独りーミングスノー

堀川士朗

堀川士朗です。今回は森川チロの旅小説をお届け致します。寒い寒い北陸地方へと皆さんをいざないます。
雪かきボランティアの果てに何を彼は見るのでしょうか。
お楽しみに。

北陸地方雪かきボランティアの旅。


 「独りーミング・スノー」

        堀川士朗


細かい事をよく覚えていると思われるかもしれない。だが、たいがいの事は忘れてしまった。

過去へ。


僕は森川チロ。
31歳の役者だ。
去年末に僕がヒステリーを起こしたために自分の赤ちゃんが流産で死に、婚約者と別れて、出演中だった芝居もセリフが全く覚えられなくて暴れて演出家から、

「お前はおかしい。頭が狂っている!」

と言われて降板となり、僕はもう全ての事がどうでもよくなって精神の闇の中を独り彷徨(さまよ)っていた。

「僕って、どこにいるんだろう」
「僕って、誰なんだろう」

何だっけ。
何しようとしてたっけ。

自死して自分の人生全て御破算にしたいぐらいだった。
僕は、独りぼっち暮らしているこの実家で、携帯も解約して、カーテンも閉め切って、誰とも会わずそんな事ばかり考えて過ごした。
抜けた髪の毛を灰皿の上に乗せて、タバコの火でチリチリと残酷に焦がして遊んでいたりした。
ああもう人生は終わった。
これから、死ぬまでつまらない余生を過ごすんだ。
冬の風が、窓を打っている。
もう、何週間も、まともに眠れていない気がする。

年が明けて。
コタツに入ってテレビを観ていた。
今年は北陸地方が豪雪に見舞われている。
僕はそれを観て急に雪かきボランティアをしようという気になった。
カバンにプラスチック製のスコップを入れて出かける。
旅費は無かった。
去年の秋に、僕が主催している劇団の公演を打って貯金がなくなり、更に結婚披露宴がパーになったので高級ホテルの馬鹿高いキャンセル料も支払っていてお金なんか全く無かった。
日々の生活に困窮としていて正直、雪かきボランティアなんかしている場合じゃ無かった。
でも僕は行こうと思った。

生きて戻れる感じがしなかったから、僕は父に一応挨拶をしておこうと思って父の住んでいる十条に行った。
父は演芸場で大衆演劇に出演中だった。芝居は観なかった。
余計な金は使いたくない。
寒いけれど外の喫煙所でタバコを吸って芝居が終わるのを待った。
僕も以前出演していたが、大衆演劇のお客が僕は大嫌いだった。
俗悪な感じがするからだ。
ご飯をおごって貰った時があって、そのファンのおばさんは僕に、

「映像だと食べるシーンがあるでしょう。右手じゃないと変なの。あんたは左利きでしょう。変なの。だから左手じゃなく右手で食べなさい。今!」

と理不尽な事を言った。僕は眉間にシワを寄せて全く従わなかった。
しょせん大衆演劇の客なんてものは、見世物小屋に自分の飼いならした役者をペット感覚で観に来ているだけの下卑た存在なんだ。

三十分も外で待っていると、終演の拍子木が鳴りお客がわらわらと出てきた。
少し遅れて、おしろいで顔を白く塗った一座の役者も出てきてその中に父もいた。
父は女形の格好をしていた。

「あのさぁ。雪かきボランティアに行ってくる。北陸地方に」
「そうか。まぁ……やな事はパッと忘れて……気をつけてな」

父は五万円をくれた。父は今日が千秋楽なのでご祝儀がたくさん出てとても気前が良かった。
おまけに日本酒も祝い酒だと言って渡して持たせた。
一升瓶だ。
ワンカップの酒ならまだしも。
エグい重い。
訳が分からない父の愛。


在来線を乗り継いで行く事にした。
車内はガラ空きだった。
僕の斜め後ろに若い女の人が乗っていた。僕はこの人に日本酒を振る舞おうと思って話しかけた。

「独り旅ですか?」
「ええ」
「お互い独り旅ですね。ここで知り合ったのも何かの縁です。どうですかお酒でも」
「いいです」
「まあそう言わず。一献」
「いいです」
「まあまあそう言わずにご一献」
「いいから」
「毒は入ってませんよ。まあご一献」
「いいから」
「まあそう言わず、ね。ご一献。旅は長いですよ、さあさあ楽しみましょう」
「いいからぁっ!」

女の人は怒って車両を変えた。
何故だ。

窓の外を見ていた。
東京から雪は積もっていたが、やがてこんもりとこんもりと丸くかわいらしくなる雪の形の風景があった。
かわいさが増すほど雪は凶暴さを増していく。
早く雪かきボランティアをしなければ!
僕はカバンに入れたスコップを強く握りしめ決意した。

五時間後。
新潟県に着く。
全然分からない駅で降りてみた。
バスに乗り民家のある方へ。
寒い。
朝九時半。
気温は多分零下だろう。
体温も同じなような気がする。
民家を訪ね雪かき開始。
脚立を使ってガレージの屋根に慎重に登り、下を確認しながらの雪おろし。
僕のスコップは強化プラスチック製なのでガツッと強く当てても屋根部分を傷つけないで済むんだ。
雪おろしの運動を重ねだんだんと体温が上がってきた。
着てきた革ジャンで暑いくらいだ。
下ろした雪を今度は側溝に落として終了し、あったかいお茶と煎餅を出されてこの家を後にする。
カバンに入っている日本酒の一升瓶が重い。
旅に持ち歩く重さじゃない。
どこかに置いてくるか。

しばらく歩くと県立の美術学校みたいなのがあったので入ってみた。

「大学のOBです」

すんなり入れた。
学生が描いた色々な絵が一階のエントランスに飾られている。
でも、絵のレベルはそんなに高い方じゃない。地方だからかな。
階段を降りてきた授業終わりの学生に挨拶をする。
スコップを持った僕を見て、学生たちは引きつった笑みを浮かべている。

「フムフム。日本の若き美大生の才能に乾杯!」

とか言って一番気に入った作品の所に日本酒の一升瓶を『最優秀森川賞』として置いていく。
警備の人はしょうがないなーという顔で笑っている。


痩せたな。
雪に映る影が、痩せっぽっちだ。
寒い。
途中、米屋があったので250ミリリットル入りの醤油を買って歩きながら飲む。食道があたたまるような、ような気がした。
もう夜だ。
容赦なく寒くて凍えそうだった。芯から凍てつく。
これが北陸地方の寒い冬の夜か。
今日はどこに泊まろう。
タクシーを拾った。
遠回りされて秘密の機械工場に連れて行かれて外国向けの白もの家電ばかり作らされる感じがしてタクシー運転手と喧嘩になった。
その夜は、ボロい、幽霊が出そうなホテルに泊まった。
眠れなかった。
命を蘇らせてくれる眠りを、僕はずっと長い事忘れてしまったみたいだ。


村の小さな神社を雪かき。
階段は特に念入りにやった。
滑るといけないからな。

「まあまあありがとう」

と、通りかかったおばあちゃんに手を合わされておにぎりを二つ貰った。味噌おにぎりで、美味しかった。

さてどこへ行こうか。
スキーがしたいな。
一本道。
一面の雪化粧された地。
目の感覚がおかしくなる。
雪道をおばさんが歩いていた。

「すみません。ここら辺でスキー出来るとこありませんか?」
「〇〇〇スキー場があるよ。一時間ぐらい歩くけど」
「ありがとう。行ってみます」
「あんたお金無いだろう。これでリフト券でも買って」

おばさんから五千円貰った。
お金を貰って一時間半ぐらい雪の照り返しで目がおかしくなりながら歩いた。
スキー場にたどり着いた。
着ている革ジャンとジーパン姿でスキーをする事にした。
スキー靴とストックと板だけ借りた。
先端に鉄板の入った僕の黒い軍用ブーツはコインロッカーの上に置いた。ちょうど良い小銭がないのだ。
リフト。ジーパンだから濡れてケツが冷たい

最初は中級者コース。全然スキーウェアじゃない僕の華麗な滑りを見て人々はギョッとしていた。
上級者向けの急勾配のコブだらけのコースも滑ってみた。
前につんのめるほどの傾斜角、そのスリルがたまらない。
五年振りのスキーを存分に堪能した。
食堂であたたかいうどんを食べたが出汁が薄くてあまり美味しくなかった。


二時間ほど歩いた。
日も落ちて冷えて来た。
途中の道で、無料の乗り合いバスに拾って貰う。
帰りのスキー客や地元の労働者が乗っていて既に満席状態だった。
僕は横柄な態度を取ってしまった。
このバスが街の方へ行かず、秘密の機械工場に連れて行かれ外国向けの白もの家電ばかり作らされるような感じがしたからだ。
同乗者の強烈な視線が突き刺さる。
『こいつ何だよ』っていう。

「あんた乗せて貰ってそんなじゃ降りてもらうよ」

とバスの運転手に強く言われたので僕は黙った。
視線を浴びながら街に着いた。
今日はどこに雪かきしようかな。ランララン。

困ってる家はないかな~。
困ってる家はないかな~。
キ〇ガイおじさんの雪かきボランティアだよ~。
さ~ぁいらっしゃい~。


富山県。
民宿を出た。
雪道を彷徨う。
人影はない。
家もまばらだ。
寒いを通り越している。
でも、山に登ってみる事にした。
更に歩く。
盲目的に前へ。
ザクザクと雪深い道を踏みしめる音だけがクリアに聞こえる。
軍用ブーツは完全に先端部分から水が漏れていて足の指がかじかんで痒い。
降りしきる。
雪が来る。
歩く。
何時間経っただろうか。
山を彷徨って熊みたいな物体と遭遇する。
黒くて太い物体。
四メートルぐらいの。
至近距離。
動いてこちらに向かってくる。
寒さと恐怖で、逃げる筋肉が働かない。
食われる!
僕は死を覚悟した。
でも熊じゃなくて両手を大きく広げたような形の太い樹木だった。
雪の白さで目がやられている。
結晶のひとつひとつが僕を狙っているのだ。
僕は雪に倒れ込む。
雪は一見あったかい。
だが、確実に僕のカラダから熱を奪い去っていく。

誰もいなかった。
いない方が良かった。
僕は独りで良かった。


もう夜中になっていて、辺りは真っ暗だった。
一軒の民家があった。
どうでも良い僕の命がまた助かった。
雪おろしをしますと言ったが、もう夜だからと玄関の外の周りだけやった。
雪かきを終えたら家に泊めて貰える事になった。
この家はおばさんとその父親の二人暮らしだった。
僕は背中を丸めて田舎ならではの大きなコタツに入った。
靴下は濡れていたので脱いでコタツの中で乾かした。
おばさんは二階で寝て、僕はチューブがいくつも繋がっている寝たきりのおじいちゃんと同じ一階の居間にいる。
テレビはない。
おじいちゃんはもうテレビを観ないからだ、きっと。
風の音がすごい。
でもそれがあるからこそ逆に静かだ。
おじいちゃんは布団で寝ていたが、僕に話しかけてきた。

「あんた。わしを殺しに来たんけ?」
「違います。ご厚意で泊めて頂いたのです」
「そうけ。あんたは高浜さんとこの次男坊の子け?」
「違います。東京から来ました」
「そうけ。まぁ、ゆっくりしなせぇ」

おじいちゃんはスヤスヤ眠っていてまるで赤ちゃんみたいだった。

夜が更けていく。
僕は死んでしまった僕の赤ちゃんの事を考えた。
男の子で、名前は考えていた。
風の音ばかり聴いている今と、赤ちゃんを失ったあの瞬間と、どちらが虚無の思考なのだろう。
どちらが孤独の惑星なのだろう。
多分、何ひとつ変化していない気がする。
僕はあの日からずっと、一歩も歩いていないのだ。
カラダが芯まで冷えている。
あったかいコタツに入っているはずなのに。
熱が。
熱が伝わらない。
死人のカラダだ。

風の音だと思ったら違った。
赤ちゃんの泣く声が聞こえる。

「僕が悪いんだ。僕が、殺してしまったんだ。僕が。僕が。僕が」

横になる。
布団は真新しくて寝心地は良かった。
でも一睡も出来なかった。
おじいちゃんはウンチ臭かった。


翌朝。
朝食を出してくれた。あたたかな味噌汁とお新香が美味い。お米も美味い。
何度もおばさんとおじいちゃんにお礼を言って別れを告げた。
おじいちゃんは最後まで僕を高浜さんとこの次男坊の子だと思っていたみたいだ。
人間に存在する「情」についてまた考えさせられながら僕は雪道を進んだ。
朝の光に照らされて。


今日はどこへ行って雪かきしようかな。ランララン。

困ってる家はないかな~。
困ってる家はないかな~。
キ〇ガイおじさんの雪かきボランティアだよ~。
さ~ぁいらっしゃい~。


数日経った。
石川県。
夜。
駅の構内でスタンガンを撃たれているような感覚に襲われた。
ビリッ。
ビリッ。
またビリッ!
何発も何発も撃たれた。
足に強烈な痺れ。
電撃!
電撃!
電撃!

「やめてくれ!撃たないでくれ!」

僕は叫んだ。
電撃は止まない。
帰宅途中の行き交う人々がみんなで僕を狙っているのだ。
スタンガンを撃っても構わない獣だと思っているのだ。
僕はその通行人の一人の肩を掴んでこう言った。

「撃たないでくれ!僕は獣じゃない。獣だからスタンガン、電撃を食らわせてもいいのかよっ!?」
「いいのいいの」

と、肩を掴まれたサラリーマンが軽い感じで言って僕の手を振り払って去って行った。
電撃は止んだ。


電車に乗っている。
当てもなく一日中、石川県内をぐるぐる回っている。
スコップはだらしなくカバンの中にぶち込んでいて握る気にもならない。
捨てちゃっても良かった。
僕はもう疲れていた。
帰りたかった。
東京に。
家に。
もうどうでも良かった。

耳鳴りだと思ったら違った。
赤ちゃんの泣く声が聞こえる。


夜。
明日帰ろう。
ウパパンパホテル金沢駅前支店に泊まる。
チェックインの時に名前と住所と勤め先とメールアドレスは全くのデタラメを書いた。
フロントの人はそれを見透かしている感じがした。ただ関わるのは面倒だから、見逃している感じがした。
部屋はとても狭く、ただテレビだけがデカいウパパンパホテルのシングルルーム。
テレビは一週間観ていなかったが観なかった。
観る気がしなかった。
暖房を付ける。
お金を出せばHなチャンネルも観られるが、そもそも赤ちゃんが死んだあの夜以来僕には性欲というものが一切存在しなかった。
木目調だけど合板の机の引き出しを開けたら、聖書じゃなくてなんか右翼の人が読んでいそうな本が入っていて引き出しをそっと閉めた。
部屋備え付けのティッシュを灰皿の上に乗せて、タバコの火でチリチリと残酷に焦がして遊んだ。
三日振りのシャワーを浴びた。シャンプーは二回した。
全てを洗える気がした。

僕を。
汚穢(おわい)全てを。

思えば、人の善意に甘えてばかりの一週間だったな。
ボランティアされていたのは、僕の方だった。
本当に優しい人たちのところに僕が土足で踏み込んで、しっちゃかめっちゃかに荒らし回っただけだった。
何のために来たのだろう。

足の指が凍傷になりかけていた。
血のように。
ただ血のように。
真っ赤にただれていた。

「僕って、どこにいるんだろう」
「僕って、誰なんだろう」

何だっけ。
何しようとしてたっけ。

日付が変わる頃、
ベッドに横になり、
僕は、
白い天井を、
見つめていた。
ああ、
東京に、
帰りたくないな。
重い、
重い、
現実が、
僕を、
待ち構えている、
あの、
東京に。
でも、
帰るんだ。
明日。
家がある。

どこかで赤ちゃんの泣く声が断続的に聞こえる。
まるで雪の音みたいだ。
消えゆく。
消えゆく。
視界から全てが。
白く消えゆく。
これは?

眠りだ。


                完

独りーミングスノー

ご覧頂きありがとうございました。いかがでしたでしょうか。次回も旅小説を発表いたします。女の子の列車旅行です。お楽しみに。

独りーミングスノー

全て失った男、森川チロ。 豪雪の北陸地方。 雪かきボランティアの果てに何を彼は見るのか?

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-05-29

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