戯れ言 1️⃣~1️⃣0️⃣

草也

戯れ言 1️⃣~1️⃣0️⃣
  
 本稿は、どんな状況を背景にした一編なのか。この際は一つの趣向として、全ては読者諸兄の設定に委ねよう。勿論、あの原発が爆発した、かの国の、いずれかの日々であっても、一向に差し支えないのである。
 
1️⃣ ある、ママ 

🎆 事故死

 「ん?」「それに、悪戯っ子みたいなんだもの」「ん?」「私に、さんざんの悪さをするでしょ?」「私を困らせるでしょ?」
 四ニの紫子が、背後に張りついた同い年の草吾に、熱い吐息とも知れずに、密やかに囁くのである。
 淫靡を極めた閨房の直後の二人だから、当然に裸体だが、その姿態をどこまで描くべきか、筆者は真剣に戸惑っているのだ。では、何故、こんな設定を書くのか。交接を介した会話に、ある真相を探る、なにがしかの意味があるのかと、考えたりするからだ。しからば、その真相とやらに何らかの価値はあるのか。凡な筆者などは、未だに、皆目、検討もつかないのである。

 「あんなこと、どこで覚えたの?」「聞きたいのか?」「話したくない?」「男の過去なんて、不可思議な寓話のようなものなんだ」「寓話?」「そう。自分が覚悟して為したのか、状況の風にあおられて、ある物語になってしまったのか。そんな過去を、今更、話したところでろくな感慨もないし。聞いたところで、なにがしかの教訓になる訳じゃない。確かに、生きた形跡には違いないが。大した意味のある価値なんてものじゃない」「当たり前だわ。女だって、終わってしまったありきたりの恋なんて、演歌の歌詞ほどの意味すらないんだもの」「だったら?」「それでも、ふと、聞きたくなったりするのが、愚かな男女の機微なんだわ」「俺達も、か?」「当たり前でしょ?私達こそ、堕落の縁に佇んでいる、極め付きの愚か者なんじゃないの?あなた?いつか、そんなことを言ったでしょ?そんな主題で短編を書きたいんだって?」何故、どんな設定で、そんな野望を口走ってしまったのか、男は、すっかり、忘れている。

 すると、この時、女に問いかけようとして、男は、ふと、つまずいた。この女に何と呼びかけたらいいのか、未だに解らないのである。「君も?」なのか、「お前も?」が、いいのか。或いは、もっと的確な何かがあるのか。二人の距離を言い当てる呼び方に、さっぱり、見当がつかない。
 再会して二月余りも経て、女の肉の深奥にまで侵入しているのに、何て陳腐な事態なんだ。幾度、抱擁を重ねても、二人の距離は縮まらないばかりか、時折は、離れてさえいるのではないか。そんなところが性愛の現実なのか。男は悔恨を反芻した。

 仕方がないから、「やっぱり、聞きたいのか?」と、曖昧に絞り出すと、「今の気分なら、そうだわ」と、女は事も無げに、「あなたは?」と、返すのであった。

 「何を知りたいんだ?」「あなたって。きっと、何人もの女と関わったんだわ」予想だにしなかった疑念だったから、狼狽えていると、「「年上の女に教えられたのかしら?」と、畳み掛ける。

 草吾の沈黙を承認と悟った紫子が、「だったら、一番の年上は?」と、追求した。「ねえ?」「…九つ」「幾つの時だったの?」「ニ六」「…だったら、三五?」「そう」「今でも?」女の容赦のない探偵に、観念したのか、ある意味の被虐趣味に陥ってしまったのか、男は告白を続けてしまうのである。だったら、女は加虐の快感を覚えているのか。
 「死んだ」「いつ?」「九年前…」「…それって、私と再開する?」「前だ」それでは仕方ないと、自分の嫉妬に言い聞かせたのか、女は冷厳だ。「どうして?」「交通事故」「どんな?」「それが、出来損ないの私小説みたいだったんだ」

 「何があったの?」「数人である観光地に行って、何かを眺めていたら。停めていた車が走り出して」「車が?」「自分達の、だよ」「自分達の?」「彼女が運転していたか、どうかは、解らない」「どうして、解ったの?」「たまたま、その日のニュースで聞いたんだ」「それで?」「だから、走り出した車の下敷きになったらしい」女の手が止まった。

 「どんな人だったの?」「小さなスナックのママだった」「人妻でしょ?」「どうして解るんだ?」「訳などないわ。何だか、そんな気がしたの。その方が物語が出来るでしょ?」「書くのか?」「書けるかしら?」「それほどの好奇心なら訳もない」「だったら、子供は?」「一人」「あなたも結婚していたんでしょ?」「子供もいた」「立派な不義だわ」「そうだな」「後悔してるの?」「後悔?」「してないの?」「解らない」「存外に不道徳なのね?」「知らなかったのか?」「そうだったわね。私だって、共犯なんだもの」

 「だったら、どうして、そんな風になったの?」「ニ三の時に、その頃の職場の先輩に連れて行かれたんだ」「先輩とママは中学の同級生だった」「その頃住んでいたアパートに近かったから。それから、一人でも行くようになって…」「それで?」

 「三年目の春…」「その日は、夜が更けても、いっこうに客はなくて。いつまでも二人きりだった」「中島みゆきの『わかれうた』が流れていた」「その歌。あの頃ね。よく、歌ったわ」
 

2️⃣ 事件

 女が幕間に躍り出たから、男の告白は第二幕の舞台に移る。
「だから、何かの黙示を感じたりしていたんだ」「その夜は何を飲んでいたの?」「ジンだ」「あら?北の国の?」「そう。アダダラの『怪しい二人の陳腐な夜』」「あの頃には、随分と流行ったのよね」「飲んだのか?」「どうだったかしら?」女は、容易く、秘密の過去に逃れてしまった。「特異な人達はストレートだったわね。あなたも、きっと、そうだったんでしょ?」

 「あの夜は、珍しく、ママが酔って。ダンスを誘われた」「あなた?私の時は、踊れないって?」「そう。俺は踊れないから、断った。それでもいいって」「だったら、あの時に諦めた私は、愚かだったのかしら?若すぎたのかしら?」「あんなには酔ってなかったろ?」「そんなに?」「何かにとりつかれたみたいに、泥酔していた。だから、形ばかりにママの身体を支えて。ママは酔いに漂うみたいに、静かに身体を揺らしていたんだ」女が唾を飲んだ。

 「マリアマリアという歌手がいたろ?」「知ってるわ。空前の大ヒットした、あの一曲だけで姿を消した。北の国の幻の歌姫、でしょ?」「そう。『夜よ、抱き締めて』だ」「私も歌えるわよ」「闇の涙のようなブルースだ」「随分と意味深な修辞だこと。それで踊ったの?」「そう」「それで?」「…暫くしたら、ママが身体をすり付けてきた。…股間を」「ママが?」「そう」「密着してるんだ」「…股間と股間が?」「そう」「それで?」「盛り上がっていて…」「ママのが?」「熱かった」「火照ってるんだ。息をしているみたいに。初めてだった。大人の女だと思った」

 「それで?」「ある人が死んだ。と、ママが言った」「ん?」「夫に殺されたんだ、って」「ん?」「確かに、そう、言ったんだ」「それで?」「それ以上は何も言わない」「ん?」「俺も、何も聞かなかった」「ん?」「それだけだ」「ん?」「その夜は何もなかった」

 「あなた?」「ん?」「その人?」「誰?」「殺され人、だわ」「だから?」「だって、殺人でしょ?」「そうだな」「事件だわ」「そう」「平気だったの?」「そうじょない」「だったら?」「驚いた」「当たり前だわ。あなたは殺人事件を告白されたのよ。そうでしょ?」「そうだな」「警察には?」「警察?」「通報したの?」「してないし。そうだな。考えたこともなかった」「どうしてかしら?」男には、なぜだったのか、何一つも思い当たらないのである。年上の女の話が、余りにも突飛だったからなのか。ただの戯れ言と思ってしまったのか。酔いしれていたのか。事件の真相を知るが億劫だっのか。

 最後の仮説が事実に近い。その店に通い詰めていた三年間、いつも見かける常連の男がいた。カウンターの端が定席な、細身で蒼白な男であった。三〇半ばの大人の男だ。
 少し観察すれば、いかにも、カウンターの中のママとは、訳ありな風だった。そして、若い男などには、到底、踏み込めない、欄熟した空気が二人を覆っていたのである。

 「そうだわね。あなたの直感は正しい筈だわ」「何が?」「その二人。道ならぬ恋をしていたんだわ」「そうなのか?」「それを知ったママの夫が、その間男を殺害したんでしょ?」改めて、今時に指摘されると、あの夜の会話の不条理に、男は身震いした。「そうでなければ、ママの告白が成立しないでしょ?」「その男はどうなったの?」「突然に見かけなくなった」「そうなんでしょ?やはり、殺害されたんだわ」紫子の指摘に草吾は納得せざるを得ないのである。「それにしても」と、紫子は推理を接いで、「何故、あなたに囁いたのか、その方が興味深いわ」と、呟いた。「殺人があったとしても、とうに時効でしょ。私には見ず知らずの男だし。でも、女の嫉妬は始まったばかりなんだもの」

 果たして、紫子の断定は正しかったのか。紫子は嫉妬の余り、拙速に推理をし過ぎたのではないのか。ママの不義が事実で、発覚して破綻したとしても、或いは、仮に、夫が間男を殺害したとしても、如何に泥酔した夜とはいえ、ママが夫の秘密を安直に告白をするのだろうか。
 その夜、不義が破綻して孤独なママが、若い男の淡い思慕を試すために放った、戯れ言だったのではなかったのか。

 草吾が女というものに疎かったのは、そればかりではなかった。
 ママの突然な事故死を知った彼は、密かにママの葬儀を覗いたのである。幾度か体を合わせた女への、せめてもの弔いだったが、葬儀の場は異様な雰囲気に包まれていた。ある新興宗教の特異な献花が、林立していたのである。資産の一部が、故人の意思でその教団に遺贈されるとの、発表もあった。草吾は仰天した。御門を狂信的に信奉するその宗派は、今では与党の保守党に深く食い込んで、国政を蝕んでいた。社会運動に半生を賭した草吾の、いわば宿敵なのであった。そんな宗派の女を抱いてしまっていたのだ。と、すれば、あの時に殺人を吐露したあのママという女は、既に宗派に洗脳されていたのではないか。不義の男も信徒だったのか。その戯れ言が、修羅の事件を創造して、紫子という女の嫉妬を掻き立てたのである。すると、或いは、紫子も何らかの宗派や過去の男に感化され、精神まで犯されているのではないかと、疑念が過った。そして、この世界の、とりわけ、男女の実相などは、到底、自分などが悟れるものではないのではないかと、暗憺として、草吾は呆然と佇むのであった。
水子

 性愛を書くなどは、些か厄介なのである。何故か。性愛の真相は、筆者などの愚には実に難解なのだ。だから、表層を描くばかりでも実に難儀だ。その上、性愛に普遍などはありようもないから、特異の世界を丹念に書くのだが、そもそも、性は秘め事だ。何故か。生存に不可欠な生殖と、即ち、営営にして堂々たる生物の営為と、その生殖とは余程関与しないとしか思えない、不可思議な快楽が同居しているからではないか。
 そして、殆どの性愛の綺談は、生殖の叙述を必要とはしない。快楽ばかりを解析するのである。
 筆者は評価しないが、例えば、谷崎潤一郎の『痴人の愛』や『卍』などは典型である。
 即ち、そうした快楽の特定の秘密を暴くのだから、性を書くなどは、そもそもが禁忌なのであって、それを承知で、敢えて書くのだから、いかにも難儀なのである。その試行は、『御門制』の禁忌の闇に挑む徒労に似ている。
 だから、そうした、いわゆる性愛の物語がなへんに辿り着くのか、蒙昧なる筆者などには、想像だに及ばないのである。

 この綺談は××年の頃だから、三〇年前の逸聞であり、幼い頃だったら、三〇年前などは大昔の感覚であったが。ごく、最近の体験の感覚なのは、何なんだろうか。成熟しきって紊乱に腐敗した、それどころか、敗退の坂を転げ落ちるが如くの、この国の社会の有り様が一因なのかも知れない。

 四ニの紫子が、背後に張りついた同い年の草吾に、「こんな風に再開するなんて、思ってもいなかったわ」と、熱い吐息をこぼした。「ん?」「私達のこんな関係、だわ」
 この二人は一〇年ぶりに抱擁した直後なのであった。

 一〇年前、男はある争議で、ある組合を指導していたが、女はその会社の管理職で、労働組合担当だった。利害関係者の、あってはならない危険な因縁を作ってしまって、その禁忌に溺れてしまったのである。二人は、実に厄介な一時期を共有したのであった。

 女は離婚をして間がなく、実家に身を寄せていて、女児があった。男には家庭があったから、疑いもなく不義だ。
 しかも、その時に、女は経営者の男と関係していたのだから、いよいよ、輻輳した状況だったが、争議が解決する兆しになって、女と経営者の関係も修復したのか、あれほどに燃え盛った、紫子と草吾の秘密の遊戯も、鎮火したのであった。

 だが、それから一〇年後に、一年前に離婚していた草吾と、既に経営者との縁が切れていた紫子が、偶然に出会ってしまったのだった。
 「隣県のK峠のK山の山頂に、ある祈祷の先生がいるの」「ん?」「失せ物なんて当たり前。混沌のるつぼの様な悩みの所在だって、たちどころに言い当てるし」「随分と高名で。だから、予約も大変なくらいなのよ」「その先生が、私の苦境は、水子のせいだと言うのよ」「でも、必ず、助け船がある、って」「その男は、ごく身近から現れるって、託宣したんだわ」紫子は、草吾がその助け船かの如くに匂わすのであった。
 この女のこうした性向を、草吾はなかなか理解出来なかった。女は何かというと、占いを話題にしたりした。

 ある時などは、実に豪華で複雑に刻印された、女の数本の印鑑を目にする機会があったから、訝ると、突然に訪ねて来た、ある団体の若者から購入したと言う。それは詐欺商法で世上を騒がしている、ある新興の宗派であった。この団体は草吾の労働組合にも入り込んでいて、洗脳されて行方をくらましたある組合員を、草吾達は探索していたのだ。
 紫子が騙されたのは印章ばかりだったのか。そして、いつから、様様な商法に染まって、騙す立場に変化してしまったのか、草吾は、未だに、全容を知らないのである。

 それから、十年が過ぎて、紫子が体の不調を訴える時があったから、草吾も病院に同道した。
 待合室で、履歴を記載するように言われた女が、文書にペンを走らせ始めた。見ることなしに視線を投げていた草吾に、「堕胎」の項が飛び込んだ。そこに、女が「2」と記入したのである。この刹那に、草吾は、紫子が十年前に言った、祈祷師の水子の話を、まざまざと思い出したのである。あの戯れ言はこの事だったのかと、慨嘆した。

 女というものは、そんな戯れ言にでも、堕胎などという沈痛な事実をさりげなくまぶすのか。その事実は真相と同義語なのか。それに比したら、男などは、その戯れ言を、満足に聞いてすらいないのである。こんな事象は、この二人だけの特異だったのか。凡な筆者には知る由もない。
 暫くして、大病を患った草吾と、いよいよ爛熟した紫子は、二度目の、確定的な別離を迎えるのであった。
 

3️⃣ 水子

 性愛を書くなどは、些か厄介なのである。何故か。性愛の真相は、筆者などの愚には実に難解なのだ。だから、表層を描くばかりでも実に難儀だ。その上、性愛に普遍などはありようもないから、特異の世界を丹念に書くのだが、そもそも、性は秘め事だ。何故か。生存に不可欠な生殖と、即ち、営営にして堂々たる生物の営為と、その生殖とは余程関与しないとしか思えない、不可思議な快楽が同居しているからではないか。
 そして、殆どの性愛の綺談は、生殖の叙述を必要とはしない。快楽ばかりを解析するのである。
 筆者は評価しないが、例えば、谷崎潤一郎の『痴人の愛』や『卍』などは典型である。
 即ち、そうした快楽の特定の秘密を暴くのだから、性を書くなどは、そもそもが禁忌なのであって、それを承知で、敢えて書くのだから、いかにも難儀なのである。その試行は、『御門制』の禁忌の闇に挑む徒労に似ている。
 だから、そうした、いわゆる性愛の物語がなへんに辿り着くのか、蒙昧なる筆者などには、想像だに及ばないのである。

 この綺談は××年の頃だから、三〇年前の逸聞であり、幼い頃だったら、三〇年前などは大昔の感覚であったが。ごく、最近の体験の感覚なのは、何なんだろうか。成熟しきって紊乱に腐敗した、それどころか、敗退の坂を転げ落ちるが如くの、この国の社会の有り様が一因なのかも知れない。

 四ニの紫子が、背後に張りついた同い年の草吾に、「こんな風に再開するなんて、思ってもいなかったわ」と、熱い吐息をこぼした。「ん?」「私達のこんな関係、だわ」
 この二人は一〇年ぶりに抱擁した直後なのであった。

 一〇年前、男はある争議で、ある組合を指導していたが、女はその会社の管理職で、労働組合担当だった。利害関係者の、あってはならない危険な因縁を作ってしまって、その禁忌に溺れてしまったのである。二人は、実に厄介な一時期を共有したのであった。

 女は離婚をして間がなく、実家に身を寄せていて、女児があった。男には家庭があったから、疑いもなく不義だ。
 しかも、その時に、女は経営者の男と関係していたのだから、いよいよ、輻輳した状況だったが、争議が解決する兆しになって、女と経営者の関係も修復したのか、あれほどに燃え盛った、紫子と草吾の秘密の遊戯も、鎮火したのであった。

 だが、それから一〇年後に、一年前に離婚していた草吾と、既に経営者との縁が切れていた紫子が、偶然に出会ってしまったのだった。
 「隣県のK峠のK山の山頂に、ある祈祷の先生がいるの」「ん?」「失せ物なんて当たり前。混沌のるつぼの様な悩みの所在だって、たちどころに言い当てるし」「随分と高名で。だから、予約も大変なくらいなのよ」「その先生が、私の苦境は、水子のせいだと言うのよ」「でも、必ず、助け船がある、って」「その男は、ごく身近から現れるって、託宣したんだわ」紫子は、草吾がその助け船かの如くに匂わすのであった。
 この女のこうした性向を、草吾はなかなか理解出来なかった。女は何かというと、占いを話題にしたりした。

 ある時などは、実に豪華で複雑に刻印された、女の数本の印鑑を目にする機会があったから、訝ると、突然に訪ねて来た、ある団体の若者から購入したと言う。それは詐欺商法で世上を騒がしている、ある新興の宗派であった。この団体は草吾の労働組合にも入り込んでいて、洗脳されて行方をくらましたある組合員を、草吾達は探索していたのだ。
 紫子が騙されたのは印章ばかりだったのか。そして、いつから、様様な商法に染まって、騙す立場に変化してしまったのか、草吾は、未だに、全容を知らないのである。

 それから、十年が過ぎて、紫子が体の不調を訴える時があったから、草吾も病院に同道した。
 待合室で、履歴を記載するように言われた女が、文書にペンを走らせ始めた。見ることなしに視線を投げていた草吾に、「堕胎」の項が飛び込んだ。そこに、女が「2」と記入したのである。この刹那に、草吾は、紫子が十年前に言った、祈祷師の水子の話を、まざまざと思い出したのである。あの戯れ言はこの事だったのかと、慨嘆した。

 女というものは、そんな戯れ言にでも、堕胎などという沈痛な事実をさりげなくまぶすのか。その事実は真相と同義語なのか。それに比したら、男などは、その戯れ言を、満足に聞いてすらいないのである。こんな事象は、この二人だけの特異だったのか。凡な筆者には知る由もない。
 暫くして、大病を患った草吾と、いよいよ爛熟した紫子は、二度目の、確定的な別離を迎えるのであった。
 
  
4️⃣ 奇書

 知り合った頃の草吾が紫子に、「草也っていう作家、知ってますか?」と、尋ねると、「あの『儚シリーズ』の作者かしら?」と、喜ばしい反応が返ったのである。「ほほう。読んだ?」「まあ…。いいえ。読んではいないわ。首府の学生の頃に。行きつけの古本屋で。ちょっとだけ。後は、噂を聞いただけだわ」「なるほど。『儚』の連作は地下出版の佳作と言われている、奇書中の奇書です。たぐいまれな傑作だ。『秘本源氏』に勝るとも劣らない、快作です」「どんな内容なのかしら?」「一言で言えば、謀叛の文学です。この国の禁忌、絶対的なタブーに対する告発と、反逆の叙事詩です。御門制に対する凄絶な怨嗟と憎悪。そして、北の国の一族の、御門制打倒の戦いの壮絶な歴史。御門制に蹂躙され続けてきた自らの民族に対する哀歌。愛と憎しみで交錯する男女の群像。禁忌に挑戦する、大胆に過ぎる性愛の表現、などなどですね」「あなたの解説も、とっても、魅惑的だし。実に面白そうね。ますます、興味をそそられるわ。作者はどんな人なのかしら?」

 「それが難しいんだ」「どうして?」「この本が耳目を集めるようになったのは、あの頓馬で悲惨な戦争に破れた直後の、いわゆるエログロナンセンスと評された、性の禁忌が溶解してしまった、混沌の情況で。御門制の痛烈な批判と、大胆な性の描写が話題になったんだが。実は、戦中から、弾圧をかいくぐって書かれていて、密かに読み継がれていたという、研究もあるんだ。作者も複数ではないかと言う者や、あの革命党などの秘密結社が、革命の情宣の手段として、集団で創作したんだと、唱える者すらいる始末だ」「終局は、誰かはわからないのね?」「今でも、志を継ぐ誰かが書いているかも知れない」「そうだと知ったら、ますます読んでみたいわ」

 「あなたは、登場人物の一人を、彷彿とさせるんだ」「誰なのかしら?」「第一巻の『宗派の儚』の主人公の、夏です」「どんな人なのかしら?」
 
  
 ≪ そして、その年の暮れ、猛は仁王立ちで夏を抱き寄せながら、本堂に放火した。夏の絶叫も、この男の狂気の本能には届かない。
 目の前で、自分の欲望を阻害する本堂が激しく炎上し始めた。これからはいつでも夏にして貰える。もうすぐ、夏に射精できる。猛を激しい恍惚が襲った。立ち登る炎と猛は同化した。自身が燃え盛る炎だと感じた。
 一瞬、猛は夢を見た。炎のなかで、死んだ筈の母親が女陰を開き猛を招くのだ。懐かしい女陰だ。猛は身体が沸騰して、その場に仁王立ちで釘付けになり、大量に夢精した。夏は青年の腕の中で身動きできずに、絶叫し続けていた。
 二人の焼死体は無意味に重なって発見された。
 そして、翔子の指示で焼け跡を整地していた作業員が、白骨化した、もう一つの遺体を掘り出したのである。
 椚原は失踪として処理されていたが、金歯から椚原と断定された。夏の関与が疑われた。週刊誌に夏の記事が躍った。
 翔子は教団を解散したが、紀世の元には戻らなかった。紀世にとっても教団を失った翔子に、最早、魅力も未練もなかったのだった。
 そして、あの老人が死んでいた。解き放たれて、阿修羅の入れ墨も彫り上がった宮子から、新教団統合の提案が出されようとしていたのである。
 既に、岩橋総統は衆議院を解散して総選挙が行われていた。田山は幹事長として陣頭指揮したが、野党に肉薄される結果となった。田山自身はトップ当選だったが、幹事長に再選はされず入閣もなかった。岩橋は半年後に病死した。
 翔子のもとには、典子とその娘の継子と十数人が残った。
 その中に小百合がいた。夫の町長が教団から多額の収賄をしていたが、教団の分裂抗争の中で全てが露見した。夫は小百合を離縁した。小百合は夏に心酔する信徒だった。夏を失った今、翔子に従っていたのであった。
 翔子は、夏から託された草也と夏の多額の秘密資金を手にしていた。翔子は生まれて初めて、自らの夢を自らで描こうとしていたのだった。≫ 
 

 
 男の長い話を聞き終えた女が、「凄惨な最期なのね」「『儚』は、殆どの登場人物が、無惨な結末を迎えるんだ。ここにも作者の意図を感じるな」「私の何が、夏に似ているのかしら?」「まずは、描写されている夏の身体でしょうね。俺は、京マチ子をイメージしていたんだ。まさに、あなたがあの女優に、こんなに…。言われたことはないですか?」「ないわ」「あなたに似て豊満なんだ。豊潤と言った方がいいのか。やっぱり爛熟かな」「まあ」「乳房も尻も……」「肌は桃色だという。そこはあなたと違う」「ん?」「あなたは、雪の上に降り積んだ雪のようだ」「まあ」「そんな肌も、年輪を重ねて…」「どうしたの?」「淫靡に汚されていく…」「私の事なの?」「普遍の生理現象だけれど。そうだな。あなたは特別かも知れない」「どうして?」「堪らなく夏に似ている」「何が?」「『宗派の儚』では、交接している時の夏の、顔の描写が、様々だと言うんだ」「ん?」「菩薩も観音もあれば、夜叉も修羅もある。眉間に深い縦皺を二本刻んだ修羅。小鼻を膨らます夜叉。首筋から耳へ変化して紅潮する桃色の肌の観音。紅くて厚い唇が濡れて、舌の先がのぞく菩薩。官能の極致の表情の如来…」「まあ」「肉欲や色情も燃え盛って昇華されると、別な次元に転化するのかも知れない」「作者は、どんな醜女でも、法悦を迎えた顔は絶世の美女と変わらない。むしろ、勝る時すらある、と書いているんだ」
 
 
5️⃣ ルノアールの女

 「聞いていい?」と、紫子が拘りをさえずり始める小鳥の如くに囁いた。「ん?」と、女の背中に貼り付いて、やはり、この女との来し方を反芻していた草吾が、「ん?」と、張りつめて汗の滲んだ乳房に指を這わせた。「あの時の、あなたの、あの言葉だわ」「ん?」「湖に行ったでしょ?」一〇年前に、立場の利益が背反する、紫子と草吾が初めてドライブに行った時の話だ。深夜のある湖のほとりで、二人は長い話をした。女は、あの瞬間に抱かれる覚悟はしていた。女とはそういうものだ。でも、あなたは何もしなかった代わりに、不可思議な言葉を残した、と、言うのである。
 「ねえ?覚えている?」一〇年ぶりに再会した夜の交接の直後に、記憶の奥底から問いを発する女に、男は、改めて存在の重みを感じたのである。それに比べれば、つい今の今まで抱擁し合っていた行為などは、一〇年のこの間、時折は乞い願っていたにも拘わらずに、微塵の価値もない幻だったのではないか、と、慨嘆したりしたのである。

 「覚えていないわけがない」と、草吾は言った。「俺達の関係は、何よりも、混濁していたんだ」男はある労働組合の専従役員で、女の会社の労働組合を指導していたのだった。女は経営者の意を受けた労働組合の担当だったのである。「だから、俺達は必ず出会わなければならない関係だったんだけれど、決して、仕事以上には踏み込んではならない関わりだったんだ」と、男は言った。「だったら、どうして、誘ったの?」「応えたんじゃないか?」その後の会話を二人は飲み込んだが、男には正解が用意されていた。それは、この女と出会った瞬間に感じた、ある種の直感的な感覚、あえて言葉で表すなら、ルノアールのモデルの女に抱いた「性愛」であった。

「あの時に言ったろ?」「一〇年前?」「そう。良く覚えていたね?」「だって、あんな風に言われたのは、初めてだったんだもの。でも、正確には・・」「・俺のモデルは崇高だ。モデルの肉体は、写されるだけに存在するんだ。だから、モデルには食指は全く動かない。こうだろ?」と、女の豊かな耳朶に囁いた。「そうだったわ。でも、今は違うのかしら?」「違うね。但し、あなた一人に限っての事だけど」「どう違うの?」「この身体がいとおしいんだ」「私だって、素直に嬉しいんだけど。あなたの言いぶりが難しいんだもの。崇高といとおしいは、どう違うの?」
「崇高は、肉体の魅力を引き出す一定以上の価値基準の概念だよ。レンズを通して究極の魅力を発見するんだ。これを具備している肉体は女神の如くだから、犯すことはない。ルノワールの裸婦画は?」「好きだわ」

「あの裸婦画の数十点を買ったパリの富豪で、有名な好事家が、実際のモデルは、さぞかし官能的な女だろうと、訪ねたそうだ」「それで?」「豊満には違いないが、さしたる魅力も感じさせない、大年増の農婦だった。そこで、貧困な寡婦の女が驚くような金を与えて、その身体を買った。男の腕の中で悶える女を観察していたら、キャンバスに描かれた女を発見して、改めてルノワールを称賛したと言う逸話だ。ルノワールの技量が、普段は隠れている女の官能を発見して、描き出したと言う話だ」「それは、私にも、率直にわかるわ。あなたに撮ってもらった写真の私は、今までに見たこともない私だったんだもの。凄く驚いたのよ」「光栄だ」

「あなた?」「ん?」「だから。未だ、答えてなかったわよ?」「ん?」「だから。崇高と、いとおしいの違いだわ」「そんなのは簡単だよ」「ん?」「尊敬できて、なおかつ、抱きたい女。そういう人だよ」「それが私だと言うの」「そう」「私をルノアールの女だと、初めて思ったのは、いつだったの?」「初めてあった時からだよ」

「あなた?そのモデルは、ルノワールとはしなかったのかしら?」「交接か?」「富豪が詳細な文章を残しているんだ」「聞きたいわ」「ルノワールは、そのモデルとはしてなかった」「そんな秘め事が、どうしてわかるのかしら?」「富豪がモデルが証言させたんだ。条件付きで」「条件、って?」「本当のことだけしか言わないことを約束させて、身体とは別に高額な金を与えた。同時に、後で嘘がばれたら没収するという書類にサインさせたんだ」「念が入っているわね」「それだけじゃない「ん?」「質問は、交接しながらすることを約束させたんだ」「まあ。拷問みたいだわね」「そう思うか?」「だって、あんな時に聞かれたら、大抵の場合、どうなってしまうのかしら。富豪が嘘だと思ったら、攻められるんでしょ?」「そうだな」

「あなた?二人の歳は?」「三人だ。モデルは二人いたんだ」「三人で、そんなことをしたの?」「そう。モデルの一人は三〇半ば。もう一人は四〇過ぎ。富豪は六〇過ぎだったから、娘みたいなものだな。どんな風にしたかも、詳しく書き残してる」「聞きたいわ」「富豪は、若い時は絶倫でならした巨根だが、年老いて、勃起がなかなか難しいんだ」

≪これから先の記述は、自主規制により、割愛する≫


6️⃣ 雷 
 
 紫子と草吾の二人の関係が再開した。紫子は北の国の雄都で、ある小売りの管理職で、草吾はある労働組合の専従役員だ。この頃は、紫子の娘が専門学校の学生で同居していたから、殆どは、紫子がK市の草吾の家を訪ねたのである。 

 その時、突然に雷鳴が大気を切り裂いた。紫子が甲高い悲鳴をあげながら、身体を起こして草吾を見た。「随分と近いな」「雷は大嫌い。あなたは平然なのね?平気なの?」と、女の視線が男にすがる。「まあ」「そうだわね。男の人だものね」と、同時に、再び雷が轟き渡った。女が叫ぶ。
 そうしている内に、風が出て、にわかに掻き曇ってきた。窓際に寄って彼方を覗いていた女が、「黒雲が、みるみる覆い被さってくるわ。降るのかしら。降るわね。…そうだ。洗濯物を取りこまなくちゃ。窓も開けっぱなしだったんだわ」「手伝おうか?」「台所と、風呂の窓をお願いするわ」と、短く言い残すと、慌ただしく階段を駆け上がった。

 命じられた戸締まりをし終えて、ウィスキーを飲み始めた頃合いに、大粒の雨が落ちてきた。忽ち、どしゃ降りになり、屋根を打つ。狂気のように晴れ上がっていた盛夏の空が打って変わって、辺りが一気に薄暗くなった。

 暫くして、降りてきた紫子が、草吾の向かいの長椅子に座り直した。「お陰で助かったわ」と言う声も、男の許までは良くは届かない。すると、また、稲光が辺りをつんざいて、今度はすぐに雷鳴が続き、重い衝撃音と共に、大木の裂ける音が大気を揺るがした。と、同時に、女が絶叫しながら立ち上がる。「近くに落ちたんだわ」
 すると、バラバラと屋根を打つ音がして、驚くほどの大粒の雹が落ち始めた。「怖いわ」と、紫子が草吾に視線を絡める。「肝が縮まるの。この光と音には耐えられないんだもの」
 男が立ち上がって歩み寄ると、女があたふたと身体を擦り寄せて来て、二人はソファにもたれこんだ。

 紫子が豊潤な身体を無造作に委ねている。薄い生地を易々と浸透して、直に、女の生温かい体温が伝ってくるのだ。
 また、雷鳴と同時に稲妻が煌めいた。一瞬、辺りが真昼のように明るくなり、悲鳴と同時に、女が、男の太股に崩れ落ちて、「怖いわ」と、男の手を探し当てる。女の背に手を添えて、「真上辺りにいるんだ。また、落ちるかもしれない」と、男が脅かす。「すっかり暗くなったわね。真夜中みたい。雹が激しくて。あなたの声もよく聞こえないわ」「二人きりで閉じ込められたんだ」と、男が女の手を自らの股間に導く。女は従順に隆起を捉えた。

 「雷に臍を盗られる、って、言うでしょ?」「ん?」「西の国は違うのよ」 女は西の国の遥か小島に、五年ばかりを嫁いでいたが、一年前に離婚をして、女児を連れて、北の国のこの街の実家に身を寄せていたのであった。
 「何て言うんだ?」「雷様がガガに入ってくる、って」「ガガ?」「女性器のことよ。そうして、雷様に鬼の子を孕まされてしまう、っていう言い伝えがあるの。だから、雷がなると、女の子は晒しの切れ端か、障子紙をあそこに当てるのよ」女の手が隆起をひっそりと這い続けている。「初めて、義母に言われた時はビックリしたわ」「他所では、絶対にやってはいけないって。義母に言われたの。良くは知らないけど、そんなことをするのは、あの地方でもあんまりないみたいで。きっと、半島か大陸の、ある地域の風習なんだわ」「御門の歴史を書いた『御門古記』の一番始めに、国産みの神話があるでしょ?そこに、始めに出てくる島?」「女鬼ガ島だ」「そう。私が嫁いだのは、その島の隣の小島だったんだもの」


🎆 手

 長椅子に並んで座って、草吾がウィスキーを飲み、紫子も飲む。女が男の手を包み込んだ。
 「優しい手だ」と、草吾が話し始めた。「最近、ある組合の役員が入院したんだ。末期の胃ガンだ。転移が激しいらしい。そいつは離婚していて、母方についた子供とも疎遠で。僅かばかりの親族とも不仲で、長らく音信不通だったらしい。当然、今さら、助けを求められる関係でもない。頑固で気丈な奴だが、この時ばかりは、さすがに気弱にになったと言うんだ」
 また、雷鳴が鳴り響き、稲妻が走った。女が男の手を強く握りしめて、「それから?」「でも、その不安が救われた、と、言うんだ」「ん?」「手術を担当した初老の男の医師が、診察の度に手を握る。看護婦も、なにくれとなく、触れてくる。文字通りの手当てだ。この世に 愛というものがあるのを初めて知った、と、言うんだ。哀れな男の話だよ」「今の私みたいだわ。この、あなたの手にすがってるんだもの。大きい手なのね。逞しいわ。私のは、どう?」「柔らかくて。温かくて。優しい。心が休まるようだ。握っていてくれるか?」「いいわよ。素敵な写真のお礼よ」「これは、あなたの言う、文字通りの手当てなんだもの」


🎆 心拍

 その時、雷が怪しく煌めき、辺りが真昼のように光り輝いたかと思う間もなく、凄まじい雷鳴が轟き、大木の裂ける音が二人の耳をつんざき、地鳴りと共に家が揺れ、紫子が悲鳴を発しながら、重い乳房と共に草吾にしがみついた。「すぐそこだわ」「きっと、あの神社のご神木だ」女の息が乱れて、身体が震えている。「大丈夫か?」「こんなに驚いたのは初めてだわ。胸が苦しい。動悸が激しいんだもの。聞かせたいくらい」「聞きたい」「本当よ。聞いてみて」男が女の胸に手を置いた。「どう?」「豊かだ」「そうじゃないでしょ?」「どう?」「未だ、良くわからない」「ゆっくり確かめればいいわ」

 暫くして落ち着きを取り戻した女が、「あら?あなた?あなたの手がおかしいわよ」「どうして?」「だって。鼓動を計ってるんでしょ?」「そうだけど。心臓がどこなのか、良くわからないんだ」「馬鹿ねえ。だからと言って、おっぱいを揉んでるんだもの」「嫌か?」「そんなにしては、私の息が乱れるばかりだもの。計れないわよ」「どうすればいいんだ?」女が男の手を取って、浴衣の下に導いた。そこに女の真裸の乳房が息づいていた。「鼓動はここよ」「どう?」「わかった?」「聞こえるでしょ?」「聞こえる」
 「あなた?また、雷、落ちないかしら?」「きっと落ちるな」「怖いわ。あなた?二階に蚊帳があるんでしょ?移りたいわ」


🎆 ダラガガ

 二人が蚊帳に入ったその時、煌めいた雷が辺りを光り輝やかせて、同時に凄まじい雷鳴が轟いた。女の悲鳴が男にしがみつく。「怖いわ」「大丈夫だ」と、女を抱き締める。乱れた女の息が草吾の股間を探る。「驚いて。胸が苦しいわ。動悸を確かめて」と、促された草吾が紫子の浴衣をはだけさせて、乳房を掴んだ。女が憚らずに嬌声で応える。全ては生温い湿気と薄い闇と、ごうごうたる雨音に包まれて、秘密の儚の如くに進んでいく。

 女が男の耳朶に囁き始めた。「あなた?さっき、ガガに布を挟む、雷よけの風習の話を教えたわね」女の声音が湿っている。「あの時には恥ずかしくて。とても言えなかったことがあるの」「何?」「雷様は不道徳な行いをしている女を、特に嫌っていて。そんな女のガガに落ちると言うのよ」「不道徳?」「そう。不義とか…」「そうなると、布や紙では効き目がなくて、自分の指で防がなければならない、って言うの。それをしなければ 雷様に孕まされてしまって。鬼の子を産む羽目なるって。ダラガガ封じ、っていうのよ」「ダラガガ封じ?」「そう。ふしだらな、だらしないガガを封じ込めて、使わせないっていう意味だわ」「指、って?」「そう。指なの」「指で、どうするんだ?」「雷様が入らないように、指でガガを塞ぐのよ」「指をガガに入れるのか?」「そうだわ」「何本?」「人によるわ。あそこの大きさはみんな違うのよ」「それはそうだな。それにしても、凄まじい言い伝えだな」「それに、あなた?女の姦通の相手が一緒にいた場合の方法が、別にあるのよ」「どんな?」「その男の指でガガを塞ぐのよ。これが、雷様の孕みよけの、最強の仕方だという伝説なんだわ」「成る程。不条理な子は決して産んではならないという、諭しなのか」「あなた。さすがね。その通りだわ」「それで?」「怖いんだもの。だから、あなたにして欲しいの」「俺がその姦通の相手なのか?少し変じゃないか?」「どうしてかしら?」「俺達は、未だ交接していないんじゃないか?こういうのを姦通って言うのかな?」「あなた?私達はそれに等しい不道徳に足を踏み入れてしまったんだわ。それとも、厭なの?だったら、自分でするわ。あなたに助けて欲しかったのに」

 こうして、一〇年振りに再会した紫子と草吾の二人の、初めての同衾が幕を開けたのである。
 
  
7️⃣ 撮影

 紫子は窓際に行き、庭を眺め始めた。「あの大木に咲き誇っている、紫や青、赤や黄色の、あの大輪は何ていう花なのかしら?」「マカビリウスだ。華やかだろ。いかにも南国の花みたいだけど、あれでも、この北の国の固有種らしい。この地の民族の、南洋渡来説を証明しているのかも知れない」「あれは、どうなの?」「ん?」「どうせなら、私の下着にしたいわ」
 草吾があたふたと庭に出て、一抱えの花束を持って戻って来た。「この花で飾るんだな?」「そうよ。あなたの趣向だったら、どんな風に装飾してくれるのかしら?」

 やがて、裸体の紫子が、草吾の指示でポーズをとり始めた。
 うつ伏せに寝て、尻を際立たせる思惑で青と紫の花を配する。「花で飾れば恥部も隠せるわね?」「お前の身体に、恥部なんてあるわけがないだろ?」
 出来上がった、ポラロイドの最初の一枚を見て、女は重い乳房を揺らして歓喜しながら、「私じゃないみたい。何か、別な生き物みたいで。綺麗だわ。これだったら、ヌードの尻を撮りたいあなたの気持ちも、わからないじゃないわ」と、意味ありげに視線を送って、「お尻だけなら、撮らせてあげてもいいわよ」と、納得したのである。
 

🎆 エプロン-

 ウィスキーを含んだ女が、「いいことを思い付いたんだけど。聞きたくない?」「ん?」「エプロンをするのはどうかしら?」「エプロン?」「ヌードによ。お尻はすっかり見えるけど。前は隠れてるわ」「どうかな?」「だって、あなたが私のお尻を褒めそやしてくれるんだもの。もっと、趣向を凝らして見てみたくなったの。自分では見れないでしょ?それに…」「あなたの写真は、私の実物以上に魅力的なんだもの」「不思議だわ。自分の身体がこんなだったかって、驚いたんだもの」「試しに着けてみようかしら?あなたが厭だったら、止めればいいんだもの」「エプロンの色は?」「黒と、大輪のヒマワリがあるわ。黄色よ」「そうだな…」「どうかしら?」「二つとも、試してみようか」

 直に、女が裸に黒のエプロンだけを着けて現れた。股間はすっかり隠れているが、後ろは数本の紐が交差しているだけだ。白い豊かな尻が、男を捕らえて離さない。女が、これ見よがしに肢体をくねらす。「どうかしら?」「そうだな。撮ろうか」

 「どんなポーズがいいのかしら?」「そうだわ…。ここは、人は来るのかしら?」「殆んど来ない。集落からは離れた一軒家だし。付き合いもないし。郵便配達の来る時間は、とっくに過ぎた」「庭が花盛りだわ」紫子は花が好きで、草吾の家に通いながら、庭の一角を花畑に作りかえたのである。この時節は、ダリアやグラジオラスの盛りだった。「すぐ向かいに神社があるわね?」「小さな祠だけど、由緒があるそうだ。一昨日は夏椿が咲いていたんだ」「そうなの?」
 二人は同じ設定を思案しているのである。「庭と神社で、あの花と撮らないか?」「外に出るんでしょ?」我が意を得たと言うばかりに女が言う。「背景が最高なんだ」女は、「どうしようかしら?厭だと言ったら?」と、焦らしたりする。「思い付いてしまったら、他では食指が動かないな」「すっかり写真家なのね。いいわ。そうしましょ」

 二人は昼下がりの外に出た。「これでいい?」花畑で女が尻を見せる。「そこを花で飾ろう」男の指示に、「こう?」女が花の陰に尻を隠したりする。男はポーズを変えさせて無心で撮り続ける。
 向日葵のエプロンに代えて撮っていると、「背中だけしか撮らないなら、エプロンを外してもいいわよ。どう?」男の答えを待たずに、女が大輪の花の群れに身を隠した。
 すぐに姿を表して、「でも、乳房だけは、どうしても撮って欲しいんだもの」と、豊かに揺らしてねだる。下半身を、女は花に埋めている。思わず、男がシャッターを切った。
 それから、花の中の裸の背中を、存分に撮った。
 

🎆 御神木

 「あなた?このままで、そこの神社まで歩かない?人が来る気配はないし。あなたは後ろからついて来て、思う存分に、お尻を撮ったらいいんだわ。どうかしら?」
 神社までの小道は二〇メートルに満たない。道は神社で行き止まりだから、向こうから人の来る心配はない。畦道だから、勿論、車は入れない。高台の一本道で、北側は里山の縁、南側は眼下に広がる畑と田んぼだから、全てが見渡せるが、人のいる気配は全くない。この一隅の、この時間だけが自然の密室なのだ。
 だから、草吾は、紫子の提案に、雀躍して同意した。そして、真昼の炎天下を、女の僅かばかりの衣服を負って、レンズの奥から女の裸の尻を追ったのである。

 女はありのままに散歩をする風情で、爛漫にゆっくりと尻を揺らす。まさに、ルノワールの女ではないか。シャッターの合間に、草吾が嘆息する。
 紫子は道端の小花に屈みこんだり、交尾して連なった蝶に、暫く見とれたり、モデルはだしの姿態を創るのだった。
 「あなた?蝶の交尾だわ」と、女が頓狂な声をあげて、「動物は節操もなく交尾しても、一向に非難されないのね。なのに、私達のこんな芸術だって、あからさまになれば罪科なんでしょ?自由って窮屈だわ」などと言う。そんな表現を紫子から聞くのは、草吾は新鮮だった。

 一区切りがついて、神社の榊の大木の影で、二人は涼んだ。紫子は草吾が背負ってきた浴衣を羽織った。不思議とその一角だけには、みずみずしい風が吹き通っているのだ。何事もなかったかの如くに、女が、「これが、あなたの言っていた御神木なのね?樹齢は千年に近いと聞いたわ」と、言う。「この地の守り神みたいだろ?」。二人はウィスキーを飲み、男は煙草を吸う。
 
  「この神社は鬼神社と言うんだが」と、草吾が話し始める。「ツガルの鬼沢という部落に、ある伝説が残されているんだ。ニ三郎という男が山に住む鬼と仲良くなった。飢饉の時に、鬼が堰を作って村人を助けた。以来、鬼沢と名付けて神社を建立して鬼を守り神として祀って、鬼神社と呼んだ。鬼神社の存在は、ツガルでも岩木川の流域の数ヵ所に限られている。何故か?鬼は彼らの先祖だ。その先祖とは、誰なんだ」「ここも、珍しい鬼神社だ。この地にも、ツガルと同じ様な始祖がいたのではないか。そんなことを考えているんだ」
 

8️⃣ 淑女たちの囁き

草吾が、背後から紫子の耳朶に、「ある時、古本屋で、実に面白い本を見つけたんだ」と、囁いた。「ん?」酷く汗ばんだ紫子の裸体は、未だ、茫茫としか反応しない。「『淑女たちの囁き』という、戦後、直ぐに出版されたもので。私家本だ。地下出版のルートで出回ったらしい。あの頃は駐留軍が、あらゆる局面で民主化を奨励して。小説の世界も『第四の文学運動』が流行ったが。まあ、後になってみれば、殆どはエログロで」

 紫子の裸体から離れて、腹這いになった草吾が煙草に火をつけた。「でも、あればかりは違う。綺談というか、事実は小説より奇なり。まさに、この警句を地で行く、実話集の逸品なんだ。戦時中に、既に、好事家の間では、極秘裡に読み継がれていたという説もあるし」「作者が男なのか、女なのかもわからない。多分、相当の高齢者ではないか、ぐらいで」すると、取り残されていた女の声が、「どんな、内容なのかしら?」と、虚ろに追いかけてきた。この女は、未だ、愉楽の縁を漂っているのか。
 
「あの戦後の、道徳の敗退を嘆いている、と言うより、嘲笑しているんだ」「ん?」「あの頃、復興の名目のもとに、この国の伝統や慣習が、やつぎばやに失われていったろ?あの戦争で国民性が著しく歪んだ。それ以上に、だよ。そんな、いかにも移ろいやすい世相を、批判というより、斜に構えて揶揄しているんだ。そうした視点で、市井の女たちの、驚愕の告白を集めたドキュメントなんだよ。浅ましい、でも、真実が網羅されてるんだ」「随分と難しそうなのね?」「そんなんじゃない」「ん?」「真逆だよ。むしろ、滑稽なくらいなんだが。でも、身震いする程、怖かったりする」「どんななのかしら?」と、漸く、紫子が関心を持った。

 再び、紫子の背中に貼り付いた草吾が、「夫婦喧嘩はしたろ?それとも、おしどりだったのかな?」随分と間があって、「…したわ」と、紫子が反応した。
 この女は、実家のある、このK市の大学に来ていた学生と恋に落ちて、彼の出の西の国の、遠方の狭い島に嫁いでいたが、三年もたたずに夫の不義が発覚して、あげくに、その相手が実の叔母だったから、凄惨な二年もの夫婦のいさかいを経て、幼子を連れて離婚していたのであった。
 だが、草吾はそんな女の過去の、殆どを知らされていない。女は、だからなのか、草吾の来し方をも発掘する事はなかった。それは、この女の質なのか、それとも、この二人の曖昧に満ちた関係性の所以なのか、二人とて知らないのであった。

 「腹の虫が収まらずに、秘密に仕返しをしたことは、なかった?」「仕返し?…ないわ」「その本には、女達の、様々な、夥しい仕返しの事例が書かれているんだ」女は息を詰めている。
「例えば、夫の歯ブラシで便所掃除をして、再び洗面に戻して。そしらぬ面持ちで、夫の歯磨きの様子を眺めた女の独白とか」「まあ。他には?」「夫の味噌汁に、小便を一たらしした女とか」「まあ」

 「圧巻は、閨房の最中に、他の男を思い浮かべるというものだ」「まあ。どういうことなのかしら?」「詳しく書いてあったよ」「聞きたいわ」
「夫が浮気をしたというんだ」「その夫婦の歳は、幾つなの?」「確か…。夫が五〇代前半、妻は少し下だったかな」「それで?」「腹に据えかねた妻が、閨房の最中に、ある妄想に耽るんだ」「どんな?」「別な、ある男に身を任せるんだよ」
 「それって、想像なんでしょ?」答える代わりに、「女って、そんな不条理が平気で出来るんだな。男には、実に不可解だ」と、草吾が呟いた。「あなた?」「ん?」「最近になって流行っている歌?」「何?」「『あなたの腕の中で、別な男の夢をみる』って?」「あったな」「でも、あの詞は××でしょ?」「そうなのか?」「そうよ。あの人、『女心の代弁者』なんでしょ?」「知らなかった」「そうなのよ。だから、そうなんでしょ?」「何が?」「女の不可解も不条理も、男の創作だってことじゃないのかしら?」「そうなのかな」「そうよ。女は秘密な生き物だもの、決して、簡単には告白なんかしないわよ」「そうなのか?」女は答えない。

 「その男って。どんな人だったの?」「旅の若い物売り」「幾つなの?」「二〇代前半」「若いわ。妻にとっては子供みたいだわね。それで?」「その男は、実際に、数日前に来ていたんだ」「そうなの?」「男は何を売っていたと思う?」「知る分けがないでしょ」「避妊具だよ」「何だか、そんな小説だか…。映画だかが、あったんじゃない?」「『昼下がりの儚』じゃないか?」「それだわ。確か…」「何?」
「性具だわ」「そう。映画にもなった?観た?」「観てない。あなたは?」「観てない」この二人の会話は、どこまでが事実なのか。

 紫子にも、決して、明かしてはならない秘密があったのである。それはどんな事象だったのか。果たして、紫子は、この『淑女たちの囁き』の淑女達と性を同じくする女だったのか。只今この時点で、欄熟した性愛の哀れな捕虜にすぎない草吾などには、知る由もなかったのである。


9️⃣ 草也源氏

 ウィスキーで喉を鳴らした草吾が、思いついたように、「源氏物語は読んだ?」と、話を向けると、紫子が、「学生時代に読んだわ」と、頷いた。「何、源氏?」「愛と狂乱と謎の女、多満子源氏、だわ」「それなら話が早い。感想を聞きたいな」「そうだわね。世界に誇れる、恋愛小説の古典というのが通説だけど…」と、答えを探しながら、紫子は戸惑った。いったい、この男は何を話し始めようとしているのか。この問いは、私の何を試そうとしているのか。どんな答えを期待しているのか。今はどう答えるのが賢明なのか。紫子の脳裏を、思案が慌ただしく駆け巡る。

「でも、私はそんな風には感じなかったわ。あれは、ただの雅な、貴族の素敵な恋愛の話なんかじゃないと、思うの」「どうしてかな?」「単純だわ。源氏は様々な女達と恋をするけれど。その関係性は義母や、人妻、あげくには幼女などでしょ?」「いかにも特殊で、ある種の猥褻を暗示していると思うの。紫式部は、直接的な描写は避けているけど。行き着くところには、男女の営みがあるわけでしょ。登場人物の関係性からいって、いかにも異様な、その場面を暗示するような設定を意図していたんじゃないかしら?」「面白い着想だ」

 「あなたはどう思うの?」「君が見抜いた通りだ。源氏物語の本質は性愛だよ」「性愛って?」「肉欲の愛。本能の性欲だよ」「どういうことなのかしら?」「交接したい欲望のことだ」「源氏物語は光源氏が様々な女達に恋をするんだが。結局は、君の言う通りに交接するんだろ?」「そうね」「いわば、その行為で、終局に愛を確かめるんじゃないか?」女が曖昧に頷いた。「源氏は性交をしたいが為に恋をしているんだ。これが肉欲だよ」「何だか、強引な論理みたいな感じがするけど」

明瞭な賛意を示さない紫子に、草吾の論説が続くのである。「愛と性愛を、キリスト教では明確に分けているんだ。精神的な愛。純粋な愛はアガペー。一方で、肉欲をエロスという」「恋をして、愛し合い、結婚して添い遂げる。これが、アガペーの愛だ。そして、この二人は、夜な夜な同衾する。とりわけ、新婚には交接は堪らない快楽だろう。これがエロスだ。こうして、アガペーは堂々と称えられて、エロスは閨房の闇に隠されているんだ」「普通はそうだわ」「だったら、恋って、何なんだろ?」「好きになることでしょ?」「好きだから抱きたい、交接したいって思うのは?アガペーなの?エロスなの?」

 「男、いや、雄は、雌なら誰とでも交尾できる訳じゃない。気に入った雌じゃないと、勃起だってしない。雌だってそうだろ?」「そうだわね」「お気に入りの雌なら、一目見ただけで、生殖欲が湧いてくるんだ。違う?」「どうなのかしら?性愛と恋愛はどう違うの?」「違わない。人間は、性愛を醜いものとして隠してきたんだ。夫婦の愛を尊いものとしながら。夫婦の夜の営みは、忌むべきだと、隠蔽するんだ」「どうしてかしら?」「エロスの快楽が、とりわけて、女の感受性が絶大だったから、明らかにするのを憚ったのかも知れない」

 「『秘本源氏』という奇書があるんだ。読んだ?」「初めて聞いたわ」「他のもう一冊と、この国の奇書の双璧をなす傑作なんだ。世界にも奇書は数あるけど、これは、まさに逸品だな」「作者は誰なの?」「草也という作家だと、言われてはいるが。名前ばかりで、実像は何もわからない人物だからね。実際は不明なんだ。大元の原作は紫式部という説もある」「式部なの?」頷く男に、「どうして?」「彼女も、実は、禁忌を書きたかったのかな」「禁忌?」「性の赤裸々な描写だよ」「だったら、その草也源氏はどんな内容なのかしら?」「『源氏物語』の隠されたテーマの肉欲を、大胆に、赤裸々に描き出したんだ。筋書きは『源氏物語』をなぞっているんだが、禁忌によって隠されて、書かれることのなかった、女達と光源氏の性愛や交接の様々を、細密に生々しく描写しているんだ。出色は、光源氏の敵役として、ある怪僧を登場させていることなんだ。この人物は、あの道鏡がモデルと言われている」「道鏡って?」「女帝を籠絡して、御門になり変わろうとした、史上、唯一の男だよ。前代未聞の巨根と言われている」

紫子が白い太股をあらわに交差させて、足を組み替えた。その一瞬に、太股の付け根の暗闇がのぞいた気が、草吾はした。


1️⃣0️⃣ 叔母

 紫子が二階から戻ってきた。服が変わっている。花柄の薄いシャツに青いスカートだ。若やいだ肉感に見えて、ますます、草吾を惑わせる。薄いシャツの豊満な盛り上がりに、乳首がくっきりと浮き上がっているのに、草吾は気付いた。

 その時に、つけ放したラジオから臨時のニュースが流れてきた。
 『臨時のニュースを申し上げます。三日前にF町で発生した、いわゆる、戦争寡婦暴行殺害事件の犯人が、本日午前、緊急逮捕されました。犯人はF町在住の僧侶ですが、警察は、未だ、氏名を明らかにしていません。繰り返します…』

 すると、ラジオに聞き入っていた紫子が、ため息をついて、「私。思い出してしまって…」と、言うのである。「何を?」「今のニュースみたいな。遠い昔の。でも、決して忘れられない。本当に忌まわしい事件だわ。余りに厭らしいんだもの。あんなこと。今まで誰にも話せないでいたの」「話してくれないか?」「でも…」「少しは、楽になるかも知れないだろ」
 いかにも長い吐息の後に、紫子が、漸く話し始めたのである。

 「私が高校二年の時の、夏休みだったわ」「酷く暑い日で、気味が悪いほどに蒸してたわ。その日は部活動で登校して。昼下がりに、玄関に入った途端に。家の奥から、叫び声が聞こえたの。息を凝らして、奥の部屋を覗いたら。叔母と男が揉み合っていたのよ。私。驚いちゃって。事情も飲み込めないし。声もかけられないで」「何をしている情景なのか、わかったのか?」「私は一七だったのよ。初めて見る世界だけど。何が繰り広げられているか位は、すぐにわかったわ」

 「それで?」「叔母は三七。夫が半島で戦死していたから、実家に帰っていたの。独立派の暴動鎮圧に当たっていて、暴徒達に撲殺されたのよ。子供はなかった。叔母は母の妹で二人姉妹。母は婿取りなの」


🎆 坊主

 「男は?」「お坊さんよ。中学の先生もしていて。私は教え子だったの。物知りで温厚で。信頼される人だったわ」「歳は?」「あの時は六〇に近かったと思うわ。その男が、がむしゃらに拒む叔母から離れたかと思ったら。僧衣を…」「脱いだ?」「そうよ。みんな脱いだわ」「真裸に?」「そうよ」「見たのか?」「何を?」「股間」「それを言うの?」「厭だったら言わなくていい」「厭だわ。でも。…見たわ」「どんなだった?」「…隆起してて。あんなのを見るのは初めてだったから。驚いて。口を手で押さえたの。叫びそうになったのかしら?」「大きかった?」「そうよ。恐ろしい程だったわ」「それから?」「それを見せられた叔母は、凍りついたみたいにおとなしくなってしまって。男が叔母を後ろ向きにしたと思ったら。尻を叩き始めたのよ。随分と叩き続けたわ。そしたら、叔母のスカートをめくって。パンティを半分まで脱がせたら。叔母の尻が剥き出しになったのよ」「どんな?」「桃色の、大きな尻だったわ」「それで?」「坊主がその裸の尻を叩くのよ」「叔母は?」「呻いていたわ」

 「それがおかしいのよ。厭だとか、止めてっては、言うんだけど。さっきみたいには、抗っている風がないんだもの。その内に、叔母が叫び始めたの。もっと強くとか」「すると、坊主が叔母を仰向けにさせて。叔母はぐったりして。坊主に足を開かれても、されるがままだったわ。坊主は叔母の股間を見ていたわ」
 「どんな?」「厭らしいのね。知りたいの?」「教えてくれ」「厭だわ」「坊主がその陰茎で、叔母の顔を叩き始めたんだろ?叔母がそれを掴んで…。頬ずりしたのか?」「そうよ。どうしてわかるの?」「あの戦後に流行った、エログロ小説の典型だよ。性犯罪者のやる事なんて、似たり寄ったりだからな。それから?」「それから?さあ。どうしたのかしら?」「聞きたいな?」「つくづく、厭らしい方ね。でも、これから先は話せることじゃないわ」「充分に喋ったんじゃないか?随分ともったいぶるんだな?」「そうだったかしら。でも、もうこれ以上は駄目よ。あなた?せっかちはいけないのよ」


🎆 マゾ

 「それよりも、私とあなたの話の続きがしたいわ。だって、いつの間にか、話が逸れてしまったんだもの。肝心なのは、男社会の弊害の話をしていたのよ。労働組合でフェミニストを公言しているあなただって、心底では、あの僧侶と同じ無体を、私にしたいと思っているんじゃないかしら?男なんて、いずれにしても、終いには、力ずくで欲望を発散するんわ。あなたも内心では、私を組伏せて、屈服させたくて仕方ないんだわ。違うかしら?」
 草吾が煙草に火を点けて、紫煙をなだらかに吐き出した。「随分と物騒だな。交接こそ、男女平等でなかったら面白くない。強姦して勃起する奴なんて、不思議でならないんだ」「綺麗事だわ。間違いなく叩くわよ」「君はマゾなんじゃないか?」「マゾ?」「そうだよ。止めてしまったけど、きっと、さっきの話の続きが重要なんだ」「何故なの?」「坊主が叔母さんの尻を叩いた話だった」「そうよ」
 「それから、二人はどんなことをしたんだ?縛ったんじゃないのか?」「どうして知っているの?」「そんなのを見るのは、初めてだった?」「そうよ」「処女だった?」「当たり前だわ」「衝撃的な経験だったんだ。それが脳裏にこびりついてしまって。逆に性癖になってしまったんだ」「性癖?」
「別れた旦那とは、どんなことをしたのかな?」「そんな事、言うわけがないでしょ」「洗いざらい話せば、解放されるかもしれない」「解放?」「鬱屈が取れるかもしれない。心が軽やかになる」「そうなのかしら?」

 やがて、女が話し始めた。「縛ったわ」「どんな風に?」「叔母は随分と抗ったんだけど。両手を縛られてしまって。キスをされてたわ。口じゃない。うなじや耳よ」「それでも足をバタバタさせていたから、両の足首も縛られてしまったの」「もう身動きはできないでしょ?」「私には、あんな乱暴は、決してしないわよね?」

(続く)

戯れ言 1️⃣~1️⃣0️⃣

戯れ言 1️⃣~1️⃣0️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-03-18

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