雨の街

雨は好きですか?

雨は今よりもとても嫌われ者になった。

いつの日からか、雨は人に対して脅威になった。
雨に打たれてしまうと人が溶けて消えてしまうようになってしまったからである。

常に雨雲が太陽を遮り、住む場所を奪い、作物の成長を遅らせた。
雨は、人からとても嫌われるものになっていた。

この雨についてわかることといえば、たくさん調べた結果、降り止むまでに途方もない時間がかかると言うことだけだった。

地球がまるで、地上にいる人を洗い流すような雨だとみんなが騒いだ。

人はみんな、家にこもって外に出る事はなくなった。
家で仕事をしたり、友人とボードゲームをしたり、定期的に届く食料で料理をしたり。
全て家の中で事足りてしまった。

街の人の肌は色白く細身で、切られることのない髪の毛は髪留めによって束ねられている。

外に出なきゃいけない時には、雨に濡れないように、めんどうくさい雨具を身につけて傘をさした。
足も手も動かしづらく、着ぐるみの中に入っているように蒸し暑い雨具をつけ、
絶対に雨粒を通さないように、分厚めの生地でできているため鉛のように重い傘を持って、
好んで外出する人はいなかった。

しかし、その中でも普通ではない人がいた。
その男は、雨が大好きで、雨の音を聞くためにわざわざ雨具を身につけて傘を持ち散歩に出かけた。

男は雨具を軽々と手足を通し、傘をひょいっと持ち上げると「よし」と言って玄関を出る。

雨の中でやる行動は、男にとってとても素敵なことのように思えて、雨宿りをしながら本を読んだり、映画を見たり、煙草を吸ったりして楽しんでいた。

雨の中なら一人でも楽しい。誰もいない世界のような気がする。世界に自分一人だけになった。そんな優越感に浸れるから男は雨が大好きだった。

男は誰とも関わろうとしなかった。街の人が話しかけても適当にあしらうばかりだった。

街の人から男は、気が狂ってしまった。かわいそうに。身寄りもいないで一人寂しく消えて行くんだと、みんなが男を憐れんだ。

しかし、男は雨さえあってくれれば幸せなので、そんな言葉に耳もかさずに、いつものように雨の街を徘徊していた。

誰も男を止めず、男も止める気はなかった。

男は毎日毎日、街のいたるところを散歩した。
雨に濡れたアスファルトを歩き、少しぬかるんだ公園の芝を踏み、黒く濡れた噴水を周り、地面を反射させる街灯の光を遮り、男は雨の中を歩いた。

一日中、雨雲が出ているので街灯が常に灯をともし道を照らし続けているので、昼夜問わずに男は歩き回った。
そして疲れたら家に帰って、温かいココアを飲んで眠りについた。

男だけは外出を常に続けているので、体つきも人より線が太く、髪の毛は雨具にしまいやすいように短く切られている。
そんな街の人とは違う自分の姿にまた、優越感を抱いていた。

ある日、男はいつものように雨の中、ご機嫌に散歩をしていた。公園を通り、噴水を通り、街の中を通り、そして、街灯の光も届かないような路地裏を歩いていた。

そこで、少女が捨てられているのを見つけた。
段ボールを地面に敷いて、小ぢんまりと体育座りをしている少女がそこにはいた。

男は驚いた。
少女がこのような場所にいることにもだが、それよりも、少女の服装は部屋着のようなジャージであり、雨具を一切身につけていなかったからだ。

男は急いで少女を傘の中に入れた。
近づいて分かったが少女は雨に濡れて体温を奪われて気を失っていたようだ。
少女を抱えながら男は自分の家へと帰った。

男は許せなかった。
まず、雨の中の街に自分一人ではなかったこと。
そして、自分よりも自由な格好で、脅威など知らぬように雨に打たれていたこと。
羨ましかったし、悔しかった。

男は少女が目を覚ますと、ココアを飲ませて叱った。
雨がどれほど危ないか、知らないのか。そんな格好で外に出るなんて自殺行為だ。そもそも外に出ること自体よくないことだ。
少し八つ当たりの様になったが、そんなことを言った。

「あなたも外に出てたじゃない」
男はすぐには否定しなかったが、それは俺の勝手だと言い返して、少女に予備の雨具を持たせた。

男も雨具を身につけると、少女を連れて近くの交番まで行って保護してもらった。
警察からは、不審な目で見られさっさと追い払われてしまった。

翌日も男は散歩をしていた。
そして、同じ路地裏で同じように体育座りをしている少女を見つけた。
今度は家にも帰らずにそのまま交番まで行って保護してもらった。
話によると、いったん少女は家まで送られたらしいが、また家出をしたらしい。

少女は今度、警察の方で預かられる事になりそのまま病院へと向かった。
かなり長い間、雨に打たれていたからしばらく入院するのだろう。
これでようやく男は再び、雨の世界に一人になった。

翌日、少女はまた同じ路地裏で同じように体育座りをして座っていた。
男は少女を傘の中に入れて、急いで家へと帰った。二人入るには狭い傘の中で、少女は少しだけ嬉しそうにしていた。

家に連れて帰って、ココアを飲みながら男は少女にどうして外に出てしまうのか聞いた。

少女の親は、虐待を行っていた。家の電気も止められゴミで溢れかえった部屋の中、最低限の食べ物を与えられ、定期的に殴られる。
だから家出したと。
病院も簡素な部屋の中で離乳食のようなものを出されたから、似たようなものだと飛び出してきたらしい。
男はよくある話だと聞き流していた。

そして、病院で少女は病気であると告げられた。
どうやら少女は特別な病気であるらしく、ある年齢に達すると雨に打たれていなくても体が縮んでしまい最後には消えてしまう病気だと言われた。
そして、その病気の副作用として雨に打たれても体が縮まないという体質であるとも話した。

男はここ数日で一番驚いた。
雨に打たれても問題がないという少女の体質に大変に嫉妬した。
寿命が人よりも短いかもしれないが、そんなことは男には些細な事に思えた。
雨の中、濡れても関係なく動き回ることができるということは、男にとって夢のような体質だった。

男は少女の面倒を見る事にした。
このまま少女を保護してもらったとしてもまた脱走するのならば目の届くところに置いておいた方が、男も気兼ねなく散歩することができると思ったからだ。

二十代後半の男と、未成年の少女。

二人での暮らしに慣れてきてから、少女は男に「あの時どうして同じ路地裏に何回も来たの?」と聞いた。
男は「二度も俺の散歩を邪魔されたから仕切り直しただけだ」と言った。それは半分本当で半分嘘だった。
少女はなんとなくそのことがわかって、ニヤけながら「そっか」とつぶやいた。

二人が一緒に暮らすためにやることはそれなりにあった。二人分の食べ物、少女分の衣類、お風呂の順番や家事の分担などのルール。
必要なものはある程度揃えていった。ベッドは少女に使わせて、男はソファーで眠る事にした。
いつも少女は男が寝た後、ソファーと男の間に挟まれて眠りについた。そして男はいつもソファーから落とされて起きる。
寝室に一人でいると寂しいからここがいいと言い張って言うことを聞かなかったので、仕方なく男もベッドで眠ることにした。
二人で眠るベッドはいつもより暖かく、二人ともぐっすりと眠った。

ある日、男がいつものように散歩へ外に出かけたら少女も傘を持ってついてきた。
家にいるように言ったが、意地でも動かなかったので仕方なく連れて行くことにした。
少女は長い髪を後ろにまとめて、全く防水について考えられていない可愛らしいポンチョを着てカラフルな傘をさして男についていった。

男は少女に歩幅を合わせて、いつもと同じ道をゆっくりとまわった。公園を歩き、噴水を周り、街灯の灯を遮り、街の中を歩いた。

街の人たちは、窓から男を見つけて驚いた。どんな心変わりだ。あの少女も気が狂っているのか。
街の人は窓を少し開けて「珍しいね」と声をかける。
男は無視をするが、少女は「一緒にお散歩してるの」と答えた。
男はそそくさとその場を離れ、少女もそれを楽しそうに追いかけた。
街の人は、多くの疑問を持ったが、男がどこかいつもより楽しそうに見え、二人を微笑ましく思った。

男の生活は少し変わった。
家にいる時間が前よりも増えたのだ。
理由は少女の体力がないため、頻繁に出かけることができないからだ。
なので家でやれることをどんどんと二人で試してみた。

凝った料理に挑戦し、レストランに出てくるコース料理を作ってみたり、二人用のボードゲームを買ってみて、一日中戦い続けて極めてみたり、小説をたくさん買って二人別々の本を読んで、お互いが読んだ本のプレゼンをしてみたり、あとはゆったりとソファーに座って映画を見たりして過ごした。
「ここ、この前のお散歩で行った街並みに雰囲気が似てるね」
「ほんとだな」
「うわこの人雨の中、傘もささないで踊って歌ってるよ」
「そうだな」
「こんなの、雨がこんなに危なくなくてもありえないよね」
「きっと、この人は雨が大好きだったんだよ」
「じゃあ、あなたと同じだ」
少女は男を指さしながら笑った。

男は少女を養うために前よりも少しだけ仕事をするようになった。みんながやりたがらない配達の仕事は、雨が好きな男にとっては天職でもあったので苦ではなかった。

男が仕事を終えて家へ戻ると、リビングに見慣れない、大人しめだが小綺麗でお洒落な箱がテーブルに置かれていた。そばで少女がこちらを見てニコニコしている。
「開けてみてよ」
男は恐る恐るその箱を開けてみると、中からは古びてはいるが小綺麗で品のよいスーツの一式が出てきた。
シャツ、ベスト、ジャケットにスラックス、ネクタイとそれを止めるタイピン、黒い革のベルト、靴下に革靴、ハンカチ、そして中が折れている帽子まで揃っていた。
「いつもお世話になってるからプレゼント」
どうやら数日前に注文して、先ほど届いたらしいそれは少女からの贈り物だそうだ。

「いつ着ればいいんだこれは」
「誰かと出かけたり、誰かと会ったりするときとか」
「とりあえずハンガーにかけてしまっておくよ」
「えー、今着てみてよ」
「お前もドレスコートしてくれたら考えておくよ」
「本当に?すぐ用意するね。約束だよ」
少女は、期待に満ちた目ですぐにそう言った。
ちなみにそのプレゼントは、男の貯金の半分を使って買ったらしく、怒られた少女がすぐに自らのドレスを用意することは出来なかった。

男と少女が一緒に暮らしてしばらくすると、少女は出会った頃よりも明らかに小柄になっていた。
男は、前よりももっと家で過ごす時間が増えていった。
「お前はいつか消えるじゃないか。ここでいいのか」と男は質問した。
少女は「出ていってほしいの?」と不安そうに答えるが、男の顔色を見て不安をかき消し言葉を続けた。
「私にとって家はここだし、消えるならここがいい」
少女は真っ直ぐ男を見つめて優しく告げた。
「そっか。俺もそれがいいと思ってた」
珍しく男も素直に答えたので、少女はどこか嬉しくなって部屋の中をぱたぱたと動き回った。

男と少女が出会ってあと少しで一年だという頃、少女はめったにベッドから出ることがなくなった。少女は朝起きても、ずっと寝る前みたいな眠さが続いていた。
男も仕事以外では、外へ出ることがなくなっていた。
少女は毎日が夢見心地のような一日を過ごしていた。

「ねえねえ、私のこと好き?」
「嫌いじゃない」
「この前見た映画で、否定されなければ好いてくれてるって言ってた」
「たしかに、付き合うならお前みたいなやつが良かったよ」
「どうして終わったことみたいに言うの」
「さすがに、年が離れすぎだろ」
「私の年、知らないくせに」
少女は寝てしまい、この会話も忘れてしまう。
男は少女の髪を撫でて、ベッドの側で本を読んだ。

男が眠ろうと部屋の電気を消して、ベッドに潜り目を瞑ると、手を握られた。
見てみると、少女はここ最近では珍しくはっきりと起きていて男を見ていた。握られた少女の手はとても暖かく心地が良かった。

「寝るなら少しお話しして寝ようよ」
「いいけど、少しだけな」
「私たちお互いをもっと知っても良い関係になったんじゃない?」
「知らなくても困らないけどな」
「あなたは私のこと子ども扱いするけど、もうお酒だって飲めるんだから」
「ホントに?じゃあ一人立ちの時期だな」
「そしたら私にドレスを買ってよ。それであなたはスーツを着て一緒にご飯を食べるの」
「家でだろ。そんなことしなくても」
「だめ、約束でしょ?」
「そうだな。それじゃあ頼んでおくよ」
「やった」

男は段々と瞼が重たくなっていく。
「ドレスをもらったらさ。街にそのまま出てみようかな」
「雨に濡れるよ」
「いいじゃない。あの映画に似た街を歩くの絶対に楽しいよ」
「それはそうだ」
「そしたら、私は傘をさすのをやめて歌いながら踊ろうかな」
「俺はそれを見てるよ」
「それじゃつまらないよ。そしたらあなたもスーツのまま外に出るの」
「あの映画みたいに?」
「そう。あの人は一人だったけど私たちは二人で雨に濡れるの」
「それはいい。絶対に楽しいだろうね」
「そしたら、私と一緒に踊ってくれる?」
「ああ、いいよ。一緒に踊ろう」

男は意識をほとんど手放していて、少女も手を握る力が弱くなってきた。

「ねえ、最後にお願いしても良い」
「なに?」
「もう少し暖かくして眠りたいかも」
「なら毛布を持ってくるよ」
「それじゃいや」
少女は甘えるように男を見た。男は諦めたように、少女の小さな体に手を回し軽く抱きしめた。
「わっ」と驚きながらも少女は嬉しそうにした。少女も男の体に手を伸ばして暖を取るようにくっつく。
しばらくして男は眠りについた。少女はもぞもぞと嬉しそうに笑いながら眠りについた。

次の日の朝、少女はいなくなっていた。
男の隣には一人分のシーツの皺があり、そこはほんのりと暖かく甘い香りがするような気がした。

男はゆっくりとベッドから降りて、テーブルに向かって椅子に座る。しばらくして立ち上がりココアを作るため牛乳を温めた。
二人で飲んでいたココアの粉は、あと少しで使い切りそうで一人分としては多いが全部、牛乳へと流し込み、ゆっくりと溶かした。

男はいつもよりも甘いココアを時間をかけて、溶け残って底についた粉もスプーンで溶かしながら飲んでいた。
ココアを飲み終えると、男は着替え始める。
今までハンガーにかけられていたスーツを取り出して、順番に確認しながら身支度を進める。
ワイシャツを着て、スラックスに足を通し、ベルトを腰に巻き、ネクタイを締めて、タイピンで固定し、靴下を穿いて、ジャケットに腕を通し、ハンカチは内ポケットへしまって、革靴を履いて、最後に中折れハットを被った。スーツのサイズはほんの少しだけ大きかった。
玄関に向かい傘をさして外に出る。
いつもと違う雨の雰囲気に少し立ち止まるが、足取り軽く歩き始める。街はいつも通りに暗く、街灯があたりを照らしていた。

しばらく歩き始めて、男はあの映画の歌を口ずさみ始めた。
傘を少し上にあげて空の様子を眺める。
雨が顔に当たる。冷たくてぱしぱしと音を鳴らし男の目元を流れていく。
傘を閉じて肩に乗せながら男は、さっきよりも大きな声で歌を歌う。
スーツは雨水を吸い重くなったが、男はどこかいつもよりも明るく振る舞った。軽くステップを踏みながら水たまりを蹴とばし街を進んでいく。
ふと左手は誰かを支えるように曲げて右手はその人の手を握るようにして右に差し出し、またステップを踏みながらアスファルトの道をくるくると回る。

音楽が流れている。体力のない彼女は結局外には出られなかったけど、ドレスを着て僕の手を取り踊り始める。でたらめな足さばきだし、タイミングなんかも全く合わないけど、それでも笑いながら二人でぐるぐると踊り続ける。いつかどっちかが疲れて、二人で床に倒れこんでしまう。結局着ていた服はくしゃくしゃになって不恰好になり二人で笑う。ダンスで握ったまんまの手は暖かいままだ。
そして二人でまたココアを作る。マグカップに入れた粉はくるくると周りながらゆっくりと溶けていく。

街灯に寄りかかった男の目から水が流れ落ちる。
体はとても冷えているがどこか男は暖かく感じる。
まだ、歩ける。そう思った。
男は傘を杖のようにかつかつとさせながら街の奥へ奥へと進んでいく。雨はどんどんと強くなり男は雨の中に消えていく。
ダンスを終えた男に向けて、地面を打ちつける雨は大きく音を立てていた。

雨の街

書くまでに長い時間がかかってしまいました。
私は雨が好きです。

雨の街

いつの日からか、雨に打たれると人は縮み消えてしまうようになった。そんな世界で、ある男だけは雨が好きだった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-05-25

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