two-faced

こむらおかさき

  1. case1 先輩と後輩(表)
  2. case1 先輩と後輩(裏)
  3. case2 執着(表)
  4. case2 執着(裏)

短編連作。表裏で1セット。

case1 先輩と後輩(表)

「その……。最近よく求められるんです。……ハイ。そのぅ、『しよ』って。でもなんか実際するとあんまりよくないみたいで、満足してもらえてないのはなんとなく、そのー。わかっているんです。……つ、まりですね。女の人にとってはどの辺りがツボなのかなぁ、と」
 莫迦かコイツは。
 あたしは冷めた目で、小さくなっている後輩を眺め回した。
 『どうしても相談したいことがあるんです。時間を割いていただけませんか?』
 と実に真剣にお願いされた。
 これは会社を辞めると言い出すか、彼女ともめていると言い出すか。弓崎が飲みつつ相談といったらどちらかしかない。
 そして今回は後者だったというわけだ。
 前から莫迦だと思っていたが、普通こんなことを相談してくるか?
 それでもあたしは弓崎の指導員だったころの条件反射か、ついこいつの相談には乗ってしまうのだ。
 とはいえあまりのくだらなさに大きく溜息をつき、タバコに火をつけた。
「つまり彼女との円満なセックスライフについてご教示がほしいってことか」
「弘田さん、それ直接過ぎ……」
「弓崎にそんなこと言われたくない。あたしはお前の指導教官だったかもしれないけど、プライベートは知ったこっちゃないし、ついでに言うと先輩とはいえ異性にそんなことを聞くお前の神経がわからない」
 そういい捨てると弓崎は途端にしゅんとした。
「俺だって相談するかしないか、すげぇ悩んだんスよ。でもなんか、こう、結構切実なことになっちゃって」
 んであたしに相談かよ。
 それってまるきり対象外ってことだよね? まあいいよ。対象外でも。対象にして欲しいとも思わないし。
 でも一応あたしは女だぞ? そりゃアラフォーに足を突っ込んだとはいえ、女よ女。いやそもそも今って女ざかりだぞ。それをこの扱いか? 女のプライドとことん傷つけるやつだよな、弓崎って。
 あたしは煙を大きく吸い、ゆっくりと吐き出した。
 まぁいい。あたしの女のプライドはとりあえず置いておこう。いつまでもこんなすがるような目で見られちゃたまらない。
「で? 何が切実?」
 受けたあたしの言葉に、弓崎は途端に満面の笑み。
「それがですね、だんだんとこう、ぎくしゃくしてくるというか。俺は彼女の満足のいくようにしたいんですけど、何が望みなのか全然わからなくて」
「だから、セックスでしょ?」
「いや、そう思ってこういろいろと屈指して手をつくすんですが、満足してくれないというか」
 満足しない、ねぇ。 
 あたしは上から下までじっくりと弓崎を眺めまわした。
 ……モノはよさそうだけどねぇ。
「……弘田さん、その、種馬を品定めするような視線は辛いんでやめてください」
「うるさいな。相談してきた分際で生意気」
 こんななんの身にもならん相談された身としては、少々楽しませてもらわなければ割になわない気がするんだよ。
 だからあたしは最高に意地の悪い笑みを浮かべて言い放つ。
「足りないんじゃないの?」
 すっぱり一言で済ませた途端、弓崎はあからさまに傷ついたという顔をした。
 そんなことで傷つくなら相談してくんなよ。
「それ俺が早いってことですかね……」
「いや、やったことないからわかんないし」
 でも5分で全て完了されたら女としても拍子抜けだよなとつぶやくとそこまでひどくないです、弘田さんの彼氏は最短5分でコンプリートですかといってきた。
 だから今、特定の男はいないってーの。何度言わせりゃわかるかな、こいつは。
 弓崎は自分と彼女の関係が第一で、どうもあたしの話を聞いている節がない。あたしに興味がないのは重々わかるが、いちいちあたしのプライベートを説明しなきゃならないような返答は勘弁して欲しい。
「俺、早いのかな……」
 そう反芻する弓崎はあたしの言葉に侵されて徐々に不安そうな表情へと変わる。
 莫迦正直な犬は、莫迦正直に暗示にかかる。
 しかたないね、ほんとに。
「あたしは足りないっていったんだよ。すぐさま射精しちゃうかどうかってことは問題にしていないけど」
「だから弘田さん、表現があからさまですって」
「あたしの物言いに難癖つけるなら帰るよ」
 そう言い切ると弓崎は大人しくなった。
 そうそう。その調子で素直に聞け。
「弓崎、最近忙しいだろう?」
「は? はぁ。まあようやく仕事も覚えてきたので」
 ま。確かに入社した当時、こいつが3年後に会社に残っているかどうか非常に心配したのは確かだ。もぅ絵に描いたようなだめだめちゃんだった。今でも充分ダメ男だがとりあえずまぁなんとかやっている。
「彼女とちゃんとコミュニケーションとってるかい?」
「してますよっ。会う時間もちゃんととっていますし。いろいろ出かけたり、食事したり」
「セックスしたり」
「……はぁ」
 どうせまた『直接的表現』とかなんとかいおうとしたんだろうが、あたしにやり込められるのを予想したのかちょっと言いよどんだ。
「もしかしたら、お前の愛情をかたちでほしいのかもしれないね」
 かたちかたち、と口の中で呪文のようにつぶやきつつ考え込み、それからあたしへと聞いてくる。
「それって、プレゼントとかってことですか?」
 わかってないねぇ、こいつは。
 こういう彼氏を持っている彼女にあたしはちょっと同情する。
「そういうんじゃなくてさ。愛されている実感が欲しいってこと。セックスで強く求められるもよし、ただきつく抱きしめらるもよし、愛の言葉を囁かれるのもよし」
 まだ20代のころ、あたし自身がそんな願望を抱いたことがあった。
 相手は時間を作ってくれる。食事にも行く。そのまま二時間コースでホテルにも行く。でもそれはまるで仕事をこなすようにお決まりのコースで、日常と化していた。
 釣った魚には餌をやらない。
 そんな言葉が頭をよぎったことは何度もある。
 付き合うまでは男のほうがあたしに夢中になっていたのに、釣ってしまったらもうどうでもいいのかと悔しく思ったこともある。
 まるで義務のように時間を作って会いに来て、義務のようにあたしを抱く。抱いたあとは少々の睡眠。愛の言葉も抱擁もキスもなにもない。やることだけやってはい終わり。
 釣った魚に餌をやらない。いやそれよりもっとひどい。これではまるで釣っちゃったもんは仕方がないから、とりあえず定期的に餌を与えてるようなものでは? そう思ったこともある。
 多分相手も仕事で手一杯だったのだ。それでも愛してくれていたから時間を割いてあたしのもとに来てくれたのだろうが、あたしも若くて相手の状況や心情を理解できなかった。
「弘田さんも、そういうものを求めているんですか?」
暫く黙り込んでいた弓崎だったが、何を思ったのかそんなことを言い出してきた。
「お前、あたしの話、聞いていないだろ? 今決まった相手はいないっていっているだろうが」
「いや、それはわかっていますけど、──どうなんですか?」
何でそういうところだけ執拗に責めたてるかな。相談してきたのはお前だろうが。
 あたしは弓崎に向かってわざと煙を吐き出した。
 タバコを吸わない弓崎は思い切りむせ返っている。
「あたしのことを気にかけるより、自分の足元をきちんと見たらどうだい? 今言ったのはひとつの仮説だよ。もしかしたら本当に弓崎が早漏で物足りないだけかもしれないしね」
 痛いところをぶり返されて、弓崎は再びしゅんとした。
 それでこそ弓崎。
 あたしはにやにやと笑って、タバコを指にはさんだままでグラスを口もとに運ぶ。
「そんなに気になるなら、あたしが試してあげようか?」
 弓崎は一瞬何を言われたのかわからなかったらしく、目をまん丸にして、それから真っ赤になりつつ動揺して見せた。
「え、俺と、弘田さんが? やるんですか!?」
 あたしは視線をそらさない。弓崎の動揺を見て楽しむ。
「やってみればあんたが早いかどうか、わかるけど。ついでに上手いかそうでないかもね」
 弓崎はますますおろおろする。というより恐れているだろ、お前。その証拠に弓崎は即座に断言。
「んな恐ろしいことできないッス!!」
 それを普通口にするか? 思っていてもいわないだろうが。
 あたしは笑ったまま言い放つ。
「弓崎、あたしに喧嘩売ってんの? お前今、あたしの女としての自尊心を思い切り叩き壊したぞ」
「え、弘田さん、俺と本気でしたいっすか?」
 逆質問されて、あたしはちょっと考え込んだ。
 これと、セックスねぇ。
 モノはよさそうだが、長い目で考えると。
「──めんどくさいな」
 正直にいったら今度は弓崎が顔をしかめた。
「俺、面倒?」
「いろいろな意味で面倒だね」
 会社における関係も、性格も、なにもかも。
 そしてあたしは面倒なことはとても嫌う。
 ゆえに却下。
「とりあえず弓崎はもうちょっと処世術を身につけることだね。お前の受け答えを見ていると営業として先が思いやられるよ」
 そうして結局話は仕事のほうへと流れていくのはいつものパターン。
「あ。そういえば俺、見積のことで弘田さんに聞きたいことがあったんですよね」
 まぁ。飲みにいって6:4の割合で仕事の話が出てくるようになっただけでも、成長したか……。
 そう思うことにしてあたしは弓崎の仕事にアドバイスを与え始めた。

case1 先輩と後輩(裏)

 弘田愛佳は世間一般がイメージする、女という形からかけ離れた人だった。
 はじめて会ったのは入社間もなく、研修を終えて指導教官を紹介されたときだった。
 名前からイメージしていたその姿は、初対面であえなく玉砕された。
 美人というわけでもなく、痩せすぎでも太りすぎでもなく、ごく一般的な普通の女性。黙ってたっていればそうなるだろう。
 でも弘田さんと直に接して彼女を普通の女性といえる人がいるとは思えない。
 そのくらい弘田さんは凄まじい人だった。
 化粧は最低限、口調は荒い、タバコは凄まじい勢いで吸いまくり、向ける視線の鋭さは並みのもんじゃない。どんなに言いにくいことでもストレートに表現する。しかも万人平等に。この人を前にして客だの上司だの部下だの掃除のおばさんだのそんなことはまったく意味を成さなくなる。
 それどころか男と女という性別さえ意味を成さなくなるんじゃないだろうか。
「そんなに気になるなら、あたしが試してあげようか?」
 彼女のことを相談した俺に、弘田さんはそういってにやりと笑った。
 それが一夜のお誘いだと気がつくのに数秒かかった。
 気がついて、動揺し、自分の顔がかなり赤くなっているだろうと遠くで思っていた。
 まさかこの人からそんなお誘いが来るとは思わなかったのだ。
 そもそも。そんな艶めいた誘いでさえ、この人は女としての色香を押し出すことなく、まるでレポートの添削をしてやろうかといった雰囲気で誘ってきた。
 いや。まず本気で誘うつもりなんて全くないに決まっている。単に俺をからかい、なぶっているだけのこと。
 正直なところ女性として意識したことなど皆無だ。今だってそういえば弘田さんだって女性なのだからして、そういうこともありえるんだと気がついたための動揺だった。
 これが弘田さんじゃなかったら。
 またはもっと媚びた態度ならば。
 俺だって男だし、ふらふらーっと二時間休憩コースに突入することだってありえたと思う。
 そりゃ彼女はいるけど、でも誘われればやっぱり頭をよぎるものだ。
 しかし弘田さんに対しては男女の関係をもとうなんて気持ちは生まれなかった。
 女性としての魅力がないから、ということではないと思う。媚びた態度はとらないだけで弘田さんはやっぱり女性である。化粧っ気はなくても清潔感はあるし、趣味もいい。女性であることを捨てているわけではない。
 理由はなんとなくわかっている。
 弘田さんの誘いは男女のものではなくて、食うか食われるかのような色合いがあるからだ。
 さながら捕食者と被食者。
 男女のつながりはある程度対等だ。でも弘田さんの誘いは完全な支配を思い起こさせる。
 多分弘田さん自身はそんなこと、これっぽっちも思っていないんだろう。
 でも本人にそのつもりはなくても、この強烈な個性に支配されることは目に見えている。特に俺みたいなのは引きずられるに決まっている。つか、今でも充分弘田さんのペースに翻弄されているし。
 けれど。
 そんな自覚をしておきながら一方で弘田さんの誘いに乗ってみたいと思っている自分がいることも事実だ。
 相手は一生適わないかもしれないほどの人で、どうせこのまま行けば弘田さんより優位な立場に立つことなんて一度としてないだろう。
 だって全然隙ないし、頭の回転だって俺より速いし、口だって仕事の能力だってまったく敵わない。
 でも一歩踏み込んで、弘田さんの懐に入ってしまえば、もしかしたら弘田さんに敵うなにかが見つかるかもしれない。
 弘田さんを屈服させる何かを。
 つまり、俺は弘田さんが屈する姿を一度でいいからお目にかかってみたいらしい。
 こんなこと同期に言ったら距離を置かれるかもしれない。弘田さんを敵に回そうなんて莫迦は少なくても周囲には見当たらない。
 そもそも俺にそんな才覚はないし、それをするならば自分も大きな犠牲を払うことはなんとなく予想できるのでしない。
 そんな度胸は俺にはない。
 はずだったんだが。
 その日。弘田さんにからかい気味に誘われた日。
 俺はかなり飲みすぎたらしい。仕事の質問をし、相談をし、最後には愚痴になっていた。
 当然弘田さんがそんな俺をやさしく慰めてくれるはずもなく、酔っ払ってテーブルに突っ伏していた俺を足蹴にしておそらく一人で飲みまくっていただろうころには、意識はほとんど遠のいていた。
 大抵は俺の限界を察知し、そのままタクシーに乗り込み、俺を送り届けてくれる。
 その度に悪口雑言を繰り返されるのだ。
「お前ねぇ。たまには送られるほうじゃなくて送る側に回りなさいよ」
 タクシーから無理やり引き摺り下ろされて、アパート前の道路に放置。これがいつものパターン。
 しかし今日は寒かった。雪でも降りそうな空だった。
 このままいつもの通り、道路に放置して凍死でもされちゃ困ると思ったのか、珍しくアパートの玄関前まで運んでくれようとしたみたいだった。
「くそっ。弓崎、ちょっと起きなさい! いくらあたしでもあんたを二階のアパートまで運ぶのは無理がある! おきて足を動かせ」
 遠い意識の中で、広田さんの怒鳴り声が響き、徐々に意識が戻ってくる。
 いまいち状況がわかっていなかったが、どうやら弘田さんに肩を借りている状態のようだった。
 酒は恐ろしい。
 いつもの判断力を鈍らせ、そして時に人を大胆にさせる。
 ──捕食者が自分の手の中にいる。
 こうしてみるとやはり女性だとか、愛しいとか、抱きたいとか、そんな感情や感想が浮かんだわけではない。
 何度も言うようだが俺は弘田さんに女性としての欲求を感じることはない。
 ただ、今の位置ならば弘田さんを組み臥して襲うこともできるなと恐れ多いことを考えていた。
 絶対的な捕食者が戸惑って屈辱をかみ締める様が一瞬でも見れるかもしれない。
 ──見たい。
 そんな莫迦な思考が巡る。
「弘田さん」
 酒でろくろく回らない思考と呂律をなんとか押さえて声を絞り出す。
「あ? 起きたならちょっとは自分で歩きなよ」
 そっけない態度に俺はにやにやと笑みを浮かべる。
「お前、その笑い、薄気味悪い」
 薄気味悪かろうがなんだろうが。
 俺は視線を弘田さんに向けて言い放つ。
「弘田さん。せっかくだから試してみますか?」
「試す? 何を」
 ああ。この人は。今日俺をからかうために発した言葉は既に遠い彼方か。
「言ったじゃないすか。『上手いかどうか、試してやろうか』って。せっかくうち、目の前だし、試してみませんかね」
 いつもの俺ならば絶対に口にしない言葉。
 その言葉に対して一瞬だけでも表情を崩せたら、俺は満足していたかもしれない。
 しかし弘田さんは至って平然としていた。
「いいけど。でも弓崎、あんた覚悟はあるんだろうね?」
 覚悟。
 覚悟って、一体何の?
 そんなの問う必要はない。
 弘田さんはわかっている。そして俺もわかっている。
 もしここで弘田さんを抱いたなら。俺は弘田さんから逃れられないだろう。
 恋ではない。愛でもない。執着でも、対抗心でもない。
 弘田愛佳に喰らいつきたい。立場を逆転し、その顔に屈辱の証が浮かぶのを見たい。女としてでもいい、仕事でもいい、なんでもいいのだ。
 弘田愛佳を手に収めたい。
 心の奥に隠していたはずの欲求が表に出てくるに違いない。
 そしてそんな弘田さんを眼にしたとして。
 俺はそれで満足するんだろうか。
 そのあとには何が残るのだろうか。 
 何が──。
 巡る思考を止めたのは弘田さんだった。
「あたしを屈服させるつもりならそれなりの覚悟を持ってもらわないと。あたしはそうそう屈しない。当然そんなことをしようとするならば、応戦するし。そもそも」
 そこで弘田さんは舌なめずりをするかのように、口角を上げて笑った。
 好戦的なそれに背筋が凍る。
「お前にはまだその力量はないよ」
 そう言い放つと、そのままアパートのドア前に俺の身体を投げ捨てた。
 見下ろす弘田さんの姿は神々しくさえ感じた。
 そうだ。俺はまだこの人のだめだめ後輩でしかない。
「……精進します」
 そう返すだけで精一杯だった。


                                                                  fin

case2 執着(表)

 とても、静かな気持ちだった。
 不思議と憎悪はわかなかった。
 あの事故以来、あたしに向ける彼女の笑みが勝ち誇った色を湛えていたことは事実だ。そしてその笑みを目にするたびに凄まじい憎悪に襲われた。
 だからあえて連絡を絶ち、一切のかかわりを持たないようにしていた。
 これ以上自分が醜くなることが恐かったから。
「きてくれないかと思ったわ」
 そういいながら無理に立とうとする裕見子を制止する。
「そのままでいいわ」
 あたしの制止に素直に従い、裕見子は再び腰を下ろした。
 動きが妙なくらいにぎこちないのは何も着慣れないドレスのせいだけではない。
 四年前の事故で、裕見子の左足は文字通り粉々に砕かれてしまった。
 四年という月日を経て、ゆっくりながらも歩けるようになったことは不幸中の幸いというべきなのかもしれない。
 不幸中の幸い?
 いいえ。裕見子にとっては不幸ではなかった。
 たとえそれが将来を有望視されていたマラソンランナーとしての未来を粉々に打ち砕くことであっても。
「きてくれてありがとう。私、皐月にはどうしてもきてもらいたかったの」
 笑顔はそのままだ。
「だって皐月とこのままなんて」
「──私は二人を祝福しにきたわけじゃないわ」
 聞きようによってはきつい言葉だったかもしれないが、あたしは実に穏やかに念押しする。
 そう。一生祝福はできないだろう。裕見子の夫となる人は事故直前まであたしの彼だったのだから。
 あたしの言葉に裕見子は苦笑する。諦めの悪い女と思っているのかもしれない。
「まだ、あたしのことを恨んでいる?」
 下から覗き込んできた裕見子に対し、あたしは頭を横にふった。
 これは事実。もう、恨んでいない。恨む必要もない。
「ただ。最後に確認したかったの」
 見下ろすあたしから視線をそらすことなく裕見子は見上げている。穏やかで、そしてどこか勝ち誇った色が見えることは以前と変わりない。
「裕見子。あなた、自分の足を砕いてまで慎一を手に入れたかったの?」
 その質問に裕見子は焦るでもなく、動揺するでもなく、いつにもまして力強い視線を投げつける。
「ええ。どんなことをしてもね」
 予想通りの答えに、あたしはただ裕見子を見下ろすだけだった。



 4年まえにあたしたちを襲った事故は、みんなの人生を変えた。
 あたしと慎一と裕見子と哲也の4人で初詣に行った帰り道。対向車が車線を乗り越えて真正面からぶつかってきた。
 覚えているのは真正面から受けた対向車のヘッドライト。
 強い衝撃。
 意識が遠のき、次に記憶にあるのは哲也に蘇生術を施している慎一の姿。
 それから横転している車。
 一人崖下に投げ出された裕見子。
 あの事故の後。心肺蘇生のおかげで哲也は一命を取り留めた。意外にも回復は早く、今では事故の名残はない。
 あたしは左肩の脱臼のみ。
 慎一にいたっては打撲程度で済んでいた。
 でも裕見子はそうはいかなかった。左大腿部の粉砕骨折。靭帯の断裂。陸上選手としてオリンピックも夢ではないといわれていた裕見子の人生は一変した。
 事故自体は相手側の完全過失で片付けられた。慎一には何の責任もないはず。
 でも慎一はそうは思っていなかった。
 自分の運転で人生が狂ってしまった裕見子の支えになるために、彼は今まで自分が培ってきたもの、自分の時間、人間関係、総てをなげうって裕見子にささげた。
 彼はそういう人だった。人一倍真っ直ぐで、情熱的で、責任感が強かった。
 裕見子を毎日見舞い、リハビリにも熱心に付き合った。
 そんな中、ふとあたしは気がついた。慎一に支えられ、身体を預ける一瞬、あたしに投げる裕見子の勝ち誇った笑みに。
 それはあたしと慎一の間がぎくしゃくとするに従って度を増していく。
 慎一はあの事故のあと選択したのだ。
 裕見子を一生支えていく、と。
 それは同時にあたしとの別れを意味していた。
「ごめん。皐月」
 それが彼の最後の言葉だった。



「中学生のころから打ち込んできた陸上の選手生命と絶ったとしても?」
 再度問うあたしに裕見子は自信を持って言葉を返す。
「そんなもの。あたしにとっては重要でもなんでもないわ」
 艶やかに笑う裕見子は美しかった。
 以前よりふっくらとして、化粧も上手くなった。陸上競技に明け暮れていたころはそれほど着飾ることもなかったが、今では見違えるほどだ。
 確かに花嫁は美しいものだ。でも裕見子のそれは花嫁特有の美しさや、着飾ることになれた女特有のものではない。
 愛する者を手に入れた、自信に裏打ちされた美しさ。
「ずっと慎一のことが好きだった。どうにかして手に入れたいと思っていた。好きで好きで、気が狂いそうだった。彼が手に入れられるのなら、あたしはどんなことでもした。──それこそ皐月、あなたを殺してでも手に入れたかった」
 さもないことのように裕見子は続ける。
 確かに、あたしは裕見子の気持ちに気がついていた。慎一を思う気持ち。あたしに対する殺意。それらにかかわるすべての感情を。
「だからあの事故はチャンスだと思ったわ」
「……自分で自分の骨を砕くとき、躊躇はしなかったの?」
 何でそんな質問をするのか、といった顔で裕見子は見つめる。
「それで慎一が手に入るのなら。あのたとえようもない痛みも、あたしにとっては喜びだったわ」
 まるで目の前で行われているように思い浮かぶ。
 崖下で救助を待っている間、石を振りかざして自分の左足を壊す裕見子の姿。
 裕見子はあの事故で瞬時に決断し、決行したわけだ。
 聞きようによってはぞっとするような行為を思い出しても、あたしの感情は揺さぶられなかった。
 あの時感じた畏怖はもうない。
 勝ち誇ったかのように告げる裕見子を黙って見つめていただけだ。
 それを裕見子は無言の抗議ととらえたのだろうか?
 がらりと顔つきが変わる。
「だって皐月がほしかったのは『完璧な彼氏』だったんでしょ? 常に皆の中心にいて、成績もよくて、優しくて。一分の隙もないパーフェクトな彼氏。そんな男なら慎一じゃなくても、誰でもよかった」
 あたしは黙ったまま。
「そんな人に奪われるなんて、耐えられなかった。嫌だった」
 多分、他の人間ならば裕見子の凄まじい迫力にのまれていたかもしれない。
 でもあたしは、すでに覚悟していた。裕見子の慎一に対する思いは狂気にも近いものだと。だから今までため込んでいただろう感情の矛先を向けられるとき、この程度の言葉を投げられることなんて承知していた。
 そして実際にそういう事実を突きつけられても動揺はしなかった。
 ただ確認ができてよかった。それだけ。
 互いの間に流れていた緊迫した雰囲気を打破したのはあたしのほうだった。
「そう。よく、わかったわ」
「……それは、あたしと慎一の結婚を認めたということ?」
 踵を返して立ち去ろうとしたあたしをそんな言葉で呼び止める。
 あたしはゆっくりと振り返る。
 あの事故がきっかけで二人に会わなくなって以来、あたしははじめて裕見子へ笑顔を向けた。
 穏やかに笑えたと思う。
 そしてはっきりと伝える。
「あたしが認めるとか認めないとかじゃないでしょ? 問題なのはあたしの気持ちじゃない。慎一の気持ち」
 あたしの答えが予想の範疇外だったのか、裕見子は怪訝な顔をする。
「意味が、わからないわ」
 わからないなら、わからないままでいい。
 わからないなら、賽を投げるだけだ。
 あたしは笑顔のままで、ノブに手をかけた。
「最後まで、きちんと見届けるわ」
 そういい残してあたしは控え室を立ち去った。
 ドアを閉めて、目を閉じる。
 廊下には誰もいない。
 静かだった。
 そう。
 あたしは最後まできちんと見届けるためにここに来た。
 だから確かめたかった。
 裕見子の気持ちを。
 そして予想していたとおりの慎一への狂おしいほどの恋情。
 裕見子が指摘したとおりあたしにはあんな強烈な欲求はなかった。裕見子のように、慎一を求めてはいなかった。気持ちに重さがあるとしたらあたしは裕見子に間違いなく負けていたのだろう。
 でも裕見子はわかっていない。
 そして肝心なことを忘れている。
 慎一の本当の気持ちを。
 慎一が本当は何を望んでいたのか。奥の奥に本心を隠して表に現さないのは、慎一の特技。癖。そして防衛。
 裕見子は気づいているだろうか?
 ゆっくりと目を開ける。
 付き合っていたときには慎一の心の奥まで踏み込んでいくことができなかった。
 でも。今は違う。
 今ならば冷静に慎一の心に向き合うことができる。
 そしてそうすることで裕見子から慎一を奪いとる術を得た。
 賽を投げるのはあたし。
 投げて、そしてことの最後までを見届ける。

                                                                            FIN

case2 執着(裏)

「お前はそれで本当にいいのか?」
 そう聞いた俺を慎一はおだやかに、ゆっくりと見つめた。
 こいつがこんな寂しげな顔をするのを俺はよく目にしていたと思う。今にしてみれば、だが。
「いいって……何が?」
「結婚」
 俺の即答に何をいきなり、と言ったふうに慎一は笑う。余裕のその態度が気に入らなかった。
 ──あなただけが、頼りなの
 そう言った皐月の言葉が頭の中を駆け巡る。
 何故俺を頼りにするんだと怒りも沸いたが、皐月の話を聞いたあとではどうにも仕様がない。
 俺は皐月の話に困惑し、ひどく動揺した。
 だが聞いてしまったからには、聞かなかったことも、無視することもできない。できることはたった一つ。
 慎一から本心を聞き出すこと。
「結婚することで裕見子が満足するならば、いいだろ? それで」
 慎一の言葉は投げやりではないが、あまりに淡々としていて俺を苛立たせる。
 確かに慎一の運転する車に乗っていての事故だった。それによって裕見子は傷を負った。でもそれは対向車のせいであって、慎一には過失はない。
「そこにお前の意志はないのか?」
「裕見子にたいしての責任は」
「責任とかじゃねぇよ! お前の気持ちってんだろ!」
 俺の苛立ちに慎一は口を閉ざし、目を丸くしていた。
「哲也? 何をそう怒っているんだ?」
 何を言われてもこいつは全く変わらない。
 皐月。本当に俺だけが頼りなのか? お前の話は本当なのか? こういう反応をされると自信がなくなる。
「義理とか責任ではなくて、お前の気持ちのことを言っている」
 どう言えば慎一が本心を口にするのか、俺には具体的対策が思いつかなかった。慎一は俺と違って頭もいい。世渡りもうまい。思えば学生時代からこいつが激情に流される姿なんてお目にかかったことがない。
 皆の感情を受け止めることはうまいくせに、自分の感情を表現することは拒否する。
「俺は、感情ってモノが希薄なんだ」
 慎一は笑う。いつものこの笑みが俺の心のどこかに引っかかる。
「好きとか嫌いとか。多分俺にはあまり重要なことじゃないんだ。上下関係とか人間関係とか、そういうものもあまり執着がないし、だから感情の起伏もない。ある意味俺は人間として欠陥品なんだよ」
 感情の起伏がない。その点は認めよう。でもそれはないというより、あえて現さないということではないのか?
「だったら。俺みたいなモノは、俺を一番欲している者に差し出したほうが、少しは利用価値があると思わないか?」
 ──こいつは、知っている。裕見子が慎一を手に入れるために犠牲にしたもの。裕見子の激情のすべて。自分のランナーとしての生命をなげうっても慎一を手に入れようとしたことを。
 全てを知って、受け入れたのか。
「本当に、お前は何にも執着をもてなかったのか? 今まで一度も?」
 生も死も。己も他人も。何もかも。慎一にとってはどうでもいいことなのか?
 しかし俺の問いに対し、ほんの一瞬だけ目を細めた姿を見逃しはしなかった。
 ──あたしは、知っているの
 皐月の声が頭の中で巡る。
 一週間前に皐月とあった。皐月から会いたいと言ってきた。
 皐月は落ち着いていた。もっと動揺しているかと思ったが。慎一と別れるときはあれほど泣き叫んでいたくせに。
 その代わり、随分と迫力のある目をしていた。なにか、決意を秘めたような目だった。
 そして開口一番、こう告げた。
 ──慎一を取り戻して
 取り戻す。
 それがいいことなのか悪いことなのかわからない。
 そもそも取り戻すも何もあったもんじゃない。
 俺はそうして一週間前のことを反芻しているときも慎一から目をそらすことはなかった。
「正直に言えよ。お前は執着という言葉を実感したことが本当にないのか。何かを強烈に望んだことはなかったのか」
「……何でそんなことをきくんだ?」
 慎一は俺の質問に答えることなく、質問で返してくる。
「皐月が、俺に頼むんだ」
 突然皐月の名前を出されて慎一の表情は曇る。
 裕見子の傍にいたいと皐月に別れを切り出して、二人はそれ以来あっていないはずだ。
「お前を取り戻してくれって」
 慎一はわずかに困惑した顔をした。
 別れを切り出した当初は感情をあらわにしたもの、それでも慎一の説得に納得して別れてくれたものと思っていたのだろう。
 皐月は昔から聡明で思慮深いと認識されていたのだから。
 だが、皐月から慎一の一連の話を聞いた時、その印象は間違いだったのではと思わずにはいられなかった。
 人の本質なんて結局はわからないものだ。
 裕見子が抱えていた、慎一に対する狂おしいほどの執着だって気が付かなかったし、この時期、この場面で、よりにもよって慎一を裕見子から奪おうとしている皐月の非情さにも気が付かなった。
 そして慎一が長い間抱えていただろう感情にも気が付かなった。
 だがそれらの本質を抱えた友人たちを責める資格は俺にはない。
 皐月の姦計に乗り、加担すると決めた俺も、皐月同様、非道なんだろう。
「俺はもう、皐月と以前のような形に戻ることはできない。皐月を選ぶことはない」
 はっきりと口にする慎一の言葉には皐月に対する断固とした拒否が含まれていた。
 しかし俺は慎一のその言葉を無視して続けた。逃がさないように、片方の腕を掴んで目をあわす。
 ああ、わかっていないな。
 皐月は慎一との関係を修復したいと思っているわけじゃない。むしろ、完全に関係を断とうとしているのに。
 しかし俺はそのことを伝えることなく、さらにつかむ腕に力を籠める。
「──皐月を、ではなくて」
 答えるまで逃がすまいと、視線をそらさず再度問う。
「お前は何かを強烈に望んだことはないのか」
 俺の頑固な様子を訝しがっているのはわかる。だが、この答えを聞かないと俺は次に進めない。皐月に本当の意味で協力ができない。
 答えなければ俺が引かないだろうと理解したのか、力の入っていた慎一の肩がすっと抜けるのがわかった。
「──あるよ。たった一度だけ。あまりに強烈過ぎて、その一瞬で俺の執着心はなくなってしまった。もう、あんな思いをすることはないだろうな」
 ──あたしは、みたの。慎一の本当の気持ちを
 皐月の言葉が、甦る。一言一句間違えることなく、鮮明に。
 俺はゆっくりと慎一の左手を掴み、俺の心臓へと当てる。
 ──あのとき慎一は
「『戻って来い。もう、多くは望まないから。俺のこの思いを差し出すから。だからどうか、戻してくれ。奪わないでくれ』」
 皐月から聞いたそのままを、俺は口にしていた。
 慎一は目を見張る。それから手を心臓から離そうともがいた。
 初めて、こいつが動揺したところを見た。
「な、にを」
 早いのは握った慎一の脈動か、俺の心臓か。
 皐月が俺を訪ねてきてから一週間。
 俺は考えた。
 よく、考えた。
 皐月が言ったことをにわかには信じられなかった。
 皐月は、事故現場での状況を淡々と語った。俺が、半分死んでいたあのときに。
 ──あんな慎一、見たことがなかった。必死の形相で、泣きながら、哲也の心肺蘇生をしていた。そのとき言っていたの。お願いだから、こいつを帰してくださいって。俺を見て欲しいとか、傍にいて欲しいとかそんなことは望まない。全部捨てるから。この気持ちを全部。だからこいつを返してくれって
「何を莫迦なことを言っているんだ?」
 さすがは慎一で、すぐさま冷静さを取り戻して俺へと切り返す。
 俺は莫迦だが、莫迦なりに考えたんだよ。
 俺にとって慎一はいったい何なのか。
 考えるたびに、肋骨がうずく。
 あの事故で行なわれた心肺蘇生は力が若干入りすぎていたらしく、肋骨にひびが入っていた。
 当然今では完治している。
 でもあのときのことを思い出すと、その傷がうずくような錯覚を覚える。
 目を覚ました俺の瞳に真っ先に入ってきたのは、汗だくになって、今にも泣き出しそうな慎一の顔。耳に入るのは震える声。触れる指先は氷のように冷たかった。
 あんな慎一を見たことはなかった。
 慎一がいつから俺にそんな感情を持っていたかはわからない。でも、少なくとも、あのときから俺の中でも微妙な変化があったことは間違いない。
 だから。皐月が俺へと全てを告白してきたときでさえ、それを否定する気持ちは全く湧かなかった。
 ──俺に、どうしろと
 ──思うままにして。だって哲也はもうわかっているでしょう?
 ああ。わかっている。自分の気持ちも。なにもかも。
 ただ自信がなかっただけだ。
 こうして、心臓に慎一の手があたっているだけで、傷の疼きが和らいでいく。
 距離を、縮めたかったのだ。
 俺の望む形に。慎一の望む形に。
「ここに残した、お前の執着心は返すから」
 慎一は困惑している。状況についていけないようだった。
 俺はそのまま一歩近づく。
 鼻先に慎一の顔がある。
「俺を求めろ。俺がお前を求めるのと同じくらいの強さで」
 鐘が、鳴った。
 多分、慎一の前に式をあげることになっていたカップルのものだ。
 次は慎一たちの番だった。
「──この選択がどういう意味を持っているのかわかっているんだろうな」
 ようやく発せられた慎一の声は掠れていた。それが緊張のせいなのか、高揚しているせいなのか、いまいち判断がつかなかった。
 俺は自信満々に言い切った。
「まあな。莫迦は莫迦なりに死ぬほど考えた結果だ。──後悔はしないさ」


                                                                   FIN

two-faced

かつてメルマガを発行していた時に披露していた短編です。
時間もかなり経っているので少々リメイクしております。
あと数作ありますので、順次UP予定。
慣れてきたらおなじ形式で新作もかけたらいいと思っています。
お楽しみいただけたならば幸いです。

two-faced

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日 2021-03-23

Copyrighted
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