ハチナナロゴス 試し読み②

やない ふじ

ハチナナロゴスより 5 あいつもこいつも踏んでいる

 3の段と4の段で小難しげなことを書いてしまったので、ここからは気を抜きに抜きまくって書こうと思います。上手くいくかな。
 さて、踏むのは四股でもうどんでもなく、韻です。
 某ラップバトルコンテンツにハマってしまったからです。嘘です。いや嘘ではない。もともと好きだったものに更に好きなものが乗せに乗せられてしまったので、こりゃあ書くしかないでしょうという感覚です。
 その前に。ことばを使う文芸・文化は数あれど、そのいずれにおいても「基本の型」があるなぁと思います。
たとえば落語。マクラがあり、オチがつく。時そばが好きです。それから漫才。フリもオチも効いていて起承転結がはっきりしている、緩急がありテンポ良く聞けるものがやはり面白いのだろうなぁと思います。はい。
 自分が明るくない分野の話題はボロが出る前に切り上げるスタイル。
 この、緩急が何事においても大事、というのが個人的な意見だったりします。小説、音楽だってそう。文字を使った表現は全部かも。締まりの悪さってけっこう目に付くよね、という超特大ブーメランを振り回してみます。
 ことばは基本的に、自分の思いや主張を他者に伝えるために使うものだと思います。だからことばの使い方が上手い人間は、人の心をガッチリ掴む方法を知っているともいえるのかもしれません。詐欺電話グループが一斉に検挙、逮捕されるニュースを見ていても、電話をかける際のマニュアルがあったりなかったり、なんて話を聞くわけで、やっぱり型が重要なのでしょうか。
 犯罪を手本にするのは本末転倒ですが。ダメ絶対。

 反面、学校の朝礼の話だったりどこかの大先生の演説だったり、面白みにかける話の仕方も当然ある。ここでいう面白みのなさは、内容が難解すぎて分からないことを指しているのではありません。話のつくりの弱さが面白みのなさに繋がっている気がします。「内容も含蓄があるし、言いたいことも伝わってくるんだけどつまらないんだよな、なんだかなぁ」の「なんだかなぁ」を生むのは、冗長さや真意がつかめない不明瞭さにあるのではないかな、と思います。
よく「日本語は非論理的な言語だ」と言われるらしいけれど本当にそうなのかな。道具は使い方次第とも言いますし。自分の言いたいこと、それを支える具体例や根拠がはっきりしていれば「ちょっと何言ってるかよく分かんないです」という状況にはならないのかな、と。ここでもブーメランぶん回しです。
 これは話しことばだけでなく、書きことばにもいえるのではないでしょうか。
 日本語の表記法は複数あります。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット。目から入る情報量は多い。多いから複雑に感じるけれど、見た目で「これは何を表しているのか」を察することもできるので、便利だなとも思います。論理的でスマートな文章も、細やかさのあるエモーショナルな文章も書けるようになりたいものです。
 型によって賞味期限も違ってきます。3でも書きましたが、書きことばは話しことばに比べて規範意識が強いとされています。つまり古い型が残りやすい。型の変えやすさは文化によっても異なるのかもしれません。
 型といえば、「SNS構文」と勝手に呼んでいるものがあります。「全ての○○好きに伝われ」とかああいう類いのものです(これを書いている時点でタイムラインに流れてくる頻度が高いのがこれだった)。SNS上で用いられる決まり文句はすぐに世代交代される。自分の中の知識を常にアップデートすることが暗黙の了解的に求められる。多分。これはSNSが持つ速さ、ライブ感からきているものなのでしょう。

 最初に戻ります。韻を踏む話でした。
 ライミングを自分でやってみようとしても、駄洒落と何が違うんだ……僕が作ったのはただのアンクルジョーク……と我に返ってしまい、中々上手く出来ません。難しい。
 ですがことばの音数を合わせたり韻を踏んだりということ自体は、それほど新しいことではないのかな、と思います。
 たとえば短歌には季語も入ってくるわけです。また俳句にはウィットが求められる。いや求められてはいないけれど格好良いから真似したくなる。漢詩に至っては、限られている語数で末尾に韻を踏むよう工夫をして、なんて凝ったことをしないといけなかったわけで。すげえな昔の人。
 短歌に戻ります。種田山頭火の作品のように自由な作風が素敵なものもありますが、原則に従っていけば現代のラップやヒップホップと通じるものが、短歌などのジャンルにはけっこうあるなぁ、と思います。自分の気持ちを込めてことばを紡ぐ、どちらが優れている作品かを競う、という点では同じかなと。和歌には恋の歌も多いけれど、平安貴族にとってはどんな人を射止められるかは、人生と家の存続を賭けた大一番だった側面もあるわけで。戦う手段と目的が違うだけですかね。
 英語圏から生まれたラップミュージック、漢字圏から生まれた漢詩、日本語から生まれた短歌、俳句。これらを眺めると、言語や文化に違いがあっても、気持ち良いと思う音は共通しているのかな、とも思います。
 日本語の音と外国語の音は違うけれど、そういった形式的な部分ではなくもっと根っこの部分で、です。個人的な好き嫌いの部分はともかく、良いと思う音やリズムは人類共通なのかもしれないな、と。魂に響く音というか。
 はるか昔、言語も楽器も楽譜も何もなかった時代にも音楽はあったのだろうか、と考えることがあります。
喉からほとばしる声、身体や自然物を叩いて出る音。それらによって人間が(ひょっとすると人間以外も?)嬉しさだったり悲しさだったり、様々な感情を表現していたのであれば、やはりそれは音楽と呼ばれるのでしょう。どの言語が母語だとかの前に、人間が生き物として好む音があるんじゃないのかな、と思います。
 ちなみに、どんなもんだろうと気になって興味本位で中国出身のアーティストさんのヒップホップを某動画サイトで聞いたけれど、全然聞き取れませんでした。漢字だから歌詞テロップを見れば意味は大体取れるだろう、と高をくくっていたら簡体字が読めませんでした。音も日本語の音読みと全然違っていました。そりゃそうだ。
 ラッパーでもあり落語家でもある声優さんがいる世の中なので、俳人ラッパーとか歌人ラッパーとか、いらっしゃるのかな。詳しい方ぜひ教えてください(他力本願)。

ハチナナロゴス 試し読み②

ハチナナロゴス 試し読み②

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-05-01

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