芸術

 昔、一緒に絵を描いていた友人の言葉を思い出した。
「僕は自分を納得させられるだけの才能があれば、それだけの努力をすれば、そして自分を満足させ続けられればそれで良い。」
 その時の僕はどんな返事をしたのかは覚えていないけれど、この言葉は嘘だな、そんな事を言う偏屈な人だなと感じたのは覚えている。なんてったって芸術とかやってる奴らは自分の考えている事や感じた事をわざわざ何かに残すんだから。自己投影であり、自己顕示欲の塊でしかないと僕は考えていたから。当たり前のように、その考えを捨てなかった。そのまま僕は結構な歳になった。歳を重ねていく過程で色々と考えは変わったけれども、ふと思い出した友人の言葉を僕はまだ彼の虚勢の表れだと思っている。
 なんでこんな事を思い出したかというと、色々な良縁がタイミングよく絡まりに絡まって、それが導火線となり長年燻り続けていた自己顕示欲が爆発してしまい、その結果個展を開くことになった。僕の絵は日の目を見る事になったのだ!そして今、個展に向けて描いている絵のひとつが完成し、一呼吸入れたところで昔の友人の言葉を思い出したというわけである。彼は何をやっているんだろうか、まだ絵は描いているのだろうか、、、。そうだ、折角の個展なんだし招待をしてみよう。久しぶりに話してみたいし、成長した絵と個展を見て欲しい!パレットと筆を簡単に片付けてしまって、お風呂へ入った後に彼にメールを送った。
「久しぶりだな。覚えているか?そして、絵は続けているか?いきなりだが、俺は個展を開く事になった。日程や場所は追って連絡するから、もし良かったら来て欲しい。久しぶりに顔も見たいしな。」
 我ながら急すぎるメールだ。自分が受け取る側だったら少し身構えてしまうだろう。そしてあいつの個展だったらぜひ行ってみたいと思って結局返してしまう。ああ、一個仕事が終わって気持ちが緩んでいるからだろうか、普段ならやらない行動を取ってしまった。後悔は全くしていないけれども、少しだけ恥ずかしくなって来た。でも、あいつなら来てくれるだろう、今の僕の絵も昔のように色眼鏡をつけた彼のワールドの意見が聞きたいものだ。その上で良い評価をしてもらえたならキャバクラの一軒ぐらい奢ってやろう。

 数日後、彼から返信が来た。正直、送ったその日に返ってくるものだと思っていたのでずっとソワソワしていた。けれども返信は無く、日が経つにつれて徐々に悲しさに変わっていった。メールを見つけたのは描いていた絵に行き詰まった時だった。休憩がてらに見つけたメールで息苦しさから解放された。
「僕の絵を送る。すまなかった、これで勘弁してくれ。」
 うん、今も昔と変わらず言葉が足りないやつだ。全然意味が伝わってこない。俺が個展に招待したのに彼の絵が送られてくるなんて、想像もしていなかった。しかし、見てみたかった。今の彼はどんな絵を描くんだろう。
「ありがとう、楽しみにしている。この住所に送ってくれ。」
 彼が個展に来れなさそうなのは残念だが、いつの間にか萎んでいたやる気が膨らんでいた。

 彼の絵が届いたのはメールのやり取りから二ヶ月後で個展まで残り二週間を切っていた日だった。この日は個展で飾る用の絵は全部出来上がっていて後は出展先での飾り付けや照明、音楽による絵を効果的に見せるための雰囲気づくりを考える段階に入っていた。PCに向き合いながら構想を練っているとインターホンが鳴り、久しぶりに見た彼の名前で気分が上がった。届いた荷物を丁寧にアトリエへ持ち込み、高揚感で梱包を解くとそこには二枚の絵が入っていた。一枚目は偏屈で窮屈で彼以外が理解できる訳が無い、昔のまんまの絵だった。何も変わっていない懐かしさもあったがしかし、今は見る目が変わっている。あの頃の絵には技術や重みはなかったけれど、がむしゃらに絵と向き合っていて今の自分には描けない衝動や情熱が乗っていた。そしてこの一枚目の絵にもそれを感じることができた。嬉しい。彼は今も変わらず絵を描いているんだ。昔と変わらない絵を描いているんだ。細かいところはああとでゆっくりお酒でも飲みながら見るとして、とりあえず二枚目も見てみよう。重なっていた一枚目を退けた。明らかに、あからさまに世界が変わった。間違いなく変わった。俺が知らない彼で、いやもしかしたら彼が描いた物では無いかも知れない。そう思ってしまう程に、一枚目と二枚目は世界が違っていた。画力が上がっているわけでは無い、むしろ少し下手になっているかも。いや、そもそも技術で絵を描くタイプじゃない。なんなんだこの違和感は。知っている人が描いた物だと分かっているからこそ他でも無く昔の彼を一番見てきた俺だからこそ理解することが出来ない。いやいや、これこそ嘘だ。頭の中では理解出来てしまっているんだ。彼は多分変わった。彼もそう気づきながら描いてくれたんだ。俺の為に。
 あまり久しぶりでは無い友人からメールが届いていた。それを無視して良縁の一人に電話をかける。
「展示品を後一枚だけ増やさせて欲しい。大きくは変えないから大丈夫。」

 個展は無事に成功した。次はどこでやろうか、俺は何を描いていくんだろうか。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-14

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