岡潔の随筆について
岡潔は、仏教に近づいた。
戦時中、岡は数学と田畑の耕作に勤しむだけでは精神的な危機を乗り切ることに困難を感じ、仏教に救いを求めた。
そこから生まれた随筆の数々に、私は非常に影響を受けたと思う。
宗教的な体験が人間の精神的危機をどのように救うかの実際はともかく、救いを求めようとする心に対して、仏教、日本に伝来した教えの精髄の中には、人間の心を丹念に調べつくした歴史と教訓を読むことができる。
それが体得可能かは関係なく、岡の文章から、文筆の流れから、自然と心の関連、世界と人間が触れ合って感応し生まれる結晶のようなものを感じ取って愉快だった。文体に触れて愉しいと感じる体験は、諸般の文芸作品から比べても稀なように思う。自分の感性に合う何かがあるのだと直感する。
今でも、岡の文章に触れるたびごとに、あらたないのち、つまりあたらしい精神に接しているという感触がある。
特によく読むのは、図書館で借りた「心といのち」という本だ。今は絶版だが、岡潔集全体を読みこなそうとするよりも読みやすく、すらすらと水のせせらぎのような、まるで読んでいる自分が草舟にのった一寸法師にでもなったかのような不思議な愉快さがある。
岡の文章を読んでいると、同じ内容が別の随筆でも繰り返して書かれていることに気づく。これは、言いたいことが一念としているからで、自然とそう書くに及んだものであろうと思う。同じよう内容だと感じた時不思議に思うのは、岡その人から、そばで話を聞いているような心持ちになることだ。
その人と直接対話している映像が鮮やかに浮かぶのだ。熟読玩味ということばが相応しい。
もっともそれを岡本人に言って、何と言われるかはまた別の話であろうが。
岡潔の文章には、今後も折に触れて接していくことだろうと思って書いた。
人に勧めると言うより、自分に覚えさせる意味で書いた。
2021年5月10日月曜日 せせらぎそう
岡潔の随筆について