偽悪者

僕は誰と戦っているんだろう?僕の中の誰になろうとしているんだろう?どうして「特定の誰か」にならなければいけないんだろう?あるいは「演じ」つづけなければいけないんだろう?​───善悪なんて人それぞれなんだから。誰かが僕を善人といえば、同時に僕は悪人にもなるんだよ。これは「善」の発作だ、「悪」の発作だなどと判断に追われるのは、どだい無駄な事なんだ。判断なんてしなくていい。類型化なんて以ての外だ。僕は僕のしたいことをするだけであって、評価なんて問題にしていないんだから。善人だの悪人だのといわれるのは別に構わない。何かを実践し、体現している限り、人の目に晒されるのは避けられない運命だから。僕は、みずから進んで、自分を善人だの、悪人だのと自称する気は毛頭ない。そもそも僕は、善人にも悪人にもなりたくないんだから。「特定の誰かになりたくない」んだから。僕は僕として一貫していないんじゃなくて、そもそも僕なんてどこにもいないんだから。一貫も何もあったものじゃないんだから。そういうわけで、人に幻滅されたり、恨みを買われたりするのは、お門違いなんだ。そもそも僕は、僕の中の「誰」が幻滅され、恨みを買われているのか、断定できないんだから。繰り返すけど、僕は、僕のしたいことをするだけなんだ。僕は理念においても、実践においても異常者だ。この台詞だって、誰がいっているのか判らない。「誰が」責任を取るべきなのか判らない。僕は、衝動の動物なんだ。僕は、常に戦っているんだ。みえない自分と争っているんだ。意味も理由も、価値もないんだ。僕にはただ、僕を為す命だけがある。

偽悪者

偽悪者

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-19

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