足首に花の枷
飼育、という行為。似ている、と感じるのは、歪な愛だ。きみが、わたしに、みせてくれるのが、幸福な結末ならばよかったのに。ひっくり返しても、絶望にしかならない、終焉。どこかで、鐘が鳴っていて、春が、崩れ去ってゆくのを、わたしたちはただ、ひっそりと、やりすごすことしかできない。夏の狂気。十七才のとき、学校の先生が好きだった。好きで、好きでいるだけで、好きでいただけだった。淡い期待、なんてものを、微塵でも抱いてみれば、それらをすべて、容赦なく、粉々に砕いてゆくのは、きっと、運命を司る神さまってやつなのだろうと想ったら、祈ることがばからしくなった。つまり、わたしと先生は、生徒と教師、という関係以上には発展しない運命であるのだと、おしえてくれているのだと、そういうことにしておいたとしても、好き、という感情はなかなか拭えず、いっそこの気持ちも、跡形もなく破壊してくれればいいのにと、常々、目にはみえないだれかをうらむ日々だった。あの頃。しらないあいだに消えてゆく、ひとつの季節を、慈しむきみが、わたし、というにんげんをちゃんと愛してくれないで、その瞳にきらめく新緑を映して、微笑んでいる。
足首に花の枷