さよならのあと【AND/HAND】
あの奇妙な事件から数時間後。
私は教会の前に立っていた。
不可抗力とは言え、何も言わずに2日間も出かけていたから先生はきっと怒っているだろうか。そう考えると、扉を開ける手が震えた。
「………そこで何をしているんですか、祈」
『っ!…せ、んせい』
「……入りなさい」
指が扉に触れるより先に、先生が扉を開いた。
その声はただただ静かで感情を読むことは難しく、怒っているのかどうかはわからなかった。
顔を上げられない。
「私の聞きたいことはわかりますね?」
『は、い…あの、すみませんでした……』
「何があったのか説明しなさい」
そこから、私は先生が納得いくまで説明した。
鴇さんのことはなるべく暈して、何故か彼の手を治せたことも、隠した。
どうしてそうしたかはわからない。けれど、そうしなければならないような、そうしたいような気持ちがあった。
「……夕食は扉の前に置いてあります。今日は休みなさい」
『はい…失礼します』
内心、隠し事や嘘をついているのがバレないか心臓がうるさかったが、疲れた様子の先生は気がつかなかったのだろう。そのまま部屋へ返してくれた。
──甘い匂いなどしない、簡素な部屋。
トレイに乗った食パンを真っ白なシーツが敷かれたベッドに置く。隣に腰掛けて横になり、背中を丸めて蹲る。
『〜〜〜〜っ』
先生に隠し事をしてしまった。
先生に隠し事をしてしまった!
心臓がバクバクして耳が熱い。この気持ちはなんなんだろう。悪いことをしている自覚はあって、罪悪感と高揚感に胸がきゅう、となる。
さっきまで繋がってた大きな手を思い出し、右の手首をきつく握って目を瞑る。
『…ときさん』
彼はちゃんと帰れただろうか。
ご飯は食べられただろうか。
手は痛くないだろうか。
『ぁ…』
上半身を起こし、ポケットを探る。
…苺のジャム。食べてしまうのはもったいないけれど、このまま置いておいたらきっと先生に見つかってしまう。
冷えてしまい、少し硬くなった小さなパンにジャムをつける。
両手を合わせて、目を閉じた。
『いただきます』
ふわりと苺の香りがする、とろりと甘いジャム。
一緒に食事をしたのは昨日の事なのに、ついさっきの事のような。けれどずっと前のことのようなそんな感覚に陥りながら噛み締める。
『…お、いしい…』
おいしい。
甘くて満たされる。
優しい味がする。
隣に彼がいないのは当たり前のはずで、手が自由なのも当たり前のはずで、普段はジャムなんてあまり食べられなくて。
当たり前がたくさんの中に、嬉しいことがあるはずなのに。
『…っぅ……』
美味しいのにどこか満たされなくて、右手に力が入る。
手は自由に動くし、そこに温もりはない。
涙が止まらない。
どうしてなのかわからないまま涙を拭い、パンを残さずに口に入れる。
『ご、ちそ、うさま、でした…っ』
バレないように痕跡を隠す。
部屋には少し甘い匂いが漂い、疲れもあってベッドに横になると眠気が襲ってくる。
『……どうか』
神様、彼をお守りください。
私に、〝価値がないなんて言っていい人間じゃない〟と言ってくれたあの人を。
ずっと守ってくれたあの人を。
どうか、お守りください。
願わくば彼の明日が、幸せなものでありますように。
そう祈りながら、眠りについた。
2021/04/15
さよならのあと【AND/HAND】