銀河鉄道に憧れた夜

 現代人にとって、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』はすでに往年の名作となっている。現代に生まれる作品群とは似つかないような文体で、名作集などでしか触れ合うことのない作品だ。もちろん、いろいろな現代文学がこの作品に影響を受けているので、名前を知らない人もいないだろう。

 そんな作品に影響を受けたものの最たるが、松本零士の『銀河鉄道999』だろう。マンガを文学に含めてもよいならば、現代人にとってみれば、これも古典文学のようなものだ。古典文学は通常江戸時代以前のものを指すが、マンガ・アニメの世界の歴史は小説文学のそれより短く、その歴史の初期の作品が古典だといわれても仕方ない。

 新しい作品を常に享受できる現代人にとって、昔の作品などあまり興味がないのかもしれない。それでも、これらの作品は強いインスピレーションを与えてくれる。色あせることのない名作だと思う。

 あまり気づかれていない話であるが、『銀河鉄道の夜』と『銀河鉄道999』は全く別の、僕に言わせれば正反対の主題へのアプローチを持っている。

 『銀河鉄道の夜』では、その列車は川に沿ってサザンクロスに向かう。作中、天の川と連動しているその川は、実は「此岸」と「彼岸」の象徴であり、サザンクロスは南十字つまり十字架だ。もうお分かりだろう。この列車は死後の世界へ向かうのだ。

銀河鉄道に乗り合わせた主人公ジョバンニと友人カンパネルラは、別々の切符を持っていた。それもそのはず、ジョバンニはまだ生きていて、対して現実世界に帰ってくるとカンパネルラが溺れたことを知る。死にゆく人との交流をもって、彼らに敬意を持ち、死への畏怖を感じ、生きるための決意をするのだ。

この仏教観とキリスト教観が混じった不思議な物語は、いわば「死ぬこと」と「生きること」の対比だ。

『銀河鉄道999』ではどうだろう。いくつかバージョンはあるが、その列車は惑星プロメシュームに向かう。設定は、機械の身体に魂を移し替えて永遠の命を謳歌する裕福な人々が、機械化できない貧しい人々を迫害しているというものだ。惑星プロメシュームは、無料で機械の体をくれるという星である。

主人公星野鉄郎は、機械化人によって両親を奪われた。母親の遺言から、迫害されないための機械化を目指し銀河鉄道に乗り込んだ。しかし、旅路で様々な機械化人・生身の人間を目の当たりにする中、「永遠の命は果たして幸せなのか」を自問自答する。そして、「限りある命だから、人は何かをやりとげようとする。おたがい思いやりややさしさが生まれる。」と気づくのだ。

このあるかもしれない未来をえがいたSF作品は、いわば「死なないこと」と「生きること」の対比だ。

「生きること」と向き合うのは難しい。とりわけ現代、生きたい気持ちと死にたい気持ちと死にたくない気持ちとが同居しているのだ。

たくさんの情報であふれかえり、そのどれを信じるかで分断が生じる現代だ。命を賛美する言葉、それを否定する言葉、自殺を肯定する言葉、それを否定する言葉、長生きを是とする言葉、それを否定する言葉……。

ただひとつ、言えることがある。物語の世界は変わらず美しいということだ。二つの銀河鉄道はそれぞれ別のものだが、美しい描写に変わりはない。ひたすら美しい風景には、人の心を動かす力がある。現代人には銀河鉄道が不足しているのだろうか。

銀河鉄道に憧れた夜

銀河鉄道に憧れた夜

佐賀大学文芸部、企画誌「描いて、書く」掲載作品。一部抜粋

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-06

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