宗派の女

宗派の女

1️⃣ 処女懐胎

 一九××年の盛夏の蒸し暑い暮色。北の国のある猥雑な街頭である。
ある宗教団体の一群が、通行人に声をかけている。創始者は半島人で、半島を根拠地にしているが、この国にも進出してきて、あちこちで軋轢を起こしていた。いよいよこんな地まで出てきたのかと、広野は慨嘆した。
強引な勧誘で家庭崩壊を引き起こしたり、壺などの販売や占いで告発されたりして、最近、世上を騒がしている教団なのだ。

 半袖の青いワンピースの豊満な女が、狐顔の女子高生を相手に熱弁を奮っている。三〇半ばに見える。
  通りすがった広野は、ふと耳に入った女の言葉づかいから、半島の出身者だと判断した。そして、何気なく傍らに佇んで、話を聞き始めた。
 広野が三本目のタバコを吸い終わる頃に、駆けつけた友達に袖を引かれた、女子高生が離れた。

 そこで、広野と女の目があった。「宗教に興味はありますか?」と、重そうな乳房を揺らして歩み寄った女が、話しかけた。
その時、街路灯に、やたらに大きい蛾が迷いこんできた。もがき飛んで鱗粉を撒き散らす。

 煙草に火を点けた広野が、「マリアは処女で懐胎したって、言ってたよね?」女の瞳が煌めく。「そうです」女の息が乳房と繋がっている。
「受胎しても、マリアは処女だったのかな?」「当然です」「出産してもか?」「はい」「死ぬまで、処女だったの?」「そうよ。聖母だもの」と、女が赤く厚い唇を、紅い舌で舐めた。

 「処女っていうのは、男と交わっていない女って事だよね?」「勿論だわ」「処女で懐胎したのは、マリアだけかい?」「そうよ」「マリアだけが、特別なのかい?」「聖母ですから」
「マリアには、夫がいただろ?」「いたわ。ヨゼフよ」「キリストは、そいつの子じゃないのか?」「違うわ。神の子よ」「神とは交接しなくても、孕んだと言うんだな?」「そうよ」

 「ヨゼフとは、交接したのか?」女が木綿のハンカチで、首の汗をぬぐった。「夫婦だもの、するだろ?」「そうね」女が街路灯でもがいている蛾を見上げた。
「懐胎した時は、結婚していたのかい?」「してたわ」「結婚していて、懐胎したのかい?」「マリアは懐胎する前に、ヨゼフと結婚していた。ヨゼフと交接していたんだろ?だったら、処女じゃないじゃないか?」

「普通の女は、どうしたら懐妊するんだろ?」女が視線をそらすと、天空には黄金色の満月なのである。「解らないのか?」「交接するんだろ?」「陰茎を膣に挿入して、射精するんだろ?」「膣の奥で精子と卵子が受精して、妊娠するんだろ?」
 
「処女ってなんだ?」女が唇を噛む。「処女膜があるのが処女なんだろ?」女のほつれ毛が数本、微風に崩れた。
 男が煙草に火をつけて、紫煙を吐きながら、「処女の膣に陰茎を挿入すると、処女膜が破られるんだろ?」「処女が交接して、処女膜が破られたら、その時点で、もう処女じゃないだろ?」

 いつの間にか二人を囲んだ、三人の酔っぱらいが囃し立てる。「この女、半島人だろ?何でキリスト教なんだ。半島は儒教じゃないのか?」「その歳で処女なのか?」「どうしたら妊娠するか、俺が身体で教えてやろうか?」
 少し離れた所にいた、教団の同輩の、若い痩せた女が駆け寄ってきて、何やら話していたが、直に、豊満な女が男の手を引いて、「歩きながら話しましょう?」と、その場を逃れて、二人は歩き始めた。

 
2️⃣ 原理教会

 「半島人だな?」「そうよ」「原理教会だろ?」「そうよ」「異端だ」「違うわ。プロテスタントの一派よ。それにしても、あなた。私達の教団に詳しいのね?」二人はあてどもなく歩いている。黄金色の月が追いかけてくる。
 
 「一寸した因縁があるんだ」「どんな?」「俺の知ってる奴が関わって痛い目にあってる。家族も。実にたちの悪い邪宗だ」「違うわ。この国の当局にも認定された、正式な宗教団体だもの。半島では第五の宗派よ」「悪質な洗脳をしてるだろ?」「マスコミが騒いでいるけど、反教会派の陰謀だわ。洗脳などしていない。教理に基づいた修養をしているだけだもの。指導者が真実を話して、信者が納得しているだけよ」

  「勧誘が強引だろ?強制的に入信させられた学生が家出したり、離婚が相次いだり」「誤解だわ。熱心には説明はするけど」「出鱈目な占いで、惑わしているんじゃないのか?法外な寄付を強要してるだろ?壺などの販売も、詐欺で告発が相次いでるだろ?」「そんな事はないわ。みんな誤解か事実無根よ。占いは半島に古くから伝わる習俗なのよ。いわば、民族の宝だわ。それに、他宗派の嫉妬や讒言もあるし。正しい新興教団には法難は付き物なの。キリスト教だって、最初は凄まじく弾圧されたんだもの。でも、真実は必ず勝つのよ。歴史が証明しているでしょ?キリスト教は世界の人類に受け入れられているんだもの」
 
「教主はハン・ムンイと言うんだな?」「そうよ。崇高なお方よ。キリストを洗礼したヨハネの生まれ変わりと言われている、救世主よ。数々の奇跡は科学者も検証して、お墨付きを与えているし、マスコミも認めているわ」

 
3️⃣ 侵略

 「半島は北と南の二つの国に分裂していて、それが東アジア危機の根源の様に言うけど。半島は実質は三つの国から出来ているの。そして、この三国が真に融和した歴史は、只の一度もない。これは古代から変わらないわ。
 半島に最初に建国したのがシラギよ。間もなくしてクダラ。私の国だわ。
 クダラは列島とは特別に親しくて、ミマナという所にニホンフという列島の領土があったの。ある御門の故郷という言い伝えがあるわ。列島に渡った渡来人の大半はクダラ人よ。今の御門の始祖だわ。
 そして、北のコウクリ。古代から野蛮な辺境の民よ。いつも大陸の情勢に右往左往して、右顧左眄しているの。
 私達、南のクダラはシラギと仲違いもしたけれど、最も敵対しているのは北のコウクリよ」
 
 「でも、ムンイ尊師は、この三国の真の融和と統一を願っているの。その為には、南の反政府勢力は言うに及ばず、コウクリを牛耳っている共産主義勢力、とりわけ、ハクトウザンのキム一族を成敗して、壊滅しなければならないんだわ」 

二人は、とある神社の、巨大な朱塗りの鳥居の前で佇んだ。
 「歳は?」「女に聞くものじゃないでしょう?私はあなたの名前すら知らないのよ」
 「俺は広野。二六。エミシ、いいや、縄文人だ」「縄文人?」「そうだ。お前達の渡来人の先祖が、侵略して支配したこの列島の、北の民族の末裔だよ」女が男の顔を覗きこむ。
 
 「お前達はヒデヨシの侵略や、メイジ政府の植民地化を恨んでるだろ?」「そうよ。私の村もヒデヨシ軍に襲われて。女達は散々に犯されたという言い伝えがあるわ」「その時の子孫が開拓した村だってあるくらいだもの」「でも、この世紀の始めから、あなたの国に併合されて、植民地にされていた時は、もっと地獄だったわ。占領政府は、御門が私達の祖先だと、言ったのよ。だから、私達があなた達と同じ民族なんだって。そんなあべこべがあるかしら?
 半島で戦いに破れて、列島に逃げ出した子孫が御門なのよ?その上、御門を祀った神社を、無理矢理に拝まされて。御門は生き神だと強要されたのよ。
 それに、私達の言葉や名前、宗教を強制的に取り上げたんだわ。民族の全てを奪われたのよ。誇りさえも、だわ。
 少女達が慰安婦に駆り出されて。青年は徴兵されて最前線に送られた。徴用されて強制労働を課せられたのよ」
 
 「それはこの国の暗部だ。だが、俺から言わせたら、お前達の民族同士の親近憎悪じゃないのか?」「近親憎悪?」「お前達の民族がしたのは、そんな生易しいものじゃない」「半島人や大陸人は、太古からこの島国を侵略し続けてきたんだ」「ここに渡ってきた者達は、お前が言う通り、半島や大陸での争いに破れた敗者だった筈だ。それなのに、先住者の縄文人を、鉄の武力で隷属させた。そして、御門制国家を造ったんだ。その御門を頂点とする支配層が、お前達の民族なんだ。その敗者の子孫が、勝者の半島の本国に復讐しているだけじゃないのか?」「だから、近親憎悪と言うんだ」「俺は御門に侵略され破れて支配されて、搾取や差別に晒されてきた縄文、エミシの末裔なんだ。お前たち以上に御門制を憎んで、復讐を誓っているんだ」

 
4️⃣ 密儀

 「名前は?」「イ・ミョンヌよ」「歳は?」「三七」「ムンイと会った事あるのか?」「あるわ」「秘密の儀式をしてるだろ?」「知らないわ。どんな?」女が唇を舐めた。「性の儀式だ」「性?」「ムンイの精液を飲むんだろ?」

  女が話し始める。「原理教会には様々な密儀があるのよ。でも、それは尊師が作ったものじゃないの。古から半島に伝わる原始宗教をムンイ尊師が発掘した、民族独自の密教だからよ」「だって、半島は大陸と地続きなんだもの。民族も多様だし。混沌とするほどに文化は豊かなんだもの」「幾つかの民族には、性に由来した伝説や伝承があるの。その一つに性霊の儀式というのがあるんだわ。だから、ムンイ尊師の独創ではないの。尊師は民族の原点を発掘して、体系化されただけなんだわ」
 
 女が、「人間誕生の大本オオモトは懐妊でしょ?。精子が卵子に受精して妊娠するんだわ。だから、精子が万物の根源だという考えなの。これは私の国のキム民族に伝えられた、古代からの習俗なのよ。私の民族だわ。ムンイ尊師が考えたものではないわ。大病を患った時や不妊の女が、頑健な青年の精液を飲むのよ」「今でもやるのか?」「今はやらない」「ムンイはやるのか?」「やるわ」

「私の国には人間誕生の神話があるのよ」「虎の化身のナギという男神と、太陽の化身のナミという女神が出会うの。女神が男神に言うのよ」

「あなたの身体の一部が勃起している。なんて逞しい。それをギギと名付けましょう。あなたのギギはなぜそんなに勃起しているの?」「俺にはない豊かに隆起しているお前の乳房を見ていると、ギギが熱くなるんだ」「私もそうなの。私の身体の一部が窪んでいる。そこが熱くて堪らない。この窪みをミミと名付けましょう。このミミにそのギギを嵌めて、国を生みましょう」

「男神が挿入すると女神が喘いだの」「でも、国は生まれずに……」
すると、広野が話を継いで、 「この国にコジキという書物がある。今の話はその書き出しと酷似している。その故事がコジキの大本に違いない。この国は、悉く、お前の国を真似たのだ。と言うより、この国に渡ってきたお前の先祖が、故事を伝えたに違いない。ジョウモン人を征服して、お前の国の伝統や文化で支配したのだ。最後まで抵抗したのがエミシとその子孫だ。アテルイ、マサカド、キヨハラ、オウシュウフジワラ、ダテなどなどだよ」

 
5️⃣ 草宗

 「あなたの言う通りなんだわ。この現実の様々な矛盾と同じ様に、宗教も矛盾に満ちているのよ。そして、宗教は性と深く関わっているんだもの。その性が、矛盾のるつぼでしょ?女と男の性の相剋は、永遠の謎なんでしょ?」「マリアの処女懐胎の話も、そうだと思うの」
 
 「ユダヤ教では、救世主が待望されていたんだけど、一方では、偶像崇拝が厳しく戒められていたの。支配していたエジプトの太陽神信仰と、偶像崇拝を厳しく禁じていたのよ。だから、救世主の存在は認められてはいて、渇望もされていたけど、実際には決して現出してはいけなかったの。ヒットラーのホローコーストで、ユダヤ人は民族絶滅の危機にすらあったでしょ?。それでも、救世主は現れなかったし、今でも出現していないでしょ?。ところが、ユダヤ教の中のある反主流の一派が、実在の人物のキリストが救世主だと、主張したのよ。あの当時なら、極めて異端だったんだわ。今の私達の比じゃないわ。それがキリスト教の始まりなんだもの」
 
 「でも、それはキリストがある程度の年齢になってからだったの。だから、出生の記録を書き換える必要があったのよ」「キリストは実在の人間なんだもの。人間の子供は子宮からしか産まれないんだもの。でも、キリストは救世主だから、神の子でなければならない。だから、神がマリアに産ませた事にしたんだわ。神は万能だから、マリアと交接する必要はなかったのよ」
 「万能なら、なぜマリアの腹を借りたんだ?」「だって、キリストは人間なのよ」
「じぁあ、マリアの処女懐胎は幻想だと、認めるんだな?」
  
 「あなたはこの街の人なの?」広野が紫煙を吐いて、「俺はさすらい人だよ」「無頼な風貌だものね?だったら、私に似ているわ。でも、神に抱かれている魂は、安逸で静寂なのよ?」「俺だって、流浪だからって乱脈な訳じゃない」「これからどこに行くの?」「未だ決めていない」「今夜は?」「この陽気だ。野宿だな」
 
 「宗派は?」「敢えて言えば草宗かな」「ソウシュウ?」「民草を根拠に据えた、古の宗派だよ」「いつの時代?」「カマクラだ」「面白そう。詳しく教えて欲しいわ」
 「心は安逸だって、言ったね?」女が深々と頷く。「そうかな?」「どうして?」「不安だから宗教にすがってるんだろ?」「私は神にだってすがってなんかいないわ。対峙しているのよ」「お前の魂はいつも震えているんじゃないのか?」「あなたみたいに?」「俺は違う」女が声をたてて笑って、「何も違わないわ」「あなたは迷い人なのよ。私と同じ。だから、私とこうしているんでしょ?」
 
 
6️⃣ 儚
 
 「結婚はしているの?」「今は一人だ」「同じだわ」広野が苦笑した。女はそのほころびがいかにも無頼だと思う。「処女だったんじゃないのか?」「それはあなたの誤解なのよ?」「誤解?」

「私が言っているのは処女性なんだもの」「処女性?」「あなた?人間の身体なんて、精神の入れ物に過ぎないのよ。やがて、時が来たら、私達のこの身体なんかは、塵芥に帰るんだもの。私の民族の言い伝えでは、人は死ねば自然の構成物に変化するって、言うのよ」
「だから、どんな形状かすら覚束ない処女膜なんて、さしたる意味はないんだわ」「だったら、マリアは?」「もちろん、処女性の崇高だった人だったのよ」

 「私の結婚は短かったの。相手はこの国の人よ。ある事件に巻き込まれて。犯人は、未だに、わからない。短い結婚だったけど、幸せだったわ」
 「私の父母は半島人で、戦争中にこの国に来たのよ。あの原爆で私達は被爆したの。幸い、怪我程度ですんだけど」
 
 ここで、読者諸氏に驚愕の事実を申し上げよう。筆者が手掛けるいかなる小編といえども、かの『儚』の連作と関連しているのである。
 広野は、未だ未完の、あの『原発の儚』や『玉子』に登場している男である。倫宗とも関わりがある。そして、女は『紫萬と磐城の儚』の、あの紫萬なのである。

 
7️⃣ 光
 
「あなた?私と神話を創らない?」「神話?」「そうよ。二人で新しい宗教を創るのよ」男が女を凝視した。
 「ユダヤ教もキリスト教も、イスラム教は言うに及ばず、宗教はみんな出鱈目なのよ」広野が息を呑んだ。
「それが、私が宗派で学んだ代償だわ。今、私が確信しているのは、自然を崇拝するアミニズムだけよ。それを母体にした新しい宗派を創りたいの」「それに、こんな出鱈目な世の中だもの。それ以上の虚構で金儲けをするのよ。ノウハウは私が全て知ってるわ」

 女が広野を見据えて、「あなたは予言者なのよ」と、言うのである。「夕べ、夢を見たの」「どんな夢?」「光の様な、姿の見えない何者かが、私の全てを包み込んでいるの。私は真裸で陶酔している。膣の中にまで光が入っているんだもの」「陰茎の様にか?」「そうよ」「光と交接しているのか?」「そう。声がするの。男の声よ」

 「これは夢なの?」「あなたは誰なの?」「神なの?」「答えてよ?」「夢ではない」初めて声が響いた。「では、あなたは?」「存在だ」「存在?」「そうだ。お前は助けを求めなかったか?」「いつも求めていたわ」「だから、私はやって来たのだ」「私の祈りが通じたのね?」「そうだ」「嬉しい。だったら、あなたは神なの?」「私は存在する。だが、私を名付けてはいけない。お前はマリアだな?」女は一瞬戸惑ったが、「はい」と、明言してしまった。「私に抱かれたいと祈ったか?」「祈りました」「私と交わりたいと切望したか?」「願いました」「私の子供を望んだか?」「神の御子の招来は、呻吟する幾多の人民が望んでおります」「ならば、授けてやろう」
光が燃え上がって、女は陶酔の渦中の人となった。
 
「俺も夕べ夢を見たんだ」「どんな夢?」広野が話し始める。
「やはり、光の中を漂っていた。太陽光ではない。こんな不思議な光があるのかと思った。包まれているだけで陶酔しているんだ。すると、その光には薫りがある。気がつくと、その光は女体で。その身体の持ち主は女神なんだ。もちろん、女神だと認識しているから、身体もわかるんだけど。他に気をとられた途端に忘れてしまう。その繰り返しなんだ。顔を確かめようとしたが、茫洋と煌めいて、皆目、わからない。すると、場面が変わって、俺はカンバスに、油絵具で裸婦を描いているんだ。それが我ながら素晴らしい出来で。官能に満ち満ちている。すると、女神が笑みながら画布に一筆を加えたんだ。辺りが一変した。驚いた。俺などの表現では及びもしない。官能の極致なんだよ。すると、文字通りの羽を生やした天使の男の子が、女神の側にいて。お前、女神に惚れたなって、言うんだ。そこで目が覚めた」
 
終り
 

宗派の女

宗派の女

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-26

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