生きるための夜

 蟲が、球体のなかでもがいている。くるしい、とはちがうと思うのだ。おそらく、球体はガラスで、つるつる滑るだろうから、手が、脚が、おぼつかないのだ。吸いつかない。透明な球体は、一種の蟲籠で、二十七時になると、繁華街のすみっこで、たばこくさいおじさんが売っている。なんだか、残酷な商売だと思いながら、わたしは、本日の上客を、恭しく送り出した。ゆうめいな会社の、社長さん。お金はたくさんくれるけれど、あぶらっぽい感じが、ちょっとにがてだ。からあげを揚げたあとの、コンロまわりみたいなのと説明したら、ニアは、くすくす笑っていた。「そのシャンパンカラーのドレスが、いつまで経っても似合わないね」と、ニアは、おだやかな微笑みを湛えながら、いつもそう言うのだけれど。てろてろの、うすっぺらい生地の、からだにまとわりつく不快さは、いまだにわたしも、なれないでいるよ。でも、生きるためには、あぶらぎっているおじさんに腰を抱かれようと、たばこのけむりを顔に浴びようと、お酒を飲みつづけて胃が焼けるように痛かろうと、わたしは、似合わないドレスを着るし、ほんとうは思ってもいない「すごぉい」を連発するし、どんなにふらふらでもちゃんとお化粧を落としてから眠る。たばこくさいおじさんが売っている、球体の、あのなかの蟲はどれも、なんというなまえなのかを、わたしは知らないけれど、ときどき、あやしげな夜のネオンサインを想わせるようなやつがいて、溺れているみたいに手脚をばたつかせている姿に、わたしが、重なる。

生きるための夜

生きるための夜

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-05-12

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