アイオライトの水底

やない ふじ

僕たちはこの姿かたちが崩れても、海をたゆたい続けるよ。海だけじゃない、もっともっと、広くて遠いところまで行けるんだ。
 そう、きみの声が聞こえた気がしたのは、僕の願望だろう。溶けていったきみは今、どこを巡っているのだろうか。泳ぐのが苦手なきみだから、あの色にそっくりな空へ向かって飛んでいるのかもしれない。きみだけの速度で、ゆっくりと、確実に。
 僕はまだ、きみに辿り着けてはいない。
 朝焼け色を、ずいぶん長いこと、探している。




 一度は聞いたこともあるでしょうが、わたしたちのごせんぞさまの話をしましょう。
 みなさんが思いうかべるより、ずっとずっと昔のことです。誰かがわるさをしたのではありません。それでも、なにかの罰のようだったと、聞いています。
 とにかく、あたたかな海がとたんに寒くなり、わたしたちの食べるものがなくなってしまったのです。食べものがなければいきてゆかれませんね。
みなにいきわたるぶんの食べものがないので、数すくない食べものをめぐって、仲の良かったみんなのあいだで、けんかが始まりました。
 たくさんの生き物が傷つきました。もちろん、力つきるものもありました。
それでもけんかはやみませんでした。みな、やめかたが分からなくなっているようでした。
 そのようすを見た海の神さまはたいそうお怒りになりました。なんとかしてやめさせようと思った神さまは、海を分けることにしました。こうすれば、互いに会うこともなくなり、いっさいの争いは起きないだろう、と言いました。
そうして、海のさかいめができました。
 海のさかいめをこえてはいけない、というのは、こんなできごとがあったからです。みながほんとうにけんかをしなくなれば、神さまもさかいめを解いてくれるかもしれませんね。



「海のさかいめがなくなるのは、いつなのかなぁ」
「……神様が作ったとかいう、あれ?」
 まだ紫咲はそんなおとぎ話をを信じているのか、って言いたげな顔を碧央がするから、ぼくも負けじと顔をしかめてみせた。錫巴は少し離れたところで、うっすら笑ってぼくたちを見ている。
 ぼくたち、というか、ぼくと錫巴のからだがちいさかったころから聞かされている話だ。碧央は、からだの大きさがあのころとあまり変わらなくて、だけどぼくたちはみんな、大人ほど、大きくなれていない。
「信じる、信じないじゃないと思う。おれは。太陽が出たら朝で、暗くなったら夜になるのと同じでさ。当たり前で、疑ったことなんてなかったな」
「なんだ。錫巴もあの胡散臭い話を信じてるのか」
「だから信じるかどうかじゃなくって」
「…………」
「紫咲? どうかしたかい?」
「ん。ちょっと待って、考えてるから」
 碧央と錫巴はぼくよりもずっと賢くて、ぼくはみんなよりもにぶくて。ことばを出すのがおそくなっちゃうから、これはいつものこと。
碧央も錫巴も、そんなぼくを笑ったりしない。待っててくれるから、ゆっくり考えられる。
考えているあいだにも、ゆらり、ちかり、ぴかぴかの泡がたくさん上にのぼっていく。灰色の中からやってきたお日さまの光が、泡をぷつぷつ、割っていく。今日はお天気がよくないけど、流れはずいぶんおだやかだ。
「……ええと、神さまのこととか、どうして海が分かれたのか、とかはわかんないや。でも、海にさかいめがあるのはホントでしょ。だから、いつなくなるのかなぁ、って。そんだけ」
「……」
「……」
 あれ、碧央も錫巴も黙っちゃった。ぼく、ヘンなことを言っちゃったかな。
どう? ってきこうとしたら、碧央はぴょこっと頭をゆらして答えてくれた。
「……確かにね。事実、いつ元通りになるのかは誰も言わないな。御伽話の誇張なのか実際にあったことなのかも曖昧だ」
 しばらくして錫巴も頷く。
「大人は、今はもう、争いがなくなった、としか言わないなぁ」
「ね。それって、ふしぎじゃない? あのね、ぼく今日ね、夢を見たんだ。ここと似てるけどちょっと違うところでね、ぼくだけで泳ぐ夢」
 知ってるようで知らない場所を夢で見たから、もしかすると、って。
 海のさかいめがなくなったら、こんな場所にも行けるのかな、って思ったんだ。ぼくたちは、じつは、どこまでも行けるのかな、って。
 頭の中ではそう考えてたんだけど、ことばがおくれて、音にならなかった。ぼくはよく、頭の中のことばと音のことばが、ずれてしまう。
「――あぁ、あるんじゃないのか」
「碧央もそう思う?」
「どこかには。あるとは言い切れないが、無いとも言えないし」
 碧央はいつも、頭の中のことばもまるで聞こえたみたいに答えてくれる。ぼくはとっても嬉しいんだけど、碧央はなんでもないみたく、ちょっと笑うだけだ。
 ぼくはきゅうっと伸びて首を傾けた。頭の上に、いくつもの輪っかができているのが見える。「あめ」が降ってるんだ。少し冷たくなったら嬉しいな。最近はお日さまがちかちかして、まぶしくって、ちょっと暑い。
「……神さまっていうのは、皆を納得させるために、誰かが後付けした理由なのかもしれないね」
 錫巴のことばが、落っこちてくる。
「うんと昔、海が寒くなりすぎて、食べるものがなくなった。そのせいで、仲の良かったご先祖さまたちがけんかをして、たくさん傷ついた。だから神さまが怒って海を分けた。この理屈が通るのは、神さまがいるって前提があって、だ」
 大人たちはみんな、自分だけの神さまを持ってる。薄い色のついた大きな魚が神さまだっていう仲間もいれば、すごくきれいな貝殻の中に、神さまが住んでいるっていう仲間もいる。
だけどぼくには、神さまがどんなかたちをしているのか、想像できない。
 錫巴は調べものが得意だ。昔の記録を見たり、どんなことがあったのかを想像したりするのが好きなんだって。だから海のことも、一番くわしいんだ。
もしも、さかいめを越えてしまったら。もとの海に戻れなくなって、「旅のもの」と呼ばれるいきものになるって教えてくれたのも錫巴だ。自分の海を持たない、悲しいものになっちゃう、って。
「昔、海が分かれた理由と、今、おれたちが、さかいめを越えてはいけない理由は違う。争いを起こさないように……が、旅のものに、ならないように?」
「今でも海には食いものが少ないのかどうかってとこだよな。僕たち、食うのに困ったことはないだろ? な、紫咲」
「ぼくは、ないよ。いつもお腹いっぱい食べられるよ」
「だよな。身体がわりあいでかいきみでさえそうなんだ。結局、神さまなんて曖昧なものを持ち出してむりやり納得してるんだろ。そのほうが大人たちにとっちゃ都合が良いんだろ。神さまがいるとかいないとかじゃない。いなくちゃいけないんだ。というか、そもそもどうして旅のものになっちゃいけないんだ? 僕みたいなのも居るってのに」
 碧央みたいな。
 僕も錫巴も、なにも言えなかった。
「――やだな。おかしなことは言ってないよ」
 無理やりみたく、碧央は明るいふうに言う。
「本当のことだ。……僕はよそものだよ。
 さ、もう行こう。間に合わなくなっちゃうだろ」
「……うん」
「そうだね」
 ぼくは碧央の目の前ですうっと止まって、その小さいからだを背中に乗せる。碧央はぼくの頭をぽんぽんと叩いた。錫巴もぼくのとなりに並ぶ。ぼくが疲れたら、そのときは錫巴が碧央を運ぶんだ。
 ぼくは泳ぐのが得意、碧央は頭を使うのが得意、錫巴は身体のことと頭のことの両方をつなぐのが得意。ばらばらだから、いつでも楽しい。
「それで紫咲。今日はどこまで?」
 赤い海藻の群れ、とぼくは答えた。いつも集まる南の緑岩から、あんまり遠くない場所だ。みんなと一緒に行くのは初めてだ。
 背の低い海藻をかき分けて進む。あまり速いと、錫巴が追いついてこれないから、少しずつ、きょろきょろしながら。
 うっかり見のがした岩やかたい海藻は、碧央が頭を叩いて教えてくれる。だけどたまに、わざと教えてくれなくって、ぼくはのっぽの海藻に突っこんでしまう。そんなぼくを見て碧央も錫巴もからから笑う。
 突っこんじゃって落っこちてきた碧央をまた乗せようとすると、錫巴が碧央をひょいと受け取った。
「さっきからぶつかってばかりだ。ちょっと休憩したらどうだい」
「えぇ? スズは乗り心地が悪いんだよなあ」
 灰色がかった錫巴のからだを、碧央がしょくしゅでぺちりと叩く。夜色をうつしとった小さなひらひらのからだに、背中にはお日さまの光をつなぎとめたかざり。ぴょこぴょこする二本のしょくしゅ。
 いつかめちゃくちゃでっかくなってやる、紫咲も錫巴も抜かしてやる、って碧央はいつも言う。きっと父さんも母さんもおおきかった、って。
 きっと、っていうのは、碧央には家族がないからだ。碧央はずっと迷子なんだ。この海に、碧央みたくきれいな色の仲間は、いない。よそものだよ、って、碧央はよく、自分で自分をからかうみたく言う。



 黒い海藻がとぎれた。砂からあわい色の貝がらが見え隠れしている。時どき頭の上に輪っかができて、消える。輪っかのふちはいっしゅんだけ、ぱっと光る。
「いいか、今日は最高記録を目指すんだ」
「うん。――あ、あそこ」
「あっ、連続で二つか。くそ、紫咲に負けてる」
 大きい岩のはじっこに生えた海藻によりかかって、輪っか探しをする。碧央は負けずぎらいだ。ぼくはしょうぶのつもりじゃなくても、先に見つけたのはどっちか、聞いてくる。
「緑岩のところより見やすいな。あっ」
「あったね」
「紫咲! 今のは僕のだかんな」
「え? うーん、うん……碧央でいいよ」
「で、いい? 適当だな。そんなやつはこうだっ」
「ええっ? わっ―ふ、あははは!」
 しょくしゅでわき腹をくすぐられる。からだをよじってもよじっても、くすぐったいのは続く。笑いすぎてあちこちがおかしくなりそう。
 碧央はしょくしゅを錫巴にも伸ばす。錫巴は驚いた目をして、でも小さくやり返してくる。ぼくたちは、柔らかい砂の上でもみくちゃになる。小さい碧央を、ぜったいに押しつぶしてしまわないように気をつけて。
 ばかみたいだ、と文句を言いながら、笑いながら、碧央はしょくしゅのぴょこぴょこを大きくさせる。くるりと、ぼくと錫巴の上で回ってみせて、からだのひらひらを元の位置に戻した。
「―あ、」
 ひっくり返ったときに見えた空に、碧央はため息をこぼす。顔はもう、空をじっと見つめている。
 見えた。朝焼け色だ。
 あおいろ。むらさき。まざったももいろ。
 じりじりと、名前も知らないたくさんの色がせまってくる。ぼくのからだに似ている色もあった。
 色は動きつづけて、すぐに別の色に変わる。くるくる、くるくる、めまいがしそうだ。
ひとつきりを見つめるんじゃなくて、ぜんぶをぼうっとながめる。そうすると、だんだん色が混ざりあって、碧央の色になる。
「――良いな」
 碧央はぽつり呟く。錫巴はそれを聞いて、思いっきり吹きだした。
「何だよ、良いって。綺麗、じゃなくって?」
「良いものを良いって言って何が悪いんだ」
「いや、悪くはないけれど。素直じゃないなぁ、碧央は」
「う、うるさいな。僕は、良いと思ったものを良いと言ったまでだ。……僕たち、いつもはこの残骸を見ていただなんて、知らなかった」
 いつもいるところは、大きな岩があったり急な流れが交じりあったりしていて、危ないものから身を守ってくれる。その代わり、僕らはいつも、うすぐもりの灰色ばかり見ている。
「紫咲、ありがとう。初めて見たよ」
「うん。きれいでしょ?」
「……すごく、良い景色だとは、思う」
 良い、かぁ。
 ぼくは嬉しい気持ちと悔しい気持ち、半分ずつになってしまった。きれいって思ってくれるって、期待してたんだけど。
 碧央は自分の色が嫌いだって言う。ほめると怒る。碧央のからだはとってもきれいなのに。
「他の景色では、もう、満足できないかもしれない」
 知るってことは、怖いことだね。そう錫巴がぼくに笑いかける。
 難しい問いかけを、碧央じゃなくてぼくに、投げかける。
 錫巴は調べものが好きだ。だから、分からないことが分かっていくのも、もちろん好きなんだと思ってた。
ぼくの想像を無視して、悲しそうに、錫巴は言う。
「知らなくても良いことも、気付かなくて良いことも、あるのになぁ。余計なものばかり見えて困る。…………ね、碧央」
「あ?」
 碧央は片方のしょくしゅをぴら、と上げる。
「まどろっこしいな。謎かけでもするつもりか? そんなの後にして、早く行こう、紫咲も」
ぼくたちから降りて、ずんずん進んでく碧央を追いかけた。ひらけている、大きなでこぼこの砂地のほう。ああいうところは、急に流れが強くなっていたりするけど、だいじょうぶかな。
「碧央、待って。きみだけじゃ危ないよ」
「早くおいでよ、紫咲も、錫巴も」
ぼくはあわてて追いかける。
だけど、どうしてだろう。碧央がいるところまで、進めなかった。流れが急なわけでも、岩があるわけでもないのに、前に進めなかった。ここを越えたらわるいことが起きる気がして。
「だめだよ。ぼく、だめだ。行けないよ、碧央」
「なんで? きみならこんくらいのところ、どうってことないだろ」
「そうじゃなくて……」
「碧央、おれもだ」
隣に来ていた錫巴が言った。ぼくたちは、見えない壁みたいな、ぞわぞわする目に見えないものに、さえぎられていた。
 こう、と、泳ぐときにいつも聞こえている音がする。目に見えないなにかが、すごいいきおいで追いこしていく。
こう、こう、ごう。すう、すうー。高い音と低い音のあいだにぼくをつかんで、離して置いていって、なでるみたいに流れていく。うろこが一枚一枚、逆立つようだった。
「……さかいめ。そうか。ここがか」
 そういうことか、と、碧央はつぶやいて、ぼくたちのところにゆっくり戻ってくる。
 ここが、海の、さかいめなんだ。
「……目に見えるものはないんだな。それでもだめ? こっちには来られないのか?」
「うん……なんか、ぞわぞわして、やなかんじがする。ほんとにほんとに、行きたくないって思っちゃう」
「錫巴もだめなのか? どうしても?」
「……そうだね。おれも何となく、そこに近付くのはぞっとする」
 ぼくと錫巴は小さく後ずさりをした。いつまでもあの近くにいると、なんだか泣いちゃいそうだった。かなしくもくるしくもないのに、からだの真ん中がぎゅうっとして、さみしいのと似てる気持ちになっちゃいそう。
 だけど、碧央は、じっと動かない。
 ぼくたちのほうを見て、ただただ、じっとしている。
「碧央? こわくないの。早く、戻ろうよ」
「……僕は……何も。何も、思わない」
 錫巴が大きくまばたきをした。ぼくもだ。まだからだじゅうにぞわぞわが残っているのに、碧央はなんてことないのかな。
「僕が―よそものだってことと、関係あるのかな」
 海のさかいめは、ぼくたちだけのもの。
 他の海にはないもの。よそで生まれた碧央にとっては、なんでもないもの?
「君たちがどうして不快感を覚えるのか、さっぱりだけど……越えられないこともないんじゃないのか? これ。旅のものもきっと、気にしないで越えてるんじゃないの」
「気にしないで、って、それが難しいんだと思うよ」
「そういうものか? ふうん。なんでかな……でかい岩や何かがある訳でもないのにね」
 心のそこからふしぎだな、って思ってるみたく言いながら、碧央は戻ってきた。ぼくはものすごくほっとする。錫巴もそうだったかもしれない。
 さかいめを越えてたたずむ碧央は、ぼくたちを置いて、今にもどこかに行っちゃいそうに見えたから。
「紫咲。君が言ってたこと、あんがいすぐ叶えられるかもよ」
「え? なんで」
「だから、ここと似ているけれど違う海。君が夢で泳いだって海。言ってたろ? そこにも行けるんじゃない? 怖いって思うのを克服すれば」
「んー、だけ、って言うけどね、碧央、ぜんぜん違うからね? こくふく、大変だよ。たぶん。うん。大変だけど……でも、みんないっしょなら、できるかな?」
 碧央はさかいめが怖くないけれど、泳ぐのが苦手だ。ぼくと錫巴は泳ぐのがソコソコうまいって褒めてもらえるけど、さかいめが怖い。
 いいとこと、そうじゃないとこを仲良くしたら、できる気がする。
 ぼくたち、みんなで、さかいめをこえられる気がする。
「じゃあ、じゃあさ、どうすればいいか分かんないけど、みんなでさ! いろんなところに行けるよ! さかいめをこえちゃうんだ」
「っふふ、大きく出るねえ、紫咲は」
「だって! 錫巴はいっつもたくさん考えててすごいでしょ、碧央はこわくなくってすごいでしょ。いっしょなら、なんでもできるよ」
 ぼくの頭を碧央のしょくしゅが叩く。それを合図に、ぼくと錫巴は、もとの広場まで戻ることにした。
「それは……買い被っているなぁ。おれ、そんなに物事を考えてないよ」
「っく、スズは頭でっかちだから間違ってないだろ」
「……」
「ま、僕だって、さかいめらしき場所に来たのは今回が初めてだ。何も知らないのと同じだよ。これから色々探っていけば、越える方法の一つや二つ、他にもあるだろうさ」
「じゃあぼく、錫巴と一緒に、碧央を連れていろんなとこに行くね」
「……おれもきみも、もっと長い時間泳げるようにならないと」
「うん! いっぱい練習するよ。ね、行くんならどこに行きたい? 錫巴は?」
「海藻が豊富なところかな。海によって海藻はずいぶん違うらしいから。どう違うのかを知りたいね。紫咲は、どう」
「僕は、……碧央が生まれた海に、行ってみたいな」
「ふうん。別に、どうだっていいよ」
「ええ? そんなあ」
「だって僕、ここしか知らないし。今更だ」
「碧央は、どこか行きたいとこ、ないの?」
「…………僕はいい」
「そんなこと言わないでよ。ね、ね、どこに行きたい?」
「いいってば」
「だって、どこもないの? ほんとに?」
「…………」
「……ごめん、むり、言って」
「―じゃあ、南の海」
南の海は、いつもあたたかい海。
きらきらの、べつせかい。
じわりと、僕の目の前に、想像のさんごの森が広がる。おおきなイソギンチャク。見たことない色々がの海藻。
 すべすべとごつごつが一緒になった森を、一気に抜けるのは気持ちよさそうだ。あったかい? 太陽はまぶしい? 
考えるのはとくいじゃないけど、嫌いでもない。想像の海を、ぼくは自分の中にきゅっとしまうことにした。大事にとっておけば、いつでも、行きたいときに行ける。
 やみいろになった大きめの石や海藻を見ながら、ゆっくり泳ぐ。しばらく行くと、道がまっくろなかたまりでふさがれていた。かたまりは、もそりもそりと動いている。仲間たちが集まって、列を作ってるんだ。
 錫巴がぼくを引きとめた。
だめだよ、と口の形だけで言う。
「どうして」
「おくってる」
 おくる。初めて見た。
 おくりの儀式は、ぼくたちの海ではとっても大切な、さよならの儀式だ。
 列には、からだが光る仲間もいるみたいだった。太陽の光とは違う、あおじろくて冷たい光がともっている。その光に照らされているのは、碧央のからだみたくあざやかな、色のきれはしだった。
「あれはなに、錫巴、知ってる?」
「あぁ、花びらって言うんだよ。花の、一部」
 花。海藻に似てて、きれいだ。
「おくりの儀式がとり行われるのは、大抵夜だ。ふだんと違うことをするから、そういうのは夜なんだ。それで、おくるっていうのはさいごのさいごにすることだから、みんなでなるたけ美しく、華やかにする」
 光を先頭にして、みんなはこっちに向かってくる。
 碧央が、列をまっすぐ見つめたまま、音を落とす。
「……一緒におくってやろう。こういうの、構わないよな、錫巴」
「勿論。おくる仲間は、多いほうが良いんだって」
 碧央はしょくしゅをからだの横にくっつけて、ぼくと錫巴は砂に埋もれるかっこうになって、おくりの列を迎える。
 こう。こう、すうー。泳ぐときの静かな音。みんなにも聞こえてるのかな。列を作る仲間も、むかえる仲間も、誰も動かないから、砂の動く音、海藻のなびく音まで聞こえてきそうで。自分の息を吸う音が、なるたけ小さくなるように気をつけた。
 二列になったおくりのなかまが、ぼくたちの前を通りすぎていく。さり、さり、砂の音が大きくなる。おじぎにはおじぎを返した。
 落ちた赤い花びらが目にうつる。それも流れてどこかに行ってしまって、列のさいごも通りすぎていった。目を上げると、おくりのための道は、まっくらな道に戻っていた。
 顔を上げて、戻ろう、と碧央に声をかけた。
 碧央は列のなごりをじっと見つめたまま、動こうとしない。
「――紫咲。おくる理由は知ってるよな」
「うん、知ってるよ。教えてくれたのは碧央でしょ」
 おくるのは、ちゃんとさよならをして、おくられるものもおくるものも、また元気に泳げるようになるためだ。
ぼくたちはおくられてから、ぐるぐる、海をめぐる。そうして、まだおくられていない仲間を、いろいろ手伝うんだ。
 でも、碧央はちょっと違ってて、からだが海に溶けるんだって。海をめぐるのはおんなじでも、どうめぐるかは違うんだって。
「溶けたら細かな粒になって海をつくりだすんだよ。ぼくは海の一部になる。きみたちみたいに、直接的に誰かのためになるって訳じゃないんだ」
「ぼくと碧央、違うのってなんで?」
「なんでって、そりゃ僕ときみとじゃあ身体のつくりがそもそも違うさ」
「うーん……」
「っはは。納得できてないだろ」
 碧央は半笑いを漏らす。錫巴はじっと、碧央を見つめている。
「僕たち、違うのは身体のつくりだけじゃないんだそうだよ。おくられるまでの時間も、皆それぞれ。
だけどおくられるのは皆平等に、呼吸が停まるときだ。脳。心臓。血管。神経系。これら、ぼくたちのからだを形づくる機能が持つ時間はある程度、最初から決まっている。ただ、僕は」
 碧央がほんとうに言いたいことは、いつもよく分かる。丁寧なことばが、からだのすみずみまで、いきわたってく感じがするから。だけど今日は、にごってとどこおって、ぼんやりしている感じがした。
 ぱつ、錫巴と目が合った。合ったのに、何も見えていないみたいに、錫巴の目の色は、かげっている。
 そうか。
 物知りな錫巴は、碧央のことばの先が分かってるんだ。
予感、がある。ぼくも、碧央のことばが、分かってしまう。
 ぼくの頭の中に浮かんだことばはたいてい、音になる前にしぼんでしまう。
だから、碧央のことばに追いついて、かき消すこともできない。
 思ったとおり。碧央は、夕方の日かげみたく冷たい声を、さくりと突きさした。
「僕はいくぶん、普通より早く溶けるらしい。
 きみと一緒に季節を越せない」
 さっき見うしなった花びらがまた、近くの砂の上に転がっていた。そよぐ赤色と、朝焼けと、どっちがきれいだろう。
 拾いなおす前に、花びらは、流れにさらわれていった。

アイオライトの水底

アイオライトの水底

海のものがたりです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-03-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted