植物園
平日の植物園には誰もいなかった。スタッフさえも見なかった。小さな植物園は熱帯植物から寒帯植物まで、陸生植物から水生植物、抽水植物、沈水植物までありとあらゆる植物が育てられ、ビニールハウスの中に入れば、珍しい形のもの、色のどぎついもの、毒のあるもの、毒がありそうでないもの、長ったらしくとうてい覚えられそうにない植物も、テキトーに付けられたのではないかと思われる植物もそろっていた。少しだけ湿度の高い園内の、まるで迷路のように入り組んだ道を伝いながら、「順路」と記された矢印に沿って道を進むと、ハスの咲いた人工池に設置された直角に折れながら伸びる木道と二手に分かれる場所に出たので、より興味をそそられる木道へと歩を進めた。木道といっても半径5メートル程度の小さな人工池に設置された数メートル単位の木床で、途中からは池の両脇に生えたシダや蔦が垂れて行先を覆っている。覆う葉を手で払うようにかき分けた先に木道の終わり、左右から垂れたソテツの葉を払い対岸にたどり着いたその先に、王子さんが立っていた。私の目の前で王子さんは背中を見せるようなかたちで通路の端に立ち、植えられた巨大なサボテンを見つめていた。
王子さんに声をかけると、王子さんは当たり前のように驚いていた。学校は?そう訊かれたので、私は「まあ、ちょっと行きたくなくて」と言うと王子さんも少し照れたように「私も行きたくなくて」と言う。植物園なんて初めて来た、と私が告げると、王子さんは常連だという。私は家からたった一駅ほどの距離に、こんな大きな植物園があること自体知らなかったのに、王子さんは割合ツウだなと思った。植物が好きなのか、と私が訊くと、そうではない、と言う。王子さんは何か口にしかけたが、やはり閉ざし、その後は何も話さなかった。そして私にここに来た理由を訊ねた。
「なんとなく」
本当にそうだったから、そう答えた。学校を休んでしまったのもなんとなくだったし、植物園に足を踏み入れたのもなんとなくだったから、そう答えるしかない。
王子さんは少女漫画に出てくる綺麗な女の子のように、ふふふ、といって笑った。本当に「ふふふ」といいながら笑う人を、私は今まで見たことが無かったから、すごいな、少女漫画から飛び出したみたいだなと思った。そういえば王子さんは身長も中々に高く、165㎝以上はあるのではないか。肩にかかる髪はまっすぐ黒々として、日に当たるとそこに光の輪ができて、手足も長く、身体も華奢で、顔の造作も、特に秀でた箇所があるわけではないが人より劣る箇所も見当たらず、またそれが体のバランスと合わさると全体的にまとまりがあるようで、中々に見栄えをする外見をしている。王子という名前からして、まさに少女漫画に出てきそうな人物ではないだろうか。
「王子さんって、なんだか漫画に出てくるキャラクターみたいにかっこいいね」
なんてことを、大きなソテツの葉を見上げている王子さんの後ろから言葉をかけると、王子さんは目を見開き、そして嬉しそうに微笑んだ。
植物園は広かった。熱帯植物コーナーは巨大なドーム状温室でガラス張り。お化けのように幾重にも幹が枝分かれしたガジュマルの木が中央に植えられ、ダイオウヤシはすでに天井に届くほど。色の強い主張の激しいランや、開花したパパイヤやマンゴー、花も実もなっていないアセロラの木をただ眺めて時間を過ごすのも妙に趣深かった。
私たちは園内の売店でソフトクリームを買って、ベンチに座って食べた。私はバニラで、王子さんはブルーなんとか、という長ったらしいネーミングの(ブルーハワイではない。ブルーハワイはさすがに知っている)ソフトクリームを選んだ。このソフトクリームを選ぶのは二回目なのだという。出てきたクリームの色は本当にあざやかな青色で、なんとかという藻だか海藻だかを練り込んでいて着色もしていない、といったことが店前のメニュー板に書かれていた。私は藻だか海藻がソフトクリームに練り込んである味なんて想像つかないし、興味も沸かない。バニラでいいと思った。真っ青なソフトクリームを美味しいと言って舌でちろちろと食べる王子さんを見ながら、不思議な子だなと思った。水曜日の昼下がりに学校をさぼり、高校から数駅離れた小さな町の植物園でソフトクリームを食べている(私も人のことを言えたものではないけれど)少女漫画みたいな容姿の女の子。
特に仲が良かったわけでもない。ちゃんと喋ったのはその時が初めてだったのではないだろうか。私はその時、植物園の中で王子さんと色々なことを喋った。パパイヤの木が植わっていたから、パパイヤを食べたことがあるかどうか。それはマンゴーよりも美味しいのかどうか。パパイヤもマンゴーも食べたことがあるという王子さんに、パパイヤもマンゴーも似ているけど味は同じなのかと私が疑問を投げかけると、王子さんはしばらく考えて、だめだ思いだせない、と言って、またソフトクリームを舌先で味わいだした。ソフトクリームは溶けかけていて、王子さんの指を青く染めた。染色した指をポケットティッシュで拭きながら、家庭科の話をした。実習で染色をしたのだが、どの班も上手く染めることはできなかった。染めるって、誰が最初に考えたのだろう。どういった経緯で?オシャレ?魔除け?ねぇ何色が好き?いつから?小さな女の子はどうしてみんなピンクが好きなのだろう?いつからピンクに飽きるのだろう?ピンクに飽きずに好きでい続けている女子と、飽きてしまった女子の分岐点はどこ?違いは何?女子に生まれてよかった?男子に生まれ変わりたい?男子に生まれたら何したい?次はどんな人に生まれ変わりたい?
「モデルになりたい」
王子さんはコーンを巻いていた紙で紙縒りを作りながらそう言った。思い切った口調だった。王子さんの言葉でどこかの枝から葉が落ちたのではないか。五十メートルほど向こうで何かがはらりと落ちた気がした。
「私モデルになりたいの。人に言うのは初めてだけど」
王子さんは手の中の紙縒りの細い先を指先で弄びながら、恥ずかしそうに言った。夢を語るというよりも自分の恥部をさらすような言い方である。「お父さんが痴漢をしたの」とか、「お母さんが五年も不倫していたの」といった類の話をするような雰囲気だった。
その時私はなんて言葉を返しただろうか。なんとなく曖昧に、夢があるのはいいよね、とか、王子さんは背が高いもんね、とか言ったのではないだろうか。私たちはパパイヤの細く長い木に、たわわに実がなっているのをずっと見ていた。トックリヤシのずんぐりとしたフォルムやバニラと書かれた表札を見たから、熱帯植物コーナーのベンチに座っていたのだろうけれど、その時に話した内容や王子さんの声のトーンまで覚えているのに、湿度や温度といった類の記憶がすっぽりと記憶から抜けているから不思議だ。そういえば季節も曖昧だ。確か五月頃のような気もするけれど、九月頃だったような気もする。冬ではない。高二の冬には私のさぼり癖も一段落して割合学校に通っていたから、それは確かだけれど。
「笹川さんは小説家になるの?」
そう王子さんに訊かれて、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。なぜ?どうしてそう思った?小説家?
訊けば一年生の夏休みに書いた読書感想文が学年通信に掲載されているのを読んで、そう思ったのだという。確か『アルケミスト 夢を旅した少年』の感想を書いたのだ。小説も好きだったので簡潔にまとまりよく書け、担任に褒められ、その後学年通信に載せるという流れになったのである。私は嬉しかったけれど、一部、書評家の意見を流用した部分があり、学年通信に載せられると誰かにバレてしまうかもしれないと妙な焦りを感じたりしていた。でもそんな心配は無用で、毎月配布される学年通信に目を通すような生徒はほぼおらず、いても誰が書評家の意見と酷似する一文を見つけてくるだろうか。友達さえも誰も感想を言ってはこなかった。誰も読んでいないことに胸を撫でおろしたけれど、とはいえ、誰も読んでくれないことに虚しさを感じたりしていた。ただ王子さんは例外的に、最後まで読んでくれた稀有な一人だったらしい。
王子さんは私の感想文を読んで、文才があると思ったのだそうだ。如何せん私は照れてしまって、いやぁそれほど、とか、そんな大したもんじゃないよ、などといって都合よく書評家の流用については忘れてしまった。
「文が上手い人って、単純にどうやって書いているのかなぁって思う。どういった視点から書くの?この思いを書きたい、って思うの?私どっちかっていうと理数系だし、作文はめっちゃ苦手だから、文を書ける人って単純にすごいって思う」
王子さんはそう言って私を褒めてくれた。照れながらも嬉しくて、私はいい気分に浸っていた。そうだ、別に小説家になりたくないわけではない。はっきりというと、なりたいのかもしれない。でもその当時の歳の頃合いがそうさせていたのか、小説家になりたいです、なんていう言葉が妙に馬鹿らしくて子供じみていて、なりたいのになりたくないフリをしていたのだ。王子さんのように素直になりたいものを人に言えていたら、私は今頃、苦労はしていないだろうか。
植物園の中は眩しいくらいに青々とした緑で茂っていた。ガラス張りの窓からは陽ざしが容赦ない。そこらじゅうに緑が萌え、私の心臓はどくどくと高鳴っていた。小説家になる。胸の中のコンパスの針が確かに一点を指していた。充ての無い不安な航海に射した指標のように、その思いは輝き、焼き付いた。
あの時の私は、まだ若くて恥ずかしくて無謀で大胆で、ただちょっと学年通信に載せられるぐらいの文を書いただけで自分には才能があるのだと己惚れる人間で、なのに誰からも称賛されなければ、載っていたことさえも忘れて自分の心を偽るような人間だった。なりたいものをなりたいと、王子さんのようにはっきりと人に言えていたら、今も苦労はしていないだろうか。
植物園の入り口で私たちは別れた。くだらない話をし過ぎて、帰りは夕暮れ時になっていた。大きな夕日が線路向こうの街並みに落ちているのを記憶しているのに、やっぱりその日の気温や温度は思い出せない。
「明日は学校にくる?」
と王子さんに訊かれたので、私は、
「たぶんね」
と言って笑って見せた。たぶんってなに、と言いながら王子さんは笑った。「王子さんは学校来る?」と訊くと王子さんは、
「たぶんね」
と言って手を振った。
次の日、私は普通に学校に行った。王子さんも普通に登校していた。教室で会うと、私たちは普段以上には馴れ合った感じで挨拶を交わしたけれど、けれど特段それ以上に話すことも関わることもなく、卒業までついにあの日のように喋ることはなかった。冬以降、私のさぼり癖は解消されていき、王子さんもあの日以外さぼっているような様子は見なかった。三年生になると、私はそれなりに受験勉強に励み、身の丈に合った地方の大学に進学した。直接王子さんから聞いたわけではないけれど、王子さんは卒業前にどこかのプロダクションのオーディションを受けて合格し、そのまま東京に行ったということを、仲の良い友達経由で知った。
いつだっただろう。社会人になって一年か二年目ぐらいだったように思う。その日は仕事でくたくたに疲れて、帰ったのが十二時をこえていた。風呂に入って寝るだけ、と思いながらもテレビを点けると、若手芸人が司会のクイズ番組が放送されていた。司会者は流行りのコンビ芸人、そして解答者は若い女性タレントばかりが数名。そのタレントの中に、王子さんを見た気がするのだ。見た気がする、というのは王子さんらしき女性が映った瞬間とっさにテレビを消してしまったので、真相の程が分からないからである。怖かったのだ。
王子さんと思しき女性は、胸元に他のタレントと等しくネーミングプレートを付けていて、そこには確かに王子さんの下の名前が書かれていた。高校生の頃よりも痩せてメイクもし、端的な言葉で言うと、あか抜けていた。肩までかかる流行りの髪型に、白っぽいニットのトップスを着ていた。王子さん(と思しき女性)は「卵」と大きく手書きされたフリップを司会者に向けて持っていた。それが答えなのかどうかは知らない。他にも同じ言葉を書いているタレントもいた。それとも大喜利のようなことをやっていたのだろうか。他の女性タレントたちはみんな笑っていたけれど、王子さん(と思しき女性は)笑っていなかったのが印象に残った。私はもう一度テレビを点けよう、あれが本当に王子さんかどうかを確かめなくちゃ、と自分を奮い立たせてみたけれど、しかし結局、再びテレビをつけることは出来なかった。
あの後、私がテレビを消した後で王子さんは笑っていたのかもしれない。私がテレビを点ける前にも、たくさん笑っていたのかもしれない。なんなら一番キレのあるコメントを言うから司会者から何度も話題をフラれていたかもしれない。私がテレビを点けたタイミングだけ、笑っていなかったのだ。そう自分に言いきかせていた。いつかまたテレビや雑誌に現れるかもしれないと、私は王子さんの出現を待ちわびていたけれど、それきり王子さんの姿は見ていない。
あの植物園から何年経ったのか、両の手で数える範疇をとうに超えて以降は、思いだそうともしなくなった。
大学を卒業後、私は当たり前のように一般商社で営業職に就き、転職し、また違う商社で働きだし、そこで知り合った同僚の男性と結婚した。子どもはいない。今年で四十を迎えるので、たぶんもうできないだろう。三十五を過ぎたあたりから諦めがつき始め、以降は気分も何となく晴れやかになった。ああ、私には、私達には子どもが出来ないのだと、自然と受け入れることができた。子どもはいなくても二人で穏やかにやっていけそうだし、いいだろうと思っていると、ひょうんなタイミングで「子どもはいた方がいいよ」などという声を周りから受けたりする。人の事なのだからほっといて欲しい、そう言ってやりたいが。
何を諦めるか、何を望むか、臨み続けるのか、そんなものは人の勝手なのだから他人がとやかくいうものではない。子どもは歳を重ねるにつれて諦めがついたけれど、文を書く諦めがまだつかない私は、誰かから「書き続けた方がいいよ」という言葉で奮起できるだろうか。
何となく誰かの目に留まればいい、そう思って、地域のコミュニティペーパーにエッセイというか、短文のようなものを寄稿してみたのも、誰かから「書き続けた方がいいよ」という言葉を望んでいたからかもしれない。四年前、仕事と家事の合間を縫って、それでも試行錯誤しながら書いた八百字あまりの作文は、日常の些細な喜びをほつほつと綴ったものだ。どんなものかは言えない。恥ずかしくて言えない。それでも編集者からは褒められ、また書いてみないかと言われた時は嬉しくて、何とか次も必死になって書き上げた短文を出すと、後日電話が入った。「面白いから笹川さんのコーナーを設けようと思うが、どうか」そう電話で告げられたあの日は、頭の先まで痺れて髪の毛が逆立っていく感覚を覚えた。次、次、そのまた次、なんとかかんとか締め切りに間に合わせながら書いている間に、いつの間にかライターとしてフリーペーパーや雑誌の端にちょっとした短文を書かせて貰えるようにまでなった。立派な暮らしができるほどの収入はないけれど、それでも細々と、いちライターとして生活できるようにはなってきている。
あの時、テレビで王子さんを見た時。なぜ王子さんが笑っていなかったのかはなんとなく想像できる。王子さんと初めてまともに喋った日に、モデルになりたいと私に告げたあの瞬間は、たしかに空間の芯を捉えて空気を震わせた。植物園中に伸びる枝も葉も、萌ゆる花も芽も、息をのんで私達を見守っていた。私たちは高校生でまだ若く、どこにでも行けそうでどこにも行けなかった。少しだけ学校をさぼり、家からも学校からも近い植物園に行き、熱帯植物を見ながらソフトクリームを食べ、夢を語るしかなかった。けれどもそれがあの時の全てで、そして私達の最小公倍数だった。王子さんの発した言葉は、言葉と共に発した空気は、あのテレビで見たスタジオの空気とは全くもって異質であり、王子さんの夢は少なくともあのスタジオでクイズや大喜利をしているのとはかけ離れた場所にあったのだろう。
夜の十一時を過ぎた頃、いつものように机に向かいパソコンを立ち上げて原稿用紙を広げる。私は昔から夜型で、夜の方が仕事がはかどるので、昼以降から仕事を始めて夕方頃に一旦休止し、晩御飯を作って家事をして、少しだけゆっくりした後で再び仕事を開始する。眠るのが大体深夜の三時頃で、朝は九時頃起床する。これが毎日のルーティンで、もう三年はこの生活を続けている。そして机に向かう。今日も、文を書いている。
モデルにはなれましたか。私は未だ小説家になれていないけれど、細々と文を書く生活を送っています。
そう、コラムニストってやつかな。なんてね。コラムニストだなんて気恥ずかしいね。高校生の時は文を書く人といえば小説家以外に知らなくて、コラムニストやエッセイストなどという道もあるということを、大人になってようやく知りました。文を書いてお金を稼ぐっていうのは小説家じゃないと無理なんだ、って思っていたから、あの時の私はすごく生きづらかったと思います。世の中は、物事は、一つしか方法が無いわけじゃないということを大人になって徐々に知りました。そうしたら面白い事に、するするすると気持ちが楽になって、毎日難儀な思いをしていたのがウソみたいに解かれていって。
人の言うまま、言われるまま、書いてみたら?という言葉だけに従って書いていく内にいつの間にか、文を書くことを生業にしていたのです。それにしても、いつから夢って生業に変わるんでしょう?きっと若い時分には、生業という、生活に直結するイメージを持たずに将来像を描いていただろうに。夢を追っていけばいくほど、締め切りに追われ追われ、一本こなすと次の一本、またその次、その次と、終わるたびに気力も体力もすり減らして、描いていたものはこんなんじゃなかったのにとか、どうすれば理想に近づけるのかと、苦悩したりします。気分の乗らない仕事や不本意な仕事も多くて、こんなのを書きたいわけじゃないのになぁと、明け方近く寒々しい布団に潜り込み、寒くて震える体を手で撫で撫で、しみじみと思うのです。仕方ないよね、こんな物書きの端くれじゃ。仕事は選べないから。
でもね、不本意な気持ちになりながらも、それでも何本かに一本は思わず手を叩きたくなるような最高の表現が降りてきて、気分が高揚する瞬間があるの。そんな時にはいつもあなたを思い出す。あなたがまた偶然にも私の文を読んでいてくれないかな、なんて願ったりする。そして「書き続けた方がいいよ」と言ってくれるのを待っている。し続けていればきっと何かがあると思って書き続けているの。私は今日も書いているのよ。
だからあなたもあなたの夢の周辺にいつまでもいてくださいね。いつまでもいつまでも、たとえ何歳になっても、若い頃に自分が描いていた理想が変容しても。それでもいいや、これも人生だと気を大きく持って、いつまでもしぶとく夢の周辺でうろちょろしていましょうよ。
モデルにはなれましたか。あなたによく似た人をテレビで見ました。
〈了〉
植物園