サイレントナイト

ぼくのいえはきっと幸せなんだろう
だって、ぼくのママはとってもやさしいんだ。
いつも食べものをくれるし、ぼくがまちがったことをすると何度も何度もたたいてぼくをしかってくれるんだ。
パパもとってもかっこいいんだ。
ぼくには飲めない、苦いジュースをたくさん飲めるんだ。それに、かみのお金をもって「ナンジュウバイにしてくる」って言っていきおいよくでかけていくんだ。
それと、ぼくに「おとなのあかし」と言っておなかにいろんなあとをつけてくれるんだ。
そんな、やさしいママとかっこいいパパの子どものぼくはとっても幸せなんだ。
幸せのはずなんだ。
でも、ぼくはとってもわるい子みたい。
幸せなはずなのに、とっても幸せなはずなのに、いえにいたくない。
何度まちがったことをなおそうとしてもなおらないんだ。
おとなのあかしはうれしいけどとってもあついんだ。
ママとパパにとってももうしわけないってぼくは思った。
やさしいママとかっこいいパパの子がぼくなんて、ずるいことだと思った。
そんなぼくなんていなくなってしまえばいいのにって。
ぼくの五回目のクリスマス。とうとうばちがあたったんだって思った。
悪い子にはサンタさんは来ないって言うけど、サンタさんのかわりが来るんだ。
黒くとんがったぼうしをかぶったサンタさんはよふかしをしていたぼくの前にでたきたんだよ。
「君は その歳で 幸せを 考え る。そんな 君は 何を 望む?」
変なしゃべり方だけどとてもおちつく声だった。
「ぼくは、わるい子なんだ。だから一日でもいいから、なんでもするから、このせかいからいなくなりたい」
ぼくはしっかりとサンタさんにおねがいをした。
「今日 すぐには プレゼントで きない。でも ちゃんと 君の 望み、 叶えてあげ よう。特別も つけて おくよ。 対価は 後払い。それじゃあ 君には 今日だけ この 曲を あげよう」
言っているいみはわからないが、ぼくはなんて幸せものなんだろうって思った。
やさしいいえに生まれて、わるい子でもサンタさんはプレゼントをくれるんだ。
「ちゃんと 幸せに なりなよ」
そんな幸福感の中、僕はまどろみの中へと落ちていった。


いつから寝ていただろうか。
どうやら講義はまだ終わってはいなかったらしい。
僕は、ものすごい倦怠感と冷や汗にまみれていた。
それでも、少しだけでも寝れただけましか。
「君ってやっぱり寝汗すごいよね」
隣の眼鏡で黒髪の女が話しかけてきた。確か、一緒の講義を取っていた女だ。
「……すいません」
女は目を見開くと意地悪そうに笑い
「君が謝る必要はないでしょ」と言ってきた。
目覚めも悪く面倒くさいから無視した。
講義が終わると女に食事へ誘われたが急いで席を立ち、すぐに家へと帰った。
家の前に立ち、扉を開ける。
見慣れた部屋が僕を迎え入れてくれる。
部屋には物がほとんどなく、あるのは音楽プレイヤーとCDが数枚あるくらいだった。
十二月になり部屋は静かでも外から色んな音が入ってくる。
クリスマスで街が浮かれてきている証拠だろう。
また、憂鬱な時期になった。
いつものように鳴りやまない耳鳴りが、いっそう大きく聞こえる。
あのクリスマスを最後に僕は、何度の憂鬱なクリスマスを過ごしてきただろうか。
毎日だけじゃ飽き足らず、どこまで僕の事をコケにすれば気が済むんだ。
消えない眠気を少しでもなくすために僕は軽く睡眠をとることにした。
すぐに部屋の隅にいき、壁に寄りかかった。頭に使い慣れたヘッドフォンをして音楽プレイヤーにCDを入れ再生ボタンを押した。
流れてくる曲に包み込まれるようにして、僕はまどろみの中へ落ちていった。


五回目のクリスマスの後、変わらない日常がまたやってきた。
母親からは理不尽な叱りをうけて、父親からは理不尽な暴力をうけた。
それでも僕は、ぼくがわるい子なんだって疑わなかった。
そんなある日、せかいでチョコレートが配られ始める朝、おきたらぼくのベッドにクリスマスでもないのにプレゼントがおいてあった。
ぼくはわるい子なのになんでプレゼントなんておいてあるんだろうって思った。
ぼくは、ママとパパにしかられないようにプレゼントをあけた。
わるい子でもプレゼントをもらったらうれしいんだ。
中には、CDがひとつ入っていた。
きょくは、なんて言うのかわからなかった。
でも、はじめてだれかからもらえたプレゼント。
ぼくのゆいいつのたからもの。
ぼくは、ママとパパに見つかったらしかられるって思ってすぐにおしいれの中にかくしたんだ。
それから、カレンダーがふたつくらいめくれたとき。
ぼくがようちえんに行ってるあいだに、ぼくのいえは、おおきくもえあがったんだ。
家には、ママとパパがいた。
ママとパパもいっしょにもえた。
ぼくの、たったひとつの幸せないえ。
かけがえのないかぞくがいるいえがもえた。
そのお話をきいたとき、ぼくは、ほっとしたんだ。
あぁ、ぼくはなんてわるい子になっちゃったんだろう。
かなしくならなくちゃいけないはずなのに。
なんで、ほっとしちゃったんだろう。
その理由もわからないまま、ぼくはママのお姉ちゃんにひきとられたんだ。
おばさんのいえは、とってもたのしかった。
でも、だいじなやくそくをやぶっちゃったんだ。
おばさんに、パパからぜったいに人に見せるなって言われていたおとなのあかしを見られっちゃったんだ。
ぼくは、やくそく事もまもれないわるい子になっちゃったんだって思った。
きっと、おばさんもぼくの事をしかるんだろうな。
でも、おばさんはよくわからない事をしてきたんだ。
ぼくの事をいきなりだきしめたんだ。
そして、ないていた。
ぼくがわるい子だからないているのかな。もう、いい子になれないから泣いてるのかな。
そうおもっていたけど、ぼくはその時これまでに感じたことのない幸せにつつまれていた。
とっても、あんしんする場所に来た気がした。
これは、きっとサンタさんが遅れてくれたプレゼントなんだろう。
あー、あったかいなぁ。
そんな優しい腕に包まれて、僕はまどろみの中に落ちていった。


目が覚めたら目の前に女がいた。
反射的に女の事を押し倒し手首をつかんでいた。
僕は寝起きで汗をびっしょりとかいていた。
「ちょっと待って!勝手に入ったのは謝るから!」
女は焦りながらそう言った。
しばらくし、僕も段々と落ち着いてきた。
「……勝手に入ってきて何してるんですか?」
警戒心を残したまま手を離し、女の上からどいてそう尋ねた。
女は少し安心した様子で話た。
「君の事が好きだから、ストーカーしてみた」
「……は?」
突然の自白にワンテンポ反応するのが遅れた。
「それでもまさか、ドアが空いたまんまになってるとは思わなかったけど」
「……勝手に入ってこないでくださいよ」
迂闊だった。まさか、ストーカーされるとは思っていなくて鍵をかけていなかった。
「それでも、ちゃんとベルは鳴らしたんだよね」
「……それでもダメですよ」
僕はさっさと女を立たせて帰るように促す。
「帰ってください」
「嫌だね」
即答された。
「何でですか?」
「だから、君が好きだから」
そういうと女はけたけたと笑って座り始めた。
帰る気は無さそうだ。
「……どうして僕なんかなんですか」
「男が女にそれ聞きいちゃうの?……一目惚れ」
「理由が不明確です。また、理由を持ち込んで挑戦してください」
「なら、手近にいたから」
女は少し面倒くさそうに答えると、いつのまにか近くに置いてあったビニール袋から缶ビールを取り出した。
「いや、帰ってくださいよ」
「なんでよ。折角ここまで来たのに」
「折角も何も、勝手についてきて勝手に入ってきたんじゃないですか」
「だって、好きなんだもん。……それとも私ってそんなに魅力ない?」
女は分かりやすく目に涙を浮かべて見せた。
「魅力があっても、ストーカーは対象外です」
「やった、魅力はあるのね」
女は缶ビールを開けながら無邪気に喜んだ。
「そもそも初対面ですし」
「私はかまわないから」
「……僕がかまうんですよ」
ダメだ、どうやっても追い出せる気がしない。
やけになった僕は女から缶ビールを奪い取ると、壁の近くに座り、寄りかかりながらビールを飲み始めた。
「帰りたくなったらすぐに帰ってくださいね」
「はーい、わかりました」
女は楽しそうに言う。
アルコール特有の浮遊感に包まれて、僕の意識はどこへ行く。


おばさんのいえは、それからも幸せだった。
たくさんのやさしさと、あったかいものであふれていたんだ。
だけど、とうとうバチが当たったんだ。
パパとのやくそくをやぶったバチが。
おばさんのいえに来てから、カレンダーがよっつほどめくれたとき。
そのあたりから、どこからともなく音が聞こえてくるようになっんだ。
ぼくは聞こえたときに、辺りをすぐに見わたした。
でも、なんにもない。
音はそれからずっとなりつづけた。
そしてその日の夜にかけてだんだんと大きくなっていった。
そしてねる時間になっても鳴りやまなくて、ねる事ができないくらい大きかったんだ。
ぼくは、ねむくてもねれなかった。
それが、ぼくのじんせい初めての夜ふかしだった。
朝になったら音はだんだんと小さくなっていった。
だけど、ぜんぶの音は消えなかった。
そして、まえの日のくりかえしがはじまった。
つぎの日も夜に音が大きくなったけど、ぼくはがんばってねたんだ。
ねれたんだ。

その日は、ゆめを見た。
ゆめには、パパとママがいたんだ。
ぼくは、とってもよろこんだ。
でも、やっぱりやくそくをやぶってしまったから、たくさんしかられた。
たくさんたたかれて、たくさんあかしをつけられて。
そして気づいたんた。
ママとパパがだんだんとちがう人になっていくのを。
ママとパパの顔がやけただれて、口からは声にもならない音がもれてきているのを。
そして、ぼくもだんだんと体があつくなってくるんだ。
あつくてくるしい。
もう、たえられない。

そう思うと目がさめる。
そして、あせをたくさんかいてる。
思いっきり走ったあとみたいに、息切れをおこしている。
ぼくは、もうふつうにねる事はできないんだろうって思った。
他にも、音のなっていない昼にねてみたりとかしてみたが、ぜったいにあのゆめを見る。
これが、サンタさんの言っていた「たいか」だったのかもしれない。
いまの幸せの「たいか」。
もう、しずかにねむることができなくなってしまう「たいか」。
それでも、ぼくはこれくらいならがまんできるって思った。
それからも、ねれなかったりゆめを見たりしているけど、がまんしている。
いっかい、おばさんにしんぱいされちゃったけど何とかかくすことができた。
それからもがまんをつづけて、ぼくは幸せにすごしていました。
でも、ぼくはサンタさんの言っていた望みを叶える、と言うことばについて全くりかいしていなかった。
それは、まだぼくの望みが叶っていなかったんだ。
それからさらに、カレンダーが6まいくらいめくれたとき。
ぼくの六回目のクリスマスがやって来た。
このころから、みみなりはさらに大きくなってきた。
おばさんには、少しばれそうになったけどなんとかかくしとおしている。
はじめての、本当の幸せなクリスマス。
でも、ぼくはもうふつうにクリスマスをすごすことはできなくなっていた。
クリスマスイブの夜にかけて、みみなりはとても大きくなりがんばってもねれないくらいの大きさになった。
ぼくは、しかたがなく夜ふかしをすることにした。
そして、クリスマスがやって来た。
その瞬間、全ての音が消えた。
音のない夜なんてひさしぶりだって思った。
でも、それといっしょにねむけもなくなっていた。
ひさしぶりのしずかな夜なんだからねたかったなぁ、なんて思いながら夜をすごしていた。
ぼくは、このときじぶんにおこった変化に気づくことができなかったんだ。
ぼくはそのまま朝まで起きていた。
六回目のクリスマスには、サンタさんは来なかった。
そして、いつもどおりおばさんがおこしに来たんだ。
おばさんがドアをあけて、ベッドのそばまでやって来た。
でも、おばさんはふしぎそうなかおをしてそのまんまへやを出ていったんだ。
ぼくは、クリスマスくらいはじぶんで起きなさいって事だと思ってへやをでて、キッチンにいるおばさんに、おはようって言ったんだ。
でも、おばさんは気にせずにりょうりをしている。
ぼくは、きっと聞こえてないんだって思った。
もういちど、おばさんにさっきよりも大きくおはようって言った。
おばさんがようやくこっちを見た。
おばさんがこっちに近づいてくる。
ぼくは、ようやく聞こえたんだって思った。
だけど、おばさんはどんどんと近づいてきて、ぼくはぶつかりそうになったからよけたんだ。
おばさんはれいぞうこを開けて、またりょうりをし始めた。
ぼくはたしかに、おばさんの目の前に立った。
でも、おばさんの目はぼくをうつしてはいないように思えた。
まるで、ぼくのそんざいがそこに無いかのように。
もしかすると、またぼくはわるいことをしてしまったのだろうか?
そんないやなよかんが、ぼくのあたまにわきでてきた。
ぼくは、おばさんに近づいてごめんなさいと言った。
わるい事をした時はあやまらなければならない。
しかし、おばさんはぼくの事をむしする。
ぼくは、しばらくごめんなさいを言いつづけた。
そしたら、おばさんがいきなりこちらをむいた。
近くにいたぼくは、おばさんの手にぶつかってしまった。
ぶつかったはずなのに、しょうげきがこない。
そして、ぼくは見たんだ。
おばさんの手が、ぼくをとおりぬけるのを。
見てしまった。
ぼくは、いそいでかがみをさがしじぶんのすがたを見た。
そこには、いしきはあるはずなのになんにもうつしだしてはいなかった。
ぼくはかがみを見たとき、じぶんが前のクリスマスに言ったことを思いだしていた。
ぼくはたしかに、「ぼくは、わるい子なんだ。だから一日でもいいから、なんでもするから、このせかいからいなくなりたい」ってサンタさんに言った。
サンタさんはたしかに、ぼくののぞみを叶えてくれた。
でもそれは、おそすぎた祝福だった。
とうめいになってしまった、ぼく。
そんな、あり得もしない現実を前にぼくはありもしない浮遊感をおぼえた。


寝てしまった。
目を開けた瞬間、頭痛と吐き気がした。
飲みすぎて、いつから意識が無かったのかわからない。
部屋を見渡すと女はどこにもいなかった。
ようやく、帰ったのだろう。
部屋には、大量の缶ビールの空が散らかっている。
片付けて帰って欲しかったが、帰っただけでもよしとしよう。
とても静かな部屋にまた戻っていた。
ふと、とてつもない違和感に襲われる。
いつもあるはずのものがない。
五歳の時からずっと、付きまとわれていた。
「ただいまー。あ、起きたんだねぇ」
帰ってきやがった。
「何で帰ってきたんですか」
ビニール袋を引っ提げながら、るんるんと部屋へ上がり込んでくる。
「飲み物の補給にね。それと、部屋をそのまんまにして帰るわけないじゃない」
女は、常識だろと言わんばかりの顔で僕に言ってきた。
ストーカーやら不法侵入している時点でこの女に、常識という言葉を使う権利はないはずだと思いたい。
そして、女はさりげなくこう言い放った。
「ふぅん、今日は寝汗かいてないんだね」
僕は、夢を見ていなかったんだ。
「…………っはは」
僕は何十年かぶりのはっきりとした寝覚めを噛み締めた。
寝覚めは、二日酔いのなかでも明確に僕の意識を覚醒させてくれた。
「……え、なになに。なんか置いてけぼりなんですけど」
女は困惑しながらも少しだけ嬉しそうだった。
「なんであなたが嬉しそうなんですか」
「だって、好きな人の喜ぶ顔が見れてるんだよ?それってとっても幸せじゃない?」
即答だった。
「………あなたがストーカーじゃなかったら恋に落ちてましたよ」
「落ちちゃえば良いのに」
女は拗ねたようにビニールを僕にぶつけてくる。
ビニールのなかには缶ビールが大量に入ってるようだ。
きっとまだ、この女は居座り続けるんだろうな。
そして僕は、意地悪そうに「初対面ですし」と断り文句を言った。


六歳のクリスマスから僕はその日だけが透明になってしまう呪いにかかり不幸になってしまった。
それが一番、物語の都合として良いんだろうけれど僕はその不幸を見せびらかそうとはしなかった。
クリスマスの呪いも、寝ると見てしまう悪夢のことも周りにはバレないように過ごそうと決めていた。
当時の僕は、周りの子と違うと日常を暮らしにくなることを母親と父親が生きていたときに経験していた。
そのせいで一回引っ越しをしたくらいだ。
だから、叔母さんにはそんな迷惑をかけたくなかった。
僕が我慢するだけで解決することだったから。
そして、誰にも言わずに十年近くが立った。
僕が我慢していたお陰で周りから奇怪な目で見られることもなく、ちょっと無愛想で変なやつという認識で生きてこれた。
それ以外は、普通に話せる友達もできたし普通に叔母さんとも暮らしてこれた。
そして、僕がそんな日常に染まりきったとき。
僕に彼女ができた。
告白されたんだ。
高校一年の時。
相手はいたって普通の女の子だ。
髪の毛の長さはセミロングで、周り合わせて薄く茶色にして、声は少し小さくて、でもしっかりと自分を持っている。
そんな、優しい彼女ができたんだ。
僕は彼女のことは別に好きではなかったが、嫌いでもなかった。
それに、こういうものは段々と知っていって好きになるものだろうって思ってた。
でも、僕は浅はかだったんだ。
僕が段々と知っていくのなら、向こうにも段々と知られていく事に気づいていなかった。
隠し通している間はよかったのだが、彼女の部屋に遊びに行ったとき。
僕はうっかりしてうたた寝をしてしまったんだ。
案の定、僕は夢を見た。いつも通りの悪夢。
そして僕は飛び起きたんだ。僕は身体中に汗をかいていた。
彼女に変なところを見せてしまったなって思った。
そして、僕は彼女の姿を探した。そうして僕の目に入ってきたのは怯えた姿の彼女だった。
彼女は部屋の隅に座っていて、こちらを睨み付けるような怯えるような、そんな目で僕を見てきた。
それ以来、彼女には距離をとられるようになった。
そしてそのまんま、自然消滅という形となった。
それからも、二人ほどと付き合ったがどれも結果は自然消滅だった。
三人目にはクリスマスに自分の姿が消える事を話したんだが、
「そんなにあたしと居たくないならもう別れようよ」と言われてしまった。
そうして、僕は人とは友達以上に親密になることは出来ないんだと実感した。
だから、人とは広く浅くの関係を保ちながら過ごしてきた。
だが、この場合どうしよう。
ストーカーと被害者というのは、どのくらいまでに親密な関係なのだろうか。
普通なら保ち続けられない関係。
僕も通報する気はないのなら被害者でいられるのだろうか。
あれからも、女は何度も家にやってきた。
「また来ちゃった」
「警察にいいますよ?」
「そんなぁ。御飯つくってあげるから言わないでって」
「味によりけりですね」
女はビニール袋を持ちながらキッチンへと向かう。
暫くして、キッチンからリズム良く料理をする音が聞こえ始めた。
こんな歪な関係はきっと頭がおかしい証拠なのだろう。
歪でいつ壊れるかもわからないようなこの関係。
でも僕は、この関係を楽しんでいた。
壊さないように糸を張りつめながら生きている日常よりも、いつ壊れても良いこの関係は、僕にとって心地がよかった。
人生の大半を浅くの関係で生きてきた僕には、初めての深く関わる人だったからとても楽しかった。
それから、悪夢も見る数が少なくなった。
完全に消えたわけではないが、それでも思い出したように来る程度だ。
それに、耳鳴りも完全には消えていないが気にならなくなる程度には収まってきた。
僕の人生のなかで、こんなにゆったりとした日々を送れるなんて思ってもいなかった。
ふと思った。
今の状態であるのなら、もっと人とも関わっても良いかもしれない。
夢に悩まされないのであれば、寝ているところを見られていても大丈夫だろう。
むしろ、女と付き合ってみようか。
女だって、ストーカーしたことを除けば普通に綺麗な女性だ。
女は僕に好意を向けてストーカーをしているわけだし、僕としてもこんなに親しくなった人は他にいないからむしろ良いくらいだ。
そうすれば、今までにない幸せに包まれながら日常を過ごせるんだろうな。
いや、わかってるんだ。
僕の人生がそんな幸せに包まれることはあり得ないってわかってる。
幸せな時間があったらそのあとには幸せではなくなる何かがあるってわかってる。
だから、目の前の現実を見ようと思う。
僕は数日前から、黒い服のサンタを見るようになっていた。


独特的な風貌で僕の事を見ている。
僕の人生を変えた、あのサンタさんだ。
十数年たっても忘れたことはない。突然に現れたんだ。
それでも、目の前に現れたわけではない。
最初見たのは、自分の部屋の窓からだった。
部屋でぼうっとしていて、ふと窓を見たときにサンタは遠くに浮いていたんだ。
本当に遠くにいた。
急いで部屋からでて、サンタのいる場所まで行ったんだ。
サンタは歩道の上、道に植えられている木のてっぺんの高さにいた。
僕の人生の元凶が、突然に現れたんだ。
それなりのお礼もしておきたい。
そう思って僕は、中に浮いているサンタに話しかけた。
だけど、全く反応がない。
無視を決め込むつもりなのかと思い、石をサンタに投げた。
石はサンタを通りすぎて、その先へと飛んでいった。
結局、その後どうやってもサンタに接触することはできなかった。
どうしようもないから僕は家に帰って、もう一度サンタのいる方を向いた。
遠くに浮かぶ黒い影がこっちを向いている。
僕はとても不吉なものを見た気分になった。


夢を見ることは少なくなった。
耳鳴りも気にならなくなった。

立って洗面台まで行き鏡を見た。そしたら、長年付き添ってきた目の下の隈が消えてきた。
鏡の向こうの僕は、今まで知っていた僕じゃなくて少し気恥ずかしかった。
いつもあった場所にあるものが消えるのはやっぱり寂しい。
それが、僕にとってマイナスになるものだとしてもやっぱり感傷的になってしまう。
ぎこちない感じで自分の顔を洗って、長年のもう定位置になってしまっている部屋の隅に座り込んだ。そして、窓の外を見る。
まだ夕方にもなっていないがもう外は真っ暗だ。
外は皆が皆、浮かれきっていて今までよりもいっそう騒がしい。
毎年、この日が来る度に憂鬱な思いにさせられてきた。
だけど、今年はそれほどじゃない。むしろ少しだけ爽やかだ。
外のやり過ぎな鬱陶しさにも、愛しさが出てきた気もする。
この変化は僕がきっと、ちゃんと幸せになったからかなって思うんだ。
人は何かがあるかないかだけで、視野の広さが全然違ってくるらしい。
きっと僕は幸せを手に入れて視野が広くなったんだと思うんだ。
そう思うと達成感に包まれた感じがする。
とてつもない目標に手が届いた感じだ。
でも、届いたことで寂しさや戸惑いが少し出てきたんだ。
目標を達成することで感傷的になるなんておかしいのかもしれないけれど。
いや、感傷的になる理由はもう一つの方かもしれない。
別にそれが僕に何をもたらすかなんて分からないけれど、やっぱり少し怖いかな。
僕は窓から目を離して前を見た。
部屋のなか、僕の目の前には黒い服のサンタが立っていた。

サンタを久しぶりに見た日から、サンタはずっと消えずにその場にいたんだ。
最初の二三日は気になりはしたが、特に何も起こらなかったので安心していた。
だけど、その安心も長くは続かなかった。
その次の日辺りか、僕はサンタの方を見た。
そうしたら、サンタは明らかに少しだけ大きくなっていた。
ようするに、こちらへ少し近づいていたんだ。
そして次の日も、その次の日も、日に日にサンタは段々と大きくなっていった。
とうとう、昨日は窓の直ぐ側にサンタは来ていた。
不吉な影は直ぐ僕のそばまで来てしまったのだ。
それも、影はクリスマスに合わせるかのように近づいてくる。
偶然にしては出来すぎている。
どうにかしたくても、こちらからサンタに干渉することはできない。
そして、クリスマスイブ。まさか部屋に上がり込むとは思わなかったけれど、そのまさかだった。
僕はサンタの顔に視線を向ける。
サンタの顔は、帽子を深くかぶり込んでいるせいで影になっている。
僕にはそれが顔を黒塗りにされているように見えて、全く表情が見えない。
今日で部屋まで上がり込んできた。なら、明日にはいったい何処へ行っているのだろうか。もしくは、どうなってしまっているのだろうか。
サンタの顔色は見えないが、見えないからこそ僕は滑稽な気分にさせられる。
「何でそんなに虚ろな目してんの?」
女がキッチンから出てきた。
どうやら、僕のサンタを見る目は虚ろらしい。
「……奇妙な関係ですよね。こんなに続くなんて」
改めてこの女との縁を噛み締めてみる。
「今さらだよ。それに、この関係を壊せるのは君だしね」
女の言うとおりだった。
この関係は僕がいつだって壊すことができたんだ。それをしなかったのにはこの関係が少し心地のよいものだっからという事実がある。
要するに、この関係は僕の望みだったのかもしれない。
「僕はこの、あなたとのいつでも壊れても良い関係が案外好きでしたよ」
「ありがとう。私はいつでも好きだから」
悪びれもせず、事実を言うかのように告げられる言葉。
いつでも女は態度を崩さない。
「……白々しいですね」
同じような言葉を何度も投げ掛けた。
「私はいつでも本気だって。なんなら今告白されても良い」
返ってくるのはまっすぐな言葉だった。
なんだか、理由はわからないけれど少しだけ辛くなってくる。
「……あーぁ、幸せになりたかったなぁ」
声が少し震えたかもしれない。
目の前の不吉は、気にしないようにしても目に焼き付いて離れない。
「なによ。今までが幸せじゃなかったみたいじゃない?」
女は自分に対する皮肉だと思ったのか、口を尖らせている。

「いや、今は人生で一番幸せな時間だと思います」
生きてきたなかで、ここまで普通で幸せな時間はなかった。
女は、僕の言っていることの意味がわからないのか不振がっている。
「ただ、この幸せがずっと続いたらいいなって思ったんです」
「続かないみたいに言うんだね」
女の目には今の僕はどのように写っているんだろう。幸せそうなのか。はたまた遠くかけ離れているやつれなのか。
「あなたには害しか与えられてないのに、多くを救われた気がします」
「当たり前じゃない。私があなたに沢山のことを与えてるんだから」
「……可愛くないですね」
「私は覚えるよ。前に君は私のことを魅力のある素敵な女性だって言ってくれた」
「余計な言葉が増えちゃいましたね」
何気ない軽口の言い合い。
きっと死ぬときに思い出すのはこういった何気ない幸せなんだろう。
体感的に幸せなときは、時間が早く過ぎる。それはきっと、終わらないで欲しいと思っているからなんだろう。
気づいたら、太陽の日は完全に無くなっていた。
女は話を切り上げると立ち上がって出掛ける支度をし始めた。
「今日はクリスマスイブだし、飲み明かすためのお酒買ってくるね」
何故だか、女がここで出掛けたらもう二度と女とは会わないような気がした。
僕は女の手を掴んだ。
「……今日はずいぶんと積極的なんだね」
女は少し驚いたが喜びを交えた挑戦的な目をこちらに向けた。
「あなたの名前」
「……え?」
「あなたの名前を知らなかったなって」
「……随分と今さらだけどね。じゃあ名前は、明日の君へのクリスマスプレゼントだ」
女は僕の手を優しく包み込んだあと、手を離した。
そのまま、女は扉の向こうへと消えていった。
今、この部屋には僕とサンタだけだ。
僕はまた、部屋の定位置へと座り込む。
静かな部屋に二人だけ。
他からみたら危機的状況に限りなく近いんだろうけれど、僕は仕方がないのかなって思う。
諦めに近いけれど、確実に根本的な部分ではまた違った何か。
僕は何日かぶりに音楽プレイヤーに部屋に一枚しかないCDを入れて、イヤホンを耳につける。
曲名は、サイレントナイト。
今日は丁度、この曲の日だ。
そして、僕の人生を大きく変えた記念日。
優しい曲調が、僕を包み込んでいく。
女の名前は結局分からないままだ。少しだけ知りたかったかもしれない。
女性の歌声が僕の耳を麻痺させていく。
僕は、様々な思いに馳せながら微睡みへと落ちていった。


夢を見ている。
最近は見る頻度も少なくなっていたあの悪夢だった。
僕は小さいからだになっている。
そして、そこにはお父さんとお母さんがいた。僕は子供の頃のように走り、二人の元へ近づく。二人は僕を見て微笑んでいる。何かを話しているが僕にはわからない。とても幸せな光景のように僕は見える。
するとお父さんは僕の腕を掴んだ。そして吸っていたタバコを手に持ち、僕の腕にそれを押し付けた。腕の一点に激痛が走り、全身に冷や汗をかく。腕を引こうにも掴まれていて離れない。タバコは未だに押し付けられている。
もう一度勢いよく手を引くとようやく解放された。お父さんは不愉快そうな顔をし始めた。
すると今度はお母さんが僕の肩を掴み、もう片方の手で僕の頬を思い切り叩いた。お母さんは辛そうな顔をしている。そして、僕のことを何度も繰り返し叩いた。叩かれた場所が感覚を無くしてくる。すると、今度は背中に痛みを感じた。
お父さんがタバコを背中にいれたんだ。僕は激痛で勢いよく仰け反った。お父さんはそれを楽しそうに見ている。
あとはそれの繰り返しだ。
夢だからそれらに痛みはないんだろう。
無いはずなんだ。なのに僕には全てが生々しくリプレイされていて痛みが実感としてある。
やめてといくら僕が言っても、二人は暴力をやめない。
そして、いつの間にか辺りは火に囲まれていた。
僕を遊びそして殴り続けている二人の皮膚がどんどんと爛れていく。そしてとうとう、人の形としか認識できなくなっていった。化物になった。それでも表情だけはわかった。憎しみだ。
焼き爛れても尚、その手で僕を殴り続ける二人の化物。
痛みの無いはずのその暴力に僕は耐えられず、目を閉じる。
やめてくれ。
どうしてなんだ。
お母さんもお父さんもどうして僕のことを好きになってくれないんだ。
どれだけ頑張っても叱られるし、どれだけ大人しくしてても怒られる。
僕はただ幸せに過ごしたかっただけなのに。
どうしてこんなことになっているんだ。
僕は、お母さんもお父さんも好きなのになんで。
もう殴るのをやめろよ。
僕に付きまとうのをやめてくれよ。
もう、お前らは死んだんだろ。
死んでもなお僕に付きまとうなよ。
もうこれ以上、僕を不幸にさせるなよ化け物。
いい加減にしてくれよ。


暫くして、僕への暴力が止まっていることに気がついた。
目を開けると、僕は光の薄い膜に包まれていた。
化け物は僕に近づこうとしても膜に阻まれている。
夢の中でこんなことが起きたのは初めてだった。
薄い膜は、とても暖かくて優しい光で出来ていた。
静かだ。
夢の中でこんなに静かになれたのは、それこそ初めてだっただろう。
今までに包まれたことの無い優しい光。
やはり、クリスマスというのは僕の人生を大きく変える日なのだろう。
生きていて一番の幸せを迎えられた。
僕は、夢の中にも関わらず眠気を感じた。
優しく静かな光に包まれながら僕は、微睡みから浮き上がっていく。


目を覚ました。
窓の外はもう既に真っ暗で、あともう少して日を跨ぐであろう時間であることがわかる。
眠気を残しながら目の前がはっきりと見えてくる。悪夢を見た後の冷や汗で気持ち悪く、耳鳴りが酷くうるさい。
そんな中でようやく視界が鮮明になってきた。
まず見えてきたのは、こちらを覗き込むサンタだった。
僕は体を一瞬強ばらせた。目の前に不吉がいる。このまま終わるのだろうか。
しかし、段々と今自分の置かれている状況を理解してきた。
僕は今、きっと幸せに包まれている。
どうやら僕は、女の膝の上に抱き抱えながら寝ていたらしい。
女は僕が体を強ばらせたら「大丈夫。大丈夫だから」と言って押さえ込んでいた。
女の手や膝には、僕がかいた汗がついていて濡れている。女の手は少しだけ傷がついていた。
「…………なにしてるんですか」
「あら、起きちゃった?もう少し寝てても良かったのに」
女は僕が起きたことを知っても、退かそうとはしなかった。
「汚いですよ。汗」
「好きな人の汗って、私は汚くないと思う」
「……変態ですね」
「そんなの最初からだって」
そうだった。
僕と女の関係は、女のストーカーから始まっている歪なものだった。その歪さが経験したことのなく、心地よかった。
いや、きっと僕は歪さが心地よかったと思い込んでいるだけなのだろう。
今まで僕はこの性質のせいで人と深く関わることを避けていたし、できなかった。
深い部分まで入ってくる人はいなかったし、普通以上の愛をくれる人は誰一人としていなかった。
でも女は、ずかずかと人の家に入ってきて誰よりも僕のことを愛してくれた。
どんな形でも、それを向けられたことは嬉しかった。
こんなのは初めてだった。
要するにどんな形でさえ、こんな深い関係を持つことがいままで無かったんだ。それがとても寂しくて哀しかった。
「……本当にありがとうございます」
「そんなに膝枕がよかったの?君が望むならいつでもするよ」
「なら、もう少しだけこのままで」
今まで僕は、静かに過ごしたことはなかった。耳鳴りは鳴り止まず、悪夢に苛まれる日々を過ごした。
静寂とは無縁の人生なんだろうと思っていた。
だけど、本当は僕は気づいていたんだ。
静寂と隣り合わせの人生を送っていたんだって。
人との繋がりが全く無い人生。
女が来て耳鳴りが止んでからとても騒がしい日常が始まった。
人との繋がりがある人生は初めてで、静かな頃とは比べ物にもならなかった。
確かな幸せがそこに見えた気がしたんだ。
騒がしい日常に出会えた僕は幸せだろう。
「今、すごい幸せそうだね」
「……はい。ずっとこの時間が続けばいいのにって思ってます」
「おお、素直なのは良いことだね」
「サンタにはそれを願おうと思いますよ」
「願わなくたって、続ければいいでしょ」
「……それもそうですね。そうしましょう」
「そうしよう、そうしよう」
そう言いながら、段々と眠気が僕を包み込んでいく。
彼女はまだ、汗で濡れた僕の頭を抱えている。
これなら悪夢を見ることはないという安心感があった。
黒いサンタはまだいるけれども、大丈夫だ。
今までクリスマスは一人で過ごしてきた。
この部屋に三人も上がるなんて快挙だろう。
明日が本当に楽しみだ。
誰かと過ごせるクリスマスなんて何時ぶりだろう。
きっと彼女が静かには過ごさせてくれない。今までになかった騒がしいクリスマス。
明日も、変わらずに騒がしいままでありますように。
僕は、二人で騒いだり楽しんだりするクリスマスを想いながら微睡みに包まれていった。

サイレントナイト

高校2年の部活で、部長にこの話を書くといってから2年かけて書きました。
拙い文ですが、自分好みの雰囲気にまとめられたと思います。

サイレントナイト

クリスマスに透明になれる人のお話し

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-05-21

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