グリーン・ベル

やない ふじ

短編集『喜雨とトレニア』より

短編集『喜雨とトレニア』より

 断頭台に立つ罪人の気分を味わいながら立ち上がる。故郷の街の皆が集まる講堂に、グリーン・ベルは呼び出されていた。
「旅の救世主、あなたにこの街を救って欲しいと、皆が願っているのはあなたも知るところだろう。どうか、力を貸してはくれないだろうか」
 帰って来た途端にこれか、と苦笑は鉄面皮の裏側へ。頼まれた依頼は必ず引き受ける、それが信条だった。
 だから一も二もなく善も悪も無く頷いた。考えるより先に身体が動いた。
 講堂からは歓声が上がる。伸びた背筋をより伸ばし、トレードマークの緑色のタイを少し直して、グリーン・ベルは初めて口を開く。
「私にできることは嘘を見破ることだけ。一字一句この通りです。それで救えるのなら、喜んで手助けいたしましょう」
 より大きな喝采が響く中、グリーン・ベルの相棒だけは、不機嫌そうに皆を睨み付け続けていた。


 いつからか「それ」は街を覆っていた、気付いたときには既に手遅れだった、と、街の者は口々に言う。「それ」などと呼ばずにきちんとした名称を教えろと薄い笑みを浮かべたグリーン・ベルに、彼らはひっそりと呟く。
「幻想、ですよ。
 いえ、勿体ぶっていた訳ではありません。聞けばあなたはそんなことか大したことはないと思うだろうと伏せていたのです。「それ」のために、この街はひどく疲弊してしまった。……目の前にある事態を対処できず、その上、打ち勝つ力を失ったこの街が飲まれていくのは、時間の問題だったのでしょうが」
 幻想の正体は自分達自身だと説いた思想家は街から出て行った。街に残ったのは、その言説を事実と認めながらも、なお気付かない振りを続ける者ばかり。自分も逃げようと思えば逃げられるのだが、と彼らが顔を見合わせるので、思わずグリーン・ベルも相棒と視線を交わす。
「――逃げない理由は?」
「自分達が生まれ育った街ですよ? 見捨てるような真似はできません。何とかして、また昔のような活気を取り戻したいじゃないですか」
 そんなところだろう、と思っていたのは口に出さず。出戻って来た自分を前にして言うことか、と呆れかえった心を表に出さず。
 彼らと別れたグリーン・ベルは、街はずれにある資料館へと向かう。
「幻想が脅威になることなんてあるかい、なぁ。あの人らは、物事の良い部分だけを見ようとしておかしくなっちゃったんだ」
 グリーン・ベルの相棒は言う。見事に整備された石畳も緑鮮やかな広葉樹の並木もにこやかに挨拶をしてくれる住人も、この素晴らしい全部が幻想だ、とグリーン・ベルが言い切るので。その全部を引き剥がしてやるのが君のやることだろう、と意地の悪い口調で、敢えて言う。
「あの人らは理想を押し付けた。だからその理想ってやつに沿うように、世界が有りもしないものを見せ始めた。嘘を引っぺがして見えるのは理想を剥いだナマの姿さ、だったら理想も嘘も大差ないって話だろ。なにもこの街に限ったことじゃないね」
 その通りだ。こうした病を患った地が辿る末路を散々、嫌というほど見てきた。
「でもまぁ、もしも本気でこの街の人達がどうにかして欲しいと思っているなら。タイミングが一番重要になるわけだ」
 グリーン・ベルは黙っている。露店で買った、かすみのようなホットサンドに噛みつくのに精一杯だったから。
「ウソとホントは鏡合わせ、均衡が崩れれば片方が片方に引っ張られる。引っ張られ過ぎたらハイおしまい。何もかもがめちゃくちゃになるだけさ。難しいね。でも君は嘘を見抜けないのは馬鹿な連中に限ったことだと言う」
「だってきみ以外は皆馬鹿だもの」
「そんなの知っているとも」
グリーン・ベルが爪先を置いていた石畳が割れて崩れた。相棒は口笛を吹く。徐々に崩れてきているねぇと、小さな子供と変わらぬ口調で囃す。
「依頼は依頼だ。私、グリーン・ベルができるのは嘘を見破ることだけ。けれどそれは、私だけができること、じゃあない」
「さてさて、それはどうだろう」
 結局、君が一番の嘘つきだな。
 笑う相棒に、グリーン・ベルは笑い返さない。


 要は筆記能力がいるんです、と寂れた酒場で出会った青年は言う。
「口で言ったって証拠は残らない。だから僕達は何らかの形で書き記して、残さないといけないんです。理想を現実に書き起こすんだ」
 安酒一杯の湿った言葉にグリーン・ベルは眉を顰める。湿っているだけでなくべたついている気がした。アルコールは好きだが、飲んでも酔えない点は嫌いだった。
「現状このままじゃ、いつかこの街は駄目になる。誰しも心の中でそう思っていたはずなんです。と同時に、希望を捨てたくないとも思っていた。何かしらの打開策を見つけたかった。希望を―理想を願うことの、何が悪いと言うんです」
「……悪いとは思わない」
「だけど結果は最悪だ」
 彼はヒステリックな笑い声を上げた。
「僕達は現実を過信していたのでしょうか。現実にはもう、僕達の作り上げた幻想に耐えうる力はもう残っていなかったんですよね。希望が現実を侵食するなんて、いったい誰が考えると思います? ねぇグリーン・ベル。あなたにならば分かりますか」
「……分かり兼ねるよ。済まない」
 ですよね、と言いつつ再びグラスを煽る。グリーン・ベルが何も言い出さないので、何度も何度も。ほろ酔いを過ぎ、彼は木製のテーブルに突っ伏して寝息をたて始めた。
「やれやれ、だな」
 グリーン・ベルの相棒は、これ見よがしに溜め息をつく。
「これだから酔っ払いは嫌だよ。管を巻いたり文句を垂れ流したりするのは、いつだって手遅れになってからだってのがまるで分かっちゃいない。それに、一時の酔いに任せて放った言葉を後生大事にしちまうのは本人じゃない、聞かされた素面の奴だって相場は決まってるんだ」
「万年酔っ払いのきみが何を言う」
「呑めないのは君も知ってるだろう。それとも、自分の言葉に酔っているとでも言うつもりか。お生憎様、酔えるほど上等な言葉も吐けないものでね」
「言葉すらなくたってきみならばきみ自身に酔えるさ」
「手厳しいね、グリーン・ベル」
「…………」
「まぁ、反面教師くらいにはなれるさ、お互いに」
 青年の肩にブランケットをかけてやる。眠るのは悪いことではないと思っていたから。ほんの一時、理想も現実も見ずに済む時間があっても良い。


 役人との最終的な打ち合わせにグリーン・ベルは呼び出された。嘘を見破る力を持っていると噂は聞いたことがあるが、実際にどのような手順を踏んで街を救うのかと彼らは尋ねる。役場の作業部屋の一部に仕切りを立てて作った応接室にはストーブが焚かれていた。あぁ冬が来るのだな、と場違いな感想を抱いた。
「嘘を見破る方法ですか。……その状況によりけり、としかお答えはできませんが、共通しているのは、そうですね。見つめることでしょうか」
 淡々と、部屋の窓枠と同じ温度でグリーン・ベルは答える。
「嘘を見破ってほしい、と。そう依頼を寄越す方々は皆、自分で境目を見つけられなくなっているのです。何を信じれば良いのか。嘘と真はどこにあるのか。
ですので、見つめることで探します。境目をひとたび見つけてしまえば、あとは選り分けて、嘘が嘘であることを自覚させるのみです。癒着してから時間が経っているものほど難しくはなりますが、一度見破られると、弱いものですよ」
 グリーン・ベルが伏せていた目を上げると、質問を投げかけてきた者はさっと逸らした。いつもなら相棒が茶々を入れてくる場面だが、彼は黙ったままだ。ストーブのしゅうしゅうという音が、いやに大きく聞こえた。
「それから、こちらからも確認させていただいて良いでしょうか。このやり方には欠点が一つあるのです。……いえ、両手を使っても数え切れないほど欠点はあるのですが、敢えて取り上げるとしたらこの一つ、ということです」
 グリーン・ベルは喉の奥で笑う。他の誰も笑わなかった。
「見分けがつかなくなっている。ということは、ことが終わって残るものが、望んでいたものと同じである確証はない、ということでもあります。自分ではまことと信じていたものが消失する可能性も十分にある。このことによって身体的、精神的な苦痛を受けたと後から言われても、こちらは対応しかねます。宜しいですか」
「あ――あぁ、勿論だとも。何より、住民が皆、限界を感じている。いつまでもこのままにしておく訳にはいかないのだ」
「分かりました。それでは」
 夢見る時間は終わりですね。
 グリーン・ベルは言い残し、足早に応接室を出た。


 グリーン・ベルは一晩かけて街を救った。
 あまりにも静かだったから、路地裏の猫すら気付かなかっただろう。見事な手際だと称賛の言葉をかけたのは相棒のみ。お礼の品は既にもらったからと、グリーン・ベルは街を早々と出るつもりでいた。
「何、いつもとは違うのだね。いつもなら依頼人に報告をして、なあなあの流れで宴会に連れて行かれて、皆からありがとうと感謝されて。そうやってグリーン・ベルの噂、名声は高まってきた。違うかい」
「……………い」
「ええ、何だって」
「もう依頼は受けないし、グリーン・ベルはいなくなる。だから必要ないんだ」
 相棒はひゅうと息を呑み、沈黙する。普段騒々しいあんたが黙っているとおかしな感じがする、とグリーン・ベルは目を細めた。胸元のタイの結び目をいじる左手の指先は寒さで真っ赤になっている。
「ここが、最後か。
 最後だから、故郷を選んだのか」
「それもある。けれど全てじゃない、気まぐれで偶然だ。遅かれ早かれ辞める気ではいた、気持ちが向いたのが、たまたま今日だった」
 思い出す。
 幾何学模様が美しい、敷かれたばかりの石畳。秋になれば実をつける広葉樹の並木。毎週末に通っていたのは古ぼけた講堂ではなく、一片の曇りもないと管理人が自慢するステンドグラスを有する教会だった。
 街の皆とも親しかった。全員が友達のような気分だった。目にも眩しい鮮やかな色彩があふれる街だった。
 記憶の中の故郷、は。
 幼い時分の記憶は美化されるものと分かっていても、はっきりと落胆してしまった。
 嘘を見破るまでもなかった。かつてここにあった現実は消えたのだと。
 助けを乞う街の皆と自分は、何も変わらない。くすんだ現実を背負った街を、見たくはないと思ってしまったのだ。
 気付いてしまってはもう、続けられない。
「ねえ。嘘に縛られているのも、幻想に縋っているのも、有りもしない理想像を求めているのも、私だよ。だけどこれでほんとうに終わりなんだ」
 タイを外す手が震えた。よせ、と叫び声に近い音で、相棒は制止をかけたが遅かった。結び目がするりとほどかれる。
「もういないあなたの声を聞くのも、あなたの振りをするのもおしまいです、兄さん」
 私が一番の嘘つきです。グリーン・ベルだった彼女は微笑んだ。
「急な別れが寂しくて、あなたのことを思い続けていたら、あなたが私の中にやって来た。だけど嬉しかったのは最初だけ。古いものには次第に綻びが出てくるもの。街でも、人間でもそうなんだね。
 兄さんが、私の知らない兄さんに変わっていくのがおそろしかった。戻ってきて欲しいと思った兄さんはもういないって、余計思い知らされてしまうから」
 くるくると指にタイを巻き付けて、街灯の灯りに透かしてみせる。
 結び直せと、元の持ち主が言う。彼女よりもずっとグリーン・ベルだった彼は叫ぶ。
「グリーン・ベルに見破れぬ嘘はないのでしょう。だったら、私の頭の中にだけいる兄さんのことも、ちゃんと見破ってよ」
「嘘だ、嘘だ!」
「…………兄さん。私、あなたがほんとうに最後まで、嫌いでした」
 手から離れたタイが風に乗ってどこかへ消えていく。
 旅に出ようと、彼女は右足を踏み出した。
 どんな嘘でも現実にできたらな、と思いながら。

グリーン・ベル

グリーン・ベル

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-05-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted