#雨森由希について

九十九 那月

  1. 1.
  2. 2.

1.

 恋、を知った。
 気付いたときには、そこに存在していた。

 それを知った時、既に周囲には色々な「恋」があった。
 あの人が好き、君が好き、好きになった、好きだった。
 まるで「好き」という言葉で世界が出来ているみたいに、「好き」という言葉であらゆるものを作っていくように、あらゆることが「好き」で語られる時期だった。

 それは私も例外ではなかった。家族が好き、友達が好き。言葉にする「好き」もあれば、言葉にしないでも伝わりそうな、そんな「好き」もあった。

 けれど、その「好き」は、いつの間にかあったもので。
 だからただ一つ、「好き」になる、それだけがわからないでいた。



 そんな私が、ある日初めて気づいた、忘れていた当たり前のこと。

「好きです! 付き合ってください!」

 好きになる、が存在するなら、好き、を受ける、もまた存在するというのだと。
 気づいたのは、気づかされたのは放課後。手紙で呼び出された、人気のない場所でだった。



 その場所には、何ていうか、そういう「空気」が漂っていた。
 落ち着かない様子の男の子が一人、私の姿を見て動きを止めて、さっきの私はそこでようやく、この場所が告白によく使われるスポットだと思いだしたのだ。

「……付き合って、かぁ」

 頭を下げたまま硬直している男の子を見ながら、私はただ、言われた言葉を繰り返す。
 好き、付き合って。それはこれまで私が知っていた「好き」とは少し違うものだと、何となく気づいていて。だけどいざ言われてみると、その違いというのは、どうにも私には理解が及ばなそうだった。

 と、いうか、この人誰だっけ。なんとなく知ってるとは思うんだけどな。
 考えを巡らせながら、私はかがんで彼の顔を覗き込み――あ、目がぎゅって閉じてる。しょうがないなぁ。

「ねぇ」

 声をかけると男の子はバッと飛びのいた。右手で、私がいま小突いた鼻先を押さえている。
 その様子がなんだかひどくおかしくて。
 ついつい口元をほころばせながら、それでも私は、その「好き」をもう少し知りたかった。

「ねぇ、私のどこを好きになったの?」
「え、あ、その」

 聞かれた彼は、なんだか気まずそうに、とっても慌てているように、落ち着きなく視線を彷徨わせ始めた。指先が、足が、せわしなく動いている。私、そんなに変なこと聞いたかな?

 ともあれ少しして。俯いた彼はそのまま、絞り出すように震える声を発する。

「えっと、その。雨森(あめもり)さん……かっ、かわ、かわいいし」

 あ、噛んだ。

「かわいい、かぁ。……でもそれなら、ユイとか、ヒナのが可愛いんじゃないかな」

 聞き返すと、男の子はうっすらと涙を目に浮かべた。あ、まずいこと聞いちゃったかな……。

 けれど。歯を半分食いしばらせるようにして、たどたどしく、それでも震える声は続く。

「その、誰がかわいいと思うかは、人それぞれだと思う。……僕は、君がかわいい、と思う」
「そんなに、違うもの?」
「それは、その……でも、違うんだ。なんていうか、その……」

 口ごもって。
 それから、顔を上げる。
 彼の視線が、少しの間だけ、私の目を捉えた。

「……僕にとって、君は、"特別"なんだ」

 それが彼の持ちうる、最後の勇気だったみたいだ。彼は目を伏せて、もう一言も発することはなかった。

 そんな彼を見て。なんだか追い詰めるようなことをしてしまって申し訳ないな、と思いつつも、それでも私はなお笑う。だって、彼があまりにも面白いことを言うのだから。

「なにそれ」

 私は、好きになる、を知らない。
 けれど、代わりに、私自身のことは誰よりも知っていた。

「私は特別なんかじゃないよ。ただの"普通"の女の子」

 そう告げて。
 ぽかん、と口を開けている彼の前で、私は踵を返す。
 歩きながら、だけど心臓は一度だけ、とくん、と強く脈を打った。

2.

 ふつう、って。
 よく言うし、よく聞くし、だけど意味は曖昧で、調べてみてもぱっとしない。「普通 意味」――「ありふれたもの」。「ありふれた 意味」――「普通であること」。……ほら、もうよくわからない。

 けれど、私の周りにあるような「好き」が、本当にどこにでもあるようなものだとしたら。そのままずっと「好き」なままでいたいという気持ちで、そんなおまじないみたいな思いで。そんな"普通"な私を、私はけっこう気に入っている。


 思いがけず昼休みの時間を食ってしまった。お弁当、ちょっと急いで食べなきゃな、と思いながら教室に戻ると、だいたいが既に談笑ムード。授業終わりからわりとすぐに出て行った私がそのまま放置していた机はちゃんといくつかある島の一つに吸収合併済み。「ただいまー」と声をかけて振り向いたいつメンは、なんだか妙に嬉しそうな顔をしていた。

「あ、由希(ゆき)、おかえり!」

 代表してユイ。手を振り返してから、横にいるヒナの弁当を覗き見る。おおよそ七割がもうなくなっている。大体予想通りかな、なんて思いつつ座って弁当の紐をほどいてる間、みんなの視線がやけに突き刺さる。

「……えっと、何、かな……?」

 おそるおそる聞くと、みんなは顔を見合わせる。

「なに、って、ねぇ、ヒナ?」
「えっ、わたしっ? え、えっと、全然ワカンナイよ、ね、ナナミちゃん」
「そこであたしに振るか。覚えとけよヒナ」
「え、あ、うぅ……」

 ややあって。

「……で、どうだったの、由希」

 その一言で、また心臓が小さく跳ねる。

「自分で聞くならわたしに振らないでよ……」
「ごめんごめん。でもほら、気になるけど、ちょっと聞きづらいかなって」
「まぁ『校舎裏で待ってます』なんて言ったらアレしかないもんね」

 うんうん、と頷く一同。そしてずい、と身を乗り出したみんなの目は、やけにキラキラして見えた。

「で、どーなの、付き合うの?」
「つかそもそも相手誰だったの? 知ってる人?」
「ちょ、ちょっとふたりとも、そんないっぺんに……」

 言っているヒナも、ちょっと目が泳いでいる。みんながみんな、私向けの「好き」に興味しんしんで――だというのに机の下で、ひそかに私の左手はかたく握られる。
 当の本人である私が、だけど一人、浮ついた気持ちになれずにいる。

 だからこそ、私は笑う。

「うーん、断ったよ」
「え、あ、そうなんだ……ゴメンね?」
「気にしないでって。気になっちゃうのもわかるし」
「で、相手は誰だったの?」
「多分、隣のクラスの男の子?」
「多分って。」
「まぁ、もう済んだことだしさ。それより私、早くお弁当食べちゃわないと」

 ずっと紐のわっかにかけっぱなしだった指をそのままぐい、と引いて、するすると解けた元を辿って袋の口を開ける。「それもそうだね」と自分も食べる方に戻ったヒナと、もう食べ終えていて、「そういえば昨日さ」ってヒナに話しかけるナナミ。その向こうで、ユイだけがじっと私を見つめていた。

「ね、由希さ、どうして付き合わなかったの?」
「うーん、あんまりよく知らない人だったし……」
「お試しで―、とか。付き合ってから好きになるって言うじゃん?」
「うーん……」

 お弁当の蓋を開けて、中身を眺めながら、心はここにあらず。ぼそり、と。

「好き、って、まだあんまりわからないから」
「ふーん……変わってるね、由希」
「そんなことないよー」

 変わってる。よく言われる、いつもはそんなに気にしていなかった言葉が、ちょっとだけ引っかかる。――あぁ、そっか。"特別"、ってさっき言われたから。
 いつか、誰かの"特別"に。なるのかもしれないけど、まだまだ実感はない。とつぜん振ってきた変化の予感に、だけどそれがいつか"普通"になるのかな、という想像はそこ止まりで先に進めない。まだまだ私は「ここ」の住人だった。
 難しいなぁ、と唸る私の向こう、思い出したようにユイ。

「そう言えば由希、ごはん食べなくていいの?」

 言われてハッと気づく、昼休みもおよそ残り四分の一。急いで口に運んだ卵焼きの甘さに、考えていたはずのあれこれは全て吹き飛んでしまっていた。

#雨森由希について

#雨森由希について

誰よりも優しいから、誰よりも傷つきやすい、そんな彼女のこと。 不定期に書きます

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日 2021-05-24

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND