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 シュルレアリスム運動に感じたことがある。
 確か後期前後の作品として取り上げられていたものと記憶しているが、シュルレアリスムを取り上げた展示において見た写真作品に対して、とても理屈っぽい主張を感じてしまった。被写体となったのは家畜か何かの屠殺の状況及びその結果で、社会的に隠される事実がある、それは理性の下で構築される社会構造によって無意識に生み出されるのだ、ということを主張する表現と私は理解した。というか、それ以外の理屈に収まらないパワーをそれらの写真作品から受け取れなかったのだ。
 シュルレアリスム運動自体は評価されるべきものと私は考えている。デカルトなどに代表される理性主義への反動として、情動で動かし、精神活動を目に見えるものにしていった表現の数々は人々の予測を打ち消し、理解を食んで、途方も無い思念の原野を見せつける。心の向くままに、という道標に注ぎ込まれる無秩序のエネルギーが壊す四方の壁の先にある無形の限りなさは、失われないものが自身の中にあるという希望を与える。禁忌の箱を持ち出すまでもなく、人に内在するものに光明を当てる意味の大事さは、現在においても変わりない。この点で、シュルレアリスムの歩みは力強い。オートマティズムがどれだけ真に「オートマティズム」していたのか、と天邪鬼な私は横目で訝りながら見たりするが、しかしそのような疑問は世界の夢に包み込み、意味のないものとしてダリの絵の中に捨て置くのが妥当な処置だろう。
 ただ、表現行為としてのシュルレアリスムが評価されればされるほど、ある種の特徴がシュルレアリスムに行われるべき評価の範となり、そこを踏まえなければならないという定型を獲得してしまった面が否定できない、と考えたとき、神秘的な精神の輝きがシュルレアリスムから失われたのでないか。シュルレアリスムの作品を見ていて、私は思ってしまう。
 表現として評価されることは、その表現がどういうものかを理解されている。言葉によって説明できてしまう。前述した写真作品には、人の無意識が社会的に構成される指摘が十分に表れていた。しかし、理屈に絡め取られない、原始のうねりがその作品からは受け取れなかった。失われていた。
 表現としてシュルレアリスムが選んだものの難しさ、超え難い限界を如実に示していると感じて止まなかった。



 音楽がなかったとしたら、私はこのパフォーマンスを今体感したように楽しめただろうか。
 非人称的な方法だ。だからこそ、どうしても技術として評価が先んじる。その応用が効く分野は何か、とかその利便性はどこまで及ぶか、などの凡そ表現行為に対する評価とはいえない思考を働かせてしまう。その思考の行き先を見事に遮断し、目の前で繰り広げられる機械的なダンスとリズムと、そして光の共演に釘付けにしてくれるのは、耳に届く音楽だろう。
 音楽は人の感情を動かす。外部の刺激となって伝わる音色に触発された反応としての感情が、受け取る側の脳内に「気分」として広がる。そして、同じ脳内で行われる思考に色が被せられる。世界を見る目が変わっていき、楽しくもなれば、悲しくもなる。底抜けに救われもすれば、どん底に引き摺り込まれることもある。それはどこまでも個人的な体験であるが、だからこそ、プログラムに従って決められた動きを見せる機械の動きに自身のそれとは異なった意思を個人が見出し、好感を抱く感情的な判断が音楽によって導かれても不思議ではない。そこに肉体をもった人がパフォーマーとして加われば尚のこと、デジタル表現に有機的な命は宿り、テクノなビートと共に観ている人の心を打つものになる。その場で繋がるリアルタイムな交流となる。
 音楽以外に目を向ければ、プログラムできるタイミング、規則正しい動きが繰り返される快感は確かにある。また、規則正しさに慣れた私たちの予測を裏切った遊び心も溢れる。非人称的な方法にある、技術としての確かさが敷く道から派生する可能性の面白さは、ライゾマティクスさんの表現活動ならではのものであり、耳目を集める大きな理由となっていると考える。
 告白すれば、誰でもできる、ということは似たような表現に溢れることにも繋がらないか、という杞憂を抱いていた。しかしこの杞憂は素人の想像に過ぎないのだろうな、と私は反省する。試行錯誤を繰り返し、ハード面の性能から技術的進歩を邁進する歴史が見て取れた展示内容は到達した現在のステージを踏み越えようとする、淡々とした野心に満ちていた。その探究心鋭い視線は、他の研究分野と手を組み、人の内側にも切り込んでいる。暴かれる、という快感を驚きと共に得られる日が来るのか、と思うと怖いもの見たさな好奇心を刺激される。
 つまりは更新できる方法の強さなのだろうな、と振り返って思う。
 フィードバックされる社会の変化に直結する技術的な表現を遊び尽くす。単純な動機に支えられた大きな歩みに直面できる『ライゾマティクス展』に包まれる体験をすることを私はお勧めする。

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-13

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