落下から始まる物語12

密室の会話劇
爺さんとおっさん
地味ですね

00210904ー4 カーペンター教授(ドイツ博物館)

 様々な工業製品や、その基礎技術、原理を説明する模型の展示を見続けた後に、不意に場違いな空間が現れ、高橋の歩みを停めさせた。
 それまでの無機的な展示から一変して、不意に錬金術師の工房へと踏み込んでいたのだ。
 薄暗い、いかにも秘儀伝授者の隠れ家らしい工房が再現され、怪しげな鉱石や薬品が様々な器に並べられている。
 複雑怪奇な紋章や記号、図版の散りばめられた古ぶるしい羊皮紙の山。
 ディスプレイの中に、場違いなホログラフプレートが配置され、これが、約五百年前の著名な錬金術師の工房を再現した展示であることを説明していた。
 高橋にとって、化学と錬金術が直線的に繋がるものと言う認識は薄かったから、この展示は新鮮だった。こう言ったものは歴史民族博物館の方が相応しいと思っていたのだ。
「なるほどね」確かに、これらも、その当時の最新の科学研究室の光景であり、ガラス工房や、ナノマシン生成プラントといった展示と一貫して並べることで、一定の感銘を与えていることは間違いなかった。
 化学、民族学、考古学といったカテゴリを自由に横断して、ありとあらゆる物を展示してみせると言うこの博物館の思想が、高橋には新鮮であり、興味深くもあった。
「お待たせしました。」
 不意に背後から話しかけられて、高橋が警戒しながら振り返ると、たっぷりと白い髭を蓄えた老人が立っていた。
 その風貌は、正に錬金術師を連想させる落ち着いた風格を滲ませていて、これ以上この場に相応しい顔立ちを連想することは難しい程だ。
 高橋は、微笑みながら手を差し出した「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。私が連絡させていただいた高橋です。共和国政府で情報担当補佐官助手をしています。」
「カーペンターです。このコーナーが気になったようですね。」
「そうですね。こう言う物は民俗資料館のような施設にしかないものと思いこんでいたものですから。」
「テーマ別の博物館というものは、そもそもそのテーマをカテゴライズする分類方法と言う思考の枠組みを押しつけているのであり、その事を意識させないことは、公平性を欠く部分があると言わなければなりませんな。」
「ええ、全く、そう言うことに今気付かされていたところです。」
「ふむ。ここで立ち話も悪くないが、折角ですから、私の研究室でお茶を差し上げたいと思いますが。」
「是非。喜んでご馳走になりますよ。」
 案内されたのは、カーペンター教授の個室だった。お世辞にも広いとは言えない事務室は、大量の書籍を満載した書棚に占領され、息が詰まりそうな程だった。その上、書棚に居場所を見つけられなかった、膨大な量の本が、床から何本もの尖塔を生やしていた。
 教授が勧めた椅子は、そうした塔の列に半ば埋もれていたので、高橋は倒壊事故を起こさないように、慎重に腰を下ろさねばならなかった。教授自身は、慣れた調子で軽やかに自分の事務机の椅子に腰掛け、机に背を向けて高橋に向かい合った。
「さて、いらっしゃたのは例の論文についてでしたね」カーペンター教授が愛想良く話し始めた。
「ええ。私の上司が興味を持ちまして。私も拝読しました。生憎私自身はそれほど数学に強くないのですが、それでも面白いと思いました。」
「なるほど」教授の眉が一瞬持ち上がった。高橋が数学が苦手というので、憐憫の表情を浮かべかけたのだ。「そう言うことも、あるでしょうな。」
「ええ。教授はアクアリウムと呼ばれていますが、考えようによっては、魂の座を見つけることにもつながる様なお話だと受け止めました。」
「まだそんな事をおっしゃる。心身二元論は迷信だと、我々がこれほど声を大に言っているのに。」
「あ、これは失礼。いえ、私は魂の実在を信じているわけではありません。情報生命の発見で、魂というか、自我と言う実体が錯覚であることは証明されたと思っています。」
「その通り。そもそも、私たちの生物としての身体、その実体が先であって、自我などは、外界からの刺激を受けた瞬間にだけ仮初めに存在する影のようなものです。」
 その時、ドアを静かに開けて、一台の背の低いロボットが飲み物を給仕するために入ってきた。
「この子たちを見ていればよく分かります」高橋が、ロボットのマニピュレータからティーカップを受け取るのを見ながら、教授は続けた。「この子は、今あなたを見つけ、これくらいの位置にお茶を差しだそうと判断したように、見えますね。腕の高さはこれ位、スピードはこれくらい、と思ってから、実際に行動したと、いかにもそう見えます。ところが、この「思った」と言う部分は私どもの自我が勝手に想像を付け加えたのであって、この子たちは何も思ったりはしていない。」
 今度は教授がティーカップを受け取る番だった。そして、一口カップに口を付けてから、続けた「実は我々も同じです。お茶を飲もうと思ってから飲んだというのは錯覚にすぎません。お茶を飲んだと言う事実がまずあり、それを言語として認識する時にお茶を飲もうと思ったから飲んだ、と思うわけです。」
「それがどうしてパラドクスに思えるのか、という点に論文で触れていらっしゃいましたね。」
「この、自我と言う機能が、本来は未来予測、計画立案の為の規則作りを目的としているからでしょうね。身体からの刺激を抽象化した上で、情報としてストアし、その情報から類似性や規則性を見つけだすことで、生存率を高める、と言うのが本来の進化的意義だったのでしょう。学習する時や、予測行動をする際に限定的に読み込まれる機能拡張ライブラリみたいなものだったのかもしれません。その意味では、学習能力を持つあらゆる生物が、知的生物であると言うことになります。ただ、如何せん人は、大脳が能力過多で、そのプログラムが必要以上に常駐するようになってしまった。情報と規則性の更新は、早いに越したことはないですからな。もっとも、この手当たり次第に事象をパターン化してしまうと言う機能は、我々の錯覚や誤謬の要因でもあるわけですが。」
「常駐はしていても、もともとの、事後の抽象化と、記憶、その規則性の探索という機能上の制限が残っているから、実際にはリアルタイムに活動しているわけではないと言うことですよね。」
「そう、ところが、それだと意識内部の時制に無理が生じるので、リアルタイム処理をしているふりをしている、という訳です。まあ、自分で自分を騙しているので、絶対に見破ることは出来ませんな。」
「どうして、そんな面倒なことになってるんでしょうね。リアルタイム処理が出来るような機能を進化させれば良かったでしょうに。」
「そんなものは、自意識なんぞより遙か昔から存在していますよ。そうでなければ、こうやってお茶の一杯も飲めやしませんて」カーペンター教授は、カップに残った紅茶を一息に飲み干して、微笑んだ。「逆説的になりますが、今の我々のように、意識的に意識をする、と言う芸当を実現するのに、この時制をずらす、と言うのは、シンプルで、ある意味美しい解決策だと思いますな。」
「なるほど、そこまではよく分かりました。そうすると、あなたにとって情報生命とは、その機能拡張ライブラリだけが独立して存在する状態、と言うことですか。」
「そこなんです。今までの話でお分かりと思いますが、そのライブラリだけがスタンドアロンで存在しても、そこに意識は存在し得ません。どうしても、外界からの刺激が必要ですし、経験情報もどこかにストアしなければなりません。だから、私はタナカ=リューモデルに賛成なんです。我々には分からない、もしかすると彼ら自身さえ分かっていない、記憶再生システムがあるはずなんです。そうでなければ、彼らが余りにも我々に近い意識を持っていることが説明できません。」
「ああ、それで、ですね。」
「そうです、それで、では本当の所、どれ位の領域が必要なのか、を検討する試みが、今回の論文だったわけです。そして、それが、あなたの上司の興味を引いたポイントだったんでしょうね。」
「彼らの巣を見つけよう、ってことですか。」
「まだ十分にお分かりになっていないようですね。これは、彼らの死の可能性を論じることにつながっているのですよ。」
 カーペンター教授の青い瞳にのぞき込まれながら、高橋は落ち着いた声で答えた「なるほど。それで、この急な会見の申し入れをお受けになった訳ですね。我々が、どこまで理解しているのか試されたかったと言うことですか。」
「左様。あなたの言う上司が誰なのか、質問する権利はあると思いますが、正直、あまり確かめたくないんですよ。怖くてね。」
「まあ、ご心配には及ばないと思います。では、この数字にどんな意味があるか、ご意見を承りたいのですが」高橋は、名刺大の、数行の数値が書かれたメモを教授に差し出した。
「ふむ」教授はその数値を一瞥してから簡単に答えた「誰かが私が論文で提案した宿題を解いたんでしょうね。私がアクアリウムの最小値として想定している情報力学場を作るためのパラメータに、限りなく近い値ということだけは言えますな。」
「ありがとうございます。大変参考になりました」高橋は急に晴れやかな笑顔になって、続けた。「さて、これ以後、あなたの身柄を保護しなければならないようです。あなたの安全を図るためですから、誤解の無いようお願いします。指示に従っていただけますね。」
 言葉を失ったカーペンター教授を伴って、高橋が博物館を後にしたのは、この僅か六分後のことだった。

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落下から始まる物語12

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-28

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