仏間でピアノ

 ベッドに寝転がり、はじめて買ったスマートフォンを操作しては機能がどんなものか試していると、日も落ちかけた頃になって階下から足音がして、父が私の部屋のドアを軽快にノックした。起き上がって大声で返事をすると、父は遠慮がちにドアを開け、きょろきょろ目を動かしながらわずかな隙間をつくると器用に顔を出してきた。それは父が何か言いたいときのしぐさだった。それで私は午前中の不思議な出来事に合点がいった。
 注文していたスマートフォンが入荷したと、朝早く家電量販店から家の固定電話に連絡があった。その電話を取ったのは父だった。父は用件を聞いて受話器を置くと、しばし電話の前で神妙な顔をしてから食卓に座る私を見て、突然、機種代の頭金なら出してやるよと言ったのだ。私は起き抜けで寝巻のまま、まゆ毛のない顔をさらしてトーストをかじっていた。その私に父が、お前先週バイト辞めただろう、金ないんじゃないか、とまで言う。私はパン屑を拭いながら、そうなの貯金なくってさあ、お父さん頼りになる、などと何年か振りに反射的な愛想を振りまいてみたものの、父は一言、うそくさ、と言った。
 とはいえ、あれほど手数料を嫌う父が日曜日のコンビニでATMから万札を幾枚か引き出すと、その足で私を連れて店に行き、あっさり頭金を支払ってくれた。店員の勧めたカバーや充電器の類も一緒にだ。それで機嫌を良くした私は、あまりにも無邪気すぎた。
「バイト代はずむから、悠平んところのじいさん、一週間様子を見に行ってほしいんだ」と父は標準語で言った。
「まさじい? 悠平さんが行きよるって言いよったやん」
「それが悠平、給水支援で岩手に行くんだとさ。状況が好転するまで一週間交代らしいけど、その一番隊で行くとな。昨日の夜、打診の電話があったって。来週にも、という話らしい」
「へえー」
「他人事みたいに言うな。おとといテレビで津波を生で見てたんだろうが」
「悠平さん水道局だもんね、九州にまでそうやって話くるんだ」
「来るさね、どこにだって。それでまさじいのところに行けないから、向こうにいるあいだだけ頼むよって話だ」
「で、なんで私?」
「なんでって、休みで暇そうだし、それに大学で勉強してるのは福祉だろうが」
「暇じゃないし。それに福祉って言っても子どもだから。年寄りじゃないって。介護とか経験ないよ、私」
「まあそういうなよ。だいじょぶ、だいじょーぶだって。なんとかなる」
「意味分かんないし。だいたい、まさじいに前会ったのいつの話よ、十年以上じゃない?」
「結構よくしてもらっただろう。じいさんもさすがに覚えてるよ。それに認知症とかはないし、心配なのは足腰だそうだ」
「そうなのかもしれなけど」
「で、行ってくれるか」
「えー」
 じっと父が私の顔を見ている。
「今日携帯買ってあげただろ」
「はあ? 言うと思ったけどさ、そんなん反則やろ。金かえす!」
「たのむよ」
「断れんの」
「うん」
「はあ。しゃーないな。行くよ、行く。一週間ね。バイト代頼みますよ」
「わかった。ありがとう。加藤にそう伝えとくよ。詳しくはまた聞いてくる」
 父はほっとした様子でドアから顔を引っ込め、下に降りていった。

 まさじいは父の友人である悠平さんのお父さんで、いまでこそ一人で静かに暮らしているけれど、昔はおばあさんもいたし、それに聞くところによると、働いていたころはあまたの人望を集める職場のまとめ役だったそうだ。だからだろうか、まさじいには父や母にはない迫力があって、いるだけで場が締まった。私と純平が世話になったころは退職してずいぶん経っていたと思うけれど、とても大きくて力強いところは未だ現役かと思わせるくらいだったし、それに、まっしろな髪を坊主頭にして、昭和の政治家がしていそうなべっこうの老眼鏡をしていたから、輪をかけて存在に重みがあった。
 私の両親と悠平さん夫婦は年に何度か、私と純平をまさじいのところに置いて買い物や映画に出かけることがあった。日曜の朝、私と純平はまさじいのところへそれぞれ家の車で送られてきて、双方の親から適当なお菓子をあてがわれ、そのまま置いてけぼりにされた。私や純平は応接間にそろった二家族の両親が子供のことを忘れて何かを夢中に話すさまを見て、ふてくされた。それに、こんな日の父や母は、純平の両親もそうだったが、どこかの知らないおじさんとおばさんに変身するのだった。二十歳になった今なら、いっとき子育てを離れて気晴らしも必要だと想像できるけれど、そんなことが幼稚園に通う私たちには分かるはずもなく、だからこういう日は、まさじいに甘えてしまうのだった。
 まさじいは大きい手と毛だらけの腕で私たちを軽々抱え、ごつい胸板にむんずと二人を抱きよせると、鼻毛の飛び出た顔を息荒くこすりつけてきた。私と純平はそうやっていつもじょりじょりの髭で痛めつけられたけれど、それこそがまさじいの歓迎スタイルだった。かわいかね、とか、大好き、だなんて空々しい言葉をまさじいは口にしなかった。
 私と純平が小学生になるころ、まさじいは電車で二人を天神のおもちゃ屋に連れていったことがある。
 そのころすでにまさじいの奥さんは亡くなっていて、まさじいが退職金で建てた新しい家にはまさじい一人しか住んでいなかった。とはいえ、まさじいは家事も一人ですべててきぱきとこなし、整然と生活をしていた。困り果てていたことと言えば、古い二槽式の洗濯機が壊れて全自動に置き換わった時くらいで、まさじいがべっこうの老眼鏡をはめて説明書片手におそるおそるスタートボタンを押す様子をみて、純平と二人でこのボタンだの、違うだの、うるさく騒いだのをぼんやり覚えている。
 その日も、朝からまさじいのうちに放り出された私と純平はいつものようにぶすっとしていたはずで、応接室のテレビで純平が家から持ってきていたゲームをして遊んでも、すぐに駄々をこねたに違いない。まさじいは耐えかねたのだろう、とうとう二人の両親に何の連絡もせず家を出た。タクシーで大牟田駅に出ると、キオスクでジュースやらあめ玉を買って、西鉄の、ベージュに赤ラインの特急車両の一両目、一番前に乗り込んだ。先頭は大きなガラス張りで、天神までの一時間、ずっと車窓を眺めていたと思う。その日はまさじいも、いつもの上下ジャージ姿からスラックスとジャケットに変身し、ネクタイをして帽子もかぶる紳士だった。
 まさじいが連れていったのは天神地下街の小さなおもちゃ屋だった。薄暗くて、地下であることをあえて強調したつくりのその地下街は、今も、大学の帰りに寄ったりするとわくわくする。
 純平はゲームソフトのところへすぐ向かったが、まさじいは駄目だと一蹴し、今日はこれなら買っていいと、レゴブロックを指した。それで二人は好きなものを買うと、レストランで昼ごはんとパフェを食べて家に帰った。それだけだったから、長い時間ではなかった。
 ところが家に戻ってみると、それぞれの両親の車がもう帰ってきていて、突然いなくなった私たちを心配した四人がものすごい顔をして玄関に出てきた。悠平さんはまさじいに向かって、どこに行っとったとね、心配するやんねと大きな声で言った。まさじいはそげん怒らんちゃよかろもん、などと言っていたが、せめてどこに行くか書いていってくれんと、探しに行こうかしたよ、と悠平さんは声を荒げ、その後ろで母親同士が安堵の声をもらしていた。
 四人は目当ての映画の時間を調べ間違えていて、上映は夕方からに変更になっていたらしく、途方に暮れて帰宅したということだった。昼前には家に帰っていたらしく、応接間には宅配ピザが、私たちの分を取り分けて残してあった。天神でたらふく食べた私と純平だったが、喜々としてピザに飛びついていると、口数の少ないまさじいが悠平さんに言い返したのだった。
「子どもばほったらかしで遊びにいっとる親に説教さるっとは思わんやった。俺がなして好きでもなか天神に、こん子たちば連れていかなんとか。あんたらがどこにも連れていかんけんだろもん。そいけん俺が連れていったったい。なして怒られなならんね。ぼけて徘徊したとでも思いよったとやろが。ほんなこつ、馬鹿にして」
 たしかそんなことを言ったように覚えている。それきりまさじいは私たちを絶対預からなかったし、私と純平の両親も親だけでどこかに出かけることもなくなった。それに私たちはすぐに大きくなって、親と連れだってどこかに行こうとせがむこともなくなったので、まさじいが私たちを預からなくなったことで困ることも、結局なかったように思う。

 大学もないのに朝はやく起きて、十何年かぶりにまさじいの家の前に立つと、家は平屋で結構小さかった。これを建てたころは、すでに悠平さんも奥さんの幸子さんと別のところに住んでいたから、このサイズで十分だったのだろうが、少し拍子抜けだった。まさじいの大きさが家のイメージにも乗り移っていたのだろうか。木彫りで加藤征勝と表札があって、これはそのまま昔のとおりだ。なのにやはり、改めて玄関から離れて家を眺めてみても、全体が縮んだように思えてならなかった。
 チャイムを鳴らしても返事がないので、からからから、とサッシの引き戸を勝手に開けた。
「こんにちは高橋です、高橋彩香ですー」
 薄暗い廊下に向かって半ば怒鳴ると、奥から、どうぞ、さやちゃんやろ、と声がする。さやちゃん、って。
 家にあがり応接室をみると、そこは昔のまま、大きなブラウン管テレビとうっすら埃をかぶった茶色い皮の重苦しいソファーセットがあった。真ん中に大理石風の天板の小さな机があるのもそのままだ。でも、そこにまさじいはいない。隣の八畳の仏間に行くと、ベッドからまさじいが降りようとしているところだった。
「おはようございますー、お久しぶりです」
「さやちゃん! さやちゃんじゃなかね。はー、こりゃべっぴんさんになった、色白で髪もハイカラたい。ははは。ほら、こっちさんこんね」
 はじめてそんな言葉を口にするまさじいを見た。私はベッドのへりに座るまさじいのそばに立つ。
「あれ、まさじい、ちょっと縮んだ?」
「そら、さやちゃんがおおきゅうなったとやろもん。そげんやすやすと縮みやせんよ」
「そうかそうか、元気でなにより。もう十何年ぶりかな」
「はは、そげんなるかね。さやちゃんにこげん来てもろて、ごめんね。足のよう利かんで、ほれ」
 まさじいはそろそろと立とうとする。
「なーん、まさじい、どげんすっと、そんまま座っとかんね」
 そう私が言うのを無視して、まさじいはベッドから立ち上がって机の椅子に移動したのだけれど、少しひやひやした。さすがに生活も往時のままとは行かないようで、悠平さんから聞いたところだと、いまは家の奥の台所、トイレ、仏間を行ったり来たりの生活とのこと、少し散歩をすることがあっても家を一周するほどだと聞いている。
 私の仕事は掃除機をかけて洗濯物をすることだった。料理はまさじいが自分でしているらしいのだが、台所を見るとガスコンロは危ないと踏んでか電磁調理器に変わっていて、風呂場の洗濯機はドラム式に置き換えられていた。それも乾燥機のついた最新のもので、ボタンや機能満載のこれをまさじいが使いこなすとは思えない。私も操作に不安を感じるほどだった。おそらくこれは、最初からまさじいが洗濯しないという前提で買ったのかと思い当たると、切なくなった。
 洗濯物は夕方、悠平さんの奥さんが取り入れに、仕事の帰りに寄る算段になっていた。私が任された朝の当番は、普段悠平さんの仕事だ。仕事の前に洗濯と掃除をしに来る悠平さんは、一体何時にここへきて洗濯機を回すのだろうと思った。悠平さんも幸子さんも、純平が東京の私立大学に行っているから仕事で忙しい。あいつが一週間くらい帰ってきてまさじいの面倒をみればいいのだけれど、東京に魅了された純平がそうするはずもない。
 一通り仕事を終えると、来たときにすぐするべきだったと慌てて仏壇のおばあちゃんに線香をあげると、机で本を読むまさじいにお茶を出した。まさじいの老眼鏡はレンズが小さめで銀色の細いフレームという、至極今風のものになっていて残念だった。
 昔、この仏間はがらんとしていて、まさじいは普段、台所に近い四畳半で暮らしていたのだけれど、それがいつの間にかここを生活の中心にしていた。ベッドの横に置いてあるサイドボードの上には小ぶりの液晶テレビがあって、部屋の中央にこたつも出してある。まさじいの机の上には本がいくつか並んでいたけれど、私が見ても今もって何の本だか分からなかった。昔もこうやってまさじいは本を読んでいて、私は同じように隣で見ていた気がする。
「なん読みよっと?」
「これはね、チリ鉱山の事故をまとめた本たい」
 老眼鏡をとると本を閉じて見せてくれた。めくると、肩幅ほどの穴から細長い救出カプセルが姿を見せ、遮光サングラスをかけた男が地上の人たちと抱き合う姿が写っていた。
「これ、よう助からしたよね」
「ほんと、よかった。普通は生き埋めばってん、あげんかこともあるもんたいね。信じられん」
 まさじいはお茶をすすった。
「さやちゃん、掃除ばしてもろたうえに申し訳なかばってん、ちょっとお願いのあってね」
「なん」
「レコードプレーヤーば買うたとばってんね、押入れに入れたまんまになっとるとよ。それば出してもらえんやろか。そこの、仏壇の横のふすま、右のほう」
 まさじいが言う仏壇横の押入れを開けると、宅配便の伝票が貼ったままの段ボール箱があった。
「これどこで買ったと、レコードプレーヤーとか今どき」
「テレビでよう通販のありよろうが」
「ああ、あれで」
「そう、あれ。電話すっと持ってきてくるっとは、ほんに助かるな。宅配の兄ちゃんに、その押入れまで入れてもろた。ははは」
「はあ、そうね。宅配の兄ちゃん困っとったろ」
「ばってん重かけん、そげんしてもらうよりほかなかやんね」
 動かすと確かに重かった。まさじいの座る机の横まで運んで段ボールを開けると、レトロ調の木目の、大きな箱形の機器が姿を現した。かなり昔の真空管ラジオを思わせるデザインで、左右にスピーカーがあって、中央にCDとカセット部、それらの上にレコードプレーヤー部があった。レコードプレーヤーと言うより、オールインワンのステレオ装置だった。
「まさじいがこれを使うの。使いきるとね」
「説明書よみよみ、そのうち。まだレコードのなかけん」
「レコードね。今も売ってるのかな。まさじい、さすがにCDは知っとるよね」
「知っとるばってん、レコードがよかったい」
「私、レコードは扱いきらんとよね。触ったこともなか」
「そうね、そうじゃろね。さやちゃんは音楽は聴くとね」
「学校の授業は好かんやったけど、自分で聴くのは好き。でもまさじいは知っとるか分からんけど、いまはCDもなかごつなりよるとよ」
「じゃあなんがあっとね、今は」
「いまはこれたい」
 私は買ったばかりのスマートフォンを得意げに見せた。
「それはなんね」
「これが話題のスマートフォンたい。テレビでたまにやりよるけど、じいちゃん知らん? これ知っとったら最先端よ。これね、電話。携帯電話」
 と言いながらまさじいに手渡す。まさじいは老眼鏡をかけて画面や裏側、側面をぐるぐる見た。
「ダイヤルのボタンのなかやんね」
「こう画面を触ると、ほら」
 人差し指で画面をなぞって見せた。
「ほー、触るとな。銀行の機械とおんなじたい」
「そうそう、さすがまさじい。これにね、音楽のいっぱい入るとよ。何千曲てよ。買ったばかりでまだ入れとらんけど、レコードのなかなら明日これで音楽ば聞こうか。いろいろネットで探しとくけん」
 話についてきていない顔だったけれど、私は勇んで、よく聞く歌手のビデオ映像を画面で再生して、まさじいに見せてみた。スマートフォンのスピーカーは貧弱で、残念なことに音がこもっていた。
「はあ、知らんあいだにこげんなっとっとね」
「このステレオのスピーカーにつなげると、ちゃんと聞こえると思うばってんね」
「そいけど、さやちゃん。よかよ、わざわざ」
「なんで。じいちゃん音楽聞聴きたくてこれ買ったとやろ」
「そうばってん」
「明日、つなぐケーブル買って持ってくるけん。よかろ?」
 私は意気揚々と帰った。

 次の日も朝いちばんでまさじいの家に行ったけれど、昨日よりずっと肌寒かった。もう少しで桜がどうのという時期なのにテレビではそんな話もなく、ただ毎日破壊された街が映るのみで、そこには雪の舞い積もるがれきのそばを歩きながら、姿の見えぬ身寄りを探す人の姿があった。
 チャイムも鳴らさず、まさじいおはよう、と大きな声で家にあがると、まさじいはこんこん咳をしていた。
「かぜひいたと?」
「なん、ちょっとたい。こげん寒さの戻ると、どんこんでけん」
 部屋はファンヒーターが入っていて、テレビは消えたまま、音のない静かな部屋だった。こたつの上にはかぜ薬の箱がある。
 台所の冷蔵庫に、悠平さんの奥さんが置いていったらしいパイナップルやリンゴをカットしたものや、スポーツ飲料が入れてあった。昨日の夕方から体調が悪かったのだろうか。
 掃除機をかけていても、ちょっと止めているあいだ、仏間からずっと咳き込む音がするので、洗濯機をいそいで回してしまうと、スポーツ飲料と果物を仏間に持っていった。
「まさじい、朝ごはん何かたべたとね」
「食欲のなか」
「でけんやん。パイナップル、ほら食べんね」
 楊枝にさして渡す。
「そんならちょっと」
 といいながら、まさじいはいくつか立て続けに口にした。
 仕事を終えて仏間のこたつに入ると、まさじいはテレビもつけずに横になり、窓の向こうの曇天に伸びる枯れ枝をじっと見つめていた。ときおり咳き込む音のほかは、線香の匂いが漂うばかりで、仏間は静謐だった。
「まさじい」
「なんね」
 声がかすれていた。
「悠平さんが行っとるところも、こげん静かとやろうか」
「そうやろね。町んのうなったとよ」
「今も水が引かんで、いろいろ匂うらしかね」
 私はリンゴにも楊枝をさして、食べる。
「なんが匂いよるとやろかね。ほんにむごか話たい。テレビも見とうなか」
「元気ののうなるもんね」
 まさじいはゆっくり寝返りを打って、こたつでりんごを食べている私を見た。
「さやちゃんは、ちゃんと見らんとでけんよ」
「そげん言うても、悲惨やもん。思わず消してしまうやん」
「気持ちも分かるけど、ちゃんと見ときない。じいちゃんは何度かじかに見たけん、もう見らんちゃよかばってん、さやちゃんは見とかなん。炭鉱も戦争も、なんも知らんやろ」
「そら知らんよ。生まれる前んことやもん」
 まさじいは何も言わなくなった。再び静けさが落ちてくる。
「ねえ、まさじい。昨日音楽聴こうて言いよったやろ。ちょっと鳴らしてみてよか?」
「ちいとならよかよ」
「頭にごんごん響かんようにするけん」
 私はスマートフォンのイヤホンジャックにケーブルの片方を挿して、赤と白の二股に分かれたもう片方をステレオの外部入力に挿し込んだ。そして音が突然鳴らないように、どちらの機器もミュートにしてから音楽を再生し、徐々に双方の機器の音を大きくしていった。
「なんなそら、炭坑節やなかね」
 様子を見ていたまさじいは、聞こえた音楽に枕から頭を浮かせた。
「じいちゃんがなん聞くか分からんけん。これならじいちゃんもなつかしかやろ。炭鉱で勤めとったて聞いたし」
「そいけど、さやちゃん、もう止めてくれんかね」
「なんで?」
「いいけん止めんね」
 まさじいは強く言った。見ると眉間にしわを寄せて怖い顔だった。そしてまた咳き込みはじめた。私は音楽を止めるとまさじいの横に寄って背中をさすった。息が浅くて少しぜいぜいしている。
「大丈夫とね。熱のあっとじゃなか」
「八度ある」
「は? なんではよ言わんと。病院に行かなんやん」
「病院は好かん」
「好かんとか、まさじい、こどもと違うとやけん。タクシー呼ぶよ。電話台の横に番号メモしてあろ」
「病院には行かん」
「もう、なんばいいよっと」
「炭坑節とか流すけん具合の悪うなるとたい。なん流すと思ったら、よりによってから。もっと流行りの、こう、俺の知らん歌ば流すと思いよった。そいならまだちいとよかと思うたばってん」
「炭坑節、好かんとね」
「好かん」

 まさじいは頑なに病院を拒んだが、私が帰る時間になっても居座ったので、申し訳なくなったのか、折れて病院に行ってくれた。医者が言うには気管支炎だそうで、肺炎になると厄介だから入院したほうがいいと言った。だがまさじいがとことん拒否したので医者も困りはて、明日また必ず、親類とともに病院に来てくれと言う話になった。
 私は病院から戻ったあと、昼過ぎまでまさじいの家にいた。まさじいの体調が悪いと幸子さんに連絡したら、仕事を切り上げて早めに来てくれた。薬のせいかまさじいは昼間すやすやと寝ていた。幸子さんも来てくれたから、大事には至らないだろうと思った。けれど次の日の朝早くに連絡があって、昨日の夜、幸子さんの車でまさじいが病院に運ばれてそのまま入院になったと聞いて驚いた。飛んで病院に行くとまさじいはすでに生死をさまよっていたけれど、まさじいは屈強なヤマの男の名に恥じぬ生命力で回復を見せたのだった。息子の悠平さんが岩手から任務を終えて帰る日には小康状態となり、一応の会話ができるようになると周囲をひとまずは安心させた。
 私はまさじいが話せるようになると病院から遠ざかってしまった。高齢者の肺炎は怖いと知っていたのに、まさじいに限って、などと思っていたからそもそもこうなったのだ。それに、病がまさじいの体力を奪い去り、もう家には戻れそうにないという話が出た時、私はまさじいの、自分の家での最後の記憶を、嫌いな曲で閉じてしまったのかと思い、引け目を感じるようになっていた。
 結局まさじいは一度も家に帰ることができないまま、夏の暑い日にあっさり息を引き取った。あるいは私が病院で、まさじいをすぐ入院するよう説き伏せていたなら、こうならなかったのだろうか。もう、あとの祭りだけれど。

 葬儀場から乗り合いバスで火葬場に向かうさなか、となりに座る純平が小声で口にした。
「親父は音楽が好きだけどさ、まさじいは大嫌いだったらしいな。それで早くから別に住んでたそうだ。昨日聞いたんだけど知ってた? まさじいが音楽嫌いとか」
「聞いてないよそんなの」
 思わず甲高い声で言ってしまい、純平は何ごとかと目を丸くした。乗り合わせた人も数人、私のほうを見た。
「なに、どうした」
「私、このスマホ見せびらかして、肺炎で病院に運ばれる前日に嫌いな音楽を聞かせてしまった」
「え、あ、そうなの、か」
 純平はそこで黙ってしまったのだが、まさじいの火葬を待つ間、また話しかけてきた。
「そのスマホ、いいね。俺も替えたいんだけどな」
「こんなときにする話?」
「ネットとか便利そうじゃん」
「私なんかが持つと、まさじいとかに見せびらかしてしまうからほんとだめよね。最新のものを持ってるんだよ、まさじい知ってる、とか言って。私にはまだ早かったよ、スマホは」
「気にしすぎだって。まさじいもさ、さやが嫌がらせで音楽を流したとは思わないだろ」
「けどさ、まともに聞いた最後の音楽で嫌な気にさせたんなら、悪いなあと思うやん」
「それで病院に行かなかったのか? 全然来なかったって親父が」
「私、ばかやろ。自意識過剰やんね、ほんとに。もう危篤だからって会いに行った時には何を言っても分からんようになって。だってさ、まさか死ぬとは思わんやろ」
「それもそうだ。……あ、そうそう」
「なに? 次から次に」
「仏間の押入れにね、まだレゴブロックがあってね。おもちゃ屋の袋に入ったまま、きれいに片づけてあったよ。まさじい、ほとぼり冷めたらまた俺ら遊びに来るくらいに思ってたんじゃないか」
「そうなんだ。そうかもね」
「だとしたらさ、そんな子煩悩のじいちゃんがお前のことを悪く思っているとは、俺には思えないけどね」
「……うん」
「でしょ」
「ありがとう」

 悠平さんは市内に賃貸住宅を借りて暮らしていたけれど、まさじいの家が空っぽになってしまうこともあって、そこを出てまさじいの家に引っ越すことに決めたらしかった。まさじいの家は広くない。純平が帰ってくると手狭だが、いずれ就職してしまえば一緒に住むことはないと誰もが思ったから、その広さでも夫婦二人は暮らせそうだという判断なのだろう。
 それに奥さんの幸子さんはピアノの先生をしていた。前の賃貸住宅は部屋が二階で、ピアノを置くだけのスペースも強度もなかったから、今は商店街のピアノ教室や新しいショッピングモールに入ったカルチャーセンターで講師をしているけれど、それを、まさじいの家に引っ越すのを機に念願だった自分のピアノ教室を持とういう話になった。まさじいの家のある団地は区画がゆったりしていて隣との間隔も広く、音が多少漏れても問題なかったし、それにこの古い団地の横にはもう一つ新しい団地が造成されて、若い夫婦が多く越してきていた。小学校も万年教室不足のありさまだから、子ども相手のピアノ教室も十分期待できる場所だった。
 だからまさじいの家で教室をはじめるのは名案なのだ。ただリフォームの話を聞くにつれ、どうも仏間の基礎を補強するとか壁を防音のために厚くするとかで、私は悠平さんの意図が分からなかった。仏間にはまさじいがいる。

「あんたんとこの親父さんは何を考えてんの」
 純平に電話口で言った。
「そんなの、俺もよく知らないよ」
「だって、まさじいは音楽嫌いなのよ。なのに仏間でピアノなんて、まさじいに嫌がらせするのと同じじゃん。死んでも音楽が嫌いだったお父さんが憎くいのかな。悠平さんはそれほどだったの?」
「まさか。親父がそんな筋金入りだったら俺ら、ちびのころ預けられてないって」
「まあそうか」
「だからそこまではないとしてもさ、たしかに俺もよう分からん。あの部屋にピアノ置くなら、仏壇を動かすんだろうか。常識的にいっても、仏壇の前でピアノはなあ」
「応接室も手を加えるって言うから、そうじゃない? あの部屋に移すのかもよ。純平は話、何も聞いてないの」
「俺、家に電話しないし」
「電話しないとまさじいだけじゃなくて、あんたの居場所も無くなるよ」
「いいよ、俺は俺で就活がんばって一人で住むから」
「そのつもりならはじめからみんなそう思ってるし、問題ない。あれだな、私も就活に備えとかなくちゃな」
 と言い終わる前に、あっ、と純平が言い、数秒間無言になった。
「ねえ、もしもし、どうした」
「地震、地震。いまの結構強かったな。久しぶりに来た」
「東京ってまだよく揺れるの」
「揺れる揺れる。九州はそれがないからいいな。三月のあの地震は死ぬかと思った」
 まさじいのこともあり、地震の話はしていなかった。
「帰宅難民になった?」
「そうそう、大学から帰れなくなってさ、その日は近くに住むやつの家に泊めてもらったよ」
「そうだよね、東京揺れてたんだよね。九州居ると、よく分かんないから。あの日も最初は東北だけかと思ってたし」
「そうだろうな、でも揺れないんなら、そのほうがいいって。余震とか不気味だから、ほんと。風呂入ってるときに揺れた時は青くなったな。出るに出られない」
「ははっ」
「ちょっと、お前笑い事じゃねーよ」
「ごめんごめん」

 幸子さんのいるカルチャーセンターに顔を出すと、受付の奥にいた彼女はすぐ私に気づいてくれた。
 保育士の資格を取っても就職できなければ意味もなし、それならピアノの一つくらいは弾けるほうがいいに決まっているし、いつかはと考えてはいた。それでもし習うとなれば知り合いの幸子さんを訪ねることになるけれど、まさじいの仏壇を前にしてピアノを弾くのはごめんだった。そうなるくらいなら他の人に習う気でいたけれど、それでは角が立つから、外部の講師を辞める前に先手を打って習ってしまうことにしたのだった。けれどよくよくレッスン後に話を聞けば、まさじいの家での生徒が定着するまでは外の教室も掛け持ちするとのことだった。それで一安心だったけれど、だからといって気にならないわけじゃない。
「こんどまさじいの家で教室開くのは、仏間でですよね」
「そう。あそこにグランドピアノ入れてね。近所の小学生が来てくれればいいわ。来てくれるかしら」
「絶対来ますよ。あんなに子供いる場所もこの辺じゃめずらしいですし。それにこんなやさしい先生だから」
「ありがとう。あそこに家を建ててくれたまさじいには感謝しなきゃね。団地の子どもが大きくなるまでの十年くらいはできるかしら」
「でもまさじい、目の前でピアノ弾かれたら嫌なんじゃないですか。まさじいは音楽嫌いだって」
「それがそんなことないのよ。まさじい、昔はジャズとか好きやったらしいしね」
「ジャズ? まさじいが?」
「意外だけどね。社宅の中ではなかなかの音楽好きで有名だったって」
「えー、じゃあなんで悠平さんと折り合わなかったんです」
「うん。なんでだろうね。私が悠平さんと出会ったころはすでにまさじい、音楽嫌いだったし、ジャズの話はね、結婚する前に悠平さんのお母さんから一度聞いて、それっきりなの。本人に直接なんて、もう聞けないし、生前も何も」

 肌寒くなってきたころ、旧まさじい邸のリフォーム工事がはじまり、仏間の床の補強と防音、その他生活に必要なリフォームが終わったのは十二月の頭だった。慌ただしい引っ越しのあと、十二月の中ごろには引っ越し祝いかクリスマス、もしくは忘年会のどれとも区別のつかない集まりを二家族で、きれいになった家でささやかに催した。この家に二家族がそろうのはまさじいが私と純平を天神に連れていったあの日以来だったけれど、純平は今年も大晦日まで東京から帰ってこないという。
 応接室はすっかり現代風のリビングに変わっていた。茶色い皮の重厚なソファーセットは姿を消し、かわりにカンバス地のカジュアルなソファーが置いてあった。壁紙も旧応接室の薄いクリーム色から天井の蛍光灯が映える清潔な白になって、部屋がまぶしくなった。時代物の巨大ブラウン管テレビも、横から見たらベニヤ板程の薄さの、前より二倍くらいは大きな画面の液晶テレビに置き換えられた。テレビはデジタルで薄く軽かった。
 ニュースには遠い異国の金融街で抗議活動を繰り広げる若者が映ったけれど、どうしても、こうやって一新された部屋にいては、ただでさえ薄い現実感も、より希薄になった。私はこの部屋からまさじいの残りかすを捨てすぎだとぼんやり思った。くすんで輪郭がぼやけ、はっきり見ることのできなくなっていた古い時代のものがこの部屋にはあった。けれどそれを一掃してしまうと、なぜか、新しくなったその場所にいる人の足元が揺らぐような不安定さを感じて、私はほんとうにまさじいの時代が終わった気がした。

 ふと、純平の言っていたことを思い出した。
「悠平さん、まさじいが天神に連れていったときに買ってくれたレゴブロック、まだあるって純平から聞いたんだけど、ほんとにそうなんですか」
「ああ、あれか。親父ももの好きだよな本当に。まだあるよ。どれ」
 顔の赤い悠平さんが、すこし体を揺らしながら仏間に私を連れて行った。押入れを開けると、私がステレオを出したところのさらに奥から一つ段ボールを取り出して見せてくれた。そこには純平が言ったように、買ったときの袋に入れたまま、たしかにまさじいが私に買ってくれたものがあった。
「あれ、純平のは」
「あいつ東京に持っていったよ。まさじいの仏壇がわりにするって言ってた」
「へえ、あいつがそんなことを。私も組み立てようかな」
「それがいい。それはまさじいがあなたに買ったものなんだから、完成を見てみたいだろうよ」
 悠平さんはまさじいの使っていたファンヒーターに油を汲んで火を入れてくれた。それで立ち去るのかと思ったら、缶ビールを二本持って再び現れると、仏壇横の押入れの前で組み立て図と格闘していた私に一本渡し、自身は私から少し離れたステレオの横に座って、小気味よい音を立ててプルタブを開けた。
「さやちゃん、まさじいに音楽聞かせたらしかね」
「知ってたんですか」
「うん、純平が言いよった」
「いらんことをしました。この家の最後の思い出がよくないものになってしまって、まさじいにはなんて言えばいいか、未だによく分かりません。ただまさじいはレコードを聞きたいって、言ってたんですよ。そのステレオも買ったんだし、何だったんでしょう。てっきり私は音楽を聴きたいんだと思って」
 畳に広げた小さなブロックをさっと端に寄せ、私は悠平さんのほうに正座した。けれどまっすぐ向かい合うことはできず、少しだけずれた角度を向いた。八畳の部屋にはまさじいとその奥さんの仏壇の前だけが畳で、あとはピアノを入れるためにフローリングという変わった作りになっていた。私は畳の上にいて、悠平さんは冷たいフローリングの上にいた。ピアノが入っていない部屋はがらんとしていた。
「そうね。レコードを聞きたいて言いよったとは知らんやった」
「そうなんですか」
「うん。ぜんぜん知らんやった。ステレオが買ってあることも気づかんやった。入院したじいさんの着替えを取りに来たら、机の横にそのスレテオのあるもんだけん、こら一体どげんか風の吹き回しやろか、って思いよったところよ」
「このレゴが入っていた押入れに入れてあったのを、まさじいが私に出してくれと言ったんです」
「そうね。親父は俺に隠していたのを、おらんあいだに触ろうとしたのかな」
「さあ、そこまでは」
 悠平さんは、あぐらで腕を組み、あごひげのあたりをさすった。
「親父はほんとうに音楽嫌いでね、昔は俺がラジオで聞きよる先から怒鳴ったもんよ。ヘッドホンなんか買える小遣いもなかったし、そら中学やら高校のころは腹が立ってね、それで大学は遠くに行って、好きにギター弾けてせいせいしたよ。家の中で口笛でも吹こうものなら、なんばさるっか分からんやった。それでうちのなかはいっつもこう、しーんとしててね。この部屋んごつ」
 悠平さんは缶ビールを手にして、少し飲んだ。
「ただ入院して、病室から梅雨の晴れ間に月が見えた日にね、低い欠けたおぼろ月やったけど、俺そんとき見たんよ。親父の指がリズムを取りよったのをね。ベッドを起こして首を横にして窓の月を見よったけど、手をね、腹の上に置いて、人差し指をとん、とん、って規則正しく動かしよったとよね。俺は親父が頭のなかで何か歌ば歌いよったとじゃなかかと思って。本当は音楽をもう一度聞きたかったんじゃないかと思うよ、親父は。さやちゃんは、よかことをしたとかもしれん」
「まさか。音楽をかけたのは入院する日の午前中だったですけど、体力がなかっただろうにすごい剣幕で音楽止めてくれ、って言ったんですよ。私はまさじいが音楽嫌いって知らなかったんですけど、そのときは瞬間に、何かあるんだと感じました」
「親父が音楽を嫌うようになったんは、炭じん爆発で音楽仲間を失のうたからよ。親父は最後まで何も言わんで死んだけど、状況からしてそうよ」
 そう言って悠平さんは仏壇から古い額に入った白黒写真をもってきて、私の横に座るとそれを見せた。
「これ、その仏壇に前からありましたよね」
「さやちゃん、小さかったのによう見とるな。うちはな、俺のお袋、つまりばあさんが死ぬ前から仏壇があったのよ。家のもんは誰も死んどらんのに。まあ目立たないごく小さな仏壇やったけど、置いてあったんよ。社宅のころから、ここに越してきても」
「小さいのは覚えてないです」
「さやちゃんの目に触れんとこにあったとよ。でもばあさんが死んでからはこの大きい仏壇を置いたから、隠す必要もないし、仏壇も一つにしたんだろうな。この写真はね、昔の小さい仏壇のときからずっと置いてあってね。これが親父で、ほかの三人はまさじいのジャズ仲間やったという話。この人は爆発で即死らしか。おそらく仏壇はこの人のためにあったとやろうね。ばあさんもこの人と仏壇に入っても、文句はいわんやろう。たぶん俺よりずっと事情を知ってるはずだからね。あとの二人は即死こそせんやったけど、こっちの人は救援に行ったところをCOにやられて熊大病院に入院してそのまま、退院することもなくまさじいより先に死んだらしか。で、こっちの人はCOといっても何年か勤めとったらしいけど辞めざるを得なくなって、大阪に出て行ったけど、すぐに年賀状が宛先不明になって分からずじまいだと」
「まさじいは、なんともなかったと?」
「そう。まさじいだけ。爆発はまさじいが出た後に起こったらしかとばってん、なんで助かったかとか、詳しいことは俺も結局聞いてない。ほとんど話さんやったし。でも思うに爆発のあと、失った友人を思って親父は頭を坊主にして、音楽も、やめたとよ。そげん思う。ほら、この写真はまだ髪のわさわさしとろうが」
「ほんと。私、なんもしらんやった」
「親父は音楽を聴くとどうしても仲間を思い出すとよ。それでつい、大声を出したとじゃなかろかね。それにさやちゃん、あんたくらいの年でこげんこと知っとる人は、おらんよ」

 年が明けてまもなく悠平さん夫婦はグランドピアノをまさじいの仏間に入れた。そこへ楽譜の入った本棚やまさじいの買ったステレオを置くための台なんかを部屋に運び込むと、まさじいの机をレッスンのためそのままにしたこともあって、想像以上に手狭だった。私は大学の試験が終わった二月に様子を見に行ったけれど、仏壇の前で小学生の子供がピアノを練習するというのはやはり、想像するに奇妙な光景だと思った。
「幸子さん、そうおもいません?」
 私はピアノに座って仏壇を眺めながら、隣に立つ幸子さんに聞いた。
「私がはじめ悠平さんにピアノ教室をやれないだろうかと話をしたとき、主人はやめようって言ったのよ。私もそうよね、と思って言うのをやめていたんだけど、悠平さん、岩手に行ったときのことを思い出して、やっぱりやろうと言ったの。悠平さんのほうからよ。あのね、津波で飲まれた街って死の感じがするらしいの。亡くなった人に引きずられている感じがあるのかな。でも生き残った人はそういう思いを忘れるんじゃないけど、いい意味で断ち切って、生活を築いていかなきゃいけないから、いつまでも死んだ人に囚われるわけにもいかない。そうしようとしてた人たちの姿を思い出すと、悠平さん、お父さんのことがよくわかったんだって。まさじいも突然友人を奪われたでしょう。その事実だけを切り取ると、津波で肉親や友人を失った町の人と同じだって。それでまさじいは最後まで死者に引きずられたまま、ずっと音楽を聞く気分になれなかったんだろうって悠平さんは言うの。それはとてもつらいことだったはずだともね」
「そんなことを考えていたんですか」
「そう。だからせめて、死んだあとくらいは気兼ねなく音楽を聞いてほしいんですって。それであえて仏間でやろうということになったの」
「あ。それにまさじい、子ども好きだったですよね?」
「たしかにね」
「私も純平も、ものすごくかわいがってもらいましたし。だから子どもがピアノを弾くってところもいいアイディアだと思います。まさじいも喜びますよ」
「それもそうかもね。子供の下手なピアノなんて、って思ってたんだけど、さやちゃん、まさじいのことわかってる」
「いいえ、なにも分かってないです。でも、まさじいがかわいがってくれたことは、たしかに知ってるんです」
 その日私は、年末に作りかけのまま放っていたレゴブロックを完成させると、まさじいの仏壇の前に置いた。まさじいはきっと喜ぶと思った。まさじいが最後まで遊びに来いと言わなかったから、私も純平もこうして大人になってしまったのだ。とはいえ、まさじいは一度預からないといったものを撤回できなかったのだろう。好きな音楽を絶って、律儀に仲間のとむらいを一生貫いた人だから。そしてそんなまさじいを、私はまさじいがいなくなっても、たしかに知っている。

 幸子さんの教室は無事に生徒も集まって、予定通り四月から始まった。私はそこでなぜか、子供の宿題を教えたり、家に親が帰ってくるまで面倒を見たりしている。バイト代は少しだけ出る。そして実は私も、仏間のピアノ教室の生徒になった。
「まさじい。私の下手くそなピアノ聞いてる?」
 仏壇に呼びかけても返事はない。きっと仏壇の向こう側で旧友とジャズを聞いていて、私のピアノなど聞こえていないのだ。でも、それでいい。せめてあちらの世界でくらい、もう引き裂かれることのない友人と、何の気兼ねなく音楽を、楽しんでほしい。

仏間でピアノ

仏間でピアノ

まさじいが最後まで貫き通した、悲しみと弔い。大人になった私は、その何たるかを、残された人々から垣間見る。 …… 有明新報社(http://www.ariake-news.co.jp/)が例年元旦紙面にて行っている有明新年文芸、平成24年小説入選作。選者は西村健先生。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-25

Copyrighted
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