お嬢様はプリンセス
Ⅰ
「翠(すい)」
「なぁに」
無理をして合わせることは苦手だ。
「職員室」
人気のない屋上前の階段。
それだけを言い、クラスメイトの彼女は去っていった。
「………………」
別に悪意はない。
お互いに。
「ふぅ」
変わってるのかな。そんなことを思う。
「あーん」
放りこむ。
「んー」
甘い。おいしい。
しゃわしゃわとつばを吸い、その代わりというように口の中全体に優しい甘さが広がっていく。
「はー」
おいしい。やっぱり。
鈴カステラ。
「なんで、コンビニにはあんまり置いてないんだろ」
知らない。
けど、そういうものだと思う。
わたしが決められることではないのだ。
「おいしそうだな」
「!」
飲みこんだ。
「んあっんんっ」
つっかえる。
甘みを楽しんでまったく噛んでいなかった鈴カステラの塊がのどを押し広げる。水分まで奪われて二重の苦しみだ。
「大丈夫か?」
大丈夫じゃない。はっきり言って。
「大丈夫ではないようだな」
こくこくこくっ。
「わかった」
何がわかったというのかわからないでいるところに、
「ほら」
差し出される。
湯気。そして豊潤な香り。
「あっ」
しまったというように、
「だめだな。このままでは飲めないな」
そう言って、
「ふーふー」
吹く。
「ほら」
あらためて。渡される。
カップとしても使える水筒のふた。
その中は琥珀色の液体で満たされていた。
紅茶だ。
それほど茶葉に詳しいわけではないが、その香りはいままでかいだことがないほど甘やかで奥行きと複雑さとを感じさせるものだった。まさに〝豊潤〟だ。
「『ふーふー』したからな。もう熱くないぞ」
「っ……」
わたしは、
「んんっ」
いただいた。その場で他の選択肢はなかったと思う。
「んっ……」
ちょっとまだ熱かった。それでも飲み干せないほどでなく、結果としてわたしは危機を乗り越えることができた。
「ふぅ」
一息。あらためて前を見て、
「!」
つややかな髪が差しこむ光を受けてゆれ輝く。
「………………」
凍りついた。
わけがわからない。いま自分が置かれているのがどういう状況かわからない。
「?」
けげんそうに首をひねる。そんなささいな仕種にも品の良さが漂うようだった。
「どうしたのだ」
どうしたもこうしたも――こっちが聞きたい。
「ふむ」
考えこむように腕を組む。
「あれだな」
「へ?」
きょとんとなるわたしの前で、推理を語る探偵のように人差し指をふり、
「つまり、あれだ。おまえは驚いているのだ」
「………………」
それはそう……だろう。
事実そうだし、それ以外に判断のしようがないと思う。
「ふむ」
またも納得したように一つうなずき、
「私が急に声をかけたから驚いたのだな」
こくこくこく。もうのどに鈴カステラはつまっていなかったが、思わず無言のままうなずいてしまう。
「そうか……」
流麗に響く声のトーンがかすかに落ちる。
「すまなかった」
「!」
驚いてしまった。もっと鮮烈に。
「あ……」
頭を下げられた!?
このわたしが。
この――特に何者でも何様でもない私立森羅(しんら)学園高等部一年・紀野翠(きの・すい)が!
「なんでですか!」
思わず。憤りの声をあげていた。
「む……?」
目を白黒される。わたしは『目を白黒』がこういうものだと初めて知った。
「なんでですか!」
彼女はますます目を見開き、
「むぅ……」
困惑の息をもらす。
「言われていることの意味がわからないぞ」
「意味がわからないのはこっちです!」
知っている。
知らないはずがない。
学年は一緒なのに思わず敬語になってしまうそんな相手――私立森羅学園高等部一年・鬼堂院真緒(きどういん・まきお)のことは!
「そうか」
ぽん。手を叩く。
「私が急に声をかけたから驚いたのだった」
「それはそうですけど!」
「理由を説明していなかったものな。それは『なんでですか』だな」
「は、はあ」
はっきり言うと微妙に違う。
急に声をかけられたことには確かに驚いたが、そのあとの謝罪がさらにわたしを驚かせたのだ。
(だってそういうキャラじゃないし! お嬢様だし!)
お嬢様――
彼女ほどその言葉がふさわしい女子を他に知らない。
まず、生まれだ。
鬼堂院。
それがかなりの資産家の名前だということは入学して早い段階で耳にしていた。
自分とはかかわりがない。
クラスも違うし。
普通は――そう思うだろう。
「思うだろうさ!」
「む……!?」
またも目を丸くされる。
はっと口に手を当て、
「つ、つまり、そういうことだから!」
「……むぅ」
またも不審な顔をされる。ていうか自分でどういうことかと思ってしまう。
「そういうことですから!」
言い直す。意味なく。
「なぜだ」
逆に来た。
「なぜ……」
かすかに目を伏せ、
「そのように他人行儀なのだ」
「……!?」
本当に何を言われてるのかわからなかった。
他人行儀!? だって――
「他人だし!」
「他人ではない」
はっきりと。
「他人では……ないぞ」
言って、目を伏せる。
たちまちわたしの中で罪悪感がふくれあがる。
(い……いやいやっ)
間違ったことは言ってない。
「他人ですから」
あらためて。気をつかいながらもそう口にする。
「わたしと鬼堂院さんは」
「他人ではない」
くり返される。
「同じ学び舎に通う者同士ではないか」
「あ……」
そういうことを――
「それは」
その通りだ。
「その通りです」
「その通りだろう」
言われた。
「ふふっ」
笑った。
「……!」
なんて――
「かわいい」
「む?」
「!」
またもの失言で手を口に当てる。
「い、いや『失言』ていうか本当にかわいいんだけど……ああっ」
「むぅ?」
またも首をひねられる。
「変わっているな」
「う……」
言葉の返しようもない。
「あ」
ぽんと。手を叩き、
「そうだそうだ、まだ用件を言っていなかったな」
こくこく。うなずく。
「聞きたいことがあったのだ」
「き、聞きたいこと?」
「そうだ」
うなずく。
「それだ」
指さしたのは、
「え……」
わたしの手にしていた――
「鈴カステラ?」
「鈴カステラというのか」
大きな瞳が輝く。
「なるほど。鈴のような形をしているな」
「う、うん」
うなずくしかない。
「おいしいのか」
「えっ」
これってつまり――
「あの」
おそるおそる、
「食べる?」
「いいのか!」
ぱぁっと。笑顔がきらめく。
まぶしいほどに。
「うん……」
うなずきながら、わたしは鈴カステラの袋を――
「それはだめだ」
「えっ」
何のダメ出し!?
「全部もらうわけにはいかない。そんなあつかましいことはできない」
「はあ」
あつかましいってほどでもないけど。
「じゃあ……」
差し出す。一つつまんで。
「あーん」
「!」
あっ……開けられたぁ!?
「あーん」
「………………」
ぼうぜん。
「む?」
不思議そうに目を開け(ていうかなんで『あーん』するときって目を閉じるんだろう)、
「どうしたのだ」
どうなってるのかこっちが聞きたい。
「どうなってるんでしょう」
聞いてしまう。また敬語に戻って。
「むぅ」
難しい顔になり、
「これもあつかましかったな」
「えっ」
「食べ物をもらうだけでなく、それを『あーん』で口にしようなどと」
「あ、いや、こっちから『食べる?』って聞いたんだし!」
先に進まない。
「はい!」
ちょっぴりヤケになって、
「はいっ!」
「む……」
つまんだ鈴カステラをつきつけられ、
「あーん」
再び開ける。
思わず見とれる。だってお嬢様の『あーん』なんてこの先また見られるなんて考えられないし。
(お嬢様の……)
そして気づく。
わたし、お嬢様相手の『あーん』に応えようとしてる――
これってある意味……餌付け!?
「あーん」
ハッ! 我に返って、
「お待ちください! ただいま!」
思わずかしこまった言い方になってしまう。召使いかわたしは!
「あむっ」
食べた!
「あむあむ」
咀嚼してる! ていか『ソシャク』って!
「……んっ」
飲みこんだ!
「ふーむ」
味わってる。いや、口に残った味をリフレインしてる。『味をリフレイン』――って言葉があるのかどうかは知らないけど。
「ふむ」
にこっと。
「おいしいな」
「……!」
わたしはもう、なんだか自分をほめられたみたいにうれしくて、
「おいしいよね!」
力説する。
「鈴カステラってね、鈴カステラなんだよ!」
「それは……そうだろうな」
「鈴でもなくてカステラでもないんだよ!」
意味がわからない。自分にツッコむ自分を感じつつも止まらず、
「だから、おいしいんだよ!」
「……うむ」
はっと。ようやく我に返る。
「あ……」
引かれた?
いや、引かれてるって完全に!
「ふふっ」
笑う。
「あははっ」
笑った。心からおかしそうに。
わたしは、
「………………」
またも見とれていた。
彼女の笑顔――お嬢様らしく口に手を当ててとかでなく、心をそのまま表にあらわしたという感じで本当にうれしそうに笑うのだ。
なんだか、こっちまでうれしくなってくる。
人を幸せにする。
そんな笑顔だと思えた。
「おもしろいな、おまえは」
「はは……」
照れてしまう。
「おっと、『おまえ』は失礼だな」
「ううん、いいよ!」
あわてて、
「好きなように呼んでもらえたら! おまえでも貴様でも汝でも!」
「むぅ」
またも困ったような顔に戻り、
「おまえの言うことはおもしろいが、そこはきちんとしなくてはな」
「ははは……」
やっぱり照れてしまう。
「私は鬼堂院真緒だ」
「うん」
知ってる。
「わたしは紀野翠」
言う。
「翠か」
「あ、でも呼びづらかったらおまえでも貴様でも」
「ふふっ」
笑われる。
「ははっ」
笑う。
わたしは――
「はぁ……」
幸せな気持ちでいっぱいだった。
Ⅱ
「おい」
「! ひ、ひゃいっ」
変な汁が出た。
「ああっ!」
かかっていた。目の前にいた先生の顔に。
正確には教育実習生だけど……っていまそこは問題じゃなくて!
「ご、ごめんなさいっ!」
先生は――
「……ひっ」
殺されるかと思った。
シャレにならないって、この威圧感は!
「ううぅ……」
眼光だけじゃない。
デカい。
大きいんだよ、この人!
もう日本人とは思えなくて。外国だってこんな大きい人はきっとそうはいなくて。
教室に入るときも、いつも窮屈そうに身をかがめてる。
そんな大きな男の人が小さな椅子にどっしりと腰かけている。
で、むすっとした顔でわたしと向かい合っている。
こ……怖いって!
「どうしたの」
そこに、
「あ……」
露骨にほっとなってしまう。
その女の先生は、
「だめじゃないですか」
調った顔立ちのそのままで。自分よりはるかに大きな相手のことを軽くにらむ。
「また生徒を怖がらせたりして」
「怖がらせるつもりは」
もごもごと口の中でつぶやくところへ、
「言いわけですか」
「っ」
ごまかしは許さないというかすかな強さのこもった声に、大きな身体が反応を見せる。
「………………」
すっと。
精悍な表情が引き締まる。
そして、こちらを見て、
「すまなかった」
「あ……いえ」
あやまられた。逆に怖いっていうか。
「ぼーっとしてたのはわたしですから……」
それだけじゃなくて、よだれまで垂らしかけてた。
……恥ずかしい。
けど、インパクトありすぎたって!
職員室に来る直前の――あの鬼堂院さんとのやりとりは!
(かわいかったな……)
「おい」
「!」
またもよだれを出しそうになっていた自分に気づき、あわてて口もとを隠す。
かすかに首をひねりつつも、それ以上詮索する気はないというように手もとの書類に目を落とし、
「クラス委員への連絡事項だ」
「お、おす」
「?」
またも首をひねられるも言葉は続き、
「本日の放課後、生徒会室で定例の報告会が行われる。各組のクラス委員も参加するように。以上だ」
「えっ……」
きょとんとなる。
「それだけ……ですか」
「………………」
かすかに戸惑ったように目をそらされる。
思い出す。
威圧感たっぷりな見た目でついつい忘れるが、この人はあくまで教育実習生なのだ。
「真面目なの」
フォローするように同じく教育実習生なその人が口を開く。
「担当の先生にただ『念のため伝えておいて』って言われただけなのにね。念のために念が入りすぎちゃったっていうか」
「はあ」
わたしは思わず、
「お二人って付き合ってるんですか」
ガタタッ! 椅子を倒すほどはげしく動揺してみせたのは男の先生のほうだ。
「な、何を、俺は、そんなつもりでは」
どんなつもりだ。
「ふふっ」
笑う。彼よりはるかに余裕のある感じで。
「親友の弟なの」
言う。
「中等部に転入してきたときから、その子とはずっと友だちでね」
そういえば彼女――五十嵐柚子(いがらし・ゆこ)先生はこの学園の出身だと聞いたことがある。
あらためて先生を見る。
美人だ。
鬼堂院さんのような印象とは違う。けどやわらかく優しさを感じさせる表情や、親しみやすそうなその笑顔は、間違いなく美人の条件を満たしていると思えた。
「あっ」
気づく。
「弟って……」
教育実習生として、目の前の二人は同期のはずだ。
あ、いや、年齢が同じとは限らない。浪人や留年といったこともあるだろう。そもそも『親友』の人が年上という可能性だってある。
「あの」
わたしはなんとなく、
「その親友さんも先生を目指してたりするんですか」
「ううん」
笑顔のまま首をふる。
「正義の味方」
「は?」
「ヒーローなの。わたしの親友って」
「………………」
当然のように声をなくしてしまう。
と、そんなわたしの前で、
「花房(はなぶさ)先生」
「お、おう」
呼ばれた先生が心持ち背筋を正す。
「だめですよ、そんなに固くなってると。本当の先生になったとき生徒が好きになってくれませんから」
「いや……俺は親父みたいに」
「だったら」
にっこり。ちょっぴり強めの笑顔で、
「笑ってください」
「う……」
「笑って」
完全に追いつめられた顔になったところへさらに、
「お父さんはいつもニコニコしてるでしょ」
「それは」
「してるでしょ」
「……してる」
「だったら」
目に力がこもる。
「笑いなさい」
「く……」
彼――花房樹央(はなぶさ・じゅお)先生は、
「……努力する」
「うん」
いまはそれでいい。そんな笑顔で、
「がんばって」
「………………」
うつむいたまま、先生はこくりとうなずいた。まるで大きなぬいぐるみのように、その姿はなんとも言えず愛らしかった。
気づく。
職員室のみんなが微笑ましげにこちらを見ている。
やはり出身校ならではというべきか。
「おい」
「あ、はい」
再び声をかけられ、びっと気をつけをする。
「行っていいぞ」
「えーと……」
「連絡事項はすべて伝えた。よけいなお世話だったようだが」
「あ、いえ、確かに今日の委員会のことは言われる前にもう知ってましたけど、それでも先生がわざわざ教えてくれたんですし」
ぷっと。五十嵐先生がふき出す。
花房先生は苦り切った顔で、
「行っていい」
「はあ」
「ほら、もう行きなさい。いつまでも先生をいじめないの」
いついじめたことになるんだろう。
五十嵐先生の言葉に首をひねりつつ、わたしは言われた通りに職員室を後にした。
Ⅲ
交換留学生――
留学生。
つまり本来はうちの正式な生徒じゃない。
そんな人が、わたしの学校では生徒会長だったりする。
(すげー)
いつも思ってしまう。
「そこ!」
「う……」
「『う』?」
眼鏡が近づいてくる。もちろん眼鏡と一緒にそれをかけている顔も本人も近づいてくる。
わざわざ座っていた席から立ち上がってだ。
(わたしのために……)
うれしい。
「紀野さん」
(わたしの名前、おぼえてくれてる……)
さらにうれしい。
「紀野さん」
にらまれる。遊びのまったくないシンプルな眼鏡越しに。
「ちゃんと話を聞いてた?」
「はい」
聞いてませんでした。
「聞いてなかったんですね」
読まれた。
……うれしい。
(やー)
うすうす気づいてたけど、わたしって――
(好きなんだなぁ)
鬼堂院さん。そして目の前の会長。
高貴っていうか……気高いっていうか。
たまらなく。
引かれてしまう。
クラス委員になったのも、そういう人たちとお近づきになれるかもって期待があったからだろうな。
「紀野さん」
静かに。けどきっちり威圧感をこめて。
(ちっちゃいのに……)
ちっちゃい。
小さい。
とても二年先輩とは思えない。
そんなかわいらしさで気丈な姿を見せるところが、またたまらなくわたしの心をくすぐってくれて――
「あ」
気がつく。
ぷるぷると、
「わたしを馬鹿にしているの」
「馬鹿に……」
していない。しているわけがない。
心から愛でている。
「馬鹿にしてる」
駄々っ子のように。
「う……」
その目に涙がにじんだ瞬間、
「会長!」
生徒会のメンバーがいっせいに立ち上がる。
「会長、お茶を!」
「お菓子を!」
「白姫ちゃん人形を!」
たまらない。
なんて愛されてるんだろう、式居織(しき・いおり)会長は。
「もぐもぐもぐ」
大判のクッキーを食べながら、
「むふふふふー」
もう一方の手でふにふにと白い馬のぬいぐるみの感触を楽しむ。
その間にも、眼鏡の向こうの厳しい目はこちらに向けられたままなのだ。
(ああ……)
やっぱりたまらない。
「っくん」
クッキーを食べ終わり、そこへすかさず差し出された紅茶を飲み干す。
一息に。
きっと温度調整は完璧なのだろう。
生徒会の彼女への愛からそう確信できる。
そもそも、留学生である式先輩を会長へと持ち上げてしまったのは彼らなのだ。以後、生徒会役員というか親衛隊として――
「紀野さん」
何事もなかったように。再びわたしの名前を呼ぶ。
「うわぁ……」
「『うわぁ』じゃありません」
くいくい。眼鏡を押し上げ、
「これからそのような態度は控えるように」
そう言い残し、席へと戻る。
その後ろ姿。
ちっちゃいなあ。
ちっちゃかわいいなあ。
「では、聞いていなかった人がいたようなので、もう一度説明させてもらいます」
きりりと。言う。
聞いてなかった人――あ、わたしか。
「今回の留学生の件については特例ということで」
「留学生!」
ガタガタタンッ!
「紀野さん……」
いらりと。ちっちゃな身体から怒りのオーラが立ち昇る。けど、わたしはそれを気にかけてる余裕なんてなくて、
「行っちゃうんですか!」
「行っちゃう?」
「だって」
そういうことになるだろうさ!
「会長、交換留学生なんですから、新しく留学生が来たら交換で」
「本来なら」
こちらの言葉をさえぎり、
「わたしが生徒会長になっているということ自体があり得ないことです」
いや、それはあり得ていい。
かわいい子には権力。それがわたしの理想だ。
「紀野さん」
正しく権力を持ってくれた人がこちらをにらみすえ(かわいいなぁ)、
「あなたはわたしがいなくなったほうがいいのではないの」
「とんでもない!」
声を張り上げる。まっこととんでもない。
「う……」
眼鏡の向こうの目が戸惑うように泳ぐ。
「とんでも……」
どう反応すべきかわからないといった感じだ。
「会長!」
さらに踏みこむ。
「ずっと会長でいてください!」
「……!」
直後、
「会長!」
「その通りです、会長!」
「ええっ!?」
巻き起こる拍手に完全にあぜんとなり、
「やっ、やめなさい!」
「やめないでください!」
「いえ、その、そういう意味ではなくて」
やまない拍手。
「こほん!」
わざとらしい咳払いが出る。けど、それをちっちゃな会長がやってると思うともうたまらなく――
「やめなさい。そういう目で見るのは」
「見ちゃだめですか」
「だめです」
「くっ!」
わたしは無念の思いで顔ごと目をそらした。
「ふぅ」
やれやれと。そんなため息が聞こえる。
「では、留学生については、みんな気をつかって応対してあげるように」
「もちろんです!」
思わずまた正面を見て、
「だって、会長も留学生じゃないですか! 留学生が増えるってことはつまり会長が増えるってことで」
「止まりなさい」
冷静に。
そして生徒会役員たちがガードするように会長の前に立ちはだかる。
……ちぇっ。
しぶしぶ。座り直す。
「紀野さん」
あらためて。
「くれぐれもわたしにするような失礼なことはしないように」
「失礼なこと?」
心当たりがない。またもやれやれとため息がつかれ、
「あなたのために言ってるの」
その場の一同を真剣な目で見渡し、
「みんなも。決して無礼はないように」
無礼はないようにって――
「!」
はっと。
(ま、まさか)
会長がそんなに気をつかう相手ってことは――
お嬢様!?
(鬼堂院さんみたいな……)
たまらず、
「うふ……うふ……うふふふふふ」
周りの引く気配、そして会長が意識してこちらを無視しようとする気配を感じたものの、わたしはこみあげる笑いを抑えられなかった。
Ⅳ
「あっ」
放課後――
「き……ききききき」
鬼堂院さん!
見間違えるはずがない。見間違えようもない。
たくさんの友だちに囲まれて歩いている中、遠目でもその〝お嬢様〟なオーラははっきりと感じることができた。
正直――
いままでは近づきがたかった。
だって、本物だから!
本物のお嬢様だから!
ヘタレなこのわたし――そんなにお嬢様が好きならそういう高校を目指せってハナシなんだけど、実際はできなかったわたし。だって、本物のお嬢様学校ってことはきっと本物のお嬢様がいて、そんなところで過ごしたらオーバーヒートしてどうにかなっちゃいそうで――
まあ、成績がぜんぜん足りないってのもあったんだけど。
そんな中、こうして入学した普通の私立高に鬼堂院さんがいたのは奇跡だった。
しかもしかも!
なんと、向こうから声をかけてきてくれたのだ。
どんな奇跡だ!
これって、これって――
当然、こっちからも声をかけていいってことだよな!
「き……」
けど、
「………………」
で……できるかぁーーーーっ!
ヘタレだぞ、わたしは! しかもいろいろこじらせてる!
「うぅ……」
こうなったら――手段は一つ。
(こっそり、ついてこーっと)
――そして、
「うーん」
わたしは迷っていた。
「どうしよう」
誰に聞いてるんだ。
けど、誰かがいたら聞きたい。
誰もいない。
鬼堂院さんの周りにも。
つまりいま彼女は――一人だ。
「うーん」
あらためて。
迷う。悩む。
(い……いいのかな)
声をかけて。
(いいんだよね)
そう思いながらも踏み出せない。
ただ一定の距離を保って後ろをついていくだけ。
って、完全にストーカーじゃん!
「う」
そのときだった。
「……え?」
ちなみに『う』はわたしが口にした言葉じゃない。
言葉っていうかなんていうかだけど。
「うー」
「え? え?」
背後から。
響く――『う』が。
「!」
ひやりと。
「………………」
あ、あり得ない。
いやいや、きっとカン違いだ。
だってこれ……背後からわたしののどに当てられてるのって――
刃物!?
「こら」
はっと。
「あ……」
いた。すぐ目の前に。
「き、きど……」
怒るような彼女の眼差しはわたしの後方に向けられていた。
「こら」
再び。
「だめではないか、ユイフォン」
「う?」
背後の『う』が首をかしげる気配を感じる。
「だめ?」
「そうだ」
鬼堂院さんがうなずき、
「そのように刀をのどに当てたりしてはだめだ」
ええーーーーーーっ!
「か、刀!?」
「う!」
はっとしたようにのど元から冷たい感触が離れる。
「動いたら危ない。本当に切れる」
「あ……ご、ごめんなさい」
って、なんでわたしがあやまってるの!?
「すまなかったな」
「!」
鬼堂院さんがわたしに顔を寄せる!
「うー」
そこへ不満そうな『うー』が聞こえ、
「ユイフォン、悪くない」
「こら」
「あっ……」
せっかくの鬼堂院さんの顔が離れてしまう。そしてまたわたしの後ろを見て、
「ユイフォンもあやまるのだ」
「……悪くない」
子どもがすねるような調子で、
「媽媽、危なかった」
「私が?」
「う」
うなずく。
「だって」
背中に視線が突き刺さる。
「あやしかった」
「む?」
「媽媽のあとをつけてた。媽媽が一人になるまで」
「そっ、それは」
とっさに言いわけしようとして――
「う……」
どう言いわけすればいいのさ! 一人になるまであとをつけていたのは事実だし!
「そうなのか?」
気品のあるまなざしが再びこちらを見る。
「あの……それは……」
どう言えばいいんだ? 考えろ! 考えろ、わたし!
「そうか」
「えっ……!」
考えが出る前に鬼堂院さんは何かを納得したようにうなずき、
「そうだったのだな」
「そ……」
そうです――って言っていいのだろうか、この場合。
「こら」
わたしの後ろを見て、
「乱暴なことをしてはだめだ。私の友だちに」
「と――」
友だち!?
わ、わたしが鬼堂院さんの……友だち?
「翠は照れ屋なのだ」
しかも、名前で呼ばれてる!
「だからな」
言葉は続き、
「私に声をかけづらかったのだろう」
「そ……」
それはその通りだ。その通りなんだけど――
(鬼堂院さんがお嬢様すぎて……)
きりりと歩くその姿に見とれていた――なんて言えるはずがない。
「うー」
口ごもったわたしをまたも不審に思ったのか、
「やっぱり、あやしい」
「こら」
語気が強まる。
「友だちを悪く言ってはだめだ」
すると、
「……う……」
かすかに『う』が弱々しくなる。
「う……うぅ……」
「!」
驚く。
(な……泣いてる!?)
そんな『う』に、
「ユイフォン」
鬼堂院さんの声がやわらぎ、
「すまなかった。おまえは知らなかったのだものな」
「……知らなかった」
「だな」
そう言って、わたしの脇を通り過ぎ、
「よしよし」
「!」
な……なでなでしてる!?
「うー」
悲しそうな息がやわらぐ。そして、
「ごめんなさい」
「!」
あやまられた。思わずふり返る。
「っ……」
耳の下くらいに。髪を切りそろえた女の人がいた。
どことなくぼうっとしているその顔立ちは、きっちり着こなされた黒いパンツスーツという姿からはかなり違和感があった。
が、それより何より、
「う……」
日本刀――
持っている。思いっきり。
(これが……)
わたしののどに当てられてたのか。マジでか!
「ごめんなさい」
深々と。あらためて頭を下げられる。
「すまなかったな、ユイフォンが」
鬼堂院さんまでも。
「……!」
たまらず、
「だ、だめっ!」
「む?」
「う?」
鬼堂院さん、そしてユイフォンと呼ばれた人も首をひねる。
「お嬢様がそんな……だめだよ!」
「だめ?」
二人が顔を見合わせる。
「何がだめなのだ」
「わからない」
と、ぼうっとした顔から一転、またするどい目がこちらに向けられ、
「あやしい」
「こらっ」
すかさず鬼堂院さんがたしなめる。
「なんでもあやしがってはだめだ」
「けど、ユイフォン、あやしがるのが仕事」
黒スーツの女性が言う。
「ユイフォン、警護隊長。守るのが仕事」
警護隊長――!
「うわぁ……」
お嬢様だ。これでこそお嬢様だ。
「えーと、その」
刀を当てられたことも忘れて思わずわたしは、
「鬼堂院さんを守ってるんですよね。お嬢様な鬼堂院さんを」
「うー……う?」
こちらに迫られ、戸惑うように目が泳ぐ。
「あの……」
「ユイフォンだ」
鬼堂院さんが言う。
「何玉鳳(ホー・ユイフォン)。私の――」
言った。
「娘だ」
「!」
む――娘!?
「えーと」
何を言われたのかよくわからなかったわたしは。
「ムスメって……娘?」
「そうだ」
「この人が? 鬼堂院さんの?」
「そうだ」
「………………」
わたしは、
(いやいやいや……)
ない。
だってどう見ても、黒スーツの人はわたしたちより年上で。
凛々しい鬼堂院さんに比べて、確かにぼうっとした感じではあるんだけど。
「うー」
「えっ」
またもにらまれる。
「あやしい」
「え? え?」
「信じてない」
「……!?」
「ユイフォンが媽媽の娘って信じてない」
「そ、それは」
だってそうだろうさ、普通は!
「こら」
いままでとすこし違った苦笑まじりの『こら』で、
「おかしいと思われて当然だ」
「おかしい?」
首をひねられてしまう。
けどよかった、鬼堂院さんにはまだ話が通じそうで――
「翠」
笑顔でこちらを見て、
「それでも、ユイフォンは娘なのだ」
「………………」
通じてくれていない。
(う……ううん!)
いやでも、お嬢様ってこういうものだし! 下々の者とは感覚っていうかそういうのが違って当然だし!
「わかってますから!」
「む?」
けげんそうな彼女にわたしは力をこめ、
「鬼堂院さん、お嬢様ですから! だから許されますから!」
「むぅ」
よくわからない。そう言いたげに眉根を寄せ、
「翠の言うことは難しいな」
「む、難しいですか」
「それとな、違うぞ」
「えっ」
違う――?
「私はお嬢様ではない」
「……!」
衝撃の一言だった。
「お嬢様じゃ……ない?」
「そうだ」
い……いやいやいやいやいやっ!
「お嬢様だし!」
「む……?」
「鬼堂院さん、お嬢様だし! ぜんぜんお嬢様だし!」
ほとんどムキになって、
「なんでお嬢様な鬼堂院さんがお嬢様じゃないとか言うの!? 意味がわからないよ!」
「むぅ」
またも困ったように、
「でも、本当にそうなのだ」
「本当にって」
「私はな」
すべてを包みこむと思える笑顔で。
彼女は言った。
「姫なのだ」
Ⅴ
手がふるえる。
(わ、わ、わ……)
かちゃかちゃかちゃっ。
ティーカップが受け皿に当たりまくる。
(あわわ……)
あたふたと。前方に目をやる。
鬼堂院さんは、
「?」
不思議そうにこちらを見つめ返し、何事もなかったように紅茶のカップを唇に当てる。
(ゆ……)
優雅だ。やっぱりどう見たってお嬢様だ。
「………………」
そこで、だけど確信がゆらいでくる。
(お嬢様じゃ……なくて)
姫。
鬼堂院さんはそう言った。
(姫って……)
もちろんギャルな人たちが言う姫系みたいなのとは違う。その言葉を、鬼堂院さんは真剣な顔で口にした。
(じゃあ、鬼堂院さんは)
姫――本物の。
(それって)
実はどこかの国の王家の血を引いてる……みたいな!?
あり得る! あり得そう!
「あ、あのっ」
思わず確かめそうになるも、あわててその言葉を飲みこむ。
さすがに踏みこみすぎだろう! 今日声をかけてもらったばかりなのに。
それなのに……もう友だちと呼ばれて。
しかも、こうして家にまで招いてもらって一緒にお茶してるなんて!
(あり得ない……)
しかし、それがこうしてあり得てしまっている。
(これ以上なんてあり得ない)
そういう結論になるさ。
「どうしたのだ」
「!」
言葉を途中で止めたのを不審に思ったのだろう。
「あやしい」
「こら」
じーっと。こちらを見つめるユイフォンさんを鬼堂院さんがたしなめる。
「う……」
ユイフォンさん。
そう、この応接間には、わたしと鬼堂院さんだけでなく彼女もいた。
一緒にお茶をしていた。
「警護隊長だから」
そう言っていたが、こういう場合、普通は警護対象の後ろに立っているとかではないのだろうか。
「娘だからな」
鬼堂院さんはそう言った。
娘だから一緒にお茶を飲む――ということになるのだろうか。
まあ、でも。
二人きりならもっと緊張してたかもなので、ちょっと安心してるところはある。
いや、日本刀持ってる人と同じ部屋にいるんだから、そっちのほうでもっと緊張するべきなのかもしれないけど。正直、子どものように叱られる姿を見ているせいか、いまはあんまり怖いって感じはなかった。
刀だって、どうせ相手をおどかすための偽物に決まってるし。
鬼堂院さんの家の伝統? みたいなもので、形式的に腰に下げてるだけっていうか。
と、そんなことを思っていたところに、
「翠はあやしいがあやしくないぞ」
(ぶっ!)
紅茶をふき出しそうになる。
ええっ、鬼堂院さんも『あやしい』って思ってたの!?
いや、挙動不審なわたしが悪いんだけど、いきなりこんな状況になったらあたふたしちゃうのが当たり前で――
「おまたせー」
そこに、
「紗維羅(シャイラ)さんの特製ケーキよー」
「おお!」
鬼堂院さんが目を輝かせる。
「今日もすごいな、紗維羅」
「そうでしょー」
うれしそうに身体をくねくねさせる。
「………………」
確かにすごい。
凝ったデコレーションのされたケーキはもちろんすごいんだけど、それを持ってきた人もまた――
「あーら」
「!」
わたしの視線に気づいたのか〝その人〟がこっちを見る。
「どうかした? アタシの顔に何かついてる?」
(ええぇ~……)
ついてるっていうか――
かぶってる。
(なんで……)
執事服姿のこの人は、なんで頭を全部覆うヘルメットをかぶっているんだろう。
しかも、前が透明じゃないから、どういう顔なのかまったくわからない。細いながらもそれなりにしっかりした身体つきの大人の男性であるのはわかるんだけど、じゃあこのしゃべり方は一体っていう――
ていうか、若干高めだけど声も男の人だよ!
最初にお茶を持ってこられたときからもうあぜんとなっちゃってたけど、あらためて目の前にしてもこの人は一体っていう――
「安心しろ」
鬼堂院さんが微笑む。
「最初にも言ったが紗維羅は家族だ。屋敷の中の仕事をみんなしてくれているのだ」
「うふふっ。万能執事ですものね」
執事――
やっぱりお嬢様っぽい。
そもそも、この家も思いっきり〝お屋敷〟ってカンジだし。
「けど家族って言ってくれてうれしいわ、姫様」
ヘルメットの人がソファー越しに鬼堂院さんに抱きつく。
(姫様……)
姫――
この人も鬼堂院さんのことをそう呼ぶ。
(やっぱり、本当にどこかの国の)
あらためてそう思う中、鬼堂院さんはくすぐったげに、
「何をいまさら水くさいことを言う」
「あら、感謝は何度してもいいのよ。ちゃんとカタチにして表さないと」
すると、
「うー」
鬼堂院さんが軽く目を見張る。
隣に座っていたユイフォンさんも負けじと抱きついてきたのだ。
「家族。ユイフォンも」
「そうだな」
「ユイフォン、媽媽(マーマ)の娘」
「そうだな」
(いやいやいや)
娘――はやっぱり違和感あるって。
まあ、甘えるユイフォンさんの頭を優しくなでているその姿は確かに〝母親〟を感じさせるものではあるんだけど。
「あ!」
そこでとんでもないことに気づかされる。
「ああ……あのっ」
いままで以上に大変なことを聞こうとしているのは自覚できた。
けど『それ』を知りたいという自分を止められず、
「鬼堂院さん……って」
わたしは、
「……結婚してるの?」
聞いてしまった! だ、だって、それならユイフォンさんも〝義理の〟娘ということで説明が――
「いるぞ」
「!」
「夫がな。私にはいる」
い、いるの? 本当に!?
こっちで聞いておいて何だけど、今日声をかけてもらったばかりのわたしがそんなことを聞いちゃって――
「ナイトランサーだ」
さらり。
「私の夫はな、ナイトランサーなのだ」
「……え」
ナイト……ランサー?
「白い仮面の正義のヒーローだ」
「………………」
わたしは、
(え……えーと……)
どうリアクションすればいいのだ、これは?
「爸爸(パーパ)」
そこにユイフォンさんまで、
「ナイトランサー、ユイフォンの爸爸」
自慢するように胸を張る。
「………………」
つまり――
これで一応の説明はつく。
その『ナイトランサー』というのが鬼堂院さんの〝夫〟でありユイフォンさんの〝父〟ということになれば、結果として二人は〝母子〟になるわけだ。
それにしても、
(仮面のヒーローって)
いろいろと信じられない。
鬼堂院さんがそんなことを口にして、しかも〝夫〟って――
(ツ……ツッコめないよね)
ツッコめない。
やはりというか鬼堂院さんの目は真剣そのものだったから。
「しろいかーめんは、せーいぎのかめん~♪」
「ええっ!」
う……歌い始めたぁ!?
「きみをたーすけにどーこへでも~♪」
「あ、あの」
さらに、
「やーってー、くーるぞ~♪」
「えええっ!」
ユイフォンさんまで歌い出した。しかも、うまいし!
「ぼくらのかーめーん~♪」
二人の歌声が重なる。
「………………」
あぜんとなるわたしの前で二人は歌い終え、
「『ナイトランサーのうた』だ」
にっこりと。そう言う。
パチパチパチ! ヘルメットの執事――紗維羅さんが拍手を送る。
「二人ともよかったわー」
「そうか」
「うー」
満更でもなさそうな顔の鬼堂院さんとユイフォンさん。わたしは変わらずあぜんとしたままだったけど。
「さー、おしゃべりも歌もそれくらいにして。せっかくのアタシの特製ケーキ、冷めないうちに召し上がれ❤」
「そうだな」
鬼堂院さんがうなずく。
(いや、ケーキは冷めないんじゃ)
そう思うわたしに、
「翠」
笑顔が向けられる。
「遠慮しなくていいぞ。鈴カステラのお礼だからな」
「は、はあ」
鈴カステラのお礼――
にしては、何から何まで過剰すぎるというか。鬼堂院さんとこうしてお話できて、しかもお屋敷にまで入れてもらって。
「あの」
いまさらながらこちらもお礼を――と思った瞬間、
「あーん」
「!」
つ……つきつけられたぁ!?
鈴カステラのときと同じ! いや、あのときはわたしが「あーん」させられたんだけど。
今度は鬼堂院さんが、
「あーん」
フォークで切り分けたケーキをわたしの前に!
「どうしたのだ」
不服そうに唇を曲げ、
「私が『あーん』するのはだめか」
「だっ」
だめじゃない!
い、いや、だめなのか?
だって、鬼堂院さんはお嬢様でお姫様なわけで、そんな人が下々のわたしに「あーん」なんてことを――
「おまえはしてくれたではないか」
「う……」
した。させてもらった。
けどあれは、わたしからお嬢様に『食べていただく』っていうカタチだから成立したというべきで、あ、いや『餌付け』とかとんでもないこと考えたりもしてたけど。
(あ……)
そっか、お嬢様に『ご褒美をいただく』みたいなのもありか。
なんて考えがぐるぐる回ってるところに、
「ほら」
来る。容赦なく。
「あーん」
「う……」
もう考えも何もかも吹っ飛んで、
「あ、あーん!」
食べた。
「ん……む……」
食べて――
「!」
わたしは、
「おいしい!」
鬼堂院さんが微笑み、紗維羅さんがうれしそうにヘルメットの頬部分に手を当てた。
Ⅵ
「はー」
翌日になっても――
「うふふふふー」
自然と笑みがこぼれてしまう。
はっきり言って自分でもあやしいと思う。
けど、止められない。
授業中は必死にこらえるけど、休み時間はこうして校舎裏にでも出ているしかなかった。
「はあー」
冷めない。ぜんぜん冷めない。
夢のようなというか、夢がかなったというか。
なんの努力もしてなかったのに『夢』なんて言うのはちょっと違うかもしれないけど。
(あるんだよねー、ああいうことも)
実際あったのだ。
あった。間違いなく。
「ふぅ」
さすがに自分を落ち着かせようとする。
落ち着かせようと――したんだけど、
「うぅ……」
ドキドキドキドキドキ。
(どうしよう……)
そう、どうしよう。
これから――
普通に鬼堂院さんに声をかけてもいいのだろうか。
昨日『友だち』と言われたわたしだが、それを本当の本当に真に受けてしまっていいのだろうか。
お嬢様の気まぐれ――って可能性もあるわけだし。
本気にした瞬間、ものすごくウザがられる可能性だってあるわけだし。
(た、耐えられないって……)
それに周りの目だって気になる。わたしみたいに何でもない女子が鬼堂院さんに声をかけるなんてことはやっぱり――
「どないかしたん?」
「おうっ!」
突然声をかけられ、わたしは奇声をあげて跳びはねた。
「『おう』て」
苦笑される。
「どうかしたんですか、シルビアさん」
「いや、この子がなんか苦しそうやったから」
苦しいんです! 胸が!
なんてことをもちろん初対面の人に言えるはずがない。
と、気づく。
(うわ……)
美人だ。
大人の。
銀に光る髪がさらさらときらめいている。
活発的な印象。それに加えて気さくそうな笑み。
頼れる優しいお姉さんって感じだ。
「キミ、大丈夫?」
そう声をかけてきたもう一人のほうは、
(うっわー)
美男子。
しかも超絶に。
背は高いし、顔立ちは調ってるし、なんか宝塚の男役みたい。
「あ……う……」
そんな二人との遭遇に、当然ながらわたしは戸惑いを隠せない。
「ちょっと。ほんま、どっか悪いんと違う?」
「……!」
わたしはあわてて、
「わ、悪くないです! いや、あなたたちに比べれば、その、悪いっていうか普通っていうか」
「?」
顔を見合わせる二人。
(あ……)
わたし、またおかしなことを――
「あ、あのっ」
その場の空気をごまかすように、
「先生……ですか?」
きょとんとされる。
「ああっ、違いますよね。先生なら見たことあるはず……ですもんねっ」
こんな美人と美男子の先生なら――と言いかけたところをぎりぎり飲みこむ。
「じゃあ、保護者……」
なわけもない。どう見ても学校に通うような大きな子どもがいる年齢には二人とも見えなくて――
「せいかーい」
「ええっ!」
「ウチら保護者なんよー」
銀髪の人が言う。
「もー、シルビアさん」
美男子の人がやれやれと、
「違うでしょ」
「えー、似たようなもんやーん」
似たようなもの?
――と、
「っ」
美男子の人がこっちを見る。
にこっ。その見た目通りのさわやかな笑顔で、
「ぼくたち、ここに通ってたんだ」
「えっ」
つまり――卒業生。
「まあ、ぼくはあんまり長くはいなかったんだけどね」
舌を出す。思いがけずかわいらしい仕草だ。
「十年くらいぶりやもんなー」
銀髪の人もなつかしげに辺りを見渡し、
「お嬢ちゃんは?」
「えっ」
「ここの子やろ。何年生?」
「あ、あの」
いや『お嬢ちゃん』って――
まあ、確かにお嬢〝様〟じゃないよね、わたしは。
「……一年生です。高等部の」
「おー」
目が輝く。
「じゃあ、一緒やん。ひょっとしたらクラスも同じかも」
銀髪の人が顔を近づけ、
「なあ、クラスに真緒ちゃんっている?」
「えっ!」
真緒――なんで鬼堂院さんの名前がここで!?
「ちょっと、シルビアさん」
「あっ」
シルビアと呼ばれた銀髪の人が、しまったというように口に手を当てる。
「けどほら、真緒ちゃんって有名やん? お嬢ちゃんもきっと知ってるもんなあ」
「は、はあ」
知っている。どころか一緒にお茶もしてる。
だけど、なんで二人の口から鬼堂院さんのことが出てくるの?
「お知合いですか? 鬼堂院さんの」
「んー、まー、知ってる人は知ってるもんなー」
あいまいな言い方ながら、
「同じ部活やったんや」
「部活?」
「騎士部でな」
「!」
き、騎士部!?
「騎士って……あの……」
馬に乗る? 槍を持って戦う――
それの……部活!?
「あれ?」
今度はシルビアさんのほうが不審げな顔になり、
「知らん? 騎士部」
知らない。知るわけがない。
「あ、そーか」
またもうかつだったというように、
「もうないんか。ウチらがここを離れてそれっきりやもんな」
「はあ……」
そうなのだろう。すくなくとも自分はそんな部活の名前を聞いたことがない。
「えーと」
ひとまず確認する。
「お二人は、その部活で鬼堂院さんと一緒だったと」
「ぼくは違うけどね」
美男子の人が言う。
「けど、真緒ちゃんとは友だちだよ」
「はあ」
友だち――
まあ、これくらい美形な人なら、鬼堂院さんとはお似合いって言えるけど。
「!」
お似合い!? ちょちょ……まさか!
「そうなんですか!?」
「え?」
美男子の人が目を丸くする。けどわたしは止まらず、
「そうなんですか? 鬼堂院さんと、お、お……」
その言葉を口にしたくない。だけど聞かずにはいられない。
「お付き合いしてるんですか!」
沈黙――
「えーと」
困ったように頬をかかれる。
「どうして……そうなっちゃうの」
「だ、だって、ものすごくカッコイイ男の人だから、その、鬼堂院さんとそういうことになっても」
ぷっ。隣のシルビアさんがふき出す。
「あー」
美男子の人は納得したという顔で、
「ぼく、女なんだ」
「え?」
思いっきり間の抜けた声が出る。
「真緒ちゃんのことは好きだけど、お付き合いっていうのとは違うかなー」
「………………」
わたしは、
(ええぇ~……)
見えない。
だって、背がとっても高くて、顔だってもう完璧に美男子なものすごいカッコイイ男の人なのに。
「錦(にしき)っていうの」
「えっ」
「ぼくの名前」
いや、その名前だけだと、男か女か判断は――
「えいっ!」
「きゃっ」
いつの間にか背後に回っていたシルビアさんが錦さんの胸をわしづかむ。
「……!」
わしづかむ? つかめる!?
暗めの色の服と錦さん自身の体格の良さで見落としてたけど、確かにそこには女性であることを示すふくらみがはっきりとあった。
「おー、また大きくなったん? 背ぇと同じでこっちも成長止まらんなー」
「やめてくださいっ、人の見てる前で!」
そこに、
「あ……」
始業のチャイム。
「ご、ごめんなさい、授業が」
「おっと。学生は勉強が本分やもんな」
「あの、あんまりぼくらのことは言いふらさないでね」
二人の言葉を受けつつ、わたしはあわててその場から駆け出した。
(なんだったんだろう)
授業はもちろんうわの空だった。
(シルビアさん……錦さん……)
一目見たら忘れられない。そんな個性的な二人だった。
(保護者って言ってたけど)
一体、誰の『保護者』なんだろう。
(鬼堂院さん……じゃないよね)
お姉さんかもと一瞬思ったが、タイプの異なる美人同士というかぜんぜん似ていない。
(それでも〝家族〟って可能性はあるのか)
ユイフォンさんや紗維羅さんのことを思い出す。
(うーん……)
考えれば考えるほど、みんなよくわからない関係だ。
(鬼堂院さんとユイフォンさんは親子……ってそれが一番あり得ないって!)
そこではっとなる。
言っていた。
鬼堂院さんの〝夫〟で、ユイフォンさんの〝父〟――
ナイトランサー。
(ナイト……騎士……)
さらに思い出す。
シルビアさんが言っていたこと――
(同じ部活……騎士部って)
騎士部! 騎士の部活!
そこに鬼堂院さんも参加していたと!
シルビアさんは『十年くらいぶり』とも言っていた。
そのころ鬼堂院さんは……六歳!?
ううん、初等部の一年だとしたらあり得ないことじゃない。
そのころから、あの人と鬼堂院さんは――
「……あ」
そこでわたしは授業が止まっていたことに気づく。
授業をしていた先生が説明する。突然だが、このクラスの生徒となる留学生の自己紹介があると。
(留学生……!)
そうだ。昨日、式会長が言ってた。
(気をつかってあげてって……)
正直、そういうことはニガテではある。だけど、ここで会長の期待に応えることができたら――
(名前をおぼえてもらえる以上に親しくなれるかも)
鬼堂院さんとの奇跡もあって、わたしの中で期待がふくらむ。
まあ、そうそう続けて起こらないから〝奇跡〟なんだけど。
(いやいや、簡単にあきらめるのは早いさ)
自分のクラスにその留学生が来たというのも奇跡の始まりとは言えるのだから。
そして――入ってきたその子は、
(え……!)
ちっちゃい。
会長といい勝負だ。
けど、受ける印象はずいぶん違う。
きりっとしたいかにも生徒会長な式先輩と違って、その人はいま思い出していたユイフォンさんに近い。
いや、それとも違って。
ユイフォンさんがどこかぼうっとしてつかみどころのない感じだとしたら、いま教壇に立っている女の子は――
(う……)
しゃべらない。
わたしだけでなくクラス全体に引きつったような空気が流れる。
結局――
何度先生にうながされても、無表情なその女子は何もしゃべろうとはしなかった。
Ⅶ
ハナさん。
わかったのは名前だけ。
中等部、いや初等部の子って言われても違和感がない。
って、そこはいま問題じゃなくて。
(どうやって仲良くなるかだよねー)
仲良くなるというか、それ以前の問題なんだけど。
紹介(?)されたその後も、ハナさんは一言も口をきこうとしなかった。かたくなに会話をこばんでいるというのではなく、彼女にとってそれが自然という感じだった。何人かのクラスメイトが声をかけたりもしたが、最終的にはどうにもならないと引き下がっていた。
しゃべらないことに加え、感情を顔に出さない。
無表情。
ユイフォンさんも考えていることがわからなかったりしたが、ハナさんはもう徹底してわからない。
結果、誰もコミュニケーションが取れないという状態になっていた。
指示したり頼んだりしたことはやってくれるので、意思が通じないということはないようなのだが。
(うーん)
難しい。やっぱりどう考えても難しい。
「あーむっ」
糖分を補給しても何も思いつかない。
むぅ、鈴カステラめー。って、鈴カステラに八つ当たりしても何にもならないんだけど。
「またここにいたな」
「!」
座っていた階段からずり落ちかけた。
「き……」
鬼堂院さん!
「ここが好きなのだな」
「す……」
好きというのとは微妙に違う。けどまあ、確かに昨日もここにいたわけだし。
かなり、ぼっちっぽい。
そう呼ばれても仕方ないところはあるんだけど。
「静かで落ち着くものな」
当然のように、
「……!」
鬼堂院さんがわたしの隣に座る。
「何をビクビクしているのだ」
「ビクビクって」
緊張してるんです! お嬢様に接近されて!
「おまえに話がある」
単刀直入。鬼堂院さんが切り出す。
「ハナのことだ」
「えっ」
ハナさんの――
「なんで鬼堂院さんが」
「うむ」
かすかに困ったような息をもらし、
「その……世話になっているのだ」
「世話に?」
どういう『世話』なんだ。
ていうか、お嬢様な鬼堂院さんのほうが面倒を見ているならわかるけど、それが逆って一体どんな――
「あまり細かいことを気にするな」
で、でも、気になるし。
「気になるか」
こくこく。
「私も今朝知らされてな」
知らされたって、その、ハナさんが留学してくることを?
「手違いでおまえのクラスになってしまったらしい」
手違い? じゃあ、本当ならどういう――
「昨日のうちにわかっていれば、あのとき、おまえに頼めたのだが」
あのとき――鬼堂院さんのお屋敷でお茶したときのことかな。
つまり、わたしと親しくなろうとしたのはハナさんのため……とかではなかったということだ。ちょっとほっとなる。
「なあ、翠」
ぐっと。顔を近づけられる。
(わー)
きれいな瞳だな。
「頼めないか、ハナのことを」
「えっ……」
頼む? それって――
「ハナの友だちになってくれ」
「!」
友だち――までは考えてなかったけど親しくしたいとは思ってたわけで。
「い……」
言う。
「いいです」
「ぷっ」
ふき出される。
「相変わらず愉快だな、翠は」
愉快って……。
「では、よろしく頼むぞ」
「あ、ちょっ」
行ってしまった。あっという間に。
「………………」
なんだろう。
用件だけ言って終わりって。
そっちから友だちって言ったのに……。あ、ううん、自分が鬼堂院さんの友だちとしてふさわしいとかそこまで傲慢に思ってるわけじゃないけど――
「あっ」
チャイムの音。
(……そうか)
もうすぐ授業だから戻った。それだけのことだ。
もちろんサボったりなんてしない。お嬢様なんだから。
それでも、
「ふぅ」
ちょっとだけ、さびしかった。
(どうしよう)
そう、どうしよう。
(うーん)
言っちゃったもんね。『いいです』って。
「うう……」
なんだか昨日のくり返しみたいだ。
放課後、わたしはハナさんの後をつけていた。
いやいや、昨日はそんなつもりで鬼堂院さんの後をつけたわけじゃなくて、じゃあ、どんなつもりなんだって言われるとアレだけど。
(だって……)
きっかけがない。
話しかけられない。
結果的に、こうして不審に後をつけていることになってるわけで――
(……あれ?)
気づいた。
(あれれ?)
この道って――
(同じ……だよね)
そう、昨日と同じ――
(鬼堂院さんのお屋敷のほう!?)
そうだ、二人は知り合いなんだ。だったら屋敷に向かっていてもおかしくは――
「あやしい」
「きゃっ」
不意の後ろからの声にあわててふり返る。
「ユ、ユイフォンさん!」
「あ……翠」
いま気づいたというようにするどい眼差しがやわらぐ。
「翠、今日もあやしい」
「あやしくなんて」
否定しきれない。
「そ、それより、ユイフォンさん、どうして」
「迎えに来た」
「迎えに?」
それって、わたしを――
なわけがない。
今日は招待されてないし、こちらから行くなんてことも言えるはずがないわけで。
「う」
わたしの後ろを指さす。
「……っ」
いた。
じーっと。ハナさんがこっちを見ていた。
「いや、あの」
とっさに後をつけていたことの言いわけをしようとした――そこに、
「ハナ」
わたしの脇をすり抜け、ユイフォンさんが前に出る。
「久しぶり」
こくっ。ハナさんがうなずく。
そして、
「ええっ!?」
なでられていた。ユイフォンさんが。
「うー」
うれしそうな息をこぼす。
「あ、あの」
わたしはたまらず、
「なぜに、なでなでされてるんですか」
「う」
ユイフォンさんがこっちを見て、
「ハナ、好き。かわいがってくれる」
「………………」
これは――
昨日見た鬼堂院さんの関係と同じみたいなことなんだろうか。
な、謎だ。
「ハナ」
ユイフォンさんがハナさんの手を取る。そして、歩き出す。
「えっ、あっ」
ついていって――いいのだろうか。
「う?」
不思議そうにふり返られる。
「来ないの?」
「えーと……」
もうこれはついていくしかないのだろう。
「うー♪」
ユイフォンさんが楽しそうに手をつないで歩く中、ハナさんはやはり変わらず無表情のままだった。
「おお、翠」
鬼堂院さんの顔がほころぶ。
「さっそく友だちになってくれたのだな」
「それは」
ハナさんのほうをうかがう。む……無表情のままだ。
「翠、あやしかった」
「む?」
「ユイフォンさん!」
あわててその口をふさげ――るはずもない。
「ハナの後、つけてた」
「そうなのか」
「そ、それは」
事実だ。言いわけのしようもない。
「こら」
だけど、叱られたのはユイフォンさんだった。
「言っただろう。翠は照れ屋なのだと」
(照れ屋……)
「だから、翠はあやしくてもあやしくないのだ」
何度聞いてもフォローになっていないような気がしてしまう。
「わかった」
けど、ユイフォンさんには通じたようで、
「翠はあやしくていい」
そ、そういうことになるの?
「ハナ」
鬼堂院さんが顔を向け、
「というわけで、あやしい翠だが、ちゃんとおまえの友だちだ」
やっぱり、フォローになってない。
「う……」
ハナさんがこっちを見る。
まっすぐというか、あまりに無垢すぎる瞳を向けられ、わたしは何をどう言っていいかという思いに――
「あれ、なんでここにいるん?」
「あっ……!」
部屋に入ってきたその人たちを前にこちらも驚く。
「え、えーと」
シルビアさん。それに錦さんだ。
「知っているのか」
鬼堂院さんも驚いた顔を見せる。
「ほら、話したやん。学校の中を歩いてたら、おもろい子にあったって」
「おお、それなら翠だな」
わ、わたしって、そういう評価なの!?
「へー、スイっていうんや。かわいい名前やね」
そういえば二人に名乗ってなかったことを思い出す。まあ、初対面ですこし話をしたくらいだから、わざわざ自己紹介する状況でもなかったんだけど。
「紀野翠。私の友だちだ」
かすかに。息を飲まれる。
「紀野……」
えっ? わたしの苗字が何か――
「ねーねー」
錦さんが美男子な顔を近づけてくる。
「ひょっとして、お兄ちゃんとかいたりする?」
「お兄ちゃん?」
なんで、そんなことを聞かれるのだろう。
「一人っ子ですけど」
「じゃあ、たまたまかー」
シルビアさんが頭をかく。
「いやな、うちらの同僚っていうか仲間にメイってのがおって」
「!」
メイ――それって、
「お兄ちゃんです」
「えっ!」
「従兄ですけど」
「あー」
納得する空気が一瞬広がりかけるも、
「えっ、てことはつまり、メイの従妹!? 親戚?」
「はい……」
逆に聞きたい。
みなさんは鳴(めい)お兄ちゃんの何なのかと。
「真緒ちゃん、知っとった?」
「いや、知らなかった」
――! 鬼堂院さんもお兄ちゃんのことを。
「けど『紀野』って苗字やし」
「同じ苗字の者などいくらでもいるだろう」
「それはそうやけど」
そこに、
「あの」
わたしのほうから口を開く。
「みなさん、鳴お兄ちゃんのことを知ってるんですよね」
「そら、もちろん」
「だったら」
わたしは聞く。
「お兄ちゃんは、いま何をしてるんですか」
――沈黙。
「え、知らんの」
「はい」
うなずく。
「お兄ちゃんとはもう十年以上会ってません」
息を飲まれる。と、次の瞬間、
「それはだめだ!」
大きな声をあげたのは鬼堂院さんだった。
「だめだ!」
もう一度。
「家族なのだろう。なら離れ離れはだめだ」
家族……っていうか親戚なんだけど。
しかも、何年も顔を合わせてない。幼いころのわたしの記憶だってあやふやだ。
「会わせよう」
「えっ!」
突然の言葉にびっくりさせられる。
「おまえも会いたいだろう」
「いや、あの」
こ、困る!
そんな……十年以上ぶりの親戚と会って何を話せっていうの!?
「シルビア、さっそく連絡を」
「待って!」
必死にそれだけは口にする。
「わたし……か、帰ります!」
「えっ」
驚く息を背に感じつつ、わたしは客間を飛び出した。
「はー」
なんでこんなことになったんだろう。
けど、まさか、鳴お兄ちゃんの名前が出てくるなんて。
鳴お兄ちゃん――
本当に久しぶりに聞いた。
(それが……鬼堂院さんたちと)
どういう関係なんだろう。あらためて。
それに、聞く前に逃げちゃったけど、この十年何をしていたんだろう。
噂では聞いてたけど――
鳴お兄ちゃん……家出して――
「!」
ブォンブォンブォン!
不意の――
バイクのエンジン音にびくっとなる。
結びつく。家出した高校生のお兄ちゃんがそのまま――
「……!」
キキッ。
すぐ近くで。バイクの止まる音がした。
「うぅ……」
怖い。ふり返れない。
逃げようか。
けど走ったってバイクならすぐに――
「もー、しばらくかまわなかったからってスネないの、この子は」
はっとなる。
「あ……」
ふり返る。そこには、
「ごめんなさいね、驚かせちゃって」
紗維羅さんだった。
(うわ……)
屋敷で見たのと同じ。執事服にヘルメット姿。
けど、いまはそのヘルメットにふさわしい大きな黒いバイクにまたがっている。
「この子、ちょーっとごきげんななめでねー。たまにこうして動かすと、ご近所迷惑な音たてちゃうのよー」
「は、はあ」
ほっとするわたしだったけど、紗維羅さんがどうしてここに。
「乗りなさい」
「えっ」
「送っていってあげるわ。アタシの愛車で」
「えっ、でも」
思わぬ申し出にあたふたし、
「ち、近いですから」
「もー、遠慮はだーめ」
つんと。おでこをつつかれる。
「あなたは姫様のお友だちなんだから」
「っ……」
その〝姫様〟の前からわたしは逃げ出してきたんだけど。
「姫様なのよ」
「えっ」
「姫様、とっても反省してた」
思いがけないことを言われる。
「あなたのおうちの事情も知らないのに無神経だったって」
「そんな!」
無神経なんてことない。鬼堂院さんが『家族』を大事に感じる人だっていうのはなんとなくわかる。ああ言ったのもわたしのことを想ってくれたからなんだろう。
(わたしのことを……)
昨日、突然友だちと呼ばれて。
そして、こうしてものすごく気をつかってもらってる。
なんだか……やっぱり現実離れしてる。
突然の鳴お兄ちゃんのことも含めて。
「別に、その、会いたくないとかじゃないんです」
言いわけをするように。わたしは言う。
「ただ、いきなりすぎるっていうか、気持ちが追いつかないっていうか」
「わかるわー」
うんうんとうなずき、
「あせらなくていいわよ。ゆっくり考えて」
「……ごめんなさい」
「あやまることなんて何もないのにー」
つんと。またも額をつつかれ、
「とにかく乗りなさい」
「あの、でも、本当に近いんで」
「姫様の気持ちよ。だからこれからも」
にっこりと。ヘルメットの向こうに笑顔が見えた気がした。
「友だちでいてあげて」
わたしは、
「……はい」
小さくうなずき、おとなしくバイクの後ろに乗せてもらった。
Ⅷ
ハナさん――
「あの」
やっぱり話しかけにくいものはあったけど、
「お、おはよう」
こちらを向く。返事はない。
普通は拒絶されたと感じるだろう。けど、あらためて見ると、彼女の丸くて大きな目はしっかりこちらをとらえ、それはなんだか小動物の反応を思わせた。
すくなくとも嫌われているわけではない。
それだけは言えた。
しかし、
「う……」
じーっ。
「あ、あの」
じーっ。
「わたしの顔に何かついてる?」
ふるふる。首を横にふられる。
「じゃあ」
じーっ。
「うう……」
さすがにいたたまれなくなる。
「な、何かあったらわたしに言ってね」
言って――くれるのだろうか。
けど、最後に、
「あ……」
ぺこり。深々と頭を下げる。
それはこちらへの感謝の気持ちを表すものだった。
「向こうの学校ってどうだったの、ハナさん」
答えはない。
ひるみながらも、わたしは続けて、
「いまはどこかにホームステイとか? ひょっとして鬼堂院さんの家?」
無言。それでもわたしは、
「鳴お兄ちゃんのこと、ハナさんも知ってて」
ぴくり。明らかな反応があった。
(やっぱり……)
鬼堂院さんたちと同じで、知ってはいるのだ。
「う……」
またも、じーっと見られる。
(なんだろうな、これ)
ひょっとして『親戚だから似てる』とか思われてるのだろうか。
自分では意識したことはまるでない。というか、十年以上も会ってない相手なのだ。
「あの」
話題を変えようとして、わたしは気づく。
こちらからの質問で間を持たせようとするのはだめだ。ハナさんからたぶんまともな返事は来ないんだから。
というか、いま自分は校内を案内して回っている最中だ。
一応、学級委員ということもあり、自然とその役目はわたしが担当することになっていた。
「えーと、ここの部屋は」
それからは説明に集中した。
ハナさんは黙って耳を傾けてくれた。
「ここが職員室――」
ガラッ。
「う……!」
威圧感たっぷりな巨体を前にすると、どうしてもびくっとなってしまう。
「紀野か」
「花房先生」
その目がわたしの後ろに向けられる。
なぜかわたしはハナさんを守らないといけないような気持になって、
「が、学校の中を案内してたんです。それだけです」
「……そうか」
短く言って、あっさりわたしたちの脇を通り過ぎる。
と、そのとき、
(えっ……)
一瞬だったけど――先生がハナさんに軽く頭を下げたような。
(いやいや、まさか)
先生が頭を下げるような理由なんてなかったよ。
見間違いだね、うん。
「これくらいかな」
一通り。わたしは校舎の中とその周りを説明し終えた。
気がつけば、運動部の活発なかけ声が響きあうような時間になっていた。
(部活……)
そういえば、何かやりたいクラブ活動とかはあるのだろうか。
「あの、ハナさんは」
聞きかけてやめる。たぶん、ちゃんとした答えは帰ってこない。いや、悪気がないのは本当によくわかってるんだけど。
「ん?」
くいくい。そでを引かれる。
「えっ、そっち?」
行きたいと言ってるのだろうか。
「その先にあるのは中等部と初等部だけど……連れていっていいの?」
むっ。かすかにハナの機嫌が悪くなったのがわかる。放課後ずっと一緒にいたせいか、さすがにそれくらいは感じ取ることができた。
「あっ、別にそのほうが向いてるとか言ってるわけじゃなくて」
言ってはいないけど、そう見えちゃうのは事実だ。
言わないけど。
「う……」
くいくい。またもそでを引かれる。
「だから、そっちは」
「何をしているの!」
そこへ突然に、
「ハナさんが行きたがっているでしょう! 早く連れていってあげなさい!」
「えっ……お、おす」
思わず体育会系な言葉になってしまう。
「って、会長?」
「!」
はっと。息をのまれ、
「こほん」
せき払いをすると、何事もなかったように飛び出してきた茂みに再び隠れようと――
「いやいや、見えちゃってますから」
「くっ!」
悔しそうな舌打ちをして、
「見張っていたの」
堂々と。開き直ったように言う。
「あなたがハナさんに失礼なことをしないかって」
「失礼なことなんて」
してないさ。してないと思うけど。
「あなたには前科があるわ」
「ぜ、前科」
なんなの、その大げさな言い方。
「いつもわたしに失礼な態度を取るでしょう」
失礼って――わたし的には愛でてるつもりなんだが。
「ハナさんには! 失礼なことは許さないから!」
びしっと。指を突きつけられる。
「でも、気をつかって応対するようにって言ったのは会長ですよ」
「気をつかっていたというの!?」
「つかってないように見えました?」
「それは」
口ごもる。
わたしはそんな会長とハナさんを見比べる。
似てる。身長が。
ちっちゃかわいいカンジが。
ただ、わたしはちっちゃい人が好きなわけじゃなくて、ちっちゃくても凛々しくがんばってる会長みたいな人がタイプなだけだ。
誰にでも過剰なスキンシップをしてしまうわけじゃない。
(……ハッ!)
しかし、そこで気づいてしまう。
会長、そして鬼堂院さんも気をつかうハナさんって、見た目は髪ぼさぼさでぼーっとしててアレだけど、ひょっとしたらやっぱりお嬢様――
「と、とにかく!」
またも指を突きつけられ、
「きちんとハナさんの案内を続けること! いいわね!」
「はあ」
それはもちろんするし実際やってるけど、もうこれ以上案内するところなんて――
「ひょっとして」
会長が何か気づいたような顔になる。
「知らないの」
「はい?」
見つめ合う。
「ふぅ」
ため息をつかれる。
「わかったわ」
そう言って、
「!」
あ……ああっ! 稲妻が走る。わたしの身体に。
「行くわよ」
い、行くの!?
「わたしたちについてきてください、ハナさん」
わたし……〝たち〟!
わたしたち!
そう、いまのわたしたちは二人で一人!
「……ハッ」
じーっと。気持ち悪いものを見る目でこちらを見られていた。
「ただ手をつないだだけでしょう」
「そうですよね! 手を! つないだ! ですよね!」
「………………」
はしゃぐ自分を止められないでいると、ますます冷たい視線が注がれる。
しかし、それ以上何か言うのをあきらめたように、会長はわたしと手をつないだまま茂みの向こうにあった小さな道に向かって歩き始めた。
「はー」
驚きの息がこぼれる。
知らなかった。
高等部の敷地内にこんな道があったなんて。
わたしだけじゃない。きっとほとんどの生徒が知らないだろう。
それを、どうして留学生の式会長が――
「っ」
不意に。
視界が開ける。
あふれる木漏れ日の差しこむそこに、
「おお……!」
こんなところがあったのか。
それは、わたしが初めて目の当たりにする光景だった。
「日本ですよね」
「問題ある?」
問題はない。
それどころかいままで知らなかったのが惜しいくらいだ。
「けど……」
惜しい。そう思ってしまう。
緑の木々に囲まれた風格漂う洋館。
しかし、そこには長い年月を経たことを思わせる傷みが所々に見られた。
「記念だったらしいわ」
「えっ」
耳を傾ける。
「海外との姉妹校提携の。それで建てられたそうよ」
「姉妹校……」
はっと。
「それって会長やハナさんの」
「いまは学校の形態が変わってるけど、元をたどればそういうことになるみたい」
知らなかった。
「それでハナさんが来たがったんですね」
後ろをふり返ると、
「……あれ?」
うなずいて――いない。
「と、とにかく」
会長がその場をごまかすように、
「案内してあげなさい」
「案内って」
ここを? 廃墟マニアとかならよろこぶかもしれないけど。いや、そこまで言うほどボロボロなわけでも――
「おお」
聞き覚えのある感嘆の声に顔を上げる。
「あっ!」
一瞬、誰かわからなかった。だって、その格好が――
「やっと来たな」
にっこりと。太陽を思わせるまぶしい笑顔。
「き……」
声が跳ね上がる。
「鬼堂院さん!」
「そうだ」
うなずかれる。
「いや、だって」
鬼堂院さんはお嬢様だ。お姫様だ。
なのに――
なんで汚れたジャージと頭に巻きタオルなんて格好してるのさ!
しかも、手には雑巾とバケーツ!
「なかなか綺麗にならないものだな」
腕で汗をぬぐいながら。
それでも、ちっともイヤそうなそぶりを見せずに鬼堂院さんが言う。
「楽しいな」
楽しいの!?
「楽しいぞ」
にこっと。ああ、もうっ、まぶしすぎる!
「あっ」
会長の冷ややかな視線がこちらに向けられている。
わたしはあわてて、
「ち、違いますから! 浮気じゃないですから!」
あたふたは止まらず、
「どっちも本気ですから! だから浮気じゃないですから!」
冷ややかな視線にさげすみまで加わる。
鬼堂院さんは首をかしげ、
「何を言っているのだ」
「聞き流してください、真緒さん」
ん? 違和感を覚える。
だって、会長っていつも――
「ハナ」
親しげに。その名が呼ばれる。
「手伝ってくれるか」
こくこく。
「えっ、でも、ハナさん」
なぜか会長があわてる様子を見せる。
そこに、
「もー、遅刻したらダメやーん」
「あっ!」
シルビアさんだった。さすがにジャージ姿でこそなかったけど、鬼堂院さんと同じく掃除のための格好をしていた。
「遅刻じゃないですよ。学校の案内をしてくれてたんですから」
さらに、重そうな荷物を軽々と抱えた錦さんも現れる。
「えーと」
こんなところで何をしているのか聞きそうになったそのとき、
「すまなかったな」
一瞬、自分にあやまってきたのかと思ったが、鬼堂院さんは優しいまなざしで洋館の柱をなで、
「こんなになるまで放っておいてしまった」
(……え?)
わたしは思わず、
「ここって……鬼堂院さんのおうち?」
だって、向こうの家も『お屋敷』だったわけで。
「姉妹校提携の記念で建てられたと説明したでしょう」
あきれたように会長が言う。
「ただ、場所が不便なのと大きさが半端だから使われなかっただけ」
「く、詳しいですね」
「それはアリス様から」
そこまで口にした瞬間、はっとなり、
「か、会長なんだからそれくらい知っていて当然でしょう!」
正確には〝留学生の〟生徒会長だけど。
「とにかく。あなたもここを掃除すること」
「えっ!」
「当然です。みなさんに働かせてあなたは黙ってみていると」
そんなこと言ってないけど。
ていうか、なんでシルビアさんたちまで一緒になって掃除を?
「では、わたしは生徒会の仕事があるので」
「行っちゃうんですか!?」
おいおい、そりゃないさ!
と、そんな心の声もむなしく、会長は鬼堂院さん、そしてシルビアさんたちとハナさんにも礼儀正しく頭を下げて洋館の前から去っていった。
残されたわたしに、
「無理はしなくていいのだぞ」
「えっ」
屈託のない笑顔が向けられる。
「突然で驚いているだろう」
「う、うん」
「ここはな」
再び愛おしそうに柱をなで、
「昔、みんなで騎士部をしていたところなのだ」
騎士部!
昨日、シルビアさんたちが話してた。
「いやー、ほんまなつかしいわー」
校舎を見ていたとき以上の感情をにじませてシルビアさんが目を細める。
「みんなでヨータのこと鍛えたりとかしてたもんな」
「うむ」
ヨータ? 誰だろう。
「さあ、日が暮れる前にできるところまで済ませてしまうぞ」
鬼堂院さんが腕まくりをする。
その横に、どこから取り出したのかタオルを頭に巻いたハナさんが並ぶ。
「おー、やる気やないですか、ハナねーさん」
「姉さん?」
「あっ」
シルビアさんが口に手を当てる。
「えーと、ほら、あれやん」
挙動不審なまま、ハナさんの頭をわしゃわしゃとかきまぜ、
「この子、ちっさいのにがんばろうとしてて偉いなーていう。もう『ねーさんと呼ばせてください』みたいな」
「はあ」
「てゆーか、ウチ、この子の保護者やしー」
「あっ」
確かに言ってた。
その保護対象(?)がハナさんとは知らなかったけど。
というか、留学生に……保護者?
「まー、この子のことよろしく頼んます」
無理やり場を収めようとしてか、ハナさんの頭を押さえて強引に下げさせる。
「ちっさいし無口やし大変やと思うけど、でもちっさくてもいい子やから、どうぞちっさくても仲良く……」
カチン。ハナさんがかすかに怒りにふるえ、
「ぎゃーーーーーーーーーっ!」
あぜんとなる。
小さな身体が宙に跳ねたと思った瞬間、シルビアさんの腕に飛びつき、足を絡ませてそのまま引きずり倒したのだ。
「ギブギブギブーっ! ギブやしーっ! マジあかんて、ねーさぁぁぁん!」
また『姉さん』とか言ってる――
「こら。遊んでいてはだめだ」
遊ぶっていう生やさしい状況には見えないような。
けど、それが『お嬢様視点』ってものだ。
「納得」
「なに一人で納得してんのーっ! あんたもやめるよう言うてーっ! 友だちやろーっ!」
「ハッ」
そうだ、わたしはハナさんの友だちということになっている。
鬼堂院さんにも頼まれたし。
だから――
「友だちの邪魔はしちゃいけない……っていうか」
「こういうことの邪魔はしてええからーっ!」
絶叫が響き渡る中――
結局、この日はそれ以上は掃除にならなかった。
Ⅸ
疑問は数々ある。
ここ数日で知り合った様々な人たち。
日本刀を持った自称警護隊長(自称じゃないのかもだけど)なユイフォンさん。顔をヘルメットで隠した謎の執事・紗維羅さん。明るい銀髪美女なシルビアさん。背の高い美男子女子な錦さん。無口で小動物っぽいハナさん。
始まりは――
やっぱり鬼堂院さんとお近づきになれたことからなのだとは思う。
高嶺の花。
ちょっと言い方古いけど。
そういう人の周りには、やっぱりいろんな人が集まるんだろう。
そんな『いろんな人』の中にわたしもいるわけで。
ていうか、鬼堂院さんのほうから近づいてきてくれたわけで。
気まぐれなのかもしれないけど、わたしとしてはそれだけで終わりにしてほしくないって気持ちはあって。
だから、放課後、自然とハナさんについてまた林の奥の洋館に来ていた。
「おお」
昨日と同じくそこにはジャージ姿の鬼堂院さんがいた。
「今日も来てくれたか、翠」
「う、うん」
まぶしい。今日の鬼堂院さんの笑顔も。
「ハナもありがとう」
こくっ。小さくうなずく。
「よし」
うれしそうに微笑み、
「がんばってきれいにするぞ。きれいになったらここで」
「ここで?」
そうだ、それが聞きたかったところだ。
昨日はあの騒ぎでうやむやになってしまったが、
「騎士部を始めるのだ」
当然のように。言った。
「騎士部……」
あらためてだけど、それはどういう部活なのかと――
「騎士部はヒーローを生み出す部活なのだ」
またも当然のように言う。
「ヒーローって……」
思い出す。
鬼堂院さんの〝夫〟――
仮面のヒーロー。確か『ナイトランサー』って言ってた。
「えーと……」
重要だぞ、ここで何て答えるかは。
「……す……」
言った。
「素敵な……部活だね」
あー、なんてわたしのヒヨリっぷり!
「そうだろう!」
鬼堂院さんは目を輝かせ、
「のりが作ってくれた部活なのだ!」
「のり……?」
「そうだ!」
うんうんとうなすく。そして遠くを見る目で、
「のりはな、私にヒーローのすばらしさを教えてくれた者なのだ」
「そ、そうなんだ」
つまり鬼堂院さんを『こういうふう』にしちゃった人なわけだ。い、いやその、いいんだけどね、わたしは!
「よし」
またもうなずき、
「教えよう」
「えっ」
「私も」
まっすぐなまばゆい瞳で、
「おまえに教える。ヒーローのすばらしさを」
「えー……と」
言っていた。
「あ、ありがとう」
「よし!」
本当にうれしそうに。笑った。
(ああ……)
この笑顔を見れただけで十分。心から思えた。
けど、我に返る。
(ヒーローのすばらしさを教えるって)
それって――
(何をされちゃうの!? わたし!)
何もされなかった。
すくなくとも、すぐには。
というかその日はわたしも一緒になって掃除を手伝うことになった。そうなると思ったからもちろんジャージ持参だ。
背徳、と言っていいんだろうか。
お嬢様と一緒にお掃除をするなんて!
しないもんね、普通お嬢様は。
小公女? みたいな運命の激動の中で落ちぶれてしまっていじわるな家の召使いになって掃除を――なイメージの中でしか。
ああ、でもその場合、わたしの立場は家の中で唯一元お嬢様に優しくしてあげる同じ召使いの女の子? いや、まあ、鬼堂院さんの周りの人はみんな優しいんだけど。
「ひゃっ」
つんつん。
ほっぺをつついてきたのは、今日も無表情なハナさんだ。
「あ……」
また妄想モードに入っていたことに気づいて赤面する。
ていうか、ハナさん、いつの間にかジャージ姿になってるし!
早っ!
「今日もハナを案内してくれてありがとう、翠」
「あ、いや」
それだけじゃなくて――
「わ……」
言う。
「わたくしも一緒にお掃除させてもらってよろしくて!?」
きょとんと。
(し……しまったーーっ!)
お嬢様な妄想をしていたからって、わたしが、そんな、エセお嬢様口調になんて。
「ぷっ」
ふき出される。
「本当に翠は愉快だな」
ゆ、愉快ですか。
「ふふっ……あはははははは」
しばらく鬼堂院さんの笑いは止まらなかった。
わたしは縮こまるしかなくて、無表情なままのハナさんは当然なんのフォローも入れてくれなくて。
「……はぁ」
しばらくして笑いが収まり、
「ありがとう」
あらためて笑顔を見せる。
「翠はいつも私を楽しくしてくれるな。さすが私の友だちだ」
「でも、あの」
そのときとっさに思ったのは、
「いますよね」
「む?」
「いっぱい。鬼堂院さんには友だちが」
笑顔が消える。
「あ、あの」
何かおかしなこと言っちゃったか?
「……むぅ」
すこし困ったような息がもれ、
「話しかけてくれる者は……いっぱいいるな」
「ですよね」
同意しながら、しかしわたしは軽くショックを受けていた。
話しかけてくれる人たちはいっぱいいる――
けど、それは友だちじゃないってこと? 声をかけてきたくらいで友だちのつもりになるなってこと?
そんな――
そういう、悪い意味でお嬢様っぽいところはないと思ってた。
「私はな」
言葉を続け、
「怖かったのだ」
「えっ」
目を見張る。
「友だちを作ることが、ずっと怖かった」
「………………」
声を失う。
「あ、あの」
わたしは思わず、
「人見知りってこと?」
ふふっ。かすかに笑うそこにも、しかし、いままでのような明るさはない。
「マリエッタではないぞ、私は」
えーと……またも知らない名前が出てくる。
「ああ、マリエッタは馬見知りだったな」
馬見知り! 人見知りの馬バージョン?
「仲良くなって……その者が傷つくようなことがあったらと思うと怖くて仕方なかった」
はっと。
その言葉の真剣さに胸を突かれる。
と、そのとき、
「おっ」
かすかに驚いたような声をもらす鬼堂院さん。
いつの間かそばにいたハナさんが、白くしなやかなその手をそっと握っていた。
「……ありがとう、ハナ」
無表情のまま。
それでも確かな想いをこめてハナさんがうなずく。
(いいな)
思ってしまう。ちょっぴりうらやましいとも。
(あ……いやいやっ)
鬼堂院さんの〝心の傷〟みたいなものを見たっていうのに、なにが『うらやましい』だ!
「ごめんなさい!」
「む?」
鬼堂院さん、そしてハナさんも目を丸くする。
わたしははっとなって、
「あ、いや、何が『ごめんなさい』かっていうと」
――言えない。
(言えないさーーっ!)
心の中で絶叫する。
「ぷっ」
またも鬼堂院さんがふき出す。
「本当に翠は愉快だな」
ハナさんもうなずく。
「そ、そんなことよりもっ」
ほとんどやぶれかぶれになって、
「お掃除します!」
言う。
「そうだな」
鬼堂院さんが同意し、ハナさんもまたうなずく。
「よし! みんなで掃除だ!」
「はい!」
なんだか元気よく。わたしも声を上げていた。
そして――
「うーむ」
額の汗をぬぐい、鬼堂院さんがうなる。
古びた印象の洋館は、掃除に加わったわたしが驚くくらいぴかぴかになっていた。
「さすがだ」
「えっ」
こっちに向かって言われたのだと気づいたわたしはあわてて、
「そんなことないっス!」
「ス?」
「あ、いや」
我ながら何なの『ス』って! 掃除でずっと身体を動かしてたせいか、変にまた体育会系入っちゃってるよ!
けど、掃除っていざ始めると気持ちよくなって夢中でやっちゃうんだよね。
試験期間の勉強中とか、特に。
「さすが騎士部の部員だな」
「それほどでも」
はっとなる。
「部員?」
「うむ」
「えーと」
きょろきょろと。意味なく周りを見渡してしまう。いまここにはわたしと鬼堂院さんとハナさんしかいない。
わたしは自分を指さし、
「部員?」
「うむ」
「い……」
いやいやいやいやいやっ!
「イヤか?」
どきっと。かすかに悲しげになった目を見てすぐさま、
「あ……ありがとうございますっ」
頭を下げていた。気をつけをして思いきり。
「ありがとう」
笑って。
鬼堂院さんも言った。
き――
騎士部って……何なんだ!?
ヒーローを生み出す部活とは説明された。いや、もうその時点で意味不明だったりはするんだけど。
(わたしも……)
ヒーローとかにされちゃうの!?
なんか、改造手術的なことをされて!
い……いやいやいや。
妄想が暴走しちゃってる。
そんな不安と心配とドキドキとを抱えてわたしは――
三たび、林の奥にある洋館を目指していた。
迷ったよ。もちろん迷ったさ。
道にじゃなくて。
行こうか行くのやめようかって。
いくら、鬼堂院さんに会えるとわかっていたって、それにしたって普通ためらいはするだろうさ『騎士部』なんて。
(あ……)
ふと気づかされる。
(わたしが部活に入ってないって知ってて、それで)
あわれんで――
まではいかなくても、かわいそうに思って……みたいな。
「………………」
なんだか、イヤな気持ちだ。
そんなことを思ってしまったことが。
わかってるよ、そういう鬼堂院さんじゃないってことは。声をかけてもらえるようになって本当にまだ短いけど、それでも言える。
不安なんだろうな。騎士部とはまた別のところで。
やっぱり。
「あ……」
くいくい。
一緒に歩いていたハナさんが制服の袖を引く。
「ご、ごめん」
足が止まっていた。きっと早く行こうと催促しているのだろう。
放課後――
どうしようか迷っていたところにこうしてじっと見つめられるんだもん、実際選択の余地はなかった。
「?」
何か手ぶりで指示される。
「しゃがんでって言ってるの?」
こくこく。うなずく。
なぜ? 疑問はありつつ、うながされるままにしゃがみこむ。
「あっ」
なでなで。
「ハナさん……」
優しく頭をなでられる。わたしよりずっと小さな相手に。
おかしいと感じなかった。
素直にゆだねられた。
「………………」
姉さん――そうシルビアさんが呼んでいた理由がなんだかわかる気がした。
だって、鬼堂院さんも同じだ。
いつも堂々としていて凛々しくて、ユイフォンさんが『媽媽』と言っても違和感がない。
ハナさんにも不思議と頼れるようなものがあった。
いままで気がつかなかったけど。
と、ハナさんがわたしの手を取る。
すこしなでなでを惜しむ気持ちを感じつつ、わたしはハナさんと共に再び林の中を歩き始めた。
「うむ」
満足そうに。鬼堂院さんがうなずく。
(はぁ……)
うれしくなってしまう。わたしの『お嬢様好き』もあるんだけど、それ抜きにしてもやっぱりみんなを幸せにしてくれる笑顔だなと思う。
まさに〝お姫様〟なのだと。
「今日は遅刻しなかったな、翠」
「う、うん」
もう完全に部員扱いだ。
というか、部長は鬼堂院さん!? まあ、他になる人いるとは思えないし。
「よし」
またも凛々しくうなずき、
「まずは顧問の紹介だ」
「顧問?」
あっ、そうか。仮にも部活と言っている以上、当然顧問の先生はいることになる。
だけど、騎士部なんて部活に一体誰が――
「はぁ~い、顧問とーじょー」
「きゃあっ」
思わずあげてしまう悲鳴。
「まー、うれしい、黄色い声援なんて送ってくれちゃって~。外国から来た人気アーティストみたーい」
送ってない送ってない、声援は!
「し、紗維羅さん」
「違うでしょ」
相変わらず。顔を覆い隠すヘルメットを取らないまま、
「紗維羅ぁ……セ・ン・セ・イ❤」
「先生ぇ?」
そして、とんでもないことに気づかされる。
「まさか顧問って」
「紗維羅だ」
当然のように。鬼堂院さんが言う。
「紗維羅は騎士だからな」
「えっ!」
「そうなの、アタシ、騎士なのよー」
これまた当然のように紗維羅さんが言う。
「副団長だものな」
副団長! 何の!?
「だから、紗維羅が顧問だ」
「けど臨時なのよねー」
臨時?
「だって、アタシ、ここの先生じゃないからー」
それは……そうだろう。こんな先生がいたら問題にならないはずがない。
「でも安心してー。ちゃーんと未来の顧問は決まってるから」
未来の顧問!? いや、何の心構えもないまま謎の部活の部員にされたわたしに将来の心配までは――
「では、騎士部の活動を始めよう」
「ええっ!?」
そ、そんな唐突に!
「翠」
しかも、わたしをご指名!?
「ひざまずけ」
「へ?」
とんでもないことを言われた。
「部活だ」
ないない! そんなことをいきなりさせられる部活なんて聞いたことない!
「ひざまずきなさい」
紗維羅さんまで! しかも、なんか微妙にキャラ変わって上からの冷たいカンジで!
「さあ」
「さあ」
二人がかりで迫られる。
助けを求めるようにハナさんを見るも、やはりと言うか無表情なままだ。
「あ……う……」
わたしは、
「む……」
無理っス。そう言いかけて――
「よし」
満足そうな鬼堂院さんの声。
「!」
あぁーーっ! ひ、ひざまずいちゃってるーーっ!
頭より先に身体が従ってる!
これが鬼堂院さんの圧倒的なお嬢様力っていうかお姫様力のなせる技!?
「さあ」
わたしの前に手が差し出される。
「あ……うう」
何が『さあ』なのだろう。わたしはその手を凝視することしかできない。
(キレイだな……)
うん、本当に。
色が白いってのはもちろん、ただ指が細いだけじゃなくて、そこに躍動感っていうかしっかりと生命を感じさせる――
「もー、レディを待たせちゃだめよ」
「えっ」
「仕方ない子ねぇ」
やれやれと。ため息をつかれて、
「ここは顧問がちゃんと教えてあげないと」
「お、教えるって」
「ほら」
出される。執事らしく白い手袋に包まれた手を。
「………………」
どう反応すればよいというのだろう。
「もー」
またも仕方ないというように、
「口づけなさい」
「はい?」
「こ・こ・に」
もう一方の手が、差し出されたほうの手の甲を指さす。
「う……」
つまり、
「す、するんですか」
「するの」
口調はやわらかいけどそこに容赦はなく。
「さあ」
まるで女王様のように、
「しなさい」
「い……いやいやいやいやっ」
今度こそ全力で首を横にふる。
「なんでですか!」
「当然だ」
今度は鬼堂院さんが胸を張る。
「騎士部だからな」
「これが当然なんですか、騎士部!」
「当然だ」
またも胸を張って、
「レディに愛を捧げるのが騎士だからな」
「え……」
愛を――捧げる?
「というわけで」
ぐい。紗維羅さんに手の甲を突き出される。
「ほら」
「いやいやいやいやっ!」
しまったーーーっ! わたしは心の中で絶叫する。
さっきまでは鬼堂院さんがこうして手を出してくれていたのに! あのとき、鬼堂院さんの手に……キキキ、キスできるチャンスだったのに!
「……あれ?」
と、そこで気づく。
「紗維羅さん、レディじゃないじゃないですか!」
「あーら。失礼ね、この子は」
ぷんぷん。そう言いたげにわざとらしく腰に手を当てて、
「顧問に対してなんて口の利き方してるの」
「い、いや」
もうどこからツッコんでいいのか。
「だめだぞ、翠」
そこへ鬼堂院さんまで、
「部活動は真面目にやらなくてだめだ」
「ま、真面目……」
真面目にこんなことをやるのがすでに真面目と言えるのかと。
「む」
鬼堂院さんの表情が曇る。
「やはり……イヤだったか?」
「っ」
たまらず、
「ぜひ!」
言って、
「うく……」
やっぱりものすごく抵抗感はあったけど――
「むちゅっ!」
紗維羅さんの白手袋にキスしていた。
あれが……わたしのファーストキス。
「いやいやいやいやっ!」
ノーカウント、ノーカウント! こんな青春の思い出認められないさ!
「!」
パシィン!
鳴り響いた竹刀の音にびくっとなる。
「翠」
またもSな女王様を思わせる冷たい声で、
「何を止まっているの」
「う……」
ブルン、ブルン、ブルン!
エンジン音。
「がんばれー、翠」
バイクの後ろに乗った鬼堂院さんからの声援が届く。
もちろん、それ自体はうれしいけど、
「ハァ、ハァ……」
立ち止まった瞬間、疲労を思い出したというように脚ががくがくふるえ出す。
「む、無理……」
パシィン!
「きゃっ」
またもの竹刀音にたまらず跳び上がる。
「騎士に甘えは許されないわ」
「そ、そんな」
いや、わたし、騎士じゃないし!
いつの間にか騎士部に入っちゃってはいるんだけど。
騎士には当然体力が必要。
そう言われて、いまはランニングの最中だ。
けど、走ってるのはわたしだけ。先導する竹刀片手の紗維羅さんはバイクだし、鬼堂院さんもそれに乗ってるし。
「やはり、私も一緒に走ろうか」
「えっ」
鬼堂院さんと並んでランニング? それなら地獄の特訓も天国に――
「だめよ」
あっさりと。
「姫様はそういうことしちゃだーめ」
「だめなのか」
「だめなのよ」
なんでだよ! 心の中でツッコんでしまう。
「だって、そうでしょう」
紗維羅さんがこっちを見て、
「こういう下々の者に施しをくださるのが姫様の仕事なのよ」
下々の者って。
まあ、否定はできないけど。
「応援してあげる。それが仕事よ」
確かに鬼堂院さんの応援はうれしいんだけど。
「そうか」
うなずく。
「よし」
ぱっと。かろやかにバイクの後ろから跳び下りる。
「私も一緒に走るぞ」
「えっ」
「ちょっと、姫様ぁー」
「そうなるではないか」
胸を張って言う。
「私は翠を応援しなければならないのだろう」
「そうよ。だから」
「それは一緒に走っていてもできることなのではないか」
返す言葉がつまる。
「というか、一緒に走ったほうがより近くで応援できるのではないか」
鬼堂院さん!
わたしの胸がよろこびでいっぱいになる。そうだ、この人はこういうふうにちゃんと優しい人なんだ。
「そうねぇ」
考えるそぶりを見せる紗維羅さん。
「まあ、なしではないわね。姫たる御方が下の者と同じ目線に立つことで、下々が感動していっそうがんばるってことはありそうだし」
だから『下々』って言うのやめてほしいなぁー。
「わかった。それでいいわ、姫様」
よし! 心の中てガッツポーズしたくなるわたし。
「がんばろうな、翠」
ああ……。隣に並んだ鬼堂院さんの笑顔に脚の疲れもたちまち――
「……う」
さすがにそこまで魔法なことは起こらなかった。
「どうした、翠?」
「もー、姫様が一緒なのよ。なのに走るのはイヤだっていうの?」
イヤじゃない、ぜんぜんイヤじゃない! けど、肉体の限界というのはわたしにもどうしようもなくて。
「おお」
そのとき、
「ちょうどいい」
「えっ」
鬼堂院さんのつぶやきに顔を上げる。
「あ……」
前方。小さな影がものすごい勢いで大きくなる。
いや、大きくなったって言っても、やっぱり小さいままではあるんだけど。
ハナさんだ。
「あーら、戻ってきたの? 先に行ってていいって言ったのに」
そう言われるも無表情。
ハナさんは、ランニングが始まった瞬間、短距離走かと思う速さで飛び出し、そのまま見えなくなっていた。
そして、戻ってきたいまも息一つ乱れていない。
信じられない体力だった。
「あの」
わたしは疑問に思っていたことを口にする。
「なんだか、わたしと扱いが違いません?」
さっきの『レディの手にキス』のときも、ハナさんはやらなかったし。
「それはそうだ」
鬼堂院さんが当然という顔で、
「ハナは騎士だからな」
「えっ」
どういう意味かわからない。
「騎士は……騎士ですよね。騎士部なんだから」
「もう騎士なのだ」
「?」
「騎士の先輩だ」
先輩って……ハナさんとは同学年なんだけど。ていうか、わたし、騎士になろうとか思ってるわけじゃないし!
「ちょっと、姫様」
たしなめるような紗維羅さんの声に鬼堂院さんがはっとなり、
「き、騎士っぽいということだな」
「騎士っぽい……」
そう……かなあ?
「とにかく、ハナが来てくれてよかったぞ、翠」
何がどうよかったのかと。
「頼む」
鬼堂院さんにそう言われたハナさんは、
「!」
背を向けてわたしの前にしゃがみこみ、
「え……ええっ!?」
持ち上げられた。
つまり、わたしよりずっと小さいハナさんにわたしは背負われて、
「きゃあっ」
急発進。もう本当に身体がのけぞりそうな勢いで。
「よかったなー。ハナも一緒に走ってくれるぞー」
「ちょっ、これ、一緒にっていうか、あ、いや、一緒なことは間違いな……きゃああああーーーーっ!」
あまりの高速ダッシュに、わたしはただただ悲鳴を上げ続けた。
Ⅹ
「おい」
ガタタンッ!
机の転がる豪快な音に笑い声が広がった。
(……ハッ!)
立ちはだかっていた。
「あ、う……」
怖い怖い怖い!
怖いよ、花房先生!
でかいし!
毎日、ちっちゃいハナさんを見てるせいで、ますます大きく見えるっていうか。
「おい」
びくびくびくぅっ!
もう完全にふるえあがっちゃって声も出せない。
わかってる。
寝てた。
わたし。
だって――
(だってだってだって!)
寝ちゃうよ! 寝ちゃうってさ!
毎日毎日、騎士部で鍛えられて、もう体力も精神力も限界ぎりぎりなんだから!
あー、運動部の子たちが居眠りしたり早弁したりする気持ちがよくわかる。授業中の静かな空気ってホントそういう誘惑にさいなまれるっていうか。
「あ」
ぐうぅぅぅ~……。
「こ……これは」
聞かれちゃったよね? 思いっきりおなかの音!
あ、いや、これはわたしが早弁まではしてなかっていう証拠に――
って、だけど居眠りはしちゃってたわけで!
「あう……」
怖いって。何も言われず高い位置から見下ろされてるっていうのがますます。
「後で職員室に来い」
ぼそり。それだけ言って花房先生は背を向けた。
「……う……」
血の気が引いていくのがわかる。あと変な汗がどばっと出るのも。
ていうか、この人、ホントに教育実習生なの!? この迫力は正式な先生も超えちゃって、もう完全にそっちのスジの人だよ!
(どど、どうしよう……)
パニックになる。
感じる。
同情するような視線。けどそれはぜんぜん少なくて、ほとんどは関わり合いになりたくないとこちらを見ることもない。
わかる。
わたしだってそんなカンジだった。
けど――
(鬼堂院さん)
そう、あの人は違う。
いつも凛々しく堂々としていて、まっすぐにわたしを見つめてくれる。
彼女のことを思い出すと――
(………………)
いまの教室の寒々しさはやっぱりちょっとさびしかった。
(い……行くしかないよね)
昼休み。
わたしは職員室の前で拳を握り締めた。
「し、失礼しますっ!」
ガラガラッ! 大きな声と共に扉を開ける。
騎士部のおかげで――わたしにもすこしは勇気というものが持てたのかもしれない。
「う……」
花房先生がいるのはすぐにわかった。だって存在感が違う。
単純に大きいってこともあるし。
「うう……」
こっちを見てる。
自分の中に感じた勇気もあっさりしぼみ、それでも逃げるのは恐くて、わたしはふるえながら先生のところへ歩いていった。
「来たか」
それだけを。先生は言って、
「……う……」
沈黙。
むっすりと。
腕を組んだまま何も言わない。
(もう、叱られるのでもなんでもいいから早くしてぇーっ!)
耐えられない。
同じく無口、というかひたすらしゃべらないハナさんだけど、その愛らしさと小ささでまだ癒やされる部分はある。
真逆だもん。花房先生は。
「……おい」
ようやく重い口が開き、
「大丈夫か?」
「えっ」
相変わらず武骨な顔がこちらを見ている。
その目に真剣なものを感じ、わたしはあたふたとなって、
「だ、大丈夫って、何が」
「………………」
またも沈黙。
(これって)
心配――されちゃってるのか?
それも悪いほうの意味で!
(おまえ、アタマ大丈夫か? みたいな!)
ショックだ。
それは確かにちょーっとお嬢様な人が好きすぎるみたいなとこはあるけど、それで誰かに迷惑は……って会長はいやがってるけど。
ハッ! まさか会長から花房先生に何か言ってくれるようにって?
「!」
ぽんと。
熊のようにごつごつした手が頭に乗せられる。
「疲れているようだな」
わたしは、
(え、えーと)
またも軽くパニックになる。
すぐ前にある微笑み一つ見せない顔から目が離せなくなる。
ど、どういうつもりだろう。なんか、遠回しの事情聴取? みたいな。オレの授業で寝るなんて、どんな疲れることしてたんだ。言いわけできるならしてみろっていう。
「騎士部は大変か」
「えっ!」
はっきり驚きの声をあげてしまう。
職員室の視線が集まるのがわかったけど気にかけてられる余裕なんてなくて、
「いま、騎士部って」
かすかに。先生が息を飲んだのがわかった。
「………………」
無言のまま、気まずそうに目をそらす。
そして、ぽつり、
「……そういうことだ」
どういうことだ!? あぜんとなっているそこに、
「行っていいぞ」
あぜんとなる。
「行って……いい?」
答えはない。目をそらしたままだ。
「し……失礼します」
そう言うしかないだろう。
おそるおそる頭を下げ、わたしは職員室を後にした。
もうこの林の道もすっかり慣れた。
ここを行った先に洋館があると知っている人は、以前のわたしも含めてやっぱりほとんどいないだろう。
みんなの知らない場所を自分が知っている。
鬼堂院さんと――〝秘密〟を共有してる。
その感覚はいまも変わらずわたしの胸をときめかせてくれていたりする。
「あうちっ」
つまずいて転びそうになるところをぎりぎりで踏ん張る。
「よしっ」
汚れた服で鬼堂院さんに会ったりできないもんね。
けど、ちょっと変わった気がする。
わたし自身が。
毎日毎日。
騎士部で問答無用の〝部活動〟をさせられる中で、確かにちょっとグレードアップしてきたと思える。
体力だけでなくて、心も。
レディへの奉仕。
最初はわけがわからなかったけど、わからないなりに感じたことがある。
相手のことを想う。
これって人と人との関わりの基本なんじゃないだろうか。
その先に、レディというものがあって。
ただ戦うだけでなく、人に対する思いやりも忘れない。そういうふうに人間としてバランスを取っているのが騎士なんじゃないかと最近気づいてきた。
やってることも、最初は型通りかと思ったけど、実際はそうじゃない。
うれしいとき、悲しいとき、つらいとき。
当たり前だけど、向かい合うレディがいつも同じとは限らない。
それをさりげなく察する細やかさが、意外にも騎士として求められるのだ。
そのためなら、騎士道と呼ばれるものにも固執しない。
騎士のイメージが一変した瞬間だった。
「うまくできなくてもいいのだ」
優しく鬼堂院さんが言ってくれた。
紗維羅さんも、
「そうそう。最初は無理しなくてもいいのよ」
そう言ってるわりには、最初から厳しかった気もするが。
「別に、アナタ、騎士道体質ってわけじゃないんですものね」
「騎士道体質?」
謎の言葉だった。
「あるんかですか、そんな体質」
「あるのよー」
紗維羅さんは『お聞きになりました、奥さん』的な手ぶりで、
「考えるより先に『騎士』をやっちゃうの。レディの危機にはどこにいても駆けつけてきたりね」
いやいや、それは無理だろう。
鬼堂院さんが歌ってた『ナイトランサー』じゃないんだから。
それでも――
やっぱり自分の〝体質〟も変わってきたのかなって。
いままで帰宅部だった分、短期間のことでもそれは十分実感できた。
「遅かったではないか、翠」
「あ、ごめんなさい」
物思いにふけりながら洋館にたどりついたわたしは、テラスの椅子に座っている鬼堂院さんの声に我に返る。
むふふふ……そうなのだ。
ここ最近、わたしは洋館で鬼堂院さんとお昼をご一緒している。
まあ、ハナさんもいるんだけど。
(しかも……)
視線を向けた先には、
「はーい、今日のメインは紗維羅さん特製スペシャルビーフストロガノフよー❤」
「おお、すごいな」
「でしょー」
実際すごい。
普通、学校でこんな豪勢なランチをいただけるなんてことはまずあり得ない。
「でも……どうして」
いまさらながらの疑問を口にしてしまう。
「あらー」
つんと。つつかれる。
「顧問だからに決まってるでしょ」
理由になってない。
そもそもお昼に学校に入ってきていいのかっていう。先生でもないのに。
「アタシは執事ですもの」
胸に手を当てて。誇らしげに。
「屋敷のことを任された身として、最高のランチを用意するのは当然でしょ」
当然――かどうかはよくわからないけど。
「ありがとう、紗維羅」
鬼堂院さんにさわやかな笑顔でそう言われてしまうともう何も口を出せない。
「さー、あたたかいうちに召し上がれ」
紗維羅さんがそう言った直後、
「う……」
もぐもぐもぐ。
ハナさんが小さな身体に似合わない旺盛な食欲を見せ、まるでリスのように口いっぱいに料理を頬張った。
「だ、大丈夫で……」
「大丈夫よぉー」
なぜか紗維羅さんが答える。
「まだ料理はたーっぷり用意してあるから」
「いや、そういうことじゃなくて」
そんなに食べて大丈夫かということを心配したんだけど。
「ハナは食いしん坊だな。昔のアリスのようだ」
「アリス?」
またも知らない名前が出てくる。けど、それについてふれるより早く、
「翠も食べるのだ」
「あ、うん」
ぐぅぅぅぅ~。
言われるまでもない。おいしそうなにおいに空腹感も限界だ。
そもそも、こういうふうに一緒にお昼をするようになったのは、わたしのこの『空腹』が理由だった。
日々の騎士部の活動。
帰宅部だったわたしにそれは当然いままでにない心身の使い方をさせ、結果、いままでにないほどお腹がすくようになった。
だからって簡単に親に『お弁当増やして』とも言いづらい。
これでも女子だし。レディだし。
理由を説明するにしても、騎士部なんていう部活をどう説明すればいいのか。
そんなわたしの苦境に気づいてくれたのか、
「これからは一緒にお昼ごはんを食べよう」
言ってくれた。鬼堂院さんは。
うれしー!
もうその言葉だけでお腹いっぱい――にはならなかったけど。
「う……」
ぐぅぅぅぅ~……。
またもおなかが鳴り、切ないほどの空腹感にわたしは、
「い……いただきますっ」
取り分けられた紗維羅さんお手製料理に箸を伸ばした。
「んっ!」
お……おいしー!
「どう、お味は?」
「ほひひひへふ!」
ハナさんじゃないけど、わたしまで完全にエサを頬張ったリス状態だ。
「あらあら、ゆっくり食べなさい」
苦笑されるも気にかける余裕なんてなく、わたしは口いっぱいの幸せをよぉく噛みしめてから飲みこんだ。
「はぁ……」
うっとり。それってこういう状態なんだと再確認する。
「気に入ってもらえたみたいね」
今度はうれしそうに。紗維羅さんが笑う。
「依子仕込みだものな」
鬼堂院さんが言う。
ヨリコ――また知らない名前。
「あの」
おいしいものを食べた幸福感に加速させられたのか思わず、
「依子さんって」
「メイドだ」
あっさりと。言われる。
「ただのメイドじゃないわー。伝説のメイドよー」
「で、伝説の」
「すくなくともアタシにとってはね」
心持ち。しみじみと紗維羅さんが言う。
「いろいろなことを教わったわー。料理のこと、掃除のこと、お洗濯のこと」
「はあ」
「いまのアタシがあるのは依子のお・か・げ」
静かに胸に手を当て、
「こういうのが生きてることなんだって思ったわ」
なんだか、ちょっぴり重い。
まあ、いろいろな過去がありそうな人ではある。
見た目だけでもう普通じゃないし。
「依子はな」
鬼堂院さんが言葉を継ぐ。
「騎士部の顧問だったのだ」
「えっ!」
大きな声をあげてしまう。
「でも、メイドって」
「メイドで顧問なのだ」
わからない。ぜんぜんわからない。
と、そのとき、
「!」
がさがさっ。
不意に近くの木の枝がゆれ、とっさにそちらを見る。
「あーら、おサルさんかしら」
「いやいやいや」
いないと思うけどこの辺りには。
「おーい」
紗維羅さんがその猿(?)に向かって呼びかける。
「いたずらはだめよー」
がさがさっ。
「依子にお仕置きされるわよー」
がさがさがさっ!
「きゃっ」
ズドーン! 茂った葉の中から落ちてきたのは、
「ユイフォンさん!」
「う……」
地面に打ちつけたお尻を痛そうにさすっている。
腰に日本刀。
ユイフォンさんだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃ……ない……」
子どものように目じりに涙をにじませ、
「依子……こわい」
「えっ」
「依子のこと話してた。だからこわくて油断した」
「えーと」
わたしは、
「怖い人なんですか、依子さんって」
「う」
こくこく。
「こわい」
「はあ」
「ものすごくこわい」
「ものすごく」
どういう人だったんだろう。
「何度もぷりゅされそうになった」
「え!」
ぷりゅされる――殺される?
「どういうメイドさんなんですか……」
「大丈夫だ」
そこへ鬼堂院さんが、
「依子は怖いが怖くないぞ」
ど……どういう意味なのかなあ、それは。
「ともかく」
紗維羅さんが腰に手を当ててユイフォンさんを見下ろす。
「だめでしょー、学校に無断で来たりしたら」
「うー」
不服そうに眉の間にしわを作り、
「紗維羅、来てる」
「アタシは顧問だからいーの」
いや、お昼までいいかはあやしいんだけど。
「ユイフォン、媽媽の警護隊長」
「だからって学校の中まではだめよ」
「なんで」
「そーゆーものなの」
「う……」
不承不承という気持ちをにじませつつうつむく。えっ、いや、何の説明にもなってないんだけど。
「だったら」
顔を上げると目に力をこめて、
「ユイフォンも、顧問やる」
「それはだめだ」
鬼堂院さんから『待った』が入る。
「ユイフォンは騎士ではないからな」
「う……」
またもうつむいてしまう。
「ユイフォン、騎士じゃない。顧問になれない」
「そうだ」
「えーと……」
確かに紗維羅さんのことは騎士って言ってたけど。
「うう……」
ユイフォンさんの目に涙がにじむ。ホントに何歳なんだ、この人。
「泣くな、ユイフォン」
優しい笑顔で鬼堂院さんが頭をなでる。
本当に〝母親〟だなー。
と、さらに、
「う……」
なでなで。
いつの間にかそばに来ていたハナさんにも頭をなでられ、泣きそうだったユイフォンさんの表情がやわらぐ。
「ハナ、優しい。好き」
いやいやいや。
本当にユイフォンさんが子どもにしか見えなくなってくる。身体はぜんぜんハナさんより大きいのに。
「はいはい、機嫌も治ったところで」
紗維羅さんがぱんぱんと手を叩く。
「ユイフォンはおーそーと。姫様たちは早くごはん食べちゃいなさい」
「うー」
またも不満そうな顔になるユイフォンさん。
すると、
「顧問補佐ではどうだ」
鬼堂院さんが言う。
「顧問の補佐なら、騎士でなくともよいだろう」
「媽媽……!」
たちまち笑顔が輝く。
「けどねぇ」
難しいというように紗維羅さんの腕が組まれる。
「それに、ユイフォンは昔ここの生徒だったぞ」
えっ、そうなの?
「関係者ではないか。だから学校に来てもいいのだ」
「媽媽!」
感極まったという声をあげて鬼堂院さんに抱きつく。
「うー❤」
「ふふっ。ユイフォンは甘えん坊だな」
本当にそうだ。子どもそのものなはしゃぎっぷりが、腰の日本刀と思いっきりアンバランスではあるけど。
「よし」
これで解決。そう言いたそうにうなずく鬼堂院さんに、紗維羅さんも仕方ないといった感じで苦笑した。
そこに、
「?」
ぐぅぅぅぅ~……。
鳴り響いた音は、けどわたしのものじゃなかった。
「うー」
お腹を押さえたのはユイフォンさんだ。
「まだお昼を食べていなかったのか、ユイフォン」
「食べてなかった」
「私たちが食事するところを見てお腹を減らしていたのか。大変だったな」
「大変だった」
いや、自分で勝手にやってただけなんだから、やめればよかったと思うんだけど。
「ユイフォンも一緒に食べよう」
「う!」
「あらあら、足りるかしら」
「いっぱい作ってきたのではないのか」
「作ってきたけど、いっぱい食べる人もいるからねー」
思わずみんなが注目したそこでは、何事もなかったような顔のハナさんがまた食べ物で口をパンパンにしていた。
「ハナ、食いしん坊」
「そうだな」
笑い声がはじける。わたしも笑っていた。
このときは――笑えていた。
わたしの新しい日常。それは、これからも続くのだと思えていた。
Ⅺ
「えっ!」
目を見開いた。
久しぶりの鬼堂院さんのお屋敷で、紗維羅さんのおいしい紅茶とお菓子に大よろこびしていたそんなときだった。
「いきなりで驚かせちゃった? ごめんね」
「いやいや、こうゆうんはいきなりだからええんやん。サプライズや、サプライズ」
これまた久しぶりの錦さんとシルビアさんに、わたしは驚くべきことを聞かされていた。
鳴お兄ちゃんが会いに来る――
「ほ、本当なんですか」
声が上ずる。
「うれしいやろ」
にかっと笑って。シルビアさんが言う。
「………………」
言葉が出ない。
「驚いとったでー。真緒ちゃんの友だちって聞いてな」
「はあ」
「十年ぶりやもんなー。これも運命っちゅーかなんちゅーか」
と、こっちの表情に気づいたのだろう。
「どしたん?」
「………………」
わたしは、
「何をしてるんですか」
「え?」
「お兄ちゃんは」
シルビアさんの目をまっすぐに見て、
「鳴お兄ちゃんはいま何をしているんですか」
「何をって……」
笑って何かを言いかけるも、はっとしたように口をつぐむ。
わたしはもう自分を止められず、
「ここでは言えないようなことなんですか、お兄ちゃんのしてることは!」
「ちょい待ちぃて」
シルビアさんはあわてたように、
「そういうのは直接聞いたほうがええやろ」
「なんでですか!」
またも。相手が年上ということも忘れて大声をあげる。
「シルビアさんは!」
声を張る。
「お兄ちゃんの何なんですか!」
「何て……」
またも戸惑ったように、
「言うたやん、仲間やって」
「なんのですか!」
「だから、それは鳴から直接……」
「まさか」
ふるえる。
「言えないような……そこまで悪いことを」
「いやいやいやいや」
手が横にふられる。
「もー、なに心配してんの。鳴ってああいう鳴やん」
「ああいう……」
わたしの知ってるお兄ちゃんは――
「何なんですか」
「せやから」
「そんな、何でも知ってるみたいに! シルビアさんはお兄ちゃんと付き合ってたりするんですか!」
「ウチが? 鳴と?」
苦笑まじりにまた手をふられ、
「あり得へん、あり得へん。だってなぁ」
なぜかその視線が一緒にお茶していたハナさんに向けられる。相変わらずお菓子を口に入れすぎて頬がパンパンだ。
「え……」
どういうこと? なんでいまハナさんを見るんだろう。
わたしの中のいら立ちが加速する。
「ごまかさないでください!」
「ごまかすもつもりやないけど」
そこに、
「何を怒っているのだ」
「……っ」
鬼堂院さんの指摘にわたしは、
「怒ってるわけじゃ」
「本当か」
「………………」
なんて言えばいいんだろう。
「……わたし」
立ち上がっていた。
「帰ります」
鬼堂院さんが瞳をふるわせるのがわかった。
(う……)
前にも同じことがあった。
あのときも、お兄ちゃんの名前に驚いて思わず逃げ出していた。
同じだ。
わかっていた。
でも、もう止まらない。
止められない。
そして、こみあげるいたたまれなさに耐え切れなくなる。
「っ」
足早に。
わたしは応接間を飛び出した。
また一人に戻っただけだ。
わたしは――
「ふぅ」
こぼれたため息に気づき、思わず頭をふる。
そんなキャラじゃないだろう。
わたしは。
「あむっ」
ため息の出た分を補うように鈴カステラを放りこむ。
しゃわしゃわしゃわ。
甘い。
甘い――だけだ。
『おいしいな』
「……!」
浮かぶ。
「あ……」
鬼堂院さん。
初めてだった。
いまと同じ人気のないこの場所に。
彼女は――現れた。
「うっ……」
なんだか苦しい。
なんだろう、これ。
消えない。
鬼堂院さんは――
本当に、偶然わたしの前に現れたのだろうか。
その疑問が。
どうしても消えない。
だって、あり得ないと思う。
たまたま鬼堂院さんとその周りの人が鳴お兄ちゃんの知り合いなんて。
従妹だって知っていたから、それでわたしに――
(でも……なんで)
わからない。
お兄ちゃんの従妹のわたしと『友だち』になることにどんな理由が? わからないことだらけだ。
そもそも、鬼堂院さんの周りの人たちだってよくわからない。
紗維羅さんはいまだにその素顔さえ知らない。ユイフォンさんはなぜかいつも刀を持ち歩いてるし。シルビアさんと錦さんだって、うちの学校に通っていたこととお兄ちゃんの『仲間』ってことしかわからない。ハナさんに至ってはそもそも会話すら成立しない。
(ハナさん……)
クラスの違う鬼堂院さんとは顔を合わさないけど、こちらはそうはいかない。
といってもやっぱりハナさんというべきか、昨日のことにはまったくふれず、いつもの無表情のままだ。
それが助かるというか、さびしいというか。
(さびしい……)
さびしいのか――わたしは。
「ないない」
さらりと口にする。自分でも作ってるとわかりつつ、それに気づかないふりで。
そうだ、さびしいなんてない。
いつも一人だった。
誰も来ない校舎の隅っこで、いつもこうして鈴カステラを食べていた。
『鈴カステラというのか』
「っ!」
だめだ、だめだ、だめだ!
さびしいなんてないんだから! ここに鬼堂院さんがいなくたって――
「ぷりゅ」
! 驚いた。
「……え?」
白い子犬? けど、すぐにそうじゃないって気づく。
「う……馬?」
「ぷりゅ」
そうだというように、その小さな白馬がうなずく。
いやいやいや、馬にしたっておかしい! 子どもだとしてもこんなぬいぐるみみたいに小さい馬が――
「!」
ぬいぐるみ。思い出す。
「し……白姫ちゃん人形?」
そうだ。なぐさめられるとき、会長がいつも渡される――
「あっ」
とことこ、と。
わたしの脇をすり抜け、屋上への階段を上っていくミニ白馬にわたしはあわてて、
「えーと、えーと」
って、どうすればいいの!?
「ぷりゅ」
足を止めたミニ白馬がふり向く。ついてきてほしいと言いたげに。
「そんな」
ど、どうしよう。
「待って!」
つぶらなその瞳に負け、わたしは立ち上がった。
屋上の扉は施錠されている。
けど、なぜかその扉が自然と開き、ミニ白馬は迷いのない足取りでその隙間をすり抜けた。
「ちょっと待って」
追いかけてどうしようというのか。
それもわからないまま、わたしは同じように扉の向こうへ足を踏み入れた。
「っ」
日差しに目を閉じる。
「あ……」
いない。わたしは辺りを見回し、
「!」
いた。
「ちょっ……」
なんでそんなところに!
そんな――転落防止のフェンスの上に!
「ぷりゅぷりゅー」
のんきな鳴き声をあげるミニ白馬。
「いやいや、危ないから! 落ちたら大変だから!」
わたしはあわててその子をつかまえようと――
「……えっ」
つかまえようとした――その手が止まる。
ぶわさっ。
大きな翼が空に広がった。
「………………」
絶句。
小さな身体に不釣り合いの大きすぎる翼。
ペガサス。
そんな言葉が浮かんで、しかしすぐに打ち消される。
天馬の翼というのはもっと優雅なイメージだ。
まったく違う。
禍々しい。
その印象のほうがはるかに強い。
爬虫類? 恐竜?
その翼はこちらに向けて広げられた巨大な悪魔の手のように見えた。
「――!」
我に返ったときにはもう遅かった。
「きゃあっ」
荒々しく包みこまれる。
つかまれる。
何が起こったかわからず、わたしはパニックになる。
「っ」
浮いてる!? 視界が覆われた中でもその感覚ははっきりとわかった。
「い……」
恐怖に絶叫する。
「いやぁぁぁぁぁーーーっ!」
ズバァッ!
「!」
ぱっと。視界が開けた。
「……っ」
あらたな恐怖に襲われる。
空――
不意に解放されたそこは、前後左右見渡す限りの――
「きゃあぁぁぁーーーーーーっ!」
落下していく。どうしようもないその状況に、わたしはぎゅっと目をつぶって縮こまることしか――
「紀野さんッ」
しっかと。
「!」
う……受け止められた?
衝撃が冷めきらず、頭がまともに動かない。
けど、わたしを呼んでくれたその声が誰のものなのかはすぐにわかった。
「会……長」
安堵する笑みがわたしの視界に映る。
「あ……」
会長だ。間違いなく式会長だ。
えっ、わたし、式会長に助けてもらったの?
受け止めてもらったの? わたしよりぜんぜんちっちゃかわいい会長に!
「ごめんなさい。もっと早く来られたらよかったのに」
そっと。降ろしてもらってもまだわたしはぼうぜんとしたままだった。
「……抱っこですか」
「えっ」
「わたし! 会長にお姫様抱っこされちゃったんですか!」
ぽかんとなる会長。
その顔がやれやれというものに変わる。
会長だ。
間違いなく会長だ。
「あ……あのっ」
何がどうなってるのか――それを聞こうとした瞬間、
「!」
悲鳴。
それも人間のものじゃない。
「あっ!」
悲鳴をあげた〝それ〟が真っ逆さまに落ちてくる。
「下がって!」
会長がわたしを後ろにかばう。
なんて頼もしい。
身体の小ささなんて関係ない。
先輩、そして生徒会長な人なのだとあらためて実感する。
「……!」
それは――屋上に激しく身体を打ちつけてもなおうごめき続けていた。
「な……」
声がふるえる。
「何なん……ですか……」
問いかける。問いかけたくもなる。
それは――
「う……」
吐き気に口を押さえる。
異形。
白姫ちゃん人形の愛らしさはどこにもない。ううん、ちょっとだけ面影が残ってるから逆に醜悪だ。
怪物――
そうとしか言いようがない。
不気味なねじくれた翼を生やしたその存在は。
「魔印(マイン)の付魔騎乗(エンチャント・ライド)」
「!」
え? な、なんて?
と、不意に、
「きゃっ」
奇声。心が凍りつくような叫び声をあげたそれはこちらに向かって――
「はぁっ!」
ぶぅぅぅん! 風が渦を巻いた。
「あ……」
会長の手に――それは、
「〝勇気の槍〟」
言う。
「アリス様からお預かりしたこの槍にかけて」
槍――
槍、なのか?
見えない。
見えるとも言えるけど、それは決定的なものに欠けていた。
ない。
槍の先端にあるはずの――その〝突く〟部分がないのだ。
はっきり言って、ただの棒だ。
「守ります」
静かに。けれど確かな強さで会長が言う。
「従騎士・式居織。主人たる騎士アリス・クリーヴランドに預けられたこの槍にかけてレディを守ります」
「――!」
気づく。
式会長。
シキ。それを逆さまにすると――『騎士』!
(いやいやっ、偶然だって)
だけど、勇ましく自分を守ってくれるその姿は、まさに騎士と言いたくなる力強さに満ちて見えた。
(会長が……わたしを)
レディとして。
うれしい。
いや、よろこんでる場合じゃないんだけど。
「……許せない」
心からの怒りがこめられたつぶやきに、さらに胸がときめく。
そこまでわたしのことを――
「許せません! わたしの白姫ちゃん人形に取りつくなんて!」
がくぅっ! そ、そっちのほう?
「かわい白姫ちゃん人形をそんな醜い姿に変えて! 親友のアリス様だってどれほど悲しむことか!」
いやいや、いまは人形のことよりも――
「!」
動いた。怪物が。
最初はただダメージでゆらいだだけかと思ったけど、そこから転がるような不意のスピードでこちらに迫る。
「っ……」
式会長も意表をつかれたのだろう。
とっさに槍を引き寄せて防御の態勢を取ったけど、それごと飲みこむようにまた怪物は不気味な翼を広げて――
「!」
ズバァァァン!
斬り裂かれた。
真上からのするどい落下物に。
「あ……」
屋上に突き刺さった。それは三角形の凧のように見えた。
「ハナさん!」
「……!?」
え? いま会長はなんて――
「!」
動いた。
三角形から人影が。
「ハナ……さん」
首を横にふられる。
「あ……」
仮面。
ハナさんと思ったその女性の顔には、澄んだ空を思わせる青い仮面が装着されていた。
「ス……」
そのとき会長が、
「スカイランサー」
「ス、スカイランサー!?」
思いっきり大きな声で聞き返してしまう。
会長ははっとして、
「見ればわかるでしょう! 青い仮面の正義のヒーローです!」
青い仮面の正義のヒーロー!? いやいや、それって色以外は鬼堂院さんの話してた『ナイトランサー』だし!
「えーと……」
あらためてその『仮面のヒーロー』さんを見る。
シャン。
彼女が手をふるうと、三角形の凧が金属音をたてて縮んだ。
そのシルエットは、
「槍……」
槍だ。
会長のものとは違い先端もはっきりとがってる。
「あれは〝飛燕(ひえん)の槍〟」
会長が言う。
「ハナさ……スカイランサーの騎士槍。空を飛翔することが可能な槍です」
空を飛翔!?
あ、ひょっとしてあの凧みたいな形はそのために?
いやいや、だからって槍を使って空を飛ぶなんてこと考えられない。
だけど、
(あのとき……)
わけのわからないまま怪物に空へつれさられそうになったとき、何か斬り裂かれるような音がして、そしてわたしは解放された。
あれって――
「あの方がいなければ、空へ連れ去られるあなたを助けることはできませんでした」
「……!」
やっぱりだ! やっぱりそうなんだ!
けど、まだ信じられない。
それ以前に理由がわからない。
なんであんな怪物が現れて、しかもそれにわたしが襲われるの?
そして――はっきりと聞いた。
「会長……」
言う。
「魔印って……何ですか」
「っ」
はっと息を飲まれる。
「付魔騎乗って何ですか! 何なんですか!」
「乗るの……騎力(きりょく)で」
「乗る!?」
「乗り移るというほうが近いけど」
乗る? 乗り移る?
ぜんぜん意味がわからない。
「はむっ」
ふさがれた。会長の口が。
いつの間にか後ろに回りこんでいたスカイランサーの手で。
「何なの……」
どうしても言いたくなる。
「なんで、そうやって隠すの」
答えはない。
「お兄ちゃんのことだってそう! みんな、わたしに何かを隠してる! わたしに本当のことを教えてくれない!」
じわり。涙がにじむ。
「これじゃ……一人でいるのと変わらないよ」
会長だけでなく、スカイランサーもはっとなるのがわかった。
ふるふると。その首が横にふられるも、
「っ!」
駆け出していた。二人に背を向けて。
まただ。
また逃げた。
しかも、泣きながら。
こんなのわたしのキャラじゃない。何度も心の中で言う。
けど、
「っ……く」
止まらない。
だって、止まらないよ。
わたしは――
わたしはこんなに……みんなとの時間が――
鬼堂院さんたちとの時間が――
「離すのだ!」
凍りついた。
でもそれは一瞬で、すぐさま声の聞こえたほうへ走る。
「!」
鬼堂院さん――
暴れる彼女を無理やり押さえつけていたのはなんと、
「何をしてるんですか!」
声を張り上げると同時に駆け出していた。
「っ……」
驚いた顔でこちらを見る――花房先生。
わたしは止まらない。
「えぃやーっ」
ドンッ!
「く……」
先生の大きな身体はゆらぎもしない。それでも動揺はしたんだろう。鬼堂院さんをつかんでいた手が離れる。
「こっち!」
鬼堂院さんの腕をつかむ。
夢中だった。
彼女の手を引いて、わたしは必死に廊下を走った。
Ⅻ
「翠! 翠!」
鬼堂院さんの声が聞こえる。
けど、それはどこか遠くから響いてくるかのようだった。
(逃げないと……)
逃げないと。いまわたしの頭はそれでいっぱいで――
「落ち着くのだ、翠!」
「……!」
ようやく。
引っ張っていた腕を逆に思い切り引かれ、わたしはよろめきつつその場に立ち止まる。
「に、逃げないと」
「翠」
すべやかな手がわたしの顔をはさみこむ。
「大丈夫だったか」
心からの。まっすぐに注がれるそのいたわりの眼差しに、
「……う……」
どうしようもなく、
「大丈夫じゃ……ないよ……」
止まっていた涙が再び流れ落ちる。
「う……う……」
「よしよし」
抱き寄せられる。頭をいい子いい子され、わたしは子どもみたいにすがりつく。
(これじゃ、どっちが助けたんだかわからないよ)
情けなさで胸がいっぱいになる。
だけど、鬼堂院さんの胸から顔をあげたいとは思わなかった。
「あ……」
そうだ。これだけは確かめないと。
「どうして、花房先生が」
鬼堂院さんの顔がこわばる。
そして、言う。
「逃げるぞ」
「えっ」
「ここにいてはだめだ。学校のみんなを巻きこんでしまう」
その直後、
「きゃあああああっ!」
跳んだ。
なんとそばにあった廊下の窓から。
(ここ三階で……って、ええぇぇーーーーーっ!)
手をつかまれたわたしも一緒に下に――
「きゃっ」
ドシンッ!
衝撃はあったが、大きなクッションのようなものがそれを『軽く痛い』くらいのレベルにまで弱めてくれた。
(クッション……?)
こんなところに偶然そんな――
「ありがとう、ティオ」
「!」
鬼堂院さんがお礼を言った――その相手は、
「がるがる」
「ひゃあああっ!」
悲鳴をあげる。あげたくもなる。
だって、わたしたちのお尻の下にいたのは、
「虎ぁっ!?」
いや、微妙に違う。この動物は――図鑑とかで見た覚えがある。
「……サ……」
サーベルタイガー。
(いやいやいやいやっ!)
いるわけがない、そんなのが現代に。きっとたまたま牙が大きく見えるただの虎――いやただの虎だって十分大変なんだけど。
「大丈夫だ」
何が!?
「ティオはとても賢いからな」
か、賢いって。それでも危険なことには変わりがなくて。
「あっ」
ひょっとして、鬼堂院さんのペット?
お金持ちが変わった動物を飼うっていうのはよく聞くし、それなら人に危害を加えないのかもしれない。
だけど、猛獣の間近どころか背中に乗ってるってのはさすがに――
「もー、人目につくところに出たらだめでしょ、ティオ」
ブォンブォン!
「!」
今度は――
「ここからはアタシに任せなさい」
「紗維羅さん!」
前にも見たゴツいバイクにまたがったその姿にわたしは絶句する。
「いやあの、ここ学校ですよ?」
「だから問題ないわよ、騎士部顧問なんだし」
あるある! バイクでこんな校舎の前まで乗りつけるのは!
思いっきり目立っちゃってるし!
「姫様、こっちに」
「うむ」
そして、
「もー、そんな顔しないで。あなたはご主人様を迎えに行きなさい」
「がる……」
不承不承という感じを見せつつ、ティオと呼ばれた虎(?)がうなずく。
ていうか、ご主人様? えっ、鬼堂院さんがそうじゃないの!?
「ほら、翠」
バイクの後ろにまたがった鬼堂院さんが手を伸ばす。
「来い」
「……!」
いまの状況も忘れて思わずときめく。
二人乗り――っていうか三人乗りになっちゃうんだけど。道交法的に大丈夫かは気にはなるんだけど。
が、しかし、
「この子はあっちよ」
無情な一言と共に指さされた――そこに、
「あっ」
紗維羅さんのものよりスポーティでアメリカン。そんなバイクがよく似合う――
「シルビアさん」
「やほー」
笑顔で手をふる。そこに昨日のことを感じさせるものはまったくなかった。
かえってこっちのほうが戸惑う。自分とお兄ちゃんを想って提案してくれたことなのに、それを自分は――
「早よ乗りぃ」
くいと。親指をバイクの後ろに向ける。
「そないに時間はないで」
真剣な顔で言われ、
「あ……」
気づいた。
空――
雲が渦を巻いている。
空自体の色もなんだかおかしい。青の奥に暗闇がかかっているような、うまく形容できない濁った色だ。
「ほら、早う!」
「あ、はい」
我に返ってバイクに乗る。
「行くで」
ブルゥゥゥン!
「!」
紗維羅さんに負けないビート。ふり落とされそうな思いにあわててシルビアさんにしがみついた瞬間、
「きゃああああああああっ!」
ものすごい加速で二台のバイクは並んで走り出した。
「いやあああああああっ!」
怖い、怖い、怖い! ホントに怖い!
「あーら、やるわね、こっちの騎士にしては!」
「ウチはこの子らとも付き合い長いんや! むしろ、こっちのほうが早いくらいやで!」
「ふふーん、どこまでアタシについてこれるかしら!」
「こっちのセリフや!」
爆音の中、かろうじて二人の投げ交わす言葉が聞こえる。
ていうか余裕ありすぎだって!
「おっと」
キキキキキキッ!
「!」
不意のブレーキに、悲鳴すらあげられずしがみつく腕に力をこめる。
「あかんなー」
「えっ」
顔をあげる。
「!?」
な、何?
小さな山。最初はそう思えた。
けどその表面に、
(あれって……『目』!?)
目。
二つの。
威容にふさわしく大きな、そしてまん丸い。
模様かとも思ったが、そうでないことはすぐにわかった。
動いているのだ。
ぎろぎろと。
「きゃっ」
見られた。
「シ、シルビアさん、あれって」
「海馬(シーホース)やな」
ホース? 馬!?
いや『シーホース』って言うより『海坊主』ってカンジなんだけど!
「館長らが十年前の〝大戦〟で戦うたって聞いたことはあるけど……こない街中に」
そ、そうだ、ここは街中だ! 人家のほとんどない郊外だけれど、それでも間違いなく地上だ! 海じゃなくて!
「向こうもなりふり構ってないわね」
同じくバイクを止めていた紗維羅さんがつぶやく。
「見なさい。ちゃんと水騎士(すいきし)もいるわ」
「!」
いた。
海馬と呼ばれた怪物の上に乗っている――あの無数の人影がその『水騎士』という存在なのだろう。
現代ではあり得ない格好。
魚の頭を思わせる兜をかぶり、鱗を並べたような鎧を身にまとっている。
そして手には漁師の銛を思わせる――槍。
「っ!」
投げてきた。
怪物の頭に並んだ人影たちが槍をいっせいに。
「しゃがみぃ!」
言われるまでもなく、シルビアさんの背に隠れるようにして縮こまる。
「はぁぁぁっ!」
ダンダンダンダンダンダンダーーーーンッ!
「!」
それは――銃声。
「……っ」
キンキンキンキンキンキンキンッ!
「あ」
見えた。
思わず顔を上げたわたしの目に。
飛んできた銛のような槍が次々とはじき落とされていくのが。
「ふー」
たなびく煙を吹き払う。
いつの間にか。
シルビアさんの手には銃を組みこんだような形の槍が握られていた。
「い、いまの」
ふるえる声で聞く。
「シルビアさん……が」
「ふっ」
笑う気配が伝わってくる。
そして、ふり向いたその顔に、
「えっ!」
か――仮面!?
「シルバーランサーや」
「シル……バ……」
また? また仮面のヒーロー!?
「これはウチの愛槍。〝銀火(ぎんか)の槍〟や」
にこっと。
「カッコええやろ」
「………………」
声もない。
そして、唐突に気づかされる。
(騎士……)
この人は本当に。
騎士なんだ。
騎士部の先輩。それはただの〝部活の先輩〟でなく本当にわたしにとって騎士の――
(いやいやっ!)
目指してないから、わたしは騎士は!
(……ていうか)
なんなんだ『騎士』って! 部活としてそれを聞いたときは、単純にそういう人間像をイメージしてそうなるようがんばるみたいな感じでとらえてた。
けど、目の前のシルビアさん――じゃなくてシルバーランサー。
会長やあのスカイランサーだってそうだ。
槍。
みんな、持ってる。
そんなものを持ってるのはやっぱり――
「ごめんな」
真摯な目で。シルバーランサーがこちらを見ていた。
「こんなことに巻きこんでもうて」
「それは」
正直、何に巻きこまれたかのすらはっきりわかっていない。
それでも、
「信じてますから」
自然と。その言葉が出た。
「先輩のことを」
シルバーランサーの目が丸くなる。
「………………」
嘘じゃない。
騎士部での日々がわたしにそう言わせていた。
「ふふっ」
笑う。
「かわええなぁ」
くしゃくしゃと。髪をかきまぜられる。
「戦う気になれるやん」
「シルビアさん……」
「ちゃうちゃう、シルバーランサーやろ」
「は、はい……シルバーランサー」
そこに、
「!」
ブォンブォンブォン!
猛烈なエンジン音にわたしもシルバーランサーも目を見張る。
「何を……」
巨大な怪物に向かって威嚇するようにエンジンをふかしている紗維羅さん――
「あ!」
違う。紗維羅さんじゃない。
「うふふふふふ」
どこか凄みを感じさせる笑い。そしてその顔(?)には、
「な、なんで」
言いたくもなる。
これまではただ〝仮面〟だけで驚いていた。
だけど、紗維羅さんは――
「お……」
おかしい! 言いたくなるって!
なんで顔を覆い隠しているヘルメットの上から、また仮面なの!?
意味ないし!
しかも、そのメタリックな仮面は右半分だけしかないし!
意味わかんないし!
「ターボランサーよ」
タ……ターボランサー!?
またも。
仮面の騎士の登場だ。
いや、紗維羅さんに関していえば最初から仮面みたいなものなんだけど。
あ、ターボランサーか。
「翠」
いつの間にかバイクから降りた鬼堂院さんがこちらに来る。
そこへ、
「姫様のこと、頼んだわよ!」
「あんた、何を」
「うふふっ」
シルバーランサーの問いかけに笑い声が返ってくる。やはりそれはいつもより凄みを感じさせるもので、
「久々に見せてあげる。〝輝閃(ひかり)の騎士団〟副団長の実力を」
「あっ」
思い出す。
以前、紗維羅さんが『副団長』と呼ばれていたことを。
けど、わからないよ〝ヒカリの騎士団〟なんて言われても!
「あっ!」
そこで気づかされる。
これまでの騎士な人たちはみんな持ってた――
「紗維羅さん……じゃなくてターボランサーの槍はどこに」
「ここよ」
バイクを軽く手のひらで叩く。
「それって」
その中に槍が――
「あのバイクや」
「えっ」
「あれは槍なんよ。あのバイク自体がな」
「ええっ!」
わたしが驚く中、
「行くわよぉっ!」
雄たけびに続いてエンジンの爆音がとどろく。
「アタシのかわいい〝爆兎(ばくと)の槍〟! アタシと一緒に疾(と)びなさぁぁい!」
ト、トビなさい!?
「ランスぅぅ……」
ブォン!
「っ」
見た。
バイクの先端。そこにまばゆい光を放つ槍先が出現したのを。
まるでアニメのビームなんとかみたいな――
「チャーーーーーーーーージ!」
ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!
「!」
突撃――
真正面から怪物に。
「あ……や……」
無茶だ。大勢の人間を乗せられるようなそんな巨大な相手に向かって――
「大丈夫だ」
そばに来ていた鬼堂院さんがわたしの手を握る。
「ターボランサーの心は私たちと共にある。仮面の騎士は……」
まっすぐな眼差しで、
「正義の騎士だ」
バァァァァァァァァン!
「!」
弾けた。
「な……」
あぜんと。声を失う。
巨大な怪物の真ん中に、向こう側まで見通せるほどの大きな穴が開いていた。
「すごい……」
「そうだ。〝輝閃の騎士団〟副団長はすごいのだ」
自分のことのように鬼堂院さんが胸を張る。
「あ、でも」
突っこんだターボランサーはどうなったのか――そう言いそうになったそのとき、
「……!」
響くエンジン音。現れたのは、
「ちょーっと無茶しちゃったわねー」
「!」
絶句する。戻ってきたターボランサーのその顔(?)から、
「あ、だ、だい」
大丈夫か――そう聞くのもためらわれる。
煙。
そして、火花。
「う……」
あらためて絶句する。
「なんで……」
言ってしまう。
「なんで火花が出てるの!」
「気にしないで。修理すれば平気だから」
「修理!?」
どういうことだ!
「けど……」
ターボランサーの声にノイズ――ひび割れとかでなく『ノイズ』としか言いようのない雑音が混じる。
「これ以上、姫様たちと一緒に行くのは難しいみたい」
「えっ!」
「でも大丈夫。ちゃんと送り届けるわ」
送り届け――?
「!」
そのときだ。
ターボランサーが貫き、そしてそのまま戻ってきた怪物の大穴からあらたなエンジン音が聞こえてきた。
やってきたのは小さめのかわいらしい車。
運転席には、
「ユイフォンさん!」
キキキッ。
思いがけずあざやかな運転でわたしたちの脇につける。
「媽媽、乗って!」
「うむ」
慣れているというように後部座席へすべりこむ。
と、シルバーランサーが、
「あんたも車に」
「えっ」
「さすがにここを一人だけに任せてはおけんやろ」
スタッ、スタッ、スタッ!
「っ……」
次々と。降りてくる。
魚みたいな鎧をつけた人たちが。
「ほら、急ぎぃ!」
背中を押され、あたふたと車の助手席に乗りこむ。
「二人のことは任せたで!」
「う!」
力強くうなずくユイフォンさん。
「!」
ブゥゥン! 小さな車体から思いがけず力強いエンジン音が響き、
「ええええええーーーっ!」
突っこむ。
怪物に開いた穴に向かって、再び。
ていうかよく見たら、なんかちょっと溶けかかってるし!
「あ、危な……」
構うことなく――
アクセルが踏みこまれる。
「うひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
バイクにまったく劣らない恐怖に、わたしは絶叫するしかなかった。
「――!」
抜けた。
「ハッ……ハァ……」
無意識に息を止めていたみたいだ。わたしは思い出したように呼吸をくり返す。
「翠、大丈夫?」
運転をしながらユイフォンさんが聞いてくる。
「なんとか……」
「う」
それならいいとうなずく。そして、
「ごめんなさい」
「えっ」
「あやしいって言って、ごめんなさい」
「それは」
そんなこともあった。
あれからそれほど経っていないはずなのにずっと昔に思える。
いまのわたしは――
「許しません」
「う!?」
「なんて」
笑って、
「大好きですよ、ユイフォンさん」
「……う……」
こちらを見る瞳がふるえる。
心から言えた。
顧問『補佐』として騎士部に合流してきてからだ。
ユイフォンさんが。
いい人なんだって、はっきりわかったのが。
近くでそのかわいらしさにふれてきた。
指導を任されるようなことはほとんどなかったけど、鬼堂院さんやハナさんとお茶をしてるだけでうれしそうだった。
本当に年齢を感じさせない人だった。
いろんな意味で。
「うれしい」
車の進行方向へ視線を戻しながらつぶやく。
「ユイフォンも、翠、好き」
えへへっ。
ちょっとうれしかった。
「よかったな、ユイフォン」
後ろの席の鬼堂院さんが笑顔で言う。
「う」
ユイフォンさんも笑顔でうなずく。
「さすが媽媽の友だち」
その言葉が胸をつく。
「………………」
「翠?」
けげんそうな鬼堂院さんに、
「あの」
わたしは……いまでも鬼堂院さんに『友だち』と――
「ユイフォンは私の大切な娘だ」
あらためて。鬼堂院さんが言う。
「いまでも一緒に寝るくらい大事だぞ」
「う。寝てる」
「ええっ!」
一緒に――って、それはなんだか別の誤解が生まれそうな。
「昔からずっとだ」
「昔からずっと」
「は、はあ」
昔はともかく、さすがにいまは――
「う!」
キキキキキキキィッ!
「きゃっ」
不意にハンドルが切られ、身体が激しくゆさぶられる。
「なっ……」
何があったのか聞こうとした瞬間、
「!」
閃光。そして爆音。
「う、嘘」
いまのって――爆撃!?
「あっ!」
聞こえてくる複数のローター音。これってヘリコプターの――
「来た」
「!」
何かが高速で車の上を通過していった。
「ええっ!」
前に回りこんだそれは、確かに小型のヘリコプターの形をしていた。
けど、それだけじゃない。勢いよく回転する羽根の下にあったのは――槍を手にした鎧姿の人影!?
「機印(キーン)の械騎士(かいきし)」
「っ……」
「強い。戦わないと逃げきれない」
「た、戦うって」
今度は、あんな、ロボットみたいな相手と。
「翠」
「は、はいっ」
ユイフォンさんは、
「変わって」
「え?」
「運転」
「え、ちょ、あの」
何か言う間もなく、
「きゃあっ」
ためらいなくハンドルから手が離され、わたしは驚きあわててそれをつかむ。
「なっ、何をして」
「大丈夫」
窓から身を乗り出しつつ、ユイフォンさんが言う。
「バンデン・プラ・プリンセス」
「は?」
「車の名前」
いや、いまそんなこと教えてもらってる場合じゃ。
「同じ」
「えっ」
「媽媽と同じ。プリンセス」
あ……そういうこと。確かに鬼堂院さんは『姫』って呼ばれてるけど。
「だから、大丈夫」
「え……」
いや、何が大丈夫たって言うの、ねえ!
と、そんな心の叫びが口に出されるより早く、
「ユイフォンさん!?」
完全に窓から外に出ていってしまう。
驚きあわてつつ、わたしは必死になって運転席にすべりこむ。
「えーと、えーと」
もちろん車の運転なんてしたことない。小さいころそれっぽいおもちゃに乗った記憶があるくらいだ。
「アクセルを踏むんだよね……アクセル……」
って、どっちを踏むとアクセルだ!? それすらわからないんだけど!
「走らせて!」
車の屋根越しにユイフォンさんの声が響く。
「お……オーケー!」
何がOKだ、何が!
昔のカーアクション映画か!
だけど、身体は自分の雄たけびに反応してしまったというか、もうやぶれかぶれに足元のペダルを踏みこむ。
「!」
ギュゥゥゥゥゥゥゥン! スピードが上がった。
運良くアクセルのほうを踏めたらしい。
(運いいのか、これ!?)
思わず心の中でツッコむ。ていうか、
(い……いるんだけど!)
ヘリコプターの騎士たちが正面に。しかも、こっちに向かって手にした槍を――
「どぅおわぁっ!」
ドンドンドンドンッ!
ミ、ミサイルが出たぁ!?
そうか、最初にこちらを爆撃してきたのはああやって放たれたもの――とか再確認してる余裕なんてまったくなくて!
「はぁぁぁっ!」
スバン、ズバン、ズバンッ!
「!」
気合、そして斬撃音。
閃光の直後、爆音がびりびりと車をふるわせる。
「くぬぅっ!」
しがみつくようにハンドルを握り、ユイフォンさんを信じてアクセルを踏み続ける。
「いいぞ、翠」
耳元で鬼堂院さんがエールをくれる。
胸が熱くなり、勇気と力とがいくらでもわいてくる。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
気合を高める声が聞こえてくる。
「……!」
叫んだ。
「セイバーチャーーーーーージ!!!」
セ、セイバーチャージ!? それってターボランサーと同じような……あっ、だから、わたしにこうして車を――
「!」
ズバァァァァァァァァァァン!!!
「っ……」
違う。
ターボランサーみたいにまっすぐ貫くんじゃない。
いや、まっすぐさは変わらない。
けど――
「きゃっ」
ドンドンドンドンッ!
通り過ぎた後方に次々と爆炎が上がる。
ユイフォンさんだ。
巨大な刀が一閃したような衝撃波――じゃなくて衝撃〝刃(は)〟。それが飛翔していたヘリコプター騎士たちをすべて撃墜したのだ。
「翠、ありがとう」
ユイフォンさんが車内に戻ってくる。
「あっ」
その顔をまじまじと見てしまう。
「どうかした?」
「あ、いえ」
わたしはとりあえず運転を〝彼女〟と替わる。
「………………」
「う?」
見つめられ続けているのを不審に思ったのだろう。
「どうしたの?」
「どうしたのって」
こっちが聞きたい。
「……す……」
けど、それを直接口にできず、
「すごいんですね」
「すごい」
得意そうにうなずかれる。
「ユイフォン、攻撃隊長だから」
「えっ」
攻撃隊長!? 前は警護隊長とかって言ってなかった?
「う。〝輝閃の騎士団〟の攻撃隊長」
「ヒカリの……」
それって、ターボランサーも言ってた――
「あっ、違う」
はっとなった後、あたふたと、
「いまはユイフォンじゃない。シャドウセイバー」
「は、はあ」
ユイフォンさんまで――
確かにいまの彼女は〝ユイフォンさん〟じゃなくて、口にした名前通りの『影』を思わせる薄灰色の仮面で顔を隠していた。
「なんで……」
「シャドウセイバー、正義のヒーローだから。爸爸の娘だから」
「爸爸って」
確か、ナイトランサーのことをそう呼んでいた。だから、同じように〝仮面〟だったりするのか。
いやいや、じゃあ他の人たちは? 納得できたような、できないような。
「ついた」
「えっ」
キッ。車の止められたそこは、
「急いで、媽媽」
「うむ」
「翠も」
「え、いえ、あの」
戸惑いながら車を降りたわたしが見たのは、
「――!」
見上げるほどに大きな船だった。
ⅩⅢ
客船――と言うのとはすこし違う。軍艦と言うほどの物々しさもない。
輸送船という感じが一番近いだろうか。
「真緒ちゃーーーーーん!」
船上からの呼び声に、わたしも顔を上げる。
「待たせたなーっ!」
そう叫んで、鬼堂院さんが手をふり返す。
相手はなんと錦さんだった。
「いつでも出航できるよーっ! 早く乗ってーっ!」
し――出航!?
「ほら、翠!」
「え……」
わたしに向かって手が差し出される。
「………………」
わたしは、
「あ、あの」
声がふるえるのを抑えられないまま、
「出航って……どこへ」
「騎士の島だ」
「騎士の島!?」
あるのか、そんなものが!
「鳳莱島(ほうらいとう)と言ってな」
さらにこちらへと手が伸びる。
「さあ」
「……っ……」
わたしは――
「あ」
驚いたような声がもれる。
それは、思ってた以上にわたしの胸をつくものだった。
「翠」
(ううっ)
だって――
だって無理だよ、さすがに!
いままでのことだって、十分『無理』の中には入るけど。
けど、何もわからないままつれ回されたその果てに、船に乗せられて聞いたこともない名前の島に行くなんて。
「……無理」
口をつく。
「無理だって」
「………………」
鬼堂院さんは、
「シャドウセイバー」
「う?」
「翠のことを守ってやってくれ。ここに残って」
「う!?」
鬼堂院さんは静かな顔のまま、
「手が足りなければ警護隊を総動員するのだ。私からも他の者に頼んで……」
「ま、待って!」
あたふたとなり、
「媽媽のこと守らないと」
「私の責任なのだ」
やはり静かなまま。言う。
「翠」
微笑みが向けられる。
「ありがとう」
「……!」
「楽しかったぞ。翠が友だちになってくれて」
わたしが声をなくしていると、
「本当にすまなかった」
深く頭を下げられる。
「おまえのことだけは必ず守る」
「そ……」
それは……でも――
「おかしいだろうな」
再び笑みを見せる。けど、その表情は、こちらの息がつまりそうなほどつらく悲しげなものだった。
「私の口からおまえを守るなどと」
「そんな」
「危険な目に合わせているのは、私だというのに」
「……!」
それは違う! わたしは声を大にして言おうとした。
だって……だってそうだよ!
一方的に襲ってきたのは、みんなあっちだ。鬼堂院さんだって一緒に襲われている。
鬼堂院さんは――何も悪くない!
「………………」
言えなかった。
言えなかったよ、わたし。
(情けない……)
本当に。こんなに心の底から自分を情けないと思ったのは初めてだった。
「いいのだ」
優しく。
それでも優しくわたしの肩に手を置く。
「頼むぞ、シャドウセイバー」
「う……」
戸惑いを残すも、そこに積極的に逆らおうという勢いはもうなかった。
「頼んだぞ」
念を押すように言うと、鬼堂院さんは船に向かって――
「!」
ザバァァァァァァァァァァァァン!
水しぶきが上がった。
「な……」
怪獣。とっさにそう思った。
ほんのわずか前に遭遇した海馬と同じような巨体――しかし、そのシルエットは大きく異なっていた。
「象!?」
違った。
「マ……」
マンモス――
「……あ……」
あり得ない。またも頭の中で否定の声が渦巻く。
けど――あるもん。
牙が!
普通の象にも牙はあったと思うけど、あんなに長くてごっつい感じじゃ絶対になかったと思う。
しかも、その身体の大きさ。
大きいって!
たったいま大きいって感じた船に高さで負けてないんだもん!
「ああっ!」
のしかかる。マンモスが船に。
「う!」
勇敢にもマンモスへ向かっていこうとするユイフォンさん。
そこへ、
「ぼくに任せて!」
跳ぶ。
太陽を背に受けて。
「はぁぁぁぁっ!」
錦さん!
見た目の美青年ぶりを引き立てる凛々しい気合。
その手には、
(槍……!)
やっぱり錦さんも――
(っていうか)
錦さんじゃ――ない!?
(また……)
目に鮮やかな新緑を思わせる仮面。
「ユウガランサー!」
名乗ったよ。
それにしても『優雅』!? いままでの名前もアレではあったけど。
「えぇぇぇぇい!」
飛び乗る。いまにも船を押し倒しそうなマンモスの頭の上に。
同時に手にした槍を勢いよく突き刺す。
「……!」
止まらない。
まさに蚊に刺されたほどにも感じないといったように巨大なマンモスは暴れ続ける。
だけど、ユウガランサーは冷静だった。
「響かせ力を……〝木霊(こだま)の槍〟よ!」
瞬間、
「あっ!」
ふわぁっと。
伸びた。
タコのように――というか持ち主の名前通りの優雅な動きで槍から無数の糸のようなものが放たれた。
「!」
根――
しゅるしゅるとマンモスの身体をはっていくそれは、木の根っこに見えた。
それが驚くほどの速さで巨体の端にまで行き渡り、
「はぁぁっ!」
ギュゥゥゥッ! 締め上げる。
さすがの巨大マンモスも動きを止める。
「すごい……」
「すごいのだ」
鬼堂院さんが言う。
「四神(しじん)だからな」
「四神……」
なんだかわからないけど、とにかく強そうだということはわかる。
四神。それに〝輝閃の騎士団〟。
騎士――
「媽媽」
するどい目をマンモスに向けているユイフォンさんが、
「おかしい」
「何?」
「いない」
いないって――何が?
「乗ってるはずの獣騎士(じゅうきし)がいない」
じ、獣騎士!? それもいままで襲ってきた相手みたいにとんでもない――
「ユイフォン!」
鬼堂院さんの叫びは、しかしわずかに遅かった。
「あうっ!」
なぎ払われた。
猛烈な勢いで回転しながら飛んできた〝それ〟がユイフォンさんの身体を容赦なく吹き飛ばした。
信じられないことに、それは勢いを弱めないまま飛んできたほうへと戻っていく。
「!」
いた。
マンモス以上に信じられない。いや、ぴったりと言うべきか。
原始人。
そうとしか思えない格好をした男の人が、たったいまユイフォンさんを襲った巨大なブーメランを――
ううん、ブーメランじゃなくて槍だ!
ブーメランみたいな形してるけど! ブーメランみたいに飛んできたけど!
「っ……!」
こっちを見る。
いや、見ているのは――鬼堂院さん!
「逃げるのだ」
言う。
「け、けど、鬼堂院さんは」
「私は屈しない」
凛々しく。
「屈するわけにはいかない。私が屈してしまえばこちらの世界も向こうの世界も大変なことになってしまう」
向こうの世界って。
「私は……」
かすかに声がふるえる。
「やはり、こちらに帰ってくるべきではなかったのだな」
「えっ」
帰って――
「だめーーーっ!」
マンモスと格闘しているユウガランサーの声がこだまする。
「そんな顔したらだめ! 葉くんの想いを無駄にすることになるよ!」
ヨウくん――? 誰だかわからなかったが、その名は鬼堂院さんにとって小さいものではなかったらしい。
「葉太郎の……」
つぶやく。そして、
「その通りだ」
すっと。再び背筋が伸びる。
「私はこの世界を愛している」
前に出る。
「私を育んでくれたこの世界を。大切な者たちと出会わせてくれたこの世界を」
向かい合う。
わたしたちよりはるかに大きく荒々しい原始人のような相手と。
「大切な……友のいるこの世界を」
両手を広げる。
後ろにいるわたしをかばうように。
わたしを通して――世界そのものを守ろうとするかのように。
「鬼堂院さん……」
言った。
「わたしも」
並ぶ。
「翠」
こちらを見る彼女の手を取り、ぎゅっと握る。
「わたしも鬼堂院さんを守りたい」
だって――
「騎士部だもん」
そして、
「鬼堂院さんは――〝姫〟だもん!」
そのときだ。
「!」
どこからともなく響き渡る肉食獣の咆哮。
「あっ……」
突っこんだ。
巨大な弾丸のように見えたそれが、原始人のような騎士を吹き飛ばした。
「大丈夫だったか、姫!」
絶句する。
だってそれは――
「……は……」
花房先生!
「う……」
信じられない。
わたしの見てるのは、ただの花房先生じゃなかった。
いや『ただの花房先生』って何なんだって話だけど、でも明らかに『ただの』じゃなくてそれは――
「がる」
「ひっ……」
サーベルタイガー。
校舎から飛び出した鬼堂院さんとわたしを受け止めた――
先生は、なんとその背に乗って現れたのだ。
「あ……」
思い出す。
学校を出る直前、先生が鬼堂院さんに乱暴を――
「さ、下がって!」
怖さも吹き飛んでわたしは鬼堂院さんを後ろにかばう。
「やらせません!」
精いっぱい。
もうホント精いっぱいとしか言いようのない勇気をふりしぼってわたしは叫んだ。
「鬼堂院さんは……鬼堂院さんのことはっ!」
「おい」
戸惑ったように先生が瞳をゆらす。
(い……いやいやっ)
この人は先生なんかじゃないんだ!
あ、いや、先生であることには違いないけど、鬼堂院さんを襲おうとするようなそんな先生で……あっ、良い悪いにかかわらず先生は先生なんだけど、というかそれ以前にまだ教育実習生の――
「おい」
「ひゃあああっ!」
いつの間にか目の前にそびえ立っていた大きな身体に、わたしは悲鳴をあげる。
と、背後の鬼堂院さんが、
「何を驚いているのだ」
「だ、だって」
いけない! とにかく鬼堂院さんだけでも逃がさないと。
「ありがとう、ジュオ」
「……え?」
あ――『ありがとう』って、言った?
いや、確かに、原始人みたいな騎士を倒したのって、結果的にはわたしたちを助けてくれたことにはなるんだけど。
ていうかいま名前呼び捨てにしなかった? 先生の名前を!
あっ、姫なお嬢様だから問題は――
いやいや、あるって!
「どうしたのだ」
「『どうした』って」
だから、それはこっちが聞きたい。
「そのように途方に暮れた顔するな」
苦笑される。
「ジュオは味方だ」
「えっ」
「私の家族だ」
か、家族? けど、苗字が違うし、ぜんぜん似てないし、それってまたユイフォンさんと同じ意味での――
「で、でも」
そんな人がどうして鬼堂院さんを襲ったりするの?
混乱しているそこに、
「無事なようだな」
言葉少なに。そうつぶやいて先生は、
「話は後だ」
背を向ける。
そして、いまも暴れているマンモスへ向かっていく。
「えっ、あ、あの」
無茶だ! 先生も大きいけど、あのマンモスの巨大さはそういうレベルじゃない。
「!」
きらめく。
先生の手にした――〝槍〟が!
「まさか……先生も」
「う」
「きゃっ」
わたしのすぐ隣でうなずいたのはシャドウセイバーだ。
「あっ、だ、大丈夫で」
「大丈夫」
こくこく。うなずいて、
「ジュオも攻撃隊長」
「えっ」
「同じ。〝輝閃の騎士団〟の攻撃隊長」
「え……あ、あの」
攻撃隊長って二人いていいものなの?
って、いまは、そういうことはどうでもよくて!
「じゃあ、本当にいい人なんですか? 家族なんですか?」
「う。ジュオ、爸爸の弟」
「えええっ!?」
彼女の〝爸爸〟ナイトランサー。
その――弟!?
「っ!」
マンモスの猛々しい咆哮が強制的にわたしを我に返らせる。
「あ……」
そうだ、混乱してる場合じゃなくて。
いままさにその花房先生がマンモスと――
「――!」
吼えた。花房先生が。
巨大マンモスに負けない迫力で。
「っっっ……」
びりびりと空気がふるえる。
なんと、巨大マンモスの身体までふるえあがる。
「従え」
手をかざしながら。言う。
「牙印の獣よ! 従え! 王たるべき者に!」
王たるべき者?
姫の次は――王!?
「……ぱ……」
マンモスが、
「ぱお……」
うなだれる。あんなに暴れていたのが嘘みたいに。
「ぱおぱお。ぱお」
おずおずとした鳴き声。許しを求めるような瞳が先生を見る。
「嘘……」
くるりと。
かすかに巻かれた長い鼻が花房先生のほうを向き、そして伸ばされる。
先生がそれにふれる。
まさに、王が民に許しを与える光景だった。
「うむ。さすがだな、ジュオ」
「あ、あの」
聞きそびれていたことを、あらためて鬼堂院さんに聞く。
「本当に……味方なんだよね」
「ジュオのことか」
うなずく。
「だって、鬼堂院さん、校舎の中で襲われてたし」
「襲われた?」
首をかしげる。品がありながら、とてもかわいらしい仕草だ。
「あっ」
思い当たったという顔で、
「そうか。それでカン違いしていたのだな」
「カン違い?」
「違うのだ」
鬼堂院さんが言う。
「ジュオは私を止めようとしていたのだ」
「止めようと」
言われたその言葉をくり返す。
「一体何を」
「翠だ」
「えっ」
わたしを? いや、わたしは何も止められてないと。
「翠を助けに行きたかった」
「……!」
その告白は、
「え……」
聞き間違いかと一瞬思って、
「助けに……わたしを」
「そうだ」
「鬼堂院さんが」
「そうだ」
ふぁさっと。彼女の首もとで何かがたなびく。
「あっ」
わたしは鬼堂院さんがいつもとちょっぴり違うことに気づいた。
「赤い……」
スカーフ。
それを首に巻いていたのだ。
「似合うか」
「うん……」
似合う。間違いなく。
もともと凛々しい鬼堂院さんだけど、燃え立つ勇気をイメージさせるその赤色は本当にぴったりだと感じた。
「しかし」
目を伏せ、
「ジュオに止められてしまった」
「あ……」
そうか、そういうことだったのか。
襲われているように見えたのは、わたしのところに向かおうとしていた鬼堂院さんを先生が引きとめていただけ。
そこに、そのわたしが来たんだから、先生も驚いただろう。
「おまえが危機だとわかっていたのに」
「えっ」
わかって――いた?
「襲われる前にわかっていた」
えっ、なんで? そういう情報が鬼堂院さんのところに入ってたとか?
「わかったのだ」
くり返す。
「わかってしまうのだ」
「………………」
わたしは、
「そう……なんだ」
納得していた。
だって、姫だもん。鬼堂院さんだもん。
もう説明とか理屈とか、そういうの超えちゃってる人だもん
「そうなのだ」
うなずき、
「代わりにハナと居織が行ってくれたが……本当はわたしが行きたかった」
ふぁさっと。
再びスカーフをひるがえし、
「友の危機には駆けつけたいではないか」
(………………)
わたしは、
「ふふっ」
笑っていた。
「ははっ」
鬼堂院さんも笑う。わたしは言う。
「ヒーローみたい」
「目指していたからな」
「ヒーローを?」
「そうだ」
誇らしそうにうなずく。
「ナイトランサー……みたいな?」
その『ナイトランサー』をわたしはよく知らないんだけど。
「そうだ」
うなずいてみせる。
「レディが危機とあれば、どこへいようと馳せ参じるのだ」
「そうなんだ」
確かになー。
そういうさっそうとしたところも鬼堂院さんにはあるもん。ていうか、日ごろの言動が思い返せばもうそんな感じだし。
「納得」
「む?」
「だから」
わたしはまた笑い、
「鬼堂院さんが鬼堂院さんだってこと」
「私は、私だ」
笑顔でうなずく。
「翠は、翠だろう」
「うん」
「いい名前だな『翠』というのは」
「そ、そうかな」
不意にそんなことを言われて頬が熱くなる。
「スイとは、イキということだな」
「へ?」
「そうだろう。『粋(いき)』と書いて『スイ』と読むぞ」
「えーと……」
すごい発想の飛び方するなー。
けど、わたしは、
「そうだねえ」
やっぱり笑っていた。
「おい」
「きゃっ」
先生!? だから、何も言わないまま近くに立つのはやめてほしいよ。こんな大きな人にいきなりそばにいられたら――
「……え」
気づいた。
「う……」
けど、何を言ったらいいのか。
「………………」
向こうも無言。
「あの、えーと」
慣れたと思ったけど、そうでもなかったらしい。
マンモスを手なずけて戻って来た先生。
その顔には――
「こら」
そこへ鬼堂院さんが、
「だめではないか」
そ、そう、だめ……だよね? だめというかやっぱり意味がわからないんだけど。
「ヒーローたるもの名乗りをあげなくてはだめだ」
がくぅっ! だ、だから、そういうことじゃなくて。
ていうか、なんで先生まで〝仮面〟なの!
「そうだな」
先生――〝仮面をつけた先生〟的には納得したらしい。
「ライオランサーだ」
「ラ……ライオランサー」
そうだ。
先生も『攻撃隊長』――シャドウセイバーと〝同じ〟と聞いたばかりだった。
「う」
「わっ!」
それでいいというように、いつの間にかわたしの隣にいたシャドウセイバーもうなずく。
しかし、
「だめだな」
またもダメ出し。
「シャドウセイバーもだめだったぞ」
「う?」
思いがけず矛先を向けられ目を丸くする。
「ヒーローとは、もっと名乗りがカッコよくなくてはだめなのだ」
がくっ! またも肩が落ちる。
一方、二人は真剣に、
「その通りだな」
「その通り」
「では、さっそく練習だ」
いやいや、そんなことしてる場合か!?
そんな――
「……ははっ」
なんだかそれでもいい気がしてきた。
だって、鬼堂院さんだから。
「あははっ」
一緒にいると笑いが途切れることがない。
鬼堂院さんは――
やっぱり、お姫さまだと思った。
ⅩⅣ
〝現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)〟――
それは、この現代に至るまで九百年もの歴史を誇る〝本物の〟騎士団なのだそうだ。
知らなかった。
いや、わたしだけじゃないって。
周りの人たちだって、たぶんそんなことは知らない。
別に、存在を秘密にしてるとか、そういうことではないらしい。
主権実体。
聞いたことがないけど、それは国家に並ぶ権限を持った団体をさす呼び方なのだそうだ。
世界の多くの国から承認を受けている〝騎士団〟。
しかし、いくつかの国は違うらしい。
その一つが、この日本だ。
理由はわからないけど、結果、この国では〝騎士団〟のことはほとんど知られていない。確かに、どこにあるかわからない遠い国のことなんて普段意識しないもん。たぶん、そういうのと同じことなのだろう。
「以上だ。わかったか」
「う……」
わからないとは言えない迫力がある。
いや、実際、疑問に思ってたことのいくつかははっきりしたんだけど。
わたしに説明をしてくれたのは、鬼堂院さんでなく、なんと花房先生だった。口調は二人とも似てるんだけどね。
「ジュオは先生になるのだろう。なら、教えることがうまくならなくてはだめだ」
ということで個人授業を受けていたのだ。
「あの……」
他にも聞いたことをいろいろと確認していく。
「花房先生は本当に……こっちの世界の人ではないんですか」
「ああ」
うなずく。
こっちの世界――つまりその言葉に対応する『あっちの世界』があることは、きっと〝騎士団〟以上に知られていないだろう。
卵土(ランド)。
そう呼ばれる世界から花房先生は来たのだという。
騎士の力の源がある世界。
はっきり言って想像を絶している。
でも、それなら、サーベルタイガーに乗ったり、マンモスを鎮めるようなことをできるのもある程度は納得できる。というか、そもそも、あの動物たち、そして様々な姿の騎士たちも卵土から来たのだそうだ。
(信じられない……)
けど、先生が嘘を言うようにはとても思えない。
そういうところは、やっぱり教師に向いてるのかなとちょっと思ってしまう。
「あ、あの」
不安になったわたしは思わず、
「あの騎士の人たちって、その、いつでもこっちに来られたり」
「しない」
首を横にふる。わー、安心できる力強さ。
「じゃあ、どうして」
「門だ」
言う。
「本来は容易に開くものではなかった。二つの世界をつなぐその門が……ある出来事をきっかけに活性化した」
「その『きっかけ』って」
「姫だ」
息を飲む。
姫……それってやっぱり本当に――
「授業は進んでいるか」
「!」
そこに現れたのは、湯気の立つカップを持った鬼堂院さんだった。
「あっ」
お嬢様にお茶を運んでもらうなんて。とっさに立ち上がるわたしだったけど、すぐにはっとなる。
「………………」
お嬢様な鬼堂院さんだけど――
本当は『本物』の――
「聞いたか」
「……!」
さらりと。笑う鬼堂院さん。
わたしはいたずらを見つけられた子どもみたいに、
「……聞いた」
「そうか」
やっぱり笑う。
(う……)
すごい。
そうとしか言いようがない。
「すごいよね」
口に出す。
鬼堂院さんはきょとんとして、
「何がだ」
「いやいやいやっ!」
すごいでしょ!? すごいって!
けど、こういうことを言えちゃうのも〝姫〟だからなのかもしれない。
「鬼堂院さんは」
まぶしいものを見る思いで言う。
「みんなの――姫なんだよね」
笑う。
本当にまぶしく感じる。
「そうだ」
そうだ、そうなのだ。
姫なのだ。
お姫様っぽいとか、お姫様みたいにあつかわれてるとかそういうことじゃなくて。
姫――
それは卵土という世界の命運を握る存在。
仕える騎士に無限の力を授けるとされる。手中に収めれば卵土すべてを制すると言われているのが〝姫〟なのだ。
(わかる……)
わかる気がする。
わたしはもちろん騎士じゃないけど、鬼堂院さんがそばにいると力がわいてくる。
そう感じたことは何度もある。
姫なのだ。
鬼堂院さんがいるだけで、見守ってくれるだけで勇気も力もわいてくる。
それってやっぱりお姫様だからだよ。
「あの」
わたしは聞く。
「鬼堂院さんはこれからどうなるの」
「そうだな」
複雑そうな表情を見せ、
「しばらくは鳳莱島に留まることになるだろう」
「そう……」
そうなのだ。
港でマンモスと原始人騎士の襲撃を退けたわたしたちは、そのまま船に乗って陸地を後にしていた。戸惑っていたわたしだったが、襲撃を切り抜けてほっとしていたせいか、流されるように一緒に乗船していた。実際、あのままとどまっていては危険ということもあっただろう。説明を聞いたいまではよくわかる。
わたしに何かあれば、それが即、鬼堂院さんの危険につながる。
知っている人を見捨てたりはできない。
そういう鬼堂院さんだから。
「そのような顔をするな」
微笑みながら頬にふれる。
「翠はすぐに元の生活に戻れる。そうなれるよう保証する」
「うん……」
そのことは心配していない。
ていうか、いまはそれどころじゃなくて。
「鬼堂院さんは」
たまらず聞く。それが彼女を苦しめると知りつつ。
「もう……戻ってこないの」
「………………」
言う。
「あの学校は、私たちの『普通』があったところなのだ」
「えっ」
普通――
「それって」
「みんなと通った学校だ」
にっこりと。心からうれしそうに笑う。
「本当に楽しかった。あまり長くは通えなかったが、それでも忘れられない思い出がいっぱいある場所だ」
思い出――きっと騎士部のこともその一つなのだろう。
「あそこには私の『普通』があるのだ」
再び。言う。
「だから、私はまたあの学校に通いたかった」
「鬼堂院さん」
「………………」
そっと唇を噛んで。目を伏せる。
言おうとしない。
でも、伝わってくる。
罪悪感――
そんなもの持たなくていい。何度でも言いたくなる。
だけど、そう言ってもまた鬼堂院さんは自分を責めてしまうのだ。
優しいから。
本当に、優しいから。
「鬼堂院さん」
わたしは言う。
「待ってるよ」
「……!」
顔があがる。
わたしは精いっぱいの笑顔で、
「待ってる。わたしも学校もみんなも」
「翠……」
「先生」
わたしは花房先生を見て、
「守ってくれるんですよね」
「おう」
大きな身体に似合わないあたふたした動きで仮面を顔につけ、
「このライオランサーがな」
「ふふっ」
格好つけるその姿がむしろかわいらしい。
「……笑うな」
ちょっぴりすねたようにライオランサーが言う。
「あ、ごめんなさい」
あやまりつつも、ほっこりしてしまう。
いやいや、ますますかわいいって。なんだか、これまでのイメージがぜんぜん変わっちゃうなー。
「そうだぞ、翠。笑ってはだめだ」
鬼堂院さんにたしなめられる。
「仮面のヒーローの正体は秘密なのだ。いつもは普通の教師として接するのだ」
ライオランサーもうなずく。
きっと、学校の他のみんなには言わないでほしいということなのだろう。
「わかりました」
素直に返事する。
「これからも守ってくださいね、ライオランサー」
「……おう」
軽く目をそらす。
わー、照れてるー。
「これで翠のことは問題ないな」
「学園のほうも、残った紗維羅たちがいま安全を確認している」
それを聞いてほっとなる。万が一と思うけど、他にも異世界の騎士たちが暴れ回っていたらと心配にはなっていたのだ。
「ただ問題は」
ライオランサーのつぶやきに、鬼堂院さんもうなずく。
「門のことだな」
「ああ」
門――
そうだ、それが開き続けていることには、また今回みたいなことがくり返される。先生や騎士のみんなが守ってくれていても、やっぱり大騒ぎに――
「……!」
船が、ゆれた。
「ここにいろ」
それだけ言ってライオランサーが部屋を出ていく。
と、すぐに、
「あっ、鬼堂院さん」
後を追うようにして彼女も飛び出していく。
私だって、このまま残ってはいられない。
「!」
甲板に出たわたしが見たのは、
「あ、あれが」
門――きっとそうだ。
正面に雲がある。
ううん、違う。
空が渦を巻いている。いや、空でなく正面の先に見える〝空間〟が。
その渦に雲が、世界そのものが巻きこまれている。
「門……」
つぶやく。自分の声ながらそれは絶望的な何かを予感させた。
「……!」
来る。
「あ……」
違う。
これまでとはまったく。
それが一般人であるわたしの肌にも感じられた。
「な、何」
ふるえる。
「何なの……あれ」
その場にいる誰もが言葉を口にできなかった。
「う……う……」
ふるえる。どうしようもなく。
巨大な相手はこれまでも見てきた。
けど、違うのだ。
明らかに。
(怖い……)
そう、怖い。
理屈を超えた本能的なものだ。
きっと――遺伝子に刻まれてる。
(竜!)
ドラゴン――
わたしがいま見ているシルエットは、そう呼ばれる存在そのものだった。
「竜騎士か……」
「!」
鬼堂院さんの重々しいつぶやきに我に返る。
他の人たちも硬い表情のまま、緊張をにじませている。
「騎士って」
確かに。
その巨大なシルエットの背に、槍を持った人影らしいものが見えた。
「じゃあ、あの人も鬼堂院さんのことを」
「そうだろうな」
鬼堂院さんが言う。
「竜は騎士にとって最大の敵なのだ」
「――!」
確かに。
見た覚えがある。西洋の昔の絵で、騎士が竜に向かっていく場面を描いたものを。
あれは本当のことだったんだ。
「おまえたち」
はっと。
ライオランサーが厳しい目でこちらを見ていた。
「下にいろと言ったはずだ」
「で、でも」
あたふたとなりつつ、
「わたしたち、どうなるんですか」
「………………」
沈黙。
と、ぽつり、
「ここは……海の上だ」
「はい」
「竜騎士を相手には分が悪い」
「……!」
え、ちょ、それって――弱音?
無口だけど、その分しっかりしていて頼りがいがある。そんな人の弱気な言葉に、いまが本当に危機的状況なのだと思い知らされる。
「媽媽、翠。安全なところにいて」
ユイフォンさん――じゃなくて、シャドウセイバーも緊迫した声で言う。
「守るから。ぼくたちが」
頼もしく聞こえるはずの錦さん――ユウガランサーの言葉も、どこか悲壮感をにじませていた。
「………………」
絶望。
あらためてその思いが押し寄せてくる。
「行くぞ!」
そんな場の空気をはね返そうとライオランサーが雄叫びをあげる。
それに続いてシャドウセイバーとユウガランサーも――
「!」
光が疾(はし)った。
それは――
人智を超えた何かの軌跡に見えた。
流星? ううん、こんな低いところを飛ぶはずがない。
光はまっすぐに竜のシルエットと交差した。
「っ!」
咆哮。
どんな動物とも似ていない、それでいてどんな猛獣もふるえあがらせるような恐ろしい鳴き声。
わたしは耳をふさいでしゃがみこむ。
「……う……」
たぶん、一瞬よりほんのすこし長いくらいだっただろう。
耳から手を離したとき、もう鳴き声は聞こえなかった。
「あ……」
なかった。
船の行く手に立ちはだかっていた竜の影が。
「葉太郎だ」
「えっ」
再び。まばゆい光がわたしの目を刺す。
「……!」
息を飲んだ。飲みこんだ。
「………………」
声もない。
光と共にわたしたちの前に降り立ったのは――
(天使……)
白を基調としたその姿。
左右に、なんと翼を生やしたペガサスたち。
そして顔には――仮面。
「……えっ!」
わたしがはっとなるのと同時に、
「あっ」
鬼堂院さんもしまったというように、
「ナイトランサーだ!」
「え……」
鬼堂院さんが〝夫〟と呼んでいた――
「ナイトランサーなのだ!」
歓喜の声をあげ、白い仮面の騎士に向かって駆け出していく。
飛びこんできた鬼堂院さんを騎士――ナイトランサーは優しく、そしてしっかり包みこむように受け止めた。
「遅いではないか」
かすかな涙まじりのつぶやきに、仮面の下からのぞく口もとが微笑で答える。
「空陽(そらひ)と空月(そらつき)も。大きくなったな」
左右のペガサスたちに頬をすり寄せる。
うれしそうないななきがこぼれ、それは鬼堂院さんへの確かな親愛の気持ちを感じさせた。
「あ……」
そっと。仮面の騎士が鬼堂院さんを離す。
「もう行ってしまうのか」
うなずく。
「……そうか」
さびしそうにつぶやいたあと、しかしすぐに元気な笑顔を見せ、
「ありがとう! やはり、ナイトランサーは私のヒーローだ!」
大きな声で言う。
そんな鬼堂院さんの前にひざをつき、
「っ……」
唇を。
手の甲にそっと当てた。
「うむ!」
目の端に涙をにじませながら。それでも「これでいい」という笑顔で、
「行ってこい!」
激励を受け、
「!」
浮かんだ。
舞い降りてきたときと同様、左右にペガサスを従えてふわりと宙に昇る。
「あ……」
乗ってない。
けど、乗っている。
ペガサスたちに。
わたしには、そう感じられた。
空を飛ぶその力を共有している。
乗らなくて、乗っている。
その力を。
たぶん〝騎士の力〟と呼ばれるものを、わたしは目の当たりにした思いだった。
「待っているぞーっ!」
鬼堂院さんが力いっぱい手をふる中、天馬を従えた仮面の騎士は――
空に渦巻く〝門〟の中に消えていった。
直後、ゆがみは消え、そこにはただ快晴の空が広がっていた。
「……………」
何も言えないまま立ち尽くす。
そこに、
「帰ろう、翠」
「え……!」
わたしは、
「か、帰るって」
「決まっているではないか」
にっこり。微笑んで、
「わたしたちの町にだ」
「――!」
その瞬間、
「うん!」
飛びこんでいた。あふれるよろこびのまま。
鬼堂院さんの胸に。
「おっと」
今度は受け止める側になり、苦笑がこぼれる。
「まったく。翠も甘えん坊だな」
そこへ、
「うー」
悔しそうなシャドウセイバーの息が届く。
「翠、ずるい。媽媽に甘えて」
かすかに涙声になり、
「爸爸にも甘えられなかったのに……」
「そうだな」
さらなる苦笑と共に腕を広げ、
「来い」
「う!」
たちまち仮面を外して元に戻ったユイフォンさんが飛びこんでくる。
「きゃっ」
「おお」
さすがに二人は支えきれなかったのだろう。
わたしたちは、一緒になって甲板の上に倒れこんだ。
「ははははっ」
笑い声が響いた。
「ははっ」
わたしも、
「うー」
ユイフォンさんも笑っている。
広がっていく。
空に。
世界に。
それは――
無限に続く絆の証だと思えた。
ⅩⅤ
あれから――
わたしは十年以上ぶりに鳴お兄ちゃんに会った。
異世界の騎士襲来の衝撃も冷めきっていないとき。それはほとんど不意打ちに近いような再会だった。
「大変だったみたいだね、翠」
驚いた。
「え……鳴お兄ちゃん?」
わたしの知っているお兄ちゃんとは違っていた。ぜんぜん。
「本当に?」
自分で言いながら、けど目の前の人が『紀野鳴(きの・めい)』であることには確信を持っていた。
変わっていない。
女の子みたいとまでは言わないけど、優しいというかやわらかい顔立ちは昔とちっとも変わっていない。
変わったのは――
「お兄ちゃん」
「ん?」
「もう悪の道から足は洗ったの」
ぶーーーーっ!
お兄ちゃんは口にしていた紅茶を、勢いよく洋館のテラスにふき出した。
「ほー。これは聞き過ごせまへんなー」
「いや、あの」
同じテーブルを囲んでいたシルビアさんの言葉にしどろもどろになって、
「むっ、昔の話です!」
「昔はワルやったと」
「う……」
「そして、いまも」
「何を言ってるんですか!」
泣きそうな顔で声を張り上げる。
「師範のところでお世話になるまでです! それまでは……その……」
「ほほー」
ますますおもしろがる顔になり、
「つまり、あれやね。ヤンチャしてたころに在香(ありか)のねーさんにボコボコにされて、それで改心して弟子になったと」
ボ……ボコボコ?
ていうか、誰、『アリカのねーさん』って?
「……その通りです」
その通りなんだ!
「本当にボコボコにされていたら、生きてこの場にはいませんが」
どういう人なの、その人!
「師範に出会って、僕は自分の小ささを思い知らされました」
それから――
鳴お兄ちゃんが語ったことは、わたしの記憶ともリンクするものだった。
詳しいことは、当時小さかったわたしにははっきりしない。
けど、おぼえてる。
突然、鳴お兄ちゃんがいなくなってしまった――その悲しさを。
お兄ちゃんは優しかった。
親戚同士で会える機会があると、いつもわたしのことをかわいがってくれた。
そんなお兄ちゃんが家を飛び出した。
悪い友人たちと付き合っているという話も聞いた。
お兄ちゃんは不良になった。そう言われてもわたしは信じられなかった。
一方で、そうなって仕方ないとも思えた。
優しいから――だから『ワル』にでもならないと、家を離れるなんてことできなかったんだろう。
その後、ずっと消息はわからなかった。
何があって今日に至ったのか、わたしはお兄ちゃんから直接聞くことができた。
噂で聞いた通り、家を出たお兄ちゃんは悪い仲間と一緒にいたらしい。
そんな中、万里小路在香(までのこうじ・ありか)という人に出会った。たまたま彼女にからんだ仲間たちは、一瞬で全滅させられたらしい。
お兄ちゃんもそうなるところだったけど、
「ぼ……僕を弟子にしてくださいっ」
決死の思いだったそうだ。
この人なら、弱い自分を変えてくれる。表面だけ悪ぶって強がっているだけじゃない本当の強い人間に。
そして、どういう気まぐれか、その在香さんはお兄ちゃんを弟子にしてくれた。
実際に『万里小路流合気』という流派の師範だったことを、そのときもちろんお兄ちゃんは知らなかった。
ただ――
その当時、弟子と呼べる人間は一人もいなかった。
みんな逃げ出してしまっていて。
つまりはそういうようなタイプの人らしい。
そんな中で、お兄ちゃんは健気に弟子を続けた。
そしてある日、事件が起こった。
在香さんがお兄ちゃんをつれて〝騎士の島〟に乗りこんだ。
なんと、彼女は元騎士だったのだそうだ。
そこでいろいろとあって、結果、お兄ちゃんは万里小路流を破門になった。
行くところをなくしたそんなお兄ちゃんを拾ってくれたのが〝騎士団〟だった。
「でも」
後ろをふり返る。
そこには、教室からここまで一緒だったハナさんがいつもの無表情で立っていた。
「本当なの? ハナさんがお兄ちゃんの師匠って」
正確には〝騎士の〟師匠ということになる。
「えーと」
戸惑いは残りつつ、
「お兄ちゃんがお世話になりまして」
ぺこり。思わず頭を下げる。
「あ……」
なでなで。
頭をなでられる。
(そうか……)
なんだか納得した。
これまで優しくしてくれたのって、きっとお兄ちゃんの従妹だったからなんだ。
いや、普通に優しい人ではあるけど。表情でそれが伝わらないだけで。
「……って」
うわー。いまさらながらあせってくる。
「お兄ちゃん」
直接聞いても返事がないのはわかってるので、お兄ちゃんに確認する。
「ハナさんって……やっぱり年上?」
「そうだよ」
この手のことを聞かれるのには慣れてるのだろう。苦笑しながら、
「僕より年上だ」
やっぱり。
いや、正直、やっぱり感はぜんぜんなくて、あらためて見てもわたしより年下にしか見えなくて。
きょとんと首をかしげてるところなんて、もうものすごくかわいくて!
「ふふーん。かわええからって、ねーさんをなめたらあかんなー」
そうだ、そうだ。
シルビアさんも言ってた『ねーさん』って。
「こんなふうに、ちっちゃかわええけどなー。ハナねーさんはウチらのトップ。四神のリーダーなんやで」
えっ……リ、リーダー?
「まー、驚くよねー」
シルビアさんの隣に座っていた錦さんがうんうんとうなずく。
うーん、今日も美男子だ。
「でも、ぼくたちの中で位階も一番上だし、先代四神のメンバーでもあったんだよ」
先代――とか言われても、さすがにそこまで把握しきれない。
「そんな人がどうして」
「ぴったりだからに決まってるやん」
席を立ったシルビアさんが、わたしの脇を通ってハナさんに近づく。
「もー、ぜんぜん現役女子高生でいけるでー。まー、正直、中学生、いや小学生な見た目ではあるんやけど」
直後、
「だーーーーーっ、痛たたたたたっ! 痛いですってーーーーっ!」
またも。
無表情なままのハナさんに関節を極められ、シルビアさんがのたうち回る。
「こりないなぁ」
錦さんがほがらかに笑う。きっと慣れた光景なのだ。
「あ、あの」
けど、お兄ちゃんにはそうじゃないみたいで、
「ハナさん、それくらいに」
おどおどと止めようとする姿は、本当に昔のお兄ちゃんを思わせた。
「ひどいですやん、ねーさん」
涙目でシルビアさんが抗議する。
「ウチら、言うたらハナ組の組員ですやん。舎弟ですやん」
「舎弟じゃなくて、舎〝妹〟じゃないですか?」
「そーそー、錦の言う通り。舎妹ですやん」
うんうんとうなずく。
と、すぐにぷっと吹き出し、
「『ハナ組』て、なんか幼稚園みたいな」
直後、
「だーーーーっ! ギブギブギブギブギブギブギブーーーーーっ!」
「ハ、ハナさん」
またもおどおどとお兄ちゃんが止める。
か……変わらなすぎる。
(でも)
そんなお兄ちゃんが、いまは――
「どうして」
気づいたとき。そう口にしていた。
「どうして……お兄ちゃん……」
「えっ」
雰囲気の変化に気づいたのか、驚いたようにこちらを見る。
「どうしてって」
「お兄ちゃんは騎士なんでしょ!」
大きな声で、
「なんでしょ!」
「う、うん」
やっぱりおどおどと。うなずく。
「だったら!」
びしっ! ちょっぴり頬が熱くなるのを感じながら指を突きつけ、
「どうして来てくれなかったの!」
「え……」
「わたし……わたし……」
だめだ。熱い頬の上をさらに熱いものがこぼれる。
「すごく……怖かったんだから……」
お兄ちゃんが目を見張る。
そして、うつむく。
「ごめん……」
「ごめんじゃないよぉ!」
飛びこむ。
とっさに立ち上がったお兄ちゃんは、ゆるぎなくわたしを受け止めてくれた。
こういうところは騎士っぽくなった――そう感じるたび、ますますなんでわたしのことは放っておいたのかって思いが止まらなくなる。
「コラ、鳴」
はっと。
わたしはあわててお兄ちゃんから離れて目もとをぬぐう。
やはりと言うべきか、そこには腰を手に当てて肩をいからせた鬼堂院さんの姿があった。
「翠をいじめてはだめだ」
「い、いじめ……」
どうしてそういうことに。そんな顔になるお兄ちゃん。
「そうやでー、いじめはあかんでー」
「って、シルビアさん!?」
「なーんてな」
わたしに笑いかけ、
「一足違いやってん」
「えっ」
「駆けつけたのが。そうですよね、ハナさん」
こくこく。うなずく。
「一足……違い?」
うまく飲みこめない。
「だからね」
錦さんが言葉を継ぐ。
「ちょうど鳴くんが来る日だったの。翠ちゃんが襲われたあの日」
「――!」
知らなかった。
「ちょっ、なっ」
どうしてそういうことをするの! わたしの了解もなしに! そう言いたくなるも、頭が思いっきり熱くなっちゃってまともな言葉が出てこない。
「ごめんね、翠」
お兄ちゃんが目を伏せる。
「聞いてたよ。僕に会うの……いやがってたって」
「……!」
違う! そういうことじゃなくて――
「そういうことじゃなくて!」
よし! ちゃんと言えた。
「いやじゃなかったの! ただその……いやだったの!」
って同じだよ、それじゃ!
「やっぱり、いやだったんだ」
お兄ちゃんも思いっきりへこんじゃってるし!
「ち、違うんだって」
しどろもどろになって、
「わたし、お兄ちゃんがもっとワルになっちゃってると思って」
「えっ」
「ほら、一応、騎士部だし! そんなお兄ちゃんと会ったらやっつけなきゃだし!」
「え……えーと」
抑えきれない引きつりを見せつつ、
「なんで、そういうことに」
「だって、お兄ちゃん、ワルだったでしょ」
「……う」
自分でも認めておきながら、あらためて傷ついた顔になってしまうお兄ちゃん。
けど、わたしは止まらず、
「お兄ちゃん、気が弱いし! 情けないし! だから、悪い仲間とずるずる付き合って、そのままもっとずるずるワルになってるって!」
「す、翠」
「ワルだから正義の人に目をつけられてて、だから騎士部の先輩たちがお兄ちゃんのこと知ってるんだって思って!」
だって……だってそれ以外考えられないよ。
騎士になってるなんて普通思わないよ。
お兄ちゃんが弱々で情けないことは、よく知ってるんだから。
「なるほどなー。それで会いたくなかったんやね」
納得と。シルビアさんがうなずく。
「確かに、在香ねーさんがおらんかったら危なかったかもなー」
「シ、シルビアさん」
そんなことないと言いたそうだけど、どこか弱々しい。自分でも、その可能性はないと断言できないのだろう。あらためて、お兄ちゃんの〝師範〟さんに感謝したくなる。とんでもない人みたいではあるけど。
「じゃあ」
わたしはあらためて、
「なんで助けに来てくれなかったの。わたしのこと」
「だから、一足違いだったんだよ」
錦さんが苦笑しながら、
「ちょうど翠ちゃんたちが外に逃げたときだったんだって、鳴くんが学校についたの。ですよね、ハナさん」
こくこく。
「そこからはわたしに説明させてください」
「あっ」
式会長――
鬼堂院さんと一緒に来てたみたいだけど気がつかなかった。
後ろに控えるようにしてたし。ちっちゃいし。
「あの後も、学園には卵土の騎士たちが押し寄せていたのです」
「え……!」
た、大変だよ、それって!
あれ? でも、学園の安全は確認したって聞いたような――
「彼らはあなたたちを追おうとしました」
「……!」
ぞっとする。
「あ……」
でも、思い出す。バイクに乗せられ逃げている間、そんな追跡者みたいなのは見なかったはずだと。
「ハナさんと鳴さんです」
会長が言う。
「お二人がここに残って、卵土の騎士たちを相手したのです」
「! そ……」
そうだったんだ。
「あっ」
くいくい。そでを引かれて会長ははっとなり、
「そ、そうですよね。ハナさんではなくスカイランサーが」
こくこく。
「とにかくすばらしかったです……お二人の連携は」
うっとりと。言う。
と、その目が伏せられ、
「わたしは何の役にも立てませんでした……」
「そんなことないって、居織ちゃん」
なぐさめるように。錦が、
「ちゃんと従騎士としてがんばってたって聞いたよ」
従騎士。
それは会長が名乗りをあげたときにも聞いた。
いわゆる『見習い騎士』的な立場のことだそう。見習いでも騎士は騎士だし、わたしはあらためて驚いたんだけど。
会長、ホントに騎士だったんだーって。
お兄ちゃんも、かつてはハナさんの従騎士だったということになる。
「アリス様は従騎士のころから活躍していたとうかがっています」
「活躍なあ」
シルビアさんが苦笑する。
「まー、がんばってはいたで、ホンマ」
「でしょう!」
目を輝かせる。こんな会長、初めて見たかもしれない。それだけ『アリス様』って人のことを尊敬してるんだ。
自分の師であり〝輝閃の騎士団〟の団長でもあるその人のことを。
〝輝閃の騎士団〟――
それは〝現世騎士団〟とはまたすこし違う集団で、異世界・卵土で鬼堂院さんを守るために集まった人たちがそう名乗ったらしい。馬の操る巨大戦艦が基地だったとか。もう想像をぜんぜん超えている。
ユイフォンさんや紗維羅さん、花房先生もその一員で、世界の垣根を超えて様々な人たちが鬼堂院さん――〝姫〟とそしてお互いの世界の平和ために力を合わせたそうだ。
もう、完全にヒーローだよね。
「すこしでもアリス様に近づきたくて……」
会長が再び目を伏せ、
「それで分不相応なことに名乗りをあげてしまいました。反省しています」
「分不相応なこと?」
「ええ」
わたしのつぶやきに、ますます縮こまる。
「私のことだ」
鬼堂院さんが口を開く。
「居織はな、私に何か起こらないよう学校で気を配っていてくれたのだ」
「えっ」
あ……そういうことか。
それで、交換留学生なんていうかたちを取ったんだ。
ちなみに、うちの学校と提携しているサン・ジェラール学園というところは、なんと〝騎士の学園〟なのだそう。会長も本当にそこに通っていたらしい。
「居織はがんばっていたではないか」
鬼堂院さんが言う。
「ですが」
すまなそうな顔のまま、
「真緒さんを守るためにこの学校に来たのに……なのに生徒会長になってしまうなんて」
「なっていいのだ」
そこは誇れ! というように胸を張る。
「居織はがんばっていて、とても立派なのだ。だから、みんなが生徒会長になってほしいと思ったのだ」
「真緒さんにそう言われて引き受けましたが、肝心なときに何もできないようでは」
「できたじゃないですか」
そこはさすがに言わせてもらう。
「わたしのことを助けてくれたじゃないですか。お姫様だっこしてくれたじゃないですか」
「そ、そういう言い方はやめなさい!」
真っ赤になって声を張る。先輩騎士たちに見られてるということもあって、いっそう恥ずかしいんだろう。かわいいなー。
「あれは当然のことです」
つんとそっぽを向きながら言う。
いやいや、当然じゃないって。落ちてきた人一人をお姫様だっこでキャッチできるなんて普通ないって。
やっぱり騎士として鍛えてるんだな。きっと人が見てないところで。
そういう奥ゆかしいところも会長らしい。
好き。
「当然で人を助けられるのが騎士ってことやん」
シルビアさんが会長の肩に腕を回す。
「せやろ、翠ちゃん」
「はい!」
うなずく。わたしを助けてくれたときの会長は間違いなく『騎士』だった。
「や、やめてください」
照れてますますうつむく。
「もー、かわええな、この子」
つんつんと。ほっぺをつつく。
あー、わたしもやりたーい。
「自信もってええんやで。あんたはアリスちゃんに槍を預けられたんやから」
あっ、それ、わたしを助けたときも言ってた。
「あの〝勇気の槍〟な、アリスちゃんが従騎士のときに創ってもらったもんやねん」
「そうなんですか!」
会長が驚きの声と共に顔をあげる。
「従騎士は槍を持てないからって、わざわざ穂先のない槍をな。つまり、槍じゃない槍やから持ってもええってことやね」
「は、はあ」
「あんたも従騎士や」
正面から会長を見つめ、
「資格はあるってこと。せやろ」
「シルビアさん」
目もとをうるませ、
「わたし……がんばります」
「そーそー、がんばり、がんばりぃ。アリスちゃんの従騎士なんやから」
「はいっ」
笑顔で。会長はうなずいた。
(よかった……)
わたしは心から思った。
「そもそも、うちは最初からあんたが適任やって思っててん」
「えっ」
驚いた顔になるも、すぐにうなずき、
「そ、そうですよね。騎士のみなさんはそれぞれお忙しい身。緊急の事態と確認されない限りは従騎士のわたしが」
「ちゃうちゃう、せやなくて」
もっと自信を持て。そう言いたそうに再び会長を見つめ、
「かわええやん」
「えっ……?」
「やーもー、あんた、ちっちゃかわええしなー」
シルビアさんの表情がとろけ、
「見てみたいやん。制服着たところ」
「えっ、いえ、あの」
「やっぱり、よう似合うとるなー。ちっちゃいのにここは発育ええところもなんとも」
「きゃあっ」
後ろから胸をつかまれ、悲鳴をあげる。
あー、ずるい! わたしだってさわってみたいのに。
「ここはハナねーさんより上やなー。同じちっちゃかわええ同士でも」
直後、
「ぎゃーーーーーっ!」
とどろく悲鳴。お約束のように。
「だから、無言で関節を極めるのなしですってー! マジでシャレになってませんからぁーーっ!」
シルビアさんから解放されて、ほっと一息つく会長。
おっと、チャンスかも。
「大丈夫ですか」
よし! さりげなく接近でた。
しかし、
「う……」
じとー。
思いっきり不審な目で見つめられてしまう。
「変わりませんね、あなたも」
「な、なんの話ですかー」
声がうわずり、意味なく視線をそらしてしまう。
はっきりと不審だって!
「鳴さんがいらっしゃるというのに」
「あ」
そうだそうだ、お兄ちゃんが見てるんだよ!
(お兄ちゃんは……)
見てた。
あきれたように――じゃなくて優しいまなざしで。
「翠は変わらないなあ」
がくぅっ! 倒れこみそうになる会長。
「か、変わらないんですか?」
「うん」
がくっ。あらためて肩を落とす。
「お兄ちゃんだって変わらないよー」
「そう?」
「うん」
ほがらかに。わたしたちは笑い合った。
笑い合えた。
「よかったよ。翠の顔が見れて」
「えっ」
その言い方って。
「僕はね」
真剣な表情になり、
「また卵土に戻らないといけない」
「え……」
また――っていうことは、お兄ちゃん、卵土にいたの!?
騎士の世界っていうところに!
「しなければならないことがあるんだ。騎士として」
「うん……」
うなずいてしまう。ホントは何もわかってないのに。
「僕が」
目を伏せる。
「こちらに来てしまったせいで、翠は危険な目にあったのかもしれない」
「えっ」
それってどういう。
「そもそも不安定なんだ。二つの世界の境界は」
お兄ちゃんが語ったところによると、至高の力を持った二振りの槍の激突によって世界の門は開かれたらしい。
最初のそれは、九百年前。
そのとき、門を通ってこちらの世界に来た〝聖槍(ロンゴミアント)〟と呼ばれる槍をきっかけとして現在もその存在が続く〝騎士団〟は結成された。
続いては、なんとたった十年前。
騎士にとって〝大戦〟と呼ばれた激しい戦いの最中だったそうだ。
「九百年前といまとでは大きく違う」
現在は〝聖槍〟と対になる砕けた槍の破片――騎石(きせき)の組みこまれた騎士槍を持つ騎士たちが数多くいる。
その存在が、騎士の世界である卵土とのつながりを強めてしまった。
結果、両世界をまたいださまざまな事件が起こっているのだ。
「解決しようとみんな尽力してるけど、散発的な襲撃は完全には防げない」
大きな国家間の戦争は〝姫〟である鬼堂院さんと、その周りに仕える騎士たちの活躍で終結しているそうだ(さすがは鬼堂院さん!)。
でもやっぱり騎士の世界というべきか、いまでも自分が頂点に立ちたいという荒々しい人は多い。
今回のこともそのために起こった〝事件〟の一つだったのだそうだ。
「無視できない規模で卵土の騎士たちが行動を起こすことは早くに予想されていた。それでハナさんもこの学校に派遣されたんだ」
こくこく。ハナさんがうなずく。
「じゃあ、お兄ちゃんのせいじゃなくて」
「いや」
表情が曇る。
「やっぱり僕がこちらに来た影響は無視できない。移動があればわずかでも境界はゆらぐ。それに」
心からすまなさそうに、
「この学校の近くに出てきたことがまずかった」
「えっ」
近くに――
「門は決まった場所に開くわけじゃないんだ」
錦さんが言う。
「はっきりしないことは多いけど、それをくぐる者の心に強く影響を受けるみたい」
「心……」
そこではっとなる。
「ナイトランサー」
鬼堂院さんは歌っていた。『キミを助けにどこへでもやってくる』と。
事実、白い仮面の正義の騎士は、わたしたちが最大のピンチに陥ったとき、さっそうと姿を現した。
あれは――
鬼堂院さんを想う心が門を開いたということなのだろうか。
騎士の世界。騎士としての信条が、世界そのものの法則として動いている。
そういうことなのかもしれない。
だから、お兄ちゃんも――
「けど、ためらっていたせいで、卵土の騎士たちの襲撃に出遅れることになった」
「えっ……ためらって?」
「鳴はなあ」
関節技から解放されたシルビアが目じりに涙を浮かべつつ、
「あんたに会うべきかどうか迷っててん」
「っ」
「こっちに来てから一日ずっと考えててな。その間に後から来た卵土のやつらに出し抜かれたっちゅうわけや」
「うかつでした。僕の動きを把握されていたなんて」
「罪印(ザイン)の影騎士(えいきし)やろうな。魔印(マイン)か冥印(メイン)かもしれんけど」
またも知らない固有名詞が出てくる。たぶん卵土の国とかの名前なんだろう。
「さっそく調べられたんやな。学校のこともあんたとの関係も」
「そうなんですか!」
いまさらながらに軽くふるえが走る。
「今回みたいなことは二度と起こさせない」
力強く。お兄ちゃんが言う。
肩に手が置かれ、
「僕は騎士だ」
お兄ちゃんの目がまっすぐにこっちを見る。
「翠」
言う。
「キミとキミの仲間たちの平和は必ず守ってみせる」
それは――騎士としての誓約だった。
「ありがとう」
わたしは、
「信じてる」
言った。言うしかないって。
もちろん笑顔で。
「なーんてな」
シルビアさんがお兄ちゃんの肩にひじを乗せる。
「あんたも活躍したけど、結局ウチらがおらへんかったら危なかったんと違う?」
「そ、それは」
言い返せないお兄ちゃん。
もー、こういうときはきめてほしいのに。情けないなー。
まあそれも、お兄ちゃんらしいってことか。
「ふふっ」
笑う。
こっちを見たお兄ちゃんも、
「ははっ」
笑った。
そう、これでいいんだ。
「はいはい、お話はそれくらいにして」
そこへやってきたのは、
「紗維羅さん」
相変わらずヘルメットに執事服の謎の人――というより〝機械〟って言ったほうがいいのかな。
ううん、わたしにとっては、紗維羅さんは紗維羅さんなんだけど。
その手には、もう見た目だけでおいしそうって感じの色鮮やかなパーティー料理が盛られた大皿があった。
「ささやかだけど。二人の再会とこれからの旅立ちを祝して」
「紗維羅さん……」
ううん、ぜんぜんささやかじゃないよ!
「あっ……ていうか、もう大丈夫なんですか、紗維羅さん」
「平気だって何度も言ってるでしょ、この子は」
つんつん。
う……。ほっぺつんつんは、やっぱりちょっとやめてもらいたい。
わたしが会長に、みたいなのはありだけど。
「アタシは〝輝閃の騎士団〟副団長よ。あれくらいちょちょーいと修理すれば大丈夫なの」
そ、そういうものなのかな。
「ほら、働きなさい、攻撃隊長の二人も」
呼ばれて現れたのは、
「ユイフォンさん。先生も」
同じように料理の皿を持った二人だ。
「ユイフォン、屋敷のメイドじゃなくて警備隊長」
不満そうなつぶやきに、
「あーら、ユイフォンはごちそう食べたくないの」
「う……! た、食べたい」
「だったらお手伝いしなさい。いい子でしょ」
「う。ユイフォン、いい子」
いやいや、いい『子』って呼ばれる年齢では明らかにないんだけど。
「ジュオも。おっきいんだからいっぱい食べるでしょ」
「……よけいなお世話だ」
こちらも不満そうな花房先生。
「あらあら、そんなこと言ってー。ちゃんと食べないとお父様みたいになれないわよ」
「……!」
ぴんと。大きな背中が伸びる。
「お、おう」
ええっ! なんか乗せられてる?
けど――先生のお父さん? やっぱり先生みたいに大きい? だってもっといっぱい食べないとお父さんみたいになれないって言ってるし。
あれ? でも先生の『お兄さん』はナイトランサー。
あの人、先生みたいに大きくなかったよ? 普通だったよ?
あっ、それに、五十嵐先生の『親友』な人も確か先生のお兄さん――あっ、お姉さんだったりするの?
いやいや、だから、鬼堂院さんとユイフォンさんみたいな関係だったりするかもで。
わー、混乱してくる。
「ジュオが先生になりたいと思ったのもねー、お父様みたいに誰かを導ける人間になりかったからなのよー」
って、ここでさらに紗維羅さんから追加情報。
いやいや、把握しきれないって。
「ほーら、こっちに来て」
「え、あ、あの」
戸惑うお兄ちゃんが紗維羅さんにテラスのテーブルの真ん中に移動させられる。
「あなたも」
「えっ、わたしも」
「当たり前でしょう。あなたたちが主役なんだから」
並ばされるわたしたち。
「さー、飲み物は行き渡ったー?」
手際よくそれぞれに飲み物の入ったグラスが回され、
「じゃあお願い、姫様」
「うむ」
一歩。鬼堂院さんが前に出る。慣れてるってカンジだなー。
「翠と鳴。二人の再会を祝して」
グラスが掲げられる。
「かんぱーい!」
それぞれのグラスが重なり合い、澄んだ音が辺りに響く。
「あ、あの」
突然のことだったんだろう。お兄ちゃんはまだあわあわしている。
もー、ホントに騎士なのかな、この人。
「お兄ちゃん」
仕方ない。ここは従妹のわたしが。
「乾杯」
「あ……うん」
「踊ろう」
「えっ」
「だーかーらー。こういうパーティーって踊るものでしょ」
「そ、そういうもの?」
「そういうもの」
有無を言わさず、
「わっ」
グラスを持ってないほうの手をつかんでステップを踏み出す。なんて、わたしもパーティーの踊りなんて知らないけど。
なんとかなるさ。
お兄ちゃんが騎士になれたくらいだもん。
「わ、ちょ、こぼれるよ」
「こぼれる前に飲んじゃえばいいって」
「踊りながら?」
情けない声で言う。わたしはおかしくて仕方なかった。
「はい、お兄ちゃん、あーん」
「ええっ!?」
「あーん」
「いやそれ、翠のグラス……」
「だから、わたしにはお兄ちゃんのを」
「飲ませ合うの!? しかも、踊りながら!」
あははっ。本当におかしい。
と、そこに、
「あっ」
ハナさんだ。
「そうだよね。ハナさんもお兄ちゃんと一緒に踊りたいよね」
こくこく。
「ハ、ハナさん……」
大きな笑い声がはじける。
「よーし、私たちも踊ろう」
「媽媽、ユイフォンと」
「うむ」
「じゃあ、ジュオはアタシと」
「な、なんで、おまえと」
「あーら、柚子ちゃんのほうがよかった?」
「っ……! お、おまえには関係ない」
「居織はどうするー。ウチと錦とどっちがええ?」
「選ばないといけないんですか!?」
「あっ、両方でもええよー。なかなか欲張りやなー」
「よ、欲張りなんてつもりは……きゃあっ」
会長も、左右の手をつかまれて、子どもみたいにつり上げられる。
「あっ、錦先輩はわたしと踊りましょうよー」
「ええっ!?」
そこには、なんと五十嵐先生の姿があった。
「うん、いいよ、柚子ちゃん」
って、錦さんもあっさり!
「柚子ちゃんのお姉ちゃん、錦の親友なんやでー」
そうなんだ! シルビアさん情報にまたまた驚かされる。
「あははっ」
楽しい。
本当に。
楽しくて楽しくて。
「鬼堂院さん」
「ん?」
「ありがとう」
何度でも言いたい。
きっと、鬼堂院さんがわたしと友だちになってくれたのは――
姫だから。
わかったから。
一人が気楽だなんて思っていたわたしの――その胸の奥にあった本当の気持ちが。
「あはっ」
鬼堂院さんと、お兄ちゃんと、みんながいて――
わたしは――
心から、幸せだった。
お嬢様はプリンセス