前進

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 不十分な知識を総動員して記述すれば、画面上で絵具を混ぜ合わせるのでなく、画面に対して鑑賞者が取る距離により、その網膜で捉える色の一体性で対象を表現する印象派の技法は、小さなタッチで画面に置いた色に直接当たる光によって発色を変化させ、周囲の色との補い合いにより様々な方向に色相を移していき、人の目に写る眩い世界の在り方を伝える。
 このような印象派の技法が画家が選択できる色彩表現の道を広げた。この技法をさらに押し進め、点で捉えた色で画面を構成することでさらに客観的な光の輝きを表現した点描画があり、忠実な光の表現を目指したという意味では印象派も属する写実的な表現に対し、決別の意を示すものとして恐れ知らずの大胆な筆触をもって心象を豊かに飾る色の存在感を画面上で発揮し、「絵の現実」を表現しようとしたフォービズムの誕生に影響したと理解している。
発展は、人の歴史を支える背表紙であることは否定できない。したがって、技法の進展をもって紡がれる絵画の歴史の語られ方に意を唱えることを筆者は行わない。
 絵画が目指した発展の歩みは、アーティゾン美術館で開催中の『STEPS AHEAD』を彩る名作の数々が教えてくれる。
 かかる展覧会では絵画表現において自他を分けるものとして「引かれている」境界を超える様々な試みが、代表作を通して展示される。例えば藤島武二氏の『東洋振り』では、構図そのものはイタリアのルネサンス期で描かれた女性の横顔の胸像をなぞりながら、その容姿、衣装、佇まい、背景又は用いられる色味の総合によってオリエンタルな文化圏に暮らす人々が確かにある、とイメージできる土着な風合いを保った理想的な肖像を表す。その姿が与える感銘は異なる文化圏に向けた手紙のような意味合いを持ち、確かめ合えた絵画の良さを通じて「絵画といえば欧州」でなく、描ける素晴らしい対象、そして方法が個々の文化圏にあることを画家が目指したと評価できる。
 また、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが確立したキュビズムは、多角的視点で対象を捉えることにより、空間の面から絵画や彫刻などの立体物に一石を投じる。異なる角度から見える対象を画面に押し込めた、あたかも脳内で統合される視覚情報が未整理のままで取り出されたかのような世界が写し出す不思議さあるいは奇妙さを鑑賞者に見せ、絵画表現としての面白さ(という素直な言い方が軽薄に聞こえるなら、「絵を描く」という行為の自由な魅力)を広大なスペースに向けて解き放つ。その画風は確かに人を魅了しつつ、写実な世界を離れ始めている。
 心象に重きを置く色彩表現が感動を与えるカジンスキーやパウルクレーの絵に描かれるベクトルなどの数学的記号は、絵の中で見る違和感を忘れてそれ自体に備わる美しさに気付かせてくれる。論理的正しさを背骨とした記号的表現が十分な意味を持たされた色を引き寄せ、色を纏い、記号としての意味を超えた良さを直接、見る者の内心に落とし込む。情報、という言葉に還元できない表現に対する感覚を単純化した道具をもって追求する試みに、感化される一人になる。
 続けて、レディメイドを手がけたデュシャンに至っては見る側に対する問いが強くあり、絵画を含めた表現行為全てに対する根本的な問いに繋がる。すなわち、日常における用途が決まっている商品を作品として展示することにより、「貴方はこれを美術品として見ていますか?」と逆説的に見る側に問う。問われる者は「美術とは、美とは何か」という内省へと進む道の扉に立たされる。その内側に一歩、足を踏み入れた途端に言葉の「意味」に囲まれていた自らの「世界」と対峙させられる。そこから先の試みは哲学的な歩みに似る。そのために、氏の作品の持つメッセージは芸術という括りそのものを上下左右、何なら前後にも押し拡げる力を持つと筆者は考える(氏の作品を前にして、いつも落ち着かない気分にさせられる。氏の作品が持つラディカルさに驚き、戸惑い、他の作品に高揚した気分に浴びせかけられた冷や水を足元に滴らせながら、氏の作品をじっと見なければいけない羽目に陥る)。
 そうして行き着く先に抽象表現が待っている。画面上の各要素をギリギリまで丁寧に腑分けし、各要素を熱心に矯めつ眇めても、画家の内心における動機すら窺えやしない。にも関わらず、意味にし難い形象、配色、物としての単純さ又は総合的な佇まい、そして完結していない世界観が目の前を通り過ぎようとする意識の足を引っ掛け、その場に縫い付ける時間で技法らしい答えを放棄するような濃密な関係を生んでいく。
 抽象絵画について、『STEPS AHEAD』の各作品を前に筆者は敢えて抽象表現を心的に遠く見ることを心がけた。絵画の歩みを分かりやすく、かつ深く教えてくれる展示だと思ったからこそ必要な姿勢だと考えたからである。
 有り難いことに許された撮影を気になった作品の前で行い、保存した抽象絵画が同じく携帯端末の中に保存されていたデザイン作品と並んでいる。しかし違和感がない。むしろ、そう並べた方がしっくりくると感じる作品が少なくない。
 表現という大きな括りから、絵画とデザインの違いを見出せる分水嶺はあるか、と問いを立てれば素人である筆者に自信はない。ただ、デザインには目的がある。商品のロゴを例にとっても、購買意欲を掻き立てるのに適したデザインが求められる。そこに作り手自身が求める表現への探究という行為は入り込めない。かかる探究自体が目的となるのが絵画である、と記せばぼんやりとした線引きはデザインとの間に行えるかもしれない。その上で、抽象絵画を振り返れば、その目的自体があたかも表現の原理に迫るほどに突き詰められていることから、隣り合う分野に足を踏み込んでいるように見える、と言えないか。そう考えてみる。
 ジョアン・ミロ氏の『絵画』は濃淡のあるざらざらとした質感を伝える肌色の地の上に、アルファベット、落書きのような記号、そして不完全に蠢いているような円形にだけ塗られた赤や黄色、緑に濃い青が描かれる。それらの配置に見出せる意味ありげな関係性があるからか、そのタイトル通りに受け止められない違和感に、しかしいつも接しているような慣れ親しんだ手触りが作品にきっちりと収まっている。いわば、何かを伝えるときに人が採用する伝達方法そのものを絵画表現として目の前に差し出されたようで、氏の表現を通じて自身の表現過程に出会えるような奇妙な快感を覚える。
 デュシャン氏の作品にも込められていたラディカルな問いは、自己矛盾するかのような対象を取り扱える。抽象表現で迫る表現行為の本質は、そうして「何かを伝える」というコミュニケーションの姿を露わにし、目的に向けた問題解決の手段となるコミュニケーションツールとしてのデザインとの境界に接する。行き過ぎた記述のように筆者自身も感じるが、しかし抽象絵画を前に「それを知りたい」と駆り立てられる絵画好きの一人として、互いにやり取りしているような感覚を否定し難いのも筆者の率直な感想である。
 抽象絵画が努めて進めた結果としての表現の歩みが「絵画」という枠に足を引っ掛け、その上半身が向こう側にまで傾いている。その足元の底は知れない。そして同じくらい、目の前に開けた未開拓地が存在している。美術史を押し進める程のダイナミクスは得難いとしても、踏破に向けた個々の意思は硬く輝く。
 手元にあるナカムラクニオさんが書かれた『美術史入門』の冒頭には、美術史が巡る循環が分かりやすく描かれている。抽象からさらに進み、舞い戻る出発点に立ったとき、絵画表現の発展性に否定的な評価が下される。その隣では今もその領域を大々的に拡張する現代アートの鼓動も聞こえてくるようである。しかし、巡る歩みに合わせて繁った樹々の、晴れ間に向けて青々と広がる様子を描きたいと欲する「人」が過去に、そして現在にいる。
 あらゆる括りの隙間から覗かせる生意気そうで、また愛らしい抽象的な未来の可能性も含めて、表現活動としての絵画の発展と相対的な立ち位置にも触れることができた『STEPS AHEAD』は、学びの良い機会になった。



 少し、否定的に書いてみる。
 感じるものの全てが鑑賞者に託される抽象絵画には、楽しさとともにどこか寂しい気持ちを抱くことが少なくない。見えない画家の姿を探し求めて辺りを見回すときに認められる距離感により、現実に取り上げられる熱っぽさを惜しまざるを得ないことによるのかもしれないと思っていた。
 画家自身の意図とは別のところで、抽象表現はこちらを見ていないのかもしれない。語弊を招く言い方を変えれば、絵画に何か、特別なものを求めているかもしれない鑑賞者の欲を手に取り、同じように不思議がっている。鑑賞者の方でも、そういうふうに不思議がられることを不思議がっている。そういう対面の機会が、ズレるようなぎこちなさが抽象絵画にはあるのかもしれない。
 そして、そのズレを繰り返した果てに互いの視線が合ってしまった、とこちらが思ってしまえば、抽象絵画の魅力に嵌った「鑑賞者」としてのネームを衣服の上にピン留めし、楽しげにぶら下げて歩くことができる。
 全体的な色は暗く、溶けた世界の抵抗感はきっと水に似ている。したがって、額縁の内側に満ちる圧は鑑賞者に自由を与えてくれない。なのに、連綿と続く色の揺らぎはきっと優しく、何があったのかを一緒に探してくれる。岩礁に底を接する沈没船の形を思わせる『無題』に引かれた線に指をかけ、筆者はザオ•ウーキー氏の、筆を乗せる画面に落とした画家の視線を想像した。
 いつか合うかもしれない。そういう想像を、針が進める鑑賞中に遊ばせた。
 

前進

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  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-03-18

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