見た目

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 洗った髪を乾かす姿が写る、鏡の中の私の後ろに、真四角なフレームで飾られた彼女の笑顔は撮られた時から、そして一枚の写真として印刷されたときから色褪せず、私の不注意で付着させてしまった万年筆が落とした一滴の青いインクを、私が慌てて、下手くそに拭き取り損ねた痕跡以外に損なわれたところはなく、毎日乾くまでにかかる長い時間、見続けたいから目に入る所に置きたくて、必要に応じて住処を変え続けても手放さなかった、その悠久の時を過ごす間に長い髪であり続けた、そしてこれからも変わらない長さであり続けると決めている私と違い、栗色の長さを変え続け、ときにはその色を私より黒く染め、最も長いときにはよく結び、最も短いときには毛先を外に跳ねさせた、コロコロと変わるあの豊かな感情と一緒に楽しそうで、だからかえって見ているこちら側の誰しもがその祝福のされ方に羨ましさを覚えてしまった彼女の在り方に「似合わない」って、そう私が声に出さずに思っていたセミロングのあの頃で止まったままの彼女の姿とすっと伸びた首。デコルテが綺麗な衣装の、原色で、複雑なパターンのデザインが魅力的なワンピースが胸から上しか写っていない、限られた枠に私が重ねてしまった、あの気に入らないインクの染みが残す時間の妙な新しさが「今」という時間を私の認識にもたらして、衝動的に、髪を乾かす手をとめてしまいたくなるぐらいに申し訳なく思っている。私が、あのシャッターを切ったのではないとはっきり覚えている当時の彼女の写真を「撮ろう」と提案したとき、驚くほど拒絶の意思を示した彼女のその理由が「あなたじゃないから」という私に向けた親しさと、それ以上に彼女の存在理由に関わる大事な伝承に纏わるもので、私には、私が撮ると画角が傾く癖があったから綺麗に撮れない、だから「かのじょ」にお願いするのと平凡に説明してしまった、それなのに、ううん、そんな調子だったから、それでもいい、それでもあなたがいいと言ってくれた彼女に対して、だって、これは私が大事にしたい私の写真だからって子供みたいに何度も説得して、お願いして、私が「かのじょ」の横に並んで立って、写される彼女のことを見ているという条件付きでやっと撮れた。あの頃に住んでいた場所に特有の気候にしては珍しい、とても重い物を真上から落として壊したみたいに、嘘みたいに厚い雲の塊が消えていた、まん丸な晴れ間が広がっていた、私たちの過ごすベンチと広場で、その周りを囲んでいた、彼女より長生きで、私よりは若い鬱蒼と茂った樹々の背景を上手に避けた撮影するための位置、けれど、私の細心の注意をすり抜け、「あの時」に写り込んだ絵空事みたいな有名な衛星を後から「加工して」消し、この世で生きる「彼女」だけを残した、そんな打算。彼女は、出来上がりの意図から透ける私の意図を拒まず、この世の「光」に関わる物理的な法則との関係上、一緒に写れない、彼女とはまた違う私の存在理由を知っていて、アレするために、噛んでみる?なんて悪い冗談を一度もこの世に発しなかった、そんな彼女に抱いた私の気持ちが何かに結び付いて、真昼の下で歩ける存在へと私を「押し上げた」。あのときから、私を取り囲むこちらの理が、終ぞ伝承されることがなかったはずものに変わっていき、私と、私以外のものの時間がすれ違い、彼女に語れることと私に語れることしか合わなくなって、そして次第に、確実に私と彼女の間にも入り込んできた。この世のものなのに、「光」が、届くことがなかったはずのこちら側に届き始めて、加工して、消したはずの衛星がどんなに手を加えても消えなくなった。「あの衛星が反射する輝きでは変身出来ない私」。なのに、鏡の前に立ち、反射して伝える、初めて見える「私」の姿を消えそうな姿で褒めてくれた彼女に、泣きじゃくった私に、伝えてくれた彼女の言葉をそっくりそのまま返し続けた。耳元で、とっても綺麗で、大好きな彼女に、私が返す言葉が目の前に立つ鏡の前の、見たこともなかった、知りもしなかった、理を超えて、こんなことになって、こんなことになってしまって知りたくもなかった私の、私の真似ばかり。生まれて初めて動けなくなった私が過ごした、あの長い時間。ピンポーンって馬鹿みたいに鳴り響いて、無視していたら勝手に投函されて、勝手に歩いて来て、私の足と体を勝手によじ登って、私の意思や気持ちなんて知りもしないで、自分勝手に封筒を破き、姿を現して勝手気ままに私に笑いかけてきた真四角の中の、上半身だけの姿を彼女と認められたのは、一体何十年経った頃だろうか。私は、私はこうして「私」になった。そう口にして、一から十まで私を受け止められた私が、「彼女」を抱きしめて、声を枯らしてもう一度泣き切ってから三日目、私は鏡の前を立ち去って、真四角なドアを開け、真四角な浴室に入り、魔法みたいに水を出してお湯に変え、加工するように私を洗い、私を拭って、しばらくその場に立ち尽くして、「元に戻った」。そうして私はある意味で甦り、死んだ。真水が嫌いだとか、銀の細工物が嫌いだとかそんな下らない伝承に囲まれて、彼女と過ごし、彼女と笑っていた私が残した私の全てを額縁みたいに収め、私は私と、私以外のものを存在させるこの世の意味をくすぐる。それでどこかで彼女が笑えば、私も「笑う」。繋がる意思の、固有の電気信号は渡した。擬似的なものは数多い、そういう今の、「この世」だから。私を浮かべる、私と眠る、私を作る、逆さまに干された傘たちと「私」の蝙蝠と共に、私の黒い、長い髪はこうして無事に、最後の一本まで乾いた。犬みたいな名前で呼ばれていて、彼女にも生えていた長い牙が目立つ、口を開いた私が震わせた情報を吸い込み、自動的なメッセージは目の前の鏡に映されて、読める、長い長い、やり取り。目線で動くのはスクロール、ううん。と拒否を示して動きを止めた私は、「私」を見て、向こうの「彼女」を見る。あの万年筆は、文字を書くために使うもの。文字は、こうして気持ちを伝えたりするもの。紙というものに染みた記憶のように付き纏う黒い、長い「外套」は、あんなにも翻って、あんなにも広がって、残像となって消えた。気に入らないのは私だ。彼女を残した私だ。そう思い、俯く仕草で、垂らした長い髪で顔を隠し、でも何もかもを振り切って、立ち上がる。なんて、こういう嘘を記しても消えない、そういう「私」だ。睨みつける気なんてもう起きない、泣き腫らした思いと苦味は、「笑顔に変わった」。彼女はあのまま、笑顔だから。同じやり取りを何度も繰り返す悠久の時、だから一所懸命に見つめて欲しい。変えられない段落を変えるためにこうして、話すことを、止めることを。     段落じゃない、ブランクとしての黙考をこうして鏡に記して、「目を開ける」という私のアクションを認識した古い鏡がこうして続けて表示する、語り出した姿の私と、「私」が話した言葉が彼女に届くかもしれない時間と空間を跨ぐ旅行に出かける前の身支度は、同じことを行う「私」たちの願いだから、鏡の向こうに繋がっている、情報が集積されるところへ。「私」たちを止められない私たちが語り続けた先に行き着くところまで。原始の時代から伝承される恐ろしさを、大事さを、有り難さを、そしてその一瞬に彼女と過ごせた喜びを。今も写って見える「彼女」、忘れない私の中の彼女に向けて、決して逃れられない運命のような表現行為の枠組みの内でこうして生きる「私」と、鏡に背を向けた私の後ろにある、今も見える、手を伸ばせば届く「彼女」と、その姿からまざまざと思い起こせる彼女と生きた「あの頃」がこうして消えないように。今から口を閉じる、祈る私が届ける、鏡に写った私を見つめる、嘘みたいなこの時のように。片付けないドライヤーを、壊れないように記すわがままを、私に許して。  


                                                   』                                      



 

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  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-05-04

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