えふぶんのいちゆらぎ!

U._.U

  1. チャプターってなんだろう
  2. あいすだ!
  3. 一回幸福を味わうと、欲張りになっちゃったりする
  4. また味わえました、幸福
  5. 最近ちょっとだけ物足りなく感じちゃうのは、あなたにおはようと言えてないからだ。

チャプターってなんだろう

夏の平日の昼間は、もしかして宇宙人の(たく)みで蒸されてるんじゃないかと思ってしまうくらい暑い。冷房機も扇風機もないこの部屋。

風通しが悪すぎて、換気のためにベランダの窓を開けても、カーテンがビクともしない。ああ、暑い。そしてわたしは馬鹿なのか、或いはM気質があるのか、厚手の長袖のパジャマを来ている。

さすがに馬鹿だなと自分でも思う。だらだら、と汗をかきすぎて暑いようで寒い。服の中がべたべただ。きもちわるい。でももう動きたくない。誰か、水ちょうだい。ああ…今の時間はみんな学校か。誰もいないや。

「うー…暑いよ、たすけて」
空のペットボトルを網戸に投げる。跳ね返って頭にこつんと当たった。

「いでっ」

かちんときて、もう一度投げる。跳ね返って頭に当たる。

「ぁいた」

痛いぞ網戸さん わたし女の子だよ。手加減しようよ。ごろごろ転がって網戸のそばまで行くと、ペットボトルでぺちぺち叩く。暑さで頭がイカれたらしい
なにもすることがない。インターネットサーフィンも、飽きた。とりあえず暑くて、なにも手が付けられない。溜まった課題も、しようとすら思えない。とりあえずは、水分補給をしなくちゃ話にならない。ただ、起き上がるのもだるかった。
ああ、暑い。
「暑いね」

不意に聞こえたその声に、動きが停止する。網戸の方から、正確に言えばベランダから、空気を孕んだ聞き覚えのない声が聞こえた。網戸さん、喋れたの。

「網戸さんも暑いんだね」

「…ん?」

一拍あけて困惑したような声が聞こえる。よく見たら、ベランダに人影が見えた。あれ。不法侵入!
「ふしんしゃ、」

「違う違うそういうんじゃないよ」

起き上がって人物をこの目で捉えると、即座に手を銃の形にして、警察のマネをする。中途半端に長い髪の毛が目立つ、若い・・・綺麗な人が立っていた。わたしの警察ごっこにノってくれて、両手をあげる。
あれでも、これって普通に通報するべき?


「じゃあどういうの」

「んーなんかお隣から暑い、死ぬ、誰か助けてってぶつぶつ聞こえるから、ベランダの柵伝ってこっちまで来たんだよ」

「このアパートの壁って薄いよね。たすけにきてくれたの」

「助けが必要だったなら、そういうことになるよ」

困り眉のまま笑って手を下ろした綺麗な人。


ははは、って笑ったあと下を向いた。長袖のポロシャツにジーンズを履いていて、わたしより暑そう。そんなことを思っていたら、顔を上げたその人の流し目と目が合った。数秒間、そのままで、ビクともしないから首をかしげる。

「アイスたべる?」

「うん!たべる」

もしかすると、この人は天使なのかもしれない。

あいすだ!

冷たくてあまあい舌触りに楽しくなって、口角が上がる。頬がゆるりと形を変えた。


「かわいいね」

「変質者?」

「いや、なんか子供みたいでかわいいなって」

アイスを頬張ってるとそんなことを言われて、咄嗟にその人から離れる。
お部屋からアイスを持ってきてくれて、ベランダで並んで食べていたけれど、わたしが離れたことでこの綺麗な人がなぜか近づいてきて、今はぴったりくっついてる。この人変だ

「暑いね」

「うん…熱いよ」

暑さでちょっとおかしくなってるかもしれない、暇だから付き合ってよ。
額に汗をかくその人は、汗すら映画の小道具なのかと感じるくらい綺麗だった。この人だけを見る人生だったら、どれくらい視力があがるんだろう。

「ねえ、なんて呼べばいいかな」

「好きに呼んでいいよ」

「じゃあ、変態さんだね」


ぼくがいつ変態チックなことしたかな、と言いたげな顔でわたしの方を見る。
わかんない、とりあえず変態さんでいいよね。

変態さんのベランダに設置されたガーデンテーブルを挟んで、ガーデンチェアに座るわたしとその人。
日差しに目を細めてから、白い日傘を取り出した。太陽が嫌いなのかな


「嫌いじゃないよ。肌が気になって」

「ふうん。」

「太陽光には紫外線が含まれてるんだけれどね、三種類あるんだって」

「・・・ふうん。」

「簡単に言うとABCの3つあるの。Aは肌の老化を招いて、Bは色素沈着でそばかすができたりして、Cは今のところぼくたちに届くことはないらしい。」

「ふうん?」

「日焼け止めはAとBからしか守ってくれないんだよ」

「博識だねかっこいい。ちなみに白は光を反射するから、内側が白い日傘は反射で顔を日焼けするよ」


それは困ったね、って日傘を投げ捨てて部屋から黒いブランケットを持ってきて、身にまとった変態さん。
紫外線の"C"からも守ってくれるから、日焼け止めより有能だね
頬に垂れた汗と、暑さで赤くなってる頬をじーっと見る。
この人は、すごく肌が白い。ガーデンチェアなんて使わないんじゃないか、と思えてくる。実際、使われた形跡はなさそう。
今日、このためだけに用意されたみたいに真新しい深緑の椅子の上で、足をぶらぶらさせて、ふたたび変態さんの顔に目を向けた。

深緑のガーデニングセット、真っ白な肌と薄紅色の頬のコントラストに、すこしだけ胸がとくんと鳴った。我ながら、ポイントがおかしいなとは思う。



「変態さん、あっち向いて」

「ん?」

暑さでやっぱり頭がやられてるのか、遠くの空を指さしたのち、無防備になった変態さんの頬に唇を寄せた。気がついたらわたしの唇は、変態さんの頬にあった。
ちゅう、という効果音を変態さんの頬に残して、何事もなかったかのように元の体勢に戻る。

こっちを向いて固まる変態さんを無視して、また足をぶらぶらさせた。このガーデンチェア、模様がうさぎさんだ。


「どうしたの。びっくりしたじゃん」

「わたしのファーストキス」

「ぼくのほっぺにファーストキス奪われてるの可哀想だね」

表情の見えない声とは裏腹に変態さんの頬はさっきよりちょっとあかくて、それを隠すようにわたしが指さした空へと顔をそらされる。目がすこしおよいでるその横顔に、耳まで紅いことを教えてもらった。

紅くなってるね、ってからかってもよかったけれど、わたしはやさしいから、暑いね。そう言うだけで終わらせてあげた。



それから、

「あ、ひこうきぐも」

「ほんとうだ。久しぶりに見たな」

「最近天気わるかったから、ラッキーだ。」

「そうなの?まったく外出ないから知らなかった」

「わたしも出ないけど、無駄に空ばっか見てるの」

なんて他愛もない会話をたくさんして、この人が一人暮らしであること、わたしの左隣の部屋にちょっと前から住んでいること、外に出ないこと、トマトとにんじんが嫌いで味覚が子どもなこと、お菓子が好きなことを知った。色々知れた。

代わりに、わたしが学生であること、親とはあんまり仲が良くないこと、同じく味覚は子どもでオムライスが大好きなことを教えた。

名前と年齢は、お互いにあえて知ろうとしなかった。


太陽の日差しとわたし達の会話の盛り上がり具合がちょうど落ち着いて、それでもまだぼうっとお互い空を見上げていたら、いつの間にか日が暮れていた。

りぃ、りぃ、と近所に響く虫の鳴き声に、もうこんな時間帯なのか、と我に帰る。
あれ、時間経つのってこんなにはやかったっけ。


「そろそろ帰るかな」

「うーん。どっちでもいいや。疲れたけれど、冷たい風が心地良いし」


そっか、と目を細めて笑ったあと、ガーデンテーブルに顔をあずける変態さん。重力に負けた綺麗な髪の毛が、さらりと音をたてる。冷たいテーブルに片頬を乗せたまま、力を抜くように瞼を下ろした。

変態さんも、疲れちゃったよね。

すっかり血色を失った陶磁器(とうじき)のような肌、目の前に広がる綺麗な黒髪と臥せられた睫毛が、街灯の明かりをうけてきらきら光っていて、やっぱりこの人は綺麗だと思った。
なにかのミュージックビデオのワンシーンなのかと錯覚してしまうくらい絵になっていて、見入ってしまう。

一つ、髪の毛の束を手に取って指にくるくると巻き付ける。さらさらしてて、触り心地がいいな。


「髪の毛さらさらだね」

「……」

そうかな。とか、そんなことないよ。って無難な返事はこなくて、すぅ、という寝息に近い呼吸音だけが変態さんから聞こえた。あれ、寝たの。

子どもみたいに無防備な寝顔をじっくり見たあと、遊んでいた髪の毛を元に戻す。

数回、指で髪の毛を梳かしてあげてから、変態さんを置いて部屋に戻るのも嫌で、同じようにテーブルに突っ伏した。
頬にあたる冷たい風と近くに感じるぬくもりに、徐々にまぶたが重くなる。押し寄せてくる眠気に、視界にちょこっとだけうつる変態さんが揺蕩(たゆた)いて、思わず閉じた瞼はそのまま数時間は開かなかった。

こんなにあったかい睡眠は、いつぶりだったっけ。


その夜はかたいガーデンチェアで寝たのにも関わらず、最近で一番よく眠れてしまっていて、起きたら変態さんがわたしの髪の毛で遊んでいた。
わたしが寝ている間に着替えた変態さんは、昨日と同じようにすごく暑そうな格好だった。


「今日もひこうきぐも見えるかな」

「・・・ん?」

変態さんがにこにこしながらほら、と指さす先は雲が少し見える青空。(まばゆ)い太陽に目を細めながら見上げて、ほんとうだ、なんかデジャブだね。なんて寝ぼけた頭で考える。
がた、と変態さんが座っていたガーデンチェアが動く音がした。

変態さんの影がわたしにかぶさって、その人がわたしのすごく近くにいることを数秒遅れで知る。頬になにかあたった。なんだかやわらかくて、わたしの頬より熱を持ったなにか。



「あ・・・、れ?」

「ん?」

「ちゅーした?」

「お返しだよ。おはよう、目覚めた?」


まだぼーっとする頭が、ちょっとだけはっきりしてくる。
目覚ましにちゅーするのってどうかと思う。人のこと言えないけれど。
わたしの頬を指さして、愉快そうに変態さんが笑った。

「昨日のぼくより紅くなってるじゃん」

「びっくりしただけだよ。てか紅くなってるってわたし言わないであげたのに」

「目が物語ってたから悔しくて」

わたしにとってはこの状況が一番悔しくて、わたしの方にさされた指を噛んだ。「ぎ、」なにその声。いたずらでちゅーなんかしないでよ。

「美味しくないよ、ぼくの指」

「美味しくないね」

ぐりぐり歯をたてると、痛いよって指を引っこ抜かれた。痛くしたんだもん。
赤く歯型がついていて、ようやくわたしが笑顔になる。それを見て、変態さんもなに笑ってるのって言いながら笑った。

昨日と違って太陽の日差しは絶好調だけれど、わたし達の会話の盛り上がり具合はすでに落ち着いていた。また暑くて死にそうだったらおいでよ、と言ってくれたから、今日はすっかり満足してたみたい。

「今日はたのしかった。ありがとう」

「ぼくもたのしかったよ。またね」


そのまたねを信じてわたしは部屋に戻ってしまって、相変わらず静かで誰かのぬくもりなんてすっかり死んでしまった家の中で、シャワーを浴びて着替えて、ベッドに入った。

それから、いつも通り家をずっと空けていた親が定期的に生活費を置きに来るために帰ってきて、わたしはそれで生活してを続けていたある日、家のインターフォンが鳴った。

すっかり夏が朽ちて、紅葉に色がついて、それが枯れ落ちた頃だった。
ドアスコープを覗くと、見覚えのない好青年が立っていて、誰だろう。と首をかしげる。


「はあい・・・」

「あ、はじめまして。隣に引っ越してきた者です」

「ほう?こんにちは」

にこりと口角を上げるこの人は、中々に顔がよかった。隣に引っ越してきた、ってことは、これから隣に住むんだ。そんな当たり前なことを、頭の中で考える。

お口に合うかわかりませんが、と差し出された菓子折りを受け取ると、何卒よろしくお願いします。と一礼して、同じアパートの左の部屋に入っていった。

左の部屋・・・?
嫌な汗が頬をつたう。じんわりとかいた背中の汗が、ひどく冷たく感じた。

履き古したサンダルをひっかけて家を飛び出ると、好青年さんが入っていった左隣の部屋のインターフォンを押す。
壁が薄いこのアパートは生活音がよく聞こえて、玄関の扉に近づいてくる足音に、焦れったくなった。

笑顔で扉を開けてくれたお兄さんは、わたしの顔を見た瞬間困惑したように動きが一瞬とまった。変な人だと思われていそうだけれど、気にしない。


「お兄さん、ここにもう一人誰か住んでいますか?」

「俺、一人だけですけど・・・え、もしかしてなにか見えますか?」

「ううん、見えないよ。ここに前住んでた人のこと知ってる?」

「あれ、敬語・・・。前住んでた人かぁ、俺は知らないけど大家さんに聞けばわかると思う」

そっか、大家さんか。と一瞬思ったけれど、もうそこまでする気力はなかった。
それに、なにも言わずに引っ越しちゃったのなら、わたしのことを忘れているか、そこまで気にとめるほどの存在だと思われていないんだろうな、と思ったら、これ以上あの人に踏み込んではいけない気がした。心が、さみしい。

頬に残るあの感触と、あの日見た夢見たいに綺麗な景色たちを思い出して、空を見上げる。

今日の天気は、あいにく曇りだった。


「俺も一緒に聞きに行こうか?」

「もう前住んでた人の事考えるのやめた。大丈夫だよ、今度お返しのお菓子持ってくるね」

無理やり口角をあげて、暗くなった表情を誤魔化す。

「自由だね、楽しみにしてるよ」
ばいばい、と手を振ると、同じように振って扉を閉めたお兄さん。
扉が閉まった瞬間、わたしの笑顔が消えるのがわかってため息を吐いた。

きっとあれは神様が一日だけ、夢を見せてくれただけなんだろう。ぜんぜん楽しくなかった日々の繰り返しの中で、一日だけ宝物みたいにきらきらした時間をくれたんだ。それを糧にして生きろ、ってことだ。

あの人が見せてくれた夢のために、生きなきゃ。
頭でそれをずーっと考えて、家に帰るなり冷たい水と大嫌いな人参とトマトとご飯を胃に流し込んだ。生きなきゃ。

一回幸福を味わうと、欲張りになっちゃったりする


窓から差す日差しがやわらかくて、目覚めの良い朝。ベランダの窓が結露(けつろ)して、部屋中が喉を乾かす冷たい空気でいっぱいだ。
外に目を向けると、向かいに見えるアパートの屋根が真っ白になっていた。自然光を浴びてきらきら光るそれは、雪だ。もうすっかり、冬だった。

シャワーを浴びて、好きな牛乳を飲んで、出かける支度をすると、お気に入りのブーツを引っかけて外に出た。生きるためだ。

今日も変態さんはいなくて、それでもあたりまえに頭の中であの人のことを考えてる。今、なにしてるんだろう。


ぼーっとふわふわな雪を潰しながら歩いていると、不意にぽふ、と肩になにかあたる音がした。なんだろう、と触って確認したら、雪で首をかしげる。

「命中率すごくね?」
後ろから聞こえるその声に振り向くと、スコップを持った『たっくん』がいた。ちょうど、雪かきをするために出てきたのだろう。

「投げたな?!やり返してやる」

やっべー!と走り出すたっくんを捕まえると、服の中に雪を詰めこむ。
このたっくんとは、左隣のお兄さんのことだ。大学生で、春から就職するらしい。やさしくて、よく遊んでくれる。


「冷てえ・・・」

「ふっ、わたしを舐めてもらっては困る」

若い子ってこわい・・・と身震いするこの男もじゅうぶん若い。メイクもヘアセットもそこそこ気合いを入れているから、どこかに行くの?と質問をされた。どこにも行く気はないけれど、こうでもしなきゃ生きていられなかった。


「どこかに行こうかなって思ってたの」

「散歩?中々気合い入れてるから、デートかと思った」

「そんな相手いないのに」

「例の、前住んでた人と連絡でもついたのかと」


そんな夢みたいな話を言い出すから、期待してしまった胸が少し高鳴る。無駄な期待をしたくないから、そんなこと考えないようにしてたのに。


近所にある低木から積もった雪が落ちて、枝が弾んだ。

まるでわたしの気を紛らわせるかのように冷たい風がふいて、今の発言は忘れなさい、と誰かが言ったような気がした。


「そんなこと、有り得る話じゃないよ」

「・・・そう、なんかごめんな。楽しんでこいよ」

数秒間の静寂になにかを察して、もうそれ以上はなにも言わないでくれるたっくん。気まずい空気に心の中で謝って、行ってくるねって手を振ると、目的地も決めず歩き始める。


柔らかい雪の絨毯を踏みしめて、空を飛ぶ小鳥の鳴き声に耳を傾けて、急に涙が頬を伝った

今までと変わらない生活のはずだったけれど、一度だけその幸せを味わってしまうと、すべて物足りなくなってしまう。
そんな欲張りな自分が嫌になるし、叶うはずのない夢を描く虚しさも、一度しか味わえなかった幸せをもう一度感じれる可能性の低さも、全て悲しかった。

こうやって、あの人で笑顔になった回数もあの人で泣いた回数も更新されていくのに、あの人と交わした最後の言葉は「またね」でとまったまま。もっと、話しておけばよかったなぁ。


「とってもとっても虚しいです。どこにいるんだ・・・」
そうやって一人で涙をぽろぽろとこぼす、それが雪を溶かす。そんな、自然の儚さがなんとなくあの人と重なって、また泣いてしまった。

しばらく泣きじゃくったあと、ぐしゃぐしゃになったメイクをなおすために立ち上がって、Uターンをする。パンダになっちゃったかな、でも元々あんまり上手くいった気はしてなかったからいいや。

アパートに戻ると、わたしの家の分まで雪かきがされていて、たっくんのやさしさに、少しだけ口角がゆるむ。
家に帰って、クレンジングオイルを染み込ませたコットンを顔にあてて、メイクをすべて落とした。
今日は、とくべつ可愛いわたしで居よう。


ヘアセットもメイクもやり直して、服も着替えて、今日は好きなカフェにでも行こうかな、と鞄を持って立ち上がった時、あまり鳴らされる機会がないインターフォンが鳴った。

郵便物でも届いたのかな、と扉を開けると、勢いがよかったみたいで何かがごつんと当たる音がする。すかさず、「痛い、」と声が聞こえた。



空気を孕んだ、今度は聞き覚えのある声だった。


「勢いがよすぎるよ・・・」

頭をおさえて、涙目で顔を上げるその人。いつかのあの日とは違って整えられた黒髪と、季節感のある格好をしている。
一瞬だけ、呼吸がとまったような気がした。


硬直するわたしに首をかしげるその人は、紛れもなくあの綺麗人で、今さっきわたしが思い出して涙を流したその人で、今日も綺麗だった。



「心臓に悪いよバカ」

「ごめんね、さよならとかしたら会いに来ちゃいけない気がしてなにも言ってなかったんだ」

思わず口が悪くなるわたしを見て眉を下げて笑って、やさしく頭を二回、撫でてくれる。
そうだよ、わたしはこのあたたかさが欲しかったの。

今日は二人とも、季節通りの格好だね。って笑ったその人にそうだねってわたしもちょっと笑った。笑いごとじゃないよバカ。
わたしはすごく話したかったのよ、会いたかったのよ。
あなたがいなかった時間についても、わたしがいなかったあなたの時間についてもお話したいし・・・ああなにから話そう。

また味わえました、幸福

気持ちがいっぱいになって涙ぐむわたしに、変態さんがにこりと笑いかける。腹が立つけど綺麗だ、この人はやっぱ綺麗だ。

「今日はベランダじゃなくて別のとこに連れ出そうと思ったんだけど・・・その格好、どこか出かけるつもりだったぽいし、また日を改めようかな」

「とくに予定もないけど、生きるために可愛い格好してたの」

「へー。じゃあ、一緒にどこかに行こうよ」



もちろん食い気味に、うん 行く。と二つ返事でOKする。
ほんとうはもう靴を履くだけでも出かけれたけれど、久しぶりに会えたのがうれしくてもうちょっと準備に時間をかけたかったから、少し待ってもらうことした。

お気に入りの香水をふって、お気に入りのヘッドドレスをつける。ピアスも選び直して、鞄に好きなうさぎのキーホルダーをつけて、好きなもので今日の格好を埋めた。会えたのがすごくうれしくて、とっても張り切ってしまうな。

ふふふ、と笑みがこぼれる。すっかり、気持ちがるんるんしちゃってるや。
ふたたびお気に入りのブーツを履き直して、今度はゆっくり扉を開けた。


「お待たせしました」

「あれ、また可愛くなったね」

「会いたかった人に会えたから、張り切っちゃった~」

なにそれ、可愛いねって笑われた。あなたの方が可愛いよって心の中で言い返した。この人の方が何倍もかわいくて綺麗だ。

どこに行こっか、とポケットに片手を突っ込む変態さんが上半身をひねって振り返る。
ちょうど空が晴れてきて、雲の隙間からさす太陽の光が変態さんにあたって、今まで見てきた景色の中で一番綺麗だと思った。


「きれー・・・」

「ん?」

「いつも思うけど、あなたってすごく綺麗だよね」

ええ、と戸惑うように笑う。その仕草すら、映画のワンシーンみたいにたおやかだった。何回も頭の中では描いた景色だったのに、実物を目の前にすると想像以上に綺麗で言葉を失ってしまう。
フレームに収めても収まりきらないような、この目で見ないとわからない美しさがこの人にはあるんだと思う。

きみも綺麗だし可愛いよって言って睫毛を臥せる、そして全身をこっちにくるりと向けて行こう?と笑う。そんな一つ一つの動作が醇美で、わたしは気づいたら変態さんの頬に片手を添えていた。

今日は暑いからでも、なんでもなさそう。わたしは元から頭がおかしかったんだ、きっと。


「今度は口にする?」

「・・・あ!ごめん」

「なんだ、しないんだ」

一拍置いてから冗談だよ、と笑う声が聞こえた気がしたけれど、わたしの頭には入ってこなかった。もう片方の手も頬に添えると、目を伏せ、唇を押し付ける。
少ししてから離れると、目を少し見開いた綺麗な人の唇は少しだけわたしのリップがついてて、馬鹿だなあと笑ってしまった。

「あれからキスしてないんだよね、わたし」

「2回目までぼくに捧げてるの、きみってほんとう・・・」

変だなあ、ってしゃがみこまれる。変態さんは膝に顔をうずめて、はぁ・・・とため息をついた。やっぱり耳は、紅い。

近所のアパートの一室から子供が2人飛び出てきて、それを追いかけるようにマフラーを持った男の人が出てくる。積もった雪にはしゃいでるんだろう。
変態さんが黙ったことで静かになったこの空間に、ちょうどいい騒がしさだ。

ふぅ、と下を向いて息を吐く変態さんのつむじが愛おしい。


「ねえ今日、どこに行きたい?」

「水族館にでも行こうかなって調べてたんだよね。実は」

顔の熱が冷めたみたいで、変態さんは立ち上がると、ポケットからスマートフォンを取り出した。水族館に関する検索画面を、わたしに向ける。


「いいな、行きたい」

「決まりだね」

ふふ、時間ないから走ろうね。ってわたしの右手を掴んだ変態さんが、徒歩10分の最寄り駅へ走った。わたしも、つられて走る。
雪をふさふさと踏む感覚に、小学生の頃雪が降った日にはしゃいだことを思い出して、笑みがこぼれた。
外から来たはずなのに、わたしより手があたたかかった。

駅に着くと乗るつもりらしい電車がちょうどきて、息を切らしたお互いを見つめあって笑いあった。幸せだ。これが幸せって言うものなんだ、と噛みしめる。



座席に座って窓から外の景色を眺めていると、変態さんにねえ、そういえばなんて呼べばいい?と問いかけられた。


「え、呼び方?今更だね。なんでもいいよ」

「じゃあ・・・うさぎちゃん」

「なにゆえうさぎなんだ?」

うさぎのキーホルダーつけてるから、好きなのかなって思って。そう指さされたのはわたしの鞄だった。
たしかに、うさぎが好きだ。じゃあうさぎでいいや。


「わかった、うさぎって呼んで」

「うさぎちゃん。ふふ、うさぎちゃん・・・」

嬉しそうに唇をきゅ、と結んで笑った変態さんに、息を飲んだ。可愛い、って心の声が漏れてたみたいで、わたしも呼び方変えたいって無理やり話題を変える。
変態さんって呼び方、わたしまで変な目で見られるし。


「じゃあ・・・あまって呼んで」

「なんで、あまなの?」

「性格が天邪鬼ってよく言われるから、頭をとってあま」

「わかった。あまちゃんって呼ぶ!」

あまちゃん、なんだかこの人に似合う。その文字の響きが好きで何回か口ずさんで、ふふふんと鼻歌をうたった。
今日から変態さんじゃなくて、あまちゃんだ。


「きみの方が何倍も可愛いよ」

「ばかにしてる?」

「え、してないよ」

きかれてた・・・と面食らって、可愛いねーって言って目を細めるその人から目をそらして苦笑いをした。恥ずかしくて、ちょっとだけ体温が上がった。
相変わらず、お返しだか仕返しだかをきっちりされる。

最近ちょっとだけ物足りなく感じちゃうのは、あなたにおはようと言えてないからだ。


あなたの方がずうっと可愛いよ、ってぼそりと呟いて会話を終わらせると、二人とも電車の揺れに身を委ねた。会話は途切れたけど、すぐそこに感じるあったかさだけで幸せに感じれた。
こういう、二人で一緒に空気にすべて委ねた、みたいな何も考えてない時間が心地いい。


がたんごとん、と揺れる電車。つり革がゆらゆら踊る。

この間、こんな話を聞いた。
電車の揺れみたいな、「規則的」なものと「不規則」なものが調和した状態を"えふぶんのいちゆらぎ"って言って、心地よい気分になるらしい。
その言葉の意味と、電車で眠くなるのもその効果だってことを紅葉がまだ青い頃知って、好きになった。


どこか消えちゃいそうだけれど、そこにいるだけで幸せだと思えるあまちゃんに、ぴったりだと思ったから。

そこに存在するっていう規則性と、いつかわからないけれどきっとわたしの前から消えてしまうだろうなっていう不規則なところが、ゆらぎに似てて好きだ。もちろん大前提は、ずっと一緒にいたい、だけれどね。

この人が消えちゃう可能性もこの心地よさに含まれているなら、一緒にいれる分だけ一緒にいたいなとすごく思った。それでいて、今日は泣いてしまったけれど。

わたしの最大のえふぶんのいちゆらぎは、あなただよ。


電車がトンネルに入ると、窓から見えた外の景色が遮断されて真っ暗になる。もうすぐ着くよ、って窓を指すからじっと見ていたら、トンネルを出て急に明るくなった窓の外に眩しくて目を細めた。

ゆっくりと目を開けて瞬きを数回したのち、窓の外を見てみると、サイダーに数滴青を垂らしたような海と、枯れた草むらが遠くの方に見えた。海の波にも、ゆらゆら揺れる草むらにも、ゆらぎの効果がある。この世界には、ゆらぎが溢れてるらしい。

まもなくして目的地に着いて、二人で軽くすきっぷをしながら水族館へ向かう。

あまちゃんのすきっぷがちょっとぎこちなくて笑うと、え?って笑い返してくるから下手くそって馬鹿にして、あー病んだってわかりやすく歩く速度が落ちるあまちゃんにわたしが笑いながら弁解をして、それがすごく幸せだと思った。

「反応が可愛くてついからかっちゃう」

「お風呂沸かしたと思って入ったら水風呂だったっていう呪いに今かけたから」

「すごい地味な呪いだね。ご飯喉に詰まらせろとかじゃないの優しい」

「ぼくの呪いが原因で大事になるとか罪悪感で眠れない」

変に怯懦(きょうだ)というか、受け止め方が少し(はなは)だしくて、そんな所が可愛いなと思って笑うと、あまちゃんはまた馬鹿にしてる?って不貞腐れる。

どうしようもなく愛おしくて、違うよ可愛いなって思ったのって頭を撫でようとすると避けられた。
あー、この人はどこまで可愛いんだろう。

ぎゅうと胸がいっぱいになるこの気持ちにすごく幸せだと感じて、絶え間なく笑っているとじろりとこっちを見るその目を、見つめてみる。「なんだよ」ううんなんでもないよ、綺麗な目だなあって思って。

「てかこっちのセリフだよ。そんな見つめてどうしたの?好きになった?」

「うさちゃんがずっと笑うから」

「渾身のボケをスルーされた・・・」

そういうちょっと雑なとこも、どんなとこもあー可愛いなとなってしまう。

そろそろこの人が転んでも、わたしは愛おしくて飛び込んで上に被さり初めそうだなあ、とか。
わたしの話を聞かないで、ふらふらと前を歩くあまちゃんをぼーっと見つめながらそんなこと、そんなことを考えていたんだけれど。

考えた矢先に段差につまづいてよろけるあまちゃんが、軽く尻もちをついて、思わず声を出して笑ってしまった。

上に被さりはしなかったけれど、飛んで駆け付けて、手を引っ張って立ち上がらせる。
なんだか介護をしている気分で、チケットはシニア料金にしますか?って言ったら睨まれた。ウインクをしてみた。スルーされた。

どさくさに紛れてそのまま一瞬、手を握ってみたけれど、恥ずかしくなってすぐ手を離すと、今度は もう行くよって言ったあまちゃんに手を引かれる。
おどろいて退くと、今度はわたしが転んでしまって、振り返ったあまちゃんに思い切り笑われた。


「大丈夫かなばぶちゃんー」

「は?」

「よしよし〰」

立っちしようね〰ってにこにこしたあまちゃんが、わたしと同じように手を引っ張って立ち上がらせようとしてくれるから、引っ張り返して転ばせる。
わたしの上に被さるあまちゃんが、マジで?みたいな顔してて笑ってしまった。いい匂いがする。

「香水とかつけるの?」

「うさちゃんは甘いお菓子みたいな匂いするね」

「あれ、会話が成立しないな・・・。わたあめの香水だよ」


へー、美味しそうだね。って言って、わたしの質問には答えず立ち上がる。今度は引っ張らないでねって言って手を差し伸べてくれて、その手を借りて立ち上がろうとするとぐいっと手を引かれた。

あまちゃんの胸元に頭突きをする勢いで飛び込んで、むしろこの人がダメージ喰らってないか?とか思う。「やり返そうと思ったけど、ちょっと痛い」やっぱりだ。

「大丈夫?」

「やり返しされたのに心配してくれるんだ、大丈夫じゃないかも。アイス食べないと治らない」

「じゃあ水族館にきっとアイスがあるから行こう、食べよう」

えふぶんのいちゆらぎ!

えふぶんのいちゆらぎ!

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-04-30

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

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