夜のシュガードーナツ

 好きなひとたちだけが生きてる世界でも、どこかで、心のどこかでくるまった、不安と焦燥が横たわっている。冷蔵庫の奥に置き去りにされた、冷え切ったロールケーキみたいに。ドーナツを揚げるのが趣味の、となりの家のワニが、ときどき、忘れていたことを思い出したように、とつぜん、接吻などをしてくる。ワニの接吻は、存外にやさしい。ふれあうだけの、くちづけである。ぼくらは、みんな、この星にうまれおちた以上、だれかと愛しあうようにインプットされているのだと、遺伝子に、そういうのを平然と、ドーナツを揚げながら言ってくるものだから、ワニは難解ないきものである。面倒、ともいう。にんげんの方が、よほど単純なのでは。ぼくは、ワニが揚げたドーナツに、お砂糖をまぶして、つけっぱなしのテレビが告げる、きょうの主だったニュース、それから、月の動向(さいきん、月が、不穏な動きをみせているという。かんたんにいえば、月が、ぼくらの星に急接近していて、このままでは衝突するかも、的な推測が、現実味を帯びてきているというもの)、あと、恋愛運に特化した星占いを、なんとはなしにながめていた。テレビの音量よりも、ドーナツがじゅくじゅくと油に揚げられる音の方が、耳についた。だれかと愛しあうようにできているのならば、ぼくにも、だれかを愛する心があってもいいとも思うのだけれど、なんか、いまのところ、そういうのは皆無であって、ワニとの接吻を拒まないからって、ワニを愛しているかというと、それもちがう気がしている。よくわからない。恋だの愛だの。ラブだのライクだの。そもそもワニのそれが、ラブを伴っての接吻なのか否かも、判然としない。ぼくらはドーナツを揚げて、食べて、テレビを観て、くだらない話をして、きまぐれに接吻をする。それだけの日々。

夜のシュガードーナツ

夜のシュガードーナツ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-21

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