隠れん坊
おかしな話 稚拙なのは見逃して
昔読んだ絵本には、こんなことが書いてあった。
心の底から互いを愛している二人の死期は近い、っていう。夫婦の死期が重なることも少なくないんだって。
ところで僕のお母さんが、数年前、お父さんが亡くなった数ヵ月後に「お父さんに会ったんだ」と踊り始めて、その日の内に死んだことがある。
僕は怖くなって、心の底から誰かを愛すなんてしないようにしようとその日心に決めた。僕は、僕自身を思い切り愛そうって。
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「もういいかあい」
じりじり、みいんみいんと僕がいるその場に響く誰かの鳴き声。頭に響いて、不愉快さもあるけれど、夏を感じれるからあんまり嫌いじゃない。綺麗な青空に浮かぶ太陽が煌びやかに光る真夏、炎天直下。
ひっくり返った蝉をやさしく踏むと、生々しい不愉快な音が聞こえて、顔をしかめた。未だに僕の頭には、鳴き声がひびき続けている。遠くの誰かにも僕と同じ鳴き声が聞こえているのだろうと思うと、誰かの鳴き声はここにいる僕とその子を繋いでいるみたいで、隠れん坊の鬼も寂しくないと思った。
聳え立つ真っ黒な木に顔を埋めて、30秒を数えて、また声をかける。もういいかい?
僕の問いかけに答えてくれるのは、僕が顔を埋めている真っ黒な木に生い茂る葉っぱたちのさらさらした声だけで、また30秒を数える。いち、にい、さあん・・・
そんな遊びをしていたら、小さな子たち7人が僕に寄ってきて、僕に隠れん坊をしているの?って聞いた。そうだよって言ったら、楽しそうに僕たちも参加する!って言って7人皆、広い草原に1本の大木しかないこの空間に隠れてしまって、もういいかいという掛け声に今度はもういいよが7つ聞こえた。
だだっ広いこの広場を、ただ7人の子供を探すために駆け回らなきゃと思うと、憂鬱を通り越して心が楽しくなってくる。
一歩、また一歩と足を進める度に飛蝗が飛ぶのがわかって、僕ひとりじゃないよって言われてるみたいだ。踏みしめている草原が、日光できらきらと光る。風に揺れて、さらさらと鳴る。
「1人目見つけたー!」
「あ、2人隠れてたな?もう1人見つけた」
「あれれ、緑の草原なのに赤が見えるよ?」
「わあ、青い大きなばったさんが2人いるね」
「また見つけた・・・ってこら、足にしがみつくなって」
「どこだろう、どこにいるんだ〜?・・・なんちゃって。7人目見つけた」
すっかり7人を見つけ終わって、僕たち用事あるからこれでばいばいするね。お兄さんありがとうって、嵐みたいに去っていく小さな子たちに思わず笑ってしまう。頬に流れた汗を、捲っていた袖を引っ張って、それで拭う。
まだ見つけてくれないの、という声が聞こえた気がして、ようやく僕に返事をしてくれなかった彼女を探しに動いた。
うーん、どこなんだろう。こんだけ探しても1度も彼女の姿を見ていないんだから、きっと別の場所に隠れているんだろうなって、真剣に考察をしてみた。そしてこれは、意地悪だったりする。
灯台もと暗し。少しだけ顔を上げれば、白いワンピースを風に靡かせて、木の上でバランスをとる1人の女の子と目が合った。
「見っけ」
「見つかっちゃった」
「はやくおりてこいよ?」
「おりれないの」
「じゃあ先に帰るよ」
「・・・待ってよ」
そうして、目が合った女の子とそんな会話をするはずだったのに、実際に行われた会話は僕の見っけ、だけだった。彼女がいるはずの僕の視界には、さらさら揺れる葉っぱと青い空に浮かぶ雲ひとつ、しかない。
今日のように炎天下、隠れん坊をしていた小学生の二人組がいた。10数年前の僕と彼女だった。今日と同じように僕が鬼をやって、今日とは違ってやけに大きく感じた大木に顔を埋めて、30秒を数える。彼女は、声が聞こえる方向で隠れた場所がわかってしまうからって、いつももういいかい?に返事をしてくれない。
その日も彼女は黙っていたので、僕は3回30秒を数えてから周りを見渡した。不意に上から降り注いでくるまだ青々しい葉っぱたちに、顔を上げると、風にスカートを靡かせる彼女が、その日は確かにいた。今にも折れそうな木の枝に掴まってバランスをとっていて、その枝から溢れた葉っぱは僕の影に重なって落ちてくる。
よく彼女から香っていた、鼻腔に染み渡るようなシトラス系の匂い鼻を掠めた。好きな練り香水の匂いだって言われたことがあった気がする。独特だから、この香りが彼女のだってすぐにわかった。
「見っけ」
「見つかっちゃった」
「はやくおりてこいよ?」
「おりれないの」
「じゃあ先に帰るよ」
「・・・待ってよ」
待ってちょうだいよ、繰り返しそう言って困った顔で僕を見下ろす彼女に、背を向けた。
ぼとりと、中途半端にやわらかいものと硬いものがぶつかる衝突音のようなものが聞こえたのは、「はやく降りないと置いて行くぞ」
そう言って足を前に進めた時だった気がした。よくよく考えてみたら、落下音に近いなと思った。少し前に見たスプラッター映画に出てきた落下音に、近かった。
そう、落下音だった。現実を見たくはない、という僕の気持ちとは裏腹に、僕は上半身を90度捻って振り向いていた。じりじり、みいんみいんと僕の頭に響く誰かの鳴き声。飛び立つ鳴き虫が視界に見えた。生い茂る葉っぱたちが風に揺れてさらさらと鳴った。そうやって、視界に入るなにかに気を向けてないと、気が狂いそうだった。ぐわあんと視界が揺れて、歪んで、立ちくらみを起こして、そのまま倒れてしまった。眩む視界にうつり続けた落下物は、白いワンピースが赤く染まり、手足が変な方向に曲がったマネキンのような青白い少女だった。
そのあとの記憶は無くて、そのまま僕は市内の小さな病院に運ばれて、狭い病室の2つ並ぶベットの1つに寝ていた。もう1つのベッドはカーテンで囲われていて、そこにいるのが誰かを僕は知ろうとしなかった。
その日の天気は、僕の心とは裏腹に真っ青な晴天で、窓辺のカーテンを閉めるとひどく体調の悪そうな自分の顔が窓に反射しているのが見えた。なんて顔してるんだよ、あれは事故だ。
僕が直接手をかけたわけじゃないし、まだ小学生ってこともあって、かくれんぼをしていたら事故で落ちてしまったと話すと、気の毒ねと同情されてそれ以上追求されることはなかった。好都合だと思う。僕は、自分が子供であることに初めて感謝をした。我ながら、ちょっと冷酷かな。
今更こんなことを考えても遅い、とかくれんぼをやめて大木から顔背けると、大きな日陰の内に三角座りとやらをして空を見上げた。やっぱり、思い出したくないことを思い出しそうな、晴天だった。
不意に上から、葉っぱが降り注いできた気がして、顔を上げる。懐かしい、
「かくれんぼ、やめちゃったのね」
その凛とした鈴のような、10数年前よりしなやかになった声を響かせて、風と戯れる伸びた髪の毛を陶磁器のような白く細い指でかきあげる、白いワンピースをきた女性がそこに立っていた。ああ、久しぶりに見たな。成長したね。
もう一回やるから隠れてよ、そう言って起き上がった頃には、やっぱりそこに彼女はいなくて、ただ呆然と彼女がいた空間を見上げていると、大きな大木がぐわあんと揺れた。頭に響く誰かの鳴き声と比べ物にならないくらいの地響き音が聞こえたのち、振り向いてみると、真っ黒な大木が僕に倒れかかるように近づいてきて、ゆっくりと僕の視界は暗くなった。
大木の下敷きになった僕の耳に、待っているからね。としなやかなあの声が聞こえた気がして、思わずうめき声が出る。あの、独特なシトラスの香りが鼻に抜けるように香る。もう誰かの鳴き声は、頭に響くことがなかった。
昔読んだ絵本には、こんなことが書いてあった。
心の底から互いを愛している二人の死期は近い、っていう。夫婦の死期が重なることも少なくないんだって。
ところで大木にすっかり潰された僕のポケットで光る携帯電話には、ずっと植物状態だった彼女の命日だったと連絡が入っていた、なんて話がある。
隠れん坊