけでレイチェルの身体に変化が起き始めていた。慌てて手を隠した。
 その隙をついてサヤカが地面を蹴った。
 ガシッ
 レイチェルは思い切りはね飛ばされ、したたか背中を打ち付けた。
「どうした、変身してみるか、レイチェル」
 サヤカの顔がすぐ前に迫っていた。手を伸ばして遮ろうとしたとき、レイチェルが首に掛けていたペンダントが飛び出した。
「それは?」
 サヤカが赤と青の石のペンダントを見咎めた。
「ルーンの星・・・なぜ、お前が持っているのだ」
「崖の洞窟で寝て、起きてみたら首に掛かっていたんです。これ、ルーンの星って言うんですか」
「そうさ、これには不思議な力が宿っている。正しき者が持っていればどんな苦境も乗り越えられる。しかし、邪悪な心の人間が持てば、その身を滅ぼしかねない」
「持っていてもいいんですか」
「お前が授かったのだ。大事にしておけ」
 サヤカが印を結ぶと音を立てて足元の大地が裂けた。
「今日はこのまま帰るとしよう・・・だがな、レイチェル、何時の日かお前が死ぬのを必ず見届ける」
 サヤカは地割れの中に飛び込んで姿を消した。
「ああ、びっくりした」
 レイチェルは袖を捲って右手を確かめた。腕は元通りに戻っていた。
 危ういところで変身を免れたがサヤカには気を付けなければならない。レイチェルを変身させようとしているのだ。

 それは、レイチェルが生まれる遥か以前のことだった・・・
 その昔、地下の世界に住む一族があった。しばしば地上の人々と争い、何人もの犠牲者が出た。地下の世界を滅ぼすため、軍の決死隊が送り込まれた。決死隊の隊長がレイチェルの曽祖父だった。彼らの活躍で地下の一族は滅亡した。しかし、ごく少数、生き延びた者がいた。今でも地上の人々に紛れてひっそりと暮らしている。
 サヤカもその一人だった。

 そして、レイチェルには地下の世界の呪いが掛かった。
 レイチェルの身体は激しい攻撃を受けると、硬い金属質に変化を起こす。腕も足も黒く光る金属に覆われ、背中には翼が、手には鋭い爪が生える。顔までもがこの世の物とは思えない不気味な姿になってしまうのだ。
 さらに、変身には膨大なエネルギーを消耗する。変身を繰り返せば命を落としかねない。サヤカはそれを知っていてレイチェルを変身させようと付け狙っているのだった。
 変身するにも、また、体力を回復させるにも・・・必要なのは人間の血だ。
 レイチェルには人の生き血が欠かせない。

   〇 〇 〇

 アリスがカッセル守備隊に赴任して五日が過ぎた。
 辺境だから覚悟はしてきたが、それにしても、ここはなんという僻地なのだろうか。

 カッセルの城砦は高い壁に囲まれた五角形をしている。城門を入ると広場があり、その周囲には兵舎、武器庫、厩舎など主要な建物が建っている。キープという領主の居住塔は主が不在だ。領主は普段は州都に住み、めったにカッセルには来ない。
 住民が暮らす地区には市場、鍛冶屋、酒場などの店もあり、城塞都市としての機能は揃っている。だが、城壁の外には畑が広がり、ヒツジや牛を飼う農家が点在しているだけだ。
 城壁の上から眺めると地の果てまで水平線が続いている。
 折り重なった灰色の山に、くすんだ暗い空が広がっている。荒れて貧しい大地、石ころだらけの道がどこまでも続いていた。その道を行くと、ボニア砦という地獄の最前線があると聞いている。
 ボニア砦に比べればほんの少しはマシだが、カッセルの城砦もこの世の果てに変わりはない。
 一片の希望もない世界。これがアリスに与えられた住処なのだ。
 バロンギア帝国との国境に近い西辺境州、不毛の土地カッセルの城砦。いつまでここにいるのだろう。ここで死ねということなのか。
 戦場で瀕死の重傷を負い、苦しみながら、泣きながら、いつしか冷たくなっていく。何という悲惨な最期だ。どうせなら一太刀で斬り殺される方がいい。剣の達人に斬って欲しいと願った。

 あんなことをしなければと、大きなため息をついた。
 あんなこと・・・年上の書記官に夢中になり、妻がいると知りつつ何度も密会を重ねた。それが上官に知られカッセルに左遷されてきた。
 そう、アリスは不倫をしたのだ。
 一時の快楽に身を委ねたために未来は閉ざされてしまった。

 カッセル守備隊はチサトが隊長を務めていた。副隊長にはエリカと、文官のミカエラがいる。アリスは「副隊長補佐」という肩書でエリカの補佐役に配属された。アリスはこれまでは文官として経理や備品の管理、書類整理の仕事に就いていた。軍隊にいても実戦に赴いた経験はただの一度としてなかった。
 しかし、今回は実戦部隊の副隊長補佐に任命された。通常ではあり得ない人事異動だが、これも不倫をした代償だった。
 不倫は公にはしないと、軍務部が請け合ってくれたからいいようなものの、部下に知られたらたちまちバカにされるだろう。
 その部下というのが問題だった。
 戦地初体験の副隊長補佐に従う部下などいるはずもない。そこで、アリスの部隊の兵士は全員が新たに採用されたのであった。辺境に行くのを志願するのはよほどの変わり者だ。考査の結果、合格したのは僅かに八人だった。しかも、兵士の経験がある二、三人を除いてほとんどが役立たずだった。肩書は兵士だが見習い隊員の扱いで、実態は雑用係に過ぎなかった。

 アリスは薄暗い廊下で柱に隠れるようにして窓の外を眺めた。
 兵舎の前の広場には、問題の八人の部下がたむろしている。訓練のために集まっているのではない。勝手に町をうろつかないよう、とりあえず広場にいてくれと指示しただけだ。
 もっとも、実戦経験のないアリスでは剣や槍の使い方は教えられない。
 逃げることなら得意だわと、自嘲気味に笑った。
 あと、不倫も・・・

 部下はアリスの命令通り広場に留まっていた。
 じゃれ合っているのはレイチェルとアヤネだ。どう見ても訓練とはほど遠く、単なる追いかけっこにしか見えない。
 木の下で本を広げているのは自称魔法使いのマーゴットだ。マーゴットの身体がフワリと浮かんだ。足元には白い煙が立ち上り、雲に乗っているかのように見えた。戦場で敵が迫ってきたら、あの魔法で逃げられるかもしれないと期待した。ところが、雲が破れて足を踏み外しマーゴットは地面に落下した。あんな魔法では使えない、アリスはがっかりした。
 広場の中央で睨み合っているのはホノカとアカリだ。この二人は戦場での経験がある。つまり荒くれ者だ。部下であっても、アリスは怖くてまともに目を合わせられない。暴力沙汰でも起こさなければいいが。
 そして、さらに問題の、いや、問題外の二人がいる。
 マリアとアンナだ。
 この二人、マリアはお嬢様、アンナはそのお付きと名乗っている。マリアは子爵の娘だというが、どうせ田舎の落ちぶれた貧乏貴族なのだろう。そうでもなければこんな辺境に来るわけがない。しかも、世話係のアンナによると花嫁修業だというから笑わせる。
 お嬢様は何かと言うと泣いてばかりだ。
 鎧兜や剣を見ては怖がり、寝床が硬いと言ってメソメソした。そもそも辺境の城砦なのだから、幹部を除いて寝台など宛がわれてはいない。大抵は兵舎の床に横になって布を被って寝る。アリスだって他の隊員と雑魚寝をしているくらいだ。ところが、マリアは特例として個室を与えられ、綿の入った特注の敷物で寝ているというから驚きだ。
 貴族のお嬢様どころか、まるで王女様ではないか。
 そのお嬢様は朝の行進中にぶっ倒れた。そんなに速く走れませんというのだ。ダラダラ歩いていただけなのに、まったく足手まといだ。
 何でお嬢様なぞを採用したのだろうか。あれよりダメなヤツがいるとでも言うのか・・・
 そういえばと、アリスは指を折って数えた。広場に居るのは七人だ。八人いるはずなのに一人少ない。
「ええと、もう一人は・・・誰だっけ」
 採用試験の時、地味な服を着て廊下の隅に蹲っている女がいた。合格したと聞かされたのだが召集日に姿を見せなかった。いきなり逃げたのだ。
 逃げられるものならば自分もと嘆くアリスであった。
「あんな部下には給料なんてもったいないわ。こっちまで減らされているんだから」
 赴任してから判明したのだが、カッセル守備隊の財政状況はかなり逼迫していた。そのため、お嬢様やレイチェルたちは無給、兵士のホノカたちにも最低水準の金額しか支給されない。
 アリスも「補佐」で差し引かれ、さらに不倫の分を減給されてしまった。なにもかも、身から出た錆と受け入れるしかなかった。

「ああ、またやっかいなヤツが来た」
 広場にいる隊員の元へ一人近づいてきた。副隊長のエリカの部下のシャルロッテだ。シャルロッテは何かとアリスの部下をこき使う。特に、仲間のユキと一緒になってお嬢様を標的にしてイジメているのだ。
 アリスは係わり合いになりたくないので窓の側から離れた。

「ほら、遊んでないで仕事よ」
 シャルロッテがレイチェルに向かって言った。
「はい、何でしょう、シャル・・・ロッティーさん」
 シャルロッテは副隊長のエリカの仲間内からはロッティーと呼ばれている。レイチェルもあだ名で呼んだ。
「気安く呼ばないで、上官なんだから」
 クズみたいな新入りにあだ名で呼ばれてムカついた。
「監獄の掃除させるわ、付いてきなさい」

 シャルロッテ、いや、ロッティーがレイチェルたち七人を連れて行ったのは地下の監獄だった。いわゆる地下牢だ。
 鉄格子の嵌った扉を開け、階段を下りると牢屋があった。ホノカが先頭で地下牢に入ると、湿って、どんよりして空気に混じり、吐き気を催すような臭いが襲ってきた。
「ウヘッ・・・」
 地下牢は岩をくり抜いた穴倉である。岩肌が剥き出しの壁、低い天井からは水が染み出ていて地面には水溜りがあった。
「マリア、貴族だからって特別扱いはしないわ」
 ロッティーはお嬢様を名指しした。
「あんたの部屋は取り上げる。これからはあたしがあの部屋を使うの。マリアの寝床はこの地下牢よ」
「ここで寝るなんて、そんな無茶な」
 地下牢で寝泊まりすることになったお嬢様のために、ホノカたちまでもが監獄の掃除をさせられることになった。
 ロッティーが掃除用具のブラシとバケツを渡した。
「きれいに掃除をするのよ、いいわね」
 そう言い残してロッティーは階段を上がろうとしたが、
「ギャア」
 地下牢の階段に人が倒れていたのを見て飛び上がった。
「誰、こんなところに」
 アカリが覗き込むと若い女性がうつ伏せで倒れていた。ぐったりして目を閉じている。顔は薄汚れ、服はあちこち破れていた。
 いつの間にこの地下牢に入ってきたのだろう。
「ケガしているかも、医務室に連れて行こう」
「ダメよ、怪しいヤツだったらどうするの」
 ロッティーがホノカの背中に隠れた。
 門番の目をくぐり抜けて城砦に入るだけでも難しいのに、どうやって地下牢に侵入したのだ。

「この人、お友達」
 お嬢様が階段に倒れている女は自分の友達だと言った。貴族のお友達にしては、やけに汚い格好だ。
「入隊の日に来なかった人・・・そんな気がするんです」
「それだよ、お嬢様・・・でも、誰だっけ」
「ええと、実は私も知らない」
 友達と言っておきながら、当てにならないお嬢様であった。
 そういえば、試験に合格したものの、隊の召集日に姿を見せなかった女がいた。一度しか顔を合わせていなので、誰も名前が思い出せなかった。
「ああ、そうかもしれない。いきなり逃げたヤツがいたっけ。戻ってくるなり監獄とは呆れるわ」
 変な女に関わりたくないロッティーは、逃亡した隊員が戻ってきたことにした。
「ロッティー、あんたが見つけたんだ。手当してやればいいじゃん」
 ホノカは、自分たちは牢屋の掃除をするのだから、ロッティーに医務室へ連れて行くように頼んだ。
「何であたしが、こんな女の面倒を見なくちゃいけないのよ」
「これも何かの因縁よ、ロッティー」
 皆で手を貸して女を抱きかかえ、嫌がるロッティーに背負わせる。
「ちょっと待って、重たいっ」
「待たない」
「エイッ」
「うわっ」
 ホノカがブラシの先でグッと押したので、女を背負ったままロッティーが倒れ込んだ。女の下敷きになってバタバタもがいている。
「イデデデ、助けて」
「助けて欲しかったら、地下牢をお嬢様の寝床にするのは取り消し。いいでしょう」
「ここで寝ろなんて酷い」「掃除なんかしたくない」ここぞとばかりみんなで攻めた。
「ロッティーをきれいに掃除してやろう」 
 ホノカはロッテイーの顔をブラシで擦った。
「ヤメて・・・」
「ブラシのあとは泥水をぶっ掛けようか」
「分かった、分かりました・・・命令は取り消します」
 ブラシで擦られたうえに泥水を掛けられてはたまらない、ロッティーは苦し紛れに命令を撤回した。
 おかげで、お嬢様の地下牢暮らしは回避された。
「じゃあ、この人を医務室に連れて行くね」
 レイチェルとマーゴットが女を担いで階段を上がった。アカリが目配せしてお嬢様たちに早く外に出るよう促す。
 最後に残ったホノカは、
「ロッティー、お嬢様の代わりに、あんたがここで寝ればいい」
 そう言って地下牢の扉をバタンと閉めた。
「えっ・・・待って、待ってよ」
 ガチャリと閂が落とされた。
「嫌だっ・・・行かないで」
 ロッティーは地下牢に置き去りにされた。

   〇 〇 〇

 女は寒々とした寝台に横たわっていた。

 私は誰・・・
 断片的に記憶は残っているが、覚えていることといえば・・・
 ベッドに縛り付けられ、天井の眩しい照明を見ていた。しばらくすると深い眠りに落ちた。目が覚めると右手と左足にギプスが嵌められていた。自分の物ではないように重く感じた。
 何日かして連れて行かれたのは、石やレンガの積み重なった廃墟だった。ぽっかりと開いた穴倉に突き落とされ、稲妻が光り、風が吹きつける暗闇を彷徨い・・・気を失った。
 気が付くと、この寝台に寝かされていた。助けてくれた人たちの話では、地下牢に倒れていたようだった。
 
 包帯を取ってみると、右手と左足には蓋があり、その中には歯車のような部品と、それを繋ぐ金属線が埋め込まれていた。
 これを見られてはいけない。
 私は普通の人間ではないのだ。

シュロス月光軍団

 ここはバロンギア帝国東部辺境州、シュロスの城砦である。
 会議室にシュロス月光軍団の幹部が集まっていた。隊長のケイコは背もたれのある椅子に座り、参謀のサトミや副隊長のユウコ、ミレイ、文官のリサは低いベンチに腰を下ろしていた。
 会議の中心は王宮からやってくる「ローズ騎士団」への対応策だった。
「何もこんな時に来なくてもいいのに」
 隊長のケイコが軽く机を叩いた。
 このところ辺境の経営に目ぼしい成果は上がっていない。なにしろ、ルーラント公国は国境を引いて守っているので、カッセル守備隊との間には小競り合いがあるだけだ。そろそろ大きな戦功を挙げないと州都の司令部に予算を削減されてしまう。
 そんな時に、よりによって、王宮の親衛隊ローズ騎士団が来るのだ。ケイコは内心穏やかではなかった。

「費用はどうするんですって、リサ」
「大部分の経費は州都に負担してもらうしかありません。このところバロンギア帝国の輸送隊が襲われてまして、何かと出費がかさんでいます」
 経理や事務を担当する文官のリサが答えた。
「隊商を襲っているのは山賊の仕業でしょう。カッセル守備隊に、山賊退治、おまけにローズ騎士団の相手なんか、やれっこないわ」
 山賊退治の方がまだマシだ、ケイコはそう思った。
 ローズ騎士団がこの辺境に来る目的は一つしかない。標的はこの自分なのだ。
 騎士団一行の名簿をチラッと見ただけで背筋が寒くなった。副団長のビビアンの名前が一番上に書かれていたのだ。
 ビビアンのヤツ・・・
 騎士団のビビアンには一生忘れられない恨みがある。
 ケイコもかつては騎士団への入隊を目指していた。
 厳しい考査をくぐり抜け最終候補に残ったのだが、最後の試験で落ちてしまった。格闘技の実戦でさんざんに叩きのめされたのだ。その相手こそ、副団長のビビアンだった。勝ったビビアンは騎士団の要職に上り詰め、敗れたケイコは東部の辺境に追いやられた。
 何という差がついてしまったのだろうか。
 副団長のビビアン、正しくはビビアン・ローラという。
 騎士団の団長と副団長は代々、同じ名前を引き継ぐという決まりがある。団長はローズ、副団長はローラと称している。現団長クレイジングのことは誰もが「ローズ様」と呼び、副団長のビビアンは「ローラ様」と呼ばれているのだった。

 ビビアンが、いや、ローラが騎士団を率いてシュロスにやってくる。
 辺境にへばりついているケイコを見て笑うだろう。いい気になって威張り散らすことだろう。それだけで済めばよいのだが・・・
 みんなの前で土下座させられたら、月光軍団隊長の権威は丸つぶれだ。
 ケイコはローラが来る前に逃げ出したくなった。せめて一行が到着する時に出迎えることはしたくない。
 跪いて頭を下げローラを迎えるなんて絶対にお断りだ。それには・・・何か口実を設けて城砦を留守にすればいい。逃げるのではない、ローラなんか無視してやるのだ。
「とにかく、私は出迎えなんかしないから、誰かに任せるわ。適当な人員を手配してよ」
 隊長のケイコはあっさり丸投げしてしまった。
 副隊長のユウコと文官のリサは首をすくめて顔を見合わせた。
 ローズ騎士団を迎えるとなると、宿舎の確保をはじめ、料理やワインの手配をしなくてはならない。ローズ騎士団は王宮の親衛隊である。最近、皇帝の何番目かの弟の子女が名誉団長に就任したということだ。それ故に応接には細心の注意が必要だ。だが、辺境の城砦では豪勢なもてなしはできないし、そんなことに費やす資金も時間もないのが現状だ。
 接待の役を押し付けられるのは文官のリサになるだろう。ユウコにも役目が回ってきそうだ。このところユウコは主力部隊から外されている。
 ユウコは騎士団一行の日程表を見た。
 主な団員は七、八名。他にメイドやお付きもいるようだから相当な人数になる。王都からはかなりの日数が掛かる日程になっていた。おおかた、あちこち見物してくるのだろうと思った。近くにはチュレスタの温泉街もある。チュレスタには旅館が何軒もあるので、ゆっくり寛ぐことができるだろう。温泉に入ってマッサージして、そのまま王都へ帰ってくれればいいのだが。
「カッセルの状況はどうなの。司令官が辞めたそうだけど」
 ケイコは騎士団の接待よりはカッセル守備隊が気になっている。
「はい、隊員の補充を募集しているようですが、今のところ新しい司令官が赴任したと聞いてません」
 参謀のサトミが答えた。
 司令官が不在ならば、これはいいチャンスだ。
「騎士団の接待は・・・リサ、あなたに任せるわ。費用は州都が負担するよう依頼しなさい」
「はい」
「よし、月光軍団はカッセルを攻めよう。山賊退治のついでに守備隊を誘い出すのよ」
 ケイコが拳を挙げた。

「ということで、私たちは騎士団の接待役になりました」
 ユウコは部屋に戻り、部下のミキに会議の内容を報告した。
 ミキは実戦経験は豊富だし戦術や剣の腕も確かだ。階級は兵曹長だが、ユウコはミキのことを部隊長として扱っていた。
 会議ではカッセル守備隊と一戦を交えることとなった。山賊退治に乗じて国境を越え守備隊と戦うのだ。隊長のケイコは、捕虜を捕らえてローズ騎士団に見せ付けると息巻いたが、誰の目にも騎士団の出迎えをしたくないのは明白だった。
 隊長のケイコが騎士団を志願しながら入隊できなかったことはユウコも耳にしていた。
「騎士団を避けるための出兵では士気が上がりません。ユウコさんは留守番役で良かったと思います」
 無謀な戦いに臨むよりは城砦に残った方がいい。
 ミキは同じように接待役を任されたリサを思いやった。通常の事務作業に加え、余計な仕事が増えて大変だろう。
「リサさんは、州都に窮状を訴えると言っていたわ」
 州都か・・・
 しばらく会っていないが、州都の軍務部にはミキの後輩が勤務している。スミレというその隊員は士官学校ではミキの一学年下だった。全ての学科で優秀だったので、卒業後は州都の軍務部に配属された。だが、騎士団の接待費用については民生部の管轄だから、軍務部のスミレには関係がなさそうだ。
 東部辺境州の財政は豊かではない。月光軍団でも資金は枯渇していて、先月は給料が減額された。副隊長のユウコも例外ではない。それでも支給されているのはまだマシで、若い隊員は無給で働いているのだった。
「出陣は見送るようにと、それとなく言ってみたのだけど、隊長の決意は堅かったわ」
「山賊、カッセル守備隊と敵が多い上に、同胞のローズ騎士団まで敵に回しかねないですね」
 後にこれが現実になろうとは、ミキもユウコも思いもしなかった。

 気が付くとオイルランプが暗くなりかけていた。
 リサは空腹を感じた。忙しくて食堂に行くのを逃してしまった。
 出陣に向けての馬や食料の調達、これだけでも大変なのに、それに加えてローズ騎士団の接待までしなくてはならなかった。州都から送られてくる日常的な報告の書類だって机に山積みだ。州都に宛てて、接待の費用に関する依頼書を書かなければならない。これも気が重い仕事だ。
 ミキが居残り組で良かった。各部隊への連絡や手紙の発送まで手伝ってくれるので徹夜しないですんでいる。
 とりあえず、州都への報告書を優先させることにした。
 ドアがノックされてミキが入ってきた。
「食堂に姿を見せなかったから届けにきたわ」
 ミキが差し出したトレイにはパンと蒸し野菜、チーズが載っていた。
 書類に埋もれた机から部屋の隅に移動し、仮眠をとるための寝台に並んで座った。
 ミキがリサの手を取り引き寄せ、もう一方の手で頬に掛かった髪の毛を撫でる。ミキがリサの額にキスをした。
 女性だけの部隊では、それぞれにパートナーを求める。
 シュロスで一番の美人、リサはミキのパートナーだった。

     〇 〇 〇

 月光軍団では出陣に備えて兵士の訓練をおこなっていた。広場に集められたのは、ミカ、マギー、ヒカルたちなど入隊して間がない若い隊員だった。訓練には部隊長のミキが立ち会っていた。訓練を重ねているものの、兵士と呼べるのは入隊二年目のミカぐらいだけで、マギーやヒカルは戦場で役立つレベルには達していない。補給部隊か食事当番が適当だろう。
 この戦いは王宮からやってくるローズ騎士団を避けるための出陣だ。こんな目的で戦場に送られ、若い隊員が命を落とすようなことがあってはならない。残された家族が嘆き悲しむことだろう。
 若い隊員たちは戦場で敵と遭遇することもないだろうし、まして一対一で剣を交えることはない。体力の強化に努めて訓練を終わることにした。
「それでは訓練はこれで終わり。みんなは炊事場へ行って料理の下ごしらえを手伝いなさい」
「ふあーい」「だるーい」
 マギーとヒカルはあきらかにやる気がなさそうだ。
「返事がなってない、全員、駆け足っ」
「訓練で疲れたので走れません」「走って逃げよう」二人がぼやいた。
 年長のミカが手を上げた。
「王宮からローズ騎士団が来るって本当ですか」
「そうだ。そろそろ王宮を発ってシュロスへ向かっているころだ」
「見たいなあ、王宮の人たち」
「きっと美人なんだろうね」
「戦場に行って無事に帰ってこられれば、遠くからでも見られるようにしてあげる」
「やった」「戦場で逃げ回ってようね」
「ただし、ここでは逃げられないぞ。イモの皮むきが相手だ」
「あちゃ~」「これは強敵だ」
 ミカたちは炊事場で籠いっぱいのイモと戦うことになった。先輩格のミカは皮むきに専念していたが、マギーとヒカルはイモなどそっちのけでおしゃべりしていた。
「ところでさ、戦場で敵に見つかったらどうするの」
「逃げるしかないでしょ」
「そうだよね、あたしたちより弱い敵なんているわけないし」
「強そうな兵士に捕まったら降参しちゃう」
「その前にイモに降参だ」

 ミキは城壁に上った。歩廊から下を眺める。
 ここからの眺めが好きだ。
 二基の塔を備えた頑丈そうな城門を潜ると、入り組んだ迷路のような道が続く。兵舎、厩舎なども眼下に見える。兵舎の中には隊長の部屋、会議室、図書室などもある。
 修復工事の足場も組まれていた。
 シュロスの城砦はかなり古く、壁や石積みが崩れているところが目立つ。城壁は守りに欠かせないので常にどこかを修理していた。この間も石工が、壊れた壁の基礎部分にボロボロのレンガが使われているのを発見した。今の焼き方ではないと首を捻っていた。古いレンガは昔の砦の名残りだろうか。
「・・・?」
 広場を歩く一人の女が目に留まった。あまり見かけたことのない女だった。城砦の女性はスカートにエプロンを巻いているのが普通だが、その女はズボンにチュニックというスタイルだ。ここの住民ではなさそうに見えた。
 旅芸人か、それならばいいが・・・
 女にはスキがない。鍛えられた体捌きだ。敵の偵察かもしれない。正体を確かめようと急いで螺旋階段を駆け降りると、階段の下で部隊長のジュリナに遇った。
「ミキ、あなたも出陣よ」
 ローズ騎士団の接待役で居残り組だと思っていたが急遽、ミキも出陣することになったというのだ。
 戦場に行ける喜びで怪しい女のことは忘れた。

新任の指揮官

 
 地下牢で倒れていたところを救出された女は、自らをナナミと名乗った。カッセル守備隊の入隊前に蒸発した隊員とは別人だったが、人数不足の穴埋めに隊員として採用されたのだった。ナナミはすぐに仲間と打ち解け、しかも、「指揮官」と呼ばれるようになった。アリスよりは頼りになると思ったのだろう。
 それが正解だ。
 なにしろ、副隊長のエリカには「補佐は不必要」と宣告され、アリスは仕事がなくなって、守備隊の中で干されていたのだった。特にここ数日、守備隊の隊員から向けられる微妙な視線を感じていた。アリスを見かけると指差して笑っている者もいるのだった。
 正体不明の女だが、アリスにしてみれば、いまさら指揮官のナナミに辞められては困る。
 ナナミは見つかった当時は汚れていたが、水で顔を洗うと、これがすばらしい美人だった。整った顔立ちに鼻筋が通って、優しい眼差しをしている。指揮官に祭り上げられるだけあって、頭は良いし理に適ったことを言う。
 なんでこんな辺境にやって来たのか、アリスは不思議でならなかった。ナナミなら州都で、というより王宮で働くこともできよう。その美貌が貴族の目に留まって側室になれるかもしれない。強いて欠点を探すと、歩くときに左足を引きずることや、右手が動かしにくいことぐらいか。それもおそらくは、発見された際に負っていたケガの影響だろう。
 というわけで、今やナナミが指揮官として部隊を仕切ることになり、隊員たちは陰で「ナナミの部隊」と呼んでいるのだった。
 守備隊どころか所属する部隊からも干されるアリスであった。

 カッセルの城砦の食堂の隅にアリスの部隊の隊員が車座になって座っていた。扉の開け放たれた台所には、木の樽が積まれ、ニンジンやイモが入った籠が無造作に置かれている。レイチェルたち見習い隊員だけでなく、全員がメイドの仕事を手伝っているので、食事はいつも一番最後になる。副隊長補佐といえども例外ではない、アリスは炊事の手伝いまでさせられていた。
 隊員たちは椅子とテーブルではなく土間に腰をおろしていた。地下牢で発見された女、ナナミも食事の輪に加わっている。
 今夜の食事もパンとスープだけだった。
 パンを千切ろうとしてマリアお嬢様が泣いた。お嬢様の力では硬いパンが千切れなかった。
「スープに浸して召し上がってください、お嬢様」
 メイド長のエリオットが気遣いをみせる。
「でも、このスープ冷えてます。温かいのが欲しいんです」
「そうねえ、お嬢様もよく働いたから、温めましょう」
「ダメよ、一人だけ特別扱いしないで」
 カマドに行こうとするエリオットをホノカが制した。
「パンが硬いとか、スープがぬるいとか文句を言うんじゃないの。食えるだけマシさ。戦場に行ったら泥水をすすって、草を噛み、ヘビやカエルを食べるんだから」
「はひ、カエルなんて・・・」
 泥水にカエルと脅されてマリアお嬢様はますます泣いた。
「泣くんじゃない、マズイ飯がよけいマズくなる」
「マズイ飯で悪かったわね」
「マリアは水桶一つ持てないんだから。あたしまで手伝わされた」
 お嬢様はここでも迷惑ばかりかけている。野菜を洗うのに冷たい水に手が入れられないし、羊の肉にハエが群がっているのを見て悲鳴を上げるありさまだ。お付きのアンナやレイチェル、アヤネたちは自分の仕事を後回しにして面倒を見ているのだが、足を引っ張っていることは間違いない。
 ホノカは文句を言いながらも、陰ではお嬢様の分まで水桶を運んでいるのだった。

「副隊長補佐殿」
 ホノカがアリスに声をかけてきた。お嬢様の次に狙われたのはアリスだ。
「あんた、何かワケありだよね、こんな辺境に飛ばされてきたのは」
「うぐっ」
 呑み込もうとしていたパンが喉に引っ掛かった。慌てて冷たいスープで流し込む。
「ゲホッ・・・その、単なる人事異動と聞いています。軍隊ではよくあることでして」
 部下の手前、不倫で左遷させられたなんて本当のことは言えない。
「ごまかさないで、あたし知ってるんだから」
「何のことでしょうか」
「あんた、不倫したんでしょう」
「ギクッ、そ、それはですね、ええと」
 不倫のことを知られていたのだ。
 兵士のアカリとお付きのアンナがクスクス笑いだした。お嬢様は何のことかといった感じでポカンとしている。
「妻子ある男とイチャイチャするなんて見かけによりませんね」
 アカリにも嫌みを言われた。
「この私が不倫だなんて・・・それは何かの間違いでは」
「隊長のところの隊員はみんな知ってたよ。あたしはロッティーから聞かされたんだ」
 なんということだ、隊長のチサトがアリスの秘密を漏らしてしまったのだ。ここ最近、アリスに注がれる微妙な視線は不倫がバレたからだった。
「この間、ナナミさんが見つかったとき、ロッティーを地下牢に置き去りにしてやった。アイツ、それを根に持って言いふらしてるんだ」
「地下牢に置き去りにしたんですか」
「ついでにブラシで顔を撫でてやった」
 撫でたのではなくて叩いたに決まっている。おかげでアリスがとばっちりを受けてしまったではないか。
 これでは嘘は突き通せなくなった。
「そうですか・・・すみません、してました、不倫」
 アリスは部下の前で不倫を認めた。
「だから飛ばされてきたんだ。辺境で死ねと言われたようなものだ」
「戦場では自分を盾だと思って、弓の的になってください」
 ホノカとアカリから戦場で死ねと言われてしまった。
「いえ、その、戦場には行きたくない心境でして」
「行くんだよ。命令拒否したり、敵前逃亡したら軍事法廷が待っている。有罪になって死ぬまで牢獄だ」
「牢屋はもったいないわね。いっそのことギロチンでバッサリっていうのはどう?」
「それもそうだ、不倫なんて面倒なことをしたヤツは生かしちゃおかない」
 戦場、監獄、それとも断頭台、恐ろしい選択肢が増える一方だ。アリスの未来はますます閉ざされた。
「すみませんでした。今後はご迷惑おかけしないようにします」
 部下に頭を下げた。指揮官のナナミや部下の隊員の前でみっともない姿を晒してしまった。ナナミにも不倫が知られた。これでまた頭が上がらなくなった。アリスは指揮官のナナミを見やった。ナナミはいつものように冷静な表情で話を聞いていた。
「まあ、ちょっとくらい悪いことをした者でなければ、こんな辺境の最前線は務まらないんだ。その点、あんたは立派な副隊長補佐だってことさ。あたしたちの誇りだ」
 不倫を責め立てたホノカが一転して擁護するようなことを言ってくれた。
 これで不倫の話題からは逃れられそうだ。

「あの、フリンって何ですか」
 マリアお嬢様がお付きのアンナに尋ねた。消えかけた焚き火に火を点けようとしている。
「お嬢様は知らなくて良いことです」
「知りたいです。もしかしてフリンは食べ物ですか。硬いパンより甘くて柔らかいお菓子が食べたくなっちゃった」
 お嬢様はいたって明るい。
「ここの子供たちはチョコレートではなくて本物の木の枝を齧るのよ」
 マリアが言うのは小枝の形をしたチョコレートのことなのだが、辺境の城砦ではそんな高級なお菓子は手に入らない。子供たちはニッキという齧ると甘味のする木の枝をお菓子の代わりにくわえている。
「お嬢様、不倫はお菓子は甘いという点では似ているかもしれません。ですが、最初は甘くても、バレてしまうと苦い思い出になるんです」
「そんなお菓子はいらないわ」
「お嬢様、不倫については、あとで副隊長補佐殿からじっくり教えてもらうんだね」
 ホノカがお嬢様をけしかけた。
「はい、副隊長補佐さん、よろしくお願いいたします」
「よろしくないです、お嬢様」
「副隊長補佐さん、ギロチンでバッサリですね」
 何故かギロチンで喜ぶお嬢様であった。
「それじゃあ、町へ繰り出そう」
 ホノカが立ち上がった。
「お嬢様、後片付けは頼むよ」
「はーい、またですか、ホノカさん」
「あんた、毎日飲みにいっているようだけど、酒場の代金はちゃんと払っているのかい」
 メイド長のエリオットが心配した。
「ツケですよ。だって、まだ給料貰ってないんですから。副隊長、早く給料ください」
「そういうことは経理の人に言って」
「もう何度も言ったよ。でもダメだった」
 副隊長補佐のアリスでさえ、まだ給料を手にしていないのだから、部下が支給されないのは当然だ。
「副隊長殿、あんたのツケにするよ、いいね」
 都合のいい時だけ「副隊長殿」と言われた。

 マリアお嬢様は食事の後片付けをおえて部屋に戻った。お嬢様には特別に個室が与えられている。
「お嬢様、今日もよくお働きくださいました」
 お付きのアンナが床に這いつくばって深々と頭を下げた。
「これも我が公国のためです、どうかご辛抱ください」
「分かっていますとも、こうして辺境の、それも軍隊に身を投じたのですから、苦しいことは承知しています。だけど、どんな時もアンナがいてくれれば心強いわ」
「もったいないお言葉でございます」
「だったら、足と腰を揉んで。働き過ぎて身体中が痛い」
 働いたのはこっちでしょ、お嬢様はサボってばかりでしたね、と思いながらアンナは差し出された足を揉んだ。 
「それにしても、この部屋、何とかならないの。もうちょっと待遇改善してくれてもいいんじゃない」
 マリアに宛がわれた部屋というのは、あまりにもお粗末な作りだった。板張りの床で、片側に二段ベッドがあり、窓際には小さな机と椅子があるだけだった。建付けの悪い窓からは隙間風が入ってくる。
 お嬢様は二段ベッドの下段に寝ていて、上段にはドレスが詰まったトランクが幾つも置かれていた。お付きのアンナはベッドではなく床に寝ていた。
「お屋敷の物置より狭くて、埃っぽくて汚いわ」
「本当でございますね、王宮にいた時は・・・」
 アンナは言葉に詰まった。昔のことは言うまいと決めているのだったが、つい愚痴が出てしまった。
「そうだ、仕送り催促した? 早くお金を送ってくれるように言ってよ」
「手紙は出しておりますが、今少し時間が掛かるかと思います。しばらくお待ちください」
「ドレスとお化粧道具も欲しいわ」
「はい、百合の紋章入りのドレスを注文してあります」
 お嬢様にはこの辺境でも、メイド服よりは豪華なドレスを着たがるのだった。

 翌日、給料の支払いについてアリスは事務官のミカエラに尋ねたが、いい返事はもらえなかった。これもアリスの不倫のせいだ、また部下に脅されることになるだろう。
「少しでも給料がもらえるように」
 と、ナナミが言った。
「レイチェル、マーゴット、アヤネさんたちには、メイド長の言いつけを聞いてしっかり働くように頼みました」
「それがいいです・・・というか、それぐらいしか仕事がないので」
「マリアお嬢様も頑張るそうです」
「お嬢様は、あまり役に立つとは思えませんが」
「そこはアリスさん、あなたがサポートしてあげてください」
「私がですか」
「指揮官はこの私です」
 アリスに事前の相談もなく決められてしまった。
「部隊長のホノカさんとアカリさんも手伝うと約束してくれました」
「今、部隊長と聞こえましたが、あの二人はいつから部隊長に昇進したんですか」
「ついさっき伝えました。役職手当を上乗せすると言ったら喜んでいました。何か問題でもありますか」
「いえ、それも私には相談がなかったもので」
「指揮官はこの私です」
「はい、その通りでした」
 部隊長にしたのは城砦から逃げ出さないために処遇したのだろう。
「レイチェルたち三人は役職ではありませんが、三姉妹って呼んであげましょう」
 部隊長に三姉妹か・・・アリスの知らないところで人事が進行しているのだった。
 ドン。ナナミが左手を伸ばしてアリスの脇の壁に付けた。
「うっひ」
 ナナミのきれいな顔が間近に迫った。スッとした鼻先が触れそうになり息が掛かった。
 心臓がドキドキしてきた。
「私たちも頑張りましょうね」
「はい」
 何を頑張るかは分からないが、戦場に行くことだけは頑張りたくなかった。

   〇 〇 〇

 カッセル守備隊の隊長の部下、シャルロッテことロッティーはこのところの展開に歯がゆい思いをしていた。
 お嬢様から部屋を取り上げて地下牢に住まわせようとしたら、逆に牢獄に置き去りにされてしまった。腹いせに副隊長補佐のアリスの不倫を言いふらしてやった。
 ところが、今度はナナミという厄介者が現れた。
 地下牢に倒れていたナナミはいつの間にか指揮官と名乗るようになった。出世したのだ。今では自分よりも偉そうにしている。隊長と副隊長のエリカからは、正規の隊員でない者を採用したことを咎められた。ロッティーの評判はガタ落ちで、このままでは格下げになってしまいそうだった。
 これまではお嬢様に狙いを付けていたが、仲間のユキに任せることにして、ロッティーはナナミを標的にすると決めた。ナナミをイジメて追放し、落ちかかった評価を高めるのだ。
 ところが、それどころではない事態が発生した。
 シュロス月光軍団が動き出したのだった。


 さっそくカッセル守備隊では、隊長のチサト、副隊長のエリカ、カエデ、事務官のミカエラたちが対応策を練った。
 しかし、この重要な会議にアリスの部隊からは誰一人として参加を許されなかった。アリスの不倫は遍く知られるところとなり、今や完全に無視されてしまっている。
 作戦会議に出られないとあっては部下の手前、何とも示しがつかない。
 アリスは一人、城壁に上がった。アリスの居場所は城壁の上くらいしかないのだった。
 着任から一か月ほどで戦場に赴くことになろうとは思ってもみなかった。とはいえ、この部隊の実状からすれば前線で戦うことなど到底不可能だ。せいぜいが後方支援くらいだ。だが、作戦会議に出られないのでは、第一希望は後方部隊などという意向が通るはずはない。きつい任務を押し付けられなければいいのだが。
「戦場初体験がバレちゃうなあ」
 アリスは馬に乗れないから戦場を駆け回ることは無理だ。非力なので弓は引けないし槍も振り回せない。まして、剣を抜いて相手と向かい合うことなど逆立ちしても不可能だ。
 そうすると歩兵になって、それも、盾を持って突撃隊か・・・それもこれも不倫をしたからだ。
 城壁の上は風が強く吹きまくっていた。首筋にヒュウヒュウ当たる。この風に乗って、どこからか矢が飛んでくるような錯覚がした。城壁の凸凹した部分、狭間(さま)の陰で縮こまった。ここは敵の矢を防ぐための小壁である。矢の避け方の練習にはもってこいだ。
 いざとなったら部下を犠牲にするしかあるまい。あんな役立たずの替りはいくらでも見つかる。
「副隊長補佐の替りもいたりして・・・」
 人の気配がした。
「こんなところで何してるの、副隊長補佐」
 アリスは城壁の上で縮こまっているところをアカリに見つかってしまった。
「作戦会議だってさ」

 対策会議が終わるとアリスやナナミたちにも集合が掛かった。
 僅か十人程度の部隊といえど、戦場に赴くとなると緊張感が漂っている。
 初めに事務官のミカエラが直前におこなわれた幹部会の報告をした。
「シュロスの駐留部隊が動き出しました。当然のことながら月光軍団も出陣してきます。ロムスタン城砦へ向かう街道に進軍するのではないかと睨んでいます。ロムスタンは王都の防御には欠かせません。我々も迎え撃つために出陣することとなりました」
 ロムスタン城砦を占領されると、王都の防衛網が崩れてしまいかねない。
「大変、王宮が危ないって、どうしましょう、アンナ」
 マリアお嬢様が不安そうに言った。子爵の屋敷が王宮の近くにあるのだろうか。アンナが大丈夫ですよと手を握った。
「出発は三日後です。急いで準備してください」
 ついに出陣だ。恐れていたことが現実になった。生きていられるのもあと数日・・・アリスは力なく首を垂れた。
「よし、やっと戦場に行けるぞ、真っ先に突撃してやるわ」
 落ち込むアリスとは対照的にホノカは意気込む。
「十人殺せば、給料アップだ」
「それがですね、みなさんは後方支援で輸送隊の警備をしてもらうことになりました」
 ミカエラの言葉がホノカの気勢を削いだ。
「後方支援だって、あたしは荷車の面倒を見るなんてお断り」
「幹部の対策会議で決定したのですから従ってください」
 事務官のミカエラが言ってもホノカは不満そうに足を投げ出した。
「紹介するわ、輸送隊の責任者カエデさんです」
 ミカエラに促されてカエデが立ち上がった。
「輸送隊のカエデです。このたびは警備をよろしくお願いいたします」
「はいはい、警備でも何でもやりますよ」
 輸送隊のカエデに言われてはしかたない。ホノカも渋々、警備の任務を引き受けた。
「副隊長補佐、あんた荷物の仕分けぴったりじゃん」
「はい、得意です」
 助かった・・・アリスはホッとした。
 輸送隊は部隊の一番後ろに配置されるから、危険な目に遭うことはないだろう。万一の時は荷物の陰に身を隠せる。敵が迫ってきたら食料なんか放って逃げ出すのだ。
 これなら戦場初体験もバレずに済むというものだ。

 編成の準備のため人数を確認すると言って事務官のミカエラが見渡した。アリスの部隊は新任の指揮官ナナミが加わって九人である。
「一、二・・・九、十・・・あれ、一人多いわ」
 カエデを加えてしまった。今度はカエデを入れないで数え直したが、やはり十人だった。
「十人いるわね」
 いつの間にか隊員が増えていた。
「お嬢様の隣にいるの誰、その端っこの人」
 アリスはお嬢様の隣の席に座っている見知らぬ女に気が付いた。
「この人、リーナさん、お友達よ」
「何でそれを早く言わないんですか」
「入隊試験のとき、お友達になったのよ。あれから姿が見えないから、どうしちゃったのかと心配してたの」
 またしてもマリアお嬢様のお友達が出現した。入隊試験に合格したものの召集日に姿を見せなかった隊員がいた。逃亡したのだろうと思われていたが、それがカッセルに戻ってきたのだ。
「どうも、リーナです」
 リーナ。アリスには初めて聞く名前だった。この女が本当に採用された隊員だという証拠はない。それに、すでにナナミが入隊しているので欠員の補充はついている。
 どうしてこんな面倒なことが次から次へと起こるのだ。
「遅れて来てすみません、実は間違ってシュロスの城砦に行っちゃったんでした」
 シュロスと聞いて一同はびっくりした。リーナはこれから戦おうとしているシュロスの城砦に行っていたのだ。
「間違っていたとしても、それはつまり、偵察してきたのですね」
 これまで黙っていたナナミが初めて口を開いた。
「リーナさんが見てきたことを話してください。これからの戦い方に重要なことかもしれません」
 促されてリーナがシュロスの城砦で見聞きしてきたことを報告した。
「シュロスの軍隊の出陣はかなり急なことで、慌ただしく準備に追われていました。月光軍団は小規模な編成になり有力な部隊が外されたようでした。勢力争いが起きているという噂でした」
 ところがリーナがカッセルに発つ日、あらたな動きがあった。
「バロンギア帝国のローズ騎士団が、王宮を発ってシュロスのある東部辺境州に向かっているというのです」
「ローズ騎士団、それはどのような部隊でしょうか。これまで聞いたことがありません」
 事務官のミカエラもローズ騎士団の名は聞いたことがなかった。
「ローズ騎士団は王宮の親衛隊です。王都にいて皇帝に使えているとか。やたらと美人の集団だそうですよ」
「それでは、月光軍団とローズ騎士団とが合同軍を組んで攻めてくるのですか。そうなるとこちらも作戦を変更しないといけません」
 月光軍団は密かに応援部隊を呼び寄せていたのだ。しかも、王宮から来るのであればバロンギア帝国の本隊ともいえる。
「ああ、それはないと思います」
 リーナは合同軍説を否定した。
「月光軍団はローズ騎士団をあまり歓迎していません。どうせ物見遊山のレジャーだろうって、美人を見られると喜んでいるのは城砦の住民だけでした。東部辺境州の州都の軍隊も静観しているようです」
 王宮から親衛隊が来るとなると、もてなしや接待が大変だ。そんな時に入れ替るように月光軍団がシュロスを離れるのはどうしたことだろう。
 ナナミは思いを巡らせた。
 リーナの話では、あまり歓迎していないというが、むしろ月光軍団はローズ騎士団を嫌って避けているように思える。出迎えしたくないと言っているようなものだ。それではローズ騎士団は快く思わないだろう。
 そこに付け入るスキがあるはずだ。
「それでアタシはシュロスを後にして、チュレスタに行って温泉でまったりしてました」
「いいなあ」「ずるいよ、一人だけ」「温泉行きたーい」
 皆、リーナが温泉に行ったのを羨ましがった。
「そこで耳寄りな情報をゲットしました。ローズ騎士団はチュレスタの温泉でのんびり寛ぎ、それからシュロスへ行くんです」
「そういえば」
 レイチェルが手を上げた。
「カッセルに来る途中、山賊に襲われてね。その山賊もチュレスタにお客がいっぱいやってくるって言ってた。危うくメイドに売り飛ばされそうになったんだ」

 リーナがもたらした情報を伝えるために、カエデとミカエラが隊長のもとへ行くことになった。今度は指揮官のナナミも同行を許された。
 アリスはまたしても干されたので会議室でポツンとしていた。
 指揮官のナナミが不在になると何となく気まずい雰囲気が漂い始めた。
「あのさぁ、美人とか気に入らないんだよね、あたし」
 ホノカは輸送隊の護衛に回され、ただでさえイライラしていた。そこへ、ローズ騎士団というのが美人集団であると聞かされたのだ。
「あーら、ホノカ、ヒガんでる」
 アカリが参戦した。
「何よアカリ、ちょっとくらい顔がいいからって自慢しないで」
「ちょっとじゃありません、私は正真正銘の美人なの。バロンギアの騎士団なんか、この私を見たらスゴスゴ逃げ出すわよ」
 ホノカとアカリが本題とはかけ離れたところで言い争いを始めた。三姉妹はひそひそ笑い、お嬢様はオロオロしている。アリスはとばっちりを受けたくないので下を向いている。
「こんなヤツと一緒に戦場に行くもんか。荷馬車の護衛なんてみっともなくてやってられるかよ」
「ああそう、だったら城砦を出ていけば。部隊の人数は足りてるから」
 二人はプイと横を向いた。
 内も外も揉め事だらけだ、アリスはため息をついた。
 後方部隊なら安全だと思っていたのだが、だんだん不安になってきた。自分だけは死にたくない。部下が盾になって守ってくれればいいが、それも望めそうになかった。
 矢に当たったり、剣で斬られてケガをしたらどうしよう。骨折したらさぞかし痛いだろう。痛いのはダメ、血を見るのもダメ、戦場も、こんな辺境もイヤ・・・
 その前にこの場から逃げたくなった。月光軍団よりもローズ騎士団よりも目の前の事態の方が問題だ。
「ヒイイ」
 ピリピリした雰囲気に耐え切れなくなったお嬢様が泣き出した。
「うるさいんだよ、お前は。いつもピーピー泣いて。地下牢にでもぶち込んでおけばよかった」
 ホノカが床を蹴った。お嬢様はキャッと飛び上がり、三姉妹は首をすくめた。
「これから戦場に行くんだぞ。殺すか殺されるかのどっちかだ。そんな時にメソメソしやがって」
 ホノカの怒りの矛先はマリアお嬢様に向けられた。
「あたしはお前のような貴族のために戦うつもりはない。辺境の兵士が命懸けで守っているから、宮殿でのうのうとしていられるんだ。そうでもなかったら、王様だってコレさ」
 ホノカが首筋に手を当てた。
「ギ、ギロチンですか、私が」
 お嬢様は自分がギロチンに掛けられるかと思って震えた。お付きのアンナが言い添える。
「ホノカさん、マリアお嬢様の前でギロチンの話はやめてください。お嬢様はギロチンが・・・」
「そうだろう、誰だってギロチンは嫌いだ。首がすっ飛ぶんだから」
「いえ、こう見えて、ギロチンが・・・」
「ギロチンはかわいそうだ。それじゃあ、戦場から帰ったら、ギロチンの替りにお嬢様を裸にして城砦の高い所に磔にしてあげよう。こいつはいい見せ物だ」
「お嬢様に当たり散らすのはやめなよ」
 またもアカリが突っかかった。
「お嬢様に取り入ろうとしてるんだ。手柄を立てて召し抱えてもらおうって魂胆ね」
「何よその言い方。やってやろうじゃん」
「いいとも、決着付けようぜ」
 二人は席を立って外へ飛び出した。

「ヤバいよ、敵と戦う前に味方同士でケンカになっちゃった」
「隊長、止めなくていいんですか」
 三姉妹に言われても、アリスにはあの二人の間に入ってケンカを止めることなどできるわけがない。それができるなら敵陣に突撃した方がマシだ。
「やらせておけばいいのよ。戦場に行く前でカッカしてるんでしょう。ちょうどいい訓練だわ。それに私は隊長でなくて、副・隊長・補佐ですから」
「都合が悪いとすぐ逃げる」
「だったら、あなたたちが行ってやめさせなさいよ」
「ほら、こっちに八つ当たりだ」
 三姉妹はお付きのアンナに合図を送り、レイチェルを先頭に腰を屈めてソロリと部屋を抜け出した。アンナもお嬢様の手を引いて駆け出した。
「あーあ、どいつもこいつも世話が焼ける。ナナミさん、何とかして」

 ホノカとアカリの取っ組み合いが始まった。
「コノヤロー△*●」「お前なんか×◎◇だ」服を掴み、髪を引っ張り、放送禁止用語を連発してのケンカになった。
「マーゴット、あなた魔法が使えるんでしょ。争いを止めて仲良くできる魔法を掛けなさい」
 自分では仲裁できないアリスはマーゴットの魔法に頼った。
 マーゴットは魔術の本を広げてページを捲っていたが、
「ありました。仲良くなれる魔法です・・・ああ、でも、まだ習得してないんですけど」
 と答えた。
「この場を収められればいいの、早くやりなさい」
「ではいきますね、でも、どうなっても知らないわよ」
 マーゴットは何やら呪文を唱え、腕を大きく回して二人に狙いを定めた。その指先からビシッと矢が放たれた・・・ように見えた。
 レイチェルとアヤネが恐る恐る近づく。お嬢様とアンナも心配そうに後に続いた。
「どう・・・魔法が効いたかな?」
 すると、ホノカが掴んでいたアカリの髪を放した。
「あーら、アカリちゃん、髪を引っ張るなんて、ワタクシとしたことが」
「こっちこそ、ホノカちゃん、お尻、蹴っ飛ばしてごめん」
 さっきまで掴み合いのケンカをやっていた二人が手を放し、お互いをいたわりあっているではないか。魔法が効いたのだ。
「大成功、やったね、マーゴット」
「さすがは三姉妹のお姉ちゃん」

 二人のケンカが収まったと思ったのもつかの間・・・
「アカリちゃん、可愛い」
「ホノカちゃんこそ、きゃわいい」
 ホノカがアカリの頬を撫で、アカリはホノカに抱きついた。仲直りしたというよりは、どうみてもイチャイチャしている。
「アンナ、あの二人は何をしているの」
 マリアお嬢様がおっかなびっくりと、いや、むしろ興味津々といった様子で前に出てきた。お付きのアンナが慌てて立ち塞がる。
「お嬢様、見てはなりません、あのようなハシタナイ行為は」
 アンナの心配をよそに、二人の行為はますますエスカレートしていった。
「いやあん、そんなことしちゃダメ」
「ホノカちゃん、大好き」
「ああん、死ぬ、もっとして」
 マーゴットの掛けた魔法が効き過ぎて、ホノカとアカリは恋人みたいな仲になってしまった。
「アンナ、大変、死ぬと言っているではありませんか。それなのに、もっとしてとは、どういうことなのですか?」
「お嬢様、つまり、その、男女の関係は理解不能でございまして」
「私はそこが理解したいんです」
「そういうお嬢様こそ理解不能です」
 お嬢様は訓練はサボるし、台所仕事はアンナに押し付けるのに、こういう時に限って熱心になっている。
「マーゴットさん、あなたの掛けた魔法、どこかおかしかったのでは」
「すいません、これ『必ず出会える、男と女のマッチング』という魔法でした」
「何という素晴らしい魔法ですこと。いえ、感心してる場合じゃないわ。お嬢様に悪影響が及んでいるではありませんか。なんとかしなさい」
「大丈夫ですよ、十五分で効き目がなくなります」
「なーんだ、良かった・・・で、その後はどうなるの」
「決まってるじゃありませんか、魔法が解けて元通りになるだけです」
「ということは・・・逃げましょう。お嬢様、急いでください」
 アンナがマリアお嬢様の手を引いて駆け出したとたん、バカヤロー、クタバレ、また二人のケンカが始まった。


 ローズ騎士団がシュロスを訪問することを報告に行ったナナミだったが、隊長のチサトは聞き入れようとはしなかった。守備隊が送り込んだ偵察部隊からはそのような情報は伝えられていないというのだ。入隊期限を守らなかったリーナの話など信用に値しないと一蹴された。さらに、副隊長のエリカには、リーナがスパイではないかと疑われる始末だった。
 ナナミ自身も批判の的になった。正規な試験に合格したリーナが現れたことで、ナナミは非正規雇用だとみなされたのだ。しかも、指揮官と名乗っていることがエリカには許せない。
 さらに、その矛先はシャルロッテことロッティーにも向けられた。
 地下牢に倒れていたナナミを間違って入隊させてしまったのはロッティーだった。ナナミを採用するきっかけを作ったロッティーは、余計なことをしたと厳しく責められた。
「申し訳ありません、アリスの部下にうまいこと騙されたんです」
 ロッティーが謝罪しても隊長は首を横に振った。
「ナナミをクビにして城砦から追放しなさい。さもなければシャルロッテ、お前を部隊から外すことになる」
「は、はい」
 このままでは部隊から締め出され、負け組になってしまう。ロッティーは何が何でもナナミを潰してやると決めた。 

守備隊、戦場へ

 
 カッセル守備隊が出陣する日がやってきた。
 隊長のチサト、副隊長のエリカ、それに続いて他の部隊長が馬に跨って城砦の門を出ていく。それを事務官のミカエラが手を振って見送った。

 副隊長補佐のアリスの部隊は輸送隊の警備の任を帯びて陣に加わっていた。
 城門に架けられた橋の前で出発式をおこなった。人数といい装具といい、本隊とはかなり見劣りがしている。馬ではなく誰もが徒歩で国境を目指すのだ。鎧を身に着けているのはホノカ、アカリ、リーナの三人。いずれも戦闘服の上着に細身のズボン、靴は長めのブーツである。アリスとナナミは戦闘服に肘当て、胸覆いなどの軽装具だ。レイチェル、マーゴット、アヤネの三姉妹はズボンにチュニック、マリアお嬢様、お付きのアンナにいたってはメイド服を着ているに過ぎない。
 お嬢様は鎧を着たいと言い張ったのだが、重い鎧を身に着けると歩くどころか立ち上がれない始末だった。
「それではみなさん、警備のほど、よろしくお願いいたします」
 輸送隊の隊長カエデが挨拶に立った。しかし、目の前の隊員を見て、これで警備が務まるのかと心配になった。装備は不揃いで、いかにも寄せ集めの集団だ。しかも、やる気がなさそうにダレている。
「よーし、任せなさい」「任せた、マーゴット」「やる気くれえ」三姉妹が頼りない気勢を上げた。
「そこ、静かに聞きなさい」とアリスが注意した。
「カエデさん、頑張って」
 注意したにもかかわらず声を掛けたのはお嬢様のマリアだ。これもカエデにとっては不安材料である。花嫁修業中の貴族の娘というのだが、まったくの世間知らずで、馬車の中に自分専用の食糧を積み込みたいと言ってきた。中身を尋ねると、「お菓子です」と答えた。戦場にお菓子を持って行くとは呆れてしまった。
 次に指揮官のナナミが挨拶した。
「出陣にあたって申し上げます。今回、与えられた任務を全力で遂行してください。戦場では勇気を持って戦ってください。ただし、無益な殺生や略奪は禁止します。何より大切なのは、一人の、一人の犠牲者も出すことなく、全員が無事で帰還することです」
 これには期せずして「おおーっ」「指揮官の言う通り」と歓声が沸いた。
 いよいよ出発の時がきた。
 アリスは城砦を振り仰ぎ、生きて戻ってきたいと願うのだった。

 城砦を出発したアリスの部隊、正しくはナナミの部隊は荷馬車の後ろを徒歩で付いていった。
 歩き出して間もなくお嬢様がグズグズ言い出した。
「まだ歩くんですか、アンナ」
「そうです、歩兵なのですから歩くしかありません」
「ああ、イヤだ、足が疲れた」
 振り返ればまだ城砦の門が見える場所だ。
「先が長いんだから馬車に乗せてもらえばいいじゃん」
 アヤネが前を行く馬車を指差す。
「馬車の中は安全だし、万一の時はホノカさんが守ってくれると思うよ」
「というか、本当に怖いのはホノカさんだったりして。さっきも無事に帰ったらお嬢様を磔にするんだと言ってた」
 レイチェルが言うのは助けにも励ましにもなっていない。
「さあ、早く歩こう、お嬢様。ここは領土内だから安心だけど、戦場には敵が待ってるよ」
「そんな怖い所へ行くなんて」
「お嬢様・・・敵は国内、王宮にこそ真の敵が・・・」
 お付きのアンナがそう言いかけて口元を押さえた。

 お昼ごろ、防御の土塁の前で休憩になった。三姉妹はパンと水代わりのワインを配り、アンナはお嬢様の足を揉んでいた。
 アリスとナナミは木陰に並んで腰かけた。
「指揮官、あたしは戦場初体験なもので、なにとぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、剣も槍も苦手なので、いざとなったら、お役に立つかどうか自信ありません」
「今すぐ逃げたい心境です」
「輸送隊の警備ですから、本格的な戦闘に巻き込まれることはないと思いますよ。カエデさんは危険が迫ったときは荷物を放棄して構わないと言ってくれました」
 指揮官であるナナミが、戦闘は不得手だと告白したのを聞いてアリスも心強くなった。荷物を捨て、部下を見捨てて逃げることに専念できるというものだ。戦場でも大事なのは安全第一だ。
「メイド長のエリオットさんには、休暇を取って温泉に行っていただきました」
 ナナミは出発前に、いつもお嬢様が迷惑をかけているのでメイド長に休んでもらおうと提案した。休暇先に選んだのはチュレスタの温泉である。ローズ騎士団を念頭に置いてのことだった。リーナがもたらしたローズ騎士団の情報を隊長に伝えたが取り合ってもらえなかった。そこで、動向を探るため、メイド長をチュレスタの温泉に潜入させたのだ。

 カッセル守備隊は翌日も進軍を続け、国境付近のボニア砦に到着した。ここは堅牢な城壁と土塁に守られた国境の最前線である。カッセルと違って住民の姿はなく、駐留軍の精鋭部隊が監視を続けているだけだ。
 守備隊の幹部たちは木造の陣屋で一夜を過ごすことになったが、アリスたちは建屋には入れてもらえず、陣屋の隣にテントを張った。テントは狭いので兵士たちは外で寝るしかなかった。
 テントから離れた一角にアリス、ナナミ、お嬢様とアンナが集められた。呼び出したのは、副隊長のエリカ、それに部下のロッティーとユキだ。
「ナナミ、お前を呼び出したのはほかでもない、この場で解雇することにした。今すぐ宿営地から退去しなさい。これは隊長の決定だ」
「はっ・・・」
 アリスは何を言い出すのかと耳を疑った。
「地下牢に倒れていたのを助けてやったのが間違いだった」
 ロッティーがナナミを睨み付けた。
 隊長から、ナナミをクビにしろ、さもなければ格下げだと厳しく言われた。今度こそ失敗は許されない。
 戦場の最前線、この荒野に置き去りになって一人で彷徨うがいい。どうなろうと知ったことではない。
「ニセ指揮官、不正に入隊した者など出て行け」
 胸を突くとナナミがよろめいた。
 ユキもここぞとばかりにマリアをイジメた。軽く押しただけでマリアはヘナヘナと地面に膝を付いた。
「お嬢様に何をするんですか」
 アンナがマリアの身体を支える。
「何がお嬢様よ、笑わせるんじゃない。あんたもニセ貴族、ニセお嬢様なんでしょう」
 ユキがマリアの背中を蹴った。
「ひゃん」
「アリス、お前の部隊は、どいつもこいつもダメなヤツばかりだ。副隊長補佐は不倫、ナナミはニセ指揮官。それから、確か、ホノカっていう隊員がいたでしょう」
 エリカがアリスの部隊への口撃を始めた。
「ホノカは前の部隊で上官を殴って罰せられたのよ、不倫部隊にはピッタリの部下だわね」
 アリスはホノカが上官を殴ったことなど聞いてはいなかった。戦争で生き残ったとしても今度は部下に殴られるかもしれない。
「ロッティー、ナナミを叩き潰しなさい。痛め付けてから追放するのよ」
「はいっ」
 ロッティーがナナミに飛び掛かった。体当たりで吹っ飛ばし、髪を掴んで振り回した。
「くたばれ、ナナミ」
 倒れたナナミの上に跨り、腕をねじ伏せて押さえ付けると、バシバシと平手打ちを叩き込んだ。
「あふう・・・」
 ナナミが動かなくなった。
「やったわ、私の勝ち」
 ロッティーが勝ち誇った。

 アリスはオロオロするばかりで助けることができなかった。
 不倫をした報いだとしてもあまりにも酷い仕打ちだ。ナナミを解雇するのなら出陣の前に宣告すればいいではないか。
 それを、最前線まで来てから追放するとは・・・
 向こうではお嬢様がユキに背中を踏まれていた。
「きゃあ、助けて、アンナ」
「お嬢様」
 止めようとして飛び出したアンナの前にエリカが立ち塞がった。アンナはお嬢様が虐められているのを黙って見ているしかなかった。
 すでにナナミはぐったりしてピクリとも動かない。ロッティーがナナミの背後に回った。
「首を絞めてやるわ」
 腕を巻き付けてグイッと締め上げる。
 追放するだけではつまらない、気絶させて道端に捨てるのだ。
「グググ・・・」
 ナナミが苦し紛れに右手を伸ばしてきた。ロッティーの首筋を掴もうとするのを構わずに締め上げた。
「グッ、ギャアア」
 突然、ロッティーが悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだ。
「痛いっ」
 首筋に激痛が走った。
「ちくしょう・・・ナナミ、お前なんかに」
 立ち上がりかけたロッティーだったが、膝から崩れ、捩じれるように仰向けに倒れた。
「あひぇ」
 ビクン、ビクン。
 ロッティーは激しく痙攣し、グベッと口から泡を吹きて失神した。
 その隙にアリスはナナミを助け出そうとした。しかし、ナナミも首を絞められてグッタリしていた。何があったのか、目の前で起こったことが信じられなかった。アリスが見る限りではナナミは武器を持ってはいなかった。ロッティーの首筋に指先を当てただけで失神させたのだった。

「バカモノ、お前なんかクビだ。顔も見たくない」
 エリカがロッティーに言い放った。
 一方的に攻めておきながら反撃を受けて気絶させられるとは、まったく情けない。ナナミに逆転負けを喫したロッティーなど、部隊に置いておくことはできない。見せしめのためにロッティーを追放することに決めた。
「今すぐ立ち去りなさい」
「ヒイイ、ヒヒイ・・・お許しを、どうか、お許しを」
 憐れ、ロッティーは地面に這いつくばって泣き続けた。


 そのころシュロス月光軍団は一足先に国境付近に陣を敷いていた。隊長のケイコ、参謀のサトミ、副隊長のミレイが部隊を率いている。留守役だったユウコも出陣を命じられ部下のミキとともに前線へ向かっていた。
 隊長のケイコは来訪するローズ騎士団を避けるために出陣した。この戦いで戦果を挙げて騎士団に見せ付けることが目的である。カッセル守備隊は隊員不足や司令官の不在が続き、陣容は整っていない。叩くには絶好の機会だ。とはいえ、守備隊を壊滅させようとまでは考えていない。こちらの兵力の損害は最小にして、敵の幹部を捕虜にできればよいのだ。
 それだから、守備隊にじっくり待たれるのが一番困る。戦いが長引けば、来訪したローズ騎士団が王宮へ帰ってしまいかねない。接待をほったらかして兵を動かしたことが王都に知られたら懲罰物だ。
 しかし、待っていても守備隊は動きそうになかった。ケイコは次第に苛立ちが募ってきた。そろそろ、こちらから作戦を仕掛ける時だ。
 参謀のサトミに前線の状況を尋ねた。
「守備隊の陣立てが整う前に前進しておきたいのですが・・・また黒い騎士が現れましたので、やや足止めされています」
 昨日、月光軍団の行く手を阻むかのように黒づくめの鎧兜を身にまとった騎士が出現した。矢を射かけてみたが、その騎士が剣を振り回して叩き落としてしまった。数人が斬りかかったところ、地面に亀裂を生じさせ地下に消えたというのだ。
「若い隊員の中には、悪魔か怪物だと言う者が出る始末です」
「怪物か・・・」
 黒づくめの騎士に備えて見張りを増やしておくようにと命令した。それよりは守備隊をおびき寄せる方策が大事だ。

   〇 〇 〇
 【長くなってきましたので、このあとの展開は、あらすじで簡単にご紹介します】
 シュロス月光軍団はカッセル守備隊をおびき出す作戦を仕掛けます。そうとは知らず、守備隊の隊長チサトは勢い込んで自ら突進したのですが、敵の罠に嵌ってしまい、包囲されてしまいます。アリスたちが警護する後方の輸送隊にも前線から兵士が逃げてきました・・・
   〇 〇 〇

 バラバラと逃げてくる守備隊の兵士を見て輸送隊は騒然となった。
 兵士の話では、月光軍団の待ち伏せ攻撃により隊長は孤立、周囲を敵に囲まれてしまったという。
 輸送隊の責任者カエデが「副隊長のエリカさんが別動隊で加勢するはずだが」と訊くと、まだ副隊長の援軍は来ていないとのことだった。
 カエデは輸送隊の主だった部下と護衛に当たっているアリス、ナナミを集めた。
「後退の準備を始めます。護衛部隊も配置に付いてください」
 さっそく荷馬車が方向転換を始めた。しかし、何台もの馬車が一斉に回転したのでたちまち渋滞が発生してしまった。
 車が軋み、馬がいななく。
 荷馬車と一緒に後ろへ下がろうとしたアリスをナナミが呼び止めた。
「アリスさん、部下に指令を与えてください」
「はい、指揮官がそう言うのでしたら・・・」
 ナナミに促されてやむなくアリスは指令を出してみた。ホノカ、アカリ、リーナを敵襲に備えるため最前列に配置し、というか丁寧にお願いし、他の隊員は救護班の応援に行くように言った。戦場で初めての指示だったが、ホノカたちは素早く展開し三姉妹も救護テントに向かった。
 やればできるんだ。アリスは部下が素直に指示に従ってくれたことに感激した。よし、今度こそ安全な場所へ退避しようとしたのだが、またしてもナナミに腕を掴まれた。
「私たちはこっちです」
 ナナミに手を引かれて行った先は撤収作業の最後尾、すなわち戦いの最前列だった。
 石ころだらけの道、その先の鬱蒼とした森。遠くには小高い丘や岩肌が剥き出しの山が見える。顔に当たる風が痛い。戦場はずっと遠くだが兵士の叫び声が聞こえてくるような気がした。今にも矢が飛んできそうだ。
 後方にいられると思ったのに最悪の事態に最悪の場所だ。
「よお、隊長」
 ホノカが振り返った。
「ここへ来てごらん、血の匂いがするから」
「遠慮しておきます」
「逃げるなよ、逃げたら槍で突き刺す」
 上官を殴って部隊をクビになったホノカなら本気でやりそうなことだ。

 そこへまた味方の兵士が何人も逃げてきた。負傷した兵も目立つ。アリスがあたふたしているのに比べナナミは落ち着いて対処していた。怪我をした者は手当てのため救護班に運ばせ、軽傷の兵士からは前線の情報を聞き取った。
 その兵士は、本隊はますます月光軍団に攻め込まれ隊長は完全に逃げ場を失ったと答えた。
「援軍は? 副隊長の援軍は」
 ナナミが問い質したが兵士は首を振るだけだった。
 この時点でも援軍が合流できていないというのは、副隊長にも非常事態が発生したと考えるべきだ。
 救護班のテントでも問題が起きていた。マリアお嬢様は任務をサボって寝ていたところをアンナに叩き起こされた。
「騒がしいなあ、何があったの」
「戦争です、お嬢様。いよいよ本格的な戦いが始まったのです」
「ウッソー、知らなかった。それで、どっちが勝ったの」
「こっちに決まってるでしょう、と言いたいところですが、守備隊が負けそうな状況です」
「ヤバい」
 お嬢様はまた布団を被った。
「怪我人が運ばれてきて行列ができているんです。お嬢様が寝ていては手当てができません、そこをどいてください」
「あーあ、だから、こんなとこ来るんじゃなかった」
 ブツブツ言いながらマリアお嬢様はテントを出た。テントの外では負傷者が地面に横たわって治療を受けていた。マーゴットやアヤネは傷口を洗い流して薬草を貼っている。
「お嬢様、サボってないで手伝って・・・いえ、あっちへ行っててください。その方がはかどるわ」
 アヤネに追い払われたのでマリアは行列の後に回った。そこで最後尾の札を持って列を整理しているロッティーと鉢合わせになった。
 シャルロッテことロッティーは、ナナミを追い出そうとして痛め付けたのだが逆襲に遭ってしまった。隊長の怒りを買って部隊を追放になり、やむなく救護班に身を置くことになったのだ。
「お寝覚めですか、お嬢様」
 お嬢様にも敬語を使って敬うロッティーだった。ここでもダメなら逃亡するか、あるいは敵に寝返るしかないのだ。

 輸送隊の荷馬車が転回を終えて整列した。あとは退却命令を待つだけとなった。
「ナナミさん、そろそろ撤収した方がいいんじゃない」
 アリスとしては一刻も早く安全な所まで退避したい気持ちだ。
「同感です。月光軍団は隊長を捕虜にすれば引き揚げて行くでしょう」
 ナナミは他人事のように言った。
「ここまでは攻めてきませんよね」
「負傷者の手当てを急ぎ、テントを畳んで馬車に積み込みましょう」
 ついでに自分も乗り込みたいとアリスは願った。
 そこへ馬に騎乗した一団がなだれ込んできた。副隊長のエリカだった。エリカは手勢を率いて本隊と合流するはずだった。それが、輸送隊の待機しているところまで後退してきたのだ。
「早く、救援を」
「ここには荷馬車の護衛しかいません」
 輸送隊のカエデが答えた。
「見れば分かる。兵を出しなさいと言ってるでしょ、隊長を助けるのよ」
 自分は逃げてきておきながら、援軍を出せと言うのだ。
 さらにエリカは、
「ナナミ、お前が余計な口出しをするから、作戦が混乱したんだ」
 と、責任を転嫁してきた。
 その間にも負傷した兵が担ぎ込まれてくる。これではますます損害が大きくなる一方だ。
 ナナミは迷わず決断した。
「分かりました。私の部隊を救援に向かわせましょう」
 アリスを振り返る。
「いいですね、アリスさん」
「ええ、まあ、ナナミさんがそう言うのでしたら」
 だから早く逃げればよかったのに・・・アリスは頭を抱え込んだ。

 ナナミはホノカ、アカリ、リーナを呼び寄せた。救援部隊として送り込めるのはこの三人しかいない。退却してきた兵士たちからおおよその状況は聞き取ってあるので、すぐに三人に指示を出す。
「援軍として派遣します。急いで敵の陣営に向かってください」
「はいっ」
「すでに隊長が捕虜になっていた場合は負傷兵の救出をしなさい。交戦中の場合は突撃して敵を蹴散らし、隊長を逃がしなさい」
「了解」
「敵の追撃に備え、この場所で陣地を構築して迎え撃つこととします。無事で帰ってきてください」
「任せてください。必ずやり遂げて帰還します」
「無闇に敵を斬らないように」
 ホノカたち三人は「おうっ」と答えて馬に跨った。

「ここも戦場になるかもしれません。カエデさん、輸送隊の荷物を降ろして道を塞ぎ、壁を作ってください」
「はい、軽くした方が馬車が速く走れます」
「すみませんが、荷物の空いたスペースにお嬢様を乗せてください」
 カエデに連れられて、お嬢様とアンナは荷馬車に乗り込んだ。
「ホノカさんたちが無事に帰ってくれるといいんですが」
「大丈夫ですよ、きっと任務をやり遂げてくれます」
 アンナは荷駄を解いてパンを取り出し背嚢に詰めた。戦闘に備え食料を小分けにして持ち運べるようにしたのだ。
 マリアお嬢様は幾つかの荷物を開けていたが、
「あったわ、チョコレート。これを持って戦場に行きましょう」
「またお菓子ですか。お嬢様は戦場には行かなくていいんですよ、どうせ足手まといになるんですから。ナナミさんが馬車に乗って逃げなさいと言ってくれました」
「なーんだ、つまらない」


 シュロス月光軍団は守備隊の隊長チサトを包囲していた。チサトはすでに馬を降り、守備隊の隊員を盾にして身を守っていた。
「おとなしく捕虜になりなさい」
 参謀のサトミが馬上から見下ろした。
 敵は離脱者が続出して兵力は半減している。雑兵には用がないので逃げても深追いするなと命令してある。捕虜にするのは幹部クラスの数人で良いと思っていたが、その狙い通り、隊長の身柄を確保しつつあった。物見からは、守備隊の別動隊らしき部隊も蹴散らしたという連絡が入った。予備の戦力としてユウコの部隊を参陣させたが、その必要もなかったほどだ。
 信じられないくらいの大勝利である。
 月光軍団隊長のケイコはシュロスに凱旋する姿を思い浮かべた。敵の隊長を捕虜にして連行できればローズ騎士団に対して十分すぎる戦果だ。
 カッセル守備隊を撃破しただけではない、ローズ騎士団にも勝ったのだ。憎きローラにも勝ったのだ。
 この勝利を知らせるためシュロスに伝令を遣わした。最初に送った伝令には、凱旋の祝賀会を準備しておけと伝えてある。この大勝利ならばローズ騎士団の歓迎会より豪華になるだろう。秘蔵のワインを瓶ごと一気飲みしたくなった。
 貴重なワインをローラなんかに飲ませるものか。
 
 ホノカ、アカリ、リーナの三人は全速力で馬を走らせた。途中で、後退してきた味方の兵と何度も遭遇した。状況を尋ねると、まだ戦いは続いているという。急げば間に合いそうだ。
 馬を走らせ、戦場を見渡せる小高い丘に上った。
 しかし、丘の上から眺めるとカッセル守備隊はもはや絶望的な状態だった。隊長の一団は敵陣深く追い詰められ周囲を取り囲まれている。傭兵集団も不利と見て戦場から去ってしまったのだろう。
 そこかしこに月光軍団の旗がはためき、戦況の優位さを誇っているかのようだ。赤と黒に塗り分けられたバロンギア帝国の旗も見える。おそらく、そこが月光軍団の本陣であろう。勝ち戦の余裕からだろうか、本陣の警護に当たっている兵は僅かだった。
「本陣を迂回するか、それとも突っ込むか」
「突っ込むしかないね」

 月光軍団の若手の隊員、ミカ、マギー、ヒカルたちは包囲網の一番外側の外れで待機していた。軽装備の防具を着けているだけで、剣や槍などの武器は持たず、ゆっくりと寛いでいた。
 戦いは月光軍団の楽勝だった。激しい戦闘どころか、敵の姿を間近に見ることすらなかった。兵士らしい任務といえば武器の運搬をしたくらいだ。初陣としては物足りないが、なにより怪我をしなくて助かった。
 もうすぐ城砦に帰れる。
「こんなことならお菓子を持ってくればよかった」
「お菓子の代わりに雑草でも齧るか」
 ヒカルが思い切り雑草を引き抜くと土がたくさん付いてきた。
「抜きすぎだよ」
「・・・何か揺れなかった?」

 バリリ
 大地を引き裂いて地下世界の住人サヤカが現れた。黒づくめの鎧兜に身を包み地の底から這い上がってきたのだ。
「敵だ」「悪魔だ」「逃げろ」サヤカの姿を見て月光軍団にざわめきが走った。
 動揺は瞬く間に広がった。隊員がざわつくのを参謀のサトミが「落ち着け」と鎮めようとした。しかし、いったん広がった波紋は消すことができない。副隊長のミレイまでもが浮足立った。
 よりによってこんな時に、悪魔ではないかと噂していた黒づくめの不気味な騎士が現れたのだ。
「あんなヤツにかまうな。敵は守備隊の隊長だ。捕虜にせよ」
 サトミが指示を出したが、包囲していた陣形が崩れだすのを止められなかった。
「わわあー」
 マギーとヒカルは歓声が聞こえただけで腰を抜かした。

 敵陣の真っ只中に異変が起きたのを見逃すはずはない。カッセル守備隊の救援部隊は丘を駆け下りて本陣を目指した。
 月光軍団の本陣は大騒ぎだ。すぐ脇を、馬に乗った騎士の一団が駆け抜けていったのだ。
「こっちにも悪魔が」「怪物だ」「隊長を守れ」
 先ほどまでの楽勝ムードは一瞬にして消し飛んでしまった。
「ほら、お前だ」
 守備隊のリーナは中る(あたる)を幸い、鋭い槍で突きまくった。群がる数人を蹴散らし、その勢いでジュリナをなぎ倒した。
 ホノカは疾走する馬上から剣を振り回した。
「邪魔だ、命が惜しければ下がっていろ」
 バシッ
 すれ違いざまに副隊長のミレイを弾き飛ばした。
「あっひゃあ」
 ミレイは転げ落ちた。
 これを見たレンが弓を取り矢をつがえたが、アカリの投げた飛礫が腕を直撃した。

「あれは何者だ」
 ホノカが敵陣を威圧する黒づくめの騎士を指した。敵か味方かは分からないが、どちらにせよ、守備隊に加勢してくれていることには間違いなかった。
 ホノカは隊長のチサトの元へ駆け寄った。敵の抵抗はほとんど受けることはなかった。月光軍団はホノカたちを黒い騎士の仲間だと勘違いして逃げ出したのだった。
「隊長、ご無事で」
「あわわ、お前は誰だ」
「輸送部隊の警備兵です。指揮官のナナミさんの指令により隊長を救出にきました」
「ああ、ナ、ナナミの・・・そうか」
 追放しようとしていたナナミの部隊が救援に駆け付けたとあって、チサトは面目丸つぶれだった。
 ホノカが先導し、守備隊の兵を守りつつ包囲網を抜け出すことができた。ホノカはそこで自分の乗ってきた馬を味方の兵士に与えた。
「隊長、先に逃げてください、我々がここで敵を防ぎます」
「ああ、そうする」
 チサトは礼もそこそこに馬を駆った。
「ホノカ、隊長と一緒に退却するんじゃなかった? こんな敵の真ん中で食い止めるなんて、ナナミさん、そんなこと言ってたかな」
 指揮官のナナミは、輸送隊が待機している所で陣地を作っていると言っていたはずだ。
「そうだっけ、アカリ。あたし間違えたかな」
「大間違いだ。見てごらん、敵は百人くらいいるよ。でもって、こっちはたったの三人、馬はないし、どうする」
「どうするって言われても・・・やることは一つだよ」
「そうだよね」
「逃げよう」

 月光軍団のミカは気が逸った。
 黒づくめの騎士が出現したことで優勢だった状況が一変してしまった。三人ばかり乗り込んできたのだが、それが黒づくめの騎士の仲間なのか、それとも敵の突撃隊なのか分からない。しかし、相手は僅かな人数だ。出陣前に部隊長のミキに訓練を受けた、その成果の見せ所だ。
 体当たりでもなんでもしてやる。
 だが・・・足がすくんで動けなくなった。これが戦争だ。これが戦場だ。

 月光軍団の隊長ケイコはただ茫然として見ているだけだった。
 正体不明の黒づくめの騎士が出現したことによって戦場は大混乱になった。それと同時に本陣になだれ込んできた者たちは、悪魔の騎士の仲間かと思うほど暴れまくった。突撃してきたのが守備隊だと判明した時はすでに手遅れだった。捕らえたはずの守備隊の隊長に逃げられた。
 これではローズ騎士団に合わせる顔がなくなった。手ぶらでシュロスに戻ったのではローラに罵倒される・・・
 このまま指を銜えて見ているわけにはいかない。こちらには無傷の兵、百数十人がいるではないか。
「敵は数騎だ、全軍、追撃するのよ」

 予備兵力として参戦していたユウコとミキは逃走する敵を追走した。守備隊が突撃してきて、数騎で月光軍団を蹂躙していった。むしろ駆け抜けていったと言うべきだ。敵の兵は本陣には目もくれず守備隊の隊長を救出に来たのだ。
「ミキ、あそこに」
 前方に、馬に乗らず走って逃走する三人が目に入った。遠目に見ても殺気を孕んだ姿である。
 逃がすものかと、たちまち追い抜き、前に回り込み行く手を塞いだ。
 ユウコとミキが馬を下りた。対するはホノカ、アカリ、リーナの三人だ。
「ううむ」
 構えを見ただけで只者ではないと分かる。久しぶりに出遭った強敵にミキの闘志はメラメラと燃えた。
 斬り合いが始まった。
 ガキン、バシッ
 ミキが睨んだとおり、なかなか手強い相手だ。だが、それにしては鎧といい兜といい、身に着けた装備は軽い。対するミキは革製の上着にたくし上げたスカートを履き、腹部胴体には鎧で覆い隠している。敵は歩兵だろうか、騎士でもないのにこんなに強い兵がいるとは驚いた。
 二対三、数では不利だがミキは後へは引かない。ホノカとアカリを相手に二刀流で互角に剣を合わせた。
 ビユッ
 ミキの小刀がホノカの肩口を掠めた。左手の小刀でミキと対峙し、右手にした剣でアカリと間合いを保つ。
 しかし、ユウコがリーナに押し込まれていた。ユウコの悲鳴に振り向いた瞬間、ミキは小刀を叩き落とされた。
「あっ」
 斬られると覚悟した。だが、敵は剣を収めて駆け出していった。
「大丈夫ですか、ユウコさん」
「ええ、危ないところでした」
「手強い奴らだった」
 剣を落とされたのでは負けに等しい。ミキは駆けていく三人の後ろ姿をキッと睨んだ。

 とにかく逃げることが先だ、ホノカたちはまた走り出した。今の闘いでかなり遅れてしまった。追いつかれないように速度を上げる。しかし、息が苦しくなってどたりと倒れ込んだ。
「後方で陣を張って待っているんだよね」
「ああ、でも、副隊長のアリスはとっくに逃げただろうな」
「馬車に乗って一目散だ」
「カッセルに帰ったら、アリスをぶっ飛ばしてやろう」
 ホノカは肩口に手を当てた。小刀で斬りつけられた傷口が傷む。
 地面に耳を付けたリーナが敵の足音を察知した。
「追手が来た」

 九死に一生を得たカッセル守備隊の隊長チサトは、ほうほうの体で輸送隊が待つ所へ逃げ込んできた。付き従うのは数人の部下だけだ。副隊長のエリカが救護班に向かって、水だ、薬だと大声を出している。
 救護班にいたロッティーは汚名挽回とばかりに水桶を運んだ。
 三人はまだか・・・指揮官のナナミは遠くを見つめた。
 逃げてきた隊員によると、ホノカたち三人は隊長に馬を譲り、自分たちは走ってくるのだという。月光軍団から馬で追撃されたら、たちまち追い付かれてしまうだろう。無事に戻ってくれればいいのだが。
 月光軍団の部隊は百人かそれ以上と思われる。こちらはせいぜい五十人しかいない。ここで陣地を構築したとしても、追撃してくる第一陣を食い止めるのが精一杯だ。
 犠牲者を最小限にするには、隊長と副隊長に先頭に立って戦ってもらいたい・・・
「ナナミさん、大変、隊長が」
 輸送隊の責任者カエデが慌てて駆け込んできた。
「隊長が退却する」
 
 カッセル守備隊の隊長チサトが退却しようとしていた。
 ナナミが馬車の集合場所へ駆け付けると、マリアお嬢様が荷台にしがみついているところだった。それを、先に乗り込んでいたエリカとユキが押し出そうとしている。
「あんたなんか乗せるもんか」
 ユキがお嬢様の手を引っ叩いた。
「あっ、ひゃん」
 お嬢様が荷台から落下した。
「うわっ・・・」
 寸でのところで抱き止めたのはアリスだった。だが、アリスは落ちてきたお嬢様の下敷きになった。
「アリス、ナナミ、お前たちは撤退の最後尾、しんがり部隊になれ、隊長の命令だ」
「待ってください、せめてお嬢様だけでも馬車に乗せてください」
 ナナミは叫んだ。
 横からロッティーが荷台に手を掛けた。
「待って・・・私も乗せて」
 隊長とともにエリカとユキが馬車で逃げようとしているのだった。
 自分だけ置いていくなんて・・・
「お前も同罪だ。二度と帰って来るな、ロッティー」
 エリカが馬車の幌を閉じた。
「待って、待って・・・助けて」
 ロッティーの声をかき消すように車輪がガラガラと回りだした。
「あはあ・・・あはあ」 
 ロッティーはヘナヘナと崩れ落ちた。

 隊長が乗った馬車がどんどん小さくなっていく。
 アリスは戦場の真っ只中に置き去りにされたのだ。いざとなったら部下を差し置いても自分だけは助かろうとしていたのに、あろうことか、上官に見捨てられてしまったのである。
「こんなはずではなかった」
 しかし、その原因を作ったのは不倫をしたアリスに他ならなかった。

 そこへホノカたちが戻ってきた。
 全速力で走り続けてきたのでゼイゼイと荒い息で倒れ込む。
 三人とも無事だった。
「指揮官、ナナミさん、敵が来る、敵が。陣立ては・・・ゴホッ」
「それが・・・私たちはしんがりを任されたの」
「なんですって」
「隊長はどこ」
「逃げてしまったわ」

置き去り部隊

 ルーラント公国カッセル守備隊のアリスたちは戦場の真っ只中に置き去りにされてしまった。

 副隊長補佐のアリスと指揮官のナナミが率いる部隊は、しんがりの役目を命じられた。退却する部隊の最後尾で、追ってくる敵と戦い、本隊を無事に逃がすのが「しんがり部隊」である。カッセル守備隊隊長のチサトはすでに退却してしまい、残された部隊は僅かに十人足らずだ。
 背後からはバロンギア帝国シュロス月光軍団が追撃してきていた。

 幸いなことに太陽が傾きだしている。
 赤土の混じる地肌にゴロゴロとした岩や低い灌木が点々とする大地、遮る物のない平坦地で敵を迎え撃つのは容易なことではない。その先の、西日に照らされた林まで逃げられれば一夜を明かすことができるだろう。
「あそこに見える林まで逃げ込みましょう。荷駄はすべて放棄します」
 ナナミが指示を出した。
 ホノカとアカリが見張りに立ち、輸送隊のカエデを先頭に、アリス、ナナミ、それに、レイチェル、マーゴット、アヤネ、マリアお嬢様、お付きのアンナが続く。後ろを固める役目はリーナだ。
 総勢十一人・・・あと一人、シャルロッテことロッティーがいた。
 隊長の配下だったロッティーは、ナナミを追放するのに失敗した責任を取らされて置き去りになった。
「シャルロッテさん、あなたも一緒に行きましょう」
 ナナミがへたり込んでいるロッティーの手を取った。
「イヤだ、馬車に乗って逃げたかったのに、こんなのイヤ」
「ここに残ったとしても、殺されるか捕虜になるか、どちらかですよ」
「殺される・・・あはあ」
 ロッティーは地面に突っ伏した。
「来いよ、ロッティー、死にたくなかったら付いてこい」
 リーナがロッティーの襟首を掴んで引き起こす。やむなくロッティーは逃走の輪に加わることになった。
「来るぞ、馬で追ってきた」
 リーナが遠くを見て叫んだ。
 林を目指して駆け出したのだが、足の遅いお嬢様がいるのではたちまち追い付かれてしまった。馬は先頭を追い越してその先で止まった。
 シュロス月光軍団の部隊長ジュリナが逃走する一団を捕らえた。槍を構えて行く手を塞ぐ。
「そこまでね、もう逃げられないわ」
「そうはさせない」
 ホノカが繰り出された槍を掴み取り、思い切り引っ張るとジュリナが馬から転げ落ちた。
「今のうちに、みんなで走れ」
 守備隊は一目散に林を目指した。
 水平線に夕日が沈み、ますます辺りが暗くなった。アリスたちは林の奥に逃げ込み、崩れた石垣を見つけて身を潜めた。
 食事はパンと燻製肉を分け合った。輸送隊の荷物からお嬢様とアンナが持ち出したものだった。

 すでに日は暮れた。
 シュロス月光軍団隊長のケイコは暗くなった空を仰いだ。
 不覚にもいったんは確保したカッセル守備隊の隊長に逃げられてしまった。
 何としても隊長を捕虜にしなければならない。捕虜を奪わなければローズ騎士団に合わせる顔がないのである。捜索隊からは前方で敵兵を発見したという報告が入った。守備隊の残党らしき兵が十人ほど抵抗しているとのことだった。敵は小勢だ、簡単に蹴散らせる。
 しかし、隊長のケイコが駆け付けた時はすでに敵の姿は見失っていた。この闇では追尾はできない、夜明けを待って追撃を再開することにした。

   〇 〇 〇

 白々と夜が明けた。
 ナナミが点呼を取って人数を確認したところ、十二人、全員揃っていた。
 さっそく作戦会議を開いた。
「月光軍団は隊長を捕らえようと追撃してきたのです。しかし、隊長は城砦へ逃亡してしまいました」
 指揮官のナナミが言った。
「私たちは置き去りにされました。カッセルの城砦に戻ったとしても、あの隊長のことですから門の中に入れてくれるとは限りません。帰る場所がないんです」
 一同からため息が漏れた。マリアお嬢様は両手で顔を覆い、ロッティーはため息をつく。
「行く当てもなく荒野を彷徨い、そのうち食料は尽き、行き倒れになるでしょう。命の保証はできません。運よくどこかの城砦に逃げ込めたとしても、せいぜい奴隷にされるくらいです」
 それを聞いてアリスはガックリと肩を落とした。
「そこで、私たちに残された道は・・・敵を打ち負かし、捕虜を奪い取って城砦に凱旋することしかないのです」
 ナナミはただ逃げるだけでなく月光軍団を倒して捕虜を奪うと言った。
「この人数では厳しいな」
 逃げるだけならともかく、敵を倒すとは、さすがのホノカもこれは無謀だと思わざるを得なかった。
「そうだよな、この戦力では・・・」
 ホノカだけではないリーナとアカリも暁の空を見上げて唸った。
「敵陣から救出したのはホノカさんたち。それなのに自分だけ逃げるなんて許せないじゃない」
 ナナミの言葉がきつくなった。
「隊長を見返すためにも、勝って、捕虜を奪って凱旋したい。置き去りにされた恨みを晴らすのよ」
「私は退却するだけでもいいと思う」
 輸送隊の隊長カエデは、戦うことより逃げることを優先するべきだと言った。
「隊長はボニア砦に着いている頃よ。今日中には城砦に戻れると思う。私たちはしんがりの役目は十分に果たしている。その功績は認めてくれるはずだわ」

 撤退か交戦か・・・このままでは座して死を待つだけだ。
「それでは」とナナミが立ち上がった。
 木々の間から朝日が差しこんでナナミに降り注いだ。
「カッセルへ向かって撤収することとします。ただし、月光軍団と遭遇した場合には戦ってください。この人数では不利であることは否めません。その時には・・・私が捕虜になりますので、みなさんは逃げ延びてください」
 隊員たちを逃がすために指揮官が捕虜になる、それを聞いてカエデやホノカも納得したのだった。
「副隊長補佐、あんたはどうなの、指揮官は自ら捕虜になるというんだよ、あんたの決意を聞きたい」
「はあ、私も逃げられればそれに越したことはないんですが、どうしても言うんでしたら、捕虜になってもいいかなと、どちらかと言えば、そういう心境です」
 ホノカに迫られてアリスは捕虜になると答えるしかなかった。
「よし、これで決まった。副隊長、あんたが真っ先に捕虜になれ」
「は、はい」
 こういう時に限って副隊長の責任を押し付けられるのであった。

 ロッティーは隊員たちの後ろで小さくなって座っていた。十二人の中で自分だけが仲間外れだ。これまでナナミやマリアを目の敵にしてイジメてきたことを悔やんだ。しかし、この状況では指揮官のナナミに従うしかない。集団からはぐれたら月光軍団の餌食にされるだけだ。
「ロッティー、あなたも一緒に戦ってくれるよね」
 ナナミに呼び止められた。
「月光軍団を倒さなければカッセルの城砦には帰れないわ。分ってるでしょう、あなたも同じ運命なのよ」
 ロッティーには戦場に残るのも地獄だが、城砦に帰るのも地獄に等しい。

 アリスたち十二人は林を抜け出して街道へと向かった。
 お嬢様を守りながら歩いていたのではスピードは上がらない。すぐに月光軍団の偵察隊に発見されてしまった。
「月光軍団です、騎馬が数騎」
 物見をしていたマーゴットが叫んだ。
「来るぞ、バラバラにならないで、まとまっているんだ。お嬢様を真ん中にしろ」
 ホノカが声を掛ける。
 土煙をあげて月光軍団が追いついた。取り囲んだのは副隊長のミレイ、部隊長のジュリナたち十騎ほどだった。
「隊長はどこ」
 副隊長のミレイが馬上から見渡した。
「隊長は逃げて行った、とっくに国境を越えているころよ」
「どこまでも追いかけていくわ、雑兵はどきなさい」
 道を塞いでいるの残兵はせいぜい七、八人。慌てていたのだろう、鎧兜も着けていない兵もいる。こんな相手に構っている時間はなかった。
 しかし、ここで予想外の抵抗に遭った。一騎が襲い掛かったが、敵の兵に引きずり落とされた。もう一騎も槍を奪われる始末だ、雑兵と見えたが意外にも強かった。
「何を手間取っている、全員で掛かれ」
 一気に馬で蹴散らせに掛かった。
 これでは敵わない。リーナやアカリが敵を防いだものの、アリスたちはてんでに駆け出した。月光軍団の騎馬に右へ左へと追いやられるうちに散り散りになり、ついに、数人ずつの集団に分かれてしまった。
 しかも、最悪なことに、アリス、ナナミ、カエデ、お嬢様とアンナの五人だけのグループになっていた。
「お嬢様、そこの木の陰に隠れましょう」
 アンナが手を引いて、針のように尖った低木の背後に身を隠した。

「いたわ、ここよ」
 月光軍団の副隊長ユウコ、部下のミキが敵兵を見つけた。ミカ、マギー、ヒカルの三人も続いている。
「カッセル守備隊の隊員ね」
 ユウコが確認した。
「そうですね、何と言いますか・・・早く言えば、おっしゃる通り守備隊です」
 問い詰められて仕方なくアリスが認めた。
「命まで奪おうとは言いません。捕虜にしますので付いてきなさい」
「はい、はい」
 アリスは二つ返事で捕虜になろうとした。
 相手は軍人にしては丁寧な言葉遣いである。礼儀を弁えているタイプに見えた。いきなり斬り殺されるような心配はなさそうだ。副隊長補佐という微妙な役職であることや、戦場初体験だとか、置き去りにされた事情を訴えれば、捕虜にはせずに解放してくれるかもしれないと思った。
「縄につけ。それとも掛かってくるか」
 アリスがグズグズ考えていると敵の一人が剣に手を掛けた。こちらは見るからに強そうで、革製の服に胸当て、肩当てなどに身を固め、革のブーツを履いた重装備の兵士である。言い訳など通用しない、いきなりバッサリ斬るタイプだ。
 これでもアリスは軍人のはしくれである。随分前のことだったが剣の稽古はしたことがあった。
 そこではたと気が付いた。敵と向かい合うのはこれが初めてだった。手が震えて剣が抜けなくなった。
 敵がフッと笑った。アリスは笑われている。
「お前には武器は必要ない、掛かってきなさい」
 なんと素手で戦うというのだ。人を見下した態度、というか、諸般の事情を察して大幅に譲歩してくれたのである。
 アリスは剣を抜いて構えた。
「イヤァ」
 ガシッ。
 踏み込んだところを体をかわされ、あっさり剣をはたき落とされた。戦場デビューは僅か一秒で終わった。
 アリスはまだいい方で、他の二人、ナナミとカエデに至っては剣を抜くことすらできなかった。ナナミはあくまでも戦うと言っておきながら、いざとなったら、あっけなく抵抗を諦めてしまうのだった。

 敵ながら情けなるほどに軟弱な相手だった。
 月光軍団の部隊長ミキは、
「お前たち、こいつらを取り押さえなさい」
 と、部下のミカやマギー、ヒカルに命じた。
「はいっ」
 三人は守備隊のアリスたちを押さえ付けて身柄を確保した。
「よくやったぞ」
「いえ、ミキさんが倒したんですよ」
「私たちは腕を掴んだだけです」
「見ましたね、ユウコさん。ミカたちが敵を捕まえるところを」
「ええ、しっかり見せてもらったわ」
「三人の手柄だと褒賞係に伝えることにしよう」
 ミカたちは倒れている敵を押さえ込んだだけなのに、ユウコやミキは手柄を立てさせてくれた
「捕まえたってことは間違いない、初陣なんてこんなものだよ」

 さっそくその場で捕虜の取調べが始まった。
 ミキが役職と名前を問い質すと、捕虜の内の二人は、輸送隊の隊長カエデ、副隊長補佐のアリスだと判明した。捕らえてみれば意外にも高官であった。ミカは自分たちが捕虜にしたのが幹部クラスだと知ってびっくりした。
「あなたは?」
 ユウコがナナミに尋ねた。
「ナナミです、この部隊の指揮官です」
「月光軍団副隊長ユウコです」
 ユウコはナナミを見つめた。白く透き通るような肌、スッとした鼻筋、美しい顔にたちまち魅入られた。ナナミを捕虜にできたことを密かに喜んだ。
「輸送隊の隊長に指揮官とは、願ってもない収穫ではありませんか」
「え・・ええ」
 ナナミの容姿に見とれて返事がおろそかになった。
 ミキが聞き取りを続けたところ、守備隊の隊長はすでに逃亡し、しんがりを任されたのだということだ。
「部隊は何人だ」
「全部で十二人です。みんなバラバラになりました」
「たった十二人、それだけで最後尾にいるんですか」
 ユウコは少なからず同情してしまった。

「あひっ」
 灌木の背後で声がした。
「誰か隠れているな。ミカ、お前たち見てきなさい」
 ミカを先頭に三人で声のする方へ近づいた。相手が攻撃してくるかと身構えたが、敵は茂みに隠れたまま出てこない。ヒカルが恐る恐る覗き込むと、そこにはメイド服を着た二人が身体を寄せ合っていた。
「カッセル守備隊の人ですか」
「そうです、それがどうかしましたか」
「逮捕しますよ」
 二人を捕まえればさらに手柄をあげられる。しかも、相手は抵抗もせず地面に座り込んでいるだけだ。いかにも弱そうだ、これなら勝てる。ついに自分より弱い敵に遭遇したのだ。
「マリア、怖い」「お嬢様、気を確かに」
 二人がお嬢様などと呼び合っているのを聞くと捕虜にするのが気の毒になってきた。ヒカルがそっと手を差し伸べた。
「一緒に来てください」
 灌木に隠れていたマリアお嬢様とアンナが連れてこられた。ナナミは月光軍団の隊員と手を繋いでいるのを見てホッとした。
「お嬢様、ご無事ですか」
「ああ、怖かった」
 マリアがナナミに抱きついた。
「この二人は、見習い隊員でしてメイドの役目です」
「メイドか、かえって足手まといだろうに」
 腰抜けの副隊長補佐といい、メイドといい、こんな弱々しい者を最後尾に配置するとは考えられないことだ。
「ユウコさん、このメイドはどうしますか」
「指揮官たちを捕虜にできたのだから、その二人は見逃しましょう。国境まで馬車で送り届けてあげなさい」
 見逃してくれると聞いて安心したのか、お嬢様がツッコむ。
「私たちは馬車で逃げようとしたのですが、突き落とされてしまいました」
「何ともお気の毒なことで」
「それで、私が乗る馬車はどこにあるんですか」
 これにはミキも呆れかえった。
「はい、ただいま馬車を手配いたしておりますので、少々お待ちください」

 捕虜になった五人が集められた。
 ナナミたちはユウコの監視下に置かれたものの、その扱いは丁重で、きつく縛られることもなかった。
「メイドの二人を解放していただければ、私たちは捕虜になる覚悟です」
 ここはユウコに取り成してもらうしかない。
「いいですよ、約束しましょう。でも、ナナミさん、あなたは私の捕虜に・・・」
 ユウコがそう言ったとき、
「指揮官!」
「ホノカさん」
 カッセル守備隊のホノカが駆け付けてきた。すかさず月光軍団のミキが剣を構えて立ち塞がる。
「お前はいつかの・・・」
 ミキが剣を叩き落とされた相手ホノカだった。ホノカとミキは睨み合った。
「この先だ」「早くしろ」
 四方八方から声が飛び交った。月光軍団の主力部隊が追い付いてきたのだ。真っ先に飛び込んできたのは部隊長のジュリナだ。すぐあとに続いて守備隊のリーナも突っ込んできた。
 あちこちで斬り合いが始まり、ミキとホノカは激しく剣を打ち合わせた。
「うむう」
「ぐぐっ」
 負けるものかと意地を見せて押し合った。ミキの剣がホノカの剣を受け止めた。手の合う相手に血が滾る。
 この日の戦いでホノカの鎧は肩口の辺りが破れ、胸当てのヒモも切れていた。何人もの敵を相手にして疲れが溜まっていたホノカは次第に押され始めた。ミキが体当たりするとホノカはガックリ膝を付いた。
「うむ、無念」
 ピンチとみるやリーナが槍を振り回して間に入った。リーナはジュリナを引きずったままだ。
「放せ」
 リーナがジュリナを蹴り飛ばした。

 入り乱れての闘いになっては自分たちの出番はない。月光軍団のヒカルは身を屈めて逃げ出した。守備隊のお嬢様がいたので、「一緒に来て」と抱きかかえた。
 月光軍団の魔法使いカンナが目ざとくこれを見つけた。ヒカルが敵を捕まえたのだが、それにしては何かおかしい。捕獲したというよりは守っているかのようだ。 
「こっちへ来なさい」
 カンナが強引にお嬢様を引っ張った。
「いやん、助けて」
 お嬢様は必死でヒカルにしがみつく。
「この人はメイドよ」
「ヒカル、あんたどっちの味方してるの」
 カンナはヒカルを押し退け、「カミナリ攻撃」と叫んで魔術を繰り出した。
 バチッ、魔術で放たれた稲妻がお嬢様の足元に飛んだ。
「うわっ」
 お嬢様が感電した。
「お嬢様には手を出すな」
 カッセル守備隊のレイチェルが助けに入った。
「お前も串刺しだ」
 再び、カンナの指先から稲妻が走った。
 バチッ、ガン
 レイチェルが素手で弾いたので稲妻が飛んでロッティーを掠めた。左の袖が黒く焦げている。
「熱っ・・・あたしは味方だよ、レイチェル」

 多勢に無勢、しかも、ナナミたちが捕らえられていてはホノカもアカリも思うように手が出せない。ついに周囲を取り囲まれてしまった。

   〇 〇 〇

 シュロス月光軍団隊長ケイコが颯爽と現れた。参謀のサトミ、副隊長のミレイが左右を警護している。
 百余人対十二人の勝負は決したのだ。
 ユウコは捕虜に跪くように促した。ナナミたち三人は地面に膝を付いて屈みこんだ。お嬢様もヒカルに手を引かれて連れてこられた。兵士のホノカやロッティーは一角に追い詰められて剣を突き付けられていた。
 参謀のサトミは敵の人数が少ないことに不審を持った。せいぜい十人足らず、こちらの十分の一にも満たない。さらに周辺の捜索を続けるように指示した。
「この三人を捕虜にしました。部隊は十二人、他には戦闘員などが七、八人いるようです」
 ユウコが捕虜を示し、副隊長補佐のアリス、指揮官のナナミ、輸送隊の隊長カエデであると官職を明かした。
「輸送隊の隊長とは、なかなかの獲物ね」
 ケイコは馬を下りて捕虜を謁見した。
 守備隊の隊長はまだ見つかっていないが、抵抗していた残存部隊を取り押さえることができた。しかも、副隊長や指揮官という肩書は捕虜としては十分だ。これでシュロスへ凱旋できる。
「指揮官に尋ねるわ、守備隊の隊長はどこに行ったの」
「退却しました。私たちは最後尾でしんがり部隊を任されたのです」
 ケイコはたったの十二人でしんがりが務まるとは思えなかった。しかも、ナナミも副隊長補佐も軽装備の具足しか着けていない。その背後にいる二人に至ってはメイド服だった。
「そこにいるのはメイドのようだが、それも退却要員なの」
「見習い隊員たちです」
 こんな者たちに撤退の最後尾を任せて逃げ出すとは、守備隊の隊長はよほど慌てていたのだろう。こうなれば、生かすも殺すも、十二人の処遇はケイコの意のままである。捕虜として連れ帰るのは副隊長補佐など三人だけで十分だ。戦闘員の兵士はここで首を刎ねる。メイドや見習い隊員は放置しておけば野垂れ死にするに違いない。
 なんと慈悲深いお仕置きだろうか。
 ケイコは指揮官のナナミに興味を覚えた。色白で美しい顔をしている。指揮官という地位ならばローズ騎士団への立派な手土産になる。いや、騎士団に手渡してしまうのではもったいない。むしろ、自分のモノにしたいくらいだ。この女なら幾らでも使い道があるだろう。召使い、あるいは美人奴隷にしてもいい。
 ケイコは参謀のサトミに指示してアリス、ナナミ、カエデを後ろ手に縛りあげた。
「それでは処分を言い渡す。指揮官たちは捕虜として連行し、兵士は処刑だ。メイドはここに捨て置く、運が良ければカッセルに帰れるだろう」
「お願いがあります」
 指揮官のナナミが顔を上げた。
 月光軍団のユウコやミキはお嬢様を見逃すと約束してくれたはずだ。
「私たち三人は捕虜になっても仕方ありませんが、他の者は助けてください」
「ダメよ。私たちが勝ったのだから、なにをしようと構わないでしょう」
 参謀のサトミがナナミの背中を蹴った。捕虜の分際で隊長に口答えするとは何事か。こういう奴らには見せしめが必要だ。サトミは捕虜にした三人を痛め付けるように命じた。手始めにサトミがナナミの髪を掴んで引きずり回した。ミレイはカエデの脇腹を蹴りあげ、ジュリナはアリスに平手打ちを叩き込んだ。
 
 捕虜にするのでなかった・・・月光軍団のミカはこの状況に胸が痛んだ。
 お嬢様を捕まえたのは他ならぬ自分たちだった。もし、荒野の戦場に置いていかれたら、とうてい命は助からないだろう。戦闘員の兵士はともかく、お嬢様だけでも助けてあげたい。
 何とかしてくださいと、すがるような視線をミキに送った。
 ミキが軽く頷いた。
「サトミさん、せめて、お嬢様と名乗っている者だけでも助けようではありませんか。三人も捕虜を取ったことだし、見逃してもいいのではないでしょうか」
 ミキは守備隊のメイドを助けるよう進言した。だが、参謀のサトミはそれを退けた。
「誰であろうと敵を見逃すなどと、そんなことは出来ない。処分は隊長が決めたことよ」
 
「よし、あたしたちが相手だ」
 このピンチにレイチェル、マーゴット、アヤネの三人が果敢に飛び出した。
「誰だ、お前たちは」
「レイチェル、マーゴット、アヤネ。人呼んでカッセルの三姉妹」
「聞いたことない」「知らない」「帰れ」「ひっこめ」
「そうですか、まあ、デビューしたばっかりなので、知名度は低いかも」
「マーゴット、あっさり認めちゃダメよ、ここで魔法でしょ」
「そうでした。あたしの魔法で月光軍団を吹き飛ばしてやるんだ。怒涛の竜巻攻撃を見せてやる」
 マーゴットは天を仰ぎ、空を指差し、その手を地面に向けた。すると、足元から白い煙がモクモクと湧き出したではないか。
「縁日の綿菓子」
 ポケットからザラメを取り出して白い煙に投げ込む。とたんに煙はグルグル回りだし、綿菓子どころか竜巻のように大きくなっていった。月光軍団の兵士が竜巻の威力で後ずさりを始めた。
 捕虜になっていたアリスは、今度こそはと、マーゴットの魔法に期待した。
 しかし・・・魔法をかけたマーゴット自身が綿菓子の竜巻に巻き込まれてしまった。
「うひゃ、助けて」
「マーゴット」
 レイチェルとアヤネがマーゴットの足を掴んだが二人とも竜巻に吸い込まれた。
「ああ~」
 竜巻に巻き込まれた三姉妹は遥か空の彼方へと飛んでいった。
 マーゴットの魔法はあんな程度だ・・・アリスはうなだれた。

「さあ、兵士の処刑を執行する。先ずはお前からだ」
 ジュリナがロッティーを引きずり出した。
「待って、待って。あたしは間違って戦場に置いていかれたんです。いわば被害者なんです」
「つべこべ言うんじゃない」
 ロッティーの言い訳など通用するはずもない。
「それとも、いっそのことまとめて弓の的にしてやろうか」
 ジュリナの命令で月光軍団の隊員が弓を構える。ホノカはお嬢様の前に立ち塞がった。
「このあたしからやるがいい」

 絶体絶命のその時、月光軍団の隊列の後方から叫び声があがった。
 アリスが上空を仰ぐと、白い雲がこちらに向かってくるのが見えた。風に流されているのではない、雲が飛んできたのだ。
 近づくにつれ雲は低空飛行になった。そこには綿菓子の竜巻とともに飛んでいった三姉妹の姿があった。
「キャッホー」「行くぞ」「お待たせしました」
 雲を操縦しているのはマーゴットだ。身体を左右に傾けると雲が旋回を始めた。
「よーし、空から攻撃だ」
 レイチェルが雲を千切って月光軍団の隊員に向かって投げつけた。石礫ならぬ「雲礫」だ。
 ビュン、ガツン。ぶつけられた隊員は弓を捨てて頭を抱え込む。レイチェルはここぞとばかりに雲を千切って投げつけた。さらにアカネが木の枝で叩きまくった。月光軍団の隊員はたちまち混乱し、味方同士でぶつかり合って転がった。
 帰って来た三姉妹の逆襲だ。
 右に左に空飛ぶ雲を操るマーゴット。空中戦で形勢が逆転した・・・と思ったのだが、しだいに雲のスピードが遅くなり、グラグラと揺れだした。
 ブーン、グーン・・・グン、ブシュッ
「あれ、おかしいな」
 マーゴットが見ると、レイチェルの座っているあたりの雲が薄べったくなっていた。
「レイチェル、何してんの。雲、食べてるじゃん」
「だって、おいしいんだもん、お腹すいてるし」
「そりゃあ、綿菓子だもの、おいしいに決まってんるじゃん」
 レイチェルは千切って投げ付けていただけでなく綿菓子の雲を食べていたのだ。
「あたしも食べる」
 アヤネも綿菓子をモグモグ食べ始めたので、ますます雲がスカスカになった。
「足元注意して」
 マーゴットが言ったときには手遅れだった。雲の隙間からレイチェルがストンと落ちた。
「うわ、落ちるー」
 ガツン
 レイチェルは月光軍団のジュリナの上に落下した。その弾みで捕らえていたロッティーの首から手が離れた。このチャンスを見逃すはずがない、リーナが駆け寄りアリスやナナミの縄を切って救出した。
 雲から降りた、というか転落した三姉妹が守備隊と合流した。
「やったー」

 三姉妹の活躍で、守備隊の十二人は月光軍団の包囲網を破って逃げ出すことに成功した。とは言え、追い詰められた状況に変わりはない。あちこちへ逃げ回るだけだった。
「うっ、足が・・・」
 ナナミが遅れだした。左足を引きずっていたのだが、ついに走れなくなって蹲ってしまった。
「ナナミさん!」
 レイチェルが気付いて駆け寄る。
 そこへ月光軍団のジュリナ、レン、セイカの三人が追い付いた。レンがナナミに飛び掛かって羽交い締めにした。レイチェルはセイカにしがみつかれたので身動きが取れなくなった。
「覚悟しろ」
 ジュリナがレイチェルの背中に剣を振り下ろした。
 ガギッ
「ぐぎゃ」
 悲鳴を上げたのはジュリナの方だった。ガツンという衝撃で腕が痺れ剣を取り落とした。
「ああ、剣が、剣が」
 ジュリナの剣が真ん中からグニャリと曲がっていた。
 その隙にレイチェルはナナミを抱きかかえて駆け出した。
「レイチェル、怪我はしてない、肩は大丈夫?」
「大丈夫です」
 剣で斬り付けられたというのにレイチェルは無事だった。ナナミが不審に思うのも無理はない、服は破れているが肩には怪我を負っていないのだ。
 しかも相手の剣が折れ曲がったのだった。
「レイチェル、あなた・・・」
 斬られても怪我をしない強靭な肉体。
 レイチェルの身体には何か秘密があるに違いない・・・自分がそうであるように・・・
 不死身の肉体。これは切り札になる。

 こちらではホノカとアカリ、リーナが月光軍団と戦いを繰り広げていた。守備隊の三人は防戦一方だった。副隊長補佐のアリスとロッティーがお嬢様を守っているのだが、かえって足手まといが増えたようなものだ。
 月光軍団の射手が弓に矢をつがえた。
「撃て」
 副隊長のミレイの号令で一斉に弓を引き絞る。
 その時、目の前の地面が大きく揺れ、バリリと亀裂が走った。地面が割れて現れたのは黒づくめの鎧武者だった。
「うああ」「黒の騎士」「悪魔だ」「怪物が出た」
 ホノカも慄いた。敵陣に乗り込んだ時、チラリと姿を見かけはしたがその正体は何者か分からなかった。それが、いま、目前に出現したのである。
「構わぬ、矢を射れ」
 ビュン、ビュンと矢が放たれた。
 しかし、黒づくめの騎士がマントを翻して飛んできた矢を払いのけた。
「何者だ。敵か・・・それとも味方か」
 ホノカが新たな敵に身構えた。だが、月光軍団の攻撃を防いでくれたのであれば黒づくめの騎士は守備隊の敵ではなさそうだ。
「サヤカさん」
 そう叫んだのはレイチェルだった。ナナミを小脇に抱えている。
「サヤカ? レイチェルは知っていたのか」
「地下世界の住人よ」
 サヤカがレイチェルを睨み、守備隊に向かって矢を投げつけた。矢は高く飛んで灌木の茂みに落ちた。
「ぎゃん」
 茂みに隠れていたロッティーのお尻に矢が命中した。
「何であたしばっかり当たるの」
 
   〇 〇 〇

 そのころ、カッセルの城砦にはバロンギア帝国の偵察員が潜入していた・・・
 
 店のガラスに映った姿を見て嬉しくなりポーズをとった。猫耳が良く似合っている。もっと衣装を持ってくるのだった。
 変装用の衣装は必要経費で落としてくれるはず。でも、スミレさんに却下されるだろうな・・・
 バロンギア帝国東部州都、軍務部所属の偵察員ミユウは猫耳で軽くステップを踏んだ。

「却下だ」
「どれでしょうか」
「全部に決まってるでしょう。その衣装がないと偵察の任務が遂行できないという確かな理由があるのかね」
 ミユウが手に取ったのは警備員が着るような制服だった。しかも胸の部分が大きく開いて、スカートは超ミニサイズだ。
「偵察員が警備員の服を着てどうするの」
「ミニスカポリスと言ってください」
「言い換えてもダメなものはダメ」
 こう言われてしまっては、用意したメイド服やチャイナドレスも諦めざるを得なかった。
 バロンギア帝国、東部州都の軍務部では隣国のルーラント公国に偵察員を送り込んでいた。偵察員に選ばれたのは士官学校を卒業して二年目のミユウだった。軍務部のスミレが推薦したのだが、どうやら人選を間違えたようであった。
 ミユウは偵察には必要ない衣装ばかり荷造りしていた。
「これなんか、いかがでしょう」
 広げて見せたのはカボチャの着ぐるみだ。
「敵を欺くため、カボチャに化けて兵舎の台所に潜入するんです」
「カボチャだったら畑に忍び込むといい、収穫されるのがオチだ」

 州都を出発したミユウはカッセルに向かう途中、ロムスタン城砦やチュレスタの町に立ち寄ってみた。チュレスタの温泉街はどこの旅館も賑わっていた。いたって平穏な様子だった。暫くすると王宮からローズ騎士団が来訪する予定になっている。シュロスの軍が動き出したという情報も掴んだが、周辺の警戒任務であろう。
 ミユウはカッセルの城砦に着くと酒場の踊り子になって偵察を開始した。到着する前日、カッセル守備隊が国境付近へ進軍していった。月光軍団の動きに呼応したのだ。ところが四日後には撤退してきた。月光軍団と戦って敗走してきたのだった。本隊には相当な被害が出ており、隊長は、しんがり部隊を残して逃げてきたということだ。
 城砦は大騒ぎである。後を追ってバロンギア帝国軍が襲撃してくるという噂が立った。城門は閉ざされ厳重警戒態勢となった。これではしんがり部隊は城砦に入れてもらえないだろう。その前に、とっくに全滅しているに違いない。人々が慌てふためく中、ミユウだけは笑いを隠せなかった。バロンギア帝国が進軍してきたら城砦の門を開けて招き入れよう。城砦は全滅、これでカッセルは我が帝国の領土となるのだ。
 敗戦の影響で酒場は休業になり仕事はなくなった。しかし、味方の進軍に備えるためにも偵察を続けたい。ちょうどいいことに、兵舎のメイド長が不在で人手を募集していた。ミユウはさっそくメイドとして採用してもらうことができた。
 酒場の主人は「こんな時にメイド長が休むとは」と嘆いていた。確かに守備隊が出陣している最中に、留守を預かる者が休暇を取るのは妙なことだ。それでも、そのおかげで兵舎に潜入できたのだから、メイド長には感謝しておこう。
「メイド服、カッセルが用意してくれたわ」


 さて、こちらはシュロスの城砦である。
 戦場から三度目の伝令が戻ってきた。留守部隊の文官リサは伝令の報告を聞き、戦況報告書に目を通した。
 戦況は月光軍団の圧倒的優位である。伝令は、カッセル守備隊は壊滅状態で退却したと語った。さらに戦場記録係から、守備隊の副隊長や指揮官を捕虜にしたという報告も入った。素晴らしい成果だ。ローズ騎士団の来訪を避けるための出陣であったが、これなら騎士団も納得するだろう。凱旋と歓迎会が一緒にできれば手間が省ける。
 リサが驚いたのは、勲功届にミカ、マギー、ヒカルの名が書かれていたことだ。指揮官を取り押さえたのはこの三人だと記載されている。初陣にして大手柄だ。だが、よく読んで見るとユウコとミキが指示したのだった。あの三人に摑まる指揮官がいるとは思えない、ミキが手柄を譲ったのだろう。
 いずれにしても、これは表彰案件である。褒賞係に知らせることにした。敵の幹部を捕虜にした場合は州都へも連絡するのだった。書類を書く仕事が増えるが、部下の手柄であれば、こういう忙しさは大歓迎である。
 心配なのは、帰還が遅れそうだということだ。引き続き、逃走した敵を追撃しているのだ。深追いして反撃され負傷者が出なければいいのだが・・・

切り札

 戦場では月光軍団による掃討作戦が続いていた。

 月光軍団のユウコは指揮官のナナミを追っていた。一旦はナナミを捕虜にしたものの、空飛ぶ雲の騒動で逃げられてしまった。もう一度この手でナナミを、美しいナナミを捕まえたい。
 探し回るうちにナナミを発見した。しかも一人だ。なんという幸運だろうと胸が高鳴った。ナナミは足を痛めたらしく左足を庇うようにしていた。
 難なく追い付き、服を引っ張った。今度こそは逃がさないと力を込める。
「捕まえたわ」
 ユウコが腕を掴むとナナミも手を伸ばしてきた。
「キイッ」「なによ」
 女同士の取っ組み合いになった。ユウコの方が断然強かった。服を掴み、腕を引いて体当たりした。ナナミはしがみついてるだけだ。両手で抱きついて地面にねじ伏せるとナナミはおとなしく抵抗を諦めた。
「ふうう、捕まえた、もう逃げられないから」
 きれいな顔だ。
 間近で見るとナナミは肌がスベスベしていて、この世の物とは思えないほどに美しい。ユウコはしばらくナナミの顔に見とれていた。
「捕虜になりなさい」
 手を取って指を絡めナナミを引き寄せた。
「・・・」
 人声が上がり足音も聞こえた。ユウコはナナミを抱きかかえた。たとえ誰であろうとも、この美しい女を誰にも渡したくはない。それに応えるかのようにナナミがユウコの背中に手を回してきた。
 そのとき、首筋に腕が掛かった。
 ナナミさん・・・あうっ
 ビリリと激痛が走り、ユウコは首を押さえて崩れ落ちた。
「ごめん、ユウコさん」
 美しき獲物ナナミに逃げられてしまった。

 カッセル守備隊は三姉妹の空中攻撃、そして地下世界のサヤカが味方してくれたこともあって何度もピンチを切り抜けてきた。しかし、とうとう仄暗い森の中に追い詰められてしまった。偵察に行ったアカリの話では、月光軍団はやや開けた所でテントを張って宿営地にしているとのことだった。
 絶望的な雰囲気が漂う中で、つかの間の休息をとった。
 攻める方も守る方も食事の時間だけは手を休める。しかし、守備隊は敵に取り囲まれているので緊張感を緩めることができなかった。
「お嬢様、パンをどうぞ」
 アンナがパンを渡すとお嬢様は半分に千切った。カッセルの城砦でパンが硬いと言って嘆いた頃とは大違いだ。お嬢様は敵と戦わずに逃げ回っているだけなので元気が残っているようだ。
「お嬢様、何だか逞しくなりましたね」
「はい、私も頑張っています」
 お嬢様がパンを齧った。
「そろそろパンも残り少なくなってきた。お嬢様のためにあたしがカエルを捕まえてあげるよ」
「うっ」
「カエルの足の肉はうまいぞ、なんたってナマだからね。引きちぎって、ガブっとかぶりつくのさ」
 ホノカがカエルの食べ方を指南した。
「カエルよりもいいものがありますよ」
 マリアお嬢様は背嚢を開けて包みを取り出した。
「チョコレートです」
 お嬢様はチョコレートの一片をペキンと折って輸送隊のカエデに渡した。お嬢様が荷馬車に積み込んだ自分専用のお菓子とはこのことだった。カエデは礼を言ってチョコレートを口に含んだ。
「甘い、おいしい」
 疲れた身体に糖分が染みわたる。カエデに続いてみんながチョコレートを齧った。甘いお菓子のおかげで疲れも解消するような感じがしてきた。お嬢様はこっそりチョコレートを食べていたので元気だったのだ。
「よーし、この勢いで突撃してくるぞ」
 チョコレートを食べたホノカが立ち上がった。
「頑張って、ホノカさん」
「チョコレートのお礼にカエルを取りに行ってくる」
 お嬢様はロッティーにもチョコレートを分け与えた。
「ロッティーさん、あなたもどうぞ」
 さんざん虐めてきたお嬢様からチョコレートをもらい、ロッティーはすっかり恐縮した。
「私にまでくださるとは・・・」
「お気に召しましたか」
「こんなおいしいお菓子は生まれて初めてです」
「私は子供の頃から食べてます」
「お嬢様、これまでいろいろと意地悪ばかりして、すみませんでした」
 ロッティーはペコリと頭を下げた。
「よろしい、では、私の召使いになりなさい」
「うっ」
 とたんに苦いチョコレートになった。
 
 ナナミはレイチェルを連れ出した。
「食べていいわ」チョコレートを差し出すとレイチェルはおいしそうに齧った。よほどチョコレートが好きなようだ。
「斬られたところ大丈夫なの、レイチェル」
 ナナミを庇ったときに剣で斬り付けられたのだが、レイチェルは相手の剣を撥ねかえしたのだった。
 レイチェルは肩を回して「痛くもなんともありません」と答えた。
 驚くべき強靭な肉体だ。
「不思議な力を持っているのね・・・レイチェル」
「はい」
「いいこと、レイチェル。このままでは私たちは皆殺しにされる。この状況を打ち破り、月光軍団に勝つためにはあなたの力が必要だわ」
「ナナミさん」
「その力で、剣で斬り付けられても怪我をしない身体で敵を倒すのよ。レイチェルの強靭な肉体ならば、どんな武器も怖くはないでしょう」
 ナナミがレイチェルを見た。
「敵陣に突撃して欲しい」
 しかし、レイチェルは首を横に振った。
「あたしの力は・・・身を守るだけです。攻撃を受けたときに、それを撥ね退けるためにしか使えません」
 レイチェルの能力は身を守るためのものだった。
「攻撃を受けたときだけこの身体は変化するんです。それで攻撃を防ぐことができます。でも、激しい攻撃でないと変身しません」
「激しい攻撃か・・・」
 強力な攻撃で身体を痛め付けられないと変身能力が発揮できないのだった。
 だが、この戦い、絶対に負けるわけにはいかない。勝つためには手段を選んでいる場合ではなかった。
 身体が変化するのに攻撃が必要ならば、捕虜にして月光軍団に攻撃させればいいのだ。
 殴られ蹴られるレイチェルの姿が浮かんだが、ナナミはすぐにそれを消し去った。
「レイチェル、指揮官として命令します。あなたの力を使って月光軍団を倒しなさい。わざと捕虜になって敵陣に送り込むわ。狙いは敵の隊長だけ、隊長を倒せば戦況は覆せる。勝つにはこの方法しかないの」

 レイチェルは目を閉じた。
 呪われた身体を使わなくてはならない・・・呪われた身体を見られてしまうのか・・・

 集合場所に戻ったナナミは隊員の前で作戦を打ち明けた。
「月光軍団に勝って全員でカッセルの城砦に帰りたい。真っ先に逃げ出した隊長に、置き去りにされた恨みを晴らしてやるの。それには・・・」
 レイチェルを手招きした。
「私とアリスさん、それからレイチェルの三人で捕虜になります」
「捕虜になって、その間に他の者は逃げろという、そういう手筈でしたね」
 ロッティーが言った。
「いいえ、逃げるのでなく、レイチェルの変身能力を使うのです」
「変身?」
「レイチェルは攻撃を受けると、それを撥ね返すために身体が変化します。その力で敵を叩き潰すというわけです」
 変身と聞いて隊員はみな一様に驚いた。
「信じられない・・・そんなこと」
「私はこの目で見ました。レイチェルは剣で斬られたのに怪我をしなかった。それどころか、相手の剣が折れ曲がったのよ」
「武器が通用しないってことか」
 ホノカもそれなら勝てると強気になった。
「レイチェルはそれでいいの? だって敵に攻撃されるんでしょ。剣で斬られるとか槍で刺されるんでしょ」
 アカリが心配したがレイチェルは軽く頷いた。
「もし相手が攻撃しなかったらどうするの。その能力は使えないじゃない」
「心配ないわ、敵に攻撃させるだけ。レイチェルを殴らせるように仕向ければいいんだから」
 ナナミが冷たく言い切った。
 こうして、レイチェルを捕虜にする囮作戦が決まった。
 ナナミは輸送隊のカエデに今後の手筈を伝え指揮を任せることにした。
 三人の捕虜が前に進み出た。
「みなさん、こうなったのは、私の不倫のせいです。申し訳ありません」
 アリスは隊員に頭を下げた。
「アリスさん、捕虜になったとしてもレイチェルの力で敵を倒し、必ず救い出します。信じてください」
 隊員の輪の中からロッティーが立ち上がった。
「ナナミさん・・・いままであなたを追放しようとしたり、意地悪ばかりして、ごめんなさい」
 ロッティーはこれまで虐めてきた行為を謝った。ナナミは自ら進んで捕虜になるというのだ、自分を置き去りにして逃げた隊長とは違って部下を守ろうとしている。
「いいのよ、もう忘れたわ、ロッティー。私は捕虜になるけど、あなたには偵察要員をお願いします。そして、カッセルの城砦に帰ったら、もっと大事な役目が・・・」
 ナナミの言葉が終わらぬうちに怒号が響いた。月光軍団が攻撃を仕掛けてきたのだ。
「いたぞ、あそこだ」「逃がすな回り込め」「弓だ」
 カキーン、矢が飛んできて頭上を掠めた。走り回る靴音、鎧がガチャガチャと不気味な音を立てる。ロッティーはお嬢様を抱え込み頭を低くして大木の背後に隠れた。
 マーゴットが煙管を発火させ煙を焚いた。瞬く間に辺りは霧に包まれ、守備隊は霧の中でしばし身体を寄せ合った。もし、作戦が失敗すれば、十二人で揃っていられるのもこれが最後になる・・・
 しかし、霧は一時しのぎにすぎない、すぐに敵に発見されてしまうだろう。
「カエデさん、あとはよろしくお願いします」
 ナナミがカエデの手を握った。

   〇 〇 〇

「捕虜になります。月光軍団の宿営地へ案内してください」
 アリスが両手を挙げた。
 霧が晴れると月光軍団の攻撃部隊の前に守備隊の三人が現れた。副隊長補佐のアリス、指揮官のナナミ、それに隊員のレイチェルだった。三人は自ら捕虜を志願してきたのだ。包囲を狭めて森の中に追い詰めたので逃げきれないと観念したのだろう。
「お前たちだけか、他の者はどうした」
 部隊長のジュリナがアリスの胸倉を掴んだ。
「逃げました。霧が出たので身を隠し、バラバラになって逃げました」
「というか、部下に逃げられたんでしょう」
 本隊からしんがりを押し付けられ、今度は部下にも見放されたのだ。逃げそこなった憐れな奴らだ。それでも、指揮官と副隊長補佐という身分であれば捕虜としての価値は十分である。ジュリナはアリスたちを宿営地に連行した。
 さっそく取調べと称して暴行が始まった。これまでさんざん手こずらされてきた相手だけに容赦ない仕打ちが待っていた。セイカとレンが代わる代わるアリスに襲いかかった。レンの鉄拳がアリスの腹部にめり込んだ。
「オゲ、ゲエッ」
 前屈みになったところを今度は顎を突き上げられ、アリスは悲鳴を上げて膝から崩れた。
「い、痛いっ」
 勝利のための作戦ということを忘れてのたうち回った。
 ジュリナはレイチェルを殴り足蹴にした。レイチェルには剣を折られた恨みがある。棍棒で背中や腰をを叩いたが、今度は棒が折れるようなことはなかった。
「どうなっての、コイツの身体は」

 陽が沈むのと入れ替わって満月が昇ってきた。篝火を焚く必要もないほどに明るい。
 満月に照らされ、まさしく、月光軍団である。
 月光軍団の隊長ケイコは素晴らしい成果に満足した。
 捕虜を三人、しかも指揮官のナナミの身柄を確保することができたのだ。すでに本隊は逃亡してしまったので、これで完全な勝利を勝ち取ったと言えよう。ローズ騎士団へ見せ付けてやるには最高の収穫だ。
 副隊長補佐と見習い隊員はジュリナたちが痛め付けている。憂さ晴らしも必要だろう。ナナミの尋問は参謀に任せたのだが自分でも取り調べたくなった。
 月光軍団隊長、直々の事情聴取だ。
「隊長の前よ、頭が高い」
 参謀のサトミがナナミの背中を蹴った。
「なぜ今になって捕虜になろうとしたの」
「もう逃げ切れないと思いました」
「最初から分かり切っていたことだわ」
 ナナミは見れば見るほど美しい女だ。捕虜になったというのに冷静で表情を変えない。それが気に入らなくなった。
 ただの尋問では物足りない。この女を屈服させ、その美しい顔が苦痛に歪むまでじっくり調べてみよう。 
 月光軍団は守備隊の指揮官のナナミを標的にした。指揮官とあって、隊長のケイコをはじめ、ミレイ、サトミの幹部三人で取り調べに当たった。
 ミレイがナナミの襟を掴み腰に乗せて撥ね上げた。
 ドスン
「うげっ」
 ナナミは一回転して背中から叩きつけられた。這って逃げようとするところをミレイが背後から蹴ると、ナナミはつんのめって参謀のサトミの目の前まで吹っ飛んだ。ミレイが引き起こし両手を取って引き起こす。
「勝った者は何をしても構わないんだからね」
 参謀のサトミがナナミの頬を平手で叩いた。
 パンパンと乾いた音が響き、三発目でナナミは首を垂れた。
「あら、もう降参かい」
「しま・・・せん」
 バキン
 強烈な張り手を受けてナナミはヘナヘナと膝を付いた。
「それなら力尽くで降参させるだけよ」
 あの時のことがケイコの脳裏に蘇ってきた。
 ローズ騎士団の入団テストで現副団長のビビアン・ローラに叩きのめされた。それだけで終わらず、女性同士の屈辱的な行為を受けたのだった。組み敷かれて両手を掴まれ、ローラはその長く美しい脚を絡ませてケイコを締め上げた。そして、ケイコはローラの足元に土下座させられた・・・

 ミレイとサトミがナナミを引きずって他の二人の捕虜の元へ運んだ。
「見てごらん、みんなくたばっているわ」
「ああ・・・あ」
 視線の先にアリスが仰向けに倒れ、その傍らにレイチェルも蹲っている。だが、まだ身体に変化は生じていないようだ。
 ナナミは懸命に手を伸ばした。
「レ、レイチェル」
 しかし、その手をサトミが靴で踏んだ。
 グリリ
「助けて、レイチェル」
「あはは、部下に助けを求めるなんて、それでも指揮官なの」
 サトミはアリスとナナミを縄で縛るとテントに引き上げた。

 カッセル守備隊のホノカとアカリは崖の中腹でその様子を見ていた。後ろにはロッティーも潜んでいる。
 輸送隊の隊長カエデはナナミの指示に従い、ホノカたちを偵察に送り込んだ。レイチェルが変身して敵を攻撃した場合、ホノカとアカリは加勢をし、ロッティーは連絡要員として後方に合図を送る役割だ。
「副隊長補佐と指揮官はやられ放題だ」
「戦場初体験のいい思い出になるだろうね」
「それも、生きて帰ればの話ね。死んだらあの世で思い出すだけだ」
「言えてる。ところで、レイチェルはどうなの、ホノカ」
「うーん、まだ変身しそうにない」
 指揮官のナナミの話ではレイチェルは攻撃を受けて身体が変化するということなのだが、一向にその気配が見られなかった。
 そこへ月光軍団のユウコとミキが姿を現した。ミカやヒカルたちも心配そうに後に続いている。
 ユウコが背中を摩ると、ナナミはうっすらと目を開け「うう」とだけ言った。
 戦いの最中、ナナミを独り占めしようと捕らえたのだが、その時は逃げられてしまった。間近で見た美しいナナミに心を惹かれた。それだけに、こうして縛られている姿を見るのは忍びなかった。
 レイチェルという隊員のことも気の毒に思った。
「その子はどうなの、確か見習い隊員でしたね」
 ミキに尋ねた。
「レイチェルはジュリナの剣をへし折ったと聞いています。頑健な身体を見込まれて捕虜にされたのでしょう」
 殴られるのを覚悟で捕虜になったのだろう。だが、それにしては気絶して倒れ込みピクリとも動かない。
 ミカは自分と同じような年恰好のレイチェルが心配だった。
「ミキさん、この人だけでも助けてあげて」

 しばらくすると、部隊長のジュリナが「コイツは殺す」と隊長の命令を伝えにきた。
「連れ帰っても役に立ちそうにないし、見習い隊員は生かしておくのはムダね」
「殺すのはかわいそうだ。せめて、どこかに転がしておくだけにしてもらえないですか」
「あたしの剣を折った張本人よ。許せない」
 ジュリナが「今度は一発で仕留める」と、槍を構えた。
「ヤバい、槍だ」
 月光軍団の若い隊員がレイチェルを気遣っているように見えたので安堵していたのだが、それもつかの間、槍が向けられた。
「ロッティー、後は頼む」
 ホノカとアカリはロッティーに後を託して崖を下りていった。

 新しいイキのいい捕虜が手に入ってケイコは笑いが止まらなかった。しかも戦闘員の兵士である。これで守備隊に残っているのは見習い隊員など数人だけになった。
 髪を掴んで引き回し、押さえ付けて蹴りを放つ。ジュリナ、レンに魔法使いのカンナも加勢して叩きのめした。
「さあ、勝利の祝いに焼肉パーティーをしよう。お前にはコレを食わせてやる」
 ジュリナはカエルを捕まえて引きちぎり、縛り上げたホノカの口に押し込んだ。
「うぐ・・・ゴクン」
 ホノカはカエルの足を飲み込んだ。

「ホノカ、あんた何で縛られてるの。カッセルに帰ったらお嬢様を縛るんじゃなかったっけ」
「だからさ、どうやって縛るのか身をもって体験しているわけよ。何事も勉強だ」
「バカでも勉強するんだね」
「そういうアカリだって、身体に縄が巻き付いているように見えるけど。それって気のせい?」
「気のせいだったらいいんだけど、マジで縛られているのよ。これじゃあ、手も足も動かせない」
「口だけは達者だね」
 月光軍団のテントの方から肉を焼くいい匂いが漂ってきた。
「焼き肉、食いたい・・・うげっ、お腹でカエルが踊ってる」

 これで月光軍団の取り調べが終わったわけではなかった。指揮官のナナミには、さらにキツイお仕置きが用意してあった。
 月光軍団の隊長ケイコがナナミの顔を小突いた。
「ちょっとした余興を楽しむとするか、主役はナナミ、お前だよ」
 参謀のサトミはナナミの両手を縛り、その縄を木の枝に掛けた。ミレイが縄の先端を引くとナナミの身体が徐々に持ち上がった。さらに仕打ちは続く。今度はジュリナがナナミを吊っている縄を引っ張った。
「ぐわっ・・・ぎひぃ」
 足が地面を離れた。宙吊りだ。ナナミは木の枝にぶら下がった。
 手首と肩に体重が掛かった。
 これはキツイ。
 ナナミが縄を掴んで握りしめると木の枝が揺れた。
「いたぁぁぁ」
 顔を歪め、身体を捩って痛みに耐えるナナミ。しかし、本当の地獄はこれからだった。
 ナナミの足の間に縄が回された。左右の膝を縛られ、その縄の先端はナナミの手首に繋がっている。参謀のサトミが縄の位置をしっかり固定した。
「ナナミ、頑張らないと、ますます痛くなるんだよ」
「そんな、あっ、痛いぃぃぃ、あああ」
 ナナミが獣のような悲鳴を上げた。膝を縛っている縄が痛くて足をバタつかせる。だが、手首に縄が絡んでいるので、のけ反れば自らを苦しめるだけだった。
「あっ、ああ・・・助けてっ」
 もはや悲鳴というよりは泣き声に近くなった。ナナミは痛みを堪えてのたうち回るしかない。
 ナナミは歯を食いしばり目を見開いて首を振った。
 ユウコと視線が交わった。
「あ、あ、助けてっ、ユ、ユウ・・・ああっ」

 ユウコに助けを求めている・・・
 しかし、ユウコはナナミが苦しむ姿に見入っていた。宙吊りでがんじがらめに縛られたナナミ。月の光に照らされて身悶えするナナミ。その姿はこの世の物とは思えぬほど美しい。

 ナナミは背中を反らせ懸命に堪えた。太ももがブルブルと震える。少しでも楽になりたいともがくのだった。そして、手首に掛かった縄を握って腰を突き出すように身体を反らした。縄が膝や太ももに食い込んだ・・・
「だあっ、うぎゃあ」
 ミシッ
 木の枝が撓み、ナナミの身体が垂れさがって地面に足の裏が着いた。少しだけ楽になった。
 月光軍団の隊長のケイコがナナミに近づいた。
「気分はどう?」
「ダ、ダメ・・・もう、いやです」
「降参すればやめてあげる」
 勝利を確実にするため、指揮官のナナミに「降参」と言わせたい。カッセル守備隊を降伏させるのだ。
「ナナミ、降参しなさい。それとも、もう一度この縄を引っ張ろうか」
 ケイコは縄の先端を揺すった。足が地面に付いて、やっと楽になった思ったら、また吊り上げられそうになった。もう耐えられない。
「はあ、こう、さんですっ」
 カッセル守備隊指揮官のナナミは、襲い来る痛みから逃れるために降参と口走った。
「聞こえない、もっと大きな声で言いなさい」
「こ、降、参です。降参するったらぁ、助けてっ」
「助けて欲しいのか」
「誰か、助けてぇ、ああ、レ、レイチェル、早く」
 レイチェルが変身するはずだった。ナナミは藁にも縋る思いでレイチェルの名前を叫んだ。
「無理だよ、レイチェルは気絶して動かない」
「いやぁぁぁ、助けて」
 ケイコが引っ張るので、手首に縄が絡みつきギュンギュンと締め付けてくる。腕がもげそうになった。次第に足の感覚もマヒしてきた。
「あうっ、ああ、降参・・・です」
 ナナミは四肢を震わせビクンと痙攣して首を垂れた。

 ナナミが降参した。カッセル守備隊が降伏したのだった。

 月光軍団の隊長ケイコはナナミを睨み付けた。
 コイツはナナミではない・・・ビビアン・ローラだ。ローラを叩き潰し復讐を果たす時がきたのだ。
 バシン
 隊長のケイコがナナミの頬を平手で叩いた。
「ウグッ・・・」
 ナナミの身体がズルリと垂れた。
 宙吊り、降参、気絶・・・あまりにも惨めなナナミの最後だった。
 参謀のサトミが小刀でナナミの髪の毛をバッサリ切り落とし地面にまき散らした。
「カッセル守備隊は降伏した! 私たちの大勝利だ」
 月光軍団の隊員からオオーッという雄叫びが上がった。

 ケイコやサトミたちが去ったあとで、ユウコはナナミに近寄った。少しでも楽な姿勢にしてあげたい。ミキも手を貸して縄を緩め、ゆっくりと地面に横たえた。
 ナナミは両腕が伸び切って、腰は緩み、両脚はだらしなく広がっている。だらりと弛緩した肉体だ。髪の毛は首筋の辺りまで短く切られていた。
「ここまでしなくてもいいのに」
 口から涎を垂らしたナナミを見てミキがため息をついた。

 木の陰に身を隠していたロッティーは呆然とするだけだった。
 ナナミが暴行され、木に吊るされた。最後は平手打ちで失神した。ナナミの悲鳴がロッティーのいる所まで響いた。
 しかし、助けようとは思わなかった。
 ナナミが現れてから悪いことばかり起きている。地下牢で倒れているのを助けてやったのは他ならぬ自分だ。それなのにいつの間にか立場が逆転してしまい、すっかり頭が上がらなくなった。追放しようとして失敗し、とばっちりを受けて戦場に置き去りになった。すべてナナミのせいだ。
 だから、宙吊りの刑になったナナミを見ているのは快感でさえあった。自分の代わりに月光軍団がナナミに報復してくれたようなものだ。
 さて、どうしよう・・・
 レイチェルが変身して敵を倒す作戦ではなかったのか。それなのに何も起こらない。ナナミは降伏し、ホノカとアカリまでもが捕虜になった。これでこの部隊は全滅も同然だ。計画が失敗したのでは連絡要員の任務も必要なくなった。それなら、カッセルの城砦に戻って、ナナミが捕虜になったことを報告するとしよう。うまくいけば復職できるかもしれない。
 ナナミを見捨てる。ここで見たことを伝えれば、後方の部隊だって諦めて城砦に退却するだろう。
 逃げろ、早くこの場を立ち去れ・・・
 しかし、ロッティーは足がすくんで動けなかった。なにしろ、身に着けているのはヨレヨレの戦闘服と肘当てだけだ。こんな軽装具では敵に見つかったらたちまち斬り殺されてしまうだろう。
 やむを得ず、もう少し待つことにした。月光軍団が撤収作業を始めるまで待ってもいいのではないか。
 月が雲に隠れて闇が深くなった。ロッティーも闇に包まれた。

 捕虜に対する処分が執行されようとしていた。指揮官、副隊長補佐、戦闘員の兵士を捕獲したので、見習い隊員には捕虜の価値がなくなった。
 ジュリナとセイカがレイチェルの髪を掴んだ。腕を取って連れ去ろうとするのをユウコが引き留めた。
「せめて、ここに置いていきましょうよ」
「隊長の命令なんだ、殺すと決まったの」
 これ以上の命乞いはできそうにない。
「助けられなくて、ごめんね」
 ユウコが身体を揺するとレイチェルが目を開けた。
「の・・・呑む」
 レイチェルが飲みたいと言ったのでミキが水筒の水を飲ませようとした。しかし、レイチェルは首を横に振った。
「ち、ちが・・・」
「違うの? 水じゃないの」
「ちが・・・血が、血が飲みたい」
 レイチェルは血が飲みたいと言った。気の毒なことに、さんざん殴られたので頭がおかしくなってしまったのだ。
「そろそろ片付けるわ、セイカ、崖から突き落としてきなさい」
 ジュリナが指示を出した。自らの手で命を奪うのはさすがに気が咎めたので部下のセイカに処刑の役を押し付けた。

 レイチェルを立たせたとき、服がはだけて胸のペンダントが飛び出した。赤や青のキラキラする石が埋め込まれていた。ユウコはそのペンダントだけでも回収し、形見としてカッセルの城砦に届けてあげられないかと思った。

 セイカはレイチェルを引きずって崖の際まで来た。下を覗くと風が舞い上がった、地獄からの風だ。この場所から突き落とすと決めた。
 だが、そこで思い直した。崖から突き落としただけでは死ぬとは限らない。首を絞めて止めを刺し、それから谷底へ投げ捨てることにした。仰向けにして胸に跨った。すでにレイチェルはグッタリして動かない。殺すのは容易なことだ。
 セイカは首に手を掛けた。
「楽にしてあげる」
 首を絞め上げた・・・
「おうっ」
 セイカの左手に激痛が走った。最後の抵抗をしようというのか、レイチェルが腕を掴んできた。
「コイツ・・・ギャッ」
 爪が皮膚に食い込んだ。
 それは人間の指の先とは思えなかった。黒光りした尖った爪がセイカの腕を掴んでいた。指先だけではない、レイチェルの手首や腕が不気味に黒く輝いている。人の肌とは思えない金属質に変化していたのだ。
「あひ、あ、ギャアア」
 皮膚が裂け左手が血に染まり、骨がミシミシと音を立てた。しかし、ガッチリと掴まれているので身動きがとれない。
 肉が切れて血が吹き出した。
「グフフ」
 レイチェルが笑った。
 変身するには人間の血が欠かせない。目の前に格好の餌があった。
 この女の血を吸い尽くす・・・
「ふふっ、あなたの血が欲しい」

 ズズッ
 その時・・・夜の闇を纏って、さらに黒い影が湧き出てきた。
 崖の下から地下世界の住人サヤカが出現したのだ。

 サヤカの情念を込めた波動がレイチェルに襲いかかった。
 黒づくめの騎士サヤカの発する圧力を受けて、レイチェルの身体の変化のスピードが速さを増した。
 腕が、肩が、そして背中が黒い金属質に変っていく。自分の身体であるのに、レイチェルにも変身を止められなくなっていた。

 バサバサッ
 背中を覆うように翼が広がった。
 いまや変身は首筋から顔にまで及ぼうとしている。
 身体だけではない・・・心までもが黒く染まっていくのだった。
 変身には大量のエネルギーが必要だ。
 レイチェルは目の前の獲物に齧りついた。
 セイカの首筋に牙を食い込ませ血を吸った。
 
「ついに変身したな、レイチェル・・・」
 レイチェルにエネルギーを使わせて変身させ、その体力を奪ってこの世から葬り去る。それが地下世界の末裔サヤカに与えられた使命だった。
 だがしかし、レイチェルは捕らえた人間の血を吸ってサヤカよりも大きく変身している。
 そして、恐ろしく醜い・・・
「ううむ」
 辺りにレイチェルが発する衝撃波が走った。
 サヤカは思わず後ろへ下がった。

 バサバサッ
 レイチェルが、いや、怪物が飛び上がり漆黒の闇に消えた・・・
 

勝利

 最初の一撃で全てが決まったと言っても言い過ぎではなかった。
 月光軍団のテントが押し潰され隊長と参謀が下敷きになった。隊長のケイコは折れた支柱に足を挟まれ、参謀のサトミは逃げようとしてテントの布に絡めとられた。
「うわっ、ひゃん」
 突風でも吹いたのではないかとサトミは夜空を見上げた。
「な、なに」
 テントにのしかかっていたのは・・・
 サトミが目にしたのは全身が黒い鎧兜に覆われた何者かだった。
 黒ずくめの騎士が襲ってきたのだ。これまでにも、たびたび現れて月光軍団に立ち塞がっていた黒い騎士は悪魔とも怪物とも呼ばれていた。それが宿営地のテントを襲ってきたのだ。
「ギャア」「ヒエエエ」「逃げろ」あちこちから悲鳴が上がった。誰かが「怪物」と叫んだ。
 それは怪物だった。黒ずくめの騎士ではない。背中にはハゲタカのような大きな翼が広がっているではないか。姿形が異様なうえに、怪物の身体からは何やら衝撃波が発せられている。衝撃波で痺れ、倒れ込む者もでた。
 怪物がテントに腕を突っ込みケイコの頭を掴んだ。
「ウギェ」
 ケイコが吊し上げられる。サトミはあまりの恐ろしさに腰が抜けた。

 何かが起きた。
 月光軍団の宿営地の方向からメリメリ、ドタンと物が壊れる音がとどろき、悲鳴と怒号があがった
 木立に潜んでいたカッセル守備隊のロッティーは異変を察知した。ナナミが気絶し、レイチェルは連れ去られた。それを見て後方の部隊の所へ逃げようとした矢先のことだった。
「あわわ、どうするんだっけ」
 思い出した、花火だ。合図の花火打ち上げるのだった。花火の筒を取り出し震える手で着火した。
 夜空にヒュルヒュルと花火が上がった。
「よし、次は」
 一つ任務を果たすと不思議に気持ちが落ち着いてきた。これ以上、事態は悪くはならないと思えてきた。ロッティーは後方部隊が到着するのを待つことなく捕虜の救出に向かった。
 真っ先にホノカとアカリの縄を解く、これで戦力を確保できた。
「ロッティー、ありがとう。何があったの」
「あたしにも分からない」
 次はナナミとアリスだ。
「ナナミさん」
「ううん・・・うう」
 ロッティーが背中を叩くとナナミがかすかに呻いた。良かった息を吹き返した。
 しかし、顔面には殴られたアザが残り、その目は虚ろだ。肩まで伸びていた髪もザックリと切られ、顎には血が滲んでいた。自力では起き上がれそうにないので抱き起こして木の根元に寝かせた。
「酷いことをされたわ」
 アカリがナナミの頬を拭った。
 その間にホノカが副隊長補佐のアリスを自由にした。
 残るはレイチェルだけだ。
「レイチェルはどこ?」
 その時、また闇を引き裂いて悲鳴が上がった。まだ戦いは続いている。何が起こったのか状況を確認することが先決だ。そしてレイチェルを救出しなければならない。
「ロッティーはここに残って、後から来る者と合流してくれ。あたしたちは敵陣に向かう」
 ホノカとアカリは悲鳴の聞こえた方へ駆けだした。

「あひひひ」
 黒づくめの鎧に身を包んだ怪物がケイコに迫ってくる。鋭い爪先が襟に触れゆっくりと下へ下りた。ビリリと服が引き裂かれ肩が剥き出しになった。助けてと叫ぼうとしたが口の中に鋼鉄の指が押し込まれた。
「・・・オゴッ」
 やられた。

 カッセル守備隊のホノカとアカリは月光軍団のテントが見える場所に着いた。
 敵を見つけてホノカが戦闘態勢をとった。月光軍団の隊員は五、六十人ほどいるだろうか。もっと多いかもしれない。だが、誰もがへたり込んでワナワナと震えていた。ホノカとアカリを見ても立ち上がろうともしなかった。攻撃される心配はなさそうなので警戒しつつ先へ進んだ。
 テントが壊れていた。天幕の布が破れ、木の支柱がポッキリ折れている。垂れ下がった月光軍団の旗は鮮血に染まっていた。
 ホノカの視線の先に黒い鎧を着た者の後ろ姿が目に入った。
 黒づくめの騎士が現れたのか・・・
「うっ、なんだ、あれは」
 黒い鎧を着た者が掴んでいたのは血だらけの人間だった。
「隊長がやられた」
 月光軍団の隊員が叫んだ。
「あれが、隊長、月光軍団の隊長なの」
 額から流れる血で顔面は真っ赤に染まり、上半身にも血が垂れている。月光軍団の隊長ケイコの変わり果てた姿だった。
 この凶暴な相手に襲われたらひとたまりもない、ホノカとアカリはズルズルと後退した。
 バサバサッ。羽ばたく音がして翼が広がった。
 黒づくめの騎士は掴んでいたケイコをその場に投げ捨て闇に消えた。
 月光軍団の隊長は血の海に沈んだ。死んだも同然だ。周囲の隊員たちも気が抜けたように座り込んでいる。戦況は一気に変わった、逆転したのだ。
「勝てる、勝てるぞ」
 しかし、まだ決めつけるわけにはいかない。ここは敵陣の真っ只中だ。
「月光軍団を叩き潰すんだ」

 カッセル守備隊、副隊長補佐のアリスはロッティーの助けを借りて起き上がった。
 自分のことよりナナミが心配だった。
「しっかりして、ナナミさん」
 ナナミは身体を丸めて苦しそうにしている。指揮官のナナミは誰よりも酷く痛めつけられた。宙吊りにされ、月光軍団の隊長に平手打ちされて気絶したのだった。
 そこへ月光軍団の宿営地の方角から何人もの敵兵が走ってきた。しかし、アリスには目もくれず、助けて、怖いと口々に叫んで駆けていった。
「敵が逃げて行っちゃいましたね」
「ホント、さっきまでとは様子が違うみたい」
 敵の姿が見えなくなったので、ロッティーと手を取り合って喜んだ。
「ホノカさんたちは敵陣に乗り込みました」
「何があったんでしょうね、わたしも見てきます」
 状況は悪くはないと判断した。ここは副隊長補佐の出番だ。アリスは迷わずホノカたちの後を追うことにした。
 アリスが薄暗闇の中を進むと、前方から悲鳴とも叫び声ともつかぬ声が聞こえてきた。激しい衝突が起きているのだ。再び捕まってしまうのではないかという不安がこみ上げてきた。
「うわっ」
 走ってきた者とぶつかりそうになって身を屈めた。
「助けて」と叫んだのはアリスではなく月光軍団の隊員だった。その隊員は後ずさりしていき、足を踏み外して崖の下へと転落していった。
「あらら、落っこちてしまいましたよ。かわいそうに、死んだらどうしましょう」
 そうだった、ここは戦場なのだ。自分から落ちたとはいえ敵を倒したことには変わりはない。初手柄なのに、誰にも見られなかったのは残念だ。カッセルに帰ったら水増しして五人ぐらいは倒したと報告しよう。
 すでにカッセルの城砦に帰る心持ちになっているアリスだった。
 さらに進むと、
「あれは、アカリだ」
 アカリが敵兵を投げ飛ばしていた。ホノカは棍棒で叩きまくっている。どう見てもカッセル守備隊が月光軍団を攻撃しているとしか思えない。
 ドガッ
 後ろから突き飛ばされてトントンとつんのめった。
「おっと・・・うっ・・・は?」
 アリスがそこで見たモノ、それは実におぞましいモノだった。
 誰かが壊れたテントに凭れかかっている。顔面は血だらけで全身が真っ赤に染まっていた。
「うっひゃあ、なに、これ」
「よく見てみなよ、月光軍団の隊長だよ」
「た、たいちょう?」
 恐る恐る顔を上げたが怖くなって目を背けた。 
 そういえば月光軍団の隊長ケイコに似ていないこともない。何でこんな大怪我をしてしまったのだろうと首を傾げた。敵ながら気の毒だ。というより、すでに死んでいるとしか見えなかった。
「おうっ・・・うげっ」
 胃の奥から突き上げるような吐き気がした。アリスは口を押えて木の陰に倒れ込んだ。
 ガササ、バサッ
 目の前の暗闇で何かが動いた。
「ああっ、うわあ」
 アリスが見たのは真っ黒な怪物が飛び立つ姿だった。
 
     〇 〇 〇

 やられた・・・月光軍団の部隊長ミキは腰の力が抜けて、その場に膝を付いた。すぐ側にはユウコもうつ伏せに倒れ込んでいた。
 二人は守備隊のレイチェルのことが気になって後を追ってきた。処刑を止めることはできなかったが、形見の品だけでも見つけたいとユウコが言った。
 崖の近くで千切れた服を発見した。ズタズタに破れて血がこびり付いていて、地面には血溜まりもあった。ここで激しい闘いがあったのだ。セイカがレイチェルを襲ったのだろう、そう考えるのが自然だ。
 レイチェルは、そしてセイカはどこだと、崖を覗き込んだとたんに激しい衝撃を受けて倒れてしまった。
 まだ身体が痺れている。
 バサバサッ
 頭上で鳥の羽ばたきがした。かなり大きい鳥だと直感した。ただの羽音がいつになく恐ろしく感じられる。
「助けてっ」
 月光軍団の隊員が転がるように駆けてきた。
「怪物が来たっ」
「怪物? 例の黒い騎士か」
「違う、もっと大きくて凶暴なヤツよ。隊長も襲われて・・・」
「なに、隊長が襲われた?」
「血だらけで・・・もうダメ、死んじゃった」
「そんなバカな」
 隊長が死んだなど、そんなことがあるはずはない。誰に殺されたというのだ。その怪物とやらの仕業なのか。
「本当です、この目で見たんです。怪物と一緒に守備隊が襲ってきた」
「守備隊が・・・」
 捕虜にしておいた副隊長補佐たちが決起したのだろうか。しかし、指揮官や兵士は厳重に縛って拘束しておいた。指揮官のナナミに至っては気絶して、指揮を執れるような状態ではなかった。それとも逃げたと思った残兵が加わったのかもしれない、その可能性はあり得る。
 ザワザワと木々が揺れ不気味な風が吹いてきた。地面が揺れた。
「来た、怪物だ」
 隊員が逃げ出した。
 一斉に鳥が飛び立ち、バキッと枝が折れた。
 何かが近づいている。
 間違いない、ミキとユウコの背後に何かが迫ってきた。
 ミキは意を決して振り返った。
「誰だっ」
 目を凝らすと、闇の中漆黒の鎧兜を身に着け、背中に翼が生えた者が動いているのが見えた。
 これが怪物か。
 怪物が手を伸ばした。その指先は鋭い爪が黒く光っている。あれで摑まれたらひとたまりもない。衝撃が再び全身を包んだ。衝撃波はこの得体の知れない怪物が発しているのだった。
 ミキが身構える。しかし、これまでに味わったことのない恐怖感に身体が固まった。ミキはユウコを庇って抱きすくめた。
 怪物が伸ばした腕がミキの頭を、そしてユウコの頭を彷徨う。ユウコがしがみついてきた。
 鋭い爪が髪を掠めて止まった・・・殺されると覚悟した。
 だが、怪物はそこで腕を引き、ゆっくりと後ろへ下がっていった。
 フワリ、怪物が舞い上がった。
「・・・あれは?」
 その時、ユウコは怪物の首に掛かるキラリと光る石を見た。
「ああ、はあ、助かった」
 ミキは大きく深呼吸をした。助かったのだ。
「恐ろしいヤツでした。あれがテントを襲ったのでしょうか」
 あの怪物に襲撃されたら月光軍団にはさぞや大きな被害が出ていることだろう。そこへ守備隊が攻め込んできたら・・・どうやら戦場を支配しているのはカッセル守備隊のようだ。
 しかし、負けるわけにはいかない。
「テントに戻って戦い・・・うっ」
 立ち上がりかけたミキだったが、身体が痺れてまた腰から崩れ落ちた。怪物が放った衝撃波の威力だ。
 ユウコは呆然と空を見上げた。
「あれは・・・レイチェルのペンダント」
 ユウコははっきりと見た。
 怪物の首に下がっていた赤と青の石のペンダントを・・・

   〇 〇 〇
 
 後方に待機していたカッセル守備隊のカエデは、合図の花火を見て、リーナ、マーゴット、アヤネ、マリアお嬢様、アンナとともに出発した。
 先頭に立っていたアヤネが破れた服の切れ端を見つけた。鋭い爪で切り裂かれたように千切れて血が滲んでいた。血が乾いていないので、それほど時間が経っていないように思われる。獣にでも襲われたのだろうか、あちこちに服の破片が散らばっていた。
「これは守備隊の服じゃないわ、月光軍団の物ね」
 服の色は灰色で月光軍団の戦闘服に似ていた。
「あそこに誰か倒れている」
 リーナが確かめると月光軍団のミキとユウコだった。二人は腰が抜けたように蹲っていたので抵抗されることなく身柄を確保した。

 ナナミとロッティーがいる所へカエデたちが駆け付けた。一同は抱き合って無事を喜んだ。だが、ナナミは無事とは言えない有り様だった。顔には殴られたアザがあり、髪は短く切り落とされていた。酷い暴行を受けたのだ。
「戦況は?」リーナがロッティーに尋ねた。
「月光軍団の兵が逃げて来ている。ホノカさんたちは何が起きたのか偵察にいった」
 どうやら守備隊が優勢とみて間違いない。
「こちらも収穫があった。二人を拘束しました」
 リーナは捕虜にしたミキとユウコをナナミに引き合わせた。月光軍団の副隊長を捕虜にしたのだ。今や完全に立場は逆転している。
 捕虜にした二人を盾にしてリーナが敵陣へと向かった。
「私たちも前線へ行きましょう」
 形勢が優位になったことを確信してナナミは元気を取り戻した。
「これが落ちてました、月光軍団の服です」
 アヤネが血に染まった服の切れ端を見せた。身に着けていた隊員は相当な大怪我を負ったはずだ。アヤネから、守備隊の物ではないと聞いてナナミはホッとした。
 襲われたのはレイチェルではなさそうだ。
 早く助けなければ・・・

 すでにそこは守備隊の支配下に置かれていた。
 月光軍団の隊長ケイコが負傷し、参謀のサトミや副隊長のユウコは行方が分からなかった。命令系統が失われ、残された隊員では指揮を執ることができない。何よりも隊長の怪我が酷すぎた。誰の目にも、もう死んでいるとしか思えなかった。
 怪物が発する衝撃波で身体の自由が利かなくなったところへ守備隊が攻撃してきた。副隊長のミレイ、部隊長のジュリアはたちまちに討ち取られた。リーナが突撃してきた時には、ホノカとアカリは月光軍団から分捕った焼き肉を食べていた。
「あたしの食べる分も取っておいてくれたろうね」
「あるよ、カエルが三匹」
「カエルはお嬢様にやるわ」
 月光軍団の隊員はそこかしこに数人ずつ集められ、逃げられないようにホノカたちが見張っていた。
 そこへ指揮官のナナミたちが意気揚々と乗り込んできた。
「隊長と参謀はどこ?」
 ナナミがホノカに尋ねた。
「それが・・・あれを、あれを見てください」
 ホノカが指差す方向には、倒壊したテントの前に横たわる真っ赤な肉の塊があった。そうではなかった、肉の塊と見えたのは血まみれの人間だった。
「月光軍団の隊長です」
「うぷっ」
 ナナミは口元を押さえた。
「生きているのよね・・・」
 しかし、これでは手当てのしようがない。隊長のケイコの命も時間の問題だろう。
「誰がこんなことをしたの」
「あたしたちが突っ込んできた時は、黒い鎧兜の騎士が襲いかかっているところだった」
「ああ、あの黒づくめの騎士ね」
「騎士の仲間かもしれない。鉄のマスクで覆われていたので顔は分からないが、背中に翼があり、爪も鋭く・・・とにかく怖かった」
 全身黒い鎧兜、鉄のマスク、翼が生えている、まるで怪物のような姿ではないか。その怪物がケイコを襲った。シュロス月光軍団には敵となり、カッセル守備隊には味方となったのだ。
 思いがけずナナミの作戦が的中したのだった。
 とはいえ、これで終わったわけではない。殴られ蹴られ、宙吊りにされた仕返しをしなければ気が済まない。そして月光軍団を降伏させ、カッセルの城砦に帰還したい。全員で帰還するのだ。
 全員で・・・レイチェルだけがまだ見つかっていなかった。

 時が経つにつれケイコの姿は正視できなくなった。血が固まって全身がどす黒く汚れてきた。
「アリスさん見たの?」
「ええ、ちょっとだけ見たわ。わたしも襲われるんじゃないかとビビった」
 アリスがその時の様子を話した。
 血だらけのケイコを見て気分が悪くなり草むらに屈みこんだ。目の前に異様な姿を目撃した。殺されると観念したが、その怪物はアリスには何もせず、空に舞い上がって姿を消した。
「守備隊の味方だわ、きっと。人を襲うだけなら捕虜になっていたわたしたちの方が簡単なはず。それが月光軍団のテントを壊して、隊長だけを狙ったとしか思えない」
 テントから隊長だけを・・・それを聞いて、得体の知れない不安がこみ上げてきた。
 まさか。
 ナナミはとてつもなく恐ろしいことに気が付いた。
 レイチェルだ。
 月光軍団のテントを襲い、隊長を無残な姿にしたのはレイチェルなのだ。
 全身が黒い鎧兜、鉄のマスク。レイチェルがそんな姿に変身するとは想像していなかった。せいぜい身体の一部が変化するのだとばかり思い込んでいた。しかも、レイチェルは攻撃ではなく防御のために変身するのではなかったのか。
 それなのに、この惨状だ。
 アヤネが拾ったという引き裂かれた血だらけの服、それもレイチェルが襲ったのだろう。
「ムフッ」
 胸が痛くなった。右手と左足がビリビリと軋んだ。身体が変調をきたしている。
 レイチェルに変身するように命じたのは他ならぬ自分だった。月光軍団の隊長を狙えと指示したのも自分だ。そう、この惨状を引き起こした原因は紛れもなくナナミ自身にある。
 これは人間におこなえる業ではない。レイチェルは隊長のケイコを破壊したのだ。怪物だからこそできたのだ。姿形だけではなく、心までもが怪物になってしまった。
 レイチェルはどこに? 
 まさか今でも怪物の姿のままなのだろうか。
 だとしたら、取り返しのつかないことをしてしまった。

 月光軍団のミキは周囲を見回した。幸い、ミカやマギー、ヒカルたちは無事なようだが、ミレイ、ジュリナが叩きのめされてしまった。ざっと数えて六、七十人は残っている。二十人くらいは逃げた計算だ。戦力はかなり消耗してしまった。
 隊長のケイコは息をしていないように見えた。守備隊の隊員に言われるまで、それが隊長だとは気が付かなかった。あの怪物にやられたのだろう。鋭い爪で摑まれたのでなければ、あんなおぞましい姿になることはない。
 宙吊りで失神した守備隊の指揮官ナナミが回復して、いい気になって指示を発している。悔しいが黙って見ているしかなかった。

 参謀のサトミが発見された。リーナがテントの布に隠れていたのを引きずり出してきたのだ。
 指揮官のナナミはサトミの首に縄を掛け、その端をテントの杭に縛り付けた。宙吊りの代わりに地面に磔にした。
「ふん、いい眺めだわ」
 先ほどとは違い、勝者と敗者が逆転している。
「お前も隊長みたいになりたいか」
 ナナミがサトミの頭を踏み付けた。
「うぐう」
「叩き潰してやる、隊長のようにボロボロになれ」
「あれは怪物がやったのよ、真っ黒な怪物が」
 レイチェルのことを怪物と言われ腹が立った。
「うるさい」
 ナナミが怒鳴り付けた。
「その言い方は何さ。もう一回言ったらタダじゃすまない」
「だって、見たんだから、恐ろしい顔をした怪物だった」
「タダじゃすまないって言っただろう、このバカ」
 その美しい顔からは想像もできない汚い言葉でサトミを罵った。
「お前を鞭打ちにすることにしたわ」
 ナナミはホノカたち三人の兵士に命じてサトミの服を引き裂き上半身を露わにした。
「この女、めちゃくちゃにしておやり」
 サトミの鞭打ち刑が始まった。
 鞭の代わりに縄を手にしたホノカが一発振り下ろす。
 バシン
「ぐぎゃっ」
 サトミの背中に赤い筋が付いた。続いてリーナとアカリも縄を振り回した。縄の先端には幾つもの縄目が結ばれていた。ナナミが宙吊りにされたときの縄だった。皮肉なことにサトミは自らが仕掛けた縄で打たれたのだった。
「次は・・・」
 ナナミが月光軍団を見渡した。次は自分の番かもしれない、誰もが首をすくめた。
「そうだ、お前たちにも仕返ししてやる」
 新たな標的に選ばれたのはミレイとジュリナだった。二人ともアリスやナナミをいたぶったので鞭打ちは免れなかった。ホノカやリーナに縄で叩かれ、ミレイの背中にも血の筋が走った。
「あなたにも一発やらせてあげる」
 ナナミはロッティーに縄を押し付けた。
「あたしですか・・・」
 ロッティーは連絡要員として隠れていたので、ナナミやアリスのようにキツイ仕打ちは受けていない。しかも相手は無抵抗なので、鞭で叩くのには躊躇いがあった。
「私の命令が聞けないの・・・ロッティー。ああ、そうでした、あんたは逃げ出した隊長の取り巻きだったよね」
 今更そんなことを持ち出すのかとロッティーは当惑した。
「私の命令に背くなら、一人だけ置き去りにしようか。こいつらに復讐されるわよ。それでもいいの?」
 敵陣に取り残されたのではかなわない、ロッティーは渋々、縄を受け取った。
「そうだよロッティー、あんたはやれるんだ。いつだったか、私に襲いかかったことがあったでしょ。あの調子でやればいいのよ」
 ナナミの命令には逆らえなかった。敵が憎いというよりは仲間はずれにされたくなかった。
 パシッ。ロッティーはミレイの背中をピシャリと叩いた。

 次にナナミは月光軍団の副隊長ユウコにも手を伸ばした。
「参謀はめった打ちにしてやった。ざまあみろだわ。さっきの仕返しをしてるだけ」
 戦いではなくナナミの私刑の様相を呈してきている。
「心配しなくていいのよ、あなたには手を出さない。お嬢様たちを見逃してくれたことがあったものね」
 右手でユウコの顎を上げさせた。
「あなたが欲しくなっちゃった・・・私のモノになりなさい」
「ナナミさんのモノ? 」
 ユウコが見上げたナナミの顔は異様だった。目はギラギラと輝き、唇は血のように真っ赤だった。
「そう、ユウコさんは大事にしてあげる」
「あ、ありがとうございます」
「さてと、参謀を痛め付けてくるとしようか」

 サトミの尋問が再開された。
「レイチェルはどこ、どこへ連れて行ったの」
「あの見習い隊員は、隊長が崖から落として殺せと・・・」
「それなら、お前も参謀だから同罪だ」
 レイチェルを崖から落とすように命じたのは隊長と参謀だ。実行したのは別の隊員だろうが、その隊員もすでに死んだ。血だらけの服がその証拠だ。
 隊長はすでにその報いを受けている。
 しかし、変身するように命じたのはナナミだった。
 どうしたらいい・・・
 その矛先は参謀にぶちまけるしかなかった。
「降参しろ」
 ナナミは怒りに任せてサトミの顔を踏み付け、つま先をグリリと鼻に擦り付けた。
「月光軍団は降伏しますと言え。さもないと顔を踏み潰す」
「痛い、やめてっ」
「サトミ、お前、さっき私がやめてといったのにやめてくれなかったじゃない。自分の番になったら助けてくれなんて、そういうのは身勝手なんだよ」
 宙吊りで痛め付けられた代償は降伏で償わせるしかない。
「さっさと降伏しろ」
「うう」
 ナナミはサトミの顔を蹴った。二度、三度と蹴り続ける。サトミの唇が切れて血が垂れた。
「月光軍団は降伏するんだ」
「・・・こ、降参、降参します。ナナミさん、許してください」
 ついに月光軍団の参謀のサトミが降伏した。
 カッセル守備隊がシュロス月光軍団に勝利したのだった。

 守備隊は月光軍団の武器を取り上げ武装解除させると、戦闘員の兵士を縛り上げた。降伏を認めたサトミは杭に括り付け、降伏の象徴、白い布を首に巻き付けた。
 しかし、まだカッセルには帰れない。レイチェルを探し出さなければならなかった。ナナミ、アリス、それにロッティーの三人が見張りとして残り、カエデやホノカたちは二手に分かれてレイチェルの捜索に向かった。

    〇 〇 〇
 【長くなりましたので、次に続くシーンはあらすじだけで書きます。ご了承ください】
 守備隊の隊員がレイチェルの捜索に向かった直後、ナナミの身体に異変が起こります。全身が熱を帯び、とくに右腕と左足の自由が利かなくなってしまいました。アリスとロッティーがナナミを抱えテントに運びました。月光軍団の魔法使いのカンナがこれを見逃しませんでした。見張りは二人しかいない、ナナミを襲って再び形勢をひっくり返すには絶好のチャンスです。カンナはナナミを襲撃しようと・・・
    〇 〇 〇

 剣や槍は取り上げられたがカンナに魔術という武器がある。指先からカミナリを発して焼き殺すのだ。
「ナナミ、死ねっ」
 ナナミが隠れているテントの幕を捲った。
「!」
 そこでカンナが見た物は不思議な人体だった。
 ナナミが伸ばした左足、その膝下の部分には「蓋」が開いていた。
「な、なに、それ」
 蓋の内側には時計の歯車のような部品が取り付けられていたのだ。
 一瞬、躊躇ったが、カンナはナナミに指先を向けてカミナリを放った。というより、止められなくなっていたのだ。
 ビガッ
「ぐぎゃあ」
 悲鳴を上げたのはカンナの方だった。勢いよく吹っ飛ばされてドタンとひっくり返った。魔術で発射したカミナリが跳ね返されたのだ。それでも二発目を放つために腕を伸ばした。
 バリン、ドン
 今度は稲妻がカンナを直撃した。カンナの身体からはブスブスと煙が上がった。
 月光軍団の反撃はあっけなく終わった。
 アリスとロッティーがテントに近寄った。雷の直撃を受けた月光軍団の隊員の服は焼け焦げている。死んだようにしか見えなかった。
 テントの中でも雷が光った。テントの中にはナナミがいるのだ。
「ナナミさん」と呼びかけたが返事はない。
「ぎゃっ」
 またテントの中で稲光りがした。

 今のはいったい何だろう・・・月光軍団の部隊長ミキは目を疑った。
 カンナがテントを捲ったとき、ナナミの足がチラリと見えた。その足には「蓋」があったのだ。蓋が開いてピカッと光り、雷が飛び出してカンナに命中した。カンナは空から落ちた雷に撃たれたのではない、ナナミに撃たれたのだ。
 蓋の付いた人体などあるわけがない、だが、確かに見たのだ。
 カンナが心配だ。しかし、助けにいきたくても縄で縛られているのでは動けなかった。

 そのころ・・・崖の下では、地下世界の住人サヤカがレイチェルを抱きかかえていた。
 レイチェルは変身が解けて元の姿に戻り、あどけない顔でぐっすり眠っている。レイチェルを変身させ、エネルギーを消耗させて命を奪うのが目的だった。しかし、今回は不首尾に終わった。レイチェルは人間の血を吸い尽くして栄養を補給したのだった。木の枝に見るも無残な死骸が引っかかっていた。
 サヤカはレイチェルを肩に担いで急な崖の斜面を一歩、また一歩とよじ登った。
『レイチェル・・・』『どこにいるの、返事して』
 遠くからレイチェルを呼ぶ仲間の声が聞こえた。

 レイチェル発見の知らせに舞い戻ったリーナだったが、テントの異常事態を見て立ちつくした。アリスに子細を尋ねると、月光軍団が反乱を起こしたものの、その隊員は雷の直撃を受けたということだった。地面には服が焼け焦げた隊員が倒れていた。
「テントに奈々未さんがいるの」
 ロッティーがテントを指差した。テントの中にも落雷があったとみえて屋根の頂上に穴が開いていた。これではナナミの命も心配だ。リーナはアリスたちを下がらせてテントの布を捲った。
「ナナミさん、無事か」
「ああ・・・」
 テントの片隅で指揮官のナナミが膝を抱えていた。顔は蒼白で怯えたように目を見開いている。
 ナナミは無事だった。
「よかった」アリスがテントに飛び込んでナナミと抱き合った。
「おっと、大事な報告を伝えに来たんだ。レイチェルが見つかったよ、ナナミさん」
 リーナがそう言うとナナミの顔に赤みが射した。

 レイチェルはマリアお嬢様と手をつなぎ、三姉妹のマーゴットとアヤネに囲まれていた。
「コイツ、心配かけやがって」
 ホノカがレイチェルの頭を叩いた。手荒い歓迎だ。
「どひゃー、痛いでおます」
「喜べ、生きている証拠だ」
「みんなにどつかれてしまいましたねん」
「頭の打ちどころが悪かったのね」
 レイチェルの言葉遣いがおかしいのでアヤネが笑った。
「それで喋りかたが変なのか、それじゃもう一発ぶちかましてやるか」
「かんにんどすえ、おいどんは痛いでごわす」

 指揮官のナナミはテントの中で休んでいたが、元の姿に戻って返ってきたレイチェルを見て這い出してきた。
「レイチェル」
「ナナミさん」
「無事で帰ってきてくれて、よかった」
 ナナミはレイチェルを抱きしめた。
「ごめんね、レイチェル」

    〇 〇 〇

 カッセル守備隊の帰還が始まった。
 月光軍団の装備品からバロンギア帝国の帝国旗と月光軍団の旗を没収した。勝利した証拠に月光軍団の旗を掲げて凱旋するのだ。他にも二台の馬車、金貨、作業着などを奪い取った。レイチェルたち三姉妹は汚れた服を脱いで月光軍団の作業服に着替えた。
「みんな、集まって」
 ナナミが号令をかけた。
「よく頑張ってくれました。おかげでカッセル守備隊は月光軍団に勝利しました」
「おおー」「勝ったぞ」「やったー」
「全員揃って、カッセルに・・・カッセルの城砦に凱旋しましょう」

 ロッティーはカッセルに帰れると決まって喜びもひとしおだった。しんがり部隊の役目は果たせたので、隊長のチサトに認められ復職が叶うだろう。一時はナナミを見捨てて逃げようとしたが、思い留まって良かった。逃げていたら今度こそ負け組になるところだった。

 一方、敗れた月光軍団は惨めだった。ミキが点呼を取ると、残っているのは八十三人だけになっていた。隊長のケイコと魔法使いのカンナが死亡し、ミレイやサトミは大怪我を負った。さらに、三十人ほどが行方不明になっていた。逃亡したのだ。無事にシュロスへ逃げ落ちてくれればいいのだが。
 ミカやマギー、ヒカルたちが無事だったのがせめてもの救いだ。
 守備隊の見習い隊員でお嬢様と呼ばれている者が負傷者の手当てをしてくれていた。ミキも「大丈夫ですか」と声を掛けられた。弱々しい隊員に慰められてますます悔しさがこみ上げてきた。
 指揮官のナナミが来た。
「ミキさん、撤退の指揮を執るといいわ。そう思って、あなたには手を出さなかったのよ。感謝しなさい」
 撤収部隊の指揮を執らせてもらえることには感謝せざるを得ない。
「捕虜を貰っていきます。一人はユウコさん、あとは・・・あの子にしようかな」
 ナナミが若手の隊員ヒカルを指した。ユウコを捕虜にされたうえ、若手隊員のヒカルまで攫っていくという。しかし、ミキは力なく頷くしかなかった。
「ユウコさんとヒカルですか・・・二人のこと、くれぐれもよろしくお願いいたします」
「いいわよ、お願いはしっかり聞いておく」
 ナナミがミキの耳元に寄った。
「私からもお願いがあるんだ。さっきのこと、黙っていてね・・・私のヒミツ、分かるでしょう」
 そう言って左足をトントンと叩いた。
「喋ったら、捕虜は永久に帰さないからね」
 ギクリとした。左足の「蓋」のことだ。捕虜になったユウコとヒカルのことを思えば、ここは知らぬふりを通すしかない。
「ナナミさんの秘密とは、何のことでしょうか」
「ふふふ、それでいいわ。あなたは良くできた人ね」
 敵の指揮官に褒められても少しも嬉しくなかった。
「ミキさん、私の部下になってくれないかしら」
「部下・・・カッセル守備隊に入れということですか」
 何を言い出すのだ、この女は。
「そうよ、だって、ローズ騎士団がシュロスに向かっているんでしょう。もし、戦いになったら、その時には、あなたがいれば心強いわ」
 ナナミの口からローズ騎士団の名が出た。
 ローズ騎士団がシュロスの城砦に来ることを知っていたのか・・・
 ミキは愕然とする思いだった。
「こっちもかなりの被害を受けたから、すぐには戦いたくない心境だけどね」

 それからミキは捕虜になるユウコと別れの挨拶をした。お互い、この仇を返す日まで無事でいようと誓い合った。
 月光軍団は死亡したケイコとカンナに白い布を被せ冥福を祈った。これには守備隊も一緒に手を合わせてくれた。

 しばらくしてカッセル守備隊の馬車が動き出した。
 馬車にはお嬢様が乗り込み、ユウコとヒカルも乗せられた。二人を丁寧に扱ってくれたのでミキは安堵した。 

 歩き出したナナミは立ち止まって振り返り、月光軍団に向かって手を合わせた。
 ケイコとカンナ、あの二人は、私が殺してしまった・・・

「隊長」
 馬車に乗り込んだナナミが呼び掛けた。
「アリスさん、今日からカッセル守備隊の新しい隊長になってください」
「あたしが隊長ですか、それはどうも」
 隊長と言われてもピンとこない。
「では、隊長さん、さっそくですが、一つ命令を出していただいてよろしいでしょうか」
「はいはい、何でしょう」
「頑張ったご褒美として、三姉妹をチュレスタの温泉に行かせてやりたいのですが」
「はい、よろしいです、司令官殿」
 アリスは迷わずナナミを司令官と呼んだ。


 『辺境の物語』第一巻 カッセルとシュロス(上)を終わります。お読みいただきありがとうございました。
 第二巻 カッセルとシュロス(中)へと続きます。

辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス(上)

辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス(上)のあとがき

 かおるこです。
 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス(上)をお読みいただきありがとうございます。
 
 第一巻では、ルーラント公国カッセル守備隊とバロンギア帝国シュロス月光軍団の戦いを描きました。カッセル守備隊のレイチェルは変身能力があり、またナナミも特殊な身体を持っています。これに対して、シュロス月光軍団は普通の人間の集団です。最後の最後、レイチェルの変身によってカッセル守備隊が勝利しました。
 第二巻では月光軍団の苦悩を中心に書いていきます。
 
 この物語は架空の話であり、登場人物や設定は、実在の方々、事物と一切関係がありません。
 公開後に増補加筆、あるいは、誤字脱字、文法の誤りなど、気になる箇所を部分的に修正しております。

 第二巻 カッセルとシュロス(中)の予告
 カッセルの城砦に戻ったナナミは隊長のチサトと対決します。このとき、城砦にはバロンギア帝国の偵察員が潜入していました。一方、シュロスに帰還した月光軍団にはローズ騎士団という、さらなる試練が待っていました。そしてカッセルに捕らえられたユウコの運命は・・・
 カッセルとシュロス(中)は、これまでとは違った語り口で始まります。
 さらに第三巻と続巻も用意しています。令和三年六月から毎月一巻ずつ投稿してまいりますので、よろしくお願いいたします。

 全巻を通しての参考図書
 
 図解 城塞都市 開発社著  新紀元社
 覇剣の皇姫アルティーナ むらさきゆきや著 ファミ通文庫

辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス(上)

中世を舞台にしたファンタジー戦記です。女性だけで構成された部隊、カッセル守備隊とシュロス月光軍団の攻防や人間模様を描きました。SF的要素もあります。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日 2021-06-04

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