灰の人  執筆中

雨野音

  1. 煌めき
  2. 誰にも言わない
  3. 似たもの同士
  4. 五百キロ

誰にでも、あるのだろう。
みんな、こんな感情を抱えながら何故生きていけるの?

煌めき

【久しぶり。突然のDMでびっくりしたかな。夏川って今、東京に住んでるんだっけ?】

 それは、私の心臓を握りつぶした。
 手のひらに浮かぶ文字を、何度も何度も読み返す。間違いない、“彼”が“私”へメッセージを送っているのだ。

【お久しぶりです。覚えててくださったんですね、東京に住んでいます。先輩はまだ大阪に住まわれていますか?】

 これだけの文字を打ち込むのに、何分かけているんだろうか。動悸がする。
 先輩からの問いかけの真意が何なのかわからないまま、ひとまず送信ボタンを押した。
 指が震える。

 自分の体じゃないみたいだ。さっきまで、いつもと変わらない日常の中にいたのに、急に感情も体もおかしくなってしまった。
 
【そうなんや! こっちは今も大阪に住んでる。実は来月東京に遊びに行こうと思っててさ。久しぶりにご飯でもどう?】

 心臓が口から出そう、ってこういうことか。
 大きく脈打ちすぎていて、胸の周りの筋肉がうずうずする。
 酸素が激しく出入りして、頭がくらくらする。

 これが、先輩と八年ぶりに会うことになる、きっかけだった。



 先輩との出会いは、十一年前。
 私、夏川みさとは十五歳で、先輩は十六歳だった。

 田舎の寂れた世界の中では、“憧れ”というのは私を奮い立たせるものとして有用だったし、同級生の女生徒たちと馴染むためには「同じ会話」をするスキルが必要だった。

「入学式で挨拶してたの生徒会長だよね? かっこよくなかった?」
「ええー! 私バスケ部のキャプテンの先輩が超かっこいいと思うー」

 入学式も終わり、少し緊張も緩んだ全校集会の場。
 十五歳の少女の目には、中学三年生と特に代わり映えしない同級生よりも、年上の男性というのは魅力的に映るようだ。

「ねえ、夏川さんは?」

 確かに生徒会長は頭もよさそうで頼りがいがありそうで、かっこいいかもしれない。
 バスケ部のキャプテンはとにかく顔が整っているのと、身長も百八十センチ近くありそうだ。
 おそらくこういった王道の先輩を選べば、無難に話は進むんだろうけれど、変に気を遣ってしまう私の性格上、「同じ人をかっこいいと言ったら、敵と認識されるかもしれない」という思考がよぎる。

「ええと……、あ、あの人、かっこいいかな」

 パッと目に入ったその人は、生徒会長の後ろに立っていた。
 抜きん出て「かっこいい」要素は無いのだが、逆に言えば悪い要素も特にない。可もなく不可もないのだ。

「ふぅん。……夏川さんってちょっと変わってるねー!」

 きゃいきゃいと、女生徒に小突かれる。
 よかった、正解だな。と思った。



 これは後から知ったことで、私が指した男性は二年D組の「村上翔太」さんというそうだ。
 生徒会長と一緒に居たので三年生かと思っていたのだが、二年生だったようだ。
 部活は今は美術部に入っていて、先輩と同じ南町中学出身の同級生が言うには中学時代はバレーボール部だったらしい。

 人間の脳というのは不思議なもので、最初は話題を合わせるために決めただけの“憧れの先輩”だったのが、先輩のことを知るたびにわくわくした。
 けれどこれは恋愛感情ではないのだ。憧憬というにはまだ稚拙な感情だった。自己満足のために先輩を求めた。

 先輩のことをたくさん知った。
 中島みゆきが好きだということ。
 ロボットダンスが得意だということ。
 ラジオを聴くことが趣味で、ハガキ職人をしていること。
 年上の女性が好きだということ。

 私が村上先輩を「かっこいい」と言っていることは簡単に先輩の耳に届いたようだ。
 私の友人が、すれ違った後にはキャアキャア騒ぐものだから、気づかないわけがないのだ。

「夏川さんは、こんな僕を慕ってくれてありがとうね」

 村上先輩はとてもいい人だった。否、過去形ではなく、とてもいい人なのだ。
 優しくて優しくて仕方ない人なのだ。
 本来ならば、囃されることに気分悪くなってもおかしくはないはずなのに。
 そういった先輩の姿、性格、知っていく度にどんどん私は先輩を好きになっていった。


「夏川さん、俺と付き合ってくれない?」

 同じ学年で、別のクラスの男の子から告白された。
 趣味が同じで、仲良くしていた男の子だ。
 当時彼氏がいることはアドバンテージのようなものだったし、仲も良いのだから断る理由がなかった。

「いいよ。付き合おうか」

 そうやって、私には同学年の彼氏ができた。
 今までみたいに表立って先輩に対して嬌声をあげることもしなくなった。
 憧れは憧れのままで、胸に閉まったのだ。
 先輩は私を好きになることはない。と、感覚的に理解しているから。



「村上先輩、彼女できたらしいよ」



 それを聞いたのは、私が二年生で、先輩が三年生の時。
 年上の女性が好きだと言っていたのに、彼女は美術部の一年生の女の子だと聞いた。

「へえ。そうなんだ」

 頭の中はいたって冷静で、恋愛感情の好きという気持ちを先輩には抱いていないという、根拠のない自信が私の中にあった。
 その冷静な感情と裏腹に心臓は握りつぶされるように痛く、苦しい。
 顔は笑っているのに、悲しくないはずなのに、目からは涙が流れた。
 それでもまだ、好きだという自信はなかった。
 これは、憧れなのだと。


 それからは、先輩も心なしか私を避けるようになったし、私も先輩を見ると辛くなってしまうので、できるだけ関わらないようにした。

 先輩が卒業する間際、結局その一年生の彼女とは別れたという話を耳にした。

「みさと、村上先輩の第二ボタンもらわなくていいの?」

 卒業式の日、クラスメイトが声をかけてくる。
 先輩は三年間学ランを着ていた。
 その第二ボタンをもらわなくていいのかと。

 物として手元に残ってしまうと、なんだか嫌だった。
 ずっとずっと縛られてしまう気がしたのかもしれないし、私の“彼氏”への体裁もあった。

「先輩」

「一度でいいので、抱きしめていいですか」


 今思っても、何を突飛なことを言ったのかと思うが、頭のねじがおかしいのは私だけではないのだ。
 先輩は少しはにかみ、八重歯を見せて、「いいよ」と言った。


 卒業式が終わり、思い思いに別れを惜しみ、学校から去っていく。

【僕の教室に来て】

 私の携帯電話に、先輩からのメッセージが届いた。
 メッセージを見て、先輩の教室まで歩いていく。誰かに見られないだろうかと、きょろきょろしながら。
 階段を上り、廊下を進み、扉を開ける。

「今なら、大丈夫」

 先輩がいた。
 夕日が差し掛かる窓から、外を見下ろしている。
 窓の下では様々な色の袴やスーツが揺れていた。
 本来ならば三年生の先輩は今からみんなでご飯にでも行くはずなのだ。

 先輩が手招きするのに吸い寄せられるように、私は教室の奥へとフラフラ足を動かした。

「じゃあ、はい」
 と先輩は両手を広げる。

「いいんですか?」
 今更怖気づいてしまって、確認を取る。
 先輩が縦に首を揺らしたのを見て、先輩の胴に腕を回した。

「……見た目より太ってないですね」
「はは、それならよかったなあ」
「……ありがとうございます、こんな変なこといいよって言ってくれて」
「そうだねえ、夏川さんは変わってるね」

 先輩を抱きしめた時のことは正直あまり覚えていないのだ。
 もっとふかふかしているかと思ったら、想定外に男性の体はかたくて、どきっとしたぐらい。

「しかし、こんなところ誰かに見られたらと思うと、いけないことをしているみたいでどきどきするね」

 先輩は恥ずかしそうに身なりを整えると、廊下の方に首を出して見回していた。

「夏川さん、二人で話したことってあまりないよね。どうして僕なんかのことがいいの?」

 先輩と私は部活も違えば、学年もクラスも違うし、共通点はたいして無かった。
 先輩と同じ美術部の同級生に用があって、美術部に顔を出した時に少し話しかけてもらうことや、先輩は生徒会の役員を二年間つとめていたから、その中で一生徒として少し関わることがあったくらいだ。

「ええと、どうしてでしょうか。よくわからないですけど、先輩がとてもかっこよくて、いい人だから」

 それから、先輩の家族の話を聞いたり、今まで知らなかった学校の裏話みたいなものを聞いたりした。
 初めて、先輩とじっくり話したのが卒業式だった。

「じゃあね。元気でね」

 先輩は、大阪の大学へ進学したのだ。


 先輩を追って関西方面に進学することも考えた。
 けれど、関西方面に進学する友達は周りにいなかったこと、この感情は「憧れ」であること、を理由に、同級生のほとんどと同じように、東京への進学を決めた。

 それから先輩と私の繋がりは、インターネット上の繋がりだけになった。
 相互に会話をすることは無く、先輩がフェイスブックに乗せた写真を見ては、あぁこんな環境で暮らしているんだなあ、と距離の遠さを心の遠さのように感じ、そっと閉じるだけだった。

 大学でも恋をした。
 社会人になっても恋をした。
 けれど、いつも本気になることはなかった。

 不思議なことに、ずっと先輩の存在は私の中に巣食い続けていた。

 私ももう二十五歳になり、同級生の結婚ラッシュを体験したばかりだった。
 仕事ばかりしていないで、早く結婚しなきゃなあ。という漠然とした焦りだけが私を追い詰めていた頃。

 何の前触れもなく、先輩からメッセージが来たのはその時だった。

誰にも言わない

「ごめんな、待った?」

 待ち合わせの時間にそこに現れたのは、私が最後に見た十八歳の先輩を一回りも二回りも洗練させた、二十六歳になった先輩だった。
 文章ではあまり出ていなかったけれど、話すとすっかり関西弁になっている。
 もう、私が知っている先輩ではないのだ。

「全然待ってませんよ。じゃあ、軽くご飯食べにいきましょうか」

 待ち合わせをしたJR中野駅から、少し歩く。
 きっと、先輩こういう街好きでしょう。

「ここにしましょうか」

 雰囲気が良さそうな喫茶店を見つけたので、指をさす。

「おぉ、ええな」

 関西弁になった先輩が返事をする。


 店内はシックな雰囲気で統一されており、店内の真ん中のテーブルに案内された。

「僕はショートケーキとコーヒー。夏川さんは?」
「ミルフィーユとダージリンにします」
「じゃあ、それで」

 店員の男性は復唱してから、軽く頭を下げて下がっていった。


「実はさ、失恋したんだよ。会社の先輩の女性なんだけど、すごい好きだったんだ。先輩に好きになってほしくて、ダイエットもした。それでさ、なんとか付き合うのはOKもらえたんだよ。なんだけどさ、三週間でフラれちゃった。まあ、女々しいんだけどさ、今回東京に来たのは傷心旅行みたいなもんかな」

 ミルフィーユの層を貫通しながら、先輩の言葉を聞き、理解した。
 失恋した先輩は、私が優しい言葉をかけてくれることを期待して、会おうと声をかけてきたのだと。


 お互いの近況を話したり、学生時代の思い出話をしたり、昼過ぎに会ったというのにもう夕方にさしかかっていた。
 あの日、先輩の背中に窓から差し込んでいたようなオレンジが、今日も差している。



「夏川さん、このあとってどうする?」

 喫茶店の会計を済ませて、先輩が問いかけてくる。
 その空気に一種の含みを感じた。男女の何がというわけではないが、精神的に、愛情に飢えている先輩を感じたのだ。

「ごめんなさい、私このあと用があるんです」

 先輩は私を必要としていることは感じていた。
 そして、それに流されてしまいそうだった。
 先輩と私は別の世界で生きているんだから、もう交われない。

「今日はありがとうございました! 久しぶりに会えてうれしかったです。また東京にくることがあればご飯に行きましょうね!」

 顔をできるだけ見ずにそう言って、声を詰まらせている先輩を背にして改札へ向かった。


 これで良いのだ。
 私の決断は間違っていない。

 先輩の為にも、私の為にも。

似たもの同士

 あの時みたいだと思った。
 先輩に彼女が出来たと聞いた時。
 気まずくて、辛くて、先輩の顔を見られなかったことが。

 ただ、あの頃と違うのは、先輩は私を必要としていること。
 私を必要としているけど、私である必要はないのだ。
 悲しいことに、なぜかわかってしまう。
 愛されなかった時の予防線などではなく、本能的に解るのだ。
 先輩の感情は、手に取るようにわかってしまう。
 わかってしまうことが、どれほど残酷か。

 先輩はあのあと、連絡をしてこなかった。
 フェイスブックやインスタグラムで近況を投稿しているのに対して反応することはあっても、直接コンタクトを取ってくることはなかった。
 一種の気まずさをお互いに抱えていたのかもしれない。
 私も私で生活をしていたし、先輩も先輩で生きていた。



 二十八歳の夏、私は仕事の友人の経営するバーでお酒を飲んでいた。
「ねえ、学生時代の淡い思い出話をつまみにしようよ」
 誰かが言い出したその一言で、その場にいた各々が、自分の体験を話していく。

「みさとは? 何かないの?」
「そうだなあ、高校時代にひとつ上の先輩が好きだったんだけど、卒業式の日に抱いたよ」
「は!? 抱いた!?」
「あぁ、そうじゃなくって。抱きしめたの。誰もいない教室で」
「何それ……現実?」
「うん、現実」

 そう言って、インスタグラムを開き、先輩の写真を探す。

「ええと……あった。この人」

 写真を見せる。
 咥え煙草をし、左手は男友達と肩を組み、右手は被った帽子に片手を添えている先輩がそこにいた。

 お酒が入っているのもあって、話すうちに先輩への思いが沸々と蘇ってきた。
 思い出というものは美化されるもので、憧れだったはずのそれは、崇拝の対象のような何かになっていた。

 バーからの帰り道、電車に揺られながら、もう一度インスタグラムを眺める。
 先輩がこっちを見ている。


【先輩、そっちに遊びに行くことがあれば会ってくれますか?】


 ふわふわとした脳内で、あぁ、送信してしまった。というのだけが解った。


 昨日は、飲みすぎてしまった。
 痛む頭を押さえながら通勤電車に揺られていると、インスタグラムの通知がついていることに気づいた。

【久しぶり! 日程さえあえばもちろん会うよ】

 先輩のコメントが返ってきている。



 一瞬で目が覚めた。

【来月の連休、京都大阪に三日間旅行しようと思います。どこか空いてる日はありますか?】

 もちろんそんな予定は無い。無いが、今決めたのだ。

【それなら二日目にしよう。俺のよく行く店に連れていくよ】

 先輩に会える。
 先輩に会える。
 それだけで頭がいっぱいになり、心が満ち溢れた。
 あぁ、もうあの頃から十年以上経っているのに、こんなに惹かれるとは。

 私はその晩、大阪駅前のホテルを予約した。
 そして、待ち合わせの日の午前中に美容院を予約した。
 ただ仕事をし、食事をし、睡眠をとる。そんな毎日に彩りが初めて差したようだった。

 心が躍るのを抑えきれずに、夜ジョギングしに出かけることもあった。
 先輩に会うまでに、少しでも綺麗になっておきたい。そんな気持ちが何故かまだあるようだった。

五百キロ

 ----九月十八日、午前九時五分。
 私はJR品川駅のホームに立っていた。

 右手には、京都駅行きの切符。
 
 今日は丸一日予定が無い。
 京都駅に着くのは十二時前の予定だから、到着したらお昼ご飯を食べよう。
 それから、神社に行こう。せっかくだから、少し観光もしたいし。

 新幹線のシートに腰を掛けると、「本当に会いに行くのだ」という気持ちが再度湧いてきた。
 わかっていたことだが、いざ一人で東京の土地を離れるとなると、心がそわそわした。



 

灰の人  執筆中

灰の人  執筆中

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-05-03

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