さつきが丘
その夜、わたしはどうしようもなく彼女のことをおもっていました。梅雨風はまったく凪いで、一片の雲もない夜空に、ぽつりぽつりと咲くさつきのように星々がかがやき、お月さまもまぶたをそっと閉じているような、きれいな夜でした。こんな世界に、こんな静かな夜があったでしょうか。それはまるで、徒雲の流れる響きのようでした。
さっきのことに、わたしはうれしいきもちになり、愛というには深く、恋というには仄かなおもいを手のひらでそっと包みます。そうして、そのままぎゅっと手を組んで、神さま、秘密にします、と、わたしは誓いました。ひとが狂ったところを見たのは初めてのことでした。
海から山をひとつ越えて、東海道新幹線の高架橋をくぐって過ぎたところに、さつきが丘というなだらかな丘がありました。そこには十数棟の団地が並んでいて、わたしが住む五号棟の三階の部屋の真向かいに、彼女は住んでいました。
ひとつ上の彼女とわたしは同じ保育園に、そしてもちろん同じ小学校に通い、とても小さなころから一緒に遊んでいました。わたしの母も、彼女の母も離婚していて、ひとりでした。彼女らが仕事から帰ってくるまで、わたしたちは一緒に遊んでいました。
丘の中腹にはひっそりとした公園がありました。ブランコと、滑り台と、砂場だけの名前も付けられていないような小さな公園で、その端っこには落羽松という大きな樹が立っていました。鳥の羽のような葉が茎の節に互い違いにつき、枝ごと落ちることから、落羽松という名前がつけられたそうです。その公園樹の下には、さつきが植わっていました。街路樹のようにきれいに刈られているのではなく、もっと自由に、悠々と枝を伸ばしていました。
そのさつきが花を咲かせるころの日でした。さつきは夏へと深くなり、落羽松さえ初夏を帯び、葉々の声もさやさやと、さやけき日々に透明になりゆきます。わたしたちはいつも通り、その木陰に包まれながら、さつきのそばで、いつもの遊びをしていました。
「ねがう」
彼女は言います。
「つむぐ」
わたしは言います。
「さすらう」
「あむ」
「じゃあ、おる」
「ささやく」
彼女はちょっと考え込んで、
「ゆめみる」
と言いました。わたしは「それはちょっとずるいよ」と言いました。
しりとりではありません。きょうのわたしたちの遊びはつまり、動詞を言い合うというものでした。その場で思いついた動詞を交互に言い合う遊びで、たとえば「たゆたう」なんてことばが出てきたときには、わ、いいね、とふたりでよろこびましたし、「いる」なんて純粋なことばを彼女が言ったときには、おっ、と感心しました。
「ゆめみる、は、なんか、ゆめってことばがはいってるから」
「でもゆめみるでしょ」
「みる、じゃだめなの」
「みる、と、ゆめみる、はちがうじゃん」
「ん、たしかに」
べつに勝ち負けがあるわけでもありませんでしたが、夕方のチャイムが鳴り、その遊びが終わってふたり家に帰ると、わたしはお母さんの部屋から辞書を取り出してことばの世界をさまよいます。床にぺたんと座り込んで、重い辞書を置き、ばっと開き、ざっとみて、また閉じ、またてきとうに開いて見回してみます。「た」の最後のほうのページでした。
「たわやか 形動」
品詞という概念もよく知らなかったわたしですが、なんだか物事の名前だったり、なにかの動作が多いなとおもっていたときに見つけた、たわやか、はひときわ輝いてみました。そして、次の日の遊びでこのことばを彼女に披露しようとおもいました。
わたしはお母さんが帰ってくる前に辞書を本棚に戻します。わたしのお母さんはなんとか社とかいう出版社に勤めていて、帰ってもまだ仕事をします。そのときに辞書が本棚にないと、わたしをとても叱ります。
その日、夜の八時ぐらいにお母さんはふたつのコンビニ弁当と缶が入った袋をぶら下げて帰ってきました。すこし酔っぱらっているようでした。
「大事な話があります」
とお母さんは弁当の焼き鮭をほぐしながら言いました。わたしはお母さんを見つめていましたが、お母さんはわたしのほうを一度も見ませんでした。
「お父さんができます」
「帰ってくるってこと?」
「違います。新しいお父さんです」
どうしてお母さんが敬語を使っていたのかわたしにはわかりませんでした。お母さんはお酒の缶をぷしゅっと開けて、いっき飲みしました。そのあと、ばん、と机に缶を叩きつけて、あー、と息を吐いたあと、
「明日うちに来ますので、その際はいい子にしていてください」
と言いました。
わたしが、はい、というと、まだごはんが残っていた弁当を袋に突っ込んで、お母さんは部屋へ行ってしまいました。お酒をあれだけ飲んだのに、まだこれから仕事をするらしいです。実際、お母さんの部屋からは電話している声が聞こえたり、ものを投げつける音もしました。わたしはひとりで弁当を食べ続けました。わたしにはこんど、新しいお父さんができるらしいです。
「たわやか、ってしってる?」
土曜日だったとおもいます。学校は休みで、五月晴れの午前でした。
「しってるよ、なんかおだやかで、まるくて、やさしいかんじのやつでしょ」
「しってたのか。なんかほかにもあるかな」
「たおやか、つややか、やすらか、なだらか、ひそやか、あえか…」
「あえか、ってなに」
「なんかもろいかんじの」
「たとえば?」
彼女は座ったまま、左手を地面につき、右手でそばにあったさつきの花をなでました。それは、透明に近いような、真っ白な花でした。
「あえかな、はな」
と、彼女はその花を摘みました。
「どこでそのことばしったの」
「なんだっけ…、なんかの詩だったとおもう」
「へえ、詩をよむんだ、じぶんでかいたりとかもするの」
彼女は、えへへ、とほほ笑んで「うん」と言いました。そして「でも、」と続けて、
「だれにもみせないんだ」
と、わたしにその花を渡しました。薄っぺらく、しっとりしていて、軽かったその花をわたしは両手のうえに乗せて、じっと見つめました。風の薫り、木漏れ日がさらさらと揺れていました。あえか、ってこういうことなのか、と、わたしにはわかったような、でもわからないような気持ちがしました。
お昼ごはんを食べに、わたしたちは家へ戻りました。家のドアを開けて、後ろを振り返り、今日はもう終わり、また明日遊ぼうね、と、手を振って、彼女がドアを閉めたのを見届けてから、わたしも家の中へ入りました。
リビングにいたお母さんはきれいな白いワンピースを着て、キッチンに立ち、料理をしていました。ただいま、というと、おかえり、と、お母さんはにこにこしました。いつもより厚化粧だったように見えました。
その日のお昼ごはんはパスタでした。お母さんは三つのお皿を並べて、茹で上がったパスタを盛りつけ、ジェノベーゼソースをそのうえにかけました。
「いただきます」
とわたしが言うと、お母さんは
「まだだめです」
と言いました。
「これからお客さんが来るので、それまで待ちましょう」
お客さん、というのはわたしの新しいお父さんのことでした。
そのとき携帯電話が鳴って、お母さんは電話に出ました。「うん、うん、わかった。もうごはんできてるから。うん、私も」と言って、お母さんは電話を切りました。とても上機嫌で、姿見で自分の格好や化粧をした顔を確認して、玄関のほうに行ったり、また戻ってきてまた鏡で確認して、また玄関のほうへ行ったり、廊下をうろうろしていました。たまに、
「お母さん、綺麗?」
とわたしに聞いてきました。そのあいだずっとわたしはジェノベーゼパスタに手をつけずに、
「お利口さんにしていてください」
というお母さんの言いつけを守っていました。
インターフォンが鳴ると、お母さんは廊下を走って玄関へ行き、ドアを開けました。玄関に響くお母さんの甘ったるい声と、男の人の声の会話が、リビングで座っていたわたしにも聞こえてきました。それが終わるとふたりの足音が近づいてきて、男の人が入ってきました。最初はにこやかだった彼は、わたしを見るときりっとした険しい表情になって、
「この子、誰?」
とお母さんの方を振り返って聞きました。
「私の子」
とお母さんが言うと、
「子供がいたなんて知らない、どういうことだよ、あーあ」
と彼は怒鳴って、玄関のほうへどしどし足音をわざと大きくたてながら、とうとう家から出ていってしまいました。
「まって、ねえ、まって」
お母さんは彼の後を追って家から飛び出しました。
しんと静まり返った部屋で、わたしはパスタをフォークに巻きつけて食べ始めました。スパゲッティは塩がよくきいていて、あまじょっぱくてとってもおいしかったです。
わたしが食べ終わったころ、家に帰ってきたのはお母さんではなく、さっきばいばいしたお友だちの彼女でした。
「ねえなんか、おかあさんがそとであそんできなさいっていうの、こうえんいこ」
と彼女はしんみりした顔で言うので、わたしは、いいよ、と言って、いつもの公園へ彼女と一緒に行きました。
落羽松のしたで、さつきの咲くそばで、今日のテーマは「感情をあらわすことば」でした。わたしは両足をだらんと伸ばして両手を後ろにつき、彼女は体育座りをして、
「さびしい」
と、まず彼女が言います。
「さびしいの?」とわたしが聞くと、
「ううん、べつに。それよりつぎは」と彼女は答えます。
「うーん、あ、かなしい」
「かなしいの?」と彼女はわたしに聞きます。
「べつに」とわたしは答えます。
「そっか、たのしい」
「せつない」
「くやしい」
「じゃあ、くるしい」
「かなしい」と彼女が言ったところで、わたしは言葉に詰まります。
わたしはちょっと悩みました。あんまり感情をあらわすことばってなくて、見つけるのが難しかったのです。
「こわい」
とわたしは言います。
「こわい…」
彼女は目をふせました。
「こわい、は、いまいったじゃん」
「こわい」
彼女は体育座りをしたまま、両ひざのあいだに顔を埋めます。そうして、ひっく、ひっくと、
「こわい、こわい」
と、声にならない声で呟きます。もうこれ以上小さくなれないほど、ちいさくからだを、ぎゅっと両腕をきつく締め付けて、彼女は泣きはじめました。
「こわい」
としか言わなくなった彼女にわたしは
「どうしたの」
と呼びかけます。「こわい」
お母さん呼んでこようか? と聞いても「こわい」としか言いません。
わたしは団地へ走ってゆきました。三階まで階段を走ってのぼって、息を切らしながら彼女の家のインターフォンを押します。
だれも出てきません。わたしはもう一度ボタンを押します。そうして、何回も押しました。
ちょっとたってから、
「はい、なんでしょうか」
と、彼女のお母さんではなく、知らない男の人がドアの隙間から顔を覗かせました。
「あの…」
「どうかされましたか」
「ごめんなさい、まちがえました」
とわたしが言うと、その知らない男の人は「そうですか」とドアをばたりと閉じました。
けれどもドアには彼女の苗字の表札がかかっていましたし、部屋を間違えてはいませんでした。
わたしはまた走って公園へ戻りました。いつも通り空は晴れていましたし、いつも通り風は凪ぎ、いつも通り梅雨雲は漂い、いつも通りさつきは咲いていました。ただ違ったのは、さつきが樹のうえにではなく、地面に咲いていたということだけです。ぜんぶでした。真っ白なさつきはぜんぶ、地面に摘み捨てられていました。その白い絨毯のうえに、彼女は座っていました。彼女がぜんぶさつきの花を摘んだのです。
でもべつになんにもおかしなことはなかったのです。わたしも、彼女も、こんな世界に生きているのですから。
いまでも夜中に夢からさめて、こころにちらちらと粉雪が降るおりには、さつきが丘の公園へ、さつきを摘みに行きます。しののめよりも匂やかに、夕さりよりもしじまなる、さつきは月の花、とささやく声がしまして、摘めば三日月さまの影の、はらはらと零れます。
さつきが丘