Story is connected to the nail ~Treasure Chest~
ネイルの資格取得後、3年目にして自分のサロンを自宅で開くことになった涼夏。
親友でもあり、商売敵でもある美雨に誘われて行ったバンドのライブで綺麗な手と指を持つキーボーディスト、ショウに出会った。
ひょんなことからそのキーボーディストのネイルを担当することになった涼夏は、次第にショウの手だけではなく、彼自身に惹かれていた。
ショウもまた涼夏に興味を持ち、アクションを起こす。
何の障害もなくとんとん拍子に進む2人の恋はいつしか、結婚へと結びつく。
親友の美雨も結婚が決まり、なんと合同で結婚式を挙げることに。
幸せいっぱいで迎えるはずの結婚式間近でトラブル発生!
はたして無事に結婚式を迎えることができるのか。
第1章
5、4、3、2、1…
ピピピピピ
タイマーが鳴り、全ての工程が終わった。
「はい。完成ですよ」
「わあ!素敵!ありがとうございます。」
女性は、自分の指に施されたネイルに見入っている。
お会計を済ませ、玄関まで見送る。
「ありがとうございました。お直しとか、気になるところがあれば、いつでもいらしてくださいね」
私は今日、最後のお客様を笑顔で見送ると、片付けも後回しに冷蔵庫からビールを取り出すと、ソファに倒れこんだ。
今日は朝からずっと、休む間もなく予約が入っていたから食事もろくに取っていない。
「疲れた…」
自宅兼仕事場であるこのマンションに、私の労をねぎらう言葉をかけてくれる人はなかった。
ネイリストの資格を取得後、すぐに自宅でサロンを始めたのが3年前。以来、彼氏も作らず(出来ず)必死でここまで走り続けてきた。
もともと趣味の延長だったこの作業は、いつしかライフワークとなっていた。
店舗は構えていないが、有り難いことに口コミで噂が広まり、今はこれ一本でやっていけるまでになった。
「はあ…」
一気に残りのビールを空けると、重い腰を上げ、ざっと後片付けを済ませた。
ふと、テーブルの上のチラシに目が留まる。
「ライブかあ…」
昼間ここに寄ってくれた、同業者でもあり、親友の美雨が持ってきたものだ。
チラシを手に取り、ため息が出る。
美雨もまた、店舗は構えないスタイルだ。
前は私と同じく自宅で一般のお客様が相手だったが、今は知り合いの伝手で芸能人やアーティストなどのネイルを手掛けている。
このチラシの主であるバンドの男性ギタリストも、美雨の担当するお客様の1人だった。
最近は女性だけでなく、男性もネイルをする時代だ。
私のサロンは女性限定としているのだが、需要があるなら、男性の受け入れもした方がいいのかなあ…と美雨を見て思った。
今日、美雨がここへ来たのは、このライブに一緒に行こうという誘いだった。
どうしようかな。
元々、このバンドの大ファンだった美雨は、知り合いの伝手を辿ってギタリストの専属ネイリストの座を手に入れた。
仕事が決まった日は家に泊まりに来て、夜通し、いかに嬉しいくて名誉なことかをしゃべり倒していったなあ。
ライブの日は特に何もない。少し早めに仕事を終われば間に合う。たまには親友の趣味にも付き合おうことにしよう。
第2章
今日は例のライブの日だ。夜の予約を入れずに早めに終わり、会場へと向かった。
辺りは一目でをれとわかる人たちがたくさん、集まっていた。
美雨の姿を見つけ手を上げる。
「おーい!」
美雨は駆け寄ると、私の姿を見て、「それ、地味すぎて逆に目立つよ」と笑った。
何を着て行ったらいいのかわからずに、超無難な服、つまりとてもシンプルな服を選んだのだ。
美雨はというと、いつもより少し派手だ。あたりを見回しても、私みたいなのはいない。
「ほんとだね。みんな派手」
「ライブはこんなもんでしょ」
その時ちょうど、ライブハウスのスタッフが出てきて、開場を知らせた。
美雨は私の手を取ると早足で列に並ぶ。入場すると最前列のど真ん中を陣取った。
「今日のネイルも私がしたから、見てね」
美雨は得意げに言うと、嬉しそうに微笑む。
全員の入場が終わり、しばらくすると照明が暗転した。
それと同時に、歓声が湧きあがる。
私は今まで味わったことのない高揚感に襲われていた。
何?この感じ。
会場の歓声は、メンバーが一人出てくるたびに一層大きくなる。
美雨は最後に出てきた男を指さし、「あれ、あの人!」と興奮している。
ネイルを見ようと手に視線を集中するが、あまりよく見えなかった。
ライブが始まり、会場が一気に熱気の渦にのまれる。
私は死ぬんじゃないかと思った。
想像以上に激しい観客の押し合いへし合いに息ができない。
苦しかったけど、死にそうになりながらも、いつのしか自分もそれに加わり、夢中で手を上げていた。
ライブが終わる頃には私も美雨も全身汗でビショビショになり、雨に降られたかのようだった。
着替えがいるなあ…。
私はそのお祭り騒ぎのような中で、夢中になりながらも、1人の「手」に心を奪われていた。
ステージの上で華麗にキーボードを弾き、客席を煽る金髪の男。その男の手が、指がとても綺麗だったから。
細くて長い指。もみくちゃにされながらも頭の中は、その指に施すネイルデザインのアイデアが溢れかえっていたのだった。
完全な職業病だな、と自嘲した。
ライブ終演後、「行こう」と美雨は嫌がる私を強引に引っ張って楽屋へ向かった。
私は予定してなかったことにひどく動揺した。
それに服も髪もビショビショ。
美雨もビショビショだが、そんなことは一切、気にも留めて様子だ。
楽屋へ続く裏口を、美雨は顔パスで通り、楽屋入口へ。嫌がる私を半ば無視して、美雨は楽屋のドアをノックした。
ここまで来たら諦めるしかなさそうだ。
それに、よく考えたら、あの「手」を間近で見れるかも…と、好奇心すら湧いてきたのだ。
美雨は中に入ると、メンバーに「お疲れ様でした」などと声を掛けている。
完全にアウェーな私は、ここに来たことを後悔し、どうしていいのか分からずに入口付近で突っ立っていた。
「涼夏!」
美雨に呼ばれ、おずおずと近寄ると、メンバーに私を紹介した。
「この子、私の親友で商売敵の涼夏ちゃん。こちらがいつも話してる、ギタリストのアツムさん」
ペコリと頭を下げる。
「ね、これ」
そう言うと、アツムさんの手を指さした。
ポップだけど、男っぽい感じのネイル。バンド名のロゴだろうか、アルファベットがデザインされていた。
「へー、かっこいいね。私、女の人しかやってないから、こういうデザイン思いつかないや」
「涼夏もやってみたらいいのに。幅が広がるし、また女性にするのと違って面白いよ」
私もそう思う。
「でも練習しなきゃ、急にはできそうもないな」と苦笑した。
その時突然、後ろから両肩をポンと叩かれて振り返る。
「じゃ、俺、練習台になってもいいよ。無料で」
あのキーボードの男だ。
「ショウ、そこはお金払おうか。相手もプロだし」
アツムさんが突っ込むと、笑いが起こる。
私たちよりもビショビショにな男は、「やっぱり?」と残念そうに言うと、脇の長椅子に腰かけ頬杖を付いた。
私の目は、自然と男の手を捕らえる。
本当に綺麗な手。なんて長くて細い指なんだろう。
見とれていると、「ねえ、涼夏!」と美雨に肩を叩かれ我に返る。
「え?」
「もう。話聞いてなかったの?」
「ごめん。何?」
「だから、ライブ楽しかったねって話」
「ああ。楽しかったです。圧死するかと思ったけど」
正直、私は途中から楽しさと苦しさの中で、あの手ばかり目で追っていたのだけど。
ふと、男の座っていた長椅子に目をやると、いつの間にかキーボードの男は姿を消していた。男はショウと呼ばれていた。
なんとか話の輪に加わり、しばらく雑談していると、上半身裸のまま首からタオルを下げショウさんが帰ってきた。
楽屋ってシャワールームがあるのか。と感心しながらも、髪を拭く手を目で追っていた。
男の手にしておくにはもったいないくらい綺麗だ。
でも、綺麗だけど力強い男の人の手だと思った。
私の視線に気づくと、ショウさんがこちらへ近寄って来る。まずい。
「さっきからずっと見てるけど、どうかした?」
優しく問いかけたと思うと、急にニヤリと笑顔を崩し
「俺の裸に欲情したとか?」
と、両手で体を隠す仕草をする。
「ないない」
その場にいたみんなが口をそろえて言う。
思わず吹き出すと、みんなも笑った。
「どれ、見せて」
ショウさんはアツムさんの手をまじまじと眺め「なかなか、いいじゃん」と爪を眺めまわしている。
「俺もやってもらおうかな…」
そう呟いたショウさんの言葉を聞いて、おもわず「私にやらせて下さい!」と口走っていた。
人見知りをする私が、初対面の人に対して積極的な言葉を発したことに美雨はたいそう驚いていた。
「あ、私も男性のお客さん受け入れようかと思ってるから、練習に…」
言い訳じみた言葉に、だんだんと声がフェードアウトしていく。
「じゃあ、お願いしよっかな」
ショウさんはニコニコしながら言うと、「よろしくね」と綺麗な手で私の手を掴むと、ぶんぶんと振り回すように握手した。
連絡先を交換して楽屋を出ると、美雨がニヤニヤしながら私を見ている。
「な、何?」
「ああいうのが好きだったんだって思ってね」
「ちょ、ちょっと、そんなんじゃないって。本当に練習になるし、それに」
「それに?」
「手がね、とても綺麗だったから」
「手?」
「そう。手。指が長くてすっごい綺麗な手だったでしょ?」
「そうだっけ?あまり意識して見たことなかったわ。あまりアツムさん以外と関わりないから」
「職業病ってやつかなあ。あの手見てたらデザインがポンポン頭に浮かんできたんだ」
「職業病だね、それ。でも、分かる」
妙に納得していた。
そうは言ったものの、確かに手以外も魅力的な人だった。
サラサラ金髪に、細いけど筋肉質な体。ガラス玉みたいな目。
「それにしても、ファンの子がこれ聞いたら羨ましがられるどころか、恨まれちゃうね。
ショウさんはね、女の子のファンが多いんだよ。しかも、熱狂的なね」
「そうなの?」
「そりゃ、あのルックスであのキャラでしょ。女の子がほっとかないでしょう」
「そっかー。確かに楽屋でもムードメーカーってかんじだったもんね。まあでも、仕事だから」
この時は本当にそのつもりだった。
でも、美雨はこの後の二人の行く末を知っているかのように「さて、仕事で終わるかなあ?」と呟いた。
第3章
数日後、お風呂から出てTVでも見ようとリビングへ行くと、テーブルの上に置いた携帯のランプが光っていた。
「こんな時間に、誰だろ」
着信履歴を見ると、ショウさんからだ。
急いで掛けなおす。
数コールなって繋がると、何やら電話の向こうが騒々しい。
「あ、きたきた。今大丈夫?」
妙にテンションが高い。
「はい。すいません、お風呂入ってて」
「あ、そうなの?ごめんね。ところで、この前言ってた爪の件なんだけど、いつでもいいの?」
「はい。予約入ってなければ基本的にいつでも大丈夫ですよ」
「夜でもオーケー?」
「自宅でやってるんで大丈夫です」
「そう」
少し間があって、「じゃ、今からで」と言った。
「え?え?」
時計の針はもうすぐ0時を指そうとしていた。少し間があって
「ウソウソ。でも…ちょっと本気。明日さあ、ライブがあるんだ。で、間に合えばいいなー、と思って。
本当は昨日連絡しようと思ったんだけど、急な取材が入って連絡できなかったんだ。
ダメもとで、聞くだけ聞いてみようと思って電話した」
「そうですか…。簡単なデザインでよければすぐできますけど」
「ごめんね、なんか。ちょっと酔ってるからずうずうしいわ、俺」
ケラケラと笑っている。
「じゃあ、今からでもいいですよ。それより、こっちに来れます?」
「マジで?やった!場所どこだっけ?」
場所を伝えて携帯を切ると、急いで髪を乾かし服を着替える。
勢いで受けてしまったけど、冷静に考えると、いきなり二人きりとか緊張するなあ。
とにかく、急いで道テーブルに道具を並べていく。
脇には、ライブの帰りにコンビニで買った男性用ネイルの雑誌。どんなのがいいんだろう。
30分くらい経っただろうか。インタホンが鳴った。
来た。ドアを開けると、両手にコンビニの袋を下げたショウさんが現れた。
「ごめんね、ほんと。よく考えたら、ほんと、ごめんだわ」
本当に申し訳なさそうに言うものだから、かえってこっちのほうが申し訳ない気持ちになった。
「いえ、こちらこそ、こんなところまで来ていただいて」
ペコリと頭を下げると、同じタイミングでショウさんも頭を下げたものだから、ゴツンと頭がぶつかる。
「痛え。意外と石頭だね」
頭をさすりながら靴を脱いで部屋に上がる。
「すいません…」
恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
「ウソウソ。これ、お詫びのしるし」
両手に持ったコンビニの袋を差し出す。
「そんな。気遣わなくてもいいですよ」
袋の中にはコンビニで買った大量のスイーツが詰まっていた。
ひとまず冷蔵庫にそれを押し込んで、雑誌を手渡す。
「雑誌みたいなのはかなり時間がかかるんですけど、簡単なデザインならそんなに時間かからないんで、それは参考までに…」
「アツムも言ってた。以外と時間かかるって」
「そうですね、特にアツムさんのは手が込んでるから」
「あいつ、我が儘だから。ま、俺はもっと我が儘だけど」
「そうなんですか?」
「よく言われる。自分ではそうは思わないんだけどね」
雑誌をぱらぱらとめくり、最低限の希望を聞き、早速作業に取りかかる。
向かい合って座り、ショウさんの手を取ると、「冷たいね」と両手で私の手をさすった。温かい手。
「綺麗な手ですよね」
「よく言われる。昔はね、女みたいって言われるこの手が大嫌いだったよ。今は気にならなくなったけどね」
「確かに男にしておくにはもったいない手ですね。でも、こうして近くで見ると、やっぱり男の人の手かな」
「そうでしょ?」
「触ってみると、より実感しますね。やっぱり女の人の手とは違うかな」
「どれどれ」
そう言ってショウさんは私の手を取って触り、眺めた。
「私はそんなに綺麗な手じゃないんで、参考にならないです」
手を引っ込めた。
「そんなことないんじゃない?女の手って感じだけど。もっかい見せて、爪」
「はい」
遠慮がちに両手の爪を見せる。私の手を縦にしたり横にしたり、爪に触ってみたりして感心している。
「ピッカピカだね」
「ジェルネイルは基本、こんな感じになりますよ。マットな感じにもできますけど」
「ふーん。じゃ、とりあえずお願いします」
差し出された右手から下処理を始める。
今回は時間もあまりないので、アツムさんと同じくバンド名を入れて、後は好きだというスマイルマークを描きいれる
というデザインで落ち着いた。
まずはベースの色を決めてもらう。
無言になるのが気まずくて、全行程、解説つきで行った。
途中、あれこれと細かい希望を聞いていたら結構な時間がかかり、溶けを見たショウさんは驚いた。
「ほんと、結構時間かかるんだね」
「そうですね。それでも、この固める機械が他より早いヤツ使ってるから、一般的にはちょっと早い方かも」
「へー。とにかく、ありがとう」
ショウさんは自分の爪を見ながら満足そうに目を細めている。
「なんか自分の爪じゃないみたいだ。またお願いしてもいい?」
「はい、もちろんです。あ、落とすのも簡単には落ちないから、落としに来てくださいね」
「あ、そうなの?」
「専用の落とす液が必要なんですよ」
「そっかあ。じゃ、次は落としに来るわ」
「これ、よかったら持って帰ってください」
さっきの雑誌を手渡した。
「おー、サンキュー。あ、お金。ちゃんと払わないとアツムに怒られる」
「あ、いいです。こっちも練習になるから助かるんで。これからも、よろしくお願します」
「でも…。なんか、こんな時間に押しかけて、さらにタダなんて申し訳ない。もっといいもん持ってくりゃよかったな」
さっきのコンビニスイーツの事を言っているらしい。
「あんないっぱい持ってきていただいて、十分過ぎるくらいですから」
実際、毎日食べても1か月はかかろうかという量だった。
見送りにマンションの下まで出る。歩き出したショウさんは、思い出したように振り返り戻ってくると、
ジーンズのポケットからクシャクシャになった紙切れを取り出した。
壁で一生懸命しわを伸ばすと、目の前に差す。
「忘れるところだった。明日のライブ、よかったら見に来てよ」
そう言ってまた背を向けると、片手を上げて帰っていった。
しわだらけのチケット。
ベッドに入ってからもしばらく、一生懸命しわを伸ばすショウさんの姿を思い出してはおかしくて笑いが止まらなかった。
ちょっと強引で変わった人だけど、憎めない人だ。
第4章
翌日、めずらしく暇で3時にはフリーになっていた私は、TVを見ながらソファにひっくり返っていた。
今日のライブ、美雨も行くのだろうか?独りで行くのは心細い気がした。
起き上がり、携帯の着信履歴から美雨へ電話をかける。
「あ、美雨。今大丈夫?今日のライブって行くの?」
「ん?今日?今日は行かない。なんで?」
昨日の一連の出来事を話す。
「そうなんだ。珍しい。ショウさんってあんまりライブに人呼んだりしないって聞いたから」
「たぶん、お礼のつもりなんじゃないかな?」
「そっか。ま、とにかく今日は予定有って行けないから、涼夏一人で楽しんできなよ」
「うん、わかった」
とは言ったものの、一人で行く勇気ないなあ。
でも、せっかくチケットくれたんだから行かないと悪いよね。それに、あのネイルをしてステージに立つショウさんを、
見てみたいと思った。
前回よりも少し派手目の服をチョイスし、ライブ会場へ向かう。途中、携帯に着信があり、出るとショウさんからだった。
「来るの?」
「今着いたところ」
「じゃ、そのまま楽屋に来て」
「う…ん。」
「入口のスタッフに言ってあるから」
楽屋?一人で?前回のあの楽屋のアウェー感を思い出し、身震いした。
でも、仕方ない。勇気を振り絞って入口のスタッフに声を掛けた。
「ああ、聞いてます。どうぞ」とすんなり通される。
楽屋のドアをノックして開けると、ショウさんが立ち上がる。
ライブ前ということもあり、楽屋の中はバタバタと慌ただしい。
「私、邪魔じゃないですか?」
「大丈夫」
あっさりと言ってのけたが、本当に大丈夫なんだろうか。
それより何で楽屋に呼ばれたんだろう?
「で?」
と聞くと
「で?」
とオウム返しのように同じ言葉を繰り返し、ショウさんが首をかしげる。
「えっと…、私はなんでここに呼ばれたんでしょうか?ネイル、調子悪いですか?」
「ああ、違う違う。何でもない!ただ、呼んでみただけ」
「え?」
「迷惑だった?」
「いや、そんなことは…」
ステージ衣装に着替えたアツムさんがこちらへ来ると、
「ごめんね、涼夏ちゃんだっけ?昨日、こいつが夜遅くにお邪魔したみたで」
と呆れたように言った。
「保護者みたいなこと言うなよ」
「保護者みたいなもんだろ。昨日だって電話してもいいかどうか聞いてくるくらいなんだから。自分で考えろっつーの」
「そんなこと、いちいち言わなくていいから」
ショウさんはアツムさんの方を小さく小突いた
入口のドアが開き、「時間でーす」とスタッフが呼びに来た。
「さ、行きますか」
ショウさんとアツムさんが立ち上がり手と手を合わせると、周りのメンバーやスタッフも円陣を組む形で手を重ね、掛け声を掛けた。
「じゃ、涼夏ちゃんは客席で見ててね。ちょっと、もう前には行けないかもしれないけど。でも、後ろの方がかえってよく見えるよ」
じゃあ、と手を上げ、楽屋を出て行った。
私も客席へ向かう。もうフロアは人であふれかえっていた。後ろと言っても300人くらいの小さめのライブハウスだ。
そんなに遠くもなく、ステージ全体を見渡せる。
程なくして会場は暗転し、ライブが始まった。
ショウさんは相変わらずステージ上を走り回り、観客を煽りまくる。その突き上げられた手の指には、
昨日したばかりのネイルが、ライトを反射してキラキラと輝いていた。
ライブが終わると、チケットのお礼を言いに、楽屋へ立ち寄ることにした。
遠慮がちにドアを開けると、ショウさんの姿はなく、代わりにアツムさんが手招きしている。
「今、あいつシャワー浴びてるから、もう出てくると思うよ」
「はい」
近くに有った椅子に腰かけた。
「昨日、あいつに変なことされなかった?」
アツムさんが薄ら笑いを浮かべている。
「まさか!」
でっかい声が出る。
「そ。ま、でも、珍しいこともあるもんだな。今までこんなことなかったから。よっぽど涼夏ちゃんのこと気に入ったんだね。
あいつナルシストだから、自分以外に興味ないのかと思ってたよ」
「そうなんですか…」
「そうなんですよ」
アツムさんがわざとらしく言葉を繰り返す。
奥のドアが開いてショウさんが出てきた。私を見るなり
「うお!やべ。誰かパンツ取って、パンツ」
と叫ぶ。バスタオル一枚巻いた姿だった。アツムさんが爆笑している。
スタッフが着替えを手渡すとまたシャワールームに消えていき、着替えて戻ってきたショウさんは、少し照れくさそうに笑っていた。
「ごめんね。いつも素っ裸で出てくるんだけど、今日はセーフ。よかった」
ひとまず、今日のお礼を言う。
「今日はありがとうございました」
「あ、いえいえ。こちらこそ、昨日は遅い時間にごめんね」
「いえ、ぜんぜん大丈夫です」
そう言ったきり何を話していいかわからない。やっぱ美雨が居ないとだめだ。
「あの、お礼言いに来ただけだから」
帰ろうとすると、ショウさんが「待って」と引き留めた。
マネージャーらしき人を呼んで何か頼み込んでいる。手を合わせて頭を下げているようだ。
よくわからないが、ガッツポーズをするとこちらへ戻ってっくるなり
「ね、打ち上げ来ない?マネージャーにOKもらったから」と言った。
楽屋のみんなが一斉にショウさんと私を見る。
「まじで?」
アツムさんが呟いた。
「あの…、部外者だし今日は帰りますよ」
「あ、いいの、いいの。気にしないで。一緒に行こう。ちょっとびっくりしただけだから」
アツムさんはニヤニヤしながら言った。
行くも行かないも答える間もなく、あれよあれよと言う間に連れ出され、打ち上げに参加することになってしまった。
スタッフの人たちと先に打ち上げ会場へ向かうことになり、打ち上げ会場へ歩き出す。
私は隅っこで小さくなり、この上ない居心地の悪さに落ち着きをなくした。
ショウさんをはじめ、メンバーはまだ到着していない。出待ちのファンに囲まれ、到着が遅れているようだ。
しばらくしてメンバーが到着し、宴会が始まった。
「涼夏ちゃん、この爪、ファンの子たちが褒めてくれたよ」
嬉しそうなショウさん。その顔を見ると、私まで嬉しくなった。昨日、遅くまで頑張った甲斐があった。
打ち上げは周りの人の配慮もあり、思いのほか楽しめた。終盤になると、冗談が言えるくらいにまで打ち解けることができた。
打ち上げの後、ショウさんがマンションまで送ると言いだした。
だいぶ酔っているようだし、断ったのだけど、どうしても送ると言って聞かないので、そうしてもらうことにした。
歩くにはちょっと遠かったのだけど、どうしても歩いて行くと言い張り、2人で歩き出した。あと少しでマンションに着く。
「ここでいいですよ」
「ここまで来たんだから、最後まで送る」
「じゃあ、お願いします…」
「ねえ、その敬語辞めない?」
「あ、うん、わかった」
マンションはすぐそこだ。
「ありがとう。本当にここでいいです」
「です?」
「ここで…いい」
「そうそう」
ショウさんが満足げに大きく頷く。
やだ。かわいい。胸がキュンとなった。
私どうしちゃったんだろう。むかーし経験した懐かしい感覚。
それが何だったのか、すぐには思い出せなかった。認めたくないだけだったのかもしれないけど。
「それから、俺の事もショウでいいからね。今度敬語使ったり、さんづけしたら罰ゲームね。よそよそしいのは嫌だから」
「わかった」
「じゃ、また連絡する。これ、取ってもらわないといけないしね」
「時間の余裕ある時なら、もっと凝ったやつできるから」
「わかった」と大手を振ってフラフラとおぼつかない足取りで帰って行った。
玄関を開けて部屋に入ると、顔が緩み、もとに戻らない。
本当にどうしちゃったんだろう、私。
そうだ。さっき、思い出せなかった感覚。恋、だよね。本当は、分かってたけど。
最初、目が追いかけるのは手ばかりだった。
でも、次に会った時にはもう、私はショウの手ではなく、少年のようなショウの笑顔ばかり追っていた気がする。
私の事はどう思っているんだろう。
周りの言うように、私に興味を持ってくれているのは確かだ。
でも、それは恋愛感情とは限らないってことを、私は長年の経験で知っている。
まだ、知り合って間もない。ところで、私ってこんなに惚れっぽかったっけ?
鞄の中で携帯が鳴っている。
着信画面にはショウの名前が表示されている。
「もしもし?」
「あ、ごめん。あのさ、明日って時間ある?」
「明日?ちょっと待って」
手帳を確認する。
「午前中は仕事入ってるけど」
ショウは「そう」と言ったきり黙り込んでしまった。
「どうしたの?」
「明日オフなんだ。爪。そう、爪とってもらおうかなって」
「爪?いいけど、あんまりすぐにとっちゃうと爪が痛むよ?」
「ふ、ふーん、そうなんだ」
また黙り込んでしまった。
ショウは咳払いをして改まると、
「じゃあ、明日遊ばない?」
「え…遊ぶ?何して遊ぶの?」
まるで小学生同士が遊ぶ約束をしているような会話だった。
「遊ぶっていうか、その、俺とデートしてくれませんか!」
え?え?え?デート?さっきの私の思いが通じたのかしら…。
もちろん「はい」と答えた。
「よかった。断られるかと思った。じゃ、2時に迎えに行くから。服、ジーンズとかパンツでね。じゃ」
と、こちらの返事も待たずに電話は切れていた。
デート?デートって言ったよね?自然と顔が緩む。
何着て行こう。クローゼットの中の服を片っ端から引っ張り出して、着ては脱ぎを繰り返し、
いつしかそこらじゅう服が散乱し、足の踏み場もなくなってしまった。
第5章
アラームの音が鳴り響き、まだ眠たい目をこする。
顔を洗い着替えを済ませ、鏡の前に立つ。
結局、「ジーンズで」と言われて、いつもと変わり映えしないカジュアルなスタイルに落ち着いたのであった。
デート自体も、着て行く服に悩むのも久しぶりだ。散乱した服を元の場所に戻すのに一苦労したけど、それはそれで楽しいものだ。
今日は朝一で常連のお客さんの予約が入っている。後はネイルチップのデザインの打ち合わせが二件。
それが終われば、デートだ。頑張ろう。
1時過ぎ、最後の打ち合わせが終わり、時計を見る。予定より少しずれたが問題ない。
コーヒーでも飲んで、用意しようとキッチンへ向かうとインタホンが鳴った。
ん?さっきのお客さん、忘れ物かしら?
玄関を開けるとショウが立っている。
私はショウと時計を交互に見た。まだ1時半にもなっていない。
「ごめん。早く着いちゃったから待ちきれなくて」
ショウが無邪気に笑う。
「まだ用意ができてないの。とりあえず、上がって待ってて」
そう言うと嬉しそうに、うん、と頷いた。
昨日の「デート」という言葉が頭の中をぐるぐる回って、どうやら私はえらく緊張しているようだ。
自分でも不自然なくらい動きがぎこちない。
ポットのスイッチを入れて急いで後片付けをする。洗面所で化粧を直して全身をチェック。OK。問題ない。
キッチンへ戻りコーヒーを入れてリビングへ戻ると、ショウがリビングをウロウロと見て回っている。
「コーヒー、入れたから」
ショウがびっくりして振り返る。
「あ、ありがとう」
「何見てたの?」
「いや、男の写真とかあるかなーとか思って」
「そんなもん無いから」
苦笑した。
「ここ何年かは、俗にいう仕事が恋人」
「ふーん」
ショウは興味があるのかないのか分からない返事をした。
コーヒーを飲み終え、マンションを出ると、目の前にでっかいバイクが止まっている。
ショウはバイクにまたがると、ハンドルにぶら下がった2つのヘルメットのうち一つを私に向かって差し出した。
「今日は、これで来た」
「ジーンズで」って意味が分かった。
「これ、ショウさんの?」
思わず「さん」づけで呼んでしまった。
「はい、罰ゲーム!」
やけに嬉しそうだ。まだ慣れないなあ。意識しないと「さん」づけで呼んでしまいそうになる。
渡されたヘルメットをかぶり、後部座席に乗りこむと後ろ手に私の手を掴み、自分の腹に前に回す。
「しっかりつかまっといてね。俺、飛ばすから」
そう言ってアクセルを回し、走り出す。
初めてのバイクはちょっと怖かったけど、体で直にスピードを感じて気持ち良かった。
バイクの速さのせいか、いつもより近いショウとの距離のせいか、私の心臓はドキドキと音を立てた。
湾岸高速を猛スピードで駆け抜け、ベイエリアのテラスがあるお店でちょっと遅めのランチを食べる。
少し遠くに見える観覧車を見つけ、「あれに乗ろう」と適当にバイクを走らせるとたちまち道に迷い、
たどり着いた時にはもう夕方近くになっていた。
観覧車に乗り込むと、少しずつ視界が開けていき、街と海が見渡せるようになる。
さっきいた場所を見つけ、それほどややこしい道じゃないと分かって2人で大笑いした。
「ねえ、楽しい?」
ショウが急に真顔になる。
「うん。楽しいよ」
「俺もすっげえ楽しい」
「う…ん」
本当に楽しかった。こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
「こんなベタなデートしたの久々だわ。初めてのデートだからさ、失敗しないようにあえてベタなコースにしてみました」
わざとらしく言ってみせる。
「あ、でも次はベタなのじゃなくて、ちょっと変わったデートにするからね」
そう言うと、ショウはうつむいて深呼吸をした。
「ねえ、こんなベタなデートでも楽しいんだから、きっと…他のどんなことも楽しいと思うんだ…二人なら。そう思わない?」
ショウはうつむいたままだ。
「そう思わない?」
ゆっくりと顔を上げて真っ直ぐに私の目を見た。
その視線に、今度は私がうつむいた。
「そう…思う」
観覧車はもうすぐ、空に一番近づこうとしていた。
ショウはそっと私に近寄り床にひざまずくと、両手で私のほほを包み込んでぐっと顔を上げさせた。
「もう一回、ちゃんと俺の目、見て言って」
恥ずかしくて死にそうだ。
「…そう思よ、私も」
そう答えた瞬間、ショウは私にキスをした。
また、死ぬかと思った。
たった数秒の出来事だったけど、胸が苦しくて息ができなくて、死にそうだった。
あと少しで観覧車は地上に戻ろうとしていた。
ショウは席に戻ると、黙ったまま窓の外を眺め、何か考え事をしているようだった。夕日がショウの髪を照らしキラキラと輝いていた。
観覧車を降りると、「見せたいものがある」と急いで飛ばし、少し小高い丘の住宅街へ入って行く。また道に迷ったのだろうか?
行き止まりの小さな公園にバイクを止める。
「間に合った」
ショウは私のヘルメットを取ると、バイクを降りた。
目の前には、沈む夕日が街と海を赤々と照らしていた。
「綺麗…。よく知ってるね、こんな場所」
「さっきみたいに俺、あまり考ずに走るから、色んな所に出るんだよね。ここもそのうちのひとつ」
「もしかして方向音痴なの?」
「違う違う。冒険してるだけさ」
照れ隠しなのか、おおげさにポーズをとってみせる。夕日に照らされたその後ろ姿はまるで子供番組のヒーローのようで可笑しかった。
少し間があって、ショウは私の方に向き直し、私を抱きしめた。
「さっき、ちゃんと言えなかったから。涼夏、好きだ。たぶん、初めて会った時から」
たぶん、私もだよ。
その時、ショウの携帯が鳴る。ショウは舌打ちし、私を抱きしめたままジーンズのポケットから携帯を取り出す。
「もしもし?今、いいとこなんだから邪魔しないでくれる?…え?そりゃ内緒。…そうそう。…もう切るから。じゃあね」
電話越しにアツムさんが「待てよ」と叫ぶ声が聞こえたが、おかまいなしに電話を切った。
「いいの?」
「いいの、いいの。あいつは本当にタイミングが悪い」
携帯をポケットにしまうと、「やり直し」と言って、さっきと同じ言葉を繰り返した。
ドラマの撮影で俳優がNGを出した時のようなシチュエーションに思わず笑ってしまう。
「笑っちゃだめ」
少し怒ったように言う。
「ごめん、でも…」
笑いがこらえきれない。
ショウは体を離すと、私のおでこに自分のおでこをくっつけて言った。
「涼夏。俺、本気だから。いつもふざけてるけど、これは本気の本気。好きだ。俺の彼女になって」
出会って今までの中で一番の真剣な顔と言葉に、もう、笑ってる場合じゃなかった。
返事はもちろんイエスだ。
「はい…。私も…好きだよ。」
私たちは抱き合って、お互いの体が今、自分の手の中にある喜びを噛みしめた。
それを邪魔するかのような携帯の着信音。今度は私の携帯だ。でも、無視してキスし続けた。
鳴りやまない携帯に、「出なくていいの?」とショウは聞いたけど、
私はニヤリと笑い、「今、いいとこだから」と答えた。
どれくらいそうしていただろう。辺りはどっぷり日が暮れて、遠くの民家にはポツポツと明かりが灯っていた。
いいことがあった日の朝は、なんて目覚めがいいんだろう。
ベッドの上で伸びをする。その時、携帯が鳴った。美雨からだ。
昨日、無視した電話は予想通り美雨からのもので、あの後、掛けなおしてないのだ。
どうやらアツムさんが、ショウに電話を切られた後、美雨に電話をかけ、状況を話したらしい。
更にショウが私と別れた後、アツムさんに私と付き合うことになったと報告し、それをまたアツムさんが美雨に連絡したようだ。
美雨は数年男っ気のなかった私に「おめでとう」と言い、「私もがんばらなくちゃ」と意気込んでいた。
そういえば、美雨もしばらく男っ気なしだ。でも、なんとなく好きな人が居るような気がしている。
私はなんとなく、それがアツムさんなのではないかと思っているのだけど、
美雨は好きな人なんかいないと言い張った。
第6章
ショウに告白されてから2週間が過ぎた。実はあれ以来、ショウとは会えていない。
ライブやら取材やらで時間が取れず、連絡だけする日々が続いていた。
しかし、今日は2週間ぶりにショウに会える日だ。
と言っても、前回のネイルを落としに来るだけで、今日は私の方が予約が入っていたりで、時間があまり取れない。丁度にいかないなあ。
約束の時間が過ぎ、インタホンが鳴る。
ショウは入って来るや否や、私を抱きしめた。
「会いたかったって言えよ」
「何それ」
「会いたくなかったの?」
「そうじゃないけど」
「じゃ、言って」
「あ、会いたかった」
「棒読みじゃん!」
恥ずかしくてそんなこと普通に言えるわけない。
ショウは笑いながら上機嫌で部屋に上がると、あらためて私を抱きしめ、キスをした。
「ちょっと、ネイル落とすんでしょ?」
「いいじゃん、もうちょっと」
「だめだめ。私この後まだ、予約入ってるんだから」
「えー」
ソファに大げさに倒れこむ。
「ネイル取って時間が余ったらね」
「じゃ、早く取ろう取ろう」
さっさと起き上がると椅子に座り、私を急かす。
ネイルを取り終えると、ショウは私を抱え上げソファへ座り、私を自分の膝に乗せたまま長いキスをした。
だんだんと怪しい雰囲気になっていくのを感じて、体を離そうとする。
すると、ショウは抵抗するかのように、より一層、私の体を引き寄せ、さっきよりも濃厚なキスをした。
肩に手を掛け、グイッと体を引き離す。
「ちょ、次のお客さん来ちゃうから」
「何時に終わるの?」
「四時くらいかな」
ショウの息遣いは激しく、心臓の音が私の耳まで届くくらい高鳴っている。
膝の上から私を下ろすと、数回、深呼吸をし、息を整えた。
「そういえば、罰ゲーム。何個かたまってるんだよね」
「へ?」
「敬語を使わない。さんづけしない。ってやつ」
「ああ。」
「罰ゲーム、発動していい?」
「何?」
「今日、仕事が終わるころ出直してくるから、晩御飯作って」
「う、うん。いいよ」
そんなんでいいんだ。ちょっとホッとした。
ショウは「よしっ!」と小さくガッツポーズを作った。
「で、もう一個」
「もう一個?」
「今日、俺をここに泊めること」
「え?泊まるの?」
「そう。泊まるの。嫌?」
「嫌じゃないけど…。ベッド、狭いよ?」
「いいの。寝ないから」
「寝ないの?」
「っていうか、寝かさないから」
ショウはこの上なくいやらしい笑顔を見せた。
さっさと鞄を持って玄関へ向かう。靴を履くとくるりと振り返り
「覚悟しとけよ」
と言って出て行ってしまった。
私は事態が呑み込めず、ソファに座ったまま唖然としてた。
程なくしてインタホンが鳴り、我に返る。
お客様を部屋に迎え入れてからも、仕事モードに切り替えるのにしばらく時間がかかった。
4時。お客様も帰り、片付けも済んだ。
コーヒーを飲みながら、時計とにらめっこをしている。
どうしよう。寝かさないってことは、そういうことだよね。心の準備ができてない。
こういうことってその場の雰囲気でそうなるのであって、前もって分かってると緊張してダメだ。どうしよう。
そんなことを考えながらも、光の速さでベッドのシーツを新しいものに変え、お気に入りの下着をバスルームに用意した。
インタホンが鳴る。鳴る。鳴る。
「はいはい」と独り言を言いながら、玄関を開ける。
ショウはちょっとおっきめの鞄を肩から下げて現れた。
よっ、と片手を上げると、「とりあえず、買い物行こっか」と、すっかり冷静さを取り戻している。
ポカンと口を開けている私を見て、
「あ、さっきと違うって思ったでしょ。さっきのほうがよかった?」
とキスするマネをする。
私は、「ばか」と言っておでこをペチッと叩いた。
近くのスーパーで買い物を済ませると、買い物袋を一つずつ手に提げ、マンションに帰った。
「買いすぎじゃない?」
「いいの。いっぱい食べるから」
ショウは公言通り、その細い体のどこに入るの?ってくらいよく食べた。
洗い物を済ませ、ソファでTVを見ているショウの隣に座る。ショウが肩に手を回した瞬間、昼間の出来事を思い出した。
夕方、うちに来てからは何事もなく、楽しくバカみたいな話ばっかりして過ごしていたから、そんなことはすっかり忘れていた。
まだ、心の準備、できてない。
ショウは、TVを消して私の方へ向く。
「昼も言ったけど今夜は寝かさないよ?覚悟できた?」
どうにでもなれ、と思った。緊張しすぎて喉がカラカラだ。
「うん」とうなづくと、ショウはソファの脇に置いてあった自分の鞄を掴むと目の前に中身を撒いた。
下着などに交じってバラバラと鞄から出てきたのは、トランプや花札、携帯オセロだった。
え?何これ?
「どれからやる?徹夜でやろうぜ。寝かせないよー?」
と、はしゃいでいる。
「え?これのこと?」
「どしたの?何と勘違いしたのかなー?え?え?」
してやったりと言わんばかりの喜びようだ。
「もう!」
肩透かしを食らって、少しがっかりしている自分にびっくりした。
緊張して損した。でも、こういうのもいいか、と思った。
何十回もトランプで勝負し、気が付くと、もう夜中になっていた。結果は私の圧勝。
本当に夜通しで出来る訳もなく、キリがいい所でおしまいにした。
最初に「負けた方がなんでも言う事を聞く」という罰ゲームを決めていたけど、もう遅いから、罰ゲームはまた明日にすることにした。
ショウがトランプを片付けながら、「俺、ソファで寝るから」と言った。
「え、でも…」
「一緒に寝たら絶対変なことしちゃうから」
顔が赤くなった。昼間、私がまだ覚悟出来ていない事を悟ったのだろう。
明かりを消し、一人ベッドに入る。さっきまであんなに眠たかったのに眠れない。
昼間のショウとのことを思い出していた。
私に躊躇さえ見られなければ、きっと今夜は、ショウもそのつもりでいたんだろう。
一瞬迷いの見えた私に、気を遣ってくれているショウの優しさが嬉しい。
私だって、好きな人と結ばれたい気持ちはある。でも、とにかく、こんなことは久しぶりで自分に素直になれないよ。
でも、素直にならなきゃいけないよね。もういい大人なんだ。好きな人とそうなることはとても自然なことなんだから。
寝室を出て、リビングのドアを開けた。
「もう寝た?」
「いや、寝てない。どしたの?」
「さっきの罰ゲーム。考え付いたの」
「え、何?」
ショウが起き上がる。
「い…に…よう…」
「え?何て?聞こえないよ」
ショウが起き上がる。
私は覚悟を決めて、はっきりと言った。
「一緒に寝よう」
「それ、罰ゲームじゃないじゃん」
そう言って笑った。優しい顔だった。
ショウは立ち上がり、そっと私を抱きしめた。
「いいの?」という言葉に、私は黙って頷いた。
明かりを落とした部屋でショウと抱き合う。覚悟なんて大げさなことはいらなかった。
いざ身を任せてみると、こんなにも自然なことだったなんて。
そして、こんなにも幸せな気分だ。朝までとはいかないけど、何度か抱き合い眠りについた。
翌朝、あまり寝ていないにもかかわらず、いつも通りに目が覚めた。
ベッドを抜け出し窓の外を見ると、あいにくの雨。でも、心は晴れやかだった。
ベッドではまだ、ショウがぐっすり寝ている。もう一度ベッドに入り、ショウに寄り添うと、寝たまま私に抱きついてきた。
そっと頭を撫でてみる。愛おしい。
やんちゃで、我が儘で、無邪気なショウ。時折見せる大人の男の表情がたまらなく好きだ。ずっとこうしていたい気持ちになった。
あれ?携帯、鳴ってる。
起こさないようにそっとベッドから抜け出し、電話に出る。
今日、予約が入っていたお客様からだ。要件を聞いて電話を切ると、顔がニヤける。
都合が悪くなったから、今日の予約はキャンセルしたいという連絡だった。
神様なんて信じたことなかったけど、今日は信じる。神様ありがとう。これで1日、ゆっくりショウと居られる。
私はまたベッドに潜り込み、ショウの寝顔を眺めた。
また、抱きついてくるが、今度は様子がおかしい。
「ん?起きてるの?」
「起きてる。…ここも」
そう言って布団の中を覗き込んだ。
「変態」
「変態でーす!」
と叫んで襲うフリをした。
馬乗りになったショウは優しくキスをして、せっかく着けた私の下着をまた、脱がせた。
夕方、打ち合わせがある、とショウは後ろ髪惹かれながらうちを出た。
軽く食事を済ませ、お風呂に入る。まだ、ショウの手の感触が残っている。あの綺麗な手は間違いなく、男の手だった。
第7章
年が明け、ショウと出会ってから1年近くが経とうとしていた。
2人の事が公認となって以来、楽屋にも頻繁に顔を出すようになり、他のメンバーやスタッフの方とも仲良くなった。
元旦、初詣は美雨やメンバー全員と行くことになった。
ショウの爪はいつも綺麗にネイルが施され、ファンの間でも評判がよく、トレードマークにもなりつつある。
もちろん、私がしたものだ。私はショウの綺麗な手と、ピカピカの爪、それを嬉しそうに眺めるショウの笑顔が何よりの宝物だった。
初詣の帰り、少し先を歩いていた美雨とベースのアキラさんが顔を見合わせ、くるりと振り返ると、重大発表がありますと言った。
みんな、顔を見合わせて首をかしげている。アツムさんだけは2人を見てニコニコと微笑んでいた。
「私たち、結婚することになりました!」
「え?聞いてない!美雨、本当?どういうこと?」
「ごめんね、涼夏。事情があって話せなかったんだ」
「そうなの?びっくりだけど、おめでとう」
メンバーも、アツムさん以外は知らなかったようで、ビックリしている。アツムさんが二人の仲を取り持ったようだ。
ショウはアキラさんにおめでとうと言い、大げさに冷やかした。
美雨は私の手を取り、「お先に」と言った。その勝ち誇ったような顔は、幸せに満ちあふれていた。
「いつ?」
「入籍は来月の予定だけど、式はまだ決まってないの」
美雨は私の耳元で囁いた。
「そっちはまだ?」
あれ以来、半同棲みたいな生活になり、一緒に居る時間が多くなった私たち。
それでも、なんとなく結婚なんて先の事だと思っていた。
私はこの夏、28歳になる。
その日の夜、お祝いをしようと急遽アキラさんの家で集まることになった。
初詣の帰り、ショウと二人でお祝いを買いに行き、アキラさんの家へ向かう。タックシーの中でショウは珍しく無口だった。
アキラさんの家に着くと、もうみんな集まっているのか、ドア越しに賑やかな声が聞こえた。
改めてお祝いの言葉を掛け、お祝いを渡し、乾杯をする。みんなで美雨特製の鍋をつつきながら、いっぱい飲んで、いっぱい笑った。
鍋も空っぽになり、男同士は何やらこそこそと内緒話をしながら盛り上がっていた。
と、ショウがいきなり立ち上がり、「えー、私からも重大発表があります」と言った。
結構飲んだはずだけど、あまり酔ってはいないようだ。
メンバーのみんなはニヤニヤと笑っている。
何事だろうか?
私と美雨は「何?早く」と急かした。
「俺は今日、公開プロポーズを敢行いたします!」
私はショウの顔を二度見した。
美雨は私の手を握り、もう大喜びしている。
私の前まで来ると、王子様よろしくひざまずき
「涼夏。俺と結婚してください」
と、手を差し伸べた。
歓声が沸き起こる。美雨は自分のことのようにはしゃいだ。
私ひとり、状況が呑み込めず、あたふたしている。
アツムさんが見かねて口をはさんだ。
「涼夏ちゃん、答えてやってよ。ずっと考えてたけど自信がなくて言えなかった言葉なんだ。
アキラの事があって、やっと決心がついたんだよ」
ショウは「お願いします」と、再度手を差し伸べた。
私はみんなの顔を見回すと、頷いて
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と差し出された手を取った。
ショウは「やったー!」と叫び、無理やりメンバー全員のほっぺにキスをして回り、ヒンシュクを買っていた。
最後に、嫌がる私にキスすると
みんなが拍手や歓声で祝福してくれた。
メンバーのみんなは「久しぶりに男同士で飲み直す」と言うので、私は美雨と二人でアキラさんの家を出た。
「おめでとう、涼夏」
「ありがとう。ってかぜんぜん聞いてなかったからびっくりしたよ」
「んー、実際、私たちの事がなかったら先になってたのかもね。ずっと言いたかったみたいだけど」
「知ってたの?」
「アキラくんから聞いてた」
「そうなんだ」
「結構早くに意識してたみたいだよ?でも、その頃は出会って間もないし、自信がなかったんだろうね、きっと」
「そっか。のんきに毎日楽しく過ごしてたのは私だけか…」
「その楽しそうな涼夏を見て、大丈夫って思ったんじゃないの?ショウさんも」
「そうなのかなあ」
「きっとそうだよ」
「そっか」
美雨とこうしてゆっくり話すのも久しぶりな気がした。
私もショウと居る時間が多くなり、美雨もその時は言わなかったけど、会う時間がなかったのはきっと、
アキラさんと一緒にいたんだろうな、今思えば。
それから美雨はアキラさんとの事を少しだけ話してくれた。
アキラさんとは、最初不倫から始まったのだと言った。前の奥さんとの離婚が決まり、落ち着いたので、結婚できるようになったのだと。
「ほんと、わたしばっかり何にも知らなくて嫌になっちゃうよ」
「そんなことないよ。これはアツムさん以外知らなかったことだし、本当に誰にも言ってなかったから。ごめんね」
「ううん。でも、色々あったけど、よかったね」
「うん」
しばらく2人とも黙り込んで歩いた。
美雨は急に立ち止まり「そうだ」と、手を叩いた。
「何?突然」
「ねえ、涼夏、結婚式一緒にしない?」
「え?一緒に?」
美雨は時々、突拍子もないことを言って驚かせる。
「そう。どっちも友達同士だし、披露宴もどうせ呼ぶ人だいたい同じだし」
確かに。そんなことが本当に可能なのか分からなかったけど、親友である美雨と一緒に結婚式をあげられるなんて、幸せなことだと思った。
「じゃ、2人にも聞いてみようか」
「うん」
美雨が嬉しそうに笑った。
「ねえ、美雨」
「ん?」
「ずっと友達でいようね」
「何よ、急に」
「いいじゃない。そう思ったの」
「うん。いよう、ずっと」
私と美雨は色んな話をしながら、子供のように手を繋いで歩いた。
メンバーはお正月が終わるとツアーが始まり、県外へ出ていることが多くなる。
美雨と相談して、ツアーに入る前に合同結婚式の事を話すことにした。
2人ともノリノリでOKし、その方向で話を進めることになった。
ツアーの合間を縫ってお互いの両親に挨拶に行き、結婚式の件も了解を得ることができた。
式の日取りは、バンドの所属しているレコード会社や両家とも相談し、6月頭にリリースされる新しいミニアルバムの発売後となった。
バンドのHPには、ミニアルバムの発売の予告と、「6月、何かが起きる!」と題打たれていた。
実は「いい宣伝になる」と、所属レコード会社の社長が、音楽雑誌とタイアップして、
合同結婚式の様子を雑誌に取材させることになったのだ。
私と美雨は「大ごとになった」と慌てふためいているのに、ショウとアキラさんは「面白いじゃん」と乗り気である。
雑誌に載るなんて…。式ではああしよう、こうしようと盛り上がっている2人を尻目に、私たちは
「エステとか、行った方がいいかな…」
「そうだね、雑誌に載るんだもんね…」
「いっそ覆面でもかぶる?」
「それはまずいでしょ」
ため息とともに、そんな言葉しか出てこなかった。
実際に日時が決まると忙い2人に変わり、美雨と二人で式場の手配や段取りを担当することになった。
人数も多いし、特殊な式なので大変だ。
でも、美雨と一緒だから、楽しくてしょうがない。一番時間を取られたのはドレスの試着だ。
といっても、2人であれもこれもと片っ端から試着しまくり、お互い写メを取って盛り上がっていたからなのだけど。
こうして花嫁2人が楽しんでいる間に、水面下ではメンバー間で不穏な空気が流れ始めていた。
主にショウとアツシが揉めていた。
音楽のことでの些細な理由のようだが、式まであと1か月、肝心のふたりが揉めるなんて、美雨も私も気が気じゃなかった。
アツムさんは「マリッジブルー男バージョンだよ。それとも更年期障害かな」と言って笑わせたけど、
あの様子だと、本当は笑ってる場合じゃないようだった。
相変わらず、ぎこちない空気のままだったが、なんとか仲を取り持ち、式まであと三日となった日、事件が起きた。
2人がスタジオで喧嘩騒ぎを起こしたのだ。殴り合いになり、2人とも怪我をしたようだ。
美雨と病院へ駆けつけると絶句した。ショウは左手にギプス、アキラさんはあちこちにガーゼを貼り、2人とも顔が腫れ、血が滲んでいた。
「何やってんの?!」
美雨が怒鳴る。
二人は目を合わさず黙り込んだままだ。
「一体なんなの?もうすぐ式なんだよ?どうすんの?」
やはり黙り込んだままだった。
先に来ていたアツムさんが黙り込む2人の肩を抱き、
「ま、ちょっと話し合えばなんとかなるから。今日は帰って。せっかく来てくれたけど」と言った。
「俺は涼夏と帰る!」
ショウがアツムさんの手を振り払った。
と、アツムさんがショウを殴った。
「いつまでもくだらないことで揉めてんなよ」
次はアキラさんの胸ぐらを掴み、怒鳴った。
「お前もだ!」
私は美雨に「帰ろう」と声を掛け、病院を後にした。
仕事の途中で出てきた美雨は、心配そうだったが仕方なく仕事に戻った。
私は気になって帰ることができずに、病院近くの公園のベンチに座った。
1時間くらいが経っただろうか。ショウから連絡があった。
「さっきはごめん」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「何が?」
「全部」
「いったい理由はなんなの?」
「話すまでもない、しょーもない事さ。でも、お互いなんか意地はっちゃって引けなくなった」
「仲直りできないの?」
「んー。たぶん、お互い分かってるんだけど、大人になると素直になれなかったり譲れない時ってあるでしょ。
このままじゃダメなことくらい2人とも分かってるさ」
「じゃあ、ショウが折れればいいじゃん」
「簡単に言うなよ、何も知らないくせに」
珍しく声を荒げる。
「あっそう。もういい。何も分からないから、もう、何も言わない。じゃあね」
一方的に電話を切った。切った後、ショウが言っていたのは正にこういう状況だったのかな…と思って苦笑した。
どうせ、すぐに掛けなおしてくるだろうと高をくくっていたけど、ショウからの連絡は一向に来なかった。
私たちまでダメになっちゃうのかな…。
連絡のないまま朝を迎え、私はその日の予約を全てキャンセルし、朝からずっとソファでグダグダしている。
ああでもない、こうでもないと、とりとめのないことを考えているうちにソファで寝てしまっていた。
「ピンポーン」
インタホンの音で目が覚める。部屋が薄暗い。もう夕方になっていた。
ドアを開けると、ショウが立っている。
「なんか、傷、増えてない?」
「気のせい、気のせい」
ずかずかと部屋に上がりこみ、床に正座して座ると、
「すまなかった」
と土下座した。
顔を上げると、照れくさそうに笑って
「もう、解決したから。大丈夫だから」
と言った。
明後日の式も、何の問題もないから安心してほしいと。
そう言うと、ショウは携帯を取り出し、誰かに連絡をした。
繋がると「ちょっと待って」と携帯を私に手渡す。
「もしもし…?」
「あ、涼夏ちゃん。アキラです」
アキラさん…。
「この前はごめんね。聞いたと思うけど、ちゃんと仲直りしたから。今回の事は反省してる。
どっちも悪かったんだけど、最後はショウの方が大人だったよ。ちゃんと謝ってくれたし、最後に一発ずつ殴り合って終わりにした」
やっぱり。傷が増えてるのは気のせいじゃなかった。
「そうですか、わかりました」
ショウに携帯を返すと
「すまん、ありがとう。じゃ、次は式でド派手に行こうぜ」
と、笑っていた。
男同士ってこんなもんなんだろうか。殴り合って仲直りなんて到底理解できなかったし、
病院で見た二人はもはや修復不可能だと思うくらい険悪なムードだったのに、今はもうこうして笑っている。
喧嘩するほど仲がいいってことなのだろうか。
ともかく、一件落着して無事に式を迎えられそうだ。
でも、改めてショウを見ると、ため息が出た。
顔中傷だらけで、左腕にはギプス。アキラさんもだけど、こんな新郎見た事ないわ。
ショウは何事もなかったかのようにニコニコしている。
そして思い出したかのように
「あ、そうだ。爪、やってよ」
と言った。
「え?爪?」
「そう。結婚式仕様にしようぜ」
その夜、徹夜して2人でお揃いのネイルにした。正確には2人合わせて1つになるデザインだ。
2人とも職業柄、結婚指輪はいらないなあと話し、買わなかった。
その変わりと言ってはなんだけど、「ペアリング」ならぬ「ペアマリッジネイル」だった。
第8章
まだ夢の中なのだろうか、えらく気持ちいいな…ふわふわしてる。鳥もあんなに鳴いて…。
「!」
「違う!目覚まし!」
夢と現実の狭間から我に返り飛び起きた。
今日は結婚式当日だ。
隣を見ると、ショウがまだぐっすりと眠っている。
「起きて!」
今日ばかりは遅れる訳にいかないのだ。
身支度を整えて、式場に到着すると、美雨はもう控室に入っていた。
ショウの左腕はというと、もちろん治っておらず、顔の方はなんとかはれがひいた程度で、アキラさんも傷がまだ痛々しい。
着付けを担当した式場の人が、2人のその姿を見て、笑顔をひきつらせていた。
格闘家でもあるまいし、こんな新郎ありえないけど、これもいつか、いい思い出になるんだろうな。
美雨と私は同じ部屋で支度をした。お互いの姿を見て、大げさに褒め合い、テンションは上がりっぱなしだ。
新郎新婦ともに支度が整い、待合室に通される。
先に待合室に入っていたショウとアキラさんは私たちを、見るなり「馬子にも衣装だねー」なんて茶化した。
私の両親も美雨の両親も、もうすでに涙を浮かべて鼻を鳴らしている。
ショウとアキラさんの両親は、「綺麗ね」と褒め、そして「こんな子たちで本当にいいの?」とこの期に及んで再確認して笑いを誘った。
しばらくするとアツムさんが待合室に入って来た。いつもとは違う、きちんとしたタキシード姿だ。今回、式の進行を買って出てくれた。
結婚が決まってから知ったことだが、アツムさんは既婚者だった。今日も奥さんが一緒に手伝ってくれることになっている。
そのアツムさんは、せっせと奥さんに飲み物を持って来たりと世話を焼き、意外なほど献身的だった。
その姿はまるで、女王蟻に餌を運ぶ働き蟻のようだった。
果たして、愛妻家なのか、それとも恐妻家なのか…。
とにかく意外な一面を垣間見たのは違いない。
さて、時間だ。
式もみんなに見届けてもらおうと、人前式にしたのだけど、式開始から異様な盛り上がりを見せ通常の「厳かな」式とはかけ離れていた。
まあ、私たちらしいのかもしれないけど。
アツムさんのおかげで披露宴も順調に進み、余興としてメンバーのミニライブが開催された。
ただでさえ大人数な上、かなり個性的(特に新郎側の来客だけど)な面子が揃ったおかげで、まるでお祭り騒ぎのようだった。
披露宴はまさに疲労宴となり、終わる頃にはみんなぐったりだ。
披露宴も終盤。
お決まりの両親への花束贈呈となり、ここくらいはしんみりするのかと思いきや、控室で涙を見せたうちの両親ですら泣くことはなかった。
たぶん、まじめな両親の事だから、この凄まじい結婚式の光景に、放心状態だったのだと思う。
最後にみんなで記念撮影となり、外のガーデンに皆が集まる。
人数が多いせいで普通に撮ると収まりきらないと、クレーン車を用意しての撮影となった。どれだけ大掛かりなんだ。
クレーン車から拡声器で支持を出すカメラマン。みんな最後の力を振り絞って精一杯の笑顔を見せる。
「いきまーす。最後です!」
拡声器からカメラマンの声がこだまする。
「はい、1たす1は?」
「2ー!!!」
みんな一斉にポーズをとる中、ショウだけが「わかりませーん!!!」と叫び、笑いが沸き起こる。結局何枚も撮りなおしたのだった。
後日、出来上がってきたアルバムには、集合写真だけで3ページも場所を取っていた。
カメラマン曰く、「あんまり楽しそうだったから、サービスです」って。
確かに、写真を見ると、1枚選ぶのは難しいくらい、どの写真もみんないい顔して笑っている。
私たちは、結婚が決まってから借りた新居のマンションで、数か月間、毎日のように2人でその写真を眺めては笑った。
ショウのギプスは取れ、顔の傷も完全に治っていた。
ショウは結婚式以来、お揃いのネイルがお気に入りで、毎回同じネイルにしようと駄々をこねて私を困らせる。
仕事柄、もうちょっと可愛らしいネイルをしていないとマズイのだけど。
今日からショウは全国ツアーに旅立って行った。簡単に夕食を済ませると、ソファに座り、今日もアルバムを開く。
大勢の人たちの真ん中には、傷だらけでふざけ合うショウとアキラさん。それを笑って見守る私と美雨。
結婚式の集合写真としてはミスショットだったのだろうけど、私はこの1枚が1番のお気に入りだ。
この写真に写る人みんなが、私の人生の中で見つけた宝物だ。
来年にはもう1つ大切な宝物が増える。
私はまだ膨らんでもいないお腹を撫でながら、アルバムを閉じた。
Story is connected to the nail ~Treasure Chest~
この物語はフィクションです。
実際にモデルとなった人物は実在しますが、物語には一切関係ありません。