とある雨の日、図書館にて。

 
 雨、降って来ちゃったね。
 
 がたん、と椅子を引く音がして目が覚めた。まず最初に飛び込んできたのは、雨の音。ざあざあ……随分と賑やかだ。次に襲ったのは、肩に感じる覚えのない痛み。固められたように痛い。肩が凝るような作業したかなぁ……。
 
 そこまで考えてようやく、ぼんやりと耳に届いていた声を飲み込めた。その声が誰かが分かれば、後はもう簡単だった。なんで肩が不自然に痛いのか……冷静に考えるどころか、目を覚ませば分かることだ。頬杖をついたままで一時間寝ていれば、そりゃ肩も痛くなる。
「おはよう」
 雨だ……。二言目が一言目を押し込んで、ついでに飛び込んできた映像も相まって、改めてその意味を咀嚼。おはようってことは、ああ、そうだ、ついに睡魔に勝てず、寝てしまったんだっけ。二言目の咀嚼は、それなりに早かった。
 
 あれ、おかしいな。はて、僕は今どこにいるんだっけ。
 薄ら開いた視界に映り込んだ人間が頬杖をついている。これは鏡か?
「まだ寝惚けてるの?」
 その声にはっとして閉じていたシャッターを全開にすると、そこにはいつもと変わらず僕を見下したような表情で頬杖をついた彼女がいて、やはり彼女の言葉は全て的を射ているなと感心した。確かに、僕はまだ寝惚けているらしい。
 
「おはよう」
「図書館で阿呆な顔して寝るぐらいなら、先に帰ってて良かったのに」
 寝起きの人間相手に、なんて毒を吐くんだ、この女は。
 固まった肩を回すついでに時計を横目で覗くと、短針は既に五時を回っていた。すると、僕はここで二時間近く過ごしていたことになるのか。半分以上を睡眠時間に使っていたとはいえ、我ながら辛抱強く待ったものだ。
 
 そこまで思考が回るようになると、今度は目の前で涼しい顔をしている人物に怒りを覚えてきた。待てと言うから二時間も待ってやったというのに、なんて言い草だ。感謝どころか、嫌味とは。待たなかったら待たなかったで後で文句や暴言を吐くくせに。
 しかし、こんな態度も慣れているものだから、時計から目を離すと、そんな小さな怒りはすっかり頭の外へ飛んでいってしまった。
 
「で? なんでこんな遅くなったの? 生徒会の活動って、四時までじゃなかったっけ」
「別に、大した話じゃないって。それに、アンタには関係ないじゃない」
 逆ギレされてしまった。彼女の、長い睫毛で影のかかった瞳で睨まれると、僕は反論を諦め、肩を竦めるしかなくなる。何より、それが最善の策だ。彼女の機嫌を損ねてしまうと、後が面倒臭い。そんなことは、長年の付き合いで分かり切ったことだった。
 まぁ、何となく予想はついたし。これ以上聞かなくても、大体正解だろう。

 一応、理性的(というか、客観的に自分を見れるタイプ)な分類に入る彼女が無意味に感情を露わにすることは少ない。そんな彼女がこう八つ当たり気味に話を誤魔化すということは……まぁ、恋愛絡みだろうなぁ。
 どうせまた告白でもされたんだろう。こう見えて、彼女はよく異性に好かれる。こんな男泣かせの完璧女、しかもこれ以上くらいの毒舌女のどこがいいのか、僕には少しも理解できないが。確かに顔は整っている方だろう。顔だけは。
 いや、でも、心が整ってなきゃ駄目だろう。勿論、人として。
 
「というか、アンタの寝顔、改めて見ると本当に阿呆ね」
「きみはいい加減『っぽい』という比喩の言葉を覚えたほうがいいね」
「アンタは本物相手にわざとらしく比喩表現を使うの?」
「悪かった、比喩じゃない。オブラートに包むという、社会を渡る上で基本となるやつだ」
「アンタは私の社会の中に入ってないからねぇ」
 ひでぇ。酷過ぎる。
 そう文句を零そうとして、やめた。彼女の視線が僕を射る。まるで剣か、矢のようだ。しかもその切先には毒が塗られているときた。刺されなくとも致命傷。
 
 そうこうしている内に、彼女の背景は濁りを増し、窓を叩く雨の音も強くなってきた。
「傘は?」
「ない」
 まぁ、ないだろうなぁ。気が利かない僕も、勿論持っていない。
 気が利く彼女は折り畳み傘を勿論持っているだろうが、敢えて『ない』にカウントしてくれたらしい。変に優しいのは、彼女の捻くれた取り柄だと思う。これでも褒めてる。
 どうせ俄雨だろう。図書館が閉まる前には止むか弱まってくれるに違いない。それに、最終的には土砂降りを勢いで突っ走ればいいだけの話だ。結果良ければ全てよし。少なくとも、僕は。

「黙ってると可愛いのにねぇ」
 彼女が棘を含んで、呟く。未だに夢の世界を引きずってる上、ぼーっと考えごとをしていた所為でいつの間にか黙り込んでいたらしい。
 可愛いと言われても嬉しくないし、皮肉めいてるし。全てにおいて失礼な物言いだ。
「それはきみだと思うよ」
「私は黙っていても可愛くない」
 自覚済みだった。
「犬みたい」
「犬?」
「アンタの今の顔、犬みたい」
「なんでまた」
「眠たそうな顔は犬。寝顔は……まるで女の子ね」
 失敬な。これでも男らしい……つもりだが。
 むっとして彼女を見据えれば、ぷっとわざとらしく笑われた。
「睫毛も長い、髪も頬も柔らかい、身体は痩せてるし……その尖らせた口」
「口?」
「可愛らしくて、好き」
 キスしたくなっちゃう。なーんてね。
 彼女はそう付け足して、意地悪く笑った。
 別に付き合ってるんだから、してもいいのだけど、彼女は触れることもしないで誤魔化した。恥ずかしがり屋というか……相変わらず素直じゃないなぁ。
 
 仕方ないから、そんな彼女の素直じゃない口を僕から塞いであげた。
「……恥を知らない男ね」
「ありがとう、褒め言葉として受け取っておく」
 いて。頭を叩かれたので、僕も小突き返してやった。
 
 あ、雨足弱まってきた。これで帰る頃には濡れずに済みそうだ。
 

とある雨の日、図書館にて。

とある雨の日、図書館にて。

掌編。とある雨の日、図書館にて、二人の男女の会話。恥ずかしいです。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-25

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