桜の雨

 りんごで、魔法みたいにアップルパイを焼き上げた、かのじょ。わたしのともだちだった、ひとりの女の子が、星にえらばれました。それは、そう、えらばれしもの、というなまえの、生贄だったのです。いつか、おわる春の日に、忘れられた恋を種火として、世界は淡く色づいてゆく。放課後。わたしと、かのじょしかいない、教室で、かのじょがつくったアップルパイを、ふたりで食べた。ひみつみたいに、べつに、ひみつにすることはないのだけれど、取り分が減るから、などという、食い意地のはったようなことを云って、ほんとうは、かのじょと過ごす時間を、だれにもじゃまされたくなかったのです。わたしだけをみる、かのじょと、かのじょだけに意識をむける、わたしと、放課後の教室という、ある種の隔絶された空間と、かのじょの手によってつくられたアップルパイ、そして、それを食べる、わたしのからだ、かのじょのつくったものが血となり、肉となり、わたしの一部になることを想像するだけでも、歓喜に打ち震えるのでした。わたしが、死ぬほど好きだった、かのじょはいま、星のなかにいて、その体内から、かのじょの気配は、なんとなく感じているのです。庭に水をまいているとき、駅のホームでぼんやりしているとき、おいしそうなパンやさんに入ったとき、さびしくて、知り合ったばかりのひととセックスをしたとき。あ、かのじょがいる、みている気がする、わたしのことを、と想うと、途端に、視界が桜色に染まるのでした。雨に濡れた街みたいに。

桜の雨

桜の雨

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-03

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