北上八三

なんかずっと書きたいと思っていたのに、なんか書けなかったやつ

昨年の夏の頃であったか、猫にハマった時期がある。
「猫、猫様!」
猫の事が頭の中に充満してどうにもならない時期があった。その当時どういった現象でそういう現象が私に生じたのかは不明である。ただその一時は何を見ても猫に見えた。夏の緑に茂る木々、葉、草花を見れば猫に見えたし、あるいはどこかに猫がいるのではないかと思えた。晴天の青空に浮かぶ雲を見ても猫に見えた。動いているものが、目の端々に映るものが猫に思えたりもしたし、猫だったのではないかという思いが体内で発生した。
「野良猫とか保護して飼っちゃおうかな」
と、日々そんな事を考えて過ごしていた。頭の中にそれしかなかった。当然ネット等でも頻繁に猫の事を調べていたりしていた。
「野良猫は大体寿命が五年くらいなんだ・・・」
昨今の環境では、家猫は当然のごとく20年近く生きるという。それに比べて屋外という厳しい環境で生きている猫というのは、平均して五年程度であるという。そう書いてあるのを見つけた。
「ああ、かわいそうに」
で、私はそのような事を知って心を痛めていたりした。

今考えると、どういうつもりなのこの人っていうのが正直な感想である。まず第一に現在私が暮らしている集合住宅では猫は飼えない。相談可とかでもない。

「でも、野良猫を保護するっていうのは必要なんじゃないか!」
ただ、当時の私というのはそういう義憤めいた感情をもって日々を暮らしていた。自分の生活もままならないくせにである。で、野良猫を捕獲する道具とかも、保健所とかだったかな?そういった所に相談したら借りれるという事もネットで調べたりしていて、
「その後、あれか、ワクチン的なものを打って、去勢とかの事をして」
んで、一年に一回は病院に連れて行って、何かしらの注射を打たなくてはいけないのか。はあ。なるほど。そうかあ。
「なんだったら引っ越してもいい」
とか、そういう案すら考えていた。キャットタワーとか天井に固定するの大丈夫かなあ?とか。

当時の私というのは、
「これが私の生まれた意味ではないか?」
とか考えていた。当時。当時って言っても一年前の話だけども。今考えると驚く。驚く以外ない。ほんとに。私という人間は大抵の事が半端で出来ている。適当という言葉で言い表してもいい。半端な機能でもって出来ていて、適当な採寸の部品で組み立てられており、本来そこに利用するはずではない、その用途は本来の用途とは違う。というようなものの集合体である。

それが動物を、自分以外の動物を養うとか。気分でやっていい事ではないんだぞ。命ぞ。相手も命を有した生き物ぞ。その場のノリで決めていい事じゃない。馬鹿なんじゃないか?

「そんなことはない!」
気分で考えてるんじゃない。ノリで決めてるわけじゃない!私はそのために引っ越してもいいんだぞ!キャットタワーとか買うつもりだし、レーザーポインターで遊ぶ気だってあるし、紐を飲み込んだらすぐに動物病院に連れて行く気もあるし!実家に帰省する際もちゃんと連れて行く気あるし、それが無理でもペットホテルとかに泊める気あるし!

当時の私はこのように考えていた。

今か考えるとゾッとする。

その決断をしなくてよかったと思う。本当に。ブログとかに猫飼い出しましたとかそういう事をする可能性があったのである。本当にゾッとする。それをしてしまったらもう後戻りはできない。出来なくなったろう。途中で嫌になって逃がしたりして、猫の事を書かなくなったりして。でも猫飼ってるって言ったらもうある種の人は集まってくるだろうから。私だってテンションが上がって写真とかブログとかにあげたりとかしてたかもしれないし。そうなればもう、その船は放棄するしかなくなるでしょう。下手したら動物虐待とかで通報されるかもしれない。

誰かに、誰かではなくてもいい。生き物でもいい。何かにでもいい。一定量以上の愛情とか友愛とか、親が子供に持つ感情とか、そういうのを一定数持ち続けて、更にそれを長い期間にわたって維持し続けるというのはすごい事です。ダメになったからいいやでは済まない。新しいデータ作ってまた一から始めようとか出来ない。ダメでもとりあえず維持するっていうか。所謂愛せるかっていう事かもしれないけど。そういうのが出来るというのは本当にすごい事です。誇っていいと思います。少なくとも、それだけでも、それだけでも私よりはすごい。すごいことしてる。

「そんでねえ、最近動画とか見てねえ」
そんな危なげな感情を持っていた去年の夏、何がキッカケかは忘れてしまったが姉と焼肉に行った際、焼肉を食べてお酒を飲みながらお互いの近況を話し合った時の事だ。

「最近どうなの?」
席について肉が来て酒が来てしばらくお互いに他愛もない話をして、で、それから姉がおもむろに聞いてきたので、私は迷うことなく猫が飼いたいのだという事を述べた。あの時の私は多少饒舌になっていたと思う。気持ち悪い。饒舌になる人ってそもそも気持ち悪いでしょう?私も例にもれず気持ち悪かったのではないかと思う。

「猫の動画とか見てるだけじゃ、もう我慢できなくて」
「へえ。でも、あんたの住んでる所ペットダメでしょ?」
焼肉をするとお互いの性格が出る。姉はちゃんとトングを使って肉をとるのに対して、私は最初はトングでやるけど、後半になるにつれて箸でそのまま行くようになる。こういうのが私の雑である。雑クオリティ。私クオリティ。

「だから引っ越そうかなって」
「ええ!?」
これには姉も驚きの声をあげた。猫で引っ越すのか?っていう事だと思う。私も今考えるとそう思う。でも当時の私はそういう訳にはいかなかった。もはや引っ越して猫を飼うのがこの人生の意味とさえ考えていたから。

「サビ猫とね、黒猫を飼いたいんだよ」
「はああん」
その昔姉も猫にハマった時期というか、何か動物の写真集の様なものを頻繁に眺める時期があった。今考えるともしかしたら人間にはそういう時期があるのかもしれない。結婚したいって思うとか、モテキが来たとか、更年期障害とか、そういう時期。動物を愛でたい時期。

「でね、最近猫の動画を見てるとね、猫って腰をとんとんすると喜ぶらしいんだよね」
「ああ・・・そういうのあるんだ。へー」
「だからさあ、私もとんとんしたいなーって思ってさあ」
「それって猫が飼いたいの?腰をとんとんしたいの?」
勿論、猫が飼いたいんだよそうに決まってるじゃん!その時はそう言って、で、その後も猫の話というか、腰をとんとんしたくて猫が飼いたいって言ってるわけじゃないんだよ馬鹿野郎!私は本気でなあ!みたいな話をした。あとはあまり覚えてない。酒も進んでたし。モツもおいしかったし。モツで酒が相当に進んでいたし。

しかし、姉と別れて家に帰って焼肉臭くなった服を何とか脱ぎ脱衣カゴに投げて軽くお風呂に入ってもう落ちる寸前になりながらも、かろうじて着替えをして着所寝をきめて、
「うああ・・・」
起きたら寝る前まで保たれていた猫に対しての大きな。あの大きな感情の塊?とてもじゃないけど私には抱えきれないその感情の大きな大きな塊。それが小さくなっており、やがて霧散してしまった。寝ている間に大半はどこかに行ってしまっていた。

猫に対しての感情が落ち着いていた。あれだけ夢中だった。無我夢中だったのに。もはや城の跡地のように石垣、石垣すら残ってないみたいな状態に。
「かゆ」
私はなっていた。そうなっていた。首の下の所を掻きながら、その時思った。

私は腰がとんとんしたかったんだな。

猫の。

動画で見た。腰トントン。あれがしたかったんだな。それを姉に言い当てられて、過剰に反応してむきになって。気持ち悪い事この上なかったけど。でも、実際そうだったんだなと。あれがしたかったんだなと。

ああよかった。

一過性のちょっとした欲を満たしたいがために、無責任な事をする。しようとしていたと。動物を飼おうとしていたと。

ああよかった。

自分の腰トントンしとけ。馬鹿みたいに。馬鹿なんだから。馬鹿みたいに。

ただ、それをやってたら、今度はそれをやりすぎていたのかな?外でもやってたらそれを見た人に、
「ヘルニア?」
って聞かれたりした。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-04-26

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