茜さす

糸遊 文

茜さす哀

 少し開けた窓から夕風が緩やかに流れ込み、レースカーテンを弄ぶ。窓際に置かれた花瓶の中で、色褪せた向日葵が首を垂らしていた。穏やかな茜色が、名残惜しさを引き連れて黄昏へと滲んでゆく。僕は原稿用紙が散らばった机に突っ伏して、緩やかに流れてゆく君が居ない時間をやり過ごした。ぱらぱらと、隅に置かれた本の頁が捲れる音が虚しく響く。このまま磨り減って消えてしまいたい、滲んで輪郭が曖昧なる世界に終焉を乞うた。
「もう、書かないのかい?」
 ふと、柔らかな声が沈黙した部屋に投げ込まれる。ゆっくりと顔を上げ、僕は問いかける誰かを捉えた。僕の真向かいに頬杖を突いて、僕が書き散らかした原稿用紙に目を落とすセーラー服を着た少女。顔面に垂れ下がった真っ白な布は、まるで僕を拒否しているようで貌が覗えない。
「この物語はどんな風に続いていくんだい?」
 僕が書き殴った歪な藍色を愛おしそうに撫でて、原稿用紙から僕へと視線を向ける。さらり、と艶やかな髪が肩から流れ落ちて影を落とした。表情は一切見えないのに、纏う雰囲気はどこか温かく寂しい。僕は、つい、零してしまった。
「……ない」
「うん?」
 僕の声が届かなかったようで、もう一度、と強請られる。僕を包み込む、穏やかだけれども有無を言わせない空気に既視感を覚えた。
「……続き、なんて無いんだよ。これでお終いさ」
 自嘲気味に唇の端を片方だけ上げて、少女から原稿用紙を奪い取る。ぐしゃり、原稿用紙に刻まれた皺と共に僕の世界は更に醜く歪んだ。
「どうして? 物語の少年は、」
「どうだっていいだろっ!! あんたには関係ない」
 思わずかっとなって、怒鳴り声を上げてしまった。少女は気にも止めず、白紙の原稿用紙を引っ張り寄せて何やら認め始める。
「うん、関係ないよ。でも、さ……このキミは終わりを望んでいないようだけど?」
 淀みなく奔る万年筆の先が、空白を茜色に塗り潰してゆく。少し丸味を帯びた繊細な筆跡とは裏腹な戯けた筆致は、間違いなく見慣れた君のもので。僕は大きく目を見張った。
「悲嘆に暮れるばかりの少年は愛想を尽かされてしまうよ?」
「煩い、勝手に逃げ出した癖に」
「そうだったね、ごめん」
「君は嘘吐きだ」
「……うん」
 僕の罵倒なんて、どこ吹く風と少女は万年筆を奔らせる事を止めない。数枚に至る茜色の軌跡は、僕がどうしても描けなかった物語だった。どうして今更、と目の前で揺れるスカーフを引っ摑んで、怒りの儘に責め立てたくなる。どうしようもない苛立ちを押し留めながら、真っ直ぐに顔を上げて少女を睨んだ。
「うん、そっちの方が良い」
 ことん、と握っていた万年筆を机に置いて、僕の方を真っ直ぐに見詰める。少女の声音は嬉しげで、安堵しているような気がした。僕は、其れがなんだか悔しくて。
「絶対、君の思い通りの終焉になんかしてやるもんか」
「うん」
「僕を置いて逃げ出したことを後悔させてやる」
「……うん、楽しみにしてる」
 夕闇が迫って温かみと明るさを失った部屋を悪戯に風が吹き抜ける。舞い散る原稿用紙は茜と藍色に滲んでいて、露わになった少女の貌は――あゝ、やっぱり。
「好きだった、君の。君が描く世界が、」
 今まで言えなかった想いが、堰を切って溢れ始めた。君の姿を目に焼き付けておきたいのに、深藍色に滲んで拒む。夜はもう、すぐ其処に迫っていて。
「知っていたよ」
 そう、君は大輪が綻ぶ様に微笑んで――また、居なくなった。窓際の色褪せた向日葵は、全ての花弁を散らして死んだ。

茜さす

茜さす

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-04-12

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