ジオラマ
僕は芯から温まっていくのを感じた。こんな感覚はいつ以来か、もしかすると、はじめてかもしれなかった。あまりの幸福感に、僕はもう生きていたくなかった。不幸は持続しても、幸福は持続しないと信じ切っていた。線上にいられないなら、点上にとどまりたい、そう思いつづけていた。終止符を打つ契機をずっと窺っていた。最初で最後だと思ったものは、どうしても最初で最後にしたかった。余韻に浸る、回想するということが、いつからか恐ろしくなった。冒涜のように思えた。苦痛は僕に、さまざまなものを創造させてくれた。僕はそのジオラマの中を満足げに歩く時もあれば、悄然と歩く時もあった。が、時が経つにつれて悄然と歩くことの方が圧倒的に多くなった。僕は不意に唸りだす苦痛にしばしば圧倒されていた。はじめのうちは戦々恐々として、時に嫌悪さえしていたが、いつからか、苦痛なしでは自分の存在を認識できないまでになっていた。苦痛が僕の本質であり、世界であり、すべてだった。苦痛と縁を切った自分など、とても考えられなかった。苦痛より、苦痛がなくなることの方が耐え難かった。僕はもう、気が違っていた。気が違っていたけれど、確かに幸福だった。少なくとも、苦痛と共にいる間は、安らいでいた。傷つきながら、安らいでいた。不幸と幸福が同義になったあの日から、僕の人生は始まると同時に終わっていた。これでいいと思った。これが僕だけの真実だと思った。思わずにはいられなかった。僕は変わることが嫌いだった。変わらないことも嫌いだった。この世のすべてを心の底から嫌っていた。僕は、まだ自分が傷つくことが嬉しかった。苦痛のために、僕は半死半生だった。夢と現実の境界を解体していくのが愉しかった。愉しすぎて仕方がなかった。僕は哀れな道化師だった。哀れであればあるほど、僕は快楽を覚えた。冷たさの極地は楽園そのものだった。僕はとっくの昔に死んだのだと思っていた。ながらく感覚鈍麻に陥っていたから。でも僕は今、確かに疼きを感じる。自分の生を感じている。私はこの傷ごと、この痛みごと、自分を愛することができた。この事実だけは何者によっても消され得ないから、僕は安心して死ねる。ようやく安心して死ねる。僕は僕だけのベールに包まれていて、完全なまま閉じる。僕はまた、芯から温まっていくのを感じた。何の後悔もなかった。僕は眠るように目を瞑り、ベールの中で引き金を引いた。
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