茸姫
子ども昔話です。
あるところに、味噌作りをしている婆さんと、味噌漬けをしている爺さんがあった。
ある日、爺さんが、大きな味噌樽を背負って、よいこらしょと川に洗いに行った。樽を洗っていると、川の上流から、ぷっぷらこっこ、ぷっぷらこっこと、手の平ほどの大きさの、茶色い茸がいくつもいくつも流れてきた。
爺さんが、一つ手にとってみると、茶色い茸はよく育っていて美味しそうだった。
爺さんは、茸を掬い取って、樽の中に放り投げた。
そうこうしているうちに、樽の中は茶色の茸で一杯になった。
爺さんが作る味噌漬けは、どんなもので美味しいので、村人たちから、味噌爺さんと呼ばれていた。
「茸の味噌漬けをつくるかいな」
爺さんは、茸で一杯の樽を、どっこらしょっと背負うと、家に帰った。
家につくと、
「婆さま、仰山の茸をとってきましたぞ」
と、樽を背中から下ろした。
味噌作りをしていた婆さんが樽の中をのぞいて驚いた。
「こんなに大きな茸、はじめてみましたぞ、爺さま」
爺さんも覗いてみると、なんと樽の中の沢山の茸は、大きな一つの茶色の茸になっていた。
爺さんは樽を逆さにすると、茸を床の上に出した。茸を床に立てると、婆様の背丈ほども大きなものだった。
「小さくしないと味噌漬けはでけん」
爺さんは包丁を持ってくると、えいやと茸の傘のてっぺんに切りつけた。
そのとたん、茸はぱっくりと二つに割れ、なんと、中から、女の赤ん坊が一人ころがりでてきた。
婆さんと爺さんには子どもがなかった。
これは、天からのお恵みと、この赤ん坊を茸姫と名づけて大事に育てることにした。
ところが、茸姫は牛の乳も、山羊の乳も飲まず、水すら飲まなかった。心配した爺さんと婆さんは、豆腐をすり潰したり、ゆでた豆をすり潰し、水に混ぜたりして食べさそうとしたのだが、まったく食べない。
爺さんと婆さんは、心配で心配で、いろいろなものをためした。
ところが、なんと、山から採ってきた茸をすり潰し、山羊の乳に混ぜて飲ますと、よく飲むようになった。
それからは、今までがうそのように、茸姫はすくすくと大きくなった。
しかし、茸姫は茸しか食べることをしなかった。
そんな茸姫をみて、爺さんと婆さんは、山に入っていろいろな茸をたくさん採ってきては、丸ごと味噌づけにして、いつでも茸を食べることが出来るようにした。
爺さんと婆さんのかいがいしい献身のおかげもあって、茸姫は大きくなって、その村でも一、二を争う美貌の持ち主になった。
爺さんと婆さんが住んでいる国の殿様は、大変な業突く張りで、村の人々から高い年貢を納めさせ、悪行の限りを働いていた。
そんな殿様が、茸しか食べない美貌の娘がいることを聞き及び、城にさし出すように、村の庄屋に言ってた。さし出さぬときは、年貢を三倍にする、もしさし出せば、二倍でよいという、これまた酷いものであった。
庄屋様は、味噌爺さんと婆さんに、これこれしかじかと、わけを説明し、茸姫を城にさし出すように頼んだ。
爺さんと婆さんは、手塩にかけて育てた茸姫を、強欲な殿様になど渡したくないと、ことわった。
庄屋様は、何度も爺さんと婆さんの家に訪ねてきて、頼み込んだ。
庄屋様が八度目に訪ねてきたときだった、茸姫も話を聞いていて、
「おじいさん、おばあさん、今までこのように大事に育てていただいて、ありがとうございました、ご恩に報いるためにも、わたくしはお城にまいります」
と、両手を突いて言った。さらに、庄屋様に、
「お殿様に、年貢を上げないのなら、お城に参ります、と申し上げてください」
それを聞いて、早速、庄屋様は殿様にそのことを伝えると、殿様は、しぶしぶ、年貢を上げないと約束をした。
爺さんと婆さんはそれをきいて、泣く泣く承知をして、茸姫を城にさし出した。
別れの当日、爺さんと婆さんは、からだを大切にしなさいと、婆さまが大事にしている味噌を半分茸姫にもたせてやった。爺さんは爺さんが考えだした、とても旨い味噌づけの方法を教えてやった。
茸姫は城に上がると、すぐに殿様にお目通りをした。透き通るように白い茸姫を見た殿様は大層喜び、
「よくきた、茸しか食べぬそうだが、茸の生えぬときはいかがしていた」
と、尋ねた。
「はい、お殿様、私は茸しか食べることができません、夏や冬には茸を探すことが難しく、食べ物がなくなると、死んでしまいます、そのために、茸を味噌漬けにしておき、夏や冬でも食することができるようにしておりました。お城でもそうさせていただきたくお願い申し上げます」
と、茸姫は答えた。
「よい、茸を採る女中を茸姫につけてやろう」
「ありがとうございます、育ててくれたおばあさんが持たせてくれた味噌種がございます、それで味噌を作り、美味しい茸の味噌漬けを作ることができます」
「そうか、わしにも食させてはくれぬか」
「もちろんでございます」
殿様は話に聞いていたより、とてもやさしく、茸姫は秋と冬は毎日のように茸の味噌漬けを楽しく作ることが出来た。
殿様も、茸の味噌漬けが大好物になり、朝昼晩とお食事のときに必ず召し上がりになったた。夕餉においては、茸の味噌漬けで、お酒を必ず飲んだ。そのとき、茸姫も一緒に食事を許され、村の人々が、どのように苦労をして田を耕し、お米を作るか、しかも、とったお米は、ほとんど食べることができないことを話した。
「米は皆の口に入らぬほど、少ししか出来ぬものなのか、城の蔵には余るほどあると家老が言うておったが」
城より外に出たことがない殿様は、村の暮らしをなに一つ知らなかった。
「お殿様、村人は年貢というものを払わねばなりません」
「それは何じゃ」
お殿様は年貢のことさえ知らなかった。
茸姫は夕餉のときに必ず村の暮らしの話をした。
やがて、お殿様は、村人の暮らしのことをすっかり知ることになり、村人の暮らしがよくならなければ、国も、ひいては城もよくならないことを知ったのである。
年貢は引き下げられ、凶年不作の時はさらに年貢米が減らされた。
殿様は、茸の味噌漬けを、茸姫の育った村の特産にするように、村に大きな味噌作りの館を建てた。そこで茸姫を育てた爺さんと婆さんが指導をして、茸だけではなく、いろいろな野菜、鳥の肉などの味噌漬けを作り、全国に売るようになった。
おかげで、その地方の人々の暮らしは楽になり、お殿様は日本で一番人々に好かれる殿様になったということです。
その後、茸姫様は八人ものお子様をお育てになり、八十八で幸せの中で一生を終えた。長男の森人様が城の殿様になり、その国が豊かになったのも、みな母である茸姫様のお陰と、茸姫を奉った、草片神社を国のいたるところに建てたということです。
茸姫