文法



 氏の作品は彫刻である。その特徴は、一目でわかる不穏さである。
 例えば人物の顔。両目の瞼は閉じられていて、対面して右側の瞼の上から板が埋め込まれている。または、細長い右半分の顔が長短様々、縦に重ねられた板に挟まれて台の上に置かれている。あるいは、右半分をやや欠落させたまま、安らかな顔つきを見せて巨大に眠っている。
 左右どちらとも異常のない端正な彼女の顔については、それをじっと見たくても、真っ直ぐの木が差し込まれた未完成な胴体部分に意識を持っていかれる。その姿のままワイヤーに吊られ、固定されて四角いテーブルや椅子とともに存在しているのだから、不穏極まりない。
 しかし、どこかスタイリッシュで、静かな佇まいを伴う氏の彫像である。拒絶するには勿体ないと、私のどこかが判断している。
 ともすれば、引き裂かれそうな印象を一身に備える人物の姿。氏の展示が開催されている東京都現代美術館のギャラリーの、実に高い天井が確保している上空のスペースを見上げながら思う。
 ここにある意味は何なのだろう、と言葉を捏ねて、形にしてみる。
 不快であろうが不穏であろうが、それらは作り手が表現に際して選んだ文法であり、伝えたいことを呼び込むのに最も適した意味が通りやすい文脈を生む。その文脈から見えてくるメッセージのキレ、クリアな視界、未開拓のフロンティア、そしてひっくり返る世界の底が露わになる。人と人との間で交わされる作品を介したやり取りをコミュニケーションに例える理屈をここでも振り回すなら、マーク・マンダース氏が表現に込めたメッセージを伝えるために選んだ文法に注目する意味は十分にある。
 以前にも記したことを繰り返すと、ある空間にものを置くと「ものが置かれている部分」と「置かれていない部分」を把握できる。空間側に寄せて言い換えれば、ものが存在することで一つだった空間が二分割されたと理解できる。この理解を生むのは「もの」と「ものが置かれた空間」の位置関係である。この位置関係は、見る側に立つ人の内側で創造される。
 氏の作品でいえば、各人物の彫像が存在する空間は関係性に満ちている。人物と空間、そしてそこに立つ私たちである。空間を擬人化していえば、三者関係がそこに生まれている。
 さらに、展示の仕切りに用いられているあの材質によって歩くたびに鳴る音、そしてある作品を見ていると向こうに透ける誰かの姿がある。「各作品の距離を気にしている」と氏は語り、各作品は一つの曲の、それぞれ異なる一部分を成していると例えるが、個々の作品を鑑賞する中でこれらの要素が私たちの間に常に影響する。各作品が緩やかに繋がる展示構成によって、妙な響きがそこかしこに感じられる。
 そこに更なる奇妙さを加えるものとして、展示の一番外側には氏が設定した架空の芸術家、『マーク・マンダース』の存在がある。
 展示される各作品は、かかる芸術家の自画像を語ることばとされている。その通りに氏の作品たちが語っているとすれば、その内容はとても個人的で、内省的なものだ。その声音は最もよく知る者に似ていて、しかしその声量が肺を震わせることはない。頭の中に直接聞こえる、本を読んでいるときのように私の言葉、私の言い方で語り手の言葉を追っているときの、あの感覚。なぜ、ここで?疑問を発すれば、あの人が答える。
『物として存在する彫像が実際的に果たす役割は伽藍堂の不穏さがたっぷりと蓄える意味の海であって、そこから何かを掬い出すのは他でもない、「私たち」だからである。』 
 引き継げば、観念的な存在である『マーク・マンダース』氏は見る側の言葉と理路を借りる。そうして自分を語っている。私たちの内で、私たちの声を真似ている。
 巧みに形成された空間で出会う。壁に掛けられたあらゆるものまで気になってしまって、それらが視界に収まるように作品の周りをウロウロする鑑賞者が見つけられる他人である語り手はここに居るのに、どこにも居ない。
 『マーク・マンダース』というアーティストの『不在』は決して伊達ではない。私はそう感じた。



 氏が形にしたものが有する最低限の意味から花開くものの有機的な繋がりは、人の文脈を土壌とする。氏が形にした動物も、文房具な図形も、壁に立て掛けられたデッキブラシも有意味に活き、無意味に死なない。
 彫像をことばとしてものを語るという氏の文法。
 靴底の厚さに関わりなく伝えてくる触覚をもって見る側の空間認識を変え、その正面に掛けたたった一枚の絵によって最後、見る者を一冊の「外」にある異空間に閉じ込める。入れ子状態で最後に対面する氏の作品として象られる気持ち良さ、その全てが、お洒落に思えたのだから脱帽する他ない。
 決して見た目に騙されることなかれ。マーク・マンダース氏の表現は不条理とは無縁の世界で生きている。



 

文法

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-03-31

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