宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十二話
まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。
金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、最近は「ミィちゃん」と呼ばれている。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。真耶と同じクラスで、部活も同じ家庭科部に所属。
プファイフェンベルガー・ハンナ…教会の娘でドイツ系イギリス人の子孫。真耶たちの昔からの友人だが布教のため世界を旅していた。大道芸が得意で道化師の格好で宣教していた。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)だが実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。無類の酒好きで何かというと飲みたがる。
高原聖…真耶たちのクラスの副担任。ふりふりファッションを好み、喋りも行動もゆっくりふわふわなのだが、なんと担当科目は体育。渡辺とともに木花中の自由な校風を守りたいと思っている。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの人で、真耶曰く将来のお婿さん。家庭科部部長。
篠岡美穂子・佳代子…家庭科部の先輩で双子。ちょっとしたアドバイスを上手いことくれるので真耶達の良い先輩。
岡部幹人…通称ミッキー。家庭科部副部長にして生徒会役員という二足のわらじを履いていた。ちょっと意地悪なところがあるが根は良いのか、真耶たちのことをよく知っている。
屋代杏…木花中の前生徒会長にしてリゾート会社の社長令嬢、キリッとした言動が特徴。でもそれとは裏腹に真耶を着せ替え人形として溺愛している残念な部分も。しかし性格が優しいので真耶からも皆からも一目置かれている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)
土曜の朝。
真耶ちゃんはいつもよりもっと早く起きると家を出ていった。私は花耶ちゃんと二人で朝のお勤めを済ませ朝食をいただくと図書館へ。いつにない集中力で昼前に勉強は片付け、学校を目指す。
今日は木花中の文化祭。真耶ちゃんが早起きしたのはそのためで、私は遊びに行く約束をしているし、花耶ちゃんや希和子さんも向かっているはずだ。体育祭と並んで木花中の二学期の行事のクライマックス。いやそれどころか、村にとっても大事なお祭りの一つ。真耶ちゃんのみならずすべての生徒たちに気合が入っている。せっかくの晴れ舞台、観てあげようと思う。
でもその前に、時を少し戻さないといけない。
「文化祭の準備、やっていける人は残っていってくださーい。ご協力お願いしまーす」
体育祭が終わったばかりの頃の話。学校の中はやたらとものものしく、聞けばすでに文化祭までもそう日にちはないのだという。お祭り好きの木花村の子どもたちにとってみればエンジンがかかって当然だ。
我が一年B組もそれらの準備に余念がないらしく、慌ただしく皆が動き回っているのが見える。私が下手に顔を出すと文字通りお邪魔なので遠慮し、家庭科室に行ってみればこちらも大忙し。ただこちらはのんびりだったり気まぐれだったりな構成メンバーなので殺気立った感じにはなっていないし、逆に篠岡さん姉妹に見つかってお茶でもしていけばと手招きされてしまった。
中学校の文化祭なので模擬店は無い。だが家庭科部は料理を作るというのが活動内容の大きな柱なので、その成果を見せるために喫茶店をやるのだという。あくまで出店ではないので無料での提供とし、お志という形で災害救援などへの募金を任意で頂戴する。
「自分たちで言うのも何だけど、文化祭では花形なのよ?」
とは篠岡美穂子さんの言。ゆっくりしていってというお言葉に甘えてお茶をいただいていたのだが。
「ねーねー、あっちの方どうするの?」
「できたよ~、試作品。ちょっと見てもらっていい?」
「今日さ、ミィちゃん家に相談しに行くよ。小瀬ちゃんも連れてさ」
とにかく来客が多いのだ。実は例年の文化祭では、クラスと部活動の二本立てで出し物を決めるのだが、今回全校をあげてある企画が持ち上がった。
「つか、もともとここの伝統だったらしいよ? 希和子さんとかの頃まではやってたみたいだから、いわばルネサンス、ってわけ」
歴史の授業で習ったばかりらしい言葉を使って苗ちゃんが言った。こないだのお月見イベントもやはり木花村で昔されていたスタイルを真耶ちゃんの発案で復興させたもの。それが影響したのか、それとも同時多発的に思いついたのかはわからないが、ともかく苗ちゃんの発案がキッカケで、かつて文化祭の目玉企画だったものを復活させようという運びになったのだった。
「お花が戻ってきた以上は、やらない手は無いじゃん」
苗ちゃんの言うその理由は、後にわかることになる。
一方で私には一抹の不安がある。どうやら木花中の周りで不穏な動きがあるらしいのだ。
こないだのハロウィンパレードの時のこと。例によってパレードが終わると打ち上げが敢行された。もちろん私も誘われて参加したが、途中ちょっと宴を抜けだして、夜風に吹かれていた。もともと賑やかな場に居続けるのは苦手で、こうやって一人ふらっと席を外すことはよくやる。眼下に広がる夜景は美しく、時の立つのも忘れ、うっとりとしていた。その時。
「…!」
誰かいる。うちの生徒、ではない。大人だ。でも先生方でもあの背丈と体つきに合致する人はいない。が。
見覚えがある。というか、どこかで会っている。思い出せないけど、なんか嫌な空気を感じる。
「…だから、ちゃんとやってるじゃないっすか。下らん仕事…あ、いや、簡単な仕事ですから、ちゃちゃっと片づけますよ」
あーっあの声! あの時のモヤシ!
私が初めて木花中に来た日の夜。しばらく逗留する予定だった宿泊所にダブルブッキングが発生、私と同じ部屋を借りようとしていたのが彼、いや、彼の会社だった。私のために渡辺先生が部屋を確保してくれていたのと同時進行で、別の担当者相手に彼の会社が宿舎を借り上げる契約を進めていたのだ。おかげで私はその宿舎に泊まることが出来なくなる。幸いにも先生がすぐ天狼神社に話をつけてくれたから野宿も宿無しも免れた。ただ渡辺先生の怒りは収まらない。私に対して乱暴な言葉や振る舞いがあったことについて私以上に憤ってくれた。私は嬉しかったが、先生に「モヤシ」と仇名されたその会社の若社員は悔しかったろう。
その「モヤシ」はが数か月ぶりに私の前に現れた。瞬間恐怖に襲われた。あの時の復讐をされるのでは? だがそこまでは無かった。向こうはこちらの存在に気づいたが、
「おっと、誰かいるので、また改めます」
と言い残すと電話を切り、物陰へ消えていった。どうやら私だとは気づいておらず、見知らぬ誰かという認識だったようだ。
ただ、あの時私に敵意をむき出しにしたあの男が再び私の前に姿を表した。ハロウィンをめぐる教頭先生一派とのゴタゴタが片付き、身の回りには何の憂いもなくなったように見えた。が、これは何か新たに不吉な兆候が現れたのではないのか。何か私、もしくは私たちの知らない所で大きな事件が進行中なのではないか、そんな思いがするのだった。
その数日後、私は東京に戻らざるを得なくなる。そろそろ大学の卒業論文に関する準備をしなければならない。資料を集めたり、ゼミ仲間と共同で資料作りやアンケートをしなければならなくなった。
それが一段落して村に戻り、ひさびさに中学校に顔を出せばもうすでに文化祭の数日前。すでに仕上げの段階で役割分担も固まっている。ここでしゃしゃり出てはかえって足手まといになる。本番当日に楽しませてもらうことにした。そしていつの間にか、ハロウィンの夜のことは忘れていた。
「イベントが立て続けにあって、みんな大変ですよね」
平日昼間の嬬恋家。昼食をいただきながら希和子さんと会話をしていた。複数の行事の準備を並行して行えるスキルが木花の子どもたちにあることは以前も聞いた。でもそれを実際目の当たりにすると、本当に大丈夫なのだろうかと心配になる。だけど、
「大丈夫じゃない?」
とサラッと言う希和子さん。そしてそう思う理由にもびっくりした。
「昔はもっと行事が多かったから」
「多かったんですか?」
思わず上ずった声で聞いてしまった。それくらい驚きは大きいのだ。だって一つ一つの行事だってかなり大掛かりだし、それらが複数重なって、さらに今より昔は行事が多かっただなんて、身体がいくつあっても足りないんじゃないか、と。
「うん、大人はそう心配するでしょうね。でもそれができちゃうのがここの子どもたちなのよね。やっぱり歴史的にも文化的にも計画的に物事をやっていけるようまわりの大人に育てられているんでしょうね。大人もうまい具合に手を貸したりしてるし、その感覚は長年ここに住んでないとわからないかもなぁ。でも」
軽くため息をついて、希和子さんは続けた。
「そんな事情は、よそから転任してきた先生方には分からないのかもね」
「今年から急に行事が減ったのよ。私たちの頃は色々おもしろいことやってたんだけど」
リビングに貼られた学校行事の予定表を見ていた私に希和子さんがそう言った。秋はもっと行事が目白押しだったのが、文化祭と体育祭の二つに絞られてしまった。理由はやはり教頭先生たちにあるという。
「教頭先生は去年からこっちに赴任してきたんだけど、学校行事が嫌いみたいなのね」
心あたりはある。木花中の自由な雰囲気の中でとり行われる行事の数々。三大運動会のうちの二つ、泥んこ運動会に体育祭、林間学校。そのどれもが楽しいものには違いなかった。だがそれらは旧来の学校という枠からみれば大きく外れたものだし、教師側からすれば面白くない、ということになるだろう。
「教頭先生がやってきた時、お堅い人って感じはしたなぁ。フミ姉…渡辺先生に話を聞くとやっぱりそうだったみたいで。その前から学校行事を減らそうって動きはあったみたいなんだけどね、いま一年の学年主任の先生が中心になって。おととしまでは多勢に無勢だったのが、教頭先生と意気投合して、ね」
一気に学校の「改革」が進められようとしたらしいが、それでもなおいままでの木花中のあり方にこだわる教師が当時はまだ多く、教頭らの施策の多くは今年に持ち越された。
「やっぱいきなりは可哀想だ、せめて一年猶予をくれ、って。それに三年生にとっては最後の思い出でしょ? だから今年だけは勘弁してくれ、って。だから年度が変わるのを待っていろいろな行事が削られた、ってわけ」
おかげで去年の三年生は想定外の仕分け作業の影響は受けずに済んだが、いまの新入生が割を食っているわけだ。もっとも一年の先延ばしはその間に何か策を練ろうという狙いもあったようだが、それは不調に終わった。どうやら教頭先生たちのほうが一枚上手だったらしい。
「教頭先生は、行事が嫌いなんですか?」
本当は同じ屋根の下で教壇に立っていた私のほうが詳しいはずだが、あまり接点がなかったというかお互いに避けていたのでそのへんがよくわからない。当事者より一歩引いたところからのほうが物事がよく見えるってことはよくあるし、宮司という職務上村の出来事が多く耳に入ってくる立場でもある希和子さんのほうが適切な見立てが出来ると思っての質問だ。
「決して行事が嫌いなわけではないみたい。もちろん受験や勉強への体制を強化させたいから削ってるってのもあるみたいだけど、それ以上に自分の好みの行事を増やしたいらしいの」
それは例えばマラソン大会だったり勉強合宿だったり。また朝学習や朝運動と称して、始業前に小テストやランニングを義務付けたいとも思っているらしい。ただこれは保護者たちの猛反発にあった。
「だって農家や旅館は朝が勝負だし、子どももスタッフの一員だったりするから。営業の邪魔するなって話よ。まぁそれはうちもだけど」
なるほど確かに真耶ちゃんも朝には神社の掃除をしている。もちろん親たちの反発はそれだけが理由ではない。
「自分たちの楽しい思い出を、子どもたちにも味あわせてあげたい、ってのもあるのよ。でも教頭先生は今ある行事にもいろいろ手を加えたかったみたい。体育祭の種目に組体操とかマスゲームとか入れるつもりだったみたいだから」
うわあ。それはなんかヤだな、あの楽しい体育祭を知ったあとでは。特に組体操は、運動の苦手な真耶ちゃんみたいな子には酷だと思う。
いずれにせよ、生徒にとってはつまらない、どちらかといえば管理とかしつけとかいうイメージに近いことを教頭先生たちは企んでいるようだ。本当はハロウィン休みについても学校が休みになること自体もさることながら、生徒たちが自由気ままに色々やることが気に食わないのではないだろうか。学校以外での活動、例えばこないだのお月見もあまりいい顔はしていなかったらしい。生徒は教師が押し付けたものをこなしていればいいのだと考えているのだろう。
というわけで、渡辺先生たちをはじめとする改悪反対派の抵抗によって、文化祭の実行は遅れてしまっていた。いやその言い方は不当かもしれない。教頭先生たちが強引な策を実行さえしなければ抵抗などしなくていいのだから。ともかく、受験を優先しつつ生徒の自由を奪いたいという教頭サイドの思惑により、皮肉にも受験により近い時期である十一月の初頭に文化祭をする結果になったのだ。
ただ幸いにして、複数の行事が重なってもそれらの準備を過不足なく均等に行えるスキルを持つ木花の子どもたちにとって、そんなことは何の障害にもなっていないようだ。だいいち行事があるからといって勉強がおろそかになるような生徒たちでもない。特にトラブルもなく準備は進行し、特に三年生は受験勉強も並行して行う余力を保っていた。渡辺先生たちが恐れていたのは、
「学校行事の準備にうつつを抜かすことで受験勉強がおろそかになる」
という批判だったが、それを封じ込めるには十分すぎる現状だった。もちろんそれは当の三年生たちもそれを意識して勉強にも力を抜くことがなかったのだが。
それでも、ハロウィンが終わって文化祭の準備に専念できる環境が整えば皆かかりっきりにならざるをえないというか、特に一年生と二年生は勉強という障害は相対的に少ないのだから、その分文化祭のほうにウエイトが置かれるというもの。下校時間ギリギリまであちこち奔走している。
「でも、先輩方がちゃんと色んな行事やれて卒業できたなら良かったじゃない?」
と、真耶ちゃんは言うのだが。同意しているのは真耶ちゃんだけでもないらしい。ただ、
「それはそうだけど、ウチらがワリ食うのは納得出来ない! このまま黙ってるわけには行かないよ」
という苗ちゃんの意見が大勢なのも事実だし、それも正論だと思う。卒業生たちを恨みはしないが、私たちは私たちで反抗してやるという気概が感じられる。
いよいよ文化祭前日。お互いに気持ちを高めあうため、友達同士で誰かの家に集まってお泊りするのが伝統だという。ただ苗ちゃんと優香ちゃんとお花ちゃんが何故か学校から一番遠い嬬恋家に前日お泊りしている理由は謎である。お花ちゃんの家が学校には一番近いのだが…。
「謎じゃないっしょ。明日神社に文化祭の成功祈願してから行くんじゃん」
なるほど。それなら分かる。もっとも本来は真耶ちゃんがみんなと同じ部屋で寝ることに疑問を抱かなければいけないのだろうが、それはすでに林間学校で慣らされてしまったので今更驚かない。ついでに言えば教会の子どもであるお花ちゃんが神社で祈願というのにも疑問を抱くべきなんだろうが、この村では何でもありなのだろうという意識があるのでそこにも突っ込む気はない。
ともかく、四人で気持ちを高め合いつつかといって高ぶる心を抑えつつ、夜は更けていったようだ。それにしても、やはり嫌な予感というのが気にかかる。何もなければいいのだが…。
「いらっしゃいませー!」
そして文化祭。中学校の家庭科室に行くと元気な挨拶に歓迎された。しかし…予想はしていたが…。
「似合います?」
スカートをひらひらさせながらくるっと一回転。そう、喫茶店ということは真耶ちゃんはウエイトレスなんだとは思っていたが、真耶ちゃんを始めとした女子部員全員(この表現がおかしいことは分かっているのだが一番しっくりくるのだから仕方ない)がメイド服を着ているのだ。黒のスカートとフリルの付いた白いエプロンが可愛らしい。一方男子部員、と言っても三年生の池田くんと岡部くんだけだが、ビシッと黒服で決めている。ふたりとも女生徒から大人気で、真耶ちゃんがちょっとふくれっ面なのが可愛い。
もちろん女子生徒たちも大モテで、一緒に写真を撮ったり、サインを求められたり。神使である真耶ちゃんに人が群がるのは当然とも言えるが、他の子達も美少女揃いなので均等に人気がある。それはなんといっても、外見だけではなく立ち居振る舞いがエレガントなので、全体的に美しく見えるというのもあるのだろう。どちらかというと中性的な感じのする苗ちゃんも、今日ばかりはおしとやかに給仕をする。もっとも彼女の場合はコスプレ感覚なのだと、あとで優香ちゃんに教わった。本当はお客様来店時にもメイド喫茶風の挨拶にしようと言っていたが、それは恥ずかしいということで却下されたらしい。
午後になって、外からの客も増えている。村の子どもも大人も、また他校の生徒、すなわち近隣の町村からもずいぶん来客があるようだ。観光客の姿もちらほら。何か面白そうだから覗いて見ようという風情。
「こんにちはー」
「いらっしゃ…真奈美ちゃん!」
そんなお客の一人が登場した瞬間、真耶ちゃんが思わず上げた大声に周囲が反応する。
「おおっ、真奈美久しぶり!」
「約束通り来てくれたんだ!」
どうやら家庭科部員共通のお知り合いらしい。真奈美と呼ばれた彼女は、真耶ちゃんに連れられて私のところへ。
「はじめまして。田中真奈美と申します。真耶のイトコで、春まで天狼神社に居候していました」
私より以前に天狼神社に住んでいた子がいたことは聞いていた。私が今使っている部屋や布団や自転車も、彼女が使っていたものだとか。いわば私にとってあそこの住人としての先輩になる。彼女はすごく社交的で明るい性格なのか、初対面の私にもポンポンしゃべる。
「真耶の正体知った時、びっくりしたでしょ? ありえないですよねー普通。子供のくせして女装して楽しんでるんだからヘンタイですよヘンタイー」
もぉ、とふくれる真耶ちゃんだが、怒っているふうではない。ちょっとしたからかいも受け入れられる関係であるようだ。
「ま、ここまでの関係になるのには色々あったんだけどね。そのうちゆっくりお話したいですね、居候経験者同士」
と言いつつ、短時間で結構な会話をしている私たち。なかなか楽しい子だと思う。
もちろん、同じ木花中の生徒たちもあちこち行ったり来たりしてお互いの成果を披露しあっている。
「こんちー。優香いるー? ああ休憩? 他回ってるんだ、じゃあ待ってていい? つか紅茶ちょうだい」
と、やってきたのはお花ちゃん、なのだが。なんとフェンシングのユニフォームに身を包んでいる。白い衣装が青い目によく似合っているけど、なぜその恰好かというと…。
「体育館で演武をやっているの」
各運動部はこの文化祭を機に、デモンストレーションをやっているのだとか。お花ちゃんはフェンシング部。文化祭でなぜ運動? とも思うが、中学の体育祭はこの学校に限らず大体クラス単位での行事だし、運動部の活動成果を多くの人に見せる場というのも意外と少ないのでこれは妥当なのだという。まぁスポーツも文化の賜物と考えれば無理筋では無いかもしれない。
お花ちゃんは香り高い紅茶をいただくと、いったん戻ってきた優香ちゃんと一緒に見学に向かった。私も水出しコーヒーと、木花の果樹園でとれた紅玉による家庭科部手作りのアップルパイを堪能し終わったら校内を回りたいと思う。
楽しい文化祭。何も起きず、平和裏に過ぎていた。
はずだった。
日が暮れてきた。
私は散歩していた。文化祭一日目は無事終了、真耶ちゃんをはじめ多くの生徒が今日は学校に残っていくのだというので、私は一緒に帰るつもりだった予定を変更。花耶ちゃんと希和子さんは明るいうちに帰宅を終えている。私もまだ日が残っているうちに帰ろうと思う。
と、その時。
「ええ、ちゃんと準備は進んでます。進んでますって! 明日までに、いや今夜中に何とかします! そのかわり頼みますよ、例の件。ええそれはもう、確実に」
ああ、この聞き覚えのある声。例のモヤシだ。それに気づいた瞬間、私は背筋に寒気を覚えた。そして次の言葉は、私の恐怖に拍車をかけた。
「潰してやりますよ!」
…何を、潰してやるというの?
それはわからない。でも、その語調からは強い憎しみとか敵意とかが感じられた。潰してやる相手が何かはわからないが、それを徹底的に叩き潰してやる、そういう殺気が感じられた。
…震えが来た。
その時。
「ぽん」
「ひゃあっ」
思わず声を上げてしまった。ただそれはほとんど声にならなかった。声帯があまりのびっくり度合いに縮こまっていた感じがした。が。
「…びっくりするわねぇ~、そんな声いきなり出されたら~」
…この話し方は。
高原先生?
「でも良かったわ~、こうやって金子さんと飲むことができたんだもの~」
「だな。怪我の功名ってやつか。まー飲みたまえ。遠慮は禁止な。あ、ぬる燗おかわり、あと串焼きお任せで一ダースばかしよろしく」
中学校を目の前にする居酒屋の二階席。この場所自体村の中心部よりさらに一段高いところにあるので、本来特等席はその夜景を楽しめる建物奥の席。だが今日に限っては道路沿い、中学校の校門を見下ろす席に私たちは陣取っている。眺めの良い席は空いているのにあえてそことは反対側を選んだ理由は、たった今ぬる燗をおかわりした渡辺先生に説明された。
「せっちゃんと一緒に見たろ? 例のモヤシ、中学校を監視してるんだよ」
渡辺先生は高原先生のことをせっちゃんと呼ぶ。私がモヤシに恐怖していたその時、せっちゃんこと高原先生は木の影からその様子を見張っていたのだ。この居酒屋が開店した時間から席を確保しつつ、渡辺先生と交代でその場所に降り立っていたらしい。
それにしても、学校を監視って…なんだかひどく穏やかではない雰囲気。
「ほら、奴さん前に言ってただろ? 村にインフラを作るとかなんとか。あれ結局大言壮語もいいとこでさ、村民全員にタブレット端末を配るとかいうことを考えてたみたいなんだよ」
「配る、ってことはタダでですか? 凄いじゃないですか」
私は素直に驚いたが、早合点だった。
「お金は村が出すのよ~? あの人はそれを売り込みに来ただけ~。ああいうの持ってる人も大勢いるのに、無駄よね~」
「事業の拡張自体は悪いこととは言わんよ。ただ村の税金使って自分とこの商品買わせるってどうなんだ? って話だ。それに気づいた村の一部議員たちが動き出してな。奴の会社がそれを察知したことで必死なんだな」
かわるがわるしゃべる渡辺先生と高原先生の言葉をまとめるとこうなる。ITベンチャーであるモヤシの会社は最近村に進出してきた。周辺の市町村に比べれば辺鄙な木花村には都会の資本があまり入ってこず、そのすき間を狙う作戦だった。それ自体は必ずしも悪いことではないだろう。実際ITってある程度の大企業じゃないとやってられない部分もあるし、それが村の中に広まるならいいことだ。
でも実際の所、木花村にだって光ファイバーが通っていたり、無線アクセスポイントも増えていたりする。モヤシの会社は通信インフラの拡充とか言っていたが、実際やっていることは携帯ショップを村内にいくつも作って売りまくるとかだ。まあそれも情報インフラの一部ではあるかもしれないが一部にすぎないし、大手キャリアの代理店でしかない。
しかもその店が評判悪くて、客が求めるものと違うものを無理やり薦めてくるのだという。その理由は簡単で、安値で仕入れた端末に利益をかぶせて売るというのが彼らの商法だからだ。そのかわり広告では色々オマケを付けると謳って値ごろ感を煽る。実際はよそで不要になったものをタダ同然でもらってきて、それがあたかも人気商品であるかのようにして売り込むのだ。たとえば屋内用アンテナ。木花村とてアンテナがあちこちに立っていて圏外になる場所はほとんど無いのだ。
一方で、店員は非常に少なく、アルバイトばかりだという。社員は店長位のもので、その店長も人件費を削るためサービス残業が常態化して疲弊している。まして店員教育もろくになされないのでサービスは低下している。
かなり自転車操業に見えるが、そこで彼らの会社はある画期的な方法を編み出した。それがさっき話に上がった「村民全員分のタブレットを配ろう」作戦だ。しかしそれは頓挫しつつある。当たり前だ。タブレットを便利に使うがすべてなわけがなく、欲しい人が買えばいい。それを一律に配布するのは税金の無駄。だったらもっと有効なお金の使い方があるだろう。
そこで次に目をつけたのが学校でも進んでいるIT化で、彼らはそこに割って入ろうとしているのだ。もちろん公立の学校であるから業者の選定は入札で行われる、はずだ。だが学校で権限を持つ者に取り入ることでそれを有利に運ぶことは可能だ。裏でうまいことやろうとすればいくらでも出来る。
「そうやって売りつけておいて、表では地域社会のために貢献してますみたいなこと言ってイメージアップも図ろうっていう、一番汚いやり方だな。騙される村も村だが、これまでは性善説でも良かった面はあるんだ。公明正大オープンに決め事をしましょう、隠れて話しあうとかやめましょう、っていうのがこの村の伝統だったからな。ただそこに黒船みたいのがやってきたわけだ。そりゃ足元すくわれるわけだよ」
かの会社はうまいこと木花中のふところに入り込んだ。その先鋒役が例のモヤシ。彼は教材の納入に権力を持つ教頭に取り入り、タブレット端末などの納入話を取り付ける。もっともそれは世界標準とはかけ離れた粗悪品。あんなものを教室に入れられては学習がはかどらなくなる、と現場の教師には悪評ふんぷんであるという。
それでも教頭がその採用を決めた理由はひとつ。彼が追い求める「管理された学校」の実現にモヤシが協力を申し出たからだ。そしてその一環として、彼は今日も学校を見張っている。なにか(彼らにとって)不穏な動きがあればすぐさま通報しよう、あわよくばその企みをつぶそう、というわけだ。そのために起用されたのが、モヤシ。こないだのハロウィンの時も、今回の文化祭も、彼が私たちを見張っていたのだ。つまり、嫌な予感は本当だった。
そして、それを許すまじと思っている渡辺先生と高原先生は、こうやって居酒屋の二階から目を光らせているわけだ。学校関係者以外が学校を見張っているなんて穏やかではない。学校の当事者であるほうが警戒するのは無理ないだろう。
「ま、監視の監視だな。それにしても教師が二人、二階屋で頭突き合わせるってのもなんだかなぁ、松山の湯宿じゃあるまいし」
「芸者遊びを見届けようなんて色っぽい話でも無いわよ~? というか私たちふたりとも数学や英語の担当じゃないし~」
私は何のことだか最初分からなかったが、お店のおばさんがすかさず、
「生卵用意しましょうか?」
と応じ、それに対して苦笑しつつも、
「ま、こちとら親譲りかは知らんが無鉄砲なのは確かだな」
と渡辺先生が返したところでようやくその諧謔の心が理解できた。まぁ確かに色っぽい話ではないし、ここで二人が飛び出して敵をとっちめたところで職を辞す羽目になってはたまったものではない。
もっとも、ようやく現れた教頭先生のシャツが赤かったのには、偶然とはいえ笑わずにはいられなかった。
ずいぶんと飲まされてしまった。節度をわきまえてくれてはいるのだが、ちょうど良い加減の酔い方にはなっている。目がトロンとなってはいるが気持ち悪くはない絶妙の所で止めてくれている。そんな私の両肩を一人ずつ支えて運んでくれる二人の先生。私と同等、いやそれ以上に飲んでいるはずなのに足腰しっかりどころか酔った素振りを微塵も見せない。それでバイクと車は置いていくそうだからさすが教師。私をタクシーに乗せると渡辺先生が神社まで送ってくれた。高原先生は見張りを継続していたのだろう。
私はそのまま一階の和室に運ばれた。念のため希和子さんの目が届くところに寝かせようという配慮だとはあとで知った。教頭先生たちを見張っていたほうの顛末はこのとき分からなかったのだが、
「あづみちゃんに見せたくなかったんでしょ」
という希和子さんの声が聞こえたのは覚えている。
予想外に爽やかな目覚めだった。昨夜あれだけ痛飲したのにまるでアルコールの残った感じがしない。そういえばゆうべタクシーで送られている時、木花の酒はスッと抜けるから大丈夫とかいう会話を聞いた記憶がある。まさにそれを実証するような今朝の目覚めだ。
真耶ちゃんは元気に登校して行った。昨日よりは少し遅目の出発で、朝のお勤めもこなしていった。私が酔いつぶれたせいで代わってくれたのなら申し訳ない気もするが、昨日の朝の段階でこの順番は決まっていた。すでに準備にはカタが付いており、学校に着いたらほんのちょっと仕上げをして終わりなのだそうだ。
今日も観に行くからね、と声をかけたら、
「あ…良かったら、ちょっと早めに来ませんか?」
とお誘いを受けた。警戒していた二日酔いも無し、お風呂と身体を整えさえすればいつでも行けるので快く応じた。真耶ちゃんを見送った後希和子さんが言った。
「どうやら、計画うまく行ってるみたいだから。楽しみにするといいわよ? あづみちゃん」
ところが学校へ到着すると、門が閉ざされていた。一瞬何のことだか分からなかったが、すぐに合点がいった。
ロックアウトだ。ハロウィン休みの時にロックアウトという概念が生徒たちの知るところとなった。特定の設備を管理者が立入禁止とし、利用者、この場合は生徒を締め出すこと。学生運動が盛んな頃にはいきり立つ学生に対抗するべく学校側が対抗措置としてそれをしばしばやったのだという。
もともとは、ハロウィンの仮装で登校してきた生徒たちに教頭が帰れと命じたことから、渡辺先生がそれを指してロックアウトだろうと揶揄し、批判した。それに対し教頭は否定をしたのだが、しかしそれは教頭サイドに闘争のヒントを与えることとなった。文化祭を中止してしまえ、と。理由はいくらでもつく。例えば生徒が夜遊びをしているだの、と。お月見とかハロウィンとか、夜の行事が秋に続いたことを逆手に取り、それを子どもの非行だとか何とか言えばいい。
そこでモヤシの登場だ。彼の勤務先はIT企業であり、インターネットのポータルサイトも運営している。そこのニュースやら動画やらを使えば世論操作などたやすいだろう、そう踏んだわけである。かの会社はその見返りとして木花中のIT化事業において利益を独占する。まさに彼らにとってウィンウィンのシナリオだ。
そして生徒たちの下校時間を過ぎてから、教頭たちは学校にバリケードを築いた。生徒たちを正しい方に導くための、生徒を安全にするための、という建前を付けて。
しかし生徒のほうが一枚上手だった。
がしゃん、がしゃん、がしゃん。
突然けたたましい騒音が響き渡った。振り返るとそこには一台の重機。その後ろに控えるダンプカーの助手席からヘルメット姿で親指を立てて微笑む姿が見える。それはいかつい乗り物には不釣り合いな、少女の姿だ。
「どうもー」
「…屋代さん。…これ、どうしたの?」
ヘルメットに作業服姿の元生徒会長、屋代さんだ。
「おじさんが建設会社をやっていてね? なんか学校に来たら障害物があるから排除したのよ」
って、そんなん勝手にやって、いいの?
「いいに決まってるでしょ? 本来自由に入れる校門に、生徒や先生がはいれないようなものを作るなんて、誰がやったかしらないけど、おかしいじゃない?」
だから取り除いたの、と。
「裏門の補修を頼まれていたんだが、これじゃ入れないだろう。だから壊したのだよ。誰だか知らないが勝手に捨てられたようなもんだろ? こんな板切れの集まり」
と、ダンプの運転席にいる中年男性。この方が社長さん、つまり屋代さんのおじさんだという。まぁ誰がこのバリケードを作ったかなんて分かりきっているのだけれど、教頭も自分で作ったとはまだ明言していないのでこれは客観的に見れば誰が作ったかわからない障害物でしかない。
「授業のない日曜にやろうと思ってたら、そっかー今日は文化祭だったかー。まぁいいや工事すんべ。あ、文化祭には支障ないようにやるのでおかまいなく」
と言い残すと、屋代さんを下ろした社長さんはダンプを動かし、大きく校庭の外を巡る道を迂回して裏門の方へ。って、裏門の工事なんだったら校内通らなくてもたどり着けるじゃないか、と屋代さんに突っ込んだら、
「ああ、忘れてたんじゃない? おじさんそそっかしいのよ」
ううむ、先程の社長さんの台詞といい、屋代家の一族って…。食えないのは血筋かもしれない。あ、もちろん褒めてる。
ちなみに渡辺先生と高原先生がゆうべあのあとどうしたかについてであるが。
「飲んでたのよ~? 教頭先生たちと~。楽しかったわよ~」
少ししてやってきた高原先生の回答だったが、これまたいかにも白々しい。
「失敬な。君が酔いつぶれた後家に送ってから戻ってきたらちょうど教頭と偶然会って、奇遇なことに行き先も同じだから同道して同じ座敷におじゃましたってだけだ。となり町の料亭だよ。いやあたまにはああいうところもいいよな」
続いて登場した渡辺先生も言う。う~ん、偶然というには出来すぎているというか作為的であるような…。もちろん思っただけで口には出さなかったが、そういう気持ちが顔に出ていたようだ。
「いや、断じて作為的な意図はないぞ? 良かったら連れて行って欲しい、と言ったら向こうが了承してくれたんだ。張り込み? いやあれとこれとは別だろお? こなだいのハロウィンのこともあるし、モヤシみたいな部外者が学校の周りウロウロしているのは防犯上悪かろうと思って見張っていたら、それとは関係有るかどうかしら無いが教頭および主任と会ったから、平和かつ穏やかにお酒でも飲みましょう的な流れになったのに乗っかって付いて行った。そしたらモヤシがいただろ? 私は君が引っ越してきた日にちとやりすぎた引け目もあったから彼も誘ったんだ。なんか様子見ていると教頭とも親しい感じだったしな。それだけだ」
「まさか~、奥さんもいるのに~、綺麗な女の人と飲むわけじゃないですよね~? って言ったら、あっちから誘ってくれたのよ~? そんなことない、証拠を見せる、って~。別に私たち、どうでもよかったのにね~」
これまた白々しい高原先生の言い訳。ただその次の渡辺先生の言葉も含めて、あえてスルーするほうが全体の幸せのためだろうと。
「ちょっと多めに飲ませてしまったかもしれないがな」
まぁでもそのおかげで、今私たちはこうやって校内に立つことができているわけだが。おそらく教頭、主任、モヤシの三人はまだ酔いつぶれて寝ているであろう、とのこと。モヤシの会社が手配した業者によって作られたバリケード、その前に三人が立ちはだかることで生徒の侵入を阻止する計画は潰された。いや、あくまでも偶然に、行われなくなったと言うべきなのだろうか。
ともかく、文化祭二日目は無事実施される運びと相成ったわけだが。
「うう~、恥ずかしいよぉ…」
「ホントにやるの~?
実は抵抗勢力は、校内にもいた。いつの間にか校内を埋め尽くした生徒たちの中からは、やる気ムードの反面、こんな声も聞こえてくる。
「今年の文化祭は、初日と二日目の今日でちょっと趣向を変えるの。というかこれも昔やってた伝統的スタイルの復興なんだけどね」
と言う、屋代さんの手には。
色とりどりの化粧品と。
筆。
ああなるほど。お花ちゃんが帰ってきたからこそやるべきだと、苗ちゃんが言った理由がわかった。お花ちゃん、と言えば。その答えは屋代さんの説明を待つまでもなかった。
「みんなで、道化師になるの。一日目は自分たちが楽しむ。二日目はお客さんをもてなす。それが、昔からの文化祭のスタイル」
というわけで、抵抗している子も嫌々派手な衣装に身を包まされ、顔をメイクされている。
まずは私の隣に座る小瀬さんを観察することにする。相方の星野さんが筆を持つが、小瀬さんはひどく抵抗を示しているうちの一人だ。さっきから表情が半泣きである。一方星野さんはやる気満々。
下地のローションを顔全体に塗った後、眉毛が邪魔になるのでそれを寝かせて、目立たないようにする。眉つぶしと言うんだそうだ。
その上からドーランという化粧品を塗る。いや、塗ったくると表現したほうがピッタリする。徹底的に分厚く塗っていく。
「厚塗りが伝統だからね」
と言いながら、白の次はさまざまな色に染めた筆を容赦なく私の顔に走らせる屋代さん。最初はこそばゆいのかと思っていたが、分厚いお化粧のせいで慣れればそうでもないらしい。むしろ自分の顔がどんなになっているかのほうが不安みたいで、表情は厚化粧で次第に分からなくなっていくのだが、それに反比例して不安そうな気持ちはどんどん強く伝わってくるようになる。
「い、いや、やめてよ…」
と言ったたぐいの言葉が、小瀬さんのみならずメイクをされている人みんなから聞こえる。
居並んだ全員のメイクが終わった所で、一斉に鏡が裏返しで手渡される。それをせーので表に返す。
「ぶっ」
しかし笑いがこぼれたのは、化粧した側のグループのみ。された方は、
「いやー!」
「恥ずかしいー!」
一斉に悲鳴を上げる。だが、それでひるむ木花の子どもたちではなかった。
「…よっしゃ、お返しだ!」
という声とともに、
「それー!」
とばかりに今度は攻守逆転、反対側の生徒たちの顔が真っ白に塗られる。小瀬さんもすぐ気持ちを建てなおしたのか、今度は星野さんのメイクに躍起となっている。
…というか、私も傍観者では済まない気がしているのだが…それは気のせいで済まないのだろうか…って!
「ホールド完了!」
「筆よし!」
「化粧品よし!」
不意打ちのように両腕を二人がかりで押さえられ、さらに首も動かないよう固定される。筆を持つのはお花ちゃんの役目。ということは…。
「い、いや、いやぁーっ!!」
抵抗むなしく、私もクラウンのメイクをさせられてしまった。
「あづみさん、プロのハンナちゃんにメイクしてもらえて良かったですね! 衣装どれ着ます? あづみさんに似合うのはこれかな? あ、これも可愛いかも!」
と言う真耶ちゃんだってコスプレのプロ(?)屋代さんの手によってすでにメイクとお着替え完了。この子の「良かった」は心底そう思っているのだろう。顔がウキウキしているが、私はなるべく地味なのを選ばせてもらった。真耶ちゃんは帽子が左右にわかれているタイプのものを着ている。派手だ。だが似合っている。
というか、いつの間にか教室がピエロとクラウンだらけだ。まぁ壮観ではあるが、自分もその風景の中の一員であることを考えると複雑な心境ではある。というか、
「恥ずかしい…」
この村に来てから、村の子どもたちのはっちゃけた格好を沢山観てきた。泥だらけだったり、オオカミの着ぐるみを着たり、ハロウィンの仮装も生半なものではなかった。それらを見るのは楽しかったが、自分がやるのではまるで違う。恥ずかしい。この子達のように、普段からは想像できないような格好を楽しむことは出来ない。だってこんな文化、私のこれまで知ってきた環境ではあり得ない。個性とか、そういうところを飛び越えちゃってる。非日常的な装いが当たり前な感覚に、私はただただ圧倒されていた。
「あづみちゃん~、うかない顔しちゃ駄目よ~?」
のんびり口調ですぐ正体がわかるピエロさんが登場し、私にダメ出しをした。
「高原先生…いきなり気持ちの切り替えは難しいです…」
「慣れれば平気よ~? 悩むより行動するのみ~。生徒ちゃんたちと一緒にいれば自然とハッピーになるわよ~?」
「…まぁ、私も最初は戸惑ったけどな。やってみると悪くないぞ? 普段の自分を棚に上げられるしな」
渡辺先生までもが、顔面を色とりどりに飾っての登場。ただ先生方でノリノリなのはこのお二方だけのようだ。他の先生達からは嫌々感がにじみ出ている。でも、
「はい皆さん、仕事ですよ! もじもじしてないで職務遂行おねがいしますよ!」
ぱんぱんと手を叩きながら、屋代さんが先生方を叱咤激励する。大人顔負けの貫禄だ。皆苦笑しながら従う。ちなみに屋代さんもピエロメイクは完璧。普段真耶ちゃんを着飾ることにばかり熱心で自分はシンプルな着こなしを好む彼女がこういう格好をするのは珍しいことで、それだけ全校あげてのイベントにしようという機運が強いとも言える。
開場すると、来客がどんどんやってくるが、子供は容赦なくクラウンにさせられる。一応体験コーナーと銘打ってはいるものの、なんだかんだの理由をつけたり無理やりだったりで間違いなく餌食にされる。最初は抵抗する子どもたちだが、次第に落ち着きを取り戻し、やがて自らも楽しむようになる。そして友達も道連れとばかりメイクさせるので、連鎖反応的にピエロやクラウンが溢れかえることとなる。
真耶ちゃんの妹、花耶ちゃんも当然クラウンメイクになっている。その横にいるのは昨日会った真耶ちゃんのイトコ、真奈美ちゃん。
「もー信じらんないよねー。普通学校でありえないよこんなー」
とケラケラ笑う。心底楽しんでいるようだ。
「私もこの村に来たときは色々変わったことがあって戸惑ったけど、楽しいと思いますよ?」
と、私にアドバイスもくれた。
イベントの内容自体は昨日と変わらない。クラスごとの展示もあるし、家庭科部は今日も喫茶店。ピエロやクラウンが接客や給仕をするという面白い展開になっている。劇をやっているクラスでは、顔だけ白塗りのままロミオがジュリエットに愛を訴えたりしていてなかなかシュールだ。運動部も道化師メイクのまんま。ダンクシュートを決めた、背のすらっとしたピエロは部長の鬼塚さん。
それにしても感心するのは、生徒たちが「おもてなしの精神」を心得ているということ。誰かが校門に入ってくると挨拶のシャワーとともにパンフレットが渡される。観たい場所が分からない場合は丁寧に案内される。足の悪いお年寄りなどが来ると誰が言い出すでもなく歩行をサポートする。
「こういうのこそ、教育だと思うんだがな」
渡辺先生の言うとおりだと思う。お祭り騒ぎの中でも思いやりを忘れない。それってすごく大事だ。
「この子たちのすごいところって~、自分たちで考えて良いことが出来るのよ~。教えたわけでもないのに~」
「教えてないから出来るんだよ。言いなりでばっか動いてたら命じられた以外のことができなくなるだろ?」
高原先生の疑問に渡辺先生が答えた。うん、そうだと思う。規則や規制でがんじがらめにされていたら、しちゃいけないことばかり気にして、自分で良いと思ったことをできなくなる。行動の基準が自分がしたいとか良いと思うとかそういうことじゃなくて、「誰々がしろと言ったから」「誰々がするなと言ったから」というものになってしまう。まぁそういう、自分で考えて行動する子どもというのが鬱陶しい大人もいて、それが教頭先生たちだってことは分かるが。
しかし、真剣な教育論をピエロやクラウンのメイクでやるさまというのも何だか笑いがこぼれてしまう。
文化祭は、大盛況のうちに終わった。と思ったら。
「それじゃあ、後夜祭やりますよー! 皆さん校庭に集合!」
中学校で後夜祭というのは初めて聞いた。キャンプファイヤーこそ無いが、校庭に集まった生徒たちはダンスを踊ったり、歌ったり。もちろんメイクも服装もそのまんま。楽しそうだなぁ…。
「あづみさん! 何傍観者決め込んでるの! 一緒に騒がなきゃダメっしょ!」
という声とともに、私の身体が宙に浮いた。いや、数人がかりでかつぎあげられ、輪の中央に運び込まれ、そのまま胴上げ。それが済んだかと思うと今度は渡辺先生が。
「伝統なのよ~。先生たちに感謝を伝えたい、って~。嬉しいわよね~、って、わ、私もなのね~~」
その次には、説明しているそばから高原先生も。しかし私も一応先生のはしくれとして見てくれているというのはなんだか幸せな気分だ。
最初は恥ずかしくて嫌だったけど、だんだん楽しくなってきた。まわりのみんなが楽しんでいるのが伝染したのかもしれない。この村の人々の陽気な気風の理由が分かる気がした。
「ニワトリと卵だなぁ。陽気でおおっぴらだからこういうことも出来るのかもしれないし」
ちょっと騒ぎの輪から外れていると、渡辺先生に声をかけられた。
「本当に色々な国の人が集まっているんだ。アメリカからも、ヨーロッパからも、アジアからも。日本国内でも色々なところから移り住んできている。 大変なこともあるだろう。軋轢や衝突もあったかもしれん。でもそういうのがあったほうが楽しいし、それを乗り越えるために必要なのが、楽しいことだった。そして乗り越えたからこそ得られるものもある。それがこの村に花咲いた独自の文化、ってことだ。同じところで生まれ育った者ばかり集まっていては、こんな楽しい村は出来なかっただろうな」
ハッピーな気持ちをもらえた。
この村に、来て良かった。
ところで、教頭先生たちはどうしたのかというと…。
文化祭の振替休日となった月曜日、一人の来客が嬬恋家に訪れた。
「…というわけで、どういう事情なのか聞きにきたというわけなのですよ。何かご存知ありませんかね?」
「どうか、したんですか?」
穏やか、ではない。玄関先にいるのはお巡りさん。だいたい皆駐在さんと呼んでいるが。
「ああ、金子さんでしたな、中学校に教育実習でいらした。ちょうどいい、実はですね…」
小さな村なので、どこにどんな素性の人間が住んでいるかについて駐在さんはおおよそ把握している。だが私の姿を認めて名指しで話し始めるというのはなおさら穏やかではない。私は緊張しながら話を聞いた。
「下の街で昨日、三人の男性が寝ていたのを発見されたのです。おそらく酔いつぶれてそのまま寝込んでしまったと思われるのですが、ただ不思議な事があるのです」
「どうかしたのですか?」
一瞬意味が分からなかった。酔っぱらいが所構わず寝こむというのはよく聞く話だが。なぜそれが私に関係ある話なのかわからない。私は土曜日も日曜日も中学校の文化祭に遊びに行っていたので、この村から一歩も出ていないというか、ここと学校の往復だけだ。強いて言えば、土曜日の夜、渡辺先生や高原先生と一緒に学校前の居酒屋さんで…。
あ…。
「それがですな、発見された場所が料亭の一室なのです。しかもそこは座布団などをしまっておく倉庫なのですよ。酔っていたとはいえ、わざわざそんなところに寝る人がいるものでしょうかねぇ…」
料亭…。うん、確かに心当たりがある…。
「…誰かが運んできたんじゃないかと思うんですがね?」
という駐在さんの一言に対し、私は密かに冷や汗をかきつつ答えた。
「…まあでも、酔っていればそういうところに寝ちゃったとしても…ほら、座布団があるなら寝床と間違えても…」
「それが、違うのですよ」
私の反論はやんわり否定された。
「物が色々置いてあるずっと奥にいて、それらをどかさないと中には入れなかったのです。泥酔した人間がわざわざそんなところに潜り込めるでしょうか。重い荷物も随分あったのですよ」
私の冷や汗が、一層増したような気がした。
「…誰かがそれらを後から持ってきて、中の人を閉じ込めるためにやったとしか思えんのですよ、見た感じ」
「でも、なんでそんなことしたんでしょうね?」
希和子さんが間に入って質問をした。
「…う~ん、まあそれはよく分からないのですがね。ま、あまり気にせんでください、特に事件性はないですから。お客がいきなり倉庫にいたのでびっくりした店員さんが所轄に相談したのでこちらも放っておく訳にはいかない、というだけの話です」
ちょっとホッとした。
「発見された当人たちも、何もないと言ってますしね」
…まぁ、本当のことは言えないだろうけど。その三人とは教頭先生たちで、酔いつぶれた三人を倉庫の奥に閉じこめたのは渡辺先生と高原先生だろうから。もっとも二人は、お店の片付けを手伝ってあげた、中に人がいるなんて思わなかった、とか答えるのだろうが。
火曜日。私は大学に用があったので東京に戻ることになっていた。バスの車窓からは中学校が見える。ふとそちらを見やると、学校はすっかり日常の風景に戻っていた。私はなんとなく安心して東京へと向かった。
けれど文化祭の前と違っていたことがひとつ、普段は虚勢を張っている教頭先生と主任先生が終始しょんぼりしていたことは、あとから聞いた。
宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十二話
久しぶりに真奈美を出してみました。全シリーズの実質的主人公ですがご無沙汰していたので、文化祭くらいは見せてあげたいという親心です、はい。
今回の話では「子供のピエロ」ってのがなんかツボでしたね。流浪の旅を続けるサーカス一座のピエロ少女、なんてのが描けるといいと思ってます。あと本作では仮装を嫌がる登場人物の描写ってのがなかなか描けなかったのですが、今回は比較的そちらに注力してみました。それもなかなか悪くないのですよね。奇妙な格好にも抵抗感の少ない木花の子どもたちですが、さすがにこれはというのもあるだろうし、そのへんの耐性に個人差もあるでしょうから、これからそういう描写をもっと出せればいいと思います。
ところで、つぶされてしまった行事ってどんなものかというと…。すみません、構想は一杯あるんですがまとまってないんです…。