艾茸(もぐさたけ)

草片文庫(くさびらぶんこ)

艾茸(もぐさたけ)

奇妙な茸の物語です、縦書きでお読みください。


 「不思議なこともあるもんじゃ」
 秋田の山奥に住む艾(もぐさ)爺さんは、かごの中に山盛りになっている採ってきた緑色の茸を見ながらつぶやいた。
 艾爺さんは山菜や茸のことを誰よりもよく知っており、茸なら知らないものはない。村人たちは採った茸の鑑定を頼みに行く。東京の大学の生物の先生が、研究のためにこういう茸を採ってきてほしいと頼むと、必ず取ってくる。
 ところが、それほどの爺さんが電話で私の研究室に連絡をしてきた。不思議な茸で初めて見るものなので、一度見てほしいとのことであった。
 私は茸の研究者で、南米の茸の分類をやっている。南米の茸は探検に行けば必ず数百の新種の茸にぶつかる。日本の茸もかなりのものが名前が付けられていない。それなのになぜ南米の茸を調べたくなったかというと、やはり、神の茸として有名になったしびれ茸の仲間に興味をもったからである。アステカ文化では神の茸として大事にされ、今ではマジックマッシュルームという名前で呼ばれている茸である。その種の茸に含まれる化学物質が脳に働くことが明らかにされていて、社会的にも問題があるが、向精神薬として役立つものとしても開発が進められている。本当をいうと、それだけではなく、アマゾンなどには日本にはない奇妙な形の茸がたくさんあるから面白いのである。日本には茸の研究者がたくさんいる。そのようなこともあり、他の人と違うところで茸を調べたいという気持ちが強かったのである。
 艾爺さんとは、日本の茸を研究している友人を介して、一度会ったことがある。友人が秋田の艾爺さんと一緒に茸を採りに山に入ったとき、私も付いて行った。茸の採取が終わった後、艾爺さんの家で囲炉裏を囲んで酒盛りになり、なんだか気が合って、茸の面白さを語ったことが思い出される。もう昔のことである。
 そんな艾爺さんが急に私に連絡してきたということは、よほど珍しい、日本離れした茸に出会ったからだろう
 艾爺さんは本名を山田正太郎というが、村中の人たち、いや町中の人たちが艾爺さんと呼んでいる。爺さんは膝頭の脇の三里や親指と人差し指の間の合谷、上腕の三里に毎日、点灸をしている。自分で採った蓬(よもぎ)を艾に仕立てて、自給自足で灸をすえているが、ある日山道を歩いているときにちょっといつもとは違ったの白っぽいヨモギみつけた。それが色の白い、香りのよい艾になり、火をつけると穏やかな熱さになる気持ちのよいものであった。それを聞きつけた艾を作っている会社が、爺さんのところに行き、そのヨモギをもらって、新たな艾を作り出した。そのヨモギもヨモギの亜種として登録され、発見者として爺さんの名前が残り、艾の名前も正太郎艾として売り出された。そのようなことから、艾爺さんと呼ばれるようになったのである。
 秋田の山奥の艾爺さんの家を訪ねるのは二度目である。以前訪ねたときは、まだ艾爺さんと呼ばれていないころだから、十年以上前のことになるだろう。爺さんは六十を少し過ぎたくらいだったろう。それからすぐのころに新しいヨモギを見つけたのだ。
 山間の中腹にある艾爺さんの家に行くには、一日四本しかないバスに乗り、山の中腹を走る県道を一時間ほど行かなければならない。幸い爺さんの家の近くにバス停がある。
 電話をもらった次の日である。玄関に行くと、艾爺さんは土間で、その日採った茸を選り分けているところであった。その脇に大きな背負子が置いてあり、その中にその薄緑の茸がいっぱい入っていたのである。それが昨日連絡してきた茸である。確かに珍しい。
「ありゃ、先生、すんませんのう、こんなところまできていただいて、それですのじゃ」
艾爺さんの太い指が緑色の茸を指示した。
 電話で緑色の茸とは聞いていたが、とても鮮やかな少し薄めの青緑の茸で、私自身も今まで見たこともなければ、図鑑にも載っていないものである。
 「上がってくだされ」
 爺さんは緑の茸が入った籠を持つと、土間から居間に上がった。黒光りがした板の間に囲炉裏が掘ってあり、大きな五徳の上に大きな薬缶がのっていて、口から湯気が立ち上っている。自在鉤は使っていないが、昔ながらの寒い地方の農家の家の中の景色である。前に来た時にもこの炉端で酒を飲んで茸の話をしたのである。
 私は囲炉裏の縁にある座布団の上に胡坐をかいた。
 脇に茸の入った籠を置いて、お茶の用意を始めた艾爺さんは「不思議なことがあるもんじゃ」と籠を指さして、「中の青い茸をとってみてくだされ」と言った。老人は緑色を青と言う。昔の人にとって、緑色は青色の範疇だったのであるが、この茸の色は青っぽくも見える。私はその中から一つ手にとってじっくりと見た。形はよくあるマツタケ型で大きさもマツタケ並みである。ただ、襞を含めすべてが薄青緑で、かすかにハーブのような匂いがする。茸の匂いではない。緑色の茸はないわけではなく、日本では数種類あるが、どれも小さな茸である。これは大きいし、意外と重さがある。
 艾爺さんはお茶を手に抱えるように持つと「いつもの山に行ったときですわ」と話し始めた。
 「その日は舞茸でもと思って、山に向かったのですわ、そこに茸の木がありましてな」
 茸の木とは茸の採取人しかしらない舞茸の生える水楢の木のことである。
 艾爺さんの小さな目が、本当に信じてもらえるかなといった様子で私を見た。
 「水楢の木の裏に行きますとな、当然あるはずの舞茸が生えていななかったんですわ」
 「今年は茸のできはいいんじゃないですか」
 「そうなんでな、だかんら、熊かなんかが喰っちまったかと思ったんだが、あいつら食い散らかすから、舞茸のかけらがたくさんあるはずじゃが、なかったな、生えた様子がまったくなかった。他の茸はぽちぽち生えてるんだよ」
 「どんなところなんです」
 「とりたてて珍しいところじゃねえよ、南向きの急斜面で、水楢、ブナ、クルミ、楓、入り込んでいてな、このあたりとも同じだ」
 艾爺さんは茶を飲んで一息入れた。
 「それでな、もっと奥山に行くことにしたんじゃ、この年になるとあまり遠出はしたくないがな、いつもいく場所までここから二時間、そこはさらに二時間ほど行ねばなんねえ、若い頃はよく行ったが、この年になったで、ずい分行ってねえ、ところが、そこに行ったらこの青い茸がたんとありましてな」
 「ずい分重かったでしょう」
 「帰るのに四時間だから、昼前に家にもどれねえからな、しかたねえな、いつもは五時に家を出て、往復四時間、だからゆっくり茸採りをして帰っても、十時ごろには家に帰れる、昼飯はいつもうちで食うんだ、朝出るときは水を飲むだけで、朝飯用に握り飯を三つ持っていくんだ、途中で二つ喰って、一つは残しておくんだ。なんかあったときに食べるためにさ、昨日は帰りの途中で残りの握り飯を食ったよ、重いのを担いで歩いたから腹がへってな」
 艾爺さんは籠の中の緑色の茸を一つとると傘をちょっとかじった。
 「最後の握り飯を食うとき、この青い茸を喰らおうと思ったんだがな、おらの感じじゃ、生で喰える茸だと思う。だけんど、何しろ初めての茸だし、おかしな生え方してたもんで、くわんじゃった。それでともかく先生に連絡したんですよ、なんの茸か先生わかりますでしょうか」
私は首を横に振った。
 「珍しい、緑色の茸は若草茸というのがあって、子供の頃は緑色をしていますが、こんなに大きくないですね、そいつはちょっとした毒がある。他にも萌黄茸というのがありますが、これも若いとき頭が緑色で、食べられます、だがどちらも形が違いいますね」
 「先生のやっている、外国にはありませんかね」
 「知らないですね、南米でも見たことがない、それに、外国の茸の図鑑でも見たことがありませんね」
 「わしゃ、理由はわからねえが、マツタケに近い種類じゃないかと思うんだがね」
 「確かに、形は似ていますね、詳しく調べますのでいくつかもらっていっていいですか」
 確実に新しい種類の茸である。艾爺さんが、茸爺さんと呼ばれるようになるかもしれない。新種なら山田さんの名前も入るだろう。私は緑色の茸をしまう準備をはじめた。小型のクールボックスを持ってきている。できるだけ新鮮なものを持って帰りたい。保存用の袋に一つ入れたところで、それを見ていた艾じいさんが、
 「先生、明日、その茸の採れるところにいってもええが、どうしなさる」と言った。
 「まだ生えているんですか」
 「仰山ありますわ、ただ、ここから四時間歩かにゃならんですがね、それに二泊しなきゃならんね、今日泊まって、明日採りに行って、その日はバスがないので戻ることはできないだろうから、帰るのは明後日になるね」
 いつも山に入れるような恰好はしてきている。幸い、この週は研究室に詰めなければならないような仕事はない。
 「それはありがたい、駅の近くの宿をとりますよ」
 新鮮な茸を持って帰るに越したことはない。袋に一つ入れた茸をクーラーボックスに入れて終りにした。
 「いんや、ここでよきゃあ、部屋はありますで、どうぞ」
 ということで、艾爺さんの家に泊まることにした。
 夕飯は艾爺さんの作った、茸の料理である。贅沢なものである。囲炉裏の脇のちゃぶ台の上に、茸の煮しめ、茸の天麩羅、酢の物など数品が載っている。なかなか見栄えもいい。
 艾爺さんは料理の腕も大したものである。
 「喰ってくだされ」
 ビールをついでくれた。
 うまい、天然舞茸の天麩羅など絶品だ。
 それから、緑の茸を採った時の話の続きになった。
 「それでな、山奥には原始林に近い林がありましてな。古い古いブナの木があって、必ず舞茸がとれるところでした、ただ、そこまでいかなくても、それなりの舞茸が採れたので、あまりいかんでしたがな。さっき話したように、若い頃ですわ、近くで茸がだめなときに、さ迷い歩いてというか、茸を求めて歩いて高い山に登って行くと、やっぱり急な斜面に、立派な水楢の木が何本か生えていましてな、中でも太い水楢の根元に、あたったね、そこの塊だけで、40キロほどだったかね、若かったから背負子にいっぱい入れて持って帰ったね、まだ培養舞茸ができていないときで、大もうけさね、だけど、近場のところでももっと採れることもあって、それから行く機会がなかったよ、他のやつに教えたくもないしね」
 「それで、昨日もそこにいかれたのですね」
 「ああ、そうですじゃ、ずいぶん久しぶりだし、おらも年だから覚えているかどうか自信がなかったが、体が覚えておった、なんとなく来たことがあるような景色をたどって、登っていくと、行き着きましたな、それで、それは見事な水楢の大木になっていましてな、その頃すでに老木だったのに、まだ青々とした葉が枝を覆っていましたわ、まるで若返ったように、きれいな若木のような趣でした。若くなったなーと思わず声をかけてしちまいました、本当はそうじゃなかったのですがな」
 艾爺さんはお湯割りの焼酎を一口飲んだ。私は爺さんの作った茸の煮しめをつまみながらビールを飲んだ。
 「水楢の実をしっちょるでしょう、大きな木のくせにずいぶんちっこいどんぐりがなりおる。おらは木の下を見たときに、おかしいなと思ったんですわ、ちっちゃなどんぐりがあたり一面落ちている。そうですわ、秋ももう半ば、このあたりは今は寒いんですわ、それなのに、枝は青い色だ。今頃は青いということはありゃせんわい、それで、わしは木の根元に行ったんじゃ、それで見上げますとな、枝に何か青い実のようなものがたくさんぶら下がっている。その木はおそらく三十メートルもあるものでな、てっ頂は枝に覆われていて見えない。一番低いところの枝にしても3、4メートルも上にあるので、わしの目ではぶら下がっているものがはっきり見えない。青色であることはわかる。葉っぱの集まっている先にぶら下がっている。ということは、本来なら実がなるところにそいつはついているようだったんだ。どんぐりが落ちてからそこにできたのじゃないだろうかね」
 「何がなっていたのですか」
 そんなことはないだろうと、緑の茸を想像しながら艾爺さんに聞いた。
 「あの茸じゃよ」
 「それはだけどありえない、茸がぶら下がっていたわけですか、しかもたくさん」
 艾爺さんは大きくうなずいた。
 「それでな、おらは落ちていた長い枯枝を振り回したらな、ボロボロ落ちてきましたんじゃ、それがあの籠の中の青い茸じゃ」
 確かにあの茸の石突にごみのようなものはついていない。土から生えていたのならもっと汚れている。落ち葉から生えたにしても、茶色っぽい落ち葉の破片がついている。そういった様子はない。
 「上のほうの枝にもなっているようだったしな、まだまだたくさんあったよ」
 「明日行ってみるとそれを見ることができるのですね」
 「んだ、不思議だがなあ」
 木から茸がぶら下がるなどという現象は今まで報告されたことがない。錯覚ということも慣れた艾爺さんのことだからないだろう。いくら考えても分からないが、明日行ってみればわかるだろう。
 その日は快晴で、風はあまりなかったが、冷たい空気が顔を包んだ。朝五時というとまだ暗い。艾爺さんは慣れた様子で、私の分まで朝食の握り飯を作ってわたしてくれた。
 「寒くねえですか、先生」
 「大丈夫です、防寒は十分にしてきました」
 今は軽くて暖かい新素材のダウン風ジャケットがある。靴にしても折りたためる長靴が、開発されていて、とても楽である。
しかし、やはり外は寒い、襟を立ててマフラーを巻く。
「歩いてりゃあ、すぐ熱くなりますで」
爺さんは、必要なものを身にまとうと、さっさと山道に入っていく。家に鍵などかけたりしない。
 「いつぞやあ、茸採りから帰ってきたら、猿っこが家の廊下の隅で丸くなってましてな、まるで猫みてえに、寒い日だったから、入口の戸を押し開けて入ったんだろう、かわいそうなんで、そのままにしておいたら、次の日、いつの間にかいなくなっていたな」
 もう七十を過ぎているはずの爺さんの足の運びはまだ四十代くらいだ、さっさと暗い山の中の道を平気で歩いていく。私のほうがついていくのに苦しいくらいだ。
 しばらく歩くと、少し明るくなってきた。日の出まではまだ時間があるが、山の中が見やすくなってきた。足元にはいろいろな茸の顔が見える。私でも名前のわからない茸がある。菌学者はやることがたくさん残っていて幸せだ、自分の名前を付けることができる新種の茸が研究生活の中で必ず一つくらい見つかるだろう。
 「さすが、茸の先生だのう、素人の連中を連れてくると、一時間も歩かんうちにおらについてこられなくなる、もうすぐ、いつも舞茸をとるところにでるのでな」
 艾爺さんはそれでも歩く速度をかえなかった。私ももうすぐ還暦である。追いかけるのが大変だ。
 その場所は確かに舞茸などが出やすいところであった。少し日が差し込み、大きな水楢が何本もあった。水楢があれば舞茸が必ずあるというものではない。しかし、艾爺さんの茸の木に行ってみると、舞茸の子供が顔を出していた。
 「あと、一週間だな、かなり大きくなるだろうよ」
 艾爺さんは笑った。
 「あと、二時間歩くが、先生大丈夫かね」
 私は頷いた。その頃は日も昇り、あたりは気持ちのいい明るさが満ちていた。
 艾爺さんは黙々と歩いた。途中に滑子が群れていた朽木を見つけたが、それを採ろうとしなかった。帰りにもし余裕があったら採ると言った。私に茸のなる木をはやく見せたいようだ。
 「ほら、猿がいる」
 山の木の上に動くものがいた。何頭いるかわからないがかなりの数だ、猿とは私にはわからないが、爺さんには認識できるようだ。かなりの山奥である。そういえば原始林に近いと言っていた。
 その斜面は山の尾根に出たところで突然目の前に現れた。
 「あそこにある大きな水楢なんだ、だけんど青くないな」
 彼の目にはその木がもうわかるようだ。我々はそこを下り、反対側の山の斜面に入り、林の中を歩いた。道はない。獣道らしきところを艾爺さんは自分の家に帰る道のように歩いていく。
 だんだん近づくにつれて、唸るような音が聞えてきた。人間が苦しんでいるような声に聞こえる。
 「あの音はなんでしょう、なにかの動物が苦しんでいるような声だが」
 「おらもわからんですな、初めて聞きます、このあたりには猿も熊もいますけんど、あんな苦しんでいるのは聞いたことがないの」
 「病気の熊でもいるのでしょうか」
 「わからんな」
 林の中を歩いていくと、その声が高くなっていく。
 「ありゃ、枝が青くなくなっちょる」
 私の目にも大きな老木が見えてきた。地衣類でもくっついているのだろうか。緑っぽい色をしている。枝の先の残っている葉はむしろ黄色い。それにしても大きな老木である。緑色の茸がなっている様子は見られない。
 艾爺さんが早足になった。
「あっ」
 爺さんが老木の周りを指さした。緑色の茸がごろごろごろごろ、ころがっている。
 「みんな落ちちまったようだ」
 その時、水楢の老木が軋んで、苦しそうな声というか音をたてた。喘息があった私には、吐く息ができず、ぜいぜいと苦し思いをしたときを思い出した。
 近づくと幹に付いている青っぽいものが明らかになった。
「ああ、なんじゃあれは、大きなクラゲがついちょるな、しかも青っぽいやつだ」
 艾爺さんが大きな声を出した。
 水楢の幹にあふれんばかりの薄緑の木耳がくっついている。しかも一つの茸は手の平より大きい。木の幹にぺらぺらと、何重にも重なっている。
 「な、なんだ」
 艾爺さんが後ろに下がった。私も後ろに下がった。水楢の老木が揺れ始めたのだ。それに、水楢の木が苦しそうに唸り始めた。みしみしと音がする。
 すると、幹についていたたくさんの薄青緑の木耳が幹に吸い込まれていく。やがて、幹からすべての木耳が消えた。
 水楢の老木が大きく膨らんで、息を吐いた。はーっと、幹から白い蒸気のようなものが吐き出されたのである。あたかもため息だ。その途端、枝の先から緑色の茸がでてきて、ブランブランとつり下がった。艾爺さんの言うとおり、水楢の枝に緑色の茸がなった。
 「木耳が吸い込まれちまったら、青い茸がなりおった」
 ところが、また、水楢の木が幹をよじった。
 根元から薄緑の木耳が這い上がり始めたのである。どこから現れたのかと思って下を見ると、落ちていた緑の茸がぬるっと、木耳に変わると、ぞろぞろと、水楢の老木に這い上がっていく。
 「先生、ありゃなんだ、水楢が木耳に襲われているんじゃねえか」
 「そのようです」
 水楢の木は太い幹をよじって、木耳を振るい落そうかのような振る舞いをしている。年取った水楢は枯れたくないのだ、木耳を吸い込んで、枝から茸にして外に放り出そうとしているのだ。
 周りに落ちていた緑色の茸がすべて木耳になった。ぞろぞろと水楢の幹に這い上がり、攻撃をしている。水楢は苦しそうに幹をひねる。木耳は上のほうに這い上がっていく。しかも木耳は途中で二つになり、大きくなりながら、幹をあがっていく。増えているのだ。
 「こ、こりゃ、妖怪じゃ、木耳の妖怪じゃ」
 そう言った艾爺さんに、木耳が一つ這い上がってきた。
 「や、やめれ」
 足にくっついた木耳を艾爺さんが払おうとしたが落ちない。私はそいつを持って思い切り引っ張った。爺さんのズボンが破れ、木耳をとることができた。手の中で薄緑の木耳がくにゃくにゃ動いている。
 「先生、遠くへ投げれ、はやく」
 私はその声であわてて木耳を林の中に放り投げた。
 「妖怪じゃ妖怪じゃ、茸の妖怪じゃ、先生、逃げれ」
 彼の声で、あわてて道を戻り始めたとき、水楢の木が「ぎゃー」という声とともに、悶えながら、崩れ落ち始めた。
 我々は走って逃げた。
 黒くなった水楢の木はバーンという音とともに崩れ落ち、あたりに土埃が立ち込めた。
 我々が反対の山の稜線にたどりついたときには、斜面に緑色の煙が立ち込めていた。
 「あの、化け物木耳のやつらは、胞子を飛ばしやがった、これからも古い水楢の木がねらわれちまう。
 俺の茸の木が死んだ。茸にすべてを吸い取られちまって」
 艾爺さんは手を合わせ涙を流した。思わず私も手を合わせた。
 それから、艾爺さんは黙ったままだった。我々はせっせと家に戻った。
 家にたどり着くと、爺さんはなぜか急いで居間に上がって、「やっぱりだあな」と大きな声を上げて私のほうを向いた。
 「先生、お湯を沸かすだ」
 彼はそういうと、土間におりて、大きな鍋に水をくむと、流しの脇のガスコンロに載せ火をつけた。
 私は居間に上がって、籠に入れっぱなしになっていた緑の茸を見た。どっさりと詰まっている緑の茸が透き通り始め、崩れだしている。木耳に変わろうとしている。
 それで艾爺さんがあわてたのである。
 私は籠を抱えて、土間に下りた。かごの中の緑の茸が木耳の形になり、ぴくぴくと動き始めた。
 「先生もうすぐ湧くが、間にあわねえ、もう入れちまおう」
 艾爺さんの声で、私はあわてて、ガスコンロの上の大きな鍋の上で、籠を傾けた。手を入れて掻き出そうとすると、「あぶねえ、手をいれちゃいけね」
 艾爺さんの声が飛んできた。
 あわてて手をどけて、籠を逆さまにした。まだ湯は煮立っていない。茸は木耳に変わりながら、大なべの中でぽちゃぽちゃ蠢めいている。
 お湯がぶつぶついってきたとき、緑の茸が木耳に変化し、熱いためであろう、飛び上がろうと押し合いへし合いを始めた。一つの木耳が大きく飛び跳ね湯から飛び出ると土間に落ちた。そいつはぞろぞろと動いて、艾爺さんを目指した。私は、おいてあった丸太でそいつをつぶした。そのとたん「ぎゃあ」という声がでた。
 湯が煮立ってくると、鍋の中の木耳たちが「ぎゃあ、ぎゃあ」と騒ぎだした。
 「おっそろしい茸だで、化けもんちゃ」
 私は目が信じられなかった。
 「あの大木を殺しちまうくらいだから、よほどの時を経て、妖怪になっちまったにちげえねえ」
 艾爺さんの言うことを否定できるかというと、今の自分には出来ない。目の前で茸が変化して木耳に変って動いている。しかし、後になって、この出来事をどう思うであろう。誰に話しても笑われるだけだろう。
 鍋の中の木耳は赤くなって動かなくなった。
 死んだのだろうか。
 赤い木耳は、やがて黒っぽい、普通の木耳の姿になってしまった。どうやら、退治できたようである。鍋の中で木耳が煮立っている。
 それを見つめていた艾爺さんが私に言った。
 「先生、どうかね、この妖怪クラゲを喰ってみるかね」
 私が返事を返す前に、艾爺さんは酢味噌を作り始めた。
 「あの水楢の供養だわさ、わしゃ喰ってやろうと思う」
 そう言って、木耳をすべて酢味噌和えにしてしまった。朝作ったおにぎりを取り出し、酒まで出してきた。
 「通夜だ、あの水楢の」
 私ももらったおにぎりを取り出した。
 もう昼をだいぶ過ぎている。
 艾爺さんは「このやろう」というと、酢味噌に和えた木耳を橋で持ち上げると、口にいれた。
 「お、うめえよ、先生」
 私も箸で木耳をつまんだ。どこといって今まで食べたことのある木耳と味に違いは感じられなかった。ただ、今の今まで、ぎゃあぎゃあと蠢いた木耳である。美味しいと頭では感じられなかった。
 「先生、水楢の木は木耳を退治しようとして、木耳を茸に変えて下に落としていたんだ、それでエネルギーを使い果たしたんだね、がんばったんだよ」
 私は頷いた。
 「もうなくなっちまったから、青い茸には名前が付けられないが、つけるとすりゃあ、どんじ、かね」
 「なんです、それ」
 「どんぐりじゃなくて、ドン茸」
 ちょっとすっきりしないと思ったのだろう、艾爺さんは苦笑いをして、「名前なんか付けなくてもいいか」と言って、箸で木耳をつまんだ。
 「みんな食ってやる」
 爺さんは酒を飲みながら、木耳をせっせと口に運んだ。
 私は思い出した。
 アイスボックスに緑の茸が一つ入っているはずである。それも木耳に変わっているのだろうか。研究室に持って行ってから開けようと思う。もし中に入っているとすると、木耳に変っていようとなかろうと、茸に名前を付けることができるかもしれない。その時は、艾爺さんの思い出として、和名は艾茸にしようと思う。色もちょうどヨモギのような色である。
 妖怪木耳の酢の物はまだ半分ほど残っている。私も箸で摘むと口に入れた。気持ちが落ち着いたのであろう、コリコリしていて、確かに美味いものであった。

艾茸(もぐさたけ)

艾茸(もぐさたけ)

良い艾を作るじいさんがいた。茸取の名人でもある。ある日木の枝に出る緑の茸を見つけた。その茸は怖ろしい妖怪茸だった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-03-19

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