白日夢 卍子
白日夢 卍子
まさに、「事実は小説より怪異なり」なのである。この一小編は作り事では、一切、ない。すべて、現実に現れた事象である。
発禁本などをはるかに凌ぐ私小説や私映画、私歌が巷に溢れていて、それは近年、甚だしいのである。自己愛と私欲、私憤と私怨のあからさまな表現だ。利自が全てなのだ。この自己中心の極限にまで到ってしまったこの国には、もはや身を研ぎ、身を裂く如きの公憤の論理や気概は、存在しないのだろうか。
だから、私ごときが、今、敢えて為す卑小なこの綺談などは、差し詰め、浅ましい稚戯に違いないのであろう。
1️⃣ 蝶
あるところに、一つ違いの義理の兄妹がいた。
再婚同士の両親が共稼ぎだから、必定、しばしば二人きりになる。
××年の盛夏。高校ニ年の草男と、一年の卍子の二人が夏休みの、酷い暑さのうえに異様に蒸す、けだるい昼下がりだ。風も、すっかり萎えているのである。
ぼんやりとテレビがついている。高校野球だが、大して好カードではない。
自堕落な午睡の寝起きに違いない卍子が、厚い唇を紅い舌で濡らして、黄色に彩色されたアイスキャンディを嘗め始めている。
その時、咄嗟に、極彩色の蝶が二羽の塊で飛び込んできて、乱調に舞い踊り始めた。その一対は、怪しげに、危うげに融合しながら、鱗粉を振り撒くのである。女は、この不意に現れた生き物が、露に交接をしているのだと悟る。こんな気だるいほどの酷暑に、交尾しながら、これ見よがしに乱舞する生き物の生命力の意図が、不可解でならない。男は、その女の横顔を好奇な瞳に盗んでいる。
真昼の交尾は、二人の頭上をこれ見よがしに、迷いひらめいていたが、ひとしきりの果てに、二人の眼前の棚に、訳もなく不時着した。そして、交接の快楽の最後を味わう様で、身じろぎもしないのである。
草男の視界の端に浮かぶ卍子は、その光景を凝視しながら、キャンディを男根に似せて陽炎のようになぶっている。草男は、卍子の股間はその唇に似て、暑苦しい肉付きの形態に違いないと、思っている。
女の瞳はねっとりと湿っており、小鼻には細かい汗が浮いていて、野生に放たれた数本のほつれ毛がうなじに張り付いている。その襟元には新しい汗が湧こうとしていた。そして、薄いシャツの下で、最早、完熟し始めた雌の乳房が、鬱鬱と脈打っているに違いないのだ。脇の下にはうっすらと汗が滲んでいる。ブラジャーをしていないから、乳首は誇らしげにその在りかを主張している。すると、女の手が自らの乳房の在りかを確認する様に、無造作に自身に触って、ゆったりと弄んでいる。その淫奔な所作が、男には自慰の変位に思えて仕様がない。その二人の眼前で、蝶の雌雄が長い交尾を満喫しているのだ。その奇っ怪な姿態が、女を陶酔に誘っているのだろうか。卍子の濡れた唇から、甘くて長い吐息が漏れた。
どれくらいの時間であったのか。おそらくは、ほんの瞬時の出来事だったのだろうが、スローモーションで流れる弛緩した現象を眺める如くに、男は感じていた。女は悦楽に没入していたのだろう、陽炎の様だ。
すると、蝶の塊は再び飛び上がり、炎天に揺らぐ庭に消えていった。この小さな獣達が振りまいた劣情の情景は、男の視線も女のまばたきも、艶かしい性戯の詐術に幻惑させてしまっているのである。
やがて、湿った沈黙を破って、「白日夢って、なに?」と、誰に聞くともなしに、紅い濡れた舌をキャンディに這わせながら、卍子が呟いた。
その頃に、××監督の、『白日夢の女』という、話題の映画が封切られて、狭い街中に、主演女優の半裸を据えた、いかにも猥褻な看板が、何本か立っていた。性や天皇制の禁忌に限界を越えて挑戦したとのうたい文句や、突然の主演に抜擢された名もない女優の、体当たりの演技で、映画の中で本当に性交をしたのだと話題になっていた。相手役の助演の男優がこの県の出身だったからか、なおさら噂に尾ひれがついたのである。
「あんな嫌らしい看板を立ててて、いいの?」と、今度の問いは明らかに草男に放たれたのだが、男は答えずにテレビを眺めたままだ。すると、卍子がテーブルの上に豊満な体を腹這いに投げ出して、腕を伸ばして、その先のテレビのチャンネルを弄り始めた。すると、青い半袖のシャツから、濡れた漆黒の猥雑な腋毛が覗くのである。草男にとってはこの上なく淫蕩に刺激の姿態だ。
テーブルの角に女の股間が当たっている。むしろ、わざと擦り付けているのではないか。草男がその音と供に唾を呑み込んだ。
薄いスカートに包まれていても、はち切れる芳紀な肉の存在は隠しきれない。と、その時に、スカートがゆるゆるとまくれて、太股の淫靡な裏側が露になった。すると、その豊かな桃色の秘地で、一つの黒子が動めいているのである。その奇異な情景に、男が矢庭に目を尖らすと、女の原始の肉の上を、蟻がゆるゆると這っているのだった。その微細な獣は、スカートの奥の更なる秘境に、這い登っていくのだ。そして、その獣が踏み犯した肉の軌跡に、一本の陰毛が貼り付いているのだ。陽光に暴かれて煌めいている。男の視力は乱調して眩む。そして、爛熟した卍子の臀部が蜃気楼の様にかげろうから、続いては、軽い目眩が男を襲うのだ。卍子の妖しい呻き声すら、内耳に響く気さえする。いったい、この、あからさまで匂い立つ挑発の姿態は何なのか。最早、この女は、既に、前戯の愉悦に浸っているのではないか。これこそ白日夢そのものではないのか。草男の陰茎が鬱鬱と密かに反応し始めている。
もし、男が妖しい誘惑に触発されたままに直情の行為に及べば、女は許容するのか。趣に反して抗われたら、どう抗弁するんだ。あの母親に告戒でもされたら破滅だ。
血の繋がらないこの義理の妹とは、幼い頃から度々、本能に導かれて因縁を重ねてきたが、女の今日のこの態度はただ事ではない。狂った陽気や蝶の乱舞に触発されて、いよいよ決着をつけたい気分なのか。それならば尚のことに、慎重を期さなければならないのだ。そもそもが、本性の斑気な女なのだ。いつ気分が移ろうものか、知れたものではない。男の自問自答が堂々巡りする。
卍子がその淫奔な姿勢のまま、今度は、男の視線をねっとりと絡め取って、改めて催促した。「ねえ?白日夢って、何なの?」「本当に知りたいのか?」と、念を押すと、男の言葉を舐め回す様に、薄く口を開けて朱い舌を覗かせて頷き、「きっと、映画を観たんじゃないの?」と、誘導する。曖昧に頷くと、「やっばり。そうだと思った。どんな映画なの?教えて」と、テレビを消して、ようやく、野放図に晒していた身体を起こしたものである。
しかし、男はその映画を実際には観ていないのだった。卍子と同じ様に、級友達の話を聞きかじっていただけなのだ。
相も変わらずに小さな扇風機が無機質な音を緩慢にたてて、風にもならない風を創ろうとしていた。草男は、卍子のこの瞬間の心底と気分を試そうと思った。女の足音を聞いて、咄嗟に隠しておいた灰皿を取り出して、おもむろに煙草に火を点けた。
卍子は何も言わない。「前から知ってたもの」「言い付けたりはしないのか?」「どうして?そんな余分な事はしたくわないわ?私、あんな人達とは、すっかり、気分が違うんだもの。関係ないんだから」と、女は自らの乳房に手を当てた。
この怠惰な昼下がりに、女は、若いと言うだけの残忍な凶器で世界を切り裂いて、自分が主人の天界に縫合し直そうとしてているのだ。その戯れの道連れに男を標的にしたのである。
そもそも、この女のおどろおどろしい名前は、いったい、どうした事なのか。随分の後に、男はその由来を知った。ヒトラーに心酔していた実の父親が、卍の字を鍵十字に見立てて、世界戦争の勝利を我が子に祈念して命名したのだという。女は産まれながらにして存在を呪詛されているのだろうか。
こうした女の劣情に指名された男は、しかし、これを幸いと、媚毒をたっぷり塗った言葉で女を淫楽に酔わせてから、蹂躙を存分にしようと企てているのである。性は、往往にして無謀なものだ。邪気も孕んでいる。若さもそうだ。この二つが重なったこの日の昼下がりの独善は、自分一人が住人の世界に、獲物を引きずり込もうとする。互いが獲物の、その確執と相克のゲームが、今、始まろうとしているのである。
2️⃣ 月明かり
男の脳裏に、ある記憶が閃光の如くに蘇った。草男は中学三年の夏休みの深夜に、卍子を夜這いしたのである。早熟な少女は、もはや存分に豊かな身体を、月明かりに横臥させていた。背後から忍んで、身体を並べた。洗い髪の香りが漂う。桃の香りを吐く吐息が深い。熟睡しているに違いないと、男は確信した。息を殺して浴衣の裾を、ひっそりとまくり上げる。豊かな尻が露になった。その尻を撫でながら、女の息に気を配る。微塵も変化はない。身を屈して尻に顔を寄せた。女は男が嗅いだ事のない熟れた桃の匂いに包まれて、眠っているのだ。暫くすると、女が一呻きして寝返りを打って、仰臥した。眼前に、女の陰部が現れたのである。
青く薄いパンティでは覆いきれない程の、肉の重量だ。はだけた浴衣から、素の乳房もあからさまに覗いてもいる。
男は女の股間に、秘やかに手を置いた。女の寝息は、安らかに続いている。今こそは、男は、この股間の実態の秘密を確かめたいのである。すると、パンティを剥ぎにかかった。息を殺して引き下げて、陰毛の突端が現れた途端に、だが、緊迫が途切れて、手をもどしてしまった。その陰毛を指で確認する。若草に似て柔らかい。そして、生温かい肉のたぎりだ。
そうした夜這いは、いつまで続いたのだろう。男は女陰や乳房を飽きるまで撫でた筈である。卍子は時おり呻いたが、目覚める事はなかった。
草男はその卍子の身体を、残虐な性欲に導かれるままに堪能したのだ。
今のこの瞬間は、あの時のように、無為なる俘虜を支配する悦楽の感覚なのだ。
(続く)
白日夢 卍子