夏に溺れる

糸遊 文

  1. 憂鬱な帰省
  2. 精霊馬と盆灯籠と
  3. お墓参り
  4. 仲良し四人組
  5. 有り触れた日常
  6. 壊された日常
  7. 流れ灯の行方
  8. 夏に溺れる

ふりーむにて公開中のノベルゲーム『夏に溺れる』の小説版。
≪原作☞≫ https://www.freem.ne.jp/win/game/18140

憂鬱な帰省

 二〇一八年八月一三日。僕は初めて一人でおばあちゃん家に行く。お父さんとお母さんと何度か行ったお父さんの故郷、広島。海と山があって良い所だろう、そう自慢げにお父さんは言うけれど。正直、僕は友達も居ない所なんて、退屈で退屈で詰まらなそうなイメージしか無いのだった。

 お母さんが用意してくれたチケットをポケットに不安と一緒にねじ込んだ。夏休みのせいなのか、新幹線の混雑した車内は賑やかな話し声で満たされている。高速で過ぎ去って行く車窓をぼぉっと眺めていたら、ポコンっと気の抜けた音が響く。だれからだろうか、僕は窓の縁に頬杖をつくのをやめ、ポケットからスマートフォンを取り出す。画面にはお父さんからのLINEのメッセージの通知が表示されていた。
「そろそろ、ひろしまえきについたか?いっしょにいけなくて、ごめんな」
 お父さん愛用のゆるキャラスタンプが、お父さんの代わりに謝っている。僕は呆れながら、そっと小さな溜息を吐く。お父さんは、いつも僕を小さい子のように扱う。
「まだついてない、もうすぐ。一人でもだいじょうぶだから」
「そうか。おばあちゃんのいえについたら、ラインいれてくれ。一七日にむかえにいくよ」
 今度は大きな溜息を吐き、スマホをポケットに入れる。もうすぐ、僕はお兄ちゃんになる。一人でおばあちゃん家に行けるし、淋しくなんかない……はず。そう自分を励まして、心寂しさを吹き飛ばそうとした時、少し物寂しいチャイムと共にアナウンスが流れ始めた。

【間もなく広島です。山陽線・呉線・可部(かべ)線・芸備(げいび)線はお乗り換えです。今日も新幹線をご利用下さいまして有り難うございます。広島を出ますと、次は小倉に停まります】

 どうやら、もうすぐ目的の駅に着くらしい。そわそわと逸る気持ちを抑えながら、そばに置いて居たボストンバッグを手に取る。他の乗客に倣って足早に下車し、そのまま広島駅のホームに降り立つ。ホームの屋根の隙間から朝陽が差し込み、蛍光灯とは違った輝きが眩しくて僕は目を顰める。熱せられた空気が足元から、むわっと立ち上る。
「あっつー……」
 東京よりも涼しいと思っていたけれど、そうでもなそうだ。ぱたぱたと首襟を浮かせて、籠もった熱を外に逃がす。肩に引っかけていたボストンバックを持ち直し、在来線の電車に乗り継ぐ為に場所を移動する。乗り継ぎ場所は頭の中に叩き込んである。迷い無く進む小さな僕の足。
 在来線のホームは、新幹線のホームと比べて閑散としている。電車が来るのを待つ間に喉の渇きを潤す為の飲み物を求め、周りをキョロキョロと見回す。ホームの端に設置された寂れた自販機を発見し、足早に近付く。
「今日はサイダーな気分~」
 ちゃりんと硬貨を入れて、冷えたサイダーを手に入れた。早速、プルタブを開けて勢いよく喉へ流し込んでゆく。シュワシュワと喉を通り過ぎてゆく炭酸が心地よい。緊張と不安とで、がちがちに強張った僕の表情も少し解れた気がした。一息ついていたら、軽快なメロディと共に二車両編成の電車が滑り込む様に入ってきた。どうぞ、と言わんばかりに開いたドアから冷ややかな風が僕を迎え入れる。足を踏み入れると、がらんどうな車内に吃驚した。何処に座ったら見当も付かない。キョロキョロと辺りを見まわして、座ったことのないボックス席に恐る恐る腰を下ろした。窓際に先程買ったサイダ ー缶を置き、ホッと溜息を零す。電車が緩やかに動き出し、がたんっごとんっと揺れる振動が耳と体を包み込んで心地よい。

【今日もJR西日本をご利用下さいまして、有り難うございます。この電車は、呉線・糸咲(いとさき)行きです。次は天神川(てんじんがわ)です】

 窓の縁に肘を置いて頬杖つきながら、緩やかに流れてゆく景色を見送ってゆく。街中から海岸線沿いへ。ゆっくりと線路の上を駆ける電車。軒を連ねる家々が過ぎ去り、ぱっと開けた視界には蒼。窓の枠に填め込まれた様な入道雲、空を戯れる白い鳥が彩っている。僕は初めて見る海の蒼さと広さに驚愕した。
「ぅわぁぁぁっ」
 思わず、大きな歓声が漏れる。窓を開けてると強く吹き込む風と潮の香り、風に撫でられボサボサになる髪の毛にも気を止めずにその美しさに魅入る。時折、トンネルが視界を阻むのが残念に思う。もっと見ていたかった。徐々に家々が軒を連ねる風景が見え始める。もう、この風景ともお別れだ。

【ご乗車有り難うございます。お足元にご注意下さい。次は終点、糸咲です】

 アナウンスと共に電車が、更にゆっくりと駅へ滑り込み、停車する。新幹線に乗っていた時とは違って、あっという間の旅。僕はもっと乗ってあの風景を見ていたいと、名残惜しむように下車する。また、電車は引き戻る様に駅をガタンゴトンと出て行く。窓枠には忘れてしまっていたソーダ缶が、ぽつねんと置かれていた。僕の代わりにもう一度、旅をしてゆくのだろう。彼等を見送って、改札口へとゆっくりと歩を進める。
「よいっしょっと……」
 ボストンバックを再び抱え直して、改札口から駅前のバス停へ足早に移動する。昼間の陽差しが強く、ボストンバックから帽子を取り出し被る。ついでに取り出したハンカチで流れ落ちそうにな汗を拭って、ポケットからスマホを取り出し時刻を確認する。未だお昼前。照りつける日差しがちりちりと肌を焼く。改札口直ぐのバス停に近付いて、時刻表を確認する。
「……はぁっ??」
 運行しているバスの本数の少なさに驚愕と絶望を覚えた。田舎だからって、こんなに少ないとは想わなかった。一、二時間に一本だなんて、嘘でしょ……。そんな僕を見知らぬフリして、颯爽と現れた巡回バスに難しい顔をしながら乗り込む。車内は適度に冷房が効いていて、内包された熱が少しずつ冷やされていった。軒を連ねる建物を縫うように走るバスから見える景色は、町並みと海の碧が徐々に山の緑へと移り変わってゆく。舗道の悪い道を走っているというのに心地良い振動。うつら、うつらと僕は微睡み、こてりと頭と頬を預けた窓硝子はひんやりしていて心地良い。此れは悪くないなぁと。

【次は神夕髙原町(じんせきこうげんちょう)~神夕髙原町~】

 聞きお覚えのある単語に飛び起き、慌てて降車ボタンを押す。微睡みの余韻さえも吹き飛んでいってしまった。もうすぐ、おばあちゃん家だ。

【次、停まります】

 ちゃんと、停車してくれること胸を撫で下ろし、窓の外を見やる。山や木々の緑に抱かれる様に、埋もれ隠される様に静かに家々が佇んでいる。僕がが住んでいる街並みとは違う風景に目を奪われる。まるで、正反対だ。僕の住んでいる街はもっと賑やかで、華やかだ。表情は以前、硬いままで。見慣れぬ土地に不安を抱いたからか、ぎゅっと服の裾を握り締める。
「ほんとに何もない……」
 お父さんから聞いてはいたが、本当にこれ程とは……と落胆を隠しきれない。溜息を幾度となく吐きながら窓の外を眺めていると、バス停には見覚えの有る人影が見えた。日傘を差したおばあちゃんが僕を見つけ、嬉しそうに小さく手を振ってくれる。僕はボストンバッグを引っ掴んで転げ落ちる様にバスから降り、おばあちゃんの元へと駆け寄る。
「遠い所からよぉ来たねぇ。大変じゃったろぉ」
 にこやかに微笑みながら、僕の頭を撫でる。僕は気恥ずかしそうに、擽ったそうにおばあちゃんの温かな掌を受け容れる。
「おばあちゃん、大げさ。僕、もう小学生になったんだよ?」
「ほうじゃった、ほうじゃった。ちぃと見んうちに大きゅうなったんじゃなぁ」
 肩を並べて此れまでの僕の旅路をおばあちゃんに話しながら、おばあちゃんの家へとゆっくりと向かう。
「ほぉいえば、お父さんには連絡したん?」
 おばあちゃんの問いかけにハッと思い出して、ポケットからスマホを取り出してLINEでお父さんへメッセージを送る。
「ぶじ、おばあちゃんをみつけた。こっちのことは、しんぱいしないで」
「ぶじについたみたいで、よかった!父さんも母さんをびょういんにつれてったところだ。しぜんがいっぱいでいいところだろ~たのしんで!」
 親指を上にぐっと立てた、変なゆるキャラスタンプがお父さんから送られてきた。
「しぜんがいっぱいって、ただのいなかじゃ……」
 ピタリと指が止まり、書きかけていた文章を消して、
「まぁね、これでも10センチも身長が伸びたんだ」
 スマホからおばあちゃんへと視線を向け、自慢げに言う。僕はお父さんのセンスを若干疑いながら、スマホをポケットへと戻す。
「ほうかぁ、あっという間におばあちゃんの背も超してしまうじゃろうなぁ」
 おばあちゃんは僕の方を目を細めながら、眩しそうに愛しそうに見詰めていた。

精霊馬と盆灯籠と

 蝉が今を謳歌するように、声高らかに歌う。熱せられた路を僕とおばあちゃん、蝉の賛美歌と背中押す風とを惜しむように歩く。漸く、おばあちゃんの家が見えてた。おばあちゃんは慣れた手付きで玄関の引き戸を引く。玄関の中は少し、ひんやりしていた。おばあちゃんは下駄を脱ぎ、下駄箱へと下駄を入れる。僕は廊下に腰を下ろし、スニーカーと悪戦苦闘しながら脱ぐ。
「よぉやっと着いたなぁ。しぃ君、手ぇ洗っといで。西瓜用意しちゃるけん」
「ほんとっ?!やったぁーっ」
 ぽいっと靴を投げてバタバタと廊下を駆けてゆく僕を、くすくすと笑うおばあちゃんの柔らかな声が背中の方からした。西瓜のことばかりを考えていた事に恥ずかしくなって、頬が少し火照った。誰にも見られては居ないけれど、なんとなく頬に手を当てて隠す。
「おばあちゃぁん、手を洗う所どこー?」
 僕の声が静かな廊下に響く。
「そこを右に曲がったら洗面所があるけん、そこで手ぇ洗いー」
 おばあちゃんの言う通りに右を見やると、洗面所があった。蛇口を捻ると、冷たい水が手を包み込んだ。ずっと水と戯れていたいけれど、西瓜も食べたい。うがいもしっかりして、足早に居間へと向かった。急いで居間に行くと、未だちゃぶ台には西瓜の姿は無かった。おばあちゃんの家には、目新しいものが沢山あった。棚に置かれた、胡瓜と茄子の「何か」と涼しげな音色を奏でる風鈴、縁側に置かれた豚の蚊取り線香。キョロキョロ見渡した後、涼しげな風を送る扇風機の前に陣取る。顔面に沢山の風を浴びて、再び僕の髪の毛は踊り狂う。そんな事をしていたら、おばあちゃんが食べやすい大きさにカットした西瓜たちをちゃぶ台の上にことり、と置いてくれたのを目の端で捉えた。西瓜に惹かれて、扇風機の前からちゃぶ台へ近付く。
「ほれ、ひやい内にたぁんとお食べ」
 おばあちゃんは微笑みながら、一つ西瓜を取って僕に渡してくれた。瑞々しく、宝石のように輝く赤い果実に齧り付く。
「冷たっ」
 予想以上に冷たい食感に目を白黒させる僕を見て、面白そうに笑うおばあちゃん。少し頬が熱くなったけれど、冷えた西瓜が直ぐに癒やしてくれた。西瓜の美味しさに囚われてしまった僕の傍らで、おばあちゃんは眼鏡を掛けて何やら作業をし始めた。煌びやかな飾りだろうか、僕は西瓜を食べながらおばあちゃんがしている事に興味を惹かれ、訊ねてみた。
「ねぇ、これなあに?」
 西瓜を持っていない方で、おばあちゃんの手元を指差す。おばあちゃんは手元と僕を交互に見ながら、優しく教えてくれた。
「こりゃあ盆灯籠ってゆうてな、お墓の前に突き刺して飾るんよ」
 おばあちゃんは盆灯籠の飾りを付け終え、出来映えを確認する。
「へぇ~綺麗だね、それ」
 初めて見るそれはとても綺麗に映って、キラキラとした瞳で盆灯籠を見詰める。
「そりゃそうじゃろ。なんせ、おばあちゃんが丹精込めてこさえたけんねぇ」
 おばあちゃんは、とても愛おしいそうに飾り部分を撫でる。盆灯籠は嬉しそうに、かさりと飾りの部分が震えた気がした。
「ねぇねぇ、これからお墓参りするんでしょ?それ、僕が持ってもいい?」
 西瓜を片手におばあちゃんの方へ身を乗り出す。既に、僕の興味は西瓜よりも盆灯籠に移ってしまった。そんな僕を見て、嬉しそうに微笑むおばあちゃん。
「勿論ええよ、ありがとうねぇ。じゃぁ、それ食べたら行こうかねぇ」
 おばあちゃんのお許しが出て、僕の気分は最高潮だ。手に持ったままの少し温くなった西瓜を平らげ、最後の一切れに腕を伸ばす。
「うんっ!」
 早く持って見たくて、うずうずしながら最後の一切れを勢い良く食べ始める。おばあちゃんはまた、くすくすと笑いながら僕の口元を手ぬぐいで拭ってゆく。
「あ、ねえねえ。あれ、なぁに?」
 西瓜と盆灯籠で忘れかけていた、棚の上の胡瓜と茄子について指差して訊く。おばあちゃんは指差した方へ視線を向け、ああ、と呟いてから僕の方を見た。
「ありぁ、精霊馬ってゆうてね。胡瓜のお馬さんと茄子の牛さんでな、ご先祖様の乗り物なんよ」
「乗り物?」
 西瓜を食べ終え、棚へ近付く。ちょんちょんと、胡瓜の馬を指で突く。
「ほぉなんよ、お馬さんに乗って早う帰って来てもらって、ちいとでも長く過ごしてもろぉて。牛さんでゆっくり帰ってもらう。そう言う意味があるんよ」
「ふぅん?これにおじいちゃんも乗ってくる?」
「ほぉじゃ」
「そっかぁ。じゃぁ、おばあちゃんも淋しくないね」
 ぱっとおばあちゃんの方を振り向けば、おばあちゃんは少し泣きそうな眼をして微笑んでいた。どうしたの、と言葉が零れ落ちたが、おばあちゃんの声で掻き消された。
「ほんじゃぁ、暑くならん内にお墓参りに行こうかぁ」
 先に靴履いて待っといてと言われたので、玄関先で靴を履いて足をぷらぷらさせながらおばあちゃんを待つ。ちらり、と玄関先を通り過ぎて行った小さな影が見えた気がした。気のせいかなぁと首を傾げていたら、シキビと巾着を持ったおばあちゃんがゆっくりした足取りでやって来る。
「おばあちゃん、早くーっ」
「ほんじゃぁ、行こうかぁ」
 ぽすん、僕の頭に麦わら帽が落ちてきた。
「それ、被っとき」
 おばあちゃんは下駄を履きながら、僕に麦わら帽をくれた。風になんか飛ばされない様に、ぎゅっと深く被る。左手におばあちゃんが作った盆灯籠を握り締め、もう片方の手をおばあちゃんの手と繋ぐ。再び、ゆっくりとした足取りで僕等は、玄関を出た。

お墓参り

 少し日が傾き、僕等の影が夜を掴みたがる様に伸びる。遠くで、ヒグラシが最期の力を振り絞って夏を謳歌している。木々に囲まれた天然のトンネルを抜けると、そこは―――緑豊かな山に抱かれた墓地と色鮮やかな盆灯籠たちが出迎える。
「うぁぁ、何アレッ!?」
 盆灯籠を片手に持ち、空いているもう一方の手で僕は興奮気味にアレ等を指差す。おばあちゃんと繋いでいた手を離し、わっと駆け出す。
「そげぇに急ぎょうたら、転けるでぇ」
 はしゃぐ僕を優しく窘めるが、何処かしら懐かしんでいるようだった。
「わかってるよーっ」
 おばあちゃんの忠告は耳に届いてはいるが、頭には入ってこない。僕の眼も心も、全て、色取り取りに咲き乱れる盆灯籠たちに奪われる。こんな色鮮やかなお墓参りは、初めてだった。僕の興奮も収まり、神木家のお墓へ。先に着いていたおばあちゃんは、シキビを生けていた。僕は盆灯籠を持ったまま後ろに佇み、おばあちゃんがする事を見守った。ゆっくりと夜へと沈んでゆく今日、おばあちゃんの近くに西日が差し込み、傍にあった水桶の水面が輝く。
「おばあちゃん、これ、どこにさすの?」
 少し退屈になって盆灯籠の飾りを弄びながら、おばあちゃんに問う。
「ここに灯籠がよぉ見えるように挿してくれん?」
 おばあちゃんは墓の後ろ側をちょこんと、指差す。僕は大きく頷き、墓の後ろ側に回って盆灯籠を差し込む。足元にあった小さな草が脚を擽って、少し痒くなった。
「よしっ」
 上手く挿せたと自画自賛しながら、振り返る。汗でしっとりと濡れた前髪から、ぽたりと汗の粒が落ちた。
「よぉ出来た。ほんなら、手を合わせておじいちゃんに挨拶しょうか」
 おばあちゃんの隣へ戻り、綺麗に磨かれた墓前で手を合わせる。お線香の煙が僕等の合間を縫うように揺らぎ、消えてゆく。
「おじいちゃん、僕ね、小学生になったよ――」
 思紋の額から、つぅっと一筋汗が流れ落ちる。其れを拭うことも無く、おじいちゃんへ話しかけ続ける。僕の記憶でのおじいちゃんは優しげな面影で、おばあちゃん大好きだった。早くおばあちゃんの所に帰ってきてね、橙色に染まるお墓を見上げる。ちらりと隣を盗み見れば、おばあちゃんも小声で何やら話しかけているようだった。
「お墓参りも終わったし、帰ろうか」
 差し出されたおばあちゃんの手を握って、来た道を引き返してゆく。天然トンネルを抜ける前、なんとなく振り返る。少し肌寒い風が強く吹き込んた。夜へと傾いた太陽の光は弱く、橙色に影が落ちると少し物寂しく感じた。

仲良し四人組

 町に戻って来た頃には陽も殆ど沈み、足元を照らす街灯が少なく薄暗い通り。僕は独りぼっちになったような気がして、ぎゅっとおばあちゃんの手を強く握った。
「ん?どうしたん?」
 おばあちゃんは首を傾げ、優しく僕に問いかける。
「んーん、なにもない」
 おばあちゃんの瞳に映る僕の瞳は、不安げに揺らめいている。おばあちゃんが何か声を掛けようと、口を開く。でも其れは、遠くから段々と近付いてくる子供等の賑やかな声に寄って掻き消される。。
「こぉんばんわぁーっ!!」
 キャップ帽を被った活発そうな男の子が僕等の前に元気よく飛び出してきた。その後を追うようにポニーテールを振り乱しながら走ってきた女の子と女の子に手を引かれ、足をもつれさせながら小さな影が三つ。
「おばあちゃん、こんばんわ」
 頬を上気させて快活そうな女の子の後ろから、ひょこっと飛び出す二つの顔。
「……こんばんわ」
 服の裾をぎゅっと握ったまま、小さな声で。彼等の視線が、僕とおばあちゃんを交互に行き来する。四人に気を取られていたからか、僕の隣に男の子が立っている事に気が付かなかった。
「おばあちゃん、こんな暑いのにどこ行っとったん?」
 さらりと、色素の薄い髪が零れる様に落ちる。僕の横から伺う様におばあちゃんに声を掛ける、僕と同じくらいの背丈の男の子。
「こんばんわ、みんな元気ええねぇ。ちょぉっと、そこまで出てたんよ」
 おばあちゃんは微笑みながら、一人一人に挨拶をしてゆく。僕は目をパチクリとさせながら、見知らぬ子等を眺める事しか出来ないでいた。
「ああ、そうじゃった。この子が孫の思紋、みんな仲良うしてやってなぁ」
 そんな僕をお構いなしにそっと、おばあちゃんの背に隠れようとした僕の背中を押す。五人の小さな目が僕を一斉に見やる。鼓動が早く脈打ち、皆に聞こえてしまうのでは無いかと不安になった。
「しもん?名前、どー書くん?」
 キャップ帽の男の子はもじもじとする僕をじっと見詰める。はぁっと小さく息を吐いて、僕は諦めた様に答える。
「思う紋様って書いて、しもん」
 その場にしゃがみ、人差し指で地面に自身の名前を書く。五人も同じようにしゃがんだのか、ふと影が増えた。彼等は僕が書いた文字をしげしげと眺めている。キャップ帽の男の子は顔を上げ、僕の方を目を輝かせながらみてくる。
「変な名前ーっ」
 楽しそうに、きゃらきゃらと笑う。
「なぁっ!?」
 ムッと、つい、僕は顔を顰める。
「ちょっ、佑っ」
 僕の顔を見て、ポニーテールの女の子はキャップ帽の男の子を小突く。
「小突くことないじゃろぉ、真緒は乱暴者じゃぁ」
「なぁっ、佑が悪いんじゃけんねっ!人様の名前、わろうてからにっ」
「じゃって、へんてこやない?なぁ、芦谷、そう思わん?」
 ぎゃぁぎゃぁと言葉を荒げる真緒と、芦谷に同意を求める佑。
「そんな事無いじゃろ、ワシはぶちええ名前じゃと思うなぁ」
 向日葵が綻ぶように僕をを見ながら笑う芦谷。彼に褒められた事に僕は一瞬目を見開き、照れ臭そうに顔を逸らす。
「なあ、なあ……」
 真緒は佑に手招きをし、耳元で何か囁く。佑は「えっ」と声を漏らして一時考え込むが、楽しそうに目を輝かせる。
「なぁ、しもん!明日、ワシらと遊ばん?ええとこ、教えちゃるっ」
 僕が断ろうとしようとしたが、おばあちゃんの言葉に掻き消された。
「しぃ君、一緒に遊んできぃ。おばあちゃん、祭りのお手伝いしょーてな。明日、家におらんのんよ」
 しゃがんで僕と同じ目線になって、優しく語りかける。見知らぬ子と遊ぶのは……と不安だが、僕はおばあちゃんに何も言い返せず、こくんと頷く事しか出来なかった。おばあちゃんは嬉しそうに目を細めて、僕の頭を撫でてくれた。
「ぃやったぁーっ!明日、迎えに行くけん、ちゃんと起きとけよーっ」
 芦谷と佑は、大振りな仕草でガッツポーズを嬉しそうに決めた。そして、ぱたぱたと蜘蛛の子を散らす様に四人は去って行く。呆然と彼等を見送っていた僕に芦谷だけ残り、駆け寄る。
「言い忘れとった、ワシな、芦谷って言うんじゃけど、思紋って呼んでもええ?」
 こてんっと小首を傾げながら、右手を僕へと差し出す。
「……ぁっ。う、うん、いいよ。僕も芦谷って呼ぶ」
 怖ず怖ずと芦谷の手を握る。芦谷の手は少しひんやりしていて、心地良いなと思った。
「静おばあちゃんも、明日、暑くなるらしいけん。気ぃ付けぇよ」
 僕の手を握ったまま、ぶんぶんと上下に振る。芦谷と僕のやり取りをにこにこと見ていたおばあちゃんは、そっと僕等の頭を撫でる。
「ありがとぉね、気ぃつけるよ。二人もじゃけんね」
「じゃぁ、またな~」
 芦谷は楽しそうにぶんぶんと手を振りながら、夜に侵蝕されてゆく町に溶け込んでゆく。
「明日、楽しみじゃねぇ」
 にこにこと微笑みながら、おばあちゃんは芦谷が駆けていった方向を見詰めていた。
「僕、仲良く出来るかなぁ……」
「優しいしぃ君なら、みんなと仲良う出来るよ」
 俯いて帽子のつばで、不安げな顔を隠す僕におばあちゃんは、そっと背中を押してくれた。

有り触れた日常

 二〇一八年八月一四日。朝の涼しい風は縁側の風鈴と戯れる。風に揺れて澄み渡る音色を響かせ、夏の暑さを和らげてくれる。風鈴の音色をBGMに僕とおばあちゃんはTVニュースを見ながら朝食を取る。コーヒー牛乳が注がれた硝子コップが汗をかいて、ちゃぶ台を濡らす。
「しもんーっ! 遊ぼうやぁ」
 玄関先から佑の元気な声が居間まで響く。その大きな声に僕は大きく身体を跳ねさせ、慌てて朝食を口へと掻き込む。空いた食器をそのままに玄関へと続く廊下に顔だけを出す。
「ちょっと待ってて!」
 慌てて顔を引っ込め、おばあちゃんが用意してくれたらしい麦わら帽を被り水筒を手に取る。まだ朝食を食べているおばあちゃんを不安げに見やる。
「いってらっしゃい、気ぃ付けてなぁ」
 おばあちゃんは、にこにこと微笑んだままで。少し、憂鬱になりながらも玄関へと向かう。
「……いってきます」
 麦わら帽を被りながら玄関の方へ向かうと、廊下で仰向けに寝っ転がる佑と目が合った。佑は僕に気が付くと、にかっと笑った。
「しもん、遅いでぇ」
 からからと笑いながら、佑は僕をからかう。
「佑ぅ、思紋くん来たぁ?」
 引き戸からひょっこり、顔をだす真緒。玄関先には芦谷とあと二人が所在なさげに、此方をちらちら見ながら待っていた。
「佑、ちゃんと紹介してくれたぁ?」
 佑の服の裾をちょいちょいと引っ張る真緒が、僕の方をちらりと盗み見た。佑はしまったっと言う顔を一瞬して、はにかみながら真緒の後ろにくっついている二人を僕の前へ連れてきた。
「忘れとった……しもん、ワシは佑ゆうん。こっちが柚と遼。んで、こいつが真緒ってゆーてな、おっかない奴じゃけぇ気ぃつけぇよ?」
「誰が、おっかないじゃ!」
 真緒はまた、佑に突っかかる。心なしか頬が赤らんでいるのは、怒っている所為だろうか。僕より背の低い二人がちょこちょことやって来て、僕を少し見上げる。
「しもん……て、呼んでもいい?」
「ウチも、しもんって呼びたい。柚って呼んでええけん」
 くりくりとした大きな眼が四つ。不安げにゆらゆらと揺れていて、僕と同じなのかもと思ったら何だか可笑しくって。ふふっと、僕の口から笑みが零れ落ちた。
「もちろん!柚と遼ね、よろしく」
 多分、僕より年下なのだろう。僕に弟か、妹が出来たらこんな感じなのかなぁと、心が少しぽかぽかした。芦谷は何も喋らず静かに、ずっと僕等のやり取りを微笑みながら見守って居た。
「しもんっ、しもんっ!昨日ようた、ええとこってゆうんはなぁ」
 手招きをする佑の傍に近寄ると、そっと僕に耳打ちする。こそっと芦谷と柚、遼が近付き、耳をそば立てる。真緒は何故か、得意げに僕等を眺めていた。
帝釈川(たいしゃくがわ)で川遊びしょうと思うんよ、んで。ええとこっていうんは、そこの川な……」
「えっ?!あそこは危ないけぇ、遊んだらいけんよ!」
 急に芦谷が声を張り上げて、佑の言葉を遮ってまで注意する。
「へーき、へーき。こないだも真緒らと遊んだんじゃけど、大丈夫やったもん」
 少し威張るように言う佑に眉をしかめる芦谷。芦谷からぴりぴりとした空気が流れてきて、僕はおろおろと狼狽える。真緒や遼、柚も口を噤んだまま成り行きを見守る。
「じゃけど……」
「芦谷はああよーるけど、思紋はどーしたい?」
 くるっと、芦谷を無視して佑は僕の方を向いて訊ねる。
「僕?僕は……」
 まさか、僕に振られるとは思わなかった。僕は頭をフル回転しながら、素直に答えた。

壊された日常

「僕は……行ってみたい!」
 僕は見たことの無い川に期待で胸が弾む。
「ほんじゃ、決まりな!芦谷もええな?」
 有無を言わせない強い語尾で、芦谷はしぶしぶ同意する。
「ほんまは、あそこに行っちゃぁいけんのんじゃけどなぁ……」
 ぼそりと零す芦谷の言葉は、蝉の鳴き声に掻き消されて誰の耳にも届かない。
「ほじゃぁ、行くでぇ!」
 佑の後を真緒、柚、遼が小走りで追う。鉛でも付けられたかの様にのろのろと歩む芦谷に歩を合わせ、ちらりと芦谷の顔を盗み見た。芦谷は怒っているのかと思っていたけれど、杞憂だったようだ。ただ、何の感情ものせていない芦谷の顔は、ぞっとする程の美しさと怖さがあった。僕は直ぐに芦谷から眼を逸らし、俯いて地面に転がる小石ばかりを見詰めていた。
 神夕髙原町から少し山手に入っていくと、ひっそりと木々に囲まれた帝釈川。靴やサンダルを脱いで佑と三人は楽しげに、僕は怖々と川べりへと降りてゆく。澄み切った川に足を浸けると、わっと小さな魚達は逃げて行き、足先からは冷たさが駆け上る。じっと此方を眺めている芦谷に急かすように佑が呼びかける。
「なんしょんにゃーあしやぁ!はよぉきんさいやぁ、冷たくて気持ちええでぇ」
 足元の水を芦谷が居る方へ、ばしゃりと足で蹴り上げる。芦谷は宙に飛び散った雫たちを眩しそうに目を細める。
「すぐ行くけぇ、そんなに急かすなやぁ」
 呆れ顔で、ゆっくりと川べりへと芦谷は下りてゆく。漸く六人が揃ったところで、佑が全員の顔を見渡す。
「もうちょい先にな、ここより深くなっとって。その一番深いところに祠みたいなんがあるんよ」
 佑の言葉に芦谷の体が、微かに跳ねた。芦谷以外は皆、佑の言葉に興味津々のようで気付いていない。僕は佑の脇腹をちょんちょんと突く。
「深いって……どれくらい?」
 僕の瞳は不安げにゆらゆらと揺れる。それを見た真緒は、意地悪な顔をして僕をからかう。
「思紋くん、もしかしてぇ……泳げんのん?」
「ぇっ、いや、そうじゃなくって!ちょっと、苦手なだけだよ」
 しどろもどろに答える僕を愉しげに笑う、真緒と柚。彼女等のやり取りを横目で見ながら、佑は続きを話し出す。
「んでな、そん中に綺麗なまぁるい球があって――」
 佑が最後まで言い終わる前に真緒の悲鳴で掻き消された。
「佑!芦谷くんがっ!!」
 真緒が指差す方向を一同が視線を向ける。大きな波と泡が立ち、さっきまで僕の隣に居た芦屋が苦しそうに藻掻いていた。
「あっ!おいっ、しもんっ!」
 佑の制止を振り切って、僕は芦谷を助けようと近付いてゆく。波立つ川面に水を吸った服は重く、僕の足枷となる。水底は徐々に深くなってゆき、とうとう僕の足も届かなくなった時。
「……ぁっ、足が、届かない?どうしよう、怖い……でも――」
 僕は自分がカナヅチである事を思いだした。足が底に届かない恐怖に僕はパニックに陥るが、目の前の芦谷を助けたくて。
「あ、芦谷!ぼ、僕の手を取って!!」
 恐怖と戦いながら僕は、芦谷を救おうと必死に手を伸ばした。あと、もう少しで芦谷の手が掴めそうな距離なのに。水飛沫と上手く呼吸出来なくて、霞む僕の視界。
「しもん!手ぇ伸ばせぇ!!」
 怒鳴るような佑の声が微かに聞こえた、様な気がした。霞みゆく僕は――。

流れ灯の行方

 佑の手を握った。力強く上へと引き揚げられる僕の体。酸欠でふらつく視界に佑の怒った様な、泣き出しそうな顔が飛び込んできた。
「しもんっええ加減にせぇよ!泳げんのに無理すんなやっ」
 僕の骨張った小さな肩を佑の少し大きな手が力強く掴む。佑の切りそろえられた短い爪がめり込んで少し痛くて、僕は顔を顰めた。ぼたぼたと佑の目から無遠慮に涙が零れ落ち、波立つ川面に溶けて消えた。
「ご、ごめん……」
 佑の泣き顔にどうしたら良いのか分からず、僕は視線を左右に泳がせた後、俯く。ゆらゆらと揺れる川面に零れる涙を必死に止めようとする佑の姿が映っていた。気まずいまま無言の二人の元へ、真緒と柚、遼が血相を変えて駆け寄る。
「なぁ……芦谷くんは?」
 僕と佑の顔を見て、少しほっとした顔の真緒は不安そうに佑へ声を掛ける。真緒の服の裾を握り締めた柚が消え入りそうな小さな声で
「あしやくんの姿が見えんのんじゃけど……」
 柚と真緒が佑に助けを求める様に見詰める。佑は腕で目元を強く拭い、辺りを見まわす。芦谷の姿は依然と見えない。
「あっ!あれやない?」
 遼が指差す方向を一斉に見やれば、芦谷らしき髪が少しだけ浮いていた。
「あしやぁぁぁ」
 佑は声が嗄れてそうな程に叫びながら、必死に沈みゆく髪の毛の方へと向かうが――。

 とぷん。

 佑の声も、手も届くことはなく。子供の僕等を嘲笑う様に沈んでいった。
「あしやくん、あしやくん……なぁ、返事せぇよぉっ」
 柚と遼は顔を真っ赤にして泣き叫ぶび、真緒は泣くまいと唇を噛み締めて二人をあやす。佑は呆然と芦谷が沈んだ場所を唯々、見詰めている。
「芦谷……?」
 僕は今、起こった出来事を理解しきれずにいる。少し後ずさり、佑の制止の声さも無視して勢いよく振り返り走り去る。脱いで川べりに綺麗に揃え、置いたままの靴を忘れて。

 僕は行く当ても考えず、ひたすら足を動かしていた。自身の鼓動と呼吸を繰り返す音が、やけに煩く耳に響く。僕の目元から零れ落ちそうになる涙、滲む橙色の視界。ぐちゃぐちゃ思考に、もう、何も考えられない。どんっと何かにぶつかった。どうやら、歩いていたおばあちゃんにぶつかってしまったようだ。おばあちゃんは、何も言葉を発することのない僕の異様な雰囲気に腰を屈めて、僕の顔を伺う。
「ん?……しぃ君どうしたん?」
 声を潜め、僕の背中をゆっくりと何度も撫でる。その温かな体温が、徐々に僕を落ち着かせてくれた。
「あ、芦谷が。みんなで川遊びしてて、芦谷、が」
 僕は懸命におばあちゃんに先程の事を伝えようとする。しかし、上手く言葉が口から出てくれない。もどかしさに喉を掻き毟りたくなり、無意識に喉元へと手が伸びた。
「芦谷くん?そんな子、おったかなぁ……」
 おばあちゃんは僕の背中を撫で続けながら、思い出そうとしてくれている。その時間さえも、僕にとっては長く感じた。
「忘れちゃったの?!昨日、佑たちと、一緒に、居たじゃんか!」
 信じられない、と僕は大きく見開いて、おばあちゃんの着物の袖を引っ張る。
「佑君達は知っとるよぉ、じゃけど……昨日おったんは、佑くんに真緒ちゃん、柚ちゃんに遼君の四人やろ?」
 指折り数えながら、おばあちゃんはゆっくりと昨日の事を思い出しているようだった。
「ぇっ……」
 僕にはおばあちゃんが呆けている様にも、巫山戯ている様にも見えず、戸惑った。
「町の人らに声掛けてみるけぇ、思紋は家で待っとりぃ」
 そう言って、おばあちゃんは商店街の方へと行ってしまった。ぽつり、残された僕はは項垂れ、言われた通りにおばあちゃん家の中へ入っていった。

 二〇一八年八月一五日。この町に来て、二日目の朝食は何の味もしなかった。昨夜、一晩中泣いて眠ってしまったので、僕の瞼は腫れてしまっていた。まだ少し熱を持った瞼は重く、じんわりと涙が染み出てくる。
「しぃ君、あんな。町の人らに聞いてみたんじゃけど、“芦谷”ってゆう子はおらんのんじゃって」
 おばあちゃんは申し訳なそうな顔をしていた。僕は其の言葉にピタッと口元へ運ぼうとしていた箸を止め、じぃっとおばあちゃんを見詰める。
「一緒に遊びに行っとった佑君らにもな、聞いてみたんよ。ほんなら、知らんよってようて――」
 おばあちゃんが言い終わる前に僕は勢い良く茶碗と箸を置き、立ち上がり廊下へと駆け出した。掃き清められた玄関にきちんと揃えられた自身の靴を踵を潰して履き、僕は外へと駆け出す。
「きっと、何かの間違いだ……だって、あの時、佑たちも居たもん……」
 また、溢れ出しそうになる涙を腕で拭う。

 朝陽が差し込んでいるのにも関わらず、ひっそりと静まり返った町並み。一人、取り残された様で僕を更に不安にさせる。どこへ向かえば佑達に出会えるか、辺りをキョロキョロしていると。
「しもん?どしたん、こんな朝早うに」
 佑に後ろから、ぽんっと肩を叩かれて僕は大きく体を跳ねさせる。どっどっと激しく脈打つ鼓動を沈めようと胸に手を当てたまま、ゆっくりと、確かめる様に佑に問いかける。
「ねぇ、芦谷、知ってるよね?」
 佑は不思議そうな顔をして、小首を傾げる。
「なに言っとん?芦谷なんて名前の子、おらんよ」
「え、だって。昨日、みんなで川遊びしてて……」
「昨日、川遊びしょーたけど。真緒と柚と遼、しもんの五人じゃろ?」
 小首をかしげる佑は、嘘を言っている様にも見えない。僕は絶望の色を隠せないでいる。
「変なしもん。あ、そうじゃった。今日な灯篭流しがあるんじゃけど、みんなでせん?」
 僕の耳には佑の言葉が入ってこない。どうして、芦谷の事を知らないと言うの。皆、忘れてしまったのだろうか。僕は、ふらふらと来た道を戻る。
「しもん?どうしたんなら、ほんま……」
 佑は僕の腕を掴んできたが、それさえも振り切っておばあちゃんの家へと戻った。

 何かする気も出ない僕は居間の床に寝転び、おばあちゃんが声を掛けても生返事をするだけだった。そして、いつの間にかふて寝していたようで、ふと目を覚ますと枕元に何かが置かれてあった。何だろうかと眺めていたら、小さなメモが置かれていた。メモにはおばあちゃんの綺麗な文字で、

 たいしゃく川でとうろうながしがあります。たすくくんたちといってみたらどうかな?

 おばあちゃんが置いていった灯篭を人差し指で突く。僕はとても灯篭流しに行く気になれず、うだうだと寝転んでいたら聞き覚えのある声が僕を呼ぶ。
「しもーん!おるんじゃろーっ」
 芦谷の声に僕はガバッと身を起こし、玄関へと転びそうになりながら向かう。
「……芦谷?なんで……」
 玄関先には芦谷が微笑んで立っていた。僕に気づき、胸の位置で小さくひらひらと手を振っている。
「な、なんで……ほん、もの?」
 目を大きく見開いたまま立ち尽くす僕に、くすりと笑う芦谷。
「うん、ほんもん。なぁ、ワシと一緒に灯篭流しに行かん?」
 こくこくと頷いて一度、居間に戻る。畳みの上に置かれた灯篭とライターを持って芦谷の後を追う。玄関の戸を開けっぱなしのまま。
帝釈川の川上へと向かう芦谷と僕。お互いに口を開くこと無く、無言で草を分け入ってゆく。痺れを切らして言葉を漏らしたのは僕だった。
「ねぇ、芦谷はさ……幽霊なの?」
 芦谷はピタリと歩を止めて、僕の方へ向き直る。微笑みをたたえたまま、こてんと小首をかしげる。
「どーしてそう思うん?」
 小さな子に訊ねるように穏やかに、優しく問う。僕は視線を彷徨わせ、どもりながらゆっくと心の内を暴露する。
「昨日、芦谷のこと、おばあちゃんに訊いたら知らないって」
「ほんで?」
「今日も、佑に訊いたら、知らないって言われて……」
 僕の大きな眼から再び、じんわりと滲む涙。芦谷はそっと寄り添って、僕の涙を拭ってくれた。
「それに溺れたワシが、思紋の前に現れたけん?」
 優しい声音と僕の背中を撫でる、冷たい芦谷の掌。泣きじゃくる僕を愛おしそうに見詰める芦谷。
「うん……でも、芦谷が僕の目の前に居て、ほっとしてもいるんだ」
 僕は芦谷の服をぎゅっと掴む。芦谷は目を少し見開き、嬉しそうに顔をほころばせて僕を抱き締める。芦谷の冷たい体温に僅かに体を跳ねさせる。
「ワシが怖い?思紋がゆった通り、ワシは思紋や佑らとはちゃうんよ」
 鼓動の聞こえない芦谷の胸元に僕はそっと、頬ずりをする。擽ったそうに笑い声を立てる芦谷。
「んーん、怖くない……でも」
「でも?」
「芦谷は淋しくない?」
 芦谷は一瞬、息を呑み込んでぎゅっと僕を抱き込み、鼻を啜り愚図る僕を小さく笑いながら頭を撫でる。
「ありがとぉな。心配せんでも、でーじょうぶ。皆から見えんくなっても、思紋が憶えてとってくれたら、なぁんも淋しぃないよ」
 ふんわりと微笑む芦谷に僕は唯々、何度も何度も頷くだけだった。
「芦谷のこと、僕だけは絶対、忘れない。来年もまた、遊びに来るからっ」
 眩しそうに目を細める芦谷の瞳が星のように瞬いている様で、涙で滲んでしまうのが惜しいと思ってしまった。
「ほんじゃぁ、約束な!早う、灯篭流そうやぁ」
 芦谷は、照れ臭そうに僕から草の上に転がっていた灯篭へと視線を逸らす。僕は芦谷に急かされながら、一緒に一つの灯篭をそっと川へ浮かべる。川下は沢山の灯篭で輝き、それを追うように一つの灯がゆらゆらと瞬きながら川をゆっくりと下ってゆく。
「綺麗……だね、芦谷」
 川に流れる沢山の灯篭に僕の目は奪われていた。賛同を求めるように芦谷の方へ顔を向けたら、そこには芦谷の姿は無かった。芦谷の代わりに、小さな灯篭がゆらゆらと灯を揺らしていた。僕はまた、泣きそうになるのを我慢して、そっと小さな灯篭を抱き上げる。川下へと流れてゆく灯篭の近くにそっと、小さな灯篭も浮かべた。

《君のこと、君との夏を僕は忘れない――。》

夏に溺れる

 僕は芦谷の手を握った。芦谷の手は驚くほど冷たく、一瞬、離して仕舞いそうになる。僕は離すまいとしっかりと握り直し、芦谷を僕の方へと引っ張り上げようとするが上手くいかない。僕の肌に纏わり付く濡れた衣服は枷となり、思うように身動き出来ない。助けを求める様に芦谷の方を見ると、芦谷の双眸が淡く瞬き、ゆらりゆらりと揺れているのだけが分かった。
「思紋、手ぇ離せ。このまんまじゃと、思紋も溺れる」
 溺れているのは同じなのに、焦る僕とは裏腹に芦谷はどこか冷静だった。
「嫌だっ、手を、離したら芦谷が」
 反論しようと口を開けると、濁流の様に水が入ってくる。泡沫と共に僕の意識は徐々に薄れてゆき、ゆっくりと視界が閉じてゆく。力が抜けた僕の掌が滑り落ちそうになった瞬間――。ひんやりとした冷たさが僕の全身を包み込んだ。芦谷に抱き込まれた、様な気がした。
「ごめんな、思紋……こんなつもりや無かったんよ……」
 芦谷の口から小さく零れ落ちる、後悔と懺悔の言葉。透き通った芦谷の瞳が哀しみの色に濁る。悲鳴や波音、救急車のサイレンが耳を劈く程に響いている筈なのに。僕にはもう、誰の言葉も体温さえも受け取ることは出来なかった。容赦なく照りつける太陽を受け地面から立ち昇る陽炎。静紀はなかなか帰ってこない思紋を心配して、町中を探す。
「しぃくーん、どこおるんー?」
 静紀は手を口に当てて、大声で思紋の名前を呼ぶ。
「……っん?」
 ふと、僕の意識が浮上し、キョロキョロ辺りを見渡す。見慣れたオレンジ色に染まる風景と何かを探しているおばあちゃんの姿がそこにあった。
「おばあちゃんっ!」
 僕はペタペタとおばあちゃんの元へ駆け寄るが、するりと僕の身体はおばあちゃんの身体を通り過ぎてしまった。両の眼を見開いて立ち尽くす僕はおばあちゃんには見えていないらしい。側を通り掛かった町の人達に孫の姿を見かけていないか、と声を掛けていた。
「おばあ、ちゃん?」
 僕はこの状況を未だ、理解出来ずにいた。ぱちぱちと、幾度も瞬きを繰り返すばかりだった。そして――。
「おばぁあちゃぁあんっ!!」
 気付いて、と念じながら大きな声で喚く。それでも、おばあちゃんは僕に気付くことも、見ることもなかった。
「おばあちゃん……」
 僕の声は消え入りそうな程小さくなり、とうとう涙が溢れての頬を濡らしてゆく。悲しくて、淋しくて、怖くて――。僕自身を抱きかかえる様にして、その場にうずくまる。おばあちゃんは僕の横を走り抜け、どこかへと向かっていく。夏日が差し込む道端にうずくまる僕は独りぽっち。
「思紋」
 芦谷の落ち着いた声がぽつり、落ちてきた。僕はゆるゆると顔を上げ、芦谷を見る。芦谷は罰が悪そうに、悲しそうに歪んだ微笑を湛えていた。僕は勢いよく立ち上がり、芦谷の胸元を両手でぎゅっと掴む。ぽたっ、ぽたり、僕の雫が芦谷の服を濡らす。
「芦谷ぁ、ぼ、僕っ、僕」
 どうしたら良いのか、分からないと僕は芦谷に助けを求めた。芦谷は何も言わず、ぎゅっと抱き締めてくれた。抱き締められて安心したのか、僕は再び声を上げて泣きじゃくる。
「……ごめんな、ごめんなぁ思紋。そがぁに泣かんでぇ」
 涙声で懇願しながら、僕の背中を優しく摩る。涙でぐしゃぐしゃな顔で僕は芦谷を見上げる。
「ねぇ、芦谷。僕は、やっぱり……死んじゃってるの?」
 哀しみと涙に濡れ、不安げにゆらゆら揺れる思紋の瞳は凄く綺麗だと芦谷はぽつりと独りごちた。苦しそうに顔を歪める芦谷を見て僕は悟る、自分が死んでしまっているのだと。
「なぁ、思紋。帝釈川に行かん?」
 芦谷の急な誘いに、きょとんとする。僕の返事も訊かず、芦谷は思紋の手を引いて帝釈川へとゆっくりと向かってゆく。

 人々は寝静まり、鈴虫は楽しげに今宵も謳歌している。静紀は蒼白な顔をしたまま、崇佑に電話を掛ける。受話器から無機質な呼び出し音が数秒流れる。がちゃり――息子の声が届く。
「もしもし、崇佑?夜おそぉにすまんねぇ。あんな、しぃ君が」
「お袋?どしたんよ、こんな遅くに……なに?ごめん、声がよぉ聞こえん」
 静紀は涙を堪えるあまり、上手く声が出ない。崇佑は静紀の異様な雰囲気を感じ取って、声をワントーン落とす。
「なぁ、お袋。思紋に何かあったん?」
 受話器越しに静紀の嗚咽が響き、思紋に何かがあったのだろうと窺える。崇佑は嗚咽を零すばかりの静紀に厭な胸騒ぎを憶えた。
「……明日、そっちに向かうけん、そん時に詳しく教えて。取り敢えず、お袋、ちゃんと寝てくれよ?」
 崇佑は努めて静かに静紀の事も労り、電話しながら実家へと向かう準備をし始める。

 二〇一八年八月一五日。泣き腫らした目元、憔悴しきった静紀がそっと、障子を引く。肌寒い程に冷やされた客間に横たわった思紋の遺体。
「しぃ君」
 思紋の枕元へそっと腰を下ろし、壊れ物を扱うかのように髪を梳く。ぱさり、静紀の指間から滑り落ちてゆく思紋の髪。瞼を閉ざした青白い顔が痛々しい。静紀は未だ、思紋の死を受け容れられずにいる。
「しぃ君、今日な……しぃ君が楽しみにしょーた灯籠流しなんよ……なぁ、しぃ君」
 ひっそりと静まり返った客間に響く、蝉の鳴き声。ひんやりと張り詰めた空気を破るように、荒々しい足音が響く。
「お袋っ!何があった、ん……だ……」
 息を切らし、汗だくの崇佑が慌ただしく客間へと入ってきた。静紀の憔悴した顔と横たわる思紋を見て、口を噤む。
「……昨日な、ここらの子と川遊びしに行って、溺れたらしいんよ」
 崇佑は苦しそうに眉を顰めたまま、思紋から視線を逸らさない。静紀は俯き、掻き消されそうな程小さな声で経緯を伝える。
「すぐに引き揚げてくれたらしぃんじゃけど、間に合わんかったって……」
 静紀はとうとう、溜まらずに涙を零す。ぽつりと、青白い思紋の頬に雫が落ちた。崇佑は力が抜けたのか、その場にしゃがみ込む。
「そ、そう……か」
 それ以上に言葉が見当たらず、お互い口を閉ざす。再び静まり返った空間に一陣の緩やかに風が吹き込み、風に弄ばれた風鈴が涼しげな音を響かせる。
「今日な、灯籠流しの日じゃけぇ、しぃ君が迷わずに逝けるよぉに……」
「そうだな」
 ぼたぼたと、夕立のように降り注ぐ雫。崇佑は静紀の肩をそっと抱き、唇を血が出てしまいそうな程に噛む。遠くで流れる祭り囃子の音と微かな川のせせらぎが雑じり合う。静紀と崇佑はそれぞれ、灯りのともった灯籠を抱き締めて川縁へ下る。川面へそっと浮かべようとした時、静紀を呼ぶ声が空気を揺らす。
「しもんの、おばあちゃん」
 静紀は声のする方へ視線を向けると、息を切らしながら走ってくる佑と仲良し三人。崇佑は邪魔にならないようにすっと、静紀から距離を取った。
「ああ、どうしたん?」
「しもんのおばあちゃん、ごめんなさいっ。ワシらが、川遊びしょうって誘ったけん……」
 今にも零れ落ちそうな程涙を浮かべ、それでも静紀の目から逸らさない佑。静紀は努めて優しい声音で、佑の頬にそっと手を添える。
「ありがとう、そげぇに佑君らが自分を責めんでええ」
「でもっ」
「そうじゃなぁ。佑君らだけで川遊びは危ないけぇ、大人の人一緒にね」
 静紀はほんの小さく笑みを作って、佑の涙を指の腹で拭ってやる。佑は小さく頷いて、真緒たちの方を見やる。真緒は後ろ手に隠していた「何か」を静紀に見せた。
「おばあちゃん、あんな。皆で思紋にって、灯籠作ったん」
 真緒の背に隠れて、柚と遼はこくこくと頷く。静紀は一瞬、息を詰まらせる。
「ありがとぉ、ありがとぉなぁ。思紋もきっと……喜んでくれるけぇ」
 涙を浮かべて、一人一人の頭を撫でてゆく。
「ほんなら、わしら、あっちで流してくる」
 佑は真緒たちを引き連れて、沢山の灯籠が流れている所へ向かっていった。

 僕と芦谷は川上の川縁から流れてゆく灯籠で彩られた帝釈川をじっと、眺めていた。お互いにあれから言葉を交わさず、ただただ、瞬く川面を見詰めていた。微かに響く川のせせらぎと虫たちの賛美歌だけが、そこに在った。
「なぁ、思紋」
「なーに」
 僕等はお互いの顔は見ず、視線は川面のまま。僕は足を川に浸して、パシャパシャと蹴る。
「だいじょーぶ?」
 芦谷は俯く僕を覗き込む。芦谷のビー玉みたいな瞳が、闇夜を吸った様で少し怖いと思った。
「なにが」
「んー、淋しぃない?」
 芦谷は僕の目から逸らさない。僕は少し、目を逸らせる。
「全然、淋しく、なん、か……」
 強がろうとしたのに上手くいかず、どもってしまった。芦谷はそれ以上は何も問わず、ぎゅっと僕を抱き締めた。
「皆、思紋のこと忘れんよ」
「うん」
「思紋が迷わずいけたら、あとで、ワシと遊べる」
「なんだそれ」
 僕は小さく笑った。芦谷は気にせず、自信たっぷりに胸を張る。
「あと、毎年夏には皆に会える!」
 僕を元気づけようとおちゃらけている芦谷に僕は、救われた。
「夏だけかぁ、やっぱり、淋しいよ」
 くしゃりと笑う僕の頬を流れる、一筋の涙。怖さや哀しさは無くなったけれど、淋しさだけはどうしようも無くて。
「だいじょーぶ!それまでは、ワシが淋しくさせんからっ」
 ぐしぐしと、芦谷は力強く掌で涙を拭ってくれた。
「……やくそく」
「おう、任せんしゃいっ!」
 太陽の様に笑う芦谷を眩しそうに目を細めて見詰める。きっと、大丈夫――そう思えた。
「……じゃぁ、またね」
 僕は精一杯の笑顔で芦谷に手を振る。芦谷も応えるように振り返してくれた。もう、僕は、幾つも瞬く灯籠と共に去りゆく。また、夏が巡って来たら、皆で遊びたいな。だから、その時まで――。


《僕のこと、僕との夏を忘れないで――。》

夏に溺れる

夏に溺れる

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-04-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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