遁走

渡逢 遥

さっきから後を尾けられているような気がしてならない。だが、後ろを振り返っても誰もいない。それどころか、どこを見渡しても誰一人いやしない。ただ、気配だけがある。ただならぬ気配が。不穏な空気が立ち込めている。すべてが悪い前兆のように思える。まるで、こうなることが初めから運命づけられていたとでもいうように。今や私の精神に、安寧など訪れない。私の精神に安寧をもたらしてくれるものは、もはや何一つ無い。私はそれを自覚して、初めて正しく絶望する。覆されざる運命の到来を、この拷問のような状況からの解放を、即ち死を、ただ一心に望んでいる。私はもう、正常からは程遠い状態にある。いや、私が正常であったことなど、無かったように思う。正常らしさを演じていただけだ。それは秩序の癌に他ならない。もう、取り返しはつかないのだ。私は、"私自身の要請に応じることさえただの一度も出来なかった"。私をこんな状態にしたのは、他でもない私自身だ。私が私を殺すのだ。動悸が止まない。頭が煩い。不安と緊張によって全神経が張り詰めている。呼吸が乱れる。視界が狭まる。脚が縺れる。それでも走る。それでも逃げる。ここから逃げる。どこにも私の居場所は無い。私に存在価値など無い。私は追われている。狙われているのではなく、ただ追われているのだ。何の謂れかも判らず、何の謂れかも知らされず。"私は私であることが憎い"。私は憎しみに歪められたのだ、徹底的に。私は憎しみが憎い。真理も、そうでないものも、人間が関係する一切が憎い。関係の奴隷になんてなりたくなかった。私はただ、空っぽであることを誇りに思いたかった。もう、何もみたくない。もういい、楽にしてくれ。

遁走

遁走

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-05-01

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