将門の儚1️⃣~1️⃣0️⃣

将門の儚 

始めに
  
 『御門家、断絶』、この秘文は、敗戦直後の一九四五年九月の、『地下文学』復活号に、作者不詳として発表されたものである。
 戦時下であれば、まさに、甚だしい御門侮酷の、国家反逆罪に当たったであろう。著者は草彦であるというのが通説だが、地下文学の世界は奇々怪々、それほどに淡白なものではない。
以下は、『御門家、断絶』から抜粋したものである。

1️⃣ 御門家断絶

 この小編は将門の乱の直後の、いわゆる金聖御門の御世といわれるニ年間の綺談である。このニ年の治世は闇に包まれている。即ち、史書の何れにも具体的な記述は発見されていないのだ。つまり、歴史学的にはこの帝位の存在は証明されていないのである。
 だが、将門と、その愛人のイワキの怨念が引き起こした世情の混沌と、帝位の断絶を物語る伝承は、随処に存在するのだ。

 さて、賢明な読者の諸氏は、この国の真の実相をご存じか。深刻に考えたことはあるか。或いは、『地下文学』復活号の読者の諸兄には、些か、愚問であったろうか。
 愚劣極まる戦争に、断固、反対をして、専横の弾圧を受けながらも、その志を貫いて、今日を迎えた諸兄には、深甚より敬意を表する。
 だが、人民の大方は、つい一月前まで、現人神だとする御門の命に諾諾と伏して、無謀な戦の渦中に、前線と言わず銃後を問わず、狂人の如くに立ち振る舞っていたのではないか。
 だから、ここに至り、この国の、とりわけて、御門制の虚構を暴露することは、極めて緊要な命題であろうと、筆者は信ずるのである。
 
 それでは、その為に、なぜ今、将門とイワキの寓話を書くのか。言わずもがな、かの御門制復古以降、とりわけ、この戦時下にあって、平将門はまさに朝廷の反徒、逆臣であり、御門制の重大な禁忌であったからである。禁忌をこそ書かずして、この齢に至り、か細い筆をとる意味などはないではないか。
 
 
2️⃣ 草彦

 一九四三年の盛夏である。
 未だに涼気を渇望する丑三つの頃の、草彦の夢現だ。
 草彦の全身が妖しげな光に包まれてれていて、その光は生き物なのである。
すると、草彦の眼前に、至極に妖艶な女が立ち現れた。そして、光の彼方から、透明な声が響き渡って来るのであった。声は、自分はその女の始祖だと言うのである。

「驚くには当たらない。浮き世の絵師達が筆にした如く、そもそも、妖怪に足がないのは、お前達の世でも承知の筈ではないか。永劫に存在するこの霊魂の世界に、生殖はないのだ。そもそも、聖魂には淫欲など有り様もないのだから、勿論、女陰も必要がないのだ。だから、合理的に下半身そのものがないのだ。私はこの光と同じように、純一な精神と理念だけの存在なのだ。光そのものなのだ」と、声が響き渡った。
確かに、この女の葡萄色の浴衣に包まれた下半身は、一年ぶりの風と戯れる桔梗の一輪の様で、光と同調して朧に揺らいでいる。
 それにしては、芳醇に満ちて、匂いたつほどの乳房の豊かさではないか。この様な、如何にも俗世の果報を、真正な理念というものがなぜ具備しているのか。草彦には理解が及ばない。
 
 現世をあらかた容認して生きている、ニ〇歳半ばのこの男、草彦には不可思議としか思えないのである。
 過ぐる宵にも、海軍省の下級官吏を、淫靡な営みから産まれた様な色めく芸妓を侍らせて、ふしだらに接待し、帝国海軍の相次ぐ戦果を口を募らせて礼賛して、新しい商いの確かな目算を立てたばかりだ。
 
 そして、因縁で係わるという物の怪なら、なに気に思い当たる心根の一つもあろうものなのに、草彦は、この女には些かの覚えもないのである。女は、何故、この男の眼前に、鬱然と立ち現れたのか。

 すると女は、草彦の禍禍しい自問を透徹した風に冷厳に見据えて、再び、諄諄と語り始めた。
 草彦が将門の紛うかたなき直系の子孫だと、女は宣下するのであった。草彦はにわかには理解できない。
そもそも、男はへその緒が付いたまま捨て子にされたのだ。家譜などというものはもとより、両親にも無縁なのである。名前さえなかったのだ。

 七歳の時に養子縁組みの幸甚を得て、漸く、理不尽な施設を抜けることが出来た。それからは、初老の養母の期待に応え、持ち前の克己心で勉学に励んで、帝都大学を出て財閥本社に就職も出来たのである。そして、今や、嘱望の渦中にもいるのだから、幼児の越し方を追憶するにつけ、草彦は充分に満足していた。
 だが、草彦の困惑などは意に介せずに、女が壮絶で暗鬱な叙事詩を、この男だけに、粛然と語り継ごうとしているのである。

 
3️⃣ イワキ
 
 それは、平将門が大和朝廷の支配に憤激して反旗を翻して、関東で革命の決起をした頃に始まる物語なのである。
霊魂が語るその女は、北の国の磐城石川一帯の豪族の妻で、イワキと呼ばれた。
朝廷軍に加担した夫が、将門にいとも容易く討伐されると、見初めた将門に望まれ、女も将門の東気風の英傑ぶりに、忽ち、懸想してしまって愛妾となった。

イワキがニ八歳の時だ。子はいない。
イワキは近郷一帯では二山を越えるほどの、傾城と名高い美麗であるが、巧みに馬を操り、疾駆する馬上から弓を引いた。
ニ六歳の将門は、流麗でありながらも、女傑のイワキを甚く寵愛し、戦場にもきらびやかな武者鎧を着けさせて侍らせた。

 二人は関東から南東北一円を、睦みあいながら転戦して、遂にはこの地の隅々までを制圧して、朝廷権力の圧政から解放したのである。
御門朝廷の不条理な収奪に貧窮していた人民は東国独立を支持して、将門を新皇と称えた。
何よりも、分離して長く相争っていた東国が初めて統一され、平和が招来したのだ。

 しかし、二人の睦言も、将門の治世も長くは続かなかった。配下の裏切りや増派された朝廷軍の急襲によって、将門は呆気なく敗退してしまったのである。
 
 将門の捕縛と同じくイワキも捕らえられて、都に移送された。
捕縛直後から過酷な尋問の果てに、男達が飽きるまでイワキを凌辱した。終にはイワキの女陰は破れた。
息つぐだけの廃人となった女は、八頭の牛に荒縄で四肢を結ばれ、文字に違わず八つ裂きにされた。

 女が肉片に粉砕されたその瞬間に、イワキの憤怒の怨念は、無惨に飛び散った肉体を離れ、激甚の大竜巻に変化して、轟轟と渦を巻き荒荒しく一気に吹き上がった。
未聞の巨大な風柱は、五里四方のことごとくを瞬間に飲み込み、非業の処刑役人や残忍な見物はもとより、万物が瞬く間に天空高く飛び散り、粉砕され尽くして塵芥に帰したのである。

 一方、斬首された将門は、首そのものが怨念の妖怪となり、再びの決起を期して関東に飛び帰ったが、肉片で飛び散ったイワキは祟りの執念の大霊玉となって、御所の天空高きに留まり、千年に渡って大和朝廷に災いを為してきたのである。

 光の女の声が止んだ。草彦には、一夜の全てを使い切った如くの壮大壮絶な物語だったが、夜は津々と更けていて、明ける様相などは微塵もないのである。
すると、草彦の心底を見透かしたように、光の声は、「将門、イワキの世から時は移ろえども、この世の暗黒の根源は、暗愚な御門の治世ではないのか?」と、囁くのである。

「イワキも将門も、御門の圧政で殺されたのだ。その政治などは、何の事はない。東国や北の国を我が物に侵略して、金銀財宝を独り占めにしたいという、我執ばかりの所業だったのだ」「今日只今の、半島の侵略や、大陸に傀儡国建設の謀略などは、勝るとも劣らない愚策ではないのか?」「将門の正統の末裔として、お前は?草彦よ?政商の末席を汚して、如何にも今日の大義だなどと。小商人に成り果てて。易々と御門の大罪を見逃して、祖霊に恥じる畏怖はないのか?」

 草彦は思わず知らずに呟いた。「私如きに何をしろと?」「御門制を崩壊させるのだ」「そんな不遜が?」「将門は新皇を名乗った。お前はその直系なのだから新皇なのだ」「草彦よ。怖れる事はない。将門の配下、家来衆の子孫が、棟梁のお前を磐石に支えるであろう」「草彦よ。この闇をこじ開けるのは革命なのだ」「革命?」「如何にも。人民を信じよ。戦争に反対する志は人民の草の中にこそ潜んでいるのだ。その人民にこそ依拠するのだ」「そして、草彦よ。何よりも、この霊魂の言葉を信じるのだ。私こそがお前の守護霊なのである」

 
4️⃣ 金聖御門(1)

 今上帝が突然に怪死した。混迷のあげくに、ある皇子が後継となった。近親交配の成れの果ての様に愚鈍なこのオオキミ、後に金聖御門と呼ばれる帝は三〇になるが、病弱で、未だに、世継ぎを持たない。そして、政務にも全く関心がないし能力も皆無なのである。
だから、宮廷ではこの男の存在に触れることすら、禁忌の有り様だった。政務を取り仕切ったのは、関白の七条倫保ミチヤスである。

 何故、このような男が帝位に就けたのか。
継承者は十指を数えたが、将門の乱の直後に、頓死したり狂人に変じる皇太子。地震で圧死する者。雷、火事で焼け死に、女を争って無意味に切り殺されたりして、悉く消滅してしまったのである。ただ一人、形ばかり残ったのが金聖だったのだ。
 他のキミ家から出す動きもあったが、将門の乱の対応を巡って、都の権力構造は四分五裂の状況だったから、当面の糊塗策として、金聖を選択するしか方途がなかったのである。
 この男にとっては、無為の生き方しか出来なかったのが幸いだったのか、或いは、災いしたのか。
金聖自身も、降って湧いた如くの帝位などは、その死を迎えた時ですら判然とはしなかったであろう。

 将門の乱の直後から、風神も雷神も途絶した如きの干ばつが続いた。大地震も、しばしば起きて、風土病が蔓延していたから、都の民草は、「御門の世も、いよいよ、終わりよ」「これこそが将門、イワキの祟りの仕上げだ」「東国の荒くれ武者が攻め上ってくるそうな」などと、震え上がって、御門の権威は地に落ちて泥と化したのである。

 そればかりか、金聖の血脈は次々と絶えて、今は異母姉ただ一人しかいない。この姉は卍子という、三四歳の希代の淫乱皇女だ。
 卍子は幼少時には、異父兄や異母弟の皇族達と交接をして遊んだ。
若い頃から、散々の乱脈を重ねた果てに、その夫となる新興豪族との縁組みは形ばかりで、財貨を目当ての政略婚姻だった。
 卍子は生粋のクダラ人の母の血を引く、豊満にして頑健な女で、三男ニ女の子を持ったが、それぞれが誰の精種か、真相は女すらも知らない有り様であった。

 卍子に付き従う参謀の征原草理ユキハラクサミチは三ニ歳の威丈夫だ。草理は、かつてのオオキミ家の分家で、今では衰退した家系だが、朝廷屈指の切れ者といわれる策士である。卍子とは幼なじみで、もちろん卍子の性行も身体の隅々も、性戯も膣の深奥をすら知り尽くしている。

 
5️⃣ 謀略
 
 盛夏のその日の暁闇ギョウアンに、即位して三月にも満たない金聖が急逝した。だが、それを聞いた倫保は微塵も慌てる風がない。倫保は、既に、ある計画を固めており、いよいよ決行の時が来たのだと、決意した。

 関白、七条倫保)は四八歳。将門鎮圧では華々しい功績をあげた強者で、近年、とみに勢力を増した七条家の頭領だ。野心家で卍子とも肉体関係がある。
 倫保の野望とは、愛人の紫野との間に生まれた自分の子供を御門にでっち上げる策謀だ。成就するまでは、金聖の死は隠蔽しなければならないが、全てが周到に準備されていた。
 では、果たして、金聖の死因は何だったのか。仮に、倫保による謀殺だったとしても、何ら不思議ではないのである。

 紫野ムラサキノはニ五歳。金聖の外妾の一人である。と、言っても、金聖が倫保の屋敷でしたたかに酔った一夜だけ、倫保に手配されて交合したと言われているだけの女だ。外妾は御所には入れない決まりだ。一歳の男児、田丸の母である。
 倫保は、その田丸の子種は金聖だと主張しているのであった。
紫野は一ニ歳の時に渡来した生粋のクダラ人である。そんな女が御門の妾にして関白倫保の愛人なのだ。
紫野は草理とも性交している。いったい、最高実権者の関白が推す、次期御門の田丸の真の子種は誰なのか。

 田丸は御所警護の一八歳の若侍、源一乗の子だと紫野は信じている。理由は、紫野との性器の相性が最も良いという、紫野の他愛もない都合だけに過ぎず、何の根拠もないのだ。この男はシラギ人である。

 倫保が、未だ自堕落に床の中にいた紫野の馴染んだ裸体を抱きながら、金聖の死を明かして、ある指令をした。紫野は倫保に股がり、豊満な尻を半島風に貪婪に揺すって、狂乱しながら承知した。
 「あの男が本当に死んだの?」「仮にも御門だ。戯れ言で言えることではない」「あの毒?」と、その口を倫保の隆起が塞いだ。「滅多なことを口走るものではない」
「金聖が死んで、悔いが残るのか?」「意地悪ね?」「例え一夜とはいえ。子まで宿した間柄だからな?」「いい加減にしてちょうだい。こんなに蒸す朝なんだもの、媚薬にもならないわ」「だったら、あの田丸は誰の子なんだ?」陰嚢を握った女が、「これ以外の誰だというの?」「俺ばかりで満足できる身体ではないだろ?」「誰がこんな風にしてしまったの?」「お前はクダラの鬼女族だ。生来が特異な性器なんだ」「あなたこそ、今ではワ人の棟梁の素振りだけど、二代前はシラギの渡来、しかも、キトウ族なんだもの…」「これを武器にワ人の女達を散々に籠絡したんだわ。その女達と陰謀を企てて、政敵を亡きものにしてきたんだわ。今の地位もこれのお陰なんでしょ?」「そんな事より、警護の源一乗は?」「…誰?」「お前の愛人だろ?」「…調べたの?」「この国に俺の知らないことはないんだ。だが、心がけ次第では見逃してやってもいい」「だったら?私にどうしろというの?」「金聖が生きてる風を装うんだ」「簡単だろ?」「言っている意味がわからないわ?」「お前が同衾するんだよ」 「…だって、あの御門は死んだんでしょ?」「その金聖と、これからも、昼も夜も子作りに励むんだ
」「お前は鬼道を使って男達を籠絡してきたんだ。それくらいの手妻が出来なくて、この国は支配できまい?」「御門が生きてる風を装うのね?」「未だ暫く猶予がいる」「御所中を騙すんだもの。並大抵の苦心じゃないわよ?」「田丸が即位すれば、お前は御門の生母なんだ。栄耀栄華、思いのままだ」「…わかったわ」

 
6️⃣ 陰謀
 
 昼頃に御所の異変を察知した草理は、未だ、自堕落に床にいた卍子に急報した。
 二人は抱擁しながら謀議する。二人は、田丸と紫野の殺害を画策し、卍子、もしくは卍子の子の誰かを御門に擁立して、草理が関白となり、天下を簒奪する計画なのだ。
 刺客は草理の配下で、東国武蔵の下級豪族の息子、平将喝タイラノマサカツ一派だ。この男は短慮なのに権力欲が強い。色情旺盛で、卍子に横恋慕しているのが好都合だった。
 当然、倫保は抵抗するだろうから、これも伐つ。草理は、将門の配下で極刑を免れた東国の一大勢力と、密かに通じていた。将門の野望は潰えたが、その隠然たる継承者達は健在だったのである。

 「御門が死んだのは本当なの?」「間違いない」「誰から聞いたの?」「桔梗式部キキョウノシキブだ」女の眉間に縦しわが走った。「どうした?」「あれは尻軽の嘘つき女だわ」「情報通だ」「あんな女が?」「遺体は?遺体は、今、どこにあるの?」「それが、ないんだ。関白と一緒に出掛けたと言う者もいる」「桔梗は何を見たの?」「倫保がわざと、偽の話を吹き込んだのかも知れないな。倫保が何かを企んでいるんだ」「…わかったわ。直接、確かめるわ」「誰に?」「関白によ」「かつて知ったる、と、いう訳か?」「嫉妬するの?こんな一大事に…」
 
 草理の隆起に貫かれ、未だ火照りの収まらない身体で、卍子は、慌ただしく呼び寄せた将喝に謁見した。忽ちの内に、二人は交接する。

 将喝の狂喜に輝く目を見つめながら、卍子は隆起を丹念に淫らにしゃぶる。陰謀の成否はこの男の戦果に掛かっているのだ。
 その時、卍子と将喝の激しい、真夏の昼下がりの同衾の、背徳の欲望ににまみれた結合の最中に、屋敷が烈しく揺れた。

 紫野はまだ倫保の大量の精液が残る体内に、一乗の若い隆起を納めて、世にも稀な特殊な構造で締め上げている。
 射精した後の一乗には、卍子の子をことごとく謀殺する任務が与えられる手筈だ。
 我が子を御門に据えるために殺人鬼になった前例などは、このヤマトの地には山ほどあるのである。
 紫野はこの日、幾度目かの、自分でも不可解なほどの法悦を迎えた、その情交の最中に、昼下がりの淫臭がたちこもる紫野の閨が、結合して重なった二人の裸体が浮くほどに、激烈に突き上げられたのである。

 
7️⃣ 敗戦
   
 その時、大地が、一尺も突き上がった。未曾有の大地震がヤマトの都を襲ったのだ。すると、僅かニ〇回ほどの息吸いの間に、人民の収奪でしか、とりわけ、東国の最奥の地の、黄金の略奪無くしては決して成り立たない、放埒と傲りの家並みは、瞬く間に崩壊したのである。

 これこそが、あのイワキの満腔の怒りの現れであったのか。しかし、地震は自然現象であり、当然だが、渡来の陰陽師などには対抗出来よう筈もない。最新の科学ともてはやされ始めた、やはり渡来の密教ですら不可能だ。

 ただ、伝え聞いた東国の、とりわけ、磐城の人民が、将門とイワキの祟りだと、大いに流布させたのである。
 彼らにとっては、怨念、無念の幾許かを晴らし、あわよくば、将門の決起の再来ともなるべき、好機だったからだ。将門の宿願は潰えたとはいえ、東国、とりわけ、深奥の纏らわぬクニ、ヤマトのオオキミを奉らぬクニ、反逆するイミシ、即ち、誇りあるカムイは、ヤマトに鋭く対立する、永遠の異国として、現存し続けるのである。

 そして、舞い上がったおびただしい粉塵が、ヤマトの天空を覆った。盛夏の真昼の闇だ。渡来豪族の合議体であるヤマト政権は、いとも容易く瓦解したのだ。

 その後のニ年に及ぶ顛末は、未だ、誰も知らないのである。ただ、後代に金聖の御代と、一行、加筆されたばかりなのだ。もちろん、存在する筈もない将門やイワキの怨霊などが知る由もない。
 だが、将門の遺志を継ぐ者がある限り、ヤマト朝廷や御門誅罰の闘いは続くのである。その視点でだけ、イワキも将門も歴然と現存しているのではないか。

 イワキの祖霊だという女が言う。「現身を決して信じてはならない。飽くなき欲望の集合に真理は留まれない。だから、現世などは幻なのだ。欲望の幻想が描き出したに過ぎない。決然として、俗世の汚濁を離れよ。習俗の淫らな狂気にまみれてはならない。
そして、狂乱の極みこそが戦争ではないか。その首謀者が御門なのだ。この御門を誅伐するのが、将門の血族の定めなのだ」「愚者の、この戦争は必ず負ける。理性を覚醒させ自律させるのだ。御門誅伐の理と兵をこそ整えよ。兵とは北の国に潜む人民である。そして、御門なき後の世をこそ生きるのだ。それは将門やイワキが望んだ、東国民族の共同体だ。平和と和親と、何よりも、平等の治世だ。そうした将門の恩讐の夢を、現実のものにするのだ」

 イワキの玉の言葉と説諭の渦に、草彦の生臭い存在は、白浜の砂のごとくに、ことごとく洗われた。そして、終には、将門とイワキがそうした様に、新月の幽玄の暁闇に包まれて、草彦はイワキの霊魂と渾沌と交わった。
こうして、草彦の血の一切が系譜の歴程に染まり、草彦は将門の遺恨の継承者そのものに化身したのである。
 
 全てを捨てた草彦は、北関東の山懐に隠棲した。そして、将門の史実や歴程は無論、戦時下の状況全般を検証して、万物の原理を哲学した。だが、隠れ住んだ寒村も、あの戦時下では、その事そのものが極めて危険な業であった。
 村長はこの地方の顔役で、翼賛運動の幹部だったから、間もなく、草彦の身辺がきな臭くなる。その時に、知恵を絞ったのが、あの夏と養母だった。
そして敗戦を迎えた。

 一九四五年八月ニ一日。その日も、北関東の森深くの朝ぼらけ、寂寞と佇む精神病棟を包む深い霧が、秘やかに晴れようとしている。
 あの男、草彦がいつもの様に坦坦と目覚めた。そして、草彦を訪ねる者がある。

 
8️⃣ 筑波
 
 草彦を訪ねたのは、草彦の養母の委託を受けた初老の弁護士だ。草彦を精神病院に避難させていた養母が死去して、いくばくかの遺産が遺されたのである。草彦はその日に退所した。

 『将門顕彰会』という組織がある。隠し名を『東門会』、或いはM会と言った。
 あの将門の決起に敗れはしたが、遁走して生き延びた将門の遺族と、最後まで将門に従った家臣団の子孫が、極秘理に行った将門の葬儀の場で結成して、御門朝廷打倒の再起を血盟したのである。
 首領は将門の遺児、三歳の吾妻であった。飛流の首の伝説を作り流布したのは彼らである。爾来、血の結束を強めて、千年を継続してきた。

 メイジの維新以降、その存在を察知した政府は、御門親政に抗う勢力と見て敵視し、イワクラが直轄する秘密治安組織の監視下に置いた。しかし、地下に潜伏した組織の実態は、皆目、補足できなかった。
 戦中は非国民扱いされ、特務も血眼で探索したが、一向に成果はなかったのである。

 一九一八年の盛夏。草彦の母、首府の女子大に通うニ一歳の筑波は、ある男と恋に落ちた。近衛士官でイワクラ臣三郎という中佐だ。
 臣三郎は幻の反乱と言われる、青年将校決起の首謀者であった。臣三郎の実家はイワクラ家の親族で、三男だ。
 決起は未然に発覚して
、臣三郎は自決した。懐妊していた筑波の身元を知ったイワクラ家は、女を極秘に幽閉した。

 難産で筑波は死に、生まれたばかりの草彦は、北の国の出の下女の知恵で、救護施設の玄関に慌ただしく捨て子にされたのだ。身の危険を察した下女は、そのまま出奔した。
 筑波は平将門の直系の、平沢家の長女である。二人兄妹の長兄が病死し、顕彰会が筑波の行方を探索したが、突然に足取りが途絶えて、難航したのである。

 精神病院を退所した草彦は、養母の遺産を頼りに、変わらずに執筆活動を続けていたが、半年後に、訪ねる者があった。漸く、草彦の存在を突き止めた『将門顕彰会』の役員である。
 会長就任を要請された草彦は承諾した。役員の数人が、『カムイ研究会』の幹部だった。その一人があの映画館主である。だから、顕彰会は、『地下文学』とも関わりがあった。あの『無頼達の儚』の著作を草彦に進めたのは、映画館主である。

 草彦達は、御門制廃止運動を革新政党とも連動して組織したが、遅々として広がらずに、鬱鬱と草彦の戦後は過ぎた。
 四七年の「大喪決起」は草彦が、乾坤一擲、企図したものだが、大衆の蜂起にはならず、不発に終わった。そして、草彦は探索を逃れるために、北の山脈の奥深くに潜伏したのである。

 一九五〇年の盛夏の首府。あの忌まわしい追憶の日であった。
 三一歳の草彦は、あるバーで、妙と名乗るママの、豊潤な女と出会い、情交に及んだ。
 その女こそ、妙タエ、ニ六歳。あの紀世の情婦なのだった。女はしたたかに酔い、初めての客の草彦に淫らに身体を崩したのだ。いつもがこうした性なのか、女の深い酔いにも、草彦はさしたる思慮をせず、ただ、同心出来るのは、訳もない憤激や同居する哀切と、闇の酔いに触発された情念だけだったのである。
 

9️⃣ トニー

 あの惨めな敗戦の数年後の、××年の盛夏。国民鉄道(国鉄)の大争議、それを弾圧するF県の鉄道転覆、松山冤罪事件。全国労働組織のゼネスト中止、追い討ちをかけたレッドパージによる社会主義活動家の追放など、労働界や政界は言うに及ばす、世上に激震が走った翌年である。
 この国の闇の世界で、暗闘の一大決戦、将門会と廣川副総統の激突が迫っていた。

 駐留軍の諜報軍属、日系三世のトニーが、廣川の秘書、相馬の元に、『将門会』の調査情報を届けた。将門会の草彦が、『××蜂起』を準備していると、いうのである。
 舞台は、F県の県庁所在地のF市の、由緒ある割烹料亭だ。ここにトニーが気に入っている、世子という若い中居がいた。
 賢明な読者諸兄は、既に、『原発の儚』は拝読頂いたと思う。史上初めての、熾烈な町長選を展開した、北の国初めての原発立地、F町の物語だ。ここに、三選を狙う現職町長の後妻の、世子という女が僅かばかり登場したが、その女の××年前の姿だ。即ち、この『将門の儚』は、あの『原発の儚』に××年先立つ綺談なのである。とかく、綺談の如きは時空を超越して、著者の勝手な思惑で展開するのが定石なのだから、了解願いたい。ましてや、『儚』の連作の著者は覆面であり、しかも、複数の作家によって編まれているのではないか、という解析もあり、本編と『原発の儚』の書き手が、同一人物などという確証は、微塵もないのである。

 トニーは三〇代半ばの、先勝国語が流暢で、この国の言語は呑気な抑揚でしか話せない、いわゆる日系人だが、容貌は紛うことなく列島人である。
それもその筈で、歴代の先祖代々、祖父母も二親ともアイズの人なのである。かのトクガワチョウシュウ戦争に敗れて、渡海し、遥かな大陸の移民となったのだ。だから、この係累は、かの地でも、アイズの血に拘ってきたのだ。
その国が、今や戦勝国で、トニーは駐留軍の軍属として、かつての故郷に錦を飾ったのである。その任務は諜報であるから、全てが極秘の事項に該当する。
 トニーは中背の、どちらかと言えば醜男だ。濃い色のついた眼鏡をかけているから、表情が読み取りにくい。だが、何故だか、人を引き付ける妙な不思議を漂わせている。 


1️⃣0️⃣ トニー(2)

 そのトニーと相馬の間を細々とやり取りして、中居の世子が世話を焼いている。
 「トニー?アイズの酒は如何?」「世子さん。あなたの心遣いは絶賛だ。私の故郷の酒。世界一。そうだろ?相馬?」「酒が旨いのは、世子と会うのが久し振りだからだろ?」と、軽口を叩いて、「草彦はあんな失態を打っても、懲りていないのか?」と、質した。「あればかりの挫折で、駄目になる玉じゃないよ。草彦は将門の怨念の生まれ代わりなんだ。この国はあいつらに呪われているばかり、なんだぜ。だから、戦争にも勝てなかったろ?御門は、俺達じゃない。将門の呪いに負けたんだよ」頓馬な抑揚と言葉使いでトニーが言う。
 二人は駐留軍の高級ウィスキーを持ち込んで飲み交わして、トニーは絶品の葉巻を燻らしている。

「あの石川を呼び寄せよう。あいつがサルベージした女も一緒だ。名前は?」「確か、赤芽子だった」「そいつを、何とかして、草彦に潜り込ませるんだ」「厄介だな。金がかかるぞ?」「ミスター相馬?君は何かというとマネーだ。それは駄目。我が国は、いつまでも、人のいい打出の小槌じゃないぞ」この男は、都合よく国籍を往来するのである。

「廣川や小玉はマネーの亡者じゃないのか?」相馬が苦笑した。違いないのである。とりわけ、小玉などは、あの戦時下の大陸での、国家ぐるみの諜報の成果を、駐留軍に売り渡して、莫大な資金を手に入れたあげくに、免罪されていたのである。その他にも、膨大な貴金属を隠匿しているという風聞が尽きなかった。ある世界では、それが「K資金」と呼ばれて、詐欺の材料にされていたのだ。
廣川は、小玉から提供されたその金を政治活動の源泉として、一躍、のしあがったのだ。

 「相馬?」と、トニーは声を潜めて、「そろそろ、俺達の時代じゃないのか?戦争の亡霊の、あんな老醜な奴らを、いつまで、のさばらせておくんだ?」曖昧に相槌を打つ相馬に、「君は、未だ、解っていない。この国には革命が要るんだ」相馬の表情が変わった。「忘れたか?」「メイジ異変の、チョウシュウ体制は終わったんだよ。違うのか?」

(続く)

将門の儚1️⃣~1️⃣0️⃣

将門の儚1️⃣~1️⃣0️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted