電話儚十話全文

電話儚十話
　
1️⃣ ウィスキー（１）

　「…はい」「今晩わ」「あら？やっぱり、あなただったんだわ」
女の第一声は、先日の初めての夜もそうだったが、すこぶる艶やかなのである。男が初めて聞く声音だった。行方の知れない何処かに引き込まれそうな気分なのだ。だからかだろうか、あの時にも、救われた気分が過ったのだった。

「そんな気がしていたんだもの」この季節に森の深奥に迷い込んだという、あの懐かしい里山の小鳥の、北の国の伝承を祖母から聞いたが。その小鳥の啼き声は、きっと、こんな風なのに違いない。「どうして？」「わからないけど。何となく」「そうか」「そうよ」

「仕事はどうだった？」「私の仕事なんて。いつもの日常ばかりだもの。取り立てての修辞などあるわけがないわ。相も変わらずなんだもの」「ご苦労様」「でも、そんな慰めは嬉しいわ。あなたは？」「色々とあるけれど。いつものことだからね」「そうね。私もだわ」男は、女が意外と濃い息を吐いた気がしたが、問い返す気分でもない。

「暑いだろ？」「あの夜の、あの電話から八日でしょ？あれから、ずうっと、こんな具合なんだもの。異様だわ。誰かが言っていたけど、何かの黙示なのかしら。そろそろ、気狂う人だって、出るんじゃないのかしら？」と、呟く女の声が乱れていた。

「何をしていたの？」「そんな風だもの。飲んでいたのよ」「ん？」「ウィスキーだわ」「ウィスキーか。好きなの？」「好きよ」「独り身の夜長はこればっかりだもの」どんな風にと、聞こうとした男に競い勝って、「ロックよ」と、「本質と嘘の狭間の様で。一番おいしいんだわ」と、女が続けた。

「俺もだ。銘柄は？」「そうね。今夜のは『のろまな熊と淫らな女神の悲惨な歴程』よ」と、女の舌がつまずいたから、「ん？どうしたの？」「どうもしてないわよ。どうして？」
「酔ってる？」「そうかしら？そんな風に見える？」「電話だから」「電話？そうね。電話だものね。見える訳はないわね。可笑しい。ああ。あなたったら。可笑しい人ね」女が意味もなく声をたてて笑った。

「あなた？だって、酔いたいから飲むんでしょ？」「そうだね」「あなた？」「女の独り身は…」「色々とあるんだもの」「こんな夜だって、たまにはあるのよ」「わかるかしら？」女が途切れ途切れに言葉を編んだ。端々に何かの深奥の欠片が滲んでいた。女の何が、どんな風に壊れたのか。「わかるよ」「そうかしら？」

2️⃣ ウィスキー（２）
　
　 男がおずおずと、「何があったの？」だが、女は重い吐息で応えるばかりだ。「聞かせて欲しいな？」再び、あからさまな吐息だ。「ねえ？」「駄目よ」「どうして？」「きっと、あなたなどには、厭な話なんだもの」「今は…。こんな夜だもの。愉快でいたいの」「「だって…。あなたからの電話なんだもの」「その間くらいの暫くは、愉楽で過ごしたいわ」「そうか」「そうよ」

　「だったら、あなたは何が好きなの？」と、女。「ウィスキー？」「そう」「同じだ」「そうなの？」「カムイウィスキーだろ？」「そうよ」「これは、北の国の、実に希な傑作だからね」「北の？…そうね」「人民の珠玉。財産だもの」「まあ。素敵な修、辞だこと」女の声が弾んで、「人民か…」「そう」

「私もその人民というものなのかしら？」「あなたは、あの戦争の剣ヶ峯と、今を、女一人で生きてきて。しっかりと働いているんだろ？」「そうよ」「立派な労働者じゃないか？」「そうなの？」「闘う階級だよ」「階級？」

「北の国が好きだろ？」「とっても、好きだわ。ここだから、生き抜けたようなものだもの」「いいね。あなたは逞しい民草なんだ」「民草？」「そう。あなたはこの地に咲いた艶やかな一輪なんだ。俺達、北の人民の、立派な仲間だよ」
「嬉しいわ。だって、何だか。確信のようなものに、認められたみたいで」「確信？」「そうよ。確信。だって、そんな、群像の一人の楓なことを言われたのは、初めてだもの。何だか、嬉しいわ」「本当に、一人じゃないような、実感を覚えるわ」「人民のね。民草のね。そうよ。このウィスキーはたぐいまれな、逸品なんだわね？」「多分、そう。原始の香りなのよね」

「 あら？そちらでも、氷のはしゃぐ音？あなたも？」「飲んでる」「そうだったの」「何を飲んでいるの？」「今夜の獲物は、そうだな。『処女と童貞の晩餐』だ」「そんなのがあったの？随分とおどろおどろしいのね？ちっとも、知らなかったわ」「今日の発売だからね」「どう？」「名前の通りだ」「だから？」「未知の世界からのお迎えだよ」「それが味覚の感想なの？」「まあね」 女が笑った。

「あなたのって、楽しいお酒かしら？」「そうだな。そうだと思うよ」「良かったわ」
「…と、いうより…」「何？」「…多分…」「何？」「しみじみと埋めてくれるんだ」「ん？」「戦争の予感が色濃くなったあの頃から。随分と、ぶつかったり、剥がれたり、切り取られたりして。毎日を刹那の様に生きてると、思うんだ」「そうかもしれないわね」「その欠落の無情を埋めてくれるんじゃないか。そんな気がしている」

女の沈黙は男の独白に頷いている。そんな気が男はした。「空疎や虚無を再生するための、新らしい血肉の源のような…」「だから、このウィスキーは自然の恩恵の一部なんだと、思ってるんだ」「自然の？」「そう」「そうね。私たちも自然物なんだものね」「そうなんだ。こうしていると、すっかり癒される。そんな気分になれるんだ」
　
　
3️⃣ ラベル（１）

　「あなた？」「ん？」「グラスは？どんなグラスなのかしら？」　
　女の囁きは男の耳朶の感覚を妖艶に愛撫するのである。だから、女の声そのものが、確かにこの女の肉体の一部に違いないと、男は確信した。
　「ピリカ工芸の、北の国の妙技、イナワシロ切り子のダブルグラス、だよ」「イナワシロ切り子。やっぱりね」「知ってたんだね？」「当然だわ。私達の、故郷の隠れた誇りだもの」「そうだね」「だったら、色は？」「…そうだな。『手負いの灰色熊の春の毛皮色』と、いうところ、かな」
　「まあ。勇壮で、叙事詩みたいだこと。北国山脈の山懐の森の香りがするわ。素敵な比喩ね。でも、凡庸な私などには不思議すぎて。あなた？それって、どんな色なのかしら？」
　「熊の寝息の様な切り子ガラスの中で、真裸の日差しを受けた琥珀のウィスキーに漂う、透明な氷。…そんな彩りかな？」
　
　「そんな魔法のような呟きを浴びせられると、とっても不可思議な気分だけど。でも、あなたって、きっと、優しい人なのね？」「どうかな」「何だか、そんな気が。何もかもが低迷したこんな夜の、微風の囁きの様に、たった今、したわ。こんな不浄な陽気なのに。不思議だわ」　
　「だったら、あなたのは？どんなグラスなの？」「…そうね。『異国の熟れた女の緑の瞳。そして、世紀の煌めき』よ。どう？」「いいね」
　
　「あなた？氷は？」「女男別滝の聖水を幽閉した、大を三個」「知っているわ。ピリカとカムイの二人が離れ離れにされた、あの滝ね？」「そう。敗北を悟ったカムイが人々を救うために、自らワ軍に投降したんだ」「ピリカが自分の涙ばかりを武器に、ワ軍に反撃しようとしたんだけど、遂に叶わなかったのね？」「そう。カムイはアブクマと共に、遥か西方のワの都に送られて、錆びた刀で残虐に首をはねられたんだ」「だから、今でも、あのピリカの涙があふれ出ているという、あの流麗な滝ね？」「そう。ピリカの姿に似ているんだ」「だったら、ピリカの涙の氷だわ。そんな古の悲痛を、あなたはどんな気分で飲んでいるの？」
　
　「あなたは？」「私のは、世情のただの氷だわ。残念だけど。でも、哀感と僅かばかりの希望は、それなりに感じるわよ。それに、私が浮かべるのは二個よ。ねえ？」「ん？」「あなた？」「ん？」「こんな話、好き？」「いいね。どう？」「大好きよ」「面白いな」「そうよ。可笑しい。こんなの、本当に久方ぶりなんだもの。でも、あなたは一人だって聞いたけど。嘘はないんでしょ？」「疑っていたの？」「だって、未だ一度しか話していないんだもの。私は鈍なほどに慎重な質なんだもの。そう、思うでしょ？」
　この前の電話の記憶が脳裏に鮮明な男は、女の宣告に、ふと、違和感があった。女は充分に大胆なのではないのか。
　「だったら、もっと、続けて欲しいわ？」「そうだね」
　
　「どうしたの？」「…美味しいわ…」「喉が鳴った…」「…聞こえた？」「恥ずかしいわ」「いや、艶かしいんだ」「…そうかしら？」「肉体が…」「喉？」「そう」「誰の？」
　
　
4️⃣ ラベル（２）
　
　「ねえ？」「何？」「…若い時は…『童貞と処女の狂った初夜』しか飲まなかったんだけど…」「それは全く知らないわ。…どんなボトルだったの？」「素敵な状況の女体のように。妙に艶かしい」「ん？」「真ん中辺が、怪しくくびれてるんだ」
　
　「ラベルは？」「これは凄いよ」「どうして？」「何せ、『狂った初夜』だからね？」「その名前、動悸がする程、赤裸裸なんだもの」「あんなラベルは、もう創れないだろうな」「どんななの？」「立った女の背後に男が。胸と腰の辺りには霧がかかっているが、どう考えても、二人は全裸なんだ」「霧の隙間から、乳房を愛撫している男の手が、僅かに見え隠れしている」「それで？」「腰の辺りの霧は薄くて、透けて見えるようなんだ」「何が？」「女の陰毛」「まあ」「…だという、噂なんだ」女の喉が発する妖しい音が、電話機に貼り付いた。「薄い靄に霞んだ漆黒の森が、陽炎みたいに茫茫と漂っているんだ」
　
　「女の表情は、到底、処女なんていう類いのものじゃない」「ん？」「飛びっきりに豊満な女が、あからさまに色香を発散させて。官能を存分に堪能している風なんだ」すると、女の沈黙が、次の展開を催促しているのである。
　「どう考えても、二人は交接しているに違いない」「まあ」「立って、背後から挿入しているんだよ」女の吐息が尖った。「女は、その刺激を楽しんでいるんだ」「膣が収縮しているかも知れない」
　
　「待って」「ん？」「あなたのそんな言いぶりって？」「嫌かな？」「随分と、そうね。端的なのかしら？わざと露悪なのかしら？」「だったら、嫌だったかな？」「どうかしら」「止めようか？」「あなたは？」「出来たら、素のままで話したいんだ」
　
　「あなたがそうしたいんなら。変に抗いはしないけど。私だって、虚飾の人となどは、話したくはないもの」
　女の拒絶と認可は、ある種の通過儀礼に過ぎないのではないか。女の艶やかな声色からは、男にはそうとしか思えないのである。「だったら？」「表現の自由に抵抗や批判はつき物なんだもの。そうでしょ？だから、あなたの思いのままに表現すればいいんだわ」
　
　そうして、再び、隠微な物語が始まったのだが。 「その証しに、顔の表情は…」と、男が話し始めると、「唇を半開きにして？」と、思いがけなく、女が、自在に継ぐのであった。些か狼狽しながら、「そう」と、取り繕う男に、「…ぽってりしているんだわ？」と、囁いて、豹変した女は、微塵も意に介さないのである。
　
　「そう」「あなたの好きな唇は、例えば、雪をかぶった寒椿みたいに深紅なんでしょ？」「そう」「きっと、濡れてるのね？」「何が？」「そんな表情だもの。きっと、だわ」「射精を受けている瞬間かも知れない」「まあ」
　
　「そんな処女がいるのかしら？」「だから…」「だったら？あら？年増なの？」「どう見ても、四〇辺りだな」
　「あなた？」すると、女の声音が変わった気がした。「ん？」「だから、彼女は処女じゃないって言うの？」「ん？」「ちょっと、偏見じゃないこと？」「ん？」「だって。年増だって、処女かもしれないわよ？」ようやく反撃に転じようと、男が思わず苦笑すると、「そうよ。私だって…」女は大真面目なのである。「処女みたいなものだわ」「違うかしら？」と、女の優位は変わらない。
　
　
5️⃣ ラベル（３）　
　
　「あの戦争の、敗戦のあの時から、もう、一〇年にもなるのよ」女の吐息が湿っていた。「ずうっと、一人だったんだもの」「そんな寡婦は私ばかりじゃない。この国には、年寄りと寡婦ばかりが取り残されたんだもの」「確かに、私達は処女ではないわね。でも。そう…。処女性？…そうよ…あなた？」「ん？」「処女性だわ」「ねえ？」「違うかしら？」
　　
　「喘いでいる四〇女の処女性だって？」「そうよ」「俺には難しすぎるな」「そうね。難しい話だわね」
　「いずれにしても、その女は、きっと、喘いでいるんだ」「そうかも知れないわ」「交接している場面なんだもの。そんな風にしか見えない」
　「あなたって。あなた？大年増の処女なら、喘ぎ声だって出すわよ」「仕方ないでしょ？女の身体なんて自然に熟れてしまったんだもの。それって、本人の意思とは無関係な。生理の摂理なんだもの。希には不届きな怪物だっているけれど。大抵の女は隠し切れないかも知れないわよ？」女は一気に小論を書いてしまった。

　「そんなものかな？」「そうよ。あなたって、女の何にも知らないのね？」「そうかも知れない」「女なんて、まったく、本性は動物臭いんだから…」「でも、大抵の大方は、殆どを隠し通しているんだわ」女の話は矛盾を右往左往しているから、大分酔ってしまったに違いないと、男は思ったりもした。
　
　「男は？若いのかしら？」「そう。六〇位だな」「まあ。そうなの？」「そう」「…童貞、だったわよね？」「そうだよ」「あなたの話って、まるで真夜中の綺談の香りがするわ」「今は？」「もう、今日も断末魔だもの」「明日にさえ大した希望はないから、綺談もいいんじゃないのか？」「そうかも知れない。そうね。つまらなくはないけど」
　
　「だったら、もっと、驚かしてやろうか？」「ん？」「その男の顔が、ね？」「どうしたの？」「御門なんだ」「ミカド？」「そう」「ミカドって？あの頓狂な？御門なの？」「そう」「敗戦の玉音を金切り声で、おどろおどろしく読み上げた？」「あれには落胆したろ？」「あの日のことは、例えようもない驚愕だったわ。そして、屈辱。現人神が、あまりにもポンチ絵だったんだもの。悔しさのあげくには、涙と一緒に笑ったわ。その御門なの？」「驚いた？」「あなた？そんなラベルが本当にあったら、国賊の類いだわ」「賛同するのか？」「そうじゃないわ。逆なの。私だって。敗戦の半年前だったわ。夫の遺骨の代わりに、南の島の白い小石が入っていて。食ってかかったら、役所の男にそう言われたの」「国賊だって？」「そうよ。御門の為に国の礎になったんだから、喜べって。身体が寂しくなったら、国家の役人の俺が慰めてやる、って」
　　
「…あなた？」「ん？」「そのラベルは写真なの？」「…そうだな。日本画だよ」「だったら、画家が描いたんでしょ？」「そうだな」
　「だったら、二人きりじゃないんだし。それなのに？なの？」「或いは、情欲が昂じてしまったのかも知れない」「そんなことって？」
　「或いは、画家が指示したのかも知れない」「そんな…」「浮世絵だって、そうじゃないか？」「何が？」「春画だよ。見たことない？」女の沈黙は答に違いないのであろうか。「あれは、みんな、画家が指示して描いたんだよ」
　
　
6️⃣ 春画

　「どうなの？」「見たんだね」暫く続いた沈黙に耐えられなくなったのか、「…見たわ」と、女が呟いた。「そうか」「でも、そんな話、聞きたいの？」「話したくないか？」「話させたいの？」「厭なのか？」

　 観念したのか、自身の意思なのか、真夜中の綺談の不可思議に囚われたのか、女が話し始めた。
「嫁ぎ先の倉にあったんだわ」「空襲でみんな焼け落ちたんだけど、金庫の中のそれだけが残って…」「家の人は？」「義父が焼け死んだわ」「そうだったのか」「姑は先に病没していたし。夫は戦地でしょ。子供はなかったから。だから、黒こげの金庫と、それしか残らなかったんだもの」「そうか」「何となく不思議でしょ？」「そうだね」「だから、どうしても、捨てられなかったの」「でも、あんなものだもの。ひた隠しにしてきたんだわ」
　
　「だったら、教えてくれるんだね」「仕方ないんでしょ？」「どんな？」「そうだわ。確か、『枕絵若妻八十八手』とか…」「…『床上手浮世の快楽』というのも…」女が続けて、「『極意若妻の性戯』、そうね。『処女を装う奥義』というのもあったわ」
　「今もあるの？」「あるわ」「そこにあるの？」「押し入れの奥だわ」「でも、もう、見てないわよ」
　「でも、衝撃だったんだもの。だから、色々と覚えていて…」「どんな？」「…そうね…浮世絵や写真もだけど。…戯れ歌があって…」
　
　読者諸兄よ。ここまで書いてきて、筆者にある知恵が浮かんだのである。
　表現の自由とは、いざ挑戦を始めてみると、実に厄介な代物なのであった。とりわけ、性などは、私ごときの無精者の手には余るのである。
自在になどは書ける筈もないし、書けたと自負したところで、発表の場にたじろぐ始末なのだ。或いは、書くばかりに書いたからといって、面白かったり、満足できるわけでもないのであった。
それでも、僅か五年前は、大胆に書き表すことばかりに、充足すら感じてもいたが、古稀を過ぎた今時となっては、その大方は陳腐ですらあるのだ。
これが私の著述ばかりの作用なのかと、いわゆる性愛小説を幾つか聴いてみたが、実につまらない。性の表現の自由などは、それ事態に普遍などはある筈もなく、齢の移ろいの如くに変幻するのだと、大いに反省したのである。

　そこで、全面的な推敲を試みているのだが、捨てがたい表現もある。だが、発表の場が適切ではなかろう、という、いわゆる自主規制をせざるを得ない場面にも直面するのである。そこで、不意に浮かんだのが、ある思い付きであった。
　すなわち、以下の断り書きを入れて、全文を割愛したのである。我ながら、ある種の知恵であると、まんざらでもない。
　
　
　 以下、この小節は、題材の関係上、齢も省みずに恥ずかしながら、実に自由、自在な表現で性を描写しているので、ご不快な読者諸兄を配慮して、公なこの場では割愛する。
　　
　だから、以下に書き進めるのは、公の比率が多い場面には決して公表されない、私流に言えば、『地下文学』なのである。
　

7️⃣ 『性畜』（１）

　 あることを確かめるつもりで、「…『性畜』って映画があったよね？」と、男が試すと、一つ息を含んだ女が、「…観たわ」と、思いがけずに、応えたのであった。だから、男をある疑念が襲って、澱んだ沈黙を創ったのだ。
　女は男の呼吸を計っていたが、耐えきれないのか、「どうしたの？」「ねえ？」と、重ねて督促する。
　「…この前は、知らないって…」と、重い声音で男が怪訝に呟いた。「…この前って？」「一番最初の電話の時…」「…間違い電話の？」「そう。女優の声…」「…紅蜜子ね？」「…そう。『性畜』の。その助演女優の紅蜜子。肉感的な…。濃厚なシーンで話題になった…。その女優と、あなたの声を間違えてしまったんだ」「…そうだったわね。すっかり、驚いたわ」「…あの時には、知らないって…」「当たり前でしょ？」と、戸惑いが簡単に晴れた女は、にべもないのである。
　
　「だって、そうでしょ？真夜中の、突然の間違い電話に、まともな応対なんかしないわよ」「まして、独り身の女なんだもの。自然な防衛本能だわ。それに、私は、人一倍、慎重なんだもの」「あなた？違うかしら？」「ねえ？」
男に、再び、軽い疑惑が湧いた。自身が言うように、そんな女なんだろうか。初めてのあの夜から、女の応対は実に大胆だったのではないか。だが、「…その通りだよ。俺の早とちりだったんだ」と、男は話を握ってしまった。
　
　「あなた？」「ん？」「そんなに、あの女優がお気に入りなの？」と、女が電話機に吐息をかけた。その息は、きっと、大分、生温かいに違いないと、思いながら、「真に迫った演技が良かったからね。素人の体当たりだとか、華族のなれの果てだとか、酷評はされたけど。それでも、到底、演技とは思えない。現実と勘違いするような迫力だったじゃないか？」「そうね。あんなのが上映されるなんて、信じられなかったもの」
　　
　「あの映画は、戦争で不全になった男と、夫に先立たれた女の性愛の格闘の秘密を扱ったんだ。あの戦争の悲喜劇と、もちろん、御門の戦争責任。そして、女の隠され性。どちらも、この国の禁断のテーマだな」
　
　 女が後を追って、「戦後間もない頃、ある復興団地に住む人妻の紅蜜子が、夫の死後の、日もたたないのに。隣の棟の男の、あざとい罠にはめられるんだったわね？」と、継いだ。「そう。実に巧妙な手口でね」「男は半島からの帰還兵で。直に、蜜子に横恋慕しているんだわ」
　「そう。男は、あの戦争で不全になってしまったんだ。だから、帰還して再会した妻との、初めての夜のシーン…」「…凄惨だったわね。妻の役のあの女優…」「大和桜子だろ？」「そうだったわね」「植民地の大陸映画の出で。戦時中は清純派だったんだが…」「あの映画で、劇的に宗旨変えをしたんだわ」「そう」「三年振りに会う夫に、全身をくまなく舐められながら、たった今しがたに抱かれてきたばかりの男を、思い浮かべて、喘ぐんだもの…」「同じくらいの年回りだし。新人の蜜子への対抗心もあったんだろうな」
　二人の映画評論は、異様に蒸す深夜に、果つことを知らないのである。
　　
　
8️⃣ 性畜（２）
　
　「東宮史奇子は？」「ああ。それもある。何しろ元華族だからね。あの横柄には対抗心はあったろうね？」「史奇子は、小料理屋の智都という、女将役の濡れ場が凄まじかったんだもの」「あんな体当たりの演技を見せつけられたら、桜子だって発奮する筈だよ」
　「それに、あの場面は、相手役の男優が御門に瓜二つで。大騒ぎになったんでしょ？」「でも、特殊メイクだからね。影武者みたいなのを捜しだしたわけじゃない。念のいったことに、御門に似せたメークに、眼鏡と髭を着けたんだ。だから、スクリーンでは御門とは別人だよ」
　「だったら、どうして？」「特殊メイクだけの写真をマスコミに配布したんだ。それで大騒ぎになった」「どうしてそんなことをしたのかしら？」「挑発だよ」「…挑発？」「そう」「解らないわ？」
　
　「御門を神と偽り、戦争責任を、未だに、何もとらずにいるこの国の出鱈目。あげくに、今さら、御門は人間である、などと言っている、頓馬な国家に対する、監督の挑戦なんだ」「まあ」
　「つい先頃までなら非国民の最たる、御門棄損の大罪だ。しかし、国は何一つ手出しが出来ない。彼らの挑発は真実だからね」「でも、右翼が抗議して事件も起きたわ」「それくらいだろ？映画機構も騒然となったが、規定にはないんだ」
「それに、桜子は北の国の貧農の出だった。幼くして、遊郭に売られたという説もある」「そうだったの？」「女優に発掘されるまでにも、苦難だったから。貧困の現実が身に染みていた」「だから、売れない清純派女優のままでいるわけにはいかなかったんだろ」
　
　「…それにしても、あのシーンは…」と、女が呟いた。「ん？」「…何て言うのかしら…。仰天したわ」「…画面一杯に、股間が映し出されるんだもの」「作り物、のね」「でも、それが桜子のに、挿入されたのよ？」「絶妙な撮影技量だった。あれでは、本当の交接と思うのも無理はない」「後で知ったけど。萎えているのや、中途までのや、完全に隆起したのや。あんなに変化させて。みんな事実だと思い込んでいたわ」「全部で五〇本くらいを作ったらしい」「そんなに？」「映画全体で、だよ」「外にも男優がいたろ？」「そうだったわね」「現実感を出すために、それぞれの男優のを模倣したらしいんだ」
　
「生々しい筈だわね？」「自分のより大きめに指示をした男優もいたそうだ」「まあ」「これは、ある芋茎ｽﾞｲｷ職人の伝説の技なんだ」「随喜？」「まあ、その通りだけど」と、男が笑った。「何か、可笑しいのかしら？」「知ってるだろ？昔からの性具だよ。芋茎で随喜するんだ」「そう言うことだったのね。厭だわ」と、女も笑う。「材料は戦勝国から輸入した最先端の物質だが。あの加工はその職人にしか出来ないんだよ」
　
　「それって、自主検閲を、ますます、強化している映画機構への挑戦なのね？」「あんなものは、いわば、玩具だからね。法律には触れないから、映画機構も手出しは出来ないだろうと、監督は踏んだんだな」「でも、すぐに上映禁止になったわ」「外にも、御門や国家、性の禁忌への挑戦が満載だったからね」
　
　「男が蜜子に、試作品だといって送り付けた性具も、そうだろ？」「そう。本物にそっくりだったわ」「蜜子は、男が書いた添付の手紙を読まずに、不用意に、それを試してしまうんだ」「それが罠だったんだわ」「そう」「後で、訪れた男に脅されて。散々に蹂躙されて。性の家畜にされてしまうんだわ」「そう」

　「夫が死んだのだって。その男が関わったのを匂わしていたでしょ？」「そうだね」「きっと、あの男が犯人だと思うわ」女は断罪的だ。「どう？」「そうだな。…でも」「ん？」「断定はしてないだろ？」「そうだけど…」
　「妻の犯意も仄めかして、撮っていたろ？」「それは知らなかったわ」「半年ぶりに同衾しながら、妻が涙を流すシーンがあったじゃないか？」「…あのシーンね。…そうね。思い出してしまったわ」「半年ぶりなのに。…半年ぶりだからなのかしら。…凄惨な場面なんだもの…」
　
　
9️⃣ 声
　　
　「私が言うの？」「そう」「厭だわ」「だって…」女の曖昧な拒絶に隣接して、許容が潜んでいる空気がしたから、「紅蜜子の声で、紅蜜子のあのシーンを聞きたいだけなんだ」と、男は念を押してみた。
だが、女は、「あなた？例えそっくりだって言ったって、その声の持ち主は私なのよ。声はあなたに向けて放たれてしまっても、未だ、私の身体の一部なんだもの。そんな風に観賞や吟味されるなんて。あなた？こんな摂理を知ってて、無理を言っているの？」と、存外に頑ななのである。
　
　「あなたったら？」「ん？」「思った以上に、露悪な趣味なのね？」「そうかな。むしろ、あなたの好きな趣向じゃないかな？」「私の趣向？」「ふと、そんな気がしたんだ」「そんな感覚ばかりで、見知らぬ世界に誘い込むのは。ひょっとしたら、あなたは物書きなの？」「書かないこともない」

　「何だか、そんな気がしたわ」「どうして？」「傲慢で。無礼で。独りで感傷に酔ったり。だって、可笑しいわ。ただウィスキーに耽溺しているばかりなのに、文学や哲学だと勘違いしたり。今だって、そうなんでしょ？」
女の指摘は存外に端的だったから、「違いない。あなたの分析には脱帽だ。だって、こんな夜だもの。酔いはまわるばかりだよ。耳許には、妖艶なニョショウ（女性）が貼り付いているしね」「それって、私のことなのかしら？」
　　
　「ここまで生きてきたんだもの。趣向だって。あなたは鍛えられたんじゃないのかな？」「あなたの、あるそんなのって、亡霊のような問いかけなんだもの、意味が不明だわ。私が何を鍛えられたの？」
　「失礼。だったら、俺のこんな趣向は、気に入らないかな？」「それって、あなたばかりの、でしょ？」「そう」「だったら、どうかしら？」「もちろん、無理強いなどはしている筈もないが。始めても、馴染まなかったら、止めればいいんだよ？」女のグラスの氷が崩れる音色がした。「そんな、巧妙な言い回しもあるのね」
　
　 そして、再び、男があの映画を復元し始めたのである。「ある役所の贈収賄事件の捜査が核心に迫ってきて。夫の周辺も慌ただしかったんだ」「そうだったわね」「ある上司が、責任を、部下のこの夫に被せようと画策している」「武津聞多ﾑﾂﾓﾝﾀでしょ？いぶし銀のようなんだもの。とっても、好きだわ」「俺も好きだったんだ。虚無の雰囲気を漂わせていて。演技にも力があったし。インテリやくざの役が、実に良かったな」「あなた？」「ん？」「あなたにも、そんな感じがするわよ？」「そうなの？」「ふっと、ね」「電話の先から伝わってくるんだもの…」
　　
　「夫も、身辺の変化に敏感なんだ」男が氷を鳴らしてウィスキーを含んだから、共鳴した喉の音が女に届いた。「翌日に、男は、業務で大金を扱うことになっていた。すると、自分の置かれている立場を悟った男は、その金を横領する誘惑に取り付かれてしまうんだ」「夫には女がいたんだわ」「そう」「場末の売春宿ともつかない飲み屋の、ふしだらな女なのに。すっかり手玉にとられてしまって。その金の一部を渡そうとするんだわ」

「そして、煩悶しながら、男は家に帰るんだ」「それから、妻との最後の瞬間なのね？」「そう。夫は妻との最後の交接の記録を残そうとして、写真を撮るんだ」「帰ると、すぐに、妻を裸にさせたんだわ」「妻はいぶかったが、押し倒されて、抱きすくめられて、撫でられている内に…」
鈍い沈黙が訪れて、男が何かを待つ空気が伝播してきたから、女が、「…私？」「そう」
　
　 ようやく、女の声が、「…厭だったんだけど、青いワンピースを捲られて、薄紫のパンティの上から、撫でられ続けている内に…」と、男に届いた。「そう。いいね」「そのシーンが全部映っていて。パンティの脇から、陰毛がはみ出ていたんだわ」「そう。実にいい」「…妻の、紅蜜子の身体は、熟れ過ぎているくらいに、爛熟していて。そうだったわね？しかも、半年も放り出されていて。飢えた身体なんだもの。すぐに反応して、濡れてしまって…。そしたら、滲みたパンティも映し出されるの。あそこが極端に盛り上がっていて。涌き出た液が滲みてるから、割れ目まで判明しそうなのよ」「…あなた？」「ん？」「…どうかしら？」「まるで、紅蜜子、そのものだよ」「そうなの？」「絶賛だ」「まあ」
　　
　
1️⃣0️⃣ 映画
　
　「性具を使いたいって、夫が言うんだ」「未だ、日があるのよって。妻が拒むのね？」
　 すると、「俺のより、好きじゃないか？」と、囁いた切りの男が、ウィスキーを飲み始めた。そして、「ん？」と、怪訝な女に、「だから？」と、促すのであった。「ん？私が言うの？」「そう」
　
　 ややあって、女が女優に憑依して、「…随分と無責任ないいぶりなのね。半年も無沙汰だったのは何なのかしら？」と、噂の声で、脚本のない台詞を囁いたのである。
　「役所が非常事態なのは知ってるだろ？」「あれは幹部の収賄なんでしょ？あなたに何の関わりがあるのかしら？」「だから、お前は脳天気なんだ」「そんな罵詈を受ける謂れはないわ。だったら、何かあるなら、話して下さいな」「お前に相談して、どうなるものじゃない」
　「それより、バイブはどうなんだ？」「日が気になるなら、目隠しをしてやろうか？」「…目隠し？」「何年か前に、やったろ？」「…覚えてるわ」「異常に身悶えしたじゃないか？」「…そうかしら」

　 演技ともつかない戯れ言の果てに、二人は暗黙に同意して、乱舞した言葉を沈殿させた。
　やがて、息を乱した女がウィスキーを口にして、「どうだったかしら？」と、囁いた。「思った通りだ」「どうしたの？」「あなたこそが天性の女優かも知れない」「まあ」「確信したよ」「初めてなんだもの」
　
　 再び、男が話し始めた。「夫が妻に目隠しをするんだ」「妻は拒まないのね？」「目隠しをしてするのが好きなんだろ？」「ん？」「違うの？」「私が？」「したこと、ある？」「…ないわ」だが、女の声は肯定を否定したに過ぎなかったのである。。
　
　 「…パンティを破かれて、性具を嵌められたでしょ？それが大写しになって。女優の地肌は見えていないんだけど。見えているよりも厭らしいんだもの。よくあんなのが撮れたわね？」「直接には、何も見せてはいないからね。映画機構の規則には反していないんだ。ワイセツ物陳列の法律にも違反はしていない。監督は盲点を突いたんだよ」
　
　「あなた？」「ん？」「それにしても、性器を猥褻扱いにするって、どうなのかしら？」「そうだな」「だって、生殖にも、排泄にも。私は知らないけど、出産にも不可欠な器官でしょ？」「権力は、その器官がやる性交ばかりは、禁忌にしておきたいんだ」「どうしてなの？」「性の自由を容認したら、世の中が乱れるからだよ」「治世のため？」「そう」「でも、禁止されるから、ますます過激になるのかしら？」「それに、人間は性の快楽を習得してしまったからね。本能なんだ。権力ごときに支配されるものではないよ。そうだろ？」「…どうかしら」

「真裸にエプロンだけを着けた紅蜜子の妻が、背後から夫に挿入されるシーンがあったでしょ？」「ん」「あれが演技なのか、或いは、本当に挿入されているのかと思わせるほどに悶絶する蜜子が、カメラの前で、わざと、エプロンを捲ったんだわ」「そう」「そしたら、股間が真っ黒で」「ゆっくりと、カメラが寄ると、黒い前貼りで…」
　「あれも、あからさまに映画機構への挑戦だな。でも、こんな話があるんだ」「何かしら？」「実際には、挿入していたというんだ」「…知ってるわ」「ん？」「前貼りの下の方を細工して、交合を隠したんでしょ？」「そう。どうして？」「雑誌で読んだわ。偽造かもしれないけど、写真まで載っていたのよ？」
　「でも、どうしてそんなことをしたのかしら？」「夫役の男優が、秘密裡に、監督にごり押ししたらしい」「女優は知らなかったんでしょ？？」「蚊帳の外だ」「凄まじい話ね」「夫役の男優は貧相な役作りをしていて、あそこも短小で粗末だという設定だが、実は希に見る巨根で
　千人斬りの猛者だという噂もある」「知ってた？」「雑誌で…」「射精したという説もある」
　　
　
1️⃣1️⃣ 映画（２）
　　
　「あの夫婦は不和だったんだけれど。あの映画は、殆どの男女などはそうしたものだ、という普遍の概念の視線で見ているね？」「そうね。あの戦争を潜った者は、何らかの傷は負ったんだもの」「あの夫婦に限らずに、男と女なら尚更なんだわ」「子供もいないしね」「私もだわ。私も、やっぱり、不和だったのかしら？」

　「たった二人きりの暮らしなのに。互いに、寄る辺のない現実の、片隅と片隅に佇んでいたんだ」「そうね」「夫は定年間際の小役人で。人生そのものに憔悴しきっている。とりわけ、近年は、夫婦生活もままならないんだ」「そうだわ」「その上に、ある大がかりな贈収賄事件に、あずかり知らぬ間に関与させられていて」「そう」「ところが、妻は夫の事情などは、露にもおもんばからずに…」「そう」「あげくに、四〇を回ったばかりの女盛り…」「それが、紅蜜子なんだものね」「誰が考えたんだろうな？」「何が？」「まことに絶妙な配役だよ」「まるで、退廃に咲く、熟れた肉の花みたいで。実話のような起用だわね」
　
　「敗戦記念日に、蜜子が自慰をするシーンがあったろ？」「現実のあの日みたいな。酷く蒸し暑い昼下がりでしょ？」「そう」「ぼんやりと性具を眺めているうちに、股間を押さえるんだわ」「スカートを捲ったら、豊かな太股が輝いて…」「パンティを脱ぎ落とすのね？」「指で確認するんだ」「濡れているかどうかだわ。それが、生きている確認なんでしょ？」

「そして、その指がアップになったら…」「桃色の太股が濡れて、光っていた」「汗まみれで？」「そう。異様に蒸し暑い盛夏の団地の一室で。すっかり締め切っているから。女優の全身の汗を、カメラが舐めるように撮っていくんだ」「そうだったわね」「顔や首、乳房。そして、乳首の汗。あれには仰天したな。あれは作り込みじゃないのかな？」「どうなのかしら？」「乳首にも汗をかくの？」男が煙草に火を点けた。
「そんなの、知らないわ」「そんな状況に出会ったことなんて、ないんだもの…」男の紫煙が彼方の女の元にも漂流する。
「でも、余程だったら、どうなのかしら？」「余程って？」「知るわけがないでしょ？」「陰毛の汗も衝撃だったな」「そうね」「あれは、実写なのかな？それとも、あの監督の得意の手妻かな？」「どうなのかしら」

　「性交のシーンがあったろ？」「刺激だったわ」「あの音は凄かった」女の喉が鳴って、「覚えてるわ」「あれから暫く耳について。離れなかったもの」「…女優の喘ぎ声も…」「そうね」「あなたの声はそっくりなんだ」「最初の電話でも、そう、あなたは言ったわね」「外ﾎｶでも言われるだろ？」「時折だわ」「やっぱり、そうだろ？」「でも、今では、蜜子のことを覚えている人なんて、殆ど、いなくなったもの」
すると、暫く、男が答えない。「どうしたの？」「…聞かせてくれないかな？」「何を？」「声」「声？」「そう」「聞いてるでしょ？」「違うんだよ」「何が？」「喘ぎ声だよ」「…私の？」

　
1️⃣2️⃣ 騒擾 ｿｳｼﾞｮｳ

　「あの映画をどこで観たの？」「そうね。あの頃は首府にいたから」「首府に？」「そうよ。言わなかったかしら？」「そうだったかな？」「どうだったかしら？」
　「映画館は？」「繁華街の映画街よ」「そしたら、ワールドキネマじゃないか？」「どうだったかしら」「前衛とか問題作は、先駆けてあそこだったからね」「だったら、そうかも知れないわ」　

「思い出したわ。あの映画は、すぐに上映が禁止になって。そうでしょ？」「そう」「やっぱり、そうよね。そうだわ。だから、上映期間は三日ばかりだったから…」
　
　その時、不意に、女はあることに思い至って、「あなたも、あそこで？」と、確認すると、「そう。話したろ？あのやくざの客分をしていた頃だったから。あそこは縄張りの町内だろ？」と、男の答えは、いとも容易く女の疑念に結びついてしまった。「そうだったわね」
　
　「…あなた？」「ん？」女が、おずおずと、「私達、あそこで会っていたかもしれないわね？」と、切り出した。「そうだな」
「あなたが観たのは、何日目だったの？」「二日目だよ。蜜子の舞台挨拶があったからね。あれは破天荒な女だったから。初日をすっぽかしたんだ」
　女の疑念が、ますます、深まる。「武津聞多も一緒だったでしょ？」「そう」「その時間まで、二人は、五日間も雲隠れをしていて。同衾していたと、もっぱらの話題になっていたものね？」「だから、あの二人が出てきた時は、館内が揺れるほどの狂騒だった」
「驚いたわ」「ん？」「そしたら？」「ん？」「あなた？」「ん？」「私も、その日だわ」「そうだったのか？」「奇遇ね」「奇跡みたいだ」「そうね」
　
　「酷く混んでたろ？」「騒然としていたわ」
　「座れたの？」「ううん」「立ち見？」「ずうっと、よ」「俺もだ」
　「どこらへんにいたのかな？」「一番後ろの、端よ」「スクリーンに向かって。左側の？」「そうだったわ」
　「塑像があったろ？」「あの映画館のグループの創業者のね」
　「あの日は、何を着ていたの？」「ワンピースよ」「色は？」「青紫。夏の外着は、あの頃は、それ一着しか持っていなかったんだもの」
　
　「あなた？」「あなたなのね？」「そうなんでしょ？」「ねえ？」「そうだ」「そうだったのね？」「こんなことって…」「あるのかしら」
　
　「あの時の…あの人が…あなただったなんて」「何を言ったらいいか」「何も言わないで」「私だって。…何を、どうしたらいいのか…」

　「暑い日だったわね」「夏の盛りにしても。狂ったみたいな陽気だった」「映画館の前は騒然としていたわ」「右翼だよ。御門を侮蔑する国辱映画だと憤って。上映を阻もうとして押し掛けていたんだ」「軍歌を大音量で流して…」「街宣車が、かなり、いたからね」

　「軍服を着た御門の肖像画を、何枚も掲げたりして」「あの戦争でも、何一つも懲りていない連中だからな」「戦争中の玉砕する時に掲げた、あの忌まわしい日輪旗が林立していたわ」「戦後は掲揚自粛の雰囲気だったんだが」
　「ああいうのって、身震いするほどに厭だわ」「心底から野卑なんだもの」「北の国の女達を躊躇いもなく犯した、ヤマトの者達の、子孫に思えて仕方ないんだもの」
　
　「映画館の入り口の前では、学生たちが防御をしていたわ」「あの監督の主張に賛同する、極左の学生組織だよ」
　「こちらも車を横付けにして、労働歌を流しながら、大音量で演説をしていたわね」「三〇人くらいはいたけど。数人が右翼と掴みあいになって」「…それを、警察が取り囲んで…」
　
「その内に、数人の学生が、一人の中年の右翼を殴り倒したかと思うと。肖像画と旗を強奪して。ガソリンを撒いたのね。あっという間に火がついたんだわ」「そうだった」「激怒した右翼が駆けつけて、学生と乱闘になって」「そしたら、一人の男が、その殴り合いに割って入って」「すぐに、もう一人が加勢したんだわ」
　「…それがあなただったんだもの」「そうでしょ？」「そう」「忽ちの内に、右翼を殴り倒してしまって」「学生達を説諭していたわ」
　「それから、最初の人と話し込んでいたわね？」「あの男は、繁華街を管轄する警察署の刑事だったんだ」「カミソリという二つ名がつくほどの切れ者だった」
　「あなたが、どうして？」「ある労働争議で、そのカミソリと見知っていて。どういうわけだか、馬が合ったんだ」「そうだったのね」
　
　
1️⃣3️⃣ 叶麗子

　「…その一方では、一〇人くらいの女達が、殆ど半裸に近い格好で騒いでいるんだもの」「おまんこを解放せよ、なんて、叫んでいたわ」女の不意の表現に、男は仰天したが、「御門だって、大好きなんだ、とか」と、止まらないのである。女は余程酔ってしまったのか。

　「この映画こそが女の真実なんだ、とか」「ある女なんかは、これが映画で使われた、世界一、巧妙精巧なバイブだ。あんた達の持ち物よりは使い物になるよ。入れて見せようか？って」「それを取り囲んだ、数人の右翼の若者達が覗きこんで、俺のでやらせろなんて。声をかけているんだもの」「一時の険悪な騒ぎなんてどこへやら。とんでもなく可笑しな光景だったわ」
　「そんな喧騒に、ひときわ目についた、派手ないで立ちの人がいたんだわ」「大柄で、豊潤で。まるで、南半球の混血のダンサーみたいな…」
　「捲りあげたカートの下には、何も着けていないんだもの」「警官が逮捕するぞって、恫喝したら、自分の下穿きを穿き忘れただけで逮捕するのか、って、逆に凄んだら、警官も目を背けるほどの迫力で…」
　「自分のものを見せたくらいで、何が悪いんだって…」「みんなここから産まれてきて。夜毎に世話になっているんじゃないか。最も神聖じゃないか、って…」「一瞬、警官隊の辺りは凍りついていたわ」「一方で、女の周囲からは歓声があがって」

　　「あなた？あの女の人と話していたでしょ？」「見てたのか？」「いかにも親しげだったんだもの。どんな人なんだろうって、酷く気になったんだわ。知ってたの？」
　「世話になっていたやくざの勢力地が、首府で一番の盛り場だったからね」「ん？」「あの女は、その盛り場にバーを持っていたんだ」「それでなの？」「そう。あの人は叶麗子っていう舞踏家で。あの運動の指導者だったんだ」「舞踏家っていえば聞こえはいいんだけど。若い頃は食えずに、一時はストリップまがいもしていたらしい。その時に、蜜子と一緒だったという話もあるし」
　「蜜子にあの役をつけたのは、彼女だという噂もあるんだ」「あの女のバーには、左翼の映画界の人間や作家、文化人がたむろしていたんだ」「行ったことはあるの？」「何べんか、ね」
　「…それだけかしら？」「どうして？」「やけに詳しいんだもの？」「これくらいの話しは、繁華街では知らない者はいなかったよ」「そうなの？」「そうさ。仲間内の口づてだけが信じられる、世界だったからね」「世間の最下層なんて、たまたま触れあった、隣人だけが頼りなんだよ」
　
「あの上映の前にも、いろんなことがあったんだ」「そう。蜜子が襲われたんだわ。劇薬を撒かれたのね？」「そうだった。運良く、かかりはしなかったけど」
　

1️⃣4️⃣ 混沌
　
　ウィスキーを含んだ女が、「そんなことがあって、舞台挨拶のギリギリに駆け込んだんだわ」と、記憶の秘密の述懐を始めるのである。「入り口で、あなたと鉢合わせをしたんだ」と、男が呼応した。
　「そうだったわね」「持っていた紙袋を、あなたが落としてしまって」「あなたが拾ってくれたんだわ」

　「一瞬、何て、いい女だと思った」「ん？」「紅蜜子の魔力も敵わないだろう、って」「私？」「誰がいるんだ？」「魔力？」「そう。男を不可思議に惹き付ける、そんな、言い知れぬ魅力だよ」

　男の言葉が、記憶の海を漂っているのだ。「青紫のワンピースに、稀に見る豊満な身体を包んで…」「駆け込んできたから、息が乱れていたわ」「溢れそうな乳房が、敗戦のあんな状況とは別な生き物のように、波打っていたんだ」 　
　「あの時に、あなたの胸に崩れ落ちて。その拍子に、あなたの手が、私の胸に触れたのよ？」「というより、掴んだんだわ」「そうだったでしょ？」「ずっしりとしたあの肉の感触を、未だに覚えている」「あなた？」「ん？」「私もだわ」「ん？」「ほんの一瞬だったんだろうけど、あの刹那が、不思議なほどに、長く感じられて…」「限りなく安堵したあんな感覚は、未だに、あの一度きりしか味わっていないんだもの」
　「私の後についてきたわね？」「瞬時に、そう思ってしまった」「…どうして？」「誘われた気がした」「私が誘ったの？」「強烈な媚薬を振り掛けられたような」
　
　「酷い混み具合だったわね？」「そうだった。その時に、場内を整理していた係員が、ある労働争議の関係者で。特別な場所がある、って。あの片隅に、ようやく潜り込ませてくれたんだ」「そうだったの？」「あの隅には、大きな塑像があったりして。完璧な死角だった」「それに、総ての視線がスクリーンに、釘付けだったものね？」「そう」

　「それにしても、騒然としていたわ。最前には、学生の一団が陣取っていて。赤旗が林立して…」「そう」「踊り子のあの女達も、負けじと叫声をあげて。だからかしら。あの隅は、まるで混沌が作り上げた密室で。あそこばかりが、取り残されたような世界だったんだわ」
　
　「すぐに、舞台挨拶が始まって。紅蜜子と武津聞多が登場したんだけど」「蜜子が全裸だったんだからね。あれには度肝を抜かれた」「陰毛まで。だったんだもの」「あれは張りものだったんだけと。念のいったことに、本物を植毛したんだ」「実は、あの映画で使われた特殊な装具だったんだわ」「乳房もね」「でも、本当に実物と変わりないんだもの」「表現の自由の、国家権力の揶揄だよ。あれでは、官権も取り締まりようがないからね。実に巧妙な戯画だった。学生が、確かめさせろって、騒いだら。舞台に上がらせたろ？」「そう。乳房を揉ませて。股間も触らせて。そっくりだって、どよめきがあがっていたわ」
　
　「あんな騒然の中で。私の背後に、あなたが。ぴったりと…」「…堪らなく豊潤な身体だった」「あなたは頑健で…」「…芳ｶｸﾞﾜしい臭いが立ち上っていた」「どんな？」「生肉の香りだ」「生肉の？」「そう」

　「…豊かな尻だった」「…あなたのが当たったままで…」
　「映画は淫らなシーンの連続で。忽ちの内に、館内が異様な雰囲気に包まれてしまったんだ」「臭いもだわ」「汗の臭いばかりじゃなかった」「あなた？」「ん？」「…わかってたの？」「臭いだろ？」「そう」「女も多かったからね？」「女って、厭な生き物だわ」「あなたも？」「そうよ。わかったでしょ？」「そうなんでしょ？」「…わかった」「だから、あなたのを押し付けたの？」

　
1️⃣5️⃣ 不全

　「訳があるんだ」「ん？」「この前の電話でも詳しく話したろ？」「ん？」「敗戦から此の方、不全だったんだ」「そうだったわね。つい最近に回復したんでしょ？」「そう。あなたと話し始めてからだよ。ある時に、突発に、異変が起きたんだ」

「あの時もそうだった」「ん？」「あなたの豊かな尻と密着していても、暫くは何の変哲もなかったのが…」「ふと、異様を感じて。気がついたら、長い間、冷温の生き物だったのが、仄かに熱くなっていて」「暫くぶりに血液が流れ込んだみたいで…」「あなたの爛熟した尻から、何かが感染した気がして」「思わず、手を差し入れて確かめた」「思ったよりもざわめいていて」「みるみる内に。熱くなってきた」「その血は、やがて、野獣のものではないかと思う程に、猛々しくなってきたんだ」「それが次第に、奔流になって…」「体の中心を、電流に貫かれた、強烈な刺激があった」「そして、硬直し始めたんだ」

「わかってたわ」「そうなのか？」「あの空間で、密着し続けて。あんな風なんだもの、気付かない訳がないでしょ？」「最初は、生暖かい隆起だけだったわ」「勿論、あれだって、知ってはいたけど…」「これほどの混みようなんだもの。仕方ないわ、って…」「ただ、暑いのだけには、閉口していたのよ」「そうだった」

「その内に、全裸にエプロンだけを着けた蜜子が、背後から、夫に挿入されるシーンになったんだわ」「まる出しの乳房が揺れるたびに、館内に吐息がざわめいていたけど…」「股間ばかりを覆った、形ばかりのエプロンの裏側で、いかにも挿入を思わせる演技が展開されて…」「蜜子の喘ぐ様は、尋常じゃなかった」「官能に身悶える仕草で、乳房を、自分で、狂おしげに揉みしだいたり…」「そう」「蜜子のあの喘ぎ声と、淫靡な台詞が館内に響き渡るんだもの…」「そう」「そしたら、今までに味わったことのないような、不思議な感じに襲われて…」「ん？」「…自分が画面の蜜子と、同じことをされているみたいな感覚なの」

「そんな時に、あなたのが変化し始めて…」「その時に、あなたのを、すっかり意識してしまったんだわ」「勃起し始めたのも、あのシーンの時だ」「それを、いっそう、押し付けたんだわ」「尻を突き出して、応えたんじゃないか？」「そうだったかしら」「それで、驚いた覚えがある」「どう思ったの？」「きっと、ふしだらな女だと思ったんでしょ？」「率直な反応だったから、ただ、驚いただけだ」「きっと、身体だけが反応してしまったんだもの。本心は…」「ん？」「すっかり、動転してしまって」「回りに気付かれないか、気が気じゃなかったわ」

「でも、あの喧騒だし。誰も無関心だった」「本番だ、とか、やっているぞ、と、あちこちから、声が掛かったりして…」「学生は、異議なし、なんて叫んでいるし」「あの上映中は、のべつ、ざわめいていたんだわ」「そしたら、何かの調子で、蜜子のエプソンが捲れて」「真っ黒い股間が現れて」「カメラが、ゆっくり寄っていくと、陰毛が大写しになって…」「館内が大騒ぎになったわ」「そう」「そしたら、スクリーンの下に文字が流れたんだわ」「そうだった」「私共は遵法はもとより、映画機構の倫理規定を順守しております。女優の陰毛様の物は、いわゆる前貼りです。こんなのが、音声でも流れたんだもの」「大爆笑だった」「そうだったわ」

1️⃣6️⃣ 法悦

　「それもその筈だわ」「ん？」「私の前には、中年の二人連れがいたの。とても、夫婦には見えなかったわ」「最初は、男が女の腰に手を回していたの。そしたら」「それで、大胆になったのか？」「そうだったのかしら？」

「あなたの尻と俺のを、随分と擦り付けたろ？」「長かったわね？」「そう」「終いには、立っているのがようやくな程だったわ」「どうして？」「だって。いつの間にか、ワンピースが捲り上げられて…」「あなたが捲ったんだろ？」「違うわ。知らない間に、あんな風だったんだもの」「俺なのか？」「外の誰に、あんなことが出来るのかしら？」「パンティを引き下げたでしょ？」「抗わなかったろ？」「だって、寸分も、身動きがとれなかったんだもの…」「だったら、厭だったの？」「どうだったのかしら？「…私の肉に、あなたの裸のを、直接に押し付けたんだわ」「それは違うな？」「何が違うのかしら？」「あなたが手を回して、俺のを握ったんだ
」「だから、出したんだ」「急かされたと思ったんだ」

「…あんな大胆なことが、何故、出来たのかしら？」「映画は観てたんだろ？」「観てたわ」「そのせいもあったんじゃないか？」「ん？」「淫らな場面の連続だったからね？」「そうだったわ」「どんなシーンだったの？」「あなたが、パンティを下ろそうとしている時は…」「大和桜子と半島帰りの夫の、再会の場面だったわ。二人に子供はいない。桜子は、理容師で。空襲で店も住まいも焼け出されて。戦後は、そこに建てたバラックに住んで、ある理容店に勤めているの。その店主とは姦通していて。敗戦から暫くして、夫が戻ってきたんだわ」「その日は定休日で。昼日中に、桜子と店主は逢い引きをして。散々に交わって。二時頃に帰ると、夫が待っていたんだわ」「夫は、妻の話ももどかしくて。薄い一組の布団に横たわって。妻を裸にさせて。久しぶりの身体の変化を確かめようとするの」「桜子が太股を開くと、あそこの隙間から、一筋が溢れ落ちるんだわ」「そんなのがスクリーンに大写しになるんだもの」

「後で、巧妙な細工だって知ったけど…」「夫がそこに指を入れて。抜き出して、嗅いで。妻に嗅がせて。この臭いが何だかわかるだろ？栗の花の臭いだ、って。桜子は乳房が揺れるほど、頭を振って否定するんだけど」「それから夜半まで、あらゆる手だてでいたぶられて。とうとう、店主との不義を口走ってしまうのよ」「夫は一晩中、煩悶するんだけど。仕舞いには諦めるしかないんだわ。だって、この男は、あの戦争のせいで、不全になってしまって。妻には挿入も、射精も出来ないんだもの」「妻の不義を見逃すその代わりに、生涯を面倒見ろと迫って…」「妻は、その交換を呑むんだわ」

　
1️⃣7️⃣ 朦朧
　
　「後ろに手を回して、俺のを握ったろ？」「忘れたわ」「陰毛も擦って」「きっと、朦朧としていたんだわ。だって、あんなに暑かったんだもの。ねえ？あなた？そうだと言って？私が、朦朧としているのを知っていたんでしょ？」「わかってた」
　
　「だから、私の胸に手を回したのかしら？」「抗わなかったろ？」「亀頭を押し付けたら、酷く熱くて…」「濡れていたんでしょ？」「そう」「いいのか？って。あなたが耳元で囁いたんだわ」「あなたは答えなかった。その代代わりに、俺のを、強く握り返したんだ。そうだろ？」「だって。もう、あんな風になってしまったんだもの…。…ああするしか、仕方がないでしょ？」「そうじゃない方が良かったのかしら？」
　「亀頭を入れたら、収縮して…」「…私のが？」「そう。矢鱈に締め付けられて。痛い程だった」「…だって」「ん？」「…あなたのが、余りに大きかったからだわ」「…わかったのか？」「…当たり前でしょ？」「…形も？」「…はっきり」「…覚えてる？」「…忘れる訳がないわ」「…あれから、何度か、夢にまで出てきたんだもの」「…それくらい、衝撃だったんだわ」

「きっと、驚いたんだわ」「だって…」「ん？」「…ずうっと、してなかったんだもの」「話したでしょ？」「恋人が出征してからだろ？」「あれからは、誰ともしていなかったんだもの」「嘘じゃないわ」「それからも、あの時に、あなたと、ああなったきりなよ」

「…随分と、入れたり出したり、した…」「…ゆっくりと？」「そう」「…あなた？」「？」「よく気付かれなかったわね？」「そうだな」「…あんなに大胆にしたのに。今でも不思議だわ」「…あのシーンだったからだろ？」
　
　「あの時、映画はどんなシーンだったの？」　
「武津聞多と蜜子の場面だよ」「…武津は、役所の金をもって姿を晦ｸﾗました男の行方を捜して、妻の蜜子を詰問するのね？」「前日の様子に出奔の手掛かりがある筈だと言って、事細かに聞き出そうとするんだ」「…強引に納得させられてしまった蜜子が、あの日の夫婦の秘密の全てを、話してしまうんだわ」

（幕間）